あの日見た夢をもう一度、あの日見た光のその先へ 作:白髪ロング娘スキー
私たち3人の視線をその身に一身に浴びながら、トーカが手に持ったイチゴ牛乳をちびちびと啜る。
ほんの少し口に含んだそれにトーカは目を瞑って口角を上げ、やたら美味しそうに味わってから飲み込んだ。
購入から10分。ようやく半分ほどまで減ったそれがプラプラと揺らされ、チャポッと軽い水音を立てる。
「デスアイランドの出演スカウトって……」
「ちょっと貸して!」
トーカの手に握られた【映画『デスアイランド』出演スカウト】と書かれた封筒を雪ちゃんが興奮のままに奪い取った。
封筒の封が開けられ、折りたたまれた状態で中に入っていたA4相当の紙がバッと広げられる。
その紙を横から覗き込み、書かれている事を読む。
そして、同じく横から覗き込んでいた黒山さんが声を出して書かれている事を読み上げた。
「柊 透歌様
お世話になっております。
此度は貴方様のYouTubeでのご活躍を拝見し、こちらの映画『デスアイランド』出演スカウトチケットを贈らせていただきました。
お忙しい中恐れ入りますが、期限内にメール、もしくはお電話にてスカウトの
……ね。ほ~ん……?」
紙に顔を向けたまま、目だけをトーカに向ける黒山さん。
その視線は、横から見ている私でもはっきりと分かる程に懐疑心に満ちていた。
横から見ていて分かるほどだ、それを直接向けられているトーカが気付かない筈が無い。
案の定トーカは少し不機嫌そうな顔になり、黒山さんを睨んだ。
「おい小僧」
「あ?」
「お前、もう寝ろ。多分夢の見過ぎで頭がおかしくなったんだ。わざわざこんなものを作って持ってくるとは……安心しろ、目が覚めても治ってなかったら病院に連れてってやる」
「喧嘩売ってんのかゴラ」
トーカが額に青筋を浮かべ、親指で人差し指の根元を抑えてパキッと鳴らす。
「だっておかしいだろが! お前何時これ貰った!」
「昨日、星アリ……ちぃに貰った」
「デスアイランドの記者会見が昨日だぞ! スカウトなんてそれこそもっと前からされるもんだろうが! つかちぃって誰だちぃって!」
「さっきからそこに映ってんだろ」
そう言ってトーカは未だ記者会見の様子が映されたスクリーンを顎で示した。
スクリーンには、にっこりと何を考えているのか分からない笑顔を浮かべる百城千世子が映っている。
「百城……まぁありえなくはない、のか? マジで昨日スカウトされたのかお前」
「だからさっきからそう言ってんだろ」
「透歌」
「なんだ、雪」
「偽造じゃないんだよね?」
「泣くぞ?」
納得を見せた黒山さんとは違い、まだ少し疑いの残った視線を向ける雪ちゃんにトーカが眉を下げて悲しそうな顔をする。
それを見た雪ちゃんの目から疑いの色が消し飛び、冗談だから! とトーカの頭を撫で繰り回し始めた。
「ね、トーカ」
「お前までなんだ、景」
「百城さんとは、何時からの知り合いなの?」
「? 何でそんな事を聞くんだ?」
「いいから」
不思議そうにしながら、トーカが首を傾げた。
それを知りたがる理由を聞きたそうにしながらも、トーカは顎に手をやって記憶を漁り始めた。
そうしてぽつりぽつりと零し始める。
「確か……初めて会ったのは8歳くらいの時だったな。馬橋公園だ。ベンチに座って俯いてたあいつがやけに綺麗に見えたから声を掛けたんだ」
「……」
「そんで暫く話して、こいつには演技の才能があると思った。けど当時の俺は忙しくてなぁ、それで知り合いの伝手で演技の育成が出来る奴を探してもらったんだ。天使誕生秘話だな」
「…………」
「まぁでも、景と初めて会ったその1年くらい前から一度も会ってないよ。昨日久々に撮影で会って驚いたくらいだ。これでいいか?」
