あの日見た夢をもう一度、あの日見た光のその先へ 作:白髪ロング娘スキー
夕焼けの差し込む教室、そこで二人の生徒が机越しに向き合っていた。
生徒はそれぞれ男と女、シチュエーションから考えればロマンスを感じるが、そんな事はなく。
女はペンを持って机の上を睨み、男は本を片手に頬杖を突いていた。
二人を隔てる机の上には一冊の教科書とノート。
静かな教室にはペンとノートが擦れる音が響き、まるで子守唄の様に眠気を誘う。
そして、男が一つ欠伸を漏らし、本を片付けて眠る体勢に入った。
すかさずその頭にチョップが入れられる。
完全に寝るつもりでいたところを邪魔され、男は不機嫌そうに女を睨んだ。
「むぅ、なんだよレイカ」
「私が居残りで苦労してるっていうのに随分とお気楽そうね」
「俺は居残り組じゃないからな、お前を待ってるだけだ。まぁ、それももう飽きてきたけどな」
男は本を片手に立ち上がり、椅子をしまってバッグを肩にかけた。
完全に帰り支度を始めた男に女は焦り、慌てて引き留める。
「ち、ちょっと、なに帰ろうとしてんのよ」
「帰らねぇよ。ただ待つのに飽きたから暇潰ししてくるだけだ」
「じゃあバッグは置いていきなさいよ」
「帰る時わざわざ教室に来るの面倒だろ。それ終わったら電話しろよ」
ちょっと、待ちなさい! 待ってよ! という女の声を無視して男は教室から出ていった。
この学校は3階建てで、1階から3階に上がれば上がる程学年も上がる。
3年生である自分が自身の教室から出れば、当然そこは3階。
階段で上がったり下がったりするのも面倒だし、上から順に暇を潰せそうな場所を虱潰しに回る事にしよう。
3階にあるのは音楽室と理科室だ。
この二つから選ぶなら……音楽室だな。
理科室での授業というものは基本、実験で使う材料は先生が持ち込むものだ。
先生が材料を持ち込まなければ、理科室などただビーカーやフラスコが置いてあるだけの物置に過ぎない。
そんな所で暇を潰せそうにはない。
という訳で音楽室に来てみたが……
「まぁ帰ってるよな」
音楽室は吹奏楽部の部室でもある。
俺は帰宅部なので滅多に聞くことは無いのだが、レイカに付き合うと少し帰るのが遅くなる事がある。
そうした時、吹奏楽部が演奏している音が校舎内に響いていたりするのだ。
暇だからその演奏でも聞いていようかと思ったのだが……もうとっくに部活を終えて解散したらしい。
明日が土曜日で学校が休みだからか、椅子が出しっぱなしで、その上には箱が載っていた。
恐らくは楽器が入っているのだろう。
流石にこれに触れるつもりはない。
演奏家にとって、楽器とは恋人や親友にあたるものらしい。
そんな物に勝手に触れてどうなるかは……考えたくない。
たかが部活、そこまでプライドや信念がある奴なんていないだろうが、念のためだ。
それに、目的はそちらではない。
ぽつんと置かれている椅子たちを避けながら、音楽室の隅へと向かう。
そこにあるのは大量に立てかけられているギターやヴァイオリン。
音楽を担当する先生が楽器マニアらしく、家から壊れてもまだ許せる物を持って来ているらしい。
なんでも、音楽に興味がない人にも楽器に触れて、音楽の楽しさを知ってもらいたいのだとか。
そういう訳で、暇な生徒は偶にここに来て置いてある楽器で遊んでいる。
かくいう俺もその一人。
居残り常連者であるレイカを待つ間、何度かここに楽器を弾きに来ているのだ。
立てかけられている楽器の中から、何時も使っているヴァイオリンを引っ張り出し、椅子に座る。
置かれていた楽器には悪いが、少しの間退いていてもらうとしよう。
さて、何を弾くか。
そう思った時、譜面台に立てかけられた楽譜が見えた。
ぱらりと開くと、演奏記号や符号でびっちり埋まった譜面が現れる。
タイトルは……あの花見知のエンディング曲か。
