寝転ぶ一夏に櫻井が腕をからめた。
「あっ。さ、櫻井、そこは……っ」
「なに、準備体操だろ? あんまり気構えるなよ」
一夏が痛みに似た刺激に身をよじらせる。爪が固い床を引っ掻いた。
顔を苦痛に歪めるのを見て、櫻井が呆れたように腕と指先にさらに力を込める。
「この程度でひいひい音を上げるな、情けない。こういうのは少しばかり痛いほうが後でラクだぞ?」
「そっ、んなコト言ったってぇ、痛ぅっ!?」
一夏はなんとか逃げ出そうと床を這うが、すかさず櫻井が力強く腕を引いて引きずり戻した。あっさりと一夏は身動きを封じられる。
「逃げるなよ、このままじゃいつまでたっても終わらないぞ?」
櫻井が一夏の上に馬乗りになって腕をおさえた。一夏はなんとか櫻井を振り落とそうとするが、ろらりくらいりと重心を移動されて思うようにいかない。
「ぐっ、そ、そこは、櫻井! もうやめっ、このままじゃヤバい……っ!!」
「大丈夫だ、もう少し、もう少しイケる……」
「や、やめ―――」
ごきゃっ!
「ぎゃぁあああああああああ腕がぁああああああああっ!!!!!」
「あ、ヤバ。やりすぎた」
櫻井が転入してきて最初の土曜日。
今日も訓練に励もうと、ジャージ姿の一夏と櫻井はアリーナの整備ピットの中でストレッチをしていた。
「だからヤメロって言っただろうが」
「ストレッチなんだからちゃんと身体を延ばさないとダメだろ」
「それで怪我したら意味ないだろ」
いつもは一夏で遊ぶ、もとい弄ぶ櫻井であったが、これは流石に己に非があると認めたのか口を噤む。
反省している……、と思いきやその唇は笑いを堪えるので必死なのか震えていた。この外道やろう……、と一夏は静かに怒りをふつふつと沸騰させる。
だが、今の一夏にはその怒りが収まるぐらいに、由々しき状態に追い込まれていた。
「ところで櫻井」
「うん、なに?」
「両腕が動かねぇんだけど」
「脱臼してるからな」
あっさりと答えた。まるで他人事のように言うがこの男が犯人である。
こめかみを揉みほぐしたいが腕が動かない。
「……なんでお前さっきから笑い堪えてんの?」
「いやなに、両腕の肩が外れた状態でお前を入部させたがってる飢えた獣みたいな目をした女子の前に突き出したらどうなるかなって」
「やっぱ外道だなテメェ!」
一夏は怒りに身体をぶるんと震わせるが、外れた両肩はぶらりと力なく揺れる。殴りかかりたいが両腕が使えない状態ではどうしようもない。
櫻井が真っ黒な笑みを浮かべて嘲笑う。一夏は屈辱に身体を打ち震わせた。
しかし、時間は有限。やるコトの多い一夏や櫻井には休日のわずかな時間も重要なのだ。遊びもほどほどにする。基はと云えば、いまやっているコトはストレッチなのだ。
「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ、もっと優しくっ! もっとゆっくり入れろっ!!」
「あ、馬鹿。力むな、入れ辛いだろ」
聞きようによっては、音声のみを垂れ流せばアブナい会話である。訓練機の順番を待つためにピットで待機していた女子生徒が鼻をおさえて悶えていた。その指の間からはナニやら赤い液体が漏れだしている。それを誰も見咎めない。なぜなら皆、自分の鼻をおさえるので必死だったからだ。
くんずほぐれつほどなくして、がきょっ!と人体から発してはいけない怪音と怨念の悲鳴がただ広いピットに響く。
叫び疲れて一夏は訓練がまだ始まっていないと云うのにぐったりとした。いまはピットの冷たく錆臭い鋼鉄の床が心底落ち着いた。
櫻井が鋼板を拳で叩いた。
「立て! 立つんだ織斑一夏!」
「燃えたよ……、まっ白に…燃えつきた……、まっ白な灰に…」
「ふーん、じゃあグラブがないからもう一回肩でも外すか」