「……ええ、大丈夫よ」
その百城さんの事を語るトーカの顔には珍しく屈託のない純粋な笑みが浮かんでいて。
それを見ていると胸がじくじくして不愉快な気分になっていた心が少し楽になった。
トーカの顔には懐かしいという感情しか浮かんではいなかったから。
だからこそ、何かあるとすれば、それは百城さんの方だと思った。
そういった事に詳しくは無いが、1個人として撮影のスカウトを送るのはとんでもない事だという事くらいは分かる。
しかもデスアイランドという映画は、少し前に私がオーディションに行こうとしていたスターズが主催となって撮影する映画らしい。
スターズという事務所がどこまで大きい事務所なのかは知らない。
でも、スターズという事務所がかなりの知名度を誇る事は知っている。
ルイがよく見てるウルトラ仮面だって、スターズの俳優が出演しているからね。
だから、このスカウト一つを送るだけでも並大抵の苦労では済まないだろう。
故に、百城さんがトーカに対して何か特別な思いを抱いている事はすぐに分かった。
天使になる第一歩を歩ませてくれた感謝? 暫くの間会えなかった事に対する謝罪? それとも……
それがどんな感情かはまだ分からない。
でも、私に不安は無かった。
だって、トーカが何処かに行ってしまう事は無いんだもの。
トーカが言っていたわ。
『安心しろ、俺は何時でもお前の傍にいる』
だから、それを見ても私は特に何か不安に思う事は無かった。
夜凪景と対面していた俺には、その変化がよく分かった。
先ほどまでどこか怯えたような雰囲気を出していた夜凪が、一瞬何処かを見て完全に無になった。
そして戻って来た時、そこには先ほどまでの夜凪は何処にもいなくなっていた。
同じく夜凪を見ていた武光も何か異常に気付いたらしく、少し不思議そうにしている。
茜さんは……気付いてねぇな。
「ねぇ」
静かに零されたその声に全身の肌が粟立つ。
肌を裏返される様な気持ちの悪い感覚が全身を覆い、喉の奥から吐き気が次から次へと込み上げる。
「貴方達……誰なの?」
「誰、って」
それはこっちの台詞だ。
お前は誰だ? さっきのおどおどしていた夜凪は何処に行った? 俺達の前に立っているこいつはなんなんだ?
喉を突かれる様な吐き気と疑問を呑み込み、なんとかして演技を続ける。
「何を言ってるんだ、何時も顔を合わせてるだろ! 俺だよ俺! クラスメイトだろうが!」
「ええ、そうね」
静かにこちらを見つめている夜凪に叫びかける。
体に纏わりつく気色の悪い感覚を振り払うように大きく腕を振り、体を動かして。
そんな必死の演技を、夜凪は何でもない事の様に受け流す。
顔色一つ変えずに、無表情で。
「そ、そうでしょ? ならほら、早く皆を探しに行きましょう! もしかしたら何処かに避難しているかもしれないし!」
「悪いけれど、断らせてもらうわ」
「な、なんで」
「貴方達のこと、信用出来ないのよ」
俺達を見ているようでどこも見ていない、瞳孔の開いた金魚の様な目で夜凪が答える。
視線は確かにこちらに向けられており、しかしその瞳に俺達は映っていない。
生理的な嫌悪感が全身を駆け巡り、恐怖と混ざり合った感情が静かに腹の底でふつふつと湧いている。
「信用出来ないって、なんでだよ!」
「さっきも言ったでしょ? 皆で口裏を合わせてるようにしか見えないの。変な事を言って疑問を潰そうとしたり、何が目的なの?」
それはこっちが言いたい!
このあふれ出る嫌悪感は間違いなく夜凪を見て感じているものだ。
夜凪の演技を見て感じているもの。
つまり夜凪はふざけている訳ではなく、今この瞬間も真面目に演技をしているという事だ。
だが意図が分からない! 何が目的でこんな演技をしている!?
