あの日見た夢をもう一度、あの日見た光のその先へ 作:白髪ロング娘スキー
黒山さんの質問に答えてから少しの時間が経った。
スタッフさんは忙しそうに動き回っていたし、キッチンがポツンと置いてあったスタジオには改造が加えられ、キッチン以外にもテーブルと椅子が置かれていた。
そんな生まれ変わったリカちゃんハウスから、隣に視線を移す。
そこにはスーツに着替え、前髪を掻き上げてオールバックにしているトーカがいた。
普段膝丈まである髪はどうやってか綺麗に仕舞われており、その端整な顔が周囲に晒されている。
それを見た女性たちは目を潤ませてそわそわしだし、男性たちはどこか諦めの表情を浮かべていた。
そんな光景を見ながら、雪ちゃんと揃って頷く。
普段は髪で隠しててなんだか妖怪みたいだけど、実はもの凄く綺麗だものね、トーカ。
だからってトーカが顔を晒した瞬間、トーカに群がってベタベタしだした事を許しはしないけれど。
というか普通に怖かったわ。なんだか映画に出て来るゾンビみたいで。
トーカに熱い視線を送る女性達に微笑みながら牽制の視線を送っていると、トーカが話しかけてきた。
周りから注がれる視線など気にもしていないといった様子だ。
……いえ、これはただ単に気付いてないだけね。
私だけを見ててくれるのは嬉しいけれど、なんだか複雑だわ。
「いいのか、景」
無駄な装飾なく、必要な単語だけが抜き出される。
先程の黒山さんへの返答の事を言っているのだろう。
「ええ、これでいいわ」
だから、こちらも端的に返した。
瞬き一つせず、宇宙の様に透き通った紫色の瞳が横目に私を射抜く。
心の隅々まで見透かされそうなそれに、目を逸らす事無く視線を返した。
しばし見つめ合い、ふっ……と静かにトーカの目が閉じられる。
目を閉じたまま上を見上げて息を吸い、前を見つめてゆっくりと息を吐き出した。
ただ前を見つめるだけのトーカの真剣な表情が、ひたすら心臓に悪い。
「そうか、ならいい」
それだけを口に出すと身を翻し、トーカは歩いて行った。
多分最後の準備をしに行くのだろう。
それを見送り、スタジオに足を掛ける。
「夜凪」
後ろから掛けられた声に足を止める。
振り返れば、そこにはトーカの作った即興の台本を握り締めた黒山さんがいた。
「なにかしら?」
「お前の選択だ、俺はとやかく言わん。だが……」
そこで台本に目を落とし、頬を引き攣らせる黒山さん。
その様子は少し引きながらも、どこか面白そうに見えた。
「いや、いい。あんまはっちゃけ過ぎて怪我すんなよ」
「む、私は子供じゃないのよ?」
「はいはい。柊! 準備!」
「そんな大声で言わなくても聞こえてますよ墨字さん。じゃあいくよ、景ちゃん。本番! 本番よーい、アクション!」
響くカチンコの音と共に私は一歩、新しい世界へと踏み込んだ。
一歩一歩歩くたび、ガサガサとポリ袋の音が鳴る。
沢山の食材が入ったそれはとても重く、両手で吊るしてえっちらおっちらと運んでいく。
荷物に振り回され、ふらふらと頼りなく左右に揺れる非力な体を少し恨めしく思いつつ、がさりと音を鳴らしながらポリ袋を床に置いた。
「ふぅー、疲れたぁ」
慣れない重労働にじんじんと熱を放つ腰を後ろ手に摩る。
おばぁちゃんとかってよくこうやるけど、意外とほんとに効くんだなぁ……
少しずつ引いていく痛みに、しみじみとそう思う。
……ってちょっとババ臭いか。
ぶんぶんと首を振って余計な思考を追い出し、冷蔵庫の扉を開いた。
一個一個ポリ袋から食材を取り出し、入れる場所を間違えない様に慎重に冷蔵庫に詰め込んでいく。
この前買ったアイスを適当に冷蔵庫に放り入れた時の悲劇を決して私は繰り返さないのだ。
……液体アイス、意外と結構美味しかったなぁ……
「はっ!? いけないいけない」
すぐに脱線する思考を連れ戻し、素早くぱぱっと食材を冷蔵庫に詰め込んでいく。
そうして詰め込み終わった時、謎の達成感が私の心を支配していた。
何時もはこれで終わり、あとはパパの帰りを待つだけ……なのだが。
「ふっふっふっ、今日は違うのよね!」
ポリ袋から最後のブツを取り出し、バンッ! とキッチンに置いた。
箱のパッケージには美味しそうな料理がプリントされている。
名前は『とろ~りクリームシチュー』!
