あの日見た夢をもう一度、あの日見た光のその先へ 作:白髪ロング娘スキー
部屋に入って来たトーカを見た時、私はまず驚いた。
あのトーカが、髪を掻き上げていたからだ。
トーカは何時も、膝丈の髪をカーテンのように垂らして体を隠している。
その見た目はまるで妖怪か何かのようで、すれ違った人たちがトーカを見てぎょっとする事も珍しくは無い。
けど、トーカはそれらの視線を気にしない。
変なものを見る目を向けられようと、嫌悪感を丸出しにした目で見られようと、トーカは気にせず我が道を行く。
そんな所が好きになった理由の一つではあるのだけれど、やっぱり想い人がそんな目で見られているというのは良い気はしない。
故に、私は今までに何度かトーカに言った事がある。
『髪切ったらどうかしら? その顔を隠すのは勿体ないと思うのよ』
それに対し、トーカは毎回めんどくさそうに答える。
『いいんだよ、これには理由がある。邪魔にもなってないし、切る必要はない』
事実、トーカはすだれの様に視界を遮る髪を通してちゃんと周囲が見えている。
足元に転がったものを踏みつけずに避けるし、人ごみの中でも殆ど人にぶつからない。
一応、トーカが髪を掻き上げる事はある。
演技をする時は掻き上げるし、雪ちゃんと一緒の時はよく顔を晒している。
でも、その状態でトーカが外に出た事は無い。
そもそもの話、理由は分からないがトーカはあまり顔を見られたくないらしい。
少なくとも私は初めてトーカと会った時以外に、外で顔を晒したままトーカが歩いている所を見た事が無かった。
兎も角、トーカは強い意志をもって髪を伸ばしており、ちゃんと周囲も見えている。
ならば、別に無理に変えさせなくてもいいのではないか?
そう思い、私はいつしかトーカが髪を伸ばす理由を探る程度になり、トーカに髪型を変える事を提案する事は無くなった。
そんなトーカが、髪を掻き上げて後ろに流し、その綺麗な顔を晒していた。
更に言えば、何時もサラサラと真っ直ぐ下に伸びている髪が、パーマをかけられたのかふわっと柔らかく持ち上がっている。
夜の森の様な不気味さを演出していた長い髪は一転、力強く獣の様なワイルドなイメージに変わり、自信に満ちた顔が中性的な印象を壊して男らしさを演出していた。
なにあれカッコいい。
そうやってぽけーっとトーカを見つめていると、ある事に気が付いた。
トーカはアクセサリーといったものを普段身に付けない。
ちゃらちゃらとしているのが邪魔くさいと言い、プレゼントに贈っても身に付ける事は無い。
一応額縁を買って大事にしまい、部屋の壁にかけて飾ってはくれるのだが。
故に、トーカは自分でアクセサリーを買う事が無い。
身に付ける事は無いし、興味を示す事も無い。
そんなトーカの首と手首に、アクセサリーが付いていた。
しかも、私が贈った覚えのないアクセサリーが。
そこで、私は思い出した。
トーカって、用事があるから先に行っててくれってメールで送って来たわよね?
そう思い、トーカと一緒に入って来た百城さんとトーカを見比べた。
百城さんの首には右側の翼がぶら下がったチョーカー。
トーカの首には左側の翼がぶら下がったチョーカー。
百城さんの手首にはトーカの髪色に近い黒いリストバンド。
トーカの手首には百城さんの髪色に近い白いリストバンド。
……絶対用事ってこれの事じゃないの。
……ふぅん?
へぇ……?
なるほどねぇ……?
私のアクセサリーは身に付けないくせに、百城さんとペアルックのアクセサリーなら付けるのね?
髪もアクセサリーも、私が言っても変えなかったくせに、百城さんとなら簡単に変えるのね?
