あの日見た夢をもう一度、あの日見た光のその先へ 作:白髪ロング娘スキー
Fate/stay night 【Heaven's Feel】III. spring song
取り敢えず3回見てきました。
ビジュアルボードは3つとも衛宮でした。
悲しい。
取り敢えず、貰えるものは貰っておく精神で2時間ほどプールを楽しんだ俺達。
だが、今の季節は春。普通に寒い。
校長が俺達のために水温を上げてくれていたが、そんなものは何の役にも立ちはしなかった。
二人して顔面蒼白で唇は真っ青、体の震えが止まらない。
プールから上がり、濡れた体と髪を拭き、服を着替える。
そしてそのついでに、夜凪景に俺の分の寝間着と上着を被せた。
俺の分の着替えは無くなったが、上半身裸でいるのもあれなので、気は進まないが使用済みの服を再着用することにした。
帰る時にでも返してもらえばそれでいいだろう。
胡坐を掻く俺の膝の上で、俺の腕を抱えて小さく丸まる夜凪景。
そのまま暫くすれば顔色も戻り始め、唇も温かみを取り戻していった。
体の震えも既に無い。
しかし、それは体の芯まで温まった事を示さない。
「少し日光に当たって、温まってから帰ろうか」
その提案に夜凪景は勢いよく頭を縦に振った。
どうにか、少しでも暖かい場所を。
そう考えて辺りを見渡した俺が見つけたのは。日の当たる位置に置いてある一つのベンチだった。
春の日がベンチに座る俺達をさんさんと照らす。
そんな肌寒い空気の中、太陽は寒がる俺達を心配するかのように、静かに上から見下ろしていた。
湿った俺の髪に、細い指がするりと通される。
片手で根元から毛先に向けて指を通し、反対の手で零れた髪を掬って戻す。
特に技術など無い、ただ手慰みに髪を梳いていくだけの繰り返し作業。
日の光を吸い込んで少しずつ乾いていく髪が梳かれ、冷たい空気が頭皮を撫でる。
ゆっくりと俺の髪を梳いていく夜凪景の手は、まるで赤子をあやす子守唄のようだった。
あまりの心地よさに、思わずだらしのない声とともに
……あぁ、眠くなってきた。
「なぁ、景」
「なにかしら?」
「寝ていい?」
「だめ」
「いじわるぅ……」
太陽の光が肌を焼き、表面から少しずつ体を温めていく。
体がゆっくりと温かみを帯びていく感覚はまるで、ぬるま湯に浸かっているかのように気持ちがいい。
……んあああ眠い!!!
「んっ、動かないでトーカ、やりづらいわ」
抗議代わりに揺さぶった頭が、上から優しく押さえつけられる。
子供を相手にするような、そんな優しい手つきが逆に眠気を呼んでいる事に夜凪景は気付いていない。
あー、こりゃ駄目だ。
諦めて雲の観察でもして気を紛らわせよう。
そうしてぽけっと空を見上げ始めた俺を、何か言いたげな顔をしながら夜凪景が見下ろした。
……なんだね?
「何か用か、景」
「用、というか」
「言え言え、でなきゃ俺が寝るぞ」
いやマジで。
疲れで今眠気が80%くらいまで来てるから。
90%になったら俺の意識のブレーカーが落ちるぞ。
「あー……じゃあ、なんでトーカは髪を伸ばしてるの?」
「……髪が長い方が色んな役を演じられるからさ」
髪が短くて演じられない役ならあるが、髪が長くて演じられない役は滅多に無い。
撮影で髪の量が足りないと専用のカツラを被るのだが、やはりカツラだと少し違和感が出てしまう。
違和感が出ないようなカツラもあるにはあるが、そういうものは当然かなりの値段がする。
だが長い髪を持っていれば、その問題はなくなる。
特に、俺の髪はサラッとしている上に、ある程度の硬さもあるので髪型を作りやすい。
そして特に良い所が、髪が長ければ長いほど、髪型を少し変えただけで別人に見える所だ。
別人に見えやすいという事は、それだけ容易く多くの役をこなせるという事でもある。
なので、髪を伸ばせば伸ばすほど、役を演じる上では有利になるのだ。
男にしろ女にしろ、長い髪は短い髪よりも優れてるってハッキリ分かんだね。
一般的には好まれないようだが、そんな凡人の事など知った事ではない。
え、原作付きの髪が短い役を演じる時はどうするのかって?
……カツラを被るんだよ!