「オマエのボケの乗っかったのになんたる非道!」
俺はこうやってこれからも苛められていくのか、と顔を両手でめそめそし始めたので今度こそ櫻井も真面目に戻った。一夏が可哀そうに思ったのではなく、そろそろ周りの目も痛いと思い始めたのだ。
IS学園のアリーナは簡単な整備を行うことができるピットが対極上の両端に設置されている。この第四アリーナは訓練と授業で使う四つのうち最大のアリーナで円形状の直径はフィールドだけで300mに達する。
ピットとフィールドをつなぐ門は巨大で重々しい。その理由はもちろんISが実弾を使う物騒な競技であるため、その流れ弾にも耐えられるようにだ。ピットから門をくぐればカタパルトがあり、カタパルトとフィールドを区切るように、またエネルギーシールドが張られているのだが、突破されてピット内部に砲弾が転がり込めば大事であるので複合装甲の装甲板で固く閉ざされているのだ。その複合装甲は第三世代戦車砲ですら軽く跳ね飛ばす。
とはいえ、二枚横開き開閉の装甲門の一枚の高さが3m、横幅4m、厚さ実に1500mmの扉を開閉するのは骨が折れる。いくら駆動式とはいえ、ぱっと開けてぱっと閉じれるわけではないので面倒なのだ。
そこでピット横には観客席の地下を通る形で簡単な通用口が設けられていた。IS一機が何とか通れるほどのものであるが、それだけで随分と楽になる。この通用口のおかげで大型訓練機材を運び出さない限りはいちいち開閉をする理由がなくなったのだ。
まだ鈍く痛む両肩を庇いながら、一夏がカタパルトへと続く最後の扉を開けた。
瞬間、熱風が一夏に吹き荒れた。
「ぐぁあああああああっ!!!???」
目が一瞬で乾燥し、熱いではなく『痛い』に一夏は顔面をおさえてひっくり返った。
いったい何が……っ!?、と涙目の一夏が反射的に蹴り閉めていた扉を見る。
櫻井は五歩ほど離れていた。彼は、やっちゃったかー、と云った目で尻餅をついている一夏を見下ろした。
「なっ、なん……っ!?」
「こういう日は開けるときは気を付けないと」
「こ、こういう日ってなんだよ」
「真夏日」
意外な返答に、一夏は目を白黒させて、はあ?、と訊き返す。いったい真夏日が今の熱風と何の関係があると云うのか。確かに今日は今年初めて気温が29度を超えていたが、一夏はアリーナに来るまでは徒歩で熱せられた煉瓦道を歩いた。もちろん、こんなコトにはなっていない。
「あー、織斑一夏はいままでISに関わったコトないから知らないのか」
なぜこんなにも熱いかと云うと、それはISが深く関係してくる。
宇宙に人類が進出する為に造られたインフィニット・ストラトス―――通称ISはあまりに常識から異脱した性能から兵器として転用された。
そして、現在は表向きは一つの競技として落ち着いているが、国力の結晶に銃器持たせてぶっ放しているのだから千奈にとっては国家間戦争しているのとなんら変わらないように見える。
IS学園のアリーナはそんな一個旅団に匹敵する高機動型兵器が飛び回りながら戦車をも数発、もしくは一発で撃ち抜くような殺人兵器をバカスカ撃つのだから周りに被害が及ばないように特別強固な造りとなっている。何気ないフィールドの壁も分厚い戦艦・空母用の多目的装甲が使用されているし、ピットの床だって同じものが使われて対艦ミサイルの砲撃にも耐えゆる構造だ。
うっかり流れ弾が生徒や政府の要人にでも当たったら設立した日本政府が国々から糾弾されてしまうからだ。政治家はそこら辺の損得勘定は素早い。金の掛け具合は半端ではない。
今度は上。
そこも装甲板で覆えばいいのでは?、と思うかもしれないがそう簡単にいけば建築家はこの世から除け者にされる。