別に構わないわよ? どんな髪型でもトーカはカッコいいし、アクセサリーはちゃんと大事に飾ってくれるもの。
ただ、ちょっと……面白くないわね。
心の底で湧く不快な感情に蓋をして、百城さんの挨拶を聞き流す。
続いてトーカの自己紹介。
もはや取り繕う事すらせず、買い物に行った事を言い、笑みを浮かべるトーカ。
その目は笑っておらず、強い威圧感を放っている。
どうやらオーディション組を見て、どれくらい出来るのかを確かめているようだった。
そして真咲君と武光君、そして茜ちゃんに軽く視線を寄越し、興味を無くしたかのようにスッと目を逸らす。
直後、そんな冷たい目をしたトーカを百城さんが背中に隠し、茜ちゃん達からの視線を遮った。
そして話題を逸らすかのように、真咲君たちが出演したのであろう作品を見た感想を言い始める。
トーカの探る様な冷たい目が怖かったのか、ガタガタと震えている茜ちゃんを気遣ったのだと思う。
そんなトーカをフォローする様子すらもが私への挑発に思えて思わず目を逸らした。
顔を青くした茜ちゃんの背中を優しく擦り、湧き上がる仄暗い感情を抑える。
百城さんはあくまで撮影に支障が出ない様に気を使っているだけだものね。
私と会う前からの顔なじみらしいし、ペアルックも多分仲が良いからしているだけよ。
髪だって長さは変わってないし、昔馴染みと会って気分転換をしただけでしょう。
私が変に疑っているだけよ、だって百城さんは天使なのよ?
私が思っているようなそんなこと、する訳ない。
「だからあそこであの演技が出来るのはすごひゃあ!?」
唐突に上がった百城さんの悲鳴に、そちらに目を向けた。
そこには手を伸ばしたトーカと、首を抑えてしゃがみ込んでいる百城さん。
状況からして、恐らくトーカが百城さんの首に触ったのであろう事が察せられた。
……私はトーカに自主的に触れられた事なんて無いのに。
俯いて、床を見る。
思わず口から出そうになったものを何とか必死に呑み込んだ。
「夜凪景さん、オーディション見せて貰ったよ」
百城さんがこちらを向き、声を掛けてきた。
僅かに顔を上げ、上目遣いにその顔を見る。
「まさに迫真って奴だったね。見てるだけで呑まれそうになっちゃった。でもあれ芝居じゃないよね? 一体どうやってるの? あれ」
こちらを向きながら話しかけてくる百城さんの顔は歪んでいた。
天使とは程遠いこちらを挑発するような、そんな顔。
そんな百城さんの顔を見て、ようやく私は気が付いた。
ああ、私……この人に喧嘩売られてるんだ。
「あの演技、お芝居にしては不自然なくらい自然過ぎたからさ」
何故だ、何故夜凪景は怒っている?
千世子の言葉を聞き流しつつ、夜凪景の怒りだした理由を考える。
まず、夜凪景の瞳は千世子を映している。
なので恐らく、その怒りの矛先が向いているのは千世子なのだろう。
だが、少なくとも俺の知る限り千世子は特におかしな事はしていない筈だ。
顔合わせに遅れた事か? いや、夜凪景はそんな事で怒るほど短気ではない。
俺の顔を見て共演者が怯えた事か? ならば怒りは俺に向く筈だ。
……駄目だ、分からない。
一体何に怒っているんだ夜凪景は?
「……私も聞きたい事があったの。自分を俯瞰してコントロールする技術、幽体離脱。天使さん、出来るって聞いたわ」
……幽体離脱?
俯瞰とコントロール、そして幽体離脱……客観的な視点の事か?
確かにそれを聞くのなら千世子が最適だ。
千世子がまさにそれの究極形だからな。
他人にどう見られているかを理解し、一番偶像として美しく見える行為のみを繰り返す。
人として捨てきれない醜い生の匂いを限りなく切り捨て、醜いからこそ万華鏡のように美しい人間からただ純粋で綺麗なだけの人形になる。
そうして出来上がったものが【天使】百城千世子だ。
故に、客観的な視点という面に関しては千世子はプロフェッショナル。
その偶像としての在り方は心底下らないが、その分野を学ぶというのなら千世子に聞くのが一番良いだろう。
だが、そのくらいなら程度はあれど才能のある役者ならば誰でも出来てるし、なんなら無意識とはいえ夜凪景も出来ている。
確かに完璧に出来ているとは言い難いが、わざわざ千世子に聞く程かと言われると首を傾げる。
更に言えば、聞いたって事は情報を与えた奴が居るという事だ。
……まぁ普通に考えて、それを教えた犯人は一人しかいないだろう。
だがそれを教えた理由が分からない……何を考えてるんだ黒山墨字?
