織斑一夏の啖呵を櫻井は目を眇めて聞いた。
彼には、一夏の言っているコトがやはりこれっぽっちも理解できなかった。ただ一つ、わかったコトと云えば、やはり、織斑一夏と櫻井千奈はそりが合わないと云うコトだろうか。
「織斑一夏、お前は『逃げたくない』、そんな意地のためにその場に立つと言うのか」
櫻井の声色は恐ろしいほどに冷たいものだった。同じ管制室にいる真耶は自分の職務を忘れて固まってしまっている。いつもは笑顔で聞き流すエレナですらも軽口を叩かなかった。
声色、と云う言葉が空虚に聞こえてしまうほど色を失った言葉であったが、それでも一方通行でしか姿の見えない織斑一夏の目は変わらなかった。
「当たり前だろ。生きるにしろ死ぬにしろ、戦うにしろ逃げるにしろ、何かを始めるためにはまずはそこから始めないといけないだろ?」
櫻井は思わず顔を顰めてしまった。
それは、そうだった。一夏は、はき違えてなんかいない。今の状況を、自分なりに冷静に判断しようとしている。その上で出したのが先ほどの答えだ。だが―――――
「理解できないな。普通、ここは逃げるだろ」
人は誰だって保身を図るものだ。怪我したくない、死にたくない。それは当然の事であり、進化とはそういった自分の身を守るためにある。生きる根底となっているのは自己保身なのだ。百獣の王でさえも、敵わないと悟った相手には爪を立てない。
だからこそ、櫻井は一夏の本質を理解できなかった。
一夏は軍人ではない。それどころか半年前までは己の運命さえも知らぬ一般人だった。普通の勉強して、普通の友人と遊んで、仕事から帰ってくる姉のために夕飯の献立を考えて。こんな、真剣な顔でお前死ぬぞなんて言われる場所には立っているべき人間ではなかった。
それなのに、どうしてこのニンゲンは平然と、むしろ否定され怒ったようなようすで戦うなどと言えるのだろうか……?
「こういうとき、俺が馬鹿な人間で良かったって思えるよ」
自分の前に立ちふさがる死の可能性の前ですら、織斑一夏はいつもどおりだった。
「それでも戦えるのは、人間だけの矛盾だからな。本当に良かった」
本当にそうであるかのように、つい数ヶ月前までは一般人でしかなかった彼は笑った。
管制室に小さな音が鳴る。それは歯を噛み締めた音だと、櫻井は自分で気が付かなかった。
どうして、こうも一夏の言葉が癇に障るのか。無視をすればいいのにどうしてか彼の文句を聞き入ってしまう。櫻井は苛立ちに何の罪もない通信機材を睨みつけた。
「僕の立場を総括して言っておく。織斑一夏ではアレは倒せない」
「ああ、わかった」
まるで、今日の夕飯の献立でも伝えて了承したかのような軽い返事だった。だが一夏はわかっている。自衛官として戦場を知り、IS試験部隊としてあの敵の脅威を知り、一夏の護衛として白式と一夏の性能を知っている櫻井が下した残酷なまでに正しい結論を一夏は受け入れた。
瞬間、櫻井の思考が沸騰した。願わくば己の手でこの男にとどめを刺してやりたいと思った。なぜそこまで自分が感情を乱しているのかわからなかった。
しかし、その前に、
「ありがとな櫻井。じつはもしかしたらコイツに俺は勝てるんじゃないのかってどっかで思ってたよ。でもお前に指摘されてよくわかった。俺じゃコイツには勝てねーな」
「だったら――――――」
「でも一緒なんだよ結局は」
「……、」
「ここで逃げたって、ここで立ち向かったって。結局確率なんて過程は同じなのに結果だけ言えば0か1しかないんだよ。どうしたって俺はきっと“ああすればよかった”って思うよ。じゃあ、狙うなら良い結果だろ。それに俺だけ逃げたらシャルが一人じゃんか」
「――――――」
突然一夏が櫻井を呼びかけた。
「なあ、櫻井」
「いったいなに」
