IS学園はとにかく広い。人工島を丸々学園としているため野球場程度ならいくつも収まってしまう。座学を学ぶ学生棟や事務職員のための事務棟は寄り添うように建てられているがそれでもなお広いのだ。
だから、ちょっとした移動にもけっこうな距離を歩く。
かつて、設立当初に赴任していたアメリカ人講師がセグウェイの導入を打診したそうだ。流石はアメリカ人と言ったところか。日本人とはちょっと違うベクトルで楽をしたがる。無論、日本人であり理事長である轡田理事はその意見を一蹴したそうだ。
「と言っても、こんだけ馬鹿広いとシンドイわねー」
とエドワース・フランシィ―――通称エドは呑気に活気に満ち溢れる校舎を眺めて回る。
今、IS学園は浮ついた空気が漂っている。その理由は昨日の金曜日に急きょ行われた生徒会集会にある。
――――――「新しい行事ができました。これより週末の二連休はエントリー制のタッグトーナメント戦を開催します」
そう、短く宣言をしたのは学園最強にして世界一の国際学校IS学園の生徒会長――――――更識楯無。
まったくなんの前触れも説明もなく言われたことであるが、集会に集った生徒たちは歓喜に叫(たけ)びを上げた。
なぜならISに憧れて、死ぬ気で努力を重ねてIS学園に入学してきた彼女たちにとってISになかなか乗ることができないのは大いに不満だったからだ。
IS学園を卒業したからといってそれからもISに乗れるとは限らない。ISは絶対数が圧倒的に足りていない。IS学園にはどの国家にも属さないとの名目で、あのアメリカの二十四基をも超える三十基のISのコアがある。彼女たちの母国、とりわけ経済力の少ない国にはISが多くないのだ。少ない場合に二基しかない場合もある。
当然ながら、そんな国ではISに触れらるの人間は国家代表、つまりはオリンピックよりも狭き門である文字通りに国一番の人間でなければならないのだ。
そういうわけで、彼女たちがISに乗れるのはIS学園に在学している期間だけなのかもしれないのだ。
「みんな喜んでるならそれでも良いんだけど……」
しかし、毎週末にトーナメント戦をするとなると準備も人員もかかるのだ。間違いなく仕事が増える。そこは素直に喜べないエドは正直だった。
そうはいっても喜ばしいと感じているコトはホントなのである。少々複雑な気分となってエドは目的の部屋のドアに手をかけた。
「千冬ー、入るわよー」
さして意味もなさないであろう声を掛けながら、エドはスライドドアを開け放つ。IS学園は設立七年目の最新校であるはずなのにこのドアはこころなしドアの滑りが重い。
「む、エドワースか。ノックぐらいしたらどうなんだ」
「あなたはノックしたって意味ないでしょう。……で、あんたはナニやってんの千冬?」
首を傾げるエドの先で、千冬は窓に足をかけていた。まるで今にも逃げ出す算段を立てていたようだった。いちおう、ここは三階なのだが、彼女はイッタイドコに逃げ出す気だったのか。
部屋に入ってきたのがエドと見止めて、千冬は窓から足を下ろすと文机の椅子に腰かけた。
「てっきり櫻井が来たかと思ったじゃないか」
「呼んであげようか?」
「や、やめろっ! 今度は殺されるっ!」
千冬が怯えた形相で顔を前で手を振った。これほど慌てた彼女はエドも見たコトない。エドは櫻井が千冬の執務室の汚さにブチキレたコトを知っていた、と云うより千冬本人の口から聞いていた。その鬼のようなキレっぷりも……。
ここは言うまでもなく千冬の執務室である。そして、一週間前に櫻井が二度目の掃除をした甲斐もなくすでに見るも無残な有様である。櫻井が見れば失神するのではないだろうか。
エドが足元に転がった缶コーヒーの空き缶を腕を組んで見下ろして息をつく。
「だったら掃除すればいいじゃない」
「それができれば苦労なんかしない」
「もとから片付ける気がないから苦労も何もないじゃない……」
「これでも頑張ってるんだっ!」
「これでも頑張ってたんだっ!?」