誰でも食材さえあれば簡単にクリームシチューを作れる優れものである!
「クラスメイトが美味しいって噂してたのよね」
うん、クラスメイトが。
クラス……メイトが……
泣いてないし。
制服の袖で目を拭い、壁にかかったパパ愛用のエプロンを取って制服の上から身に付ける。
気分は新婚さんだ。
テンション上がるね!
「今日は父の日! パパが家に帰ってきたらあらびっくり、美味しそうなシチューが!」
パパは美味しさで感涙にむせび泣き、親孝行しながらお小遣いアップ!
なんて頭のいい計画かしら!
「今は6時、調理時間は約1時間ってあるから……今から作り始めて丁度完成した頃にパパが帰ってくるわね」
よし、じゃあ作り始めますか!
えーっと、まずは……
「玉ねぎね!」
冷蔵庫から玉ねぎを取り出し、水でザーッと洗う。
そしてまな板を取り出し、その上にポンッと置いた。
やっぱり玉ねぎって茶色いわよねぇ……パパの料理に入ってる玉ねぎはこんな色じゃなかったんだけど……
まいっか、味に変わりはないものね!
それじゃあ食べやすい様に切っていきましょうか。
玉ねぎは……くし切り?
「……なにそれ?」
いや待って、どっかで聞いたことある。
どこだっけ……そうだ、家庭科の授業だ!
えーっと、どうやって切るんだっけ?
…………
「ええいめんどくさい! 切れればいいのよ切れれば!」
口に入っちゃえば同じよ同じ!
味で勝負するのよ私は!
勢いのままに包丁を握り、玉ねぎを猫の手で抑えて真っ二つに切った。
ごろんと転がる玉ねぎにまいったか! と思いながらふんぞり返る。
……ん? なんか視界が滲んで……
「いった!? 目ぇ痛い!?」
なにこれなにこれ!?
目が痛い! 涙止まんない!?
ほんとになにこれ!? 玉ねぎの逆襲!? 偉そうにしてごめんなさいぃ!?
涙があふれて止まらない目をぐしぐしと手で擦り、涙を落とす。
「さらに痛い!?」
え、なんでぇ!?
ええい、もう!
水道の蛇口をひねり、水を出す。
勢いよく捻った影響でドバドバと水が出て辺りに飛び散っていく。
そこに手をやって水を貯め、顔に叩きつけた。
ぐしぐしと暫く顔を洗っていると、ようやく痛みが治まってくる。
「ふぅ……」
なんかテンション落ちてきたわ。
もう作るの止めようかしら。
そうして諦めかけた私の頭に浮かんだのは、お金を持ったパパの顔!
……うん、諦めたら駄目よね!
目指せ親孝行! そしてお小遣いアップ!
さぁ、覚悟しなさい玉ねぎ!
今度こそ年貢の納め時よ!
「目ぇいったい!!? あっあっ」
舐めた口利いてごめんなさいいいいいいい!!!
………………
…………
……
「ひどい目に遭ったわ……」
でも私の勝ちよ!
所詮は玉ねぎ、この私に粉みじんにされるのがお似合いよ!
「さて、次はジャガイモね!」
知ってるわ、なんか生えてるキモイのは毒なんでしょう?
私は物知りなのよ!
包丁でちゃちゃっと抜いてーっと。
「さぁ次! にんじ……んは嫌いだからいいや」
お肉よお肉!
まぁ簡単ね、軽く切っていくだけですもの。
こうやって包丁を添えて切って……切って……ふんっ、ふぅぅんっ! ふんぬぅぅぅ!!!
「あ、あれ、切れないわね……」
いいや、めんどくさ……じゃなくて!
それなりに細かいし、そのまま入れちゃえ!
「次は炒める作業ね!」
コンロにフライパンを置いて火を点けてっと……
「あれ? なんか忘れてるような……」
……まいっか! 忘れるような事は大抵どうでもいい事なのよ*1。
さーてじゃんじゃん炒めるわよー!
まず切った玉ねぎを入れて……ええい、全部入れちゃえ!
えーっと、お肉の色が変わるまで焼けばいいのよね?
あーっ、お肉が焼ける美味しそうな匂いがしてるわ!
「さて次はっと……お水?」
1500ml……ってどのくらいよ?
んー、まぁ12人前だし、食べる為のお皿12杯分でいいわよね!*2
「どばーっと」
そしたら暫く煮込むのか。
……どっちにしろ煮るならルゥを入れて煮ても同じじゃないの?*3
うん、やっぱり私ってば頭いいわね!