「お前は、俺のなんだ?」
「気味の悪い問いかけをするなよ。他の女子に嫉妬で刺されるだろ」
一夏が悪い悪いと困ったように笑った。改めて、一夏が問うた。
「お前はそれでも俺の護衛でいてくれるか?」
やはり、櫻井には織斑一夏と云う人間が理解できなかった。ただ、一夏が櫻井に、櫻井が一夏に無条件に反感を覚えたわけが、ここでわかった。
「櫻井、どうして俺が櫻井を初めて見て納得いかないって思ったのかいまになってわかった」
「ああ、僕もだ」
二人は、お互いを敵のように、宣言した。
「俺はお前のやり方なんか認めない」
「それは僕とて同じこと」
「だったら――――――」
「―――――― それを証明して見せろ」
通信を切ったのはお互いだった。管制室に静けさが戻る。それと同時に離れた場所では、管制室のモニターのなかでは戦闘が始まった。
真耶が緊張した面持ちで櫻井の顔を伺う。教師として生徒の顔を伺うのは問題であるが、おいそれ口出しできない問題だった。
千冬は一連の会話をにやにやしながら見物していた。よく見ればエレナも似たようなものだ。彼女の場合は嬉しさのようなものも滲み出ている。
対して、櫻井は冷めきった表情でしばらく画面を見ていたが、やがて溜め息をそっとついて憎々しげな表情で千冬を睨んだ。
「あいかわらず、腹の立つ弟さんですね」
「まあな。私の自慢の弟だからな」
千冬はにやりと誇らしげに笑った。エレナがにこにこしながら後ろから櫻井の肩に手を置いた。
「いやー、センナくんもステキなツンデレさんじゃないっスかー」
「誰がツンデレだ、誰が。あとセンナくん言うな」
立ち上がって櫻井が身体を振ってエレナの手を払う。それでもニヤける千冬とエレナ。居心地と分が悪そうに顔を歪めていた櫻井だったが、やがて文句も言えずに椅子に座った。
不貞腐れたようにモニターを睨んで、
「織斑一夏みたいなタイプは強いコトを言って多少怒らせた方が事が成る」
「ほほう。ところで、さっきの会話は何割が本音だ?」
「九割九分九厘。織斑一夏には本気でムカつきました」
だろうな、と千冬が呆れ半分感心半分に肩を落とす。エレナがテーブルの向こうからキラキラとした目を櫻井に向ける。
「ところでワタシにはいつデレてくれるっスかね?」
「そんなにDELEって欲しいなら今度申込用紙でも貰ってくるよ。僕スペイン語なんて話せないし」
「ああもうっ! なんでセンナくんはワタシにこんな冷たいっスかねーっ」
「だからセンナくん言うな」
エレナが金髪を振って、頭をかきむしって喚いた。ちなみに『DELE』とはスペイン語検定試験のことである。
その時、
「は?」
「うん?」
「え?」
「……、」
管制室にいた四人がそろって奇妙な音に振り返った。そこにはもちろん誰もいない。のだが、
「あ、あれー? 管制室のドアってあんなツルペタだったっスかねー。しかもちょう頑丈そう、具体的にはC4爆弾を跳ね返しそうなぐらい……」
「……、山田先生。どうして隔壁を下ろした?」
「わ、私じゃありませんよ!?」
最後に千冬が櫻井を見れば部屋の隅に設置された電話をひったくっていた。
「雷同二佐ですか? 問題が発生したのでちょっと10式戦車を十五台ほど持ってきてくれませんか? え、できるわけねーだろ自分で何とかしろ? ですよね」
櫻井は櫻井で新たな問題発生に現実逃避していた。存外役に立たない男である。
すごすごと帰ってきた櫻井に、呆れを押し隠して千冬は改めて問いかけた。
「何が起こったと思う?」
「隔壁が落ちた直前に篠ノ之箒が打鉄でアリーナに突入しました」