世間では才色兼備の織斑千冬であるが、どうやら神様は二物を与えなかったらしい。その化け物じみた戦闘能力のひとかけらでも掃除の才能に分け与えてくれてもよかったと云うのに世の中とはなかなかうまく回っていないものだ。
と言っても、お世辞にもエドの部屋もきれいではないのでこれ以上の文句は言わない。
千冬の思わぬ怯えようを見て、エドも掃除をしようかと考えてみる。それぐらいに先ほどの涙目の千冬は哀れで、同時に可愛らしかった。千冬はたまにびっくりするぐらい女の子のような反応を見せるから好感が持てる。
エドは足元の空き缶を蹴散らすと、部屋の隅に置いてあるやたら高そうな応接ソファ、と云う名の仮眠ベッドに寝転がる。流石は基本的に物への頓着が薄い千冬が自慢するだけのものである。このソファに何度か寝たが素晴らしい心地よさだ。うっかりしていると簡単に寝入ってしまいそうだ。
それを見て千冬が拗ねたように口をへの字に曲げた。
「おい、それは私のソファだ。寝るんじゃない」
「いいじゃない別に。……、それにこの部屋っていい感じに汚いからけっこう落ち着くのよね」
千冬が大きく何度も頷いた。もう彼女たちは末期なのかもしれない。
櫻井の存在をいまさらのように思い出したのか、千冬は転がった空き缶や紙くずをゴミ袋にまとめ始めながらエドに問うた。
「それはそうと、いったい何しに来たんだおまえ」
「そうだったそうだった。ソファの気持ちよさにうっかり忘れるとこだったわ」
「ふふふっ、良いソファだからな」
何故かドヤ顔の千冬。しかし、別にこれは千冬が自腹で買ったものではなく理事長からの
贈り物なのである。
が、エドが差し出した書類束を見てまた口をへの字に曲げる。
「嫌そうな顔しないでよねー。私だってそれまとめるの大変だったんだから」
エドが千冬に提出したのはこれから毎週末に開催されるコトになった。タッグトーナメント戦での警備計画書だった。
千冬とエドは有事の際の対応指揮権を持っている。指揮権自体は千冬のほうが上であるが、千冬は管制室で指揮を執るため現場での指揮権ではエドのほうが上となる。
差し出された書類束を手に取って、それをぺらぺらとめくりながら千冬は言った。
「ま、IS学園だから"大変"で済むんだがな」
普通、IS学園ほどの警備計画書ならエド一人で編集できる量ではない。それが可能なのは、彼女が優秀だと云う理由もあるが、なにより警備計画の規模の小ささが最たる理由なのであった。
IS学園はどの国家にも属さず、どの国家の法律も適用されない治外法権である。また、どの国家の影響も受けるコトはないため独自の自治権が与えられている。
しかし、自治権が与えられているとはいえIS学園があるのは日本なのだ。ただでさえ、銃器を好き放題にぶっ放すISは戦争アレルギーの日本においてさほど歓迎されていない存在だと云うのに、自治の名目で自衛隊でもない軍隊が国内にこれ以上増えるのは望ましくない。さらに、IS学園に周辺海域の哨戒を任せてしまえば、IS学園の特殊な立場上、多国籍企業の軍事兵器を使うコトになるであろうコトは予想が容易い。そうなってしまえば海上自衛隊の負担も爆発し、哨戒任務の複雑化がテロリストに付け入る隙を与えてしまうかもしれなかった。なにより、日本を守るはずの自衛隊の領域で、外国の軍艦が好き勝手に大腕を振って闊歩できる状況に防衛関連から不満が噴出したのだった。
結果、IS学園は標的危険度の高い場所でありながら、その防御機構は外周区に設置された一式斥力防護障壁だのみである。シールドを突破されて初めて、常駐ISによる武力鎮圧が可能と云う、ある意味日本の専守防衛よりも不安な状況に立たされているのだった。
「この前はその他の施設を重点的に守ろうとしたのが仇になって鎮圧が遅れたんだけど……」
「かといってそれを割くのは安直だしな」