そんな分厚い鉄の塊を天井にまで付けるのはいろいろ大変なのだ。何よりコストパフォーマンスも半端ではない。確かに可能不可能で言われると不可能ではないのだがやはり劣化する分厚い鉄板を定期的に交換しなければならないと考えるとその手間暇は計り知れない。
そこは、ISのエネルギーバリアを転用した強固な遮断シールドで覆う事により、充分な防御力も確立出来た上に透明度が高いため青空もしっかりと見え、わざわざ光の当たり具合を考えて照明を付ける必要もなく自然の光をそのまま使う事が出来た。エコで防御力もある。
一見完璧だ。しかも、同じものを壁や床にも展開することで装甲の維持にもつながった。
しかし、このまま一石二鳥というわけでもなかったのだ。
IS学園のアリーナにある遮断シールドは燃費と防御力に定評があるだけの全くもっての旧型。初代ガンダム並の初期型。ガンダム戦記ならばアムロ、行っきま~す!の時代だ。
本来、エネルギーバリアとは壁のように物理的に弾く、わけではない。
磁石の同極を近づけたように反発しているだけだ。つまり、その反発力の域を壁状に押し固める事で、銃弾を受け止めて弾き返したりなど対象物を反発し防御力として機能する。
何も通さないように反発すること。
それが初期型の第一目標。とにかく見境なしに、だ。それにはなんと一定の風速を超えた風にまで影響している。
そんな初期型がアリーナには設置されている。
結果、風通し最悪の球体でアリーナを覆う事となっている。
太陽熱程度の熱までは遮断してくれないので、日差しが熱い日は焼かれた鉄板の状態になるのだ。
“暑い”ではなく“熱い”のだ。
「まあ、そういうわけでこういう真夏日には熱がこもるからゆっくりと開けてまず確かめないといけないんだ」
「それを早く言えよ」
「勝手に開けたのはお前だ」
それは確かにそうなのだが、一夏は釈然としない。
尻餅をついたままの一夏を放って、さっさと櫻井は扉を引いて開いた。あの熱風は室内との気圧差によって吹いたため、今は問題ない。
今日の訓練、訓練と云っても言わば慣らし運転だった。
櫻井は一夏の護衛を任されるとともに、白式の管理も任されていた。本来ならば定期的に開発元である倉持技研に出向くか、倉持技研の職員がIS学園に来るべきであるが、櫻井は白式の開発には関わっていないがISの試験部隊に所属し一通りの知識を持っている櫻井に管理させたほうがいろいろと面倒が少なくて済む。べつに開発をするわけでもなく、基本的な維持管理とデータの整理のみが任された仕事だ。
そういうわけで、カタパルトデッキに出て一夏は専用機の白式を起動させる。量子の淡い光が一夏の愛機を創りだす。とてもだが科学的ではない、童話のような光景だった。
「なんか悪いな櫻井。ホントはそういうのって俺がやんねぇといけないんだろ?」
「こればかりは仕方がない。というか、素人が下手に触って仕事を増やされたくない」
相変わらずの物言いに一夏は苦笑いを浮かべる。なんだかんだ言っても櫻井は自分の仕事はきっちりとやり遂げるのだ。
櫻井は持ってきていた専用のノートパソコンから伸びたコードを、白式の右脚部装甲板の一部をこじ開けて中にあるコネクタに繋いだ。
アプリを起動させ白式のデータバンクと接続させる。
櫻井のタイピングはかな速い。正確無比にして流れる水のように無駄がない。それでいてまるで音楽のような耳触りのいい音がする。
しかし、驚くべき速さでデータの整理を進めながら櫻井の表情はどんどん冷たくイラついていく。一夏はいつ爆発するのかとビビッていた。いざと云う時は少年漫画主人公的な能力を発揮する一夏であるが、基本的に根が草食動物なのである。
恐る恐る、一夏は爆弾を処理する細心の注意を払って訊ねた。