なるほど、と千冬がモニターを確認すれば、いつの間に打鉄を纏って箒が戦闘に参入していた。ここは専用機持ちが強制参加のトーナメントBであるが任意で一般生徒も参加可能となっているため、訓練機が打鉄とラファール・リヴァイヴが一機ずつ配備されていた。箒はそのうちの一機を使ったのだろうと判断できる。
千冬は腕組みをして唸った。
「見事に裏目に出たな」
「ですね。織斑一夏が目的だと思ったのですが、まさか篠ノ之箒も込みだったとは」
恐らく隔壁を下したのはあの戦闘人形であるらしい。
どうして身内を危険に巻き込むのか、尚更犯人だと思われる篠ノ之束が分からなくなった櫻井。
見ればこのアリーナ全体の隔壁が降りてしまっている。アリーナは万が一のシェルターの役割も果たし、また足止めの意味も込めて隔壁は多層に及ぶ。本来ならば外敵から身を守るためのシェルターも、今は人形と踊る檻となった。かつてネロ皇帝も自分の独唱を聞かせるためにポンペイウス劇場の出入り口を塞いだと言うが、どうやら件の天才も主演がそろったため舞台を締め出してしまったようだ。
真耶が必死に乗っ取られたシステムを取り返そうとしているが時間がかかるだろう。
「と、いうわけなんだ、シャル」
悪いな、といつもと何もかわらずこちらに笑いかけてくる想い人を、シャルロットは微妙な面持ちで見返した。いろいろ在り過ぎて何を言っていいのかわからないのでとりあえず、
「えーっと、いいの?」
なにがとは問わなかった。その一言に様々な『いいの?』が含まれているからだ。一番は、一夏は一番安全に逃げる選択肢を手放したのだ。そして櫻井が言っていたことはシャルロットの目から見ても正しい。
「ああ、いいんだこれで。それに俺が逃げたらシャルが一人になっちまうだろ?」
「……あ、ありがと」
シャルロットな頬が熱くなるのを自覚して顔を逸らした。しかし、当の本人はシャルロットの奇妙な反応に頭に『?』を浮かべているあたり、鈍い。
顔が赤くなったのを見られなかったのは良かったが、気が付いてもらえなかったコトは不満だと矛盾した想いを抱きつつ、シャルロットは目の前の現実へと眼を戻した。
人形は先ほどから動きがない。一夏と櫻井の一連の会話すらも見世物のようにじっと見つめていた。赤い複眼は昼間でも映えて見える。
思わず、シャルロットの喉が緊張でごくりとなった。
「それで一夏。アレを倒すの?」
「いや、倒さない。というよりも情けないんだが倒せない」
「ふーん、一夏にしてはなんだか弱気だね」
少々挑発気味な言い方になってしまったが、いつもの一夏であるならば「アレを今からぶっ倒す」と言っていただろう。シャルロットとしてはあんな得体知れない人形と戦うのは御免こうむる。
「だから時間稼ぎをする。なんかいい案が浮かぶかもしれないし」
「う、うん……」
さらに一夏らしくない現実的な案が出てくる。猪突突進の一夏にしてはセオリー過ぎるぐらいに現実的な案だった。
一夏の作戦を耳ざとく聞いていたのか、それとも単に時間切れだったのか。
機械人形が身の丈を遥かに超える右腕をまっすぐにシャルロットに向けてかざした。
シャルロットはほとんど条件反射の勢いで、エンジンを爆発させるように吹かした。瞬時加速(イグニッション・ブースト)の乱暴で雑な使い方であったが、人形の右掌から迸る赤いビームの射線から身を弾きだすことには成功する。
エネルギーシールドが干渉するかしないかのギリギリの境界線。この先どうなるのか見当もつかない、エネルギーは一片たりとも無駄にできない。
シャルロットは空に身を躍らせながらとっさの判断で武器を選択する。右手にアサルトライフル、左手には回転弾倉式のグレネードランチャー。汎用性と衝撃力を優先し選択した。
右手のアサルトライフルが咆哮する。口径は7.62mm、生身ならばとてもだが連射する事の敵わない大口径弾であるが、ISならば拳銃弾以下の反動で撃つことができる。IS用のマガジンに込められた五十発もの鉛玉が大きすぎる的に対して殺到する。