防衛とは難しい。戦力の逐次投入は愚の骨頂であるが、敵がいるからといってそこに全戦力を投入するとその他がおろそかになってしまう。IS学園のように防衛施設が多いとさらに難しい。必要最低限の戦力を導入するのが最適であるが、加減を間違えると先ほどのように戦力の逐次投入となってしまう。馬鹿と天才が紙一重と同じように、戦場でも無能と有能は紙一重でもあった。
結局のところ、無人機襲来事件やVT暴走事件のように競技中のアリーナに敵襲があったとしても、防衛用のISで応援を出すよりもその場にいる戦力だけで鎮圧するのが最も理想なのだ。
「それにしても。彼、やってくれるわね」
「まあな」
「転入してまだ二週間よ? 手を打つのが早過ぎよ」
「あっさりと落第点を付けられてしまったな」
「あららー、私たち信用されてないわね」
千冬とエドは自嘲気味に苦笑する。彼女たちは櫻井が今回のタッグトーナメントの制度をしいた理由をわかっていた。可能な限り手を打ってきたつもりであったが、自衛官上がりの護衛にはたいそう不満ならしい。
千冬が面白くなさそうに未開封の缶コーヒーをエドに投げつけた。
エドはそれを受け止めて、日付を確認したのち開封する。
「どう思う? 可愛い生徒の噂通り、みんなのためにこのトーナメントを立案したと思う?」
「まさか、だな。アイツは思考が軍人のそれだ」
櫻井がこのタッグトーナメント戦を立案したのにはいくつか理由がある。
まず一つ目に、護衛対象である織斑一夏に経験を積ませるため。櫻井は一夏の護衛であるがつきっきりで護衛できるわけではない。たとえば、一夏がISの訓練中となると櫻井が手を出しづらい状態にあったりする。そんな場合、一夏が強ければいいのだ。櫻井の護衛が必要ないぐらいに。
その次にIS学園全体の底上げのため。IS学園に襲撃があれば、当然それに巻き込まれる生徒が必ずいる。それに居合わせる生徒も必ずいる。そして、人には自分が社会的に認められたい欲求を持つと云う。ISに搭乗している生徒のなかに正義感から立ち向かう生徒だって必ずいる。つまり、保護されるべき生徒を防衛の一翼に変えてしまおうと云うのだ。
そして最後に、
「アイツ、生徒を人質に使う気だぞ」
「あー、やっぱ?」
エドが悩ましそうに薄く汚れた天井を見上げる。
千冬の言った通り、櫻井はIS学園のすべてを利用する気である。IS学園は人工島にあるため一種の閉鎖空間。よって平日はわざわざモノレールに乗ってまで街に繰り出すことはない。しかし、休日になると勉強の疲れなどから街に出るのだ。
そこで櫻井は休日に二日間、タッグトーナメント戦を開催することで生徒をIS学園内に留めておこうと云うのだ。万が一どこかの国がトチ狂っても、世界各国の生徒がいるなかならばいくらか冷静になるであろう。また、その襲撃者が国籍不明ならば各国の共通の敵となる。そうなればたとえ正体を隠していようと大きな動きはできない。
「うーん、悪い子じゃないんだけどねぇ」
「かといって良い子でもないな」
なんとなく櫻井を気に入っていたエドのささやかな擁護の声を、千冬の冷徹な断言が叩き落とす。エドは千冬の断言に同感し、千冬もエドの擁護に頷いた。
普通の一般人が櫻井に抱く第一印象は『怖い』だろう。眼つきが悪く、その眼の光は淀んでいる。本人が聞けば苦い顔をしそうな評定である。
しかし、いざ接してみればそう悪いやつでもない。"良いやつ"ではないのは櫻井の数々の所業故である。櫻井は現実的すぎるのだ。そして必要のないものを受け付けない排他的なところもあった。
すると、エドが思い出したように、楽しげにほおを緩ませた。
「まあ、織斑君とはけっこういいコンビだと思うけど」
「一夏とか……。そうかもな」
そうであってほしいな、とつぶやいて、千冬は自分の仕事に取り掛かるために立ち上がった。弟の一夏にはやるべきコトをしにアリーナに向かっている。ならば、千冬も自分の戦場に立たなければならない。
土曜日の朝にとうとう公開された櫻井立案の週末タッグトーナメント戦のルールは以下のようである。
まず、基本的なルールは先日のトーナメント戦通りである。