これでいいか。そう思いながら見やすい位置に譜面台を移動させ、ヴァイオリンの弦に弓*1を載せた。
あまり力は込めず、そっと弓を引けば、ポロンと綺麗な音が出た。
何時もと変わらない、透明感のある透き通る様な音だ。
流石先生、メンテナンスは欠かしてないな。
何時ものように、涎でも垂らしてそうな笑顔でメンテナンスをしていたのだろう。
全く、良い趣味してるよ、あの先生は。
思わず笑みが零れ、上手く脱力した状態で演奏を開始する。
あぁ、今日も良い演奏が出来そうだ。
後を引くような悲しみと感動に浸りながら、ゆっくりと弓を引く手を止める。
いつの間にか、目からは涙があふれ出ていて止まらなかったし、口は自然と歌詞を口ずさんでいた。
思わず譜面の曲だけでなく、あの花見知の曲全てを演奏した後でまた譜面の曲を演奏してしまった。
少し楽しみすぎたかな。そう思いながら、丁寧に楽譜をたたみ、譜面台に載せる。
服の袖で汗を拭き、鮮明になった視界の下、すくっと立ち上がってヴァイオリンを元の場所に戻した。
床に置いておいた楽器の入った箱を椅子の上に戻し、バッグを肩にかける。
時計を見れば、既に優に1時間は経っていて、外は夕日が沈み始めようとしていた。
少し浸り過ぎたな、涙は後で編集しよう。
ポケットからスマホを取り出し、通知を確認する。
レイカから一件。
お、終わったか? そう思い内容を見る。
『唐突に泣かせないでよ! 涙止まんないんですけど!?』
………………
「いいから早くしろ……っと」
送信。
さて、次は何処に行くか。
3階はもう暇潰し出来そうにないし、次は2階だな。
といっても、2階で暇を潰せそうなところなど図書室しかない。
職員室に突撃するのもアリだが、面倒事にしかならないだろう。
……じゃあ、図書室行きますか。
階段を下り、図書室までまっすぐ進む。
図書室の扉を開ければ、そこには大量の本棚と、それにびっしり詰められた本が俺を出迎えた。
「いつ見ても本多いよなぁ……」
普通の学校なら、図書室など教室一個分あるかないかといった所だろう。
それに比べ、この学校の図書室は単純に見て教室3個分くらいの面積を取っている。
あまりにもデカ過ぎる。
なんでも、この学校の創設者が大の本好きで、図書館を立てようとしたものの、敷地が足らずに断念。
しかし、本を置く場所は確保したいという事で、何とか妥協してこの形になったらしい。
正直最初に聞いた時はアホかと思ったが、それで生徒がちゃんと本を読みに来ているのならそれでいいのだろう。
目についた本を取り出し、パラパラとめくる。
まぁ、ここで本でも読んで時間を潰すか。
そう考えた瞬間、本のページが指を切った。
見れば指には見事な一本線が引かれており、そこから赤い血が流れ始めている。
「いってぇ……」
取り敢えず本を血で汚さない様に閉じ、元の場所に戻す。
うーん、職員室行くか。
後ろ手に図書室の扉を閉めて歩き出す。
どうでもいいが、職員室は図書室の真反対にある。
地味に不便だ。
「すいません」
「な、なんだい?」
「いえ、指を切ってしまいまして。絆創膏を貰えればと」
「あぁいや悪いけど持ってないんだ。保健室の鍵を渡すよ」
そう言って渡された鍵を受け取る。
鍵には注射器を抱えたウサギのストラップが付いており、妙にファンシーだ。
「ありがとうございます」
「鍵は保健室に置いたままで良いからね、返さなくていいよ」
「はい、分かりました」
ガラガラと引き戸を締める。
職員室って夏じゃなくても妙に涼しいんだよなぁ……なんでだろう?
唐突に湧いてくる疑問に首を傾げながら、階段を下りる。
保健室は階段を下りたすぐ近くにあり、同時に生徒たちの下駄箱がある正面玄関のすぐ隣だ。
鍵を使って保健室に入り、絆創膏を一枚拝借する。
水で血を流し、指にぐるりと一周させるように絆創膏を巻いた。
「これでよし!」
さて、レイカは……?