対して、人形は動かなかった。まるで児戯でも見物するかのように銃撃するシャルロットをただ見上げている。
撃ち込まれた弾丸は、その役目を果たすことなく不可視の壁に阻まれ落下、あるいはベクトルの方向を捻じ曲げられて跳弾していく。
「くっ、一次層も抜けないなんて大した出力だね……!」
ISのエネルギーシールドには大まかに三つの分類がされていた。まずは何の視覚的変化が見られない出力の第一次層、次にエネルギー総量が増えたことにより発光現象が起きる第二次層。この二つは通常防御と大別される。そしてエネルギー消費を度外視し操縦者の生命を守る第三次層の絶対防御。
発光現象さえも起きなかった、つまりはあの機械人形はとんでもないエネルギー総力を持っているというコトだ。一次層が並大抵の厚さではない。一般的なISならば第一次層は小口径拳銃弾程度しか弾けない。その数十倍もの運動エネルギーを持ち合わせている7.62mm弾の乱射を受け止めるとは、あの機械人形の機体出力はいかに桁外れなのか。
たまらずシャルロットがアサルトライフルの弾切れと同時に42mmグレネードランチャーを撃ち込んだ。ポン、と云う間の抜けたような音がするが、その威力は先ほどの比ではない。一発で自動車が吹っ飛ぶ威力だ。
撃ちだされた榴弾はやや緩やかな放物線を描いて、変わらず突っ立っている人形に直撃した。
これで倒せた。などと楽観してはいけない。事実、白煙をかき分けるように異形の戦闘人形は歩み出していた。
しかし、―――――― シャルロットは人形に対して微笑みすら浮かべていた。彼女の金色の髪は隣で吹き抜けた暴風のような風に舞い上がっていた。
「時間は一秒」
「この距離なら十分すぎる―――!」
爆発とエネルギー反応の暴力的な熱、煙幕による視界の阻害。わずか一秒の人形の不明。その中で駆ける光があった。
かつて世界を席巻したISの圧倒的機動力の名誉挽回。日本が苦心し、たった一機仕上げた大出力スラスターは猛りを上げて風を刺し貫いた。
これでも、最大出力の半分にも満たないのだから末恐ろしいコトである。もしも彼が愛機のエネルギー分配率をエンジンのみに振り切れば、その速度はマッハ2.5を軽く超える。
火の残像をその背に緩やかな弧を描いて、右手に煌めかした最鋭の刀を横薙ぎに払った。落ち葉さえも両断する研ぎ澄ました太刀筋。一夏の目は敵一点。超加速、超速度下でも揺るがないその意志に、戦闘人形に言葉があれば賞賛していただろう。
だが、―――――― あくまで相手は機械仕掛けの殺人人形で。機械があるがゆえにその反応速度は人知を超えていた。
ぐるん、と回転する大きな影を、一夏は見た。
人形は肉を切らせて骨を断つ勢いで、己の損傷を顧みるコトなく。飛んでいた蚊虫を払うが如く、左から回り込んできた一夏を、その大きな右腕で打ち返さんと薙ぎ払う。
機械だからこそできる自己犠牲の一撃。矮小な生身と違いソレは痛みを知らない。だからこそ即座に判断できる捨身の豪打。
一夏の読み違いと云えばそれだけだった。だが、その読み違いが彼の命運を分けたと言ってもいい。
瞬きのうちの判断で、一夏は自分がミスをしたと悟った。このままいけば自分はバットで打ち上げられる白球の如く空に散るだろう。
いまさら振り返っても遅すぎる。ならばこちらも押し通す―――ッ!!!
一夏の覚醒させた意志に呼応し伸びる零落白夜。黒地に白い線をイメージする。白式が応える。零落白夜の純白の刃が薄く、鋭く尖った。この瞬間、零落白夜は核すらも耐えうると定評のある絶対防御すら穿つ刃となった。
それでも、―――――
“……くそッ! 届かない……ッ!!”