見れば、同じく不思議に思ったのだろう。
千世子が目をぱちくりと瞬かせながら呆けていた。
「……あー、私実は天使じゃないから、ぷかぷか浮いたりは出来ないよ?」
おちゃらけた様子でそう言って笑う千世子。
それに釣られた様に、オーディション組が笑い声を上げる。
そんな自身を馬鹿にする声には欠片も反応せず、夜凪景が言葉を続けた。
「そう、そうよね。でも、貴女なら出来ると思ってたのよ」
「あはは、なんでそう思ったのかな?」
先程の天使らしくない笑みは影を潜め、今度こそ天使らしい純粋な笑みを
それに対して夜凪景は薄く笑い、口を開いた。
「テレビで見た時、思ったのよ。とても綺麗で……でも仮面を被ったみたいに顔は見えなくて。まるで人間じゃないみたいだなって。でも、さっき気付いたわ」
「……何にかな?」
「天使なんていなかったわ。貴女、人間よ」
一瞬、千世子の笑みが消えた。
瞬きよりも早く再び笑みを浮かべた千世子が、ラウンドテーブルに手をついて乗り越える。
「オーディションで見た貴女の芝居はちゃんと人間だったよ。私と違ってね」
コツコツとヒールを鳴らしながら千世子が夜凪景に向かって歩いていき、夜凪景の前で止まった。
夜凪景を見上げ、背伸びをして夜凪景の顔に手を添える。
「でも俳優の使命は観客を虜にすることだよ。人間の様な芝居をする事じゃない。その為に皆努力して、削って、捨てて、孤独になって磨かれて、そして綺麗になるの。だから私は天使と呼ばれているんだよ」
「そう。それを聞いて猶更納得がいったわ。貴女は人間よ」
頑なに意見を変えず、同じ言葉を繰り返す夜凪景。
千世子はそれに対し、軽く苛立ったように眉を顰める。
そんな千世子を夜凪景が上から見下ろした。
その顔に既に怒りは無く、千世子を憐れんでいるかのように悲し気な表情を浮かべていた。
「百城さん、言ったわよね。俳優の使命は観客を虜にする事だって。その為に皆努力して、百城さんは天使と呼ばれてるって」
「……うん、言ったね。だって俳優は観客が居なければただのピエロだもん。だから皆日々努力して自分を磨いてる」
「でも、そこに百城さんの感情は入ってない。そこにあるのはあくまで他人の感情だけ。更に言えば、貴女は天使を称号として見ていて、なのにそれを誇ってない」
「……そんな事は無いよ。だって天使っていうのは私がしてきた努力が観客の皆に認められた証だよ? それを誇らない訳ないよ」
「そうかしら? でも私にはまるで貴女が天使という称号を嫌っていて、なのにそれが貴女の心の拠り所になっているように見えたわ。だから言ったんじゃないのかしら? 貴女の芝居は人間、でも私は違うって」
ギリッという何かが擦れる音が響いた。
千世子の手は、元々白い肌が更に白くなるほどにぎゅっと握り締められており、小刻みにぷるぷると震えている。
その顔には変わらぬ笑顔が浮かんでいた。
……何を考えているのかは、分からない。
「ねぇ夜凪さん」
「何かしら?」
「私、貴女が嫌いだな」
「そう? 私はなんだか、貴女を好きになれそうな気がしてきたわ」
………………
…………
……
顔合わせが終わり、その帰り道。
俺と夜凪景は隣に並び、一緒に帰っていた。
歩みを止める事無く、横を歩く夜凪景を見る。
ほんの僅か、夜凪景が気落ちしたように肩を落としていた。
「……どうしたんだ、景」
「……トーカ」
沈んだ表情で、夜凪景がこちらを向く。
「私、百城さんに嫌われてしまったわ」
「無理も無いと思うがな」
あれだけ言い合ってれば普通嫌われるだろ。
むしろ俺からしたら、何故夜凪景が千世子に嫌われた事を気にするのかがまるで分からない。
だってお前、千世子に対して怒ってた筈だろう。
あの後、千世子は用事があると言って帰っていった。
俺の制止も聞かず、今は放って置いて欲しいと言って伸ばした手を振り払われた。
オーディション組の奴らも何が起きているのか分かっていない様子ではあったが、少なくとも夜凪景と千世子が喧嘩をしていた事は理解していたのだろう。
もはや台本読みなどをやる空気でもなくなり、顔合わせは早々に終了した。
「結局、お前は何に怒っていたんだ? 景」
「……私ね、千世子ちゃんに喧嘩売られてたの」
「喧嘩ぁ?」
そんな事する奴じゃない筈なんだがな。
まぁいい、今は夜凪景の言い分を聞くとしよう。
そう思い夜凪景を見れば、こちらを見ていた夜凪景と目が合った。
そして手が伸ばされ、後ろに流した髪がわしゃわしゃと乱されて前に垂らされた。
何時ものように体を隠した髪はパーマがかかっている事により、何時もよりも少しふわふわとしている。
「わぁ、毛玉みたい……」
「……で、続きは?」
「あ、うん。トーカ、今日はチョーカーとリストバンド付けてるでしょ? 髪型も変えてるし」
付けてるな。
今日千世子と一緒に買いに行ったものだ。
髪も折角カッコいいんだから見せなきゃ! 切らないから安心して! といって無理矢理美容院に連れていかれた結果だ。
……まさかこれか?