『ねぇ、お腹空いた』
「帰ったら好きな物作ってやるから早く終わらせろよ、と」
『やたっ! 赤魚の粕漬けね!』
「いや、返信早いな。ちゃんとやってんのかあいつ?」
俺がチャットを送ってから返信まで5秒も経ってないぞ。
まぁいいや、次は何処で時間潰しますかね。
2階にはもう時間を潰せそうなところは無いし、1階はそれこそ保健室と教室しかない。
となると……外か。
外にはグラウンドと体育館と武道館があり、そこまで広くはないものの、綺麗に整備されている。
グラウンドでは野球部やサッカー部が汗水垂らして練習し、体育館はバスケ部や卓球部、バレー部が大会優勝を目指して体を動かしている。
どちらも昼休みには生徒が遊びに来る人気スポットであり、同時に校長の長話の犠牲者が量産される恐ろしい場所でもある。
よし、体育館行くか。
この学校の体育館は校舎から少し離れた場所にあり、其処までの道がコンクリートで舗装されている。
道の途中では二つ分かれ道があり、一つは武道館、一つはプールに繋がっている。
正直武道館は一回も立ち寄った事が無いのでよく分からない。
知っている事といえば、武道館では柔道部と剣道部が活動している事くらいだ。
プールに関しては特におかしい所はない普通のプールだ。
強いて言えば、更衣室が木製である事か。
男女の更衣室が木の板一枚で仕切られてるだけなので、着替えの時に男子更衣室が恐ろしいほど無音になるのだ。
普段大雑把で騒がしい奴さえも、衣擦れ音一つ立てない様に着替える様は異様の一言だった。
っと、そんな事はどうでもいい。
体育館の扉を開き、明かりを点けて中へと入る。
明かりが消えていたため当然ではあるが、体育館には誰もおらず、ボールなども綺麗に片付けられていた。
ピカピカになるほど、ワックスを掛けて磨き上げられたフローリングはもはや鏡のようで。
こうして一歩一歩歩みを進める度に、キュッキュと上履きのゴムが擦れる音がする。
そんなフローリングと上履きが擦れる感覚を楽しみながら歩いていると、ふと梁*2にボールが引っかかっている事に気が付いた。
気が付いてしまったものを見なかった事にするのも気が引けるので、倉庫からボールを一つ借りてくる。
これで叩き落せばいいだろう。
そうして落ちてきた二つのボールは、空気がパンパンに入っている事を証明する様に、高く高くバウンドした。
その内の一つを掴み、反対側に存在するバスケットゴールに放り入れる。
パサッと軽い音を立てて入ったボールは、壁にぶつかってポンポンと跳ねながらこちらに戻って来る。
そのボールがこちらに到着する前に、もう一つのボールを同じように投げ入れた。
ひたすらにそれを繰り返して遊んでいたところ、ポケットに入ったスマホが震えた。
画面を見れば、レイカからの電話であった。
「おう、終わったか」
『ええ、終わったわよ……あー疲れた』
「それは俺が言いたい……まぁいい、校門前で集合な」
『はいはい』
「はいは一回」
『はーい』
ぷつりと切れた電話に、やれやれと苦笑する。
ボールを片付け、体育館の電気を消した後に靴を履き替えて校門へと向かう。
気付けば夕日はとっくに沈んでおり、辺りは暗くなっていた。
「少し急ぐか」
小走りで校門に向かう。
校門ではレイカが既に待っていて、校門に寄りかかりながらスマホを弄っている。
近くまで来るとこちらの足音に気付いたのか、なにやら不満げな顔をしながらレイカが顔を上げた。
「おっそーい!」
「悪い悪い、粕漬け作ってやるから」
「ま、許してあげなくもないわ!」
ちょろい。
「じゃあ、帰ろうか」
バッグを肩に背負い直し、歩き出す。
だが、足音が続かない。
振り返れば、そこにはレイカが無言で手を差し伸べていた。
「レイカ?」
「手、帰るんでしょ」
一瞬意味が分からなかったが、すぐに理解して思わず笑ってしまった。
つまり、手を繋ぎながら帰りたいという事なのだろう。
差し出された手を握り、歩こうとした時、繋がれた手に桜の花びらが落ちた。
思わず顔を上げ、強く吹いた風に一瞬目を瞑った。
そうしてもう一度目を開けた時、そこには天の川が流れていた。
暗い夜空にひらひらと星が舞う。
どこまでも、どこまでも。
ひらひらと飛んで行く花びらたちはまるで、一つの生物の様だった。
どこまでも、どこまでも自由気ままに飛んで行く。
そんな花びらたちを私たちは作っていきたい。
「カット!」