それでも届かない。
理由は明白。長さが違いすぎる。人形の腕は五m半ばほどもあり、対して零落白夜の刃は最長で二mほどしかない。この差は接近戦において明確な有利不利があった。リーチがある、というコトはそれだけ遠くに攻撃が届くというコト。つまり、その分だけ一夏よりも早く腕を振り始められるというコトだ。
一夏の目算ではあと二歩と半歩分届かない。
やはりと云う当然の結末への悔しさ。先手必勝に勝つなけなしの可能性をつぎ込んだがそれでもダメだった。
迫る巨大な右腕。その前腕部の窪みから、腕を覆うように赤い刀身が伸びていた。ラウラのシュワルツェア・レーゲンにも搭載されていたレーザー手刀。その出力も規模もシュワルツェア・レーゲンとは比較にすらならない。さらに開いたリーチの差、そしてそれ以上に開いた脅威に一夏は身を震わせる。
時間を稼ぐためにも敵に痛手を負わせるはずが、無条件にこちらが不利になってしまった。
一夏は笑ってしまう。やっぱ底が浅いな、と云う自嘲と。"自分たち"の勝利の確信に。
「受け止めろ零落白夜!!」
突如一夏はスラスターを前に向け、急制動をかけた。内蔵の配置が変わってしまったのではないかと心配になるほど強烈なGが掛かる。ISの搭乗者保護機能がなければ死んでいただろう。
叫びに応えて零落白夜が一転、幅広の刀身に変化した。瞬間、叩きつけられる巨人の右腕。圧倒的出力を誇るレーザー手刀でも零落白夜を消し去ることができない。人形は手首を反転させた。関節の概念がない機械人形だからこその所業。掌のビーム砲から暴虐的な光を迸らせて零落白夜の刀身を掴みとった。
目がくらむほどの光が昼間のアリーナを明るく照らした。巨大な手の平が零落白夜の刀身を握り潰さんと痙攣する。
そこで、機械の彼女はどうして織斑一夏がこのような判断をとったのか、機械なりに不思議に思った。
あらゆる選択肢を削合し、競合させ、そして……。―――――― 機械の彼女は己の敗北を悟った。
一夏は機械の彼女を見ていない。その後ろ、すでに大上段に刀を構えている彼女に笑いかけていた。
「箒、やっちまえ」
「後ろから斬りつけるとは剣士として業腹だが、貴様も形振り構わないだろう、許せ」
人形が振り返る間もなかった。
単純にして強烈。幼少期から毎日欠かさず繰り返された愚直な振り下ろし。年輪を刻んだ大剣は、斬る事を想定していないのにも関わらずその無機質な身体を巻き藁のように一息に両断した。
―――――― (シノ ノ ノ ホウキ ガ キ タ)
機械の彼女は最後にそう思考し、こと切れた。
「お、終わった?」
成り行きを空から見下ろしていたシャルロットは恐る恐る確認した。複数対一、さらには機械が最も苦手なイレギュラーによる不意打ちであったが何とか成功した。
無人機は肩から腰に掛けて両断されて地面に転がっている。
念のため空に上がった一夏は数秒ほどそれを見下ろし、もう動き出さないと確信して、脱力した。
「はぁあああああああぁぁぁぁぁ……。なんとかなった」
「やっぱ行き当たりばったりだったんだ……」
時間を稼ぐとか言っときながら仕方ないなー、と自分も乗っかったのを棚に上げてシャルロットは苦笑いを浮かべた。
まあ、実際のところその通りで。もとは時間稼ぎの作戦だったと云うのは本当なのだ。ただあの戦闘人形が予想以上の戦闘力を持っており、そして一夏たちにそれよりも頼りになる援軍が来たのが双方の誤算だったのだ。あの不意打ちもこれ以上にないほど決まっていた。もしも一夏が零落白夜でレーザー手刀とビーム砲を受け止めて熱をあたりにまき散らしていなかったら、後ろから迫っていた箒など熱探知であっさりと見つかっていただろう。
執念にも近い奇跡が勝ち取った結果だと言ってもいい。