確かに演技の質は良い、俺達3人の演技が夜凪一人に完全に押し負けているほどだ。
時間があればこの演技に乗っかって夜凪に主導権を握らせても良かっただろうな。
だが今は時間が無いんだぞ!? 最初の演技で1分、お前が起きてから2分は経ってる! どれだけ多く見積もっても残り2分しかない!
こんな否定的な演技をしてどうやって殺し合いに発展させる気だ!?
クソッ、何も分からない。分からないからこそ、今はこの場を支配している夜凪に付いていくしかない!
「ならどうすれば信用するっていうんだ? 今の俺達にはその方法が分からないんだ」
教えてくれ夜凪、お前は何が目的だ? 何をしようとしてる?
教えてくれ夜凪、俺達は何をすればいい? どんな演技をすればいい?
見つめられた夜凪はにっこりと笑い、口を開いた。
「じゃあ、そこの女を殺してくれないかしら」
「……は?」
一瞬、意識の空白が出来た。
「不愉快だったのよ、さっきから。反対意見しか出さないくせに主導権を握ろうとするし。正直いらないと思うのよ、その子。ならほら、間引いちゃった方が良いと思わない?」
何を言っているのか、分からない。
「野菜だってそうよ? 本命のよく育つものを残して育ちが悪い物は間引くでしょう? それと一緒。足を引っ張る者は排除する。何もおかしい事は無いでしょう?」
次々に聞くに堪えない言葉が落とされる。
それが零れる度に戻り始めていた夜凪の瞳孔が再び開いていく。
口元はほころび、夜凪の顔には曇りのない笑顔が浮かんだ。
……ただひたすらに、その屈託のない笑顔が気色悪い。
不気味で仕方がない。
気持ち悪い、怖くて仕方がない。
でも、ここで引いたら茜さんが殺される!
「駄目だ! 何を言ってるんだお前は!?」
「あら、なぜ? 貴方達だってお菓子を食べたら包装をゴミ箱に捨てるでしょう? ゴミ袋が溜まったらゴミの収集に出すでしょう? それと同じ事よ?」
「人一人の命だぞ!?」
「変わらないわ。貴方は掃き集めた
目の前の怪物がお腹を抱えてけらけらと笑いだす。
そんな奴の元に、茜さんが俯いたまま歩いていく。
真正面から歩いてくる茜さんに奴も気付き、笑うのを止めて背を伸ばし、上から茜さんを見下ろす。
「あら、なぁに? 殺される覚悟が出来たのかしら? 安心しなさい、痛くはしないわ。別に痛めつける趣味はな」
パァン! と、空気の破裂する音が響いた。
茜さんは俯いたまま手を振りぬいており、夜凪は何が起こったのか分からないという顔で茜さんを見上げながら頬を抑えて座り込んでいる。
「なんで、なんでこんな無茶苦茶出来んねん!」
ちょっ、茜さん!? 夜凪叩い……ってか関西弁!?
不味い、今の茜さんは素だ! 夜凪への怒りで他の事が見えてない!
このままだと不味い!