「さ、櫻井……?」
「ダレだこのプログラム組んだクソヤロウは」
「おおお……っ、怒っていらっしゃる。無表情では隠しきれない本性が……」
とうとう口調が汚くなって暴言まで飛び出してきた。最近櫻井のキャラがブレ始めてきたのは気のせいか。
櫻井がこれほど口汚くなると云うコトは相当にキレていると敏感に察知した。内容からして一夏に被害が及ぶことはないだろうが、心穏やかではない。
櫻井が怒こっている理由は白式のデータにあった。とにかく見づらい。整理されていないと云うよりも、管理の仕方が独創的すぎて見づらいのだ。倉持技研が白式開発にまったく関わっていない櫻井に管理を任せた理由の一端を垣間見た気がした。
「そういえば、欠陥機だった白式を篠ノ之束が弄ったとか言ってたな」
櫻井は苦労の滲む溜め息をこぼした。素人呼ばわり、その実一夏は素人であるので手伝いができないため少々遣る瀬無い。
篠ノ之束の独創的なデータに悪戦苦闘して早三十分。いくら日陰に退避していたとしても、炎天下の下では暑いの度合いが違う。ほんの数分で終わるだろうと高をくくっていた櫻井は後悔をし始める。
一夏は膝を抱える形で鎮座する愛機の傍らで、ぼんやりと作業風景を眺める。
こうして見ると、櫻井の表情は次々と変化していく。束の法則性が理解でき始めたのか表情が晴れた、かと思えば全く違ったのか失望したように無表情になる。一喜一憂しながら作業する櫻井の変化は見ていてなかなかに面白い。
「じろじろ見るな。僕はお前と違って注目されるのに慣れてない」
「悪いな。って俺だって慣れてねぇよ」
そうなると一夏はやるコトがなくなる。
フィールドからは自主練の賑やかな喧騒が聞こえる。……銃撃音や剣戟音を賑やかな喧騒だと思えるあたり、そろそろIS学園に毒されてる気がしないでもない。
「俺は白式があるから自主練が楽だよな」
「申請用紙を書かなくていいしな」
「仕事嫌いのお前らしい理由だ……」
櫻井がむっとした。
「他にあるのか?」
「クラスの女子が愚痴ってたのを聞いたんだよ。訓練機の順番がなかなか回ってこないって」
「だろうな。IS学園に常駐するISの数は三十機。非常時に備えて六機が稼働待機状態にあるから訓練には二十四機しか使用できない。放課後の貸し出し時間は授業終了の四時半から七時半までの三時間。休日は朝八時から夕方七時までの九時間。一人一度の使用時間は一時間だから一週間で七百九十二回分。IS学園の生徒数は三学年四百五十人だから均等に分配しても一週間当たり一時間半と少ししか使えない。とくに三年生に優先的に分配されるから一年の一学期にはほとんど使用できないと考えてもいい」
よどみなく出てきた説明に、一夏はコンピューターよりもよっぽどコンピューターらしいと思った。ウィキペディアみたいな奴だ。
「それがどうかしたか?」
「え、いやどうもしねぇけどさ」
「同情するならそれ相応にやるコトだ。自覚がないかもしれないがお前はよほど恵まれているよ」
機械的にキーを叩きながら櫻井は一夏に目もくれずに言う。
それは、もう少しきちんとやれと言っているのだろうか。確かに一夏には力が及ばないコトが多すぎるが、改めてその事実を突きつけられるととても悔しい。知らず、奥歯が鳴る。
見上げた空はどこまでも遠く青い。雲は白く、青を背景に映える。雲が流れ、流れ、流れ、流れ、流れ、流れ、流れ、流れ、流れ、流れ、―――
「――― ……流れきってしまったな」
「……僕は疲れきった」
遠い眼でぼやいた隣では、櫻井がギラギラとした眼で数時間前と変わらず膨大なデータの前に悪戦苦闘していた。篠ノ之束の思考回路は櫻井を持ってしても解読不能だったのだ。白式のデータ解析はヒマラヤ山脈よりも敷居が高かった。