「き、緊張した……」
自ら望んだとはいえおいそれほいほい請け負う物じゃないなと箒がほっと息をついた。とはいえ、彼女はずっと役に立てない歯がゆさを感じていた。そして今日はその積もった思いを晴らすことができたのだ。
箒は一夏を見上げた。そして首を傾げた。
「……一夏? いったいどうした難しい顔なんてして」
「いや、なんというかな。俺も櫻井もこんな一筋縄ではいけないって思ってたんだが思いのほか素直というか……、なんか単純じゃなかったかコイツ」
そうなのだ。一夏も櫻井もその機械人形の異常性からもっと何かあると思っていたのだ。しかしふたを開けてみれば見事な力押し。一夏たちが起こした偶然程度であっさりと片が付いてしまった。
無事に終わって何よりなのだが、不謹慎な言い方をすると拍子抜けだった。
言われて同じ感想を抱いたのか、箒もシャルロットもそういえばと言った面持ちでまじまじと残骸とも呼べるなれの果てを見る。
肩から腰にかけて切り裂かれた人形は血のようなオイルを辺りにぶちまけて倒れ伏している。まさかこの状態から再起動はすまい。いや、十分に在り得そうであったが、軸となる足を失ってはただの案山子である。もはや脅威と呼べるだろうか。
「……うえっ!?」
観察していたシャルロットが驚きでおかしな悲鳴をあげてしまった。彼女が驚くのも無理はない。無人機の泣き別れした上半身。その巨大な右腕は外れていた。やはりシャルロットが予想した通りあの右腕は外付けの装備らしかった。
それはいい。問題は外れた右腕はひとりでに動き出したのだ。浜辺に打ち上げられた魚のようにびっちびっちと跳ねる真っ黒い右腕は正直気味が悪い。巨大な右腕が暴れ出したのだ。ドスンドスンと地面が揺れる。
「な、ななななんだコイツ! キモいぞ!!」
生理的嫌悪を覚えたのか、一番近くで己の戦果を興奮した様子で確かめていた箒が、怯えた表情で後退りをする。彼女でなくとも不気味な光景だ。土で汚れた右腕は褐色の生身の腕にも見えたからだ。
「と、トカゲのしっぽみたいだな」
一夏が正直な感想を漏らしていると、やがて右腕が尺取虫のように這い出した。凄まじいキモさここに極まりである。
思わず固唾を飲んでその行方を追っていると、右腕は両断された人型のほうへと這っていく。
そして、その巨大な右腕を振り上げると、人形を叩き潰した。黒光りしていたボディーがひしゃげ、その軋みは鋼鉄の断末魔のようだった。
「……な、なんだコイツは」
一心不乱に元の身体を叩き潰す右腕に、箒は先ほどとは別の嫌悪感を感じた。見ていて吐き気がする光景だった。
「……まさか、証拠隠滅とか?」
同じく恐怖を感じていたシャルロットが最もらしい推測を出した。それに箒が納得したように何度も、何度も頷いた。そう納得することで目の前の凄惨な異常から自分を守っているようにみえた。
一夏も同じだ。これは一種の悪夢のようだった。
そのとき、叩き潰される人形から部品のようなものが転がった。思わず一夏はそれを目で追ってしまう。大きなボルトのように見える。それはころころと離れたところに転がってしまう。
そこで、見てしまった。
そのボルトを何かが大事そうに掴み取った。
小さな、小さな、
細い、細い、
小枝を繋いだようなソレは、
まさしく、人の"手"だった。
「――――――ッ」
部品を大事そうに掴み取った手はまた元の腕に引っこんで行った。
言いようもない悪寒が背筋を撫ぜた。込み上げた吐き気を飲み込み、一夏は最も近くにいた箒に叫んだ。
「箒ッ! ソイツを止めろ―――ッ!」
「は? なん……」
箒は訳が分からず一夏を見上げた。
「一夏、突然どうし――――――」
「ソレは証拠隠滅じゃねぇッ! ソレは、いや、"『ソイツ』は、喰ってやがる"ッ!!