参加はエントリー制。これはもちろんのコト、週末はもとは休みのためにあるのだから強制はしない、と見せかけの建前であり、その実、人とは強制されるコトに反発する生き物であると云う根も葉もない櫻井の言い分だった。護衛の櫻井としては全員参加のほうがいいのだが、そこは致し方ないと諦める。
その次にトーナメントは『A』と『B』に別れる。トーナメントAは一般学生、つまりは専用機を持たない、訓練機を使用するしかない彼女たちのための枠組みだ。トーナメントBは専用機持ちを強制に、もしくは志望で訓練機も参加できる。おそらく腕試しをしようという生徒が参加するだろう。
トーナメントは三学年合同。これには参加者、とくに三年生からは不満が出たが、意外なことに一、二年生からは好評だった。つまりは彼女たちは下剋上がしたいのである。
ちなみにトーナメントBは数の関係から一対一で行われる。
「エントリーは土曜の朝になってますけど、遅くありませんか?」
言外にトーナメントの割り振りが間に合わないと言う虚に、櫻井はあっさりと言う。
「問題ない。サイトを作ってサクセスすれば簡単にエントリーできるようにした。エントリー最終時間の土曜朝八時になれば僕が作ったプログラムが勝手に割り振る」
相変わらずの手際の良さに虚は脱帽だった。
こうして栄えある記念すべき第一回週末トーナメント戦は始まった。
「大丈夫か、織斑一夏」
櫻井は待合室のベンチに座っている一夏にそう声を掛ける。一夏は大丈夫だと手を振った。
一夏は初心者として見れば恐ろしいほどに思い切りがいい。普通ならば銃口を向けられただけで、たとえシールドがあるとわかっていても身が竦むものだ。その点、彼は入学して一カ月すらも立たないうちにセシリアと模擬戦を繰り広げ、専用機持ちに恥じない戦いっぷりを見せたのだ。
それでも、これから試合となれば緊張ぐらいする。それが実弾を使用するとなればなおさらだ。いくら理屈で死ぬことがないとわかっていても、試合になればそんなことを考える余裕がなくなってしまっても、試合前は手は情けなく震えるし、心臓は張り裂けないのが不思議なぐらいに動機してしまっている。
「やめたいならやめてもいいけど。べつに無理強いはしない」
「はっ、まさか。それにお前だって俺にやってもらわねぇと困るんだろ?」
「ああ。そうだな」
櫻井の素っ気ない返答に、一夏はわずかに櫻井に気づかれないように歯噛みをする。軽口を返した唇は思わず舌でなめるほどに、喉は一滴の水のない砂漠のように乾ききっている。声が震えなかっただけ大したものだと自嘲した。
櫻井は一夏に強くなっても貰わなくては困り、一夏も誰かの荷物にはならないために、そして誰かを守るために強くならなければならない。二人の利害は一致している。
「だからといって覚悟もない素人を送り出す気はない。戦争じゃそういうのが一番役に立たないと知っている」
櫻井の冷徹な物言いに、一夏はわずかに沈黙する。
櫻井の言う戦場なんて一夏は知らない。彼は普通だったから。もとは普通の学校に通って、普通の暮らしをして、自分がこんな世界に飛び込もうなどと予感も野望も抱いていなかった。
だが、櫻井の恐ろしく冷淡な声はそんな彼の脳内にまざまざと残酷なほどに知覚させる。
だからこそ―――
「問題ねぇよ」
備え付けられたモニターには砲火を交える少女たち。彼女たちのように覚悟装填してこの学校に入学したわけではないが、男であるのなら情けないところは見せられない。
一夏は自分なりに強がって見せた。否、これは挑戦状。いまさら情けなくビビッている己へと叩きつける挑戦状なのだ。
こうなっては後に引けない、引く気はない。戦う相手は己自身。誰かに負けてしまうのは納得がいくし反省もあろうが、己に負けるのは業腹だ。
遠くで鐘が鳴る。それは戦への鬨の声。
その合図に一夏は立ち上がる。自分で決めた戦場へと歩を進める。
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