見上げた空はどこまでも遠く、真っ赤になっていた。空にもう雲はない。カラスは鳴かないが臨海部なので海鳥が鳴いている。
そろそろ夕日が山際に沈み始めている。
「櫻井、もう帰らねぇか?」
「実家に帰りたくなった……」
最後に櫻井が意気消沈して溜め息を吐いたのだった。
月曜日。
一夏は新しく生徒会に入るコトとなったため生徒会室を目指して歩いていた。護衛の櫻井はいつも一夏のそばに居るのだが、どういうわけか授業が終わると同時にどこかに行ってしまった。
不思議に思うが問題はない。IS学園は世界でも有数の安全地帯であるし、櫻井には櫻井の仕事が多い。日曜日である昨日も生徒会室にこもって作業をしていた。
葡萄の蔓が彫刻された漆塗りの厳重な扉を開いた。
「失礼しまーす」
「一夏くんいらっしゃーい」
「いらっしゃい」
楯無は生徒会長の椅子に深く腰掛けている。虚は副生徒会長席で書き物仕事をしていた。
生徒会に入った一夏は『広報』の仕事を任されるコトとなった。理由は『一夏くんなら相手も生徒会にほいほいと釣られるから』と云う真に残念な訳がある。
「おりむーおりむー、お茶とケーキ持ってきてー」
「のほほんさん、相変わらず仕事してないな。書記だろ」
のほほんさんと呼ばれた彼女の名前は布仏本音。生徒会書記にして布仏虚の妹である。他に紹介すると云えばローテンポでいつも袖の余っただぼだぼの制服を着ているコトだろうか。小柄であるのにサイズが大きめの制服を着ているためさらに幼く見える。
本音は応接ソファでぐったりしている。疲れているのではなく、これが彼女の普通であるのだ。
しかし、広報に任命されたとはいえ、広報が何をすればいいのかよくわからない。就任してこの三日、一夏の仕事と云えば茶くみぐらいなのであった。
言外にニートと言われた本音が余った袖で一夏をばしばしと叩く。痛くはないが、なにやらご機嫌斜めであった。
「のほほんさん、なんでそんなに怒ってるんだ?」
「なんかねー私の存在がないがしろにされてる気がするのー。他の世界じゃ私ってもっと出番があるはずなのに、なんでいまごろになってとうじょーするのー?」
何を言っているのか全然わからなかったが、本音の真っ黒い影の差した笑顔がただひたすらに怖かった。
出番がないと云えば他にもたくさんいるのだが、それは彼らに関係のない話。
お怒りのようなので無理に逆らわずに一夏は素直にお茶の用意を始める。もとよりそれ以外に仕事がない。
生徒会室には別室に本格的なキッチンまでもある。仮眠室まで備わっており、仕事がどうしても忙しいときは泊まり込みなるだとか。最初にまとめて仕事を終わらせようとする櫻井は頻繁に使いそうだ、と一夏は巻き込まれる運命に気が付かずに他人事のように思う。
お茶を入れようとお湯を沸かしている時だった。
突然、生徒会長室のドアがけたたましく叩かれる。ドアには鍵がかけてある。それに煽られたのか叩かれる音がひっきりなしに、そしてさらに強くなる。重厚なドアであるはずなのに今にも破られそうだ。
一夏がびっくりしてキッチンから出てくれば、楯無も虚も驚いた様子で顔を見合わせている。ドアの外からはくぐもって聞こえないが怒声のようなものが聞こえる。
ソファの上で本音が首を傾げる。
「え、なになにおりむーなにしたの?」
「なんで俺がなにかやった前提で話すの?」
「だっておりむー女の子を誑かしたりー」
「してないよ!」
「冷蔵庫をケーキを全部勝手に食べたりー」
「それ食べたのはのほほんさん!」
「女の子と同棲したりー」
「同室になっちゃったんだから仕方ないだろ!」
「女の子とお風呂入っちゃったりー」
「えっ、あ、アレは……ってなんでのほほんさんがそんなコト知ってんの!?」