ソイツの正体は、右腕のほうだッ―――!!!」
「―――え?」
呆けたような声を出して、箒が人形のほうを振り返る。
そこには貌があった。振り返った眼先には、箒が斬り捨てた機械の彼女のデスマスクが宙に浮いていた。窪んだ真っ黒い顔貌が間近で箒を捉える。
「ひっ」
真っ黒い貌が、今にも箒に触れそうな距離にあった。箒は純粋な恐怖で顔を仰け反らした。すでに"別のナニか"に変わった機械の彼女が新しい腕を一閃する。
中量機とはいえ重装甲の打鉄がその一振りで壁際まで叩きつけられた。
「箒!」
「だ、大丈夫だ。それよりも――――――」
「一夏、アレ……」
シャルロットが呆然と眼下の化け物を見ていた。
人形は、すでに人型ですらなかった。巨大な右腕の二の腕だった部分からヒトのようあモノが上半身を突き出していた。鱗のような細かい逆トゲの装甲にデスマスクが張り付いている。その窪んだ眼(まなこ)で一夏たちを見上げている。
「なんなんだ、コイツは……」
現実の許容を遥かに超えている。
すでに叩き潰していた人形の姿は跡形もなくなくなっていた。人形がいたあとには喰いカスのみが散乱している。
右腕―――もはやそうとすらも呼べなくなってしまったそれが奇怪な音を奏でながら分裂と合体を繰り返す。昼間だと云うのに、悪夢が黒い影となって蠢いていた。あの巨大だった右腕が数千ものパーツに分解、結合を繰り返して別のナニかに生まれ変わっていく。ソレは右腕から突き出されていた人型の上半身を覆っていった。
一夏たちは呆気を取られてその異様な情景を魅入っていた。
人間の時間が終わった。
そして、―――――― 黒い獣が産み落とされる。
突如として生まれたソレは、おとぎ話に出てくる人狼だった。
機械の彼女のデスマスクの下から現れた長い口にはギラギラと尖った牙が所狭しと並び、長い前脚から突き出た爪は出刃包丁を並べたように凶悪で。靡く鱗状の装甲は優雅な毛並みのよう、三mを超す真っ黒い巨躯は夜空を切り取ったような美しさだった。
薄汚い獣であるはずなのに、まるで人間のほうが畜生のような完全性。赤い眼は一夏たちにピントすら合わせず、総てを睥睨している。
空から見ていた一夏とシャルロットはおろか、攻撃された箒でさえも美しい黒い人狼に魅入ってしまう。言葉が出ない。
心臓の音さえも鎮まれと自制する静謐な世界で、その音はとてもよく聴こえた。
ケタ ケタ ケタ ケタ ケタ ケタ
けた ケタ けた ケタ
ケタ ケタ けた けた ケタ
けた ケタ
ケタ ケタ けた ケタ けた
ケタ ケタ ケタ ケタ ケタ ケタ
けた ケタ けた ケタ
ケタ ケタ けた けた ケタ
けた ケタ
ケタ ケタ けた ケタ けた
ケタ ケタ ケタ ケタ ケタ ケタ
けた ケタ けた ケタ
ケタ ケタ けた けた ケタ
けた ケタ
ケタ ケタ けた ケタ けた
ケタ ケタ ケタ ケタ ケタ ケタ
けた ケタ けた ケタ
ケタ ケタ けた けた ケタ
けた ケタ
ケタ ケタ けた ケタ けた
機械が、嗤っていた。
唖然としている一夏を嘲笑うかのように、心底楽しそうに嗤っていた。
頭がおかしくなりそうだった。これは悪夢だと決めつけてしまったほうがどれほど楽だろうか。
混乱した頭は、その軋んだ笑い声が止んだコトにも気が付かなかった。
機械の人狼が、前傾姿勢を取った。前脚の爪が地面に喰いこむ。捻じれ折れ曲がった後ろ脚が地を蹴る。
―――――― けたっ
最後の軋みだけを置き去りにして、美しい黒い人狼が弾け飛んだ。
獲物と定めた剣士までの距離は三十m。そう、たったの三十m。
箒がその突進に対応できたのは、原始の恐怖心からだった。剣を構える暇はない。とっさにかざした物理シールドごと、左腕が壁に人狼の爪ごと喰いこんだ。
「馬鹿な……ッ!!」
打鉄がパワーで負けたのも驚愕であるが、最新型の原子力空母に使われる特殊装甲に爪が喰いこんでいる。見れば、爪の喰いこんでいるあたりから装甲が溶解していた。
バキリ、そんな不吉な音と共に防御力に定評のある打鉄の物理シールドと腕部装甲に亀裂が奔る。その驚異的な握力は打鉄のパワーアシストを持ってしても振り払えなかった。