パッケージからパックを取り出し、ぺりぺりと包装を剥がして中身を鍋に放り込んだ。*4
勢いよくお湯に落ちたルゥが、バチャッと音を立ててお湯を撒き散らす。
「あっち!?」
その雫が勢いよく手にかかり、雫のかかった場所が赤く染まった。
赤くなった場所を口で咥え、舌で舐める。
うー、熱かった……
「ま、ルゥは入れられたし、あとはかき混ぜるだけね!」
木ベラを差し入れ、両手を使ってぐるぐるとフライパンの中を掻きまわす。
少しずつ入られたルゥが溶けていき、フライパンの中身が白く染まってゆく。
なんか楽しくなってきたわね。
美味しくなぁれー、美味しくなぁれぇー♪
ふふふっ。
「よし、完成ね!」
なんか忘れてる気がするけど……いいわ! 忘れるような事は大抵どうでもいい事なのよ!*5
むふふ、パパの帰りが待ち遠しいわね!
そうして期待を胸にパパの帰りを待っていると、ガチャリと扉の開く音が響いた。
! パパが帰ってきた!
玄関まで走り、思いっきりパパに向かって抱き着いた。
「おかえりなさい、パパ!」
「おっとと、今日も元気だなぁ」
笑いながら飛び込んでくる私の体をふわっと軽く抱きしめて床に下ろしたパパ。
勢いよく飛び込んだ私を軽く受け流すなんて……やっぱりパパは男らしくてカッコいいわ!
「おや、この匂いは……」
「シチューよ!」
「む、一人で作ったのかい!?」
驚いたような顔をするパパに、むふーっと胸を張る。
そんな私にパパは笑いかけ、ぐしぐしと頭を撫でてきた。
「よく頑張ったな、えらいぞー我が娘よ!」
「えへへー、こっちこっち! 座って座って!」
パパの手を引き、居間にある椅子に座らせた。
パパの脱いだスーツの上着を受け取ってハンガーにかけ、キッチンに移動してシチューを皿に移す。
あ、そういえば味見してなかったわね。
お玉で小皿に少し移して、息を吹いて冷ます。
そうしてほどほどに冷めたシチューを口に流しいれ……
「っぁ…………」
……やばい、失敗した。
なにこれ……水っぽいのに変にドロドロしてて喉にへばりついてくる。
しかもなんかやたら辛いし苦い!
え、なにこれ!?
「……どうしたんだい、持ってこないのかい?」
「ぁ、いえ! なんでも!?」
不味い不味い不味い、どうしようどうしようどうしよう!?
と、取り敢えず持っていくしかないわよね!?
お皿にシチューを移して……
「ど、どうぞ……」
コトリとシチューの入った皿をテーブルの上に乗せる。
ゴロゴロとしている明らかに一口では食べきれないサイズのジャガイモとお肉、所々浮いている茶色かったり透明だったりする粒はまさかの玉ねぎだ。
しかも所々ルゥが溶け切っておらず、白いドロッとした塊が具材にへばりついている。
どう見ても美味しくなさそうな失敗作だ。
「あっ、えとっ」
「……ふむ、頂きます」
「えっ、まっ」
どう言い訳しようかとまごついている間に、パパがスプーンを取ってシチューを掬った。
思わず止めようとするも、それすら間に合わず、シチューがパパの口に消えていく。
そして暫くモゴモゴと咀嚼し……飲み込んだ。
「ふむ……」
「う、あ、ご、ごめんなさい! ま、不味いわよね! ごめんなさいすぐ捨てるから怒らないで!」
スプーンが置かれ、無言でパパが舌で唇を舐める。
静かな空間に耐えられなくなり、思わず頭を下げた。
どんな事を言われるのかと体が恐怖に震えだす。
そんな私の頭に、ポンっと手が置かれた。
「何を謝る事がある。このシチューは私の自慢の娘が私の為に作ったものだ。美味しくない訳が無いだろう?」
「え……」
そう言って優しく私の頭を撫でるパパ。
嗚咽が漏れ、視界が涙で歪みだす。
思わずパパに抱き着けば、いつも通り、パパが優しく受け止めてくれた。
「だが、そうだね。それでももし、我が娘がこのシチューに不満があるとするのなら……」
そこで言葉を止めたパパを見上げる。
パパは優しい笑顔で、私を見下ろしていた。
「今度、一緒にシチューを作ろうか」
「! ……っ、うん!」
「カット! よし、撤収だ!」
「ああ、少し待て黒山墨字」
「あん? なんだ」
「あと2本、コンセプトに沿った大人しいのと、今やった奴の大人バージョン撮るぞ。ほら、台本だ」
「いや、金の問題もあるんだが……」
「安心しろ、増えた撮影分は俺がもろもろ全部払う」
「……マジかよ」