「……かまをかけた私がいちばん驚いてるんだけどー。どうしよっかコレ」
博愛主義の愛玩動物のような本音に笑顔で軽蔑されるととんでもない破壊力があった。しかも『コレ』呼ばわりされてしまった。
つい目を逸らせば粗大ゴミでも見るかのような目をした虚がいる。さらに目を逸らせば「ご盛んねー」とおもちゃを見つけたかのような目をする楯無がいる。
「さあ、一夏くん。外の人にこれはなんの騒ぎか聞いてきなさい」
「お、俺がですかっ!? というか、これって楯無さんに挑戦しようとする人たちじゃ……」
殺気立った外のようすに、一夏がビビりながらも尋ねるが、虚が首を振った。
「申請のあった人たちはこの休み中にすべて討ち取りましたし、それに生徒会長室や更衣室、生活をする寮部屋や食堂などでは挑戦は禁止されています。挑戦できるのは学校内と思ってもいいかもしれませんね」
と、いうコトはいま外で騒いでいるのは生徒会執行部に要件があると云うコトだ。
いまだに叩き続けられる扉を、一夏はびくびくと怯えながらも開いた。途端に、一夏を押し倒し踏み潰して生徒が生徒会長室に雪崩込んできた。
「何事ですか! 落ち着きなさい!」
虚の凛と整然とした声に踏み込んできた生徒たちはわずかに尻込むが、負けじと手にした紙を突き出して叫び返した。
「生徒会! これはいったいどういうコトですか!」
いったいなんのコトだか状況の飲み込めない。楯無と虚はその紙に注目した。その紙は文字と数字が羅列されており、楯無と虚には見慣れたものだった。
「予算案、ですか? 予算案は五月の初めにもう決定されましたが―――」
「昨日突然修正案とか言って新しいの寄越したじゃない! ナニコレふざけてるのっ!?」
先頭に立っていた代表格の生徒が憤りを隠せない様子で叫ぶ。
楯無と虚はさらに混乱した。まったく記憶にない。
しかし、それがとぼけていると見えたのか、一定の距離を保ちながらも生徒はさらに詰め寄ってきた。
「部費が一割も削られるってどういうコトですか!? 去年は地区大会にも優勝したのにっ!」
「私のところなんて三割も減らされてるんですよ! あんまり実績上げられなかったけどっ!」
「金管楽器ってすごく維持費が掛かるんです! だから少しの予算のあまりもありません!」
「同好会で予算ないけど便乗して来ました! 予算ください!」
生徒は口々に怒鳴り散らしてくる。
驚いて虚が女子の足にもみくちゃにされたボロボロの一夏にその予算案を持ってこさせた。楯無が虚に駆け寄って耳打ちした。
「え、これマジなの虚ちゃん」
「ええ、正規の予算案の用紙です。理事長の判子も……」
確かによく見ればきちんと正規の手続きのもと発行された用紙である。
ただし、内容が記憶の金額よりもほぼすべての部活が予算を大きく減らされている。
楯無は馬の耳に念仏と云った様子で怒声を聞き流していたが、あー、と苦い顔をした。心当たりが在り過ぎた。
「お嬢様? まさかお嬢様が―――」
「違う違う。考えてみて虚ちゃん。我が生徒会の新しい会計は誰だった?」
虚がハッと思い出し、そして溜め息を漏らした。
「まったくもう、あの人は何を考えてるのかしら」
「というか仕事早すぎ。いつの間に手回ししたのやら」
新しい生徒会会計は鬼の守銭奴、櫻井千奈である。
楯無と虚は苦笑いを浮かべて顔を見合わせ、とりあえず事態の収拾を図った。おそらく彼はこれを見越して姿を見せないのだろう。生徒会室にいる楯無のそばなら護衛する必要もない。やるコトが抜け目がなさ過ぎて腹が立つ。
やっべ、のほほんさんの存在を忘れてました
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