「どちらにしろ、膝まであるのは長すぎると思うけれど……」
私の倍くらい長いわ、と梳き終わった髪を結って色んな髪型にして遊び始める夜凪景。
どんな髪型にしようが気にしないけど、髪に顔を突っ込むのはくすぐったいからやめれ。
というか、どうせプールに混じった塩素の匂いしかしないだろ。
「あとはそうだな、それが一つの個性にもなるからね」
「個性?」
「そう、個性だ。男は長い髪は似合わない、不潔だから短く。なんて世間では言われてる」
「それが普通ならそうした方が良いんじゃないかしら?」
「俺はその普通なら、という同調圧力が気に入らんのだがな」
というか、そもそもその【普通】というのは何処から来たんだ。
一体誰が言い出し、そして何故それが普通だと思われ、そしていつの間にかそうしなければいけないに変わっているのか。
まぁどうせ徳利の注ぎ口から酒を注いではいけない、なんて阿保な事を抜かす奴らの仕業だろうが。
結局そんなのは全部自己責任だろう?
たとえ何をしようとも、全ての責任と権利はそいつにある。
いくら髪を長くしようと、ちゃんと清潔にしてあればそれで問題はない筈だ。
たとえ汚くとも、そいつが嫌われるだけで、文句を言われる筋合いなどないのだ。
「俺は俺の好きで髪を長くしている。そしてこの【特別】を求める【普通】に溢れた社会で、それは既に一つの個性なのさ」
「髪が長いだけで一つの個性……」
「まぁ男に限るがね。景に関してはその美しい顔面とスタイルだけで十分な個性さ」
まぁ、それだけでは一時の話題、それこそアイドルで終わりかねないがね。
夜凪景にはそれに加えて、メソッド演技の才能がある。
それさえあれば、夜凪景は世界にだって立てるだろう。
……おや、どうした夜凪景、手が止まっているぞ。
「……別に、なんでもないわ」
痛い痛い痛い、何故そんなに力を込めて髪を引っ張る!?
ふんっと拗ねたような声を上げ、夜凪景は再び髪を結って遊び始めた。
なんだったんだ……?
痛む髪を抑えながら抗議の視線を送るも、夜凪景は何故か明後日の方向を向いている。
それを見て、あぁこれは意識が何処かに飛んでいるなと察し、声を掛けるのをやめた。
夜凪景がこうやって意識を飛ばしている時は大抵、何かに悩んでいる時だ。
無理にそれを中断させては、その悩みによる成長を阻害する可能性がある。
ベンチに座る俺達の間を一陣の風が走る。
風で舞い上がった髪がぱさりぱさりと顔に乗り、いつの間にか現実に戻って来ていた夜凪景が指で優しくそれを退けた。
「……ね、トーカ」
「今度はなんだ」
「私ね、決めたわ」
……何を、って聞くのも野暮か。
答えを出すには随分と性急だが、吉岡新太の呪文に何か思う所でもあったのだろう。
「行くのか? スターズ」
「……ううん、行かない」
意外だな。吉岡新太の呪文に影響を受けたのなら、尚のことスターズに行きたがると思ったんだが。
「一応聞いておくが、何故だ? 最前線で生きるプロ達の技術を学ぶ絶好の機会だぞ」
「技術を教えてもらうなら、トーカに教えてもらえばいいと思って」
「……俺は教育者ではないんだがな」
この前あれだけスターズをボロクソに扱き下ろしたが、それでも奴らは教育者だ。
何かを教えるという意味では、俺なんかよりもずっと向いている。
なにか技術を教えてもらうというのなら、俺ではなくスターズの方がずっといいだろう。
たとえ、それで夜凪景の突出した才能が潰されるとしても。
さらに言えば、夜凪景は一段一段階段を上るタイプではない。
何か切っ掛けを掴んだ瞬間、最上階まで一直線に飛んで行くタイプだ。
俺ではその切っ掛けを掴む機会はあまり多く与えられない。
俺では、前を歩いて背中を見せる事しか出来ないのだ。
それでは夜凪景が俺の背中を超えた時、夜凪景が暗闇に迷ってしまう。
百聞は一見にしかず、餅は餅屋だ。
俺の様にアマチュアで役者ごっこをするよりも、現場でプロとして役者をやった方がずっと夜凪景のためになる。
言ってしまえば、俺の元にいて夜凪景が得をする事など何一つとして無いという事だ。
「分かってるわ」
「分かってない」
「分かってる。その上で、私はトーカの傍に居たいと思ったの」
「……いつか後悔するぞ」
「しないわ、あなたと一緒なら」
いつの間にか、髪を結っていた手は止まっていた。
顔を上げれば、そこにはこちらを見ている夜凪景がいて。
見上げた俺と、視線が合った。
「……本気なのか」
「ええ、これが私の答えよ」
そうしてしばし睨み合い……同時に笑みを零した。
「それなら仕方ないな」
「ええ、仕方ないのよ」
全く、頑固な奴め。
その後、お返しだと俺の頭を乗せていた膝に限界が来た夜凪景が、家に帰る事を提案する事になる。
それまでのしばらくの間、俺達はただ見つめ合い、そして笑い合っていたのであった。
「あ、そういえば帰りはどうするの? また走る?」
「電車に、乗らせてくださいッ……‼」