「それよ。私が何をどうやってもトーカはアクセサリー付けないし髪型も変えないのに、百城さんが相手ならすぐ変えるんだなって思ったの。それでトーカは私を蔑ろにしてるのねって拗ねてたら、百城さんに勝ち誇った顔を向けられたから……」
「ほーん。で、喧嘩を売りに行ったわけだ」
「先に喧嘩を売ったのは百城さんよ!」
別にどっちが先に喧嘩を売ったとかどうでもいいけどな。
どっちが売ったにしろ、喧嘩が起こったのは事実なんだし。
「で?」
「それで頭にきてね。そんな顔をする貴女なんか天使じゃないって言って、言い負かそうとしてたの」
「お、おう……そうか」
そこは似たような方法でやり返すとかじゃないんだな。
今までに会った女は大抵そうしてたんだが。
少し引いていると、頬を膨らませてぷんすこと怒っていた夜凪景が、今度はがっくりと肩を落とした。
感情忙しないな。
「でも、そうやって言い合ってる内に気付いたの。この人を天使じゃないって言い負かしても無駄だって。だってあの人、別に天使がやりたくてやってるわけじゃないもの」
「……? どういう事だ?」
「……教えない! それを教えたら私の勝ち目が無くなっちゃうわ」
勝ち目? 何のことだ?
……何が何だかよく分からん。
夜凪景に教えてくれるよう頼みこむも、何をどう言っても夜凪景は頷かない。
これはもう駄目だな、意地でも喋らないと躍起になっている。
何をやっても教えてくれはしなそうだ。
諦めて別の事を考えた方が建設的だな。
っと、そうだ。
「今日ちぃとの買い物で買ってた物があるんだ」
「……なに? 今百城さんへのプレゼントとか言い出したら流石の私も殴るわよ」
千世子へのプレゼントを今言う訳無かろうが。
ポケットから長細い箱を取り出し、箱を開ける。
そして中に入っていたものを取り出して夜凪景の首にかけた。
キラキラと日の光を反射して鈍く輝く鎖状の黒いネックレス。
そのネックレスの中央には、雫型の大きな黒い宝石がぶら下がっている。
「これ……ネックレス?」
「何時もアクセサリーは貰ってるだけだからな。ついでだし、偶にはアクセサリーをプレゼントするのもいいかと思った」
まず初めに、夜凪景に一番合う色は黒だと思い、黒系のアクセサリーを探した。
とはいえ、黒いアクセサリーというものは数が少ない。
綺麗なアクセサリーとなるとダイヤなどの白が基調となった物が大半だからな。
まぁその分候補を絞りやすくて助かったが。
次に、夜凪景の顔に当たり負けしないレベルの物を候補から厳選した。
とはいえ、そこら辺のデパートでそんな上物のアクセサリーがそうそう売られている筈も無い。
故に妥協に妥協を重ねて買ったのがこのネックレスだったのだが……
ちらりと、首にかかったネックレスをふるふると震えながら見ている夜凪景を見る。
……ま、及第点か。
「似合ってるぞ、景」
「~~~~~~!」
途端、夜凪景が顔を真っ赤にして走り出す。
唐突に走り出したものだから反応も出来ず、俺はそのまま視界から消えていく夜凪景を見送った。
「はぁ……」
……今日はよく分からん事ばかりだ。
ブラックダイヤモンドのネックレス
0.30carat
¥870,000