そう思った俺と武光が同時に走り出す。
「皆頑張ってんのに、皆必死やのに! 人の気持ちが分からんなら」
「あーあ」
「!?」
ぽつり、と。
本当に聞こえたのかも定かでない程に小さな声が夜凪から漏れた。
それだけで俺達の足は杭を打たれたかのように止まり、怒りに支配されていた茜さんは顔を真っ青に染めて震えている。
ゆらり、と夜凪が立ち上がった。
確かに俺達の目の前で夜凪は立ち上がった。
なのに、どうやって立ち上がったのかが分からない。
瞬きをした後には既に夜凪は立ち上がっており、俯いたまま茜さんを見下ろしている。
その顔は髪で隠されており、どんな表情をしているのか分からない。
「折角痛くないように殺してあげようと思ったのに……」
ゆっくりと夜凪の両手が伸ばされる。
まるで亀のように遅い動きで、茜さんの首に向かって。
簡単に避けられる筈のその手に茜さんはピクリとも反応せず、やがて伸ばされた手が広げられ、細く長い10本の指が蛇のようにぬるりと絡みついた。
「気が変わったわ。ゆっくりゆっくり呑み込んであげる」
「かっ、は……」
「ほぉら、ゆっくりゆっくり締まっていくわ。柔らかいわねぇ、もちもちしていて大福みたい。大福美味しいわよねぇ、噛んだらプツッて皮が切れて、中に詰められていたあんこが出て来るの。あ、これ喉仏かしら? コリコリしてて気持ちいいわ……大福、食べたいわねぇ」
「ぎゅ、あっ、だずげ」
茜さんの助けを求める声が掠れて消える。
かすかに響いたその声に、はっと我に返った。
慌てて駆け寄り、茜さんの首を絞めている夜凪の手を掴む。
「もういい、離せ! このままだと本当に死んじまう!」
「あら、私の話を聞いていなかったのかしら? 殺そうとしてるのよ? 死ぬのは当然じゃない」
「殺さなくていい! お前がリーダーで良い! こいつは俺達が抑える! お前を不快にさせない! だから殺すな!」
「あら、いいの? 嬉しい……でも、やっぱりこの女は殺すわ。何時おかしな事をするか分からないもの。厄介事は起こる前に処理する、当然よねぇ?」
茜さんの首を絞める手に、更に力が入る。
それに合わせて茜さんの口から苦しそうな声が漏れた。
クソッ、話を聞いてくれない!
このままだと本当に茜さんが殺されるッ、もうどうしようもないッ!
こいつはもう、
殺すしかない!!!
「たァけェみぃぃぃぃつッッ!!!」
後ろを向き、顔を引き攣らせて立っている武光の名を叫ぶ。
こちらを向いた武光は俺の顔を見て、すぐに何をしようとしているのかを察したらしい。
軽く俯き、目を閉じ、拳を握り締め……こちらに向かって駆け出した。
そして握り締めた拳を振りかぶり……
ジリリリリンッ!!!
大きな音が響いた。
茜さんの首を絞めていた夜凪は手を離し、首を絞められていた茜さんは膝から崩れ落ちる。
「はっ、はっ、ひゅっ、げほっごほっ」
「呼吸だ、深呼吸しろ! 大丈夫だ、ゆっくり、ゆっくり吸って、吐いて!」
座り込んで肩で息をする茜さんの背中を擦りながら深呼吸をさせる。
隣では何かに気付いて呆然とした様子の武光が膝をついて目を見開いていた。
なんだ? 何に気付いた? いや、それよりも茜さんだ。
そうして茜さんに視線を戻して、気が付いた。
……首に絞められた痕が残ってない?
「ねぇ、大丈夫かしら? もう演技終わったわよ? 5分経ったわ」
……演技?
「……あ」
そっか、これ……演技……
その事実に気付いた瞬間、武光の気付いた事に、遅れて俺も気が付いた。
屈んで不思議そうに首を傾げている夜凪を見る。
……俺、役者として、完全に……負けたのか。
………………
…………
……
オーディションが終わり、スタッフ達は撮影のセットを片付けていた。
審査員をしていたプロデューサーとディレクターが、机の上に乱雑に広げられた大量の履歴書を前に話し合っていた。
「凄かったですよねぇ、
「手塚監督も珍しく興奮した様子でしたしね。
「大ヒットコミック原作で11名のスターズ俳優に主演の百城千世子! それに加えて期待の新星って感じですか」
「腕が鳴りますね」
「これで売れなかったら廃業ですよ」
「あはは、じゃあ」
「
そう言って彼らは楽しそうに笑い、広げられた大量の履歴書の中から1枚の履歴書を持ち上げた。
*オーディション終了後、楽屋にて
手塚「あの毛玉が如月逢魔……? ええ……?」
天使 (^ω^)