人狼が、箒の顔を覗き込んだ。手の内の活きのいい娘に、人狼はガチガチと剣山のような歯列を鳴らした。箒の頭が恐怖と混乱で真っ白になった。
「箒ッ、左腕を抜き取れ!」
「――――――……ッ!!」
一夏の声に引き戻された箒はその声だけに突き動かされて、左マニピュレーターから生身の腕を引き抜いた。手足でパーツが分かれているISだからこその荒業。
自由となった箒は振り返ることなく打鉄を奔らせる。その上から、銃撃音と金属音がする。おそらくシャルロットの援護射撃だろうが箒には振り返って確認する勇気もシャルロットに礼をする余裕もない。
その一方で、シャルロットも彼女で他に気を回す余裕なんて一分もなかった。
「そんな……ッ、ISの射撃補助システムも追いつかないなんて……!」
人狼はアリーナを跳び回っていた。
地面を、壁を、さらにはシールドの張られた天井さえも足場に、己の庭だと云わんばかりにISの空を切り裂いていた。
ISには射撃補助システムと云う機能がある。目標を定め、ラフに狙いを定めれば勝手に目標の中心へと狙いが定まるシステムだ。初心者には便利な機能であるが、代表候補生ぐらいになるとこの機能を頼る人はあまりいない。それは細かな狙いが付け辛いコトと、あくまで初心者が頼る機能なのだと云う自負があるからだ。
シャルロットも普段は汎用性の低い射撃補助システムを切っているが、今回は相手が単体、そしてそんなつまらない意地を張っていられるような相手ではなかった。中てるのが優先と、ISの演算能力の大部分を射撃補助システムにまわしているのだが、人狼には手がとどかなかった。
一夏は前に出た。左腕が使えない箒では人狼の相手はできない。
設定画面を素早く開く。ハイパーセンサーの感度を最大にまで上げた。とたんに世界が停滞し、圧倒的な情報量に一夏の頭は今にもブラックアウトしてしまいそうになる。
一夏は唇の端を噛みきって正気を保った。
「さあ、来い!」
視界の端で、黒い光が奔る。
確かにヤツは速い。剣道で鍛えた箒の反応速度ですら対応ができなかった。一夏もハイパーセンサーの恩恵がなければ反応できなかっただろう。
「―――――― だが、お前は直線でしか奔れない!」
圧倒的な速度だからこその欠陥。奔るラインさえ見えれば、躱せる!
「 フッ!」
人狼が駆け抜ける寸前、一夏は瞬時加速を左右でそれぞれ前後に吹かすコトによって、自分の身体を急激に回転させた。
すれ違いざまの一閃。旋風の如く一撃は、エネルギーシールドの第二次層まで切り裂いたが背筋の装甲に阻まれ火花を散らすのみだった。
人狼が地面に爪痕を引いて停止する。
次の一撃を警戒する一夏に、シャルロットが恐る恐ると云った様子で耳打ちした。
「……アレ、もしかしてPICを使ってないのかな?」
思えば、先ほどから人狼は宙に浮かず、床や天井を足場に戦っている。零落白夜を展開していない雪片の斬撃も第二次層まで切り裂いたとなれば大した出力とは思えない。
「たぶん、アイツはシールドエネルギーを膂力脚力にまわしてる。PICも機体の保護に振り切ってんじゃないのか。あんだけ加速減速してたら繰り返しに弱い金属は一気に疲労しちまう。それにPICはトルクがあってもスピードが出ない。ああ、もしかしたら最初の『足場』はPICで作ってんのかもな。そういやコイツPICを二つ持ってたっけ」
シャルロットは一夏に感心した。この場においても敵の考察までしていたのは大変頼りがいがある。
それと同時に、敵の異常性を再認識する。エネルギーシールドをマシントルクに変えた。もともと手足にもそれだけのエネルギー許容量を誇っていたというコトだ。それはつまり―――――― "アレはまだ全力ではない"。
「だけど、ヤツの動きは直線しかない。ハイパーセンサーの感度を上げてりゃなんとか――――――」
休息は終わりだとばかりに、人狼が再び地面に爪を立てる。
再び黒い影が奔った。迫る時間は瞬きのうちに。
もはや理屈ではなく根性と呼べる直感で一夏は右に機体を跳ばした。すれ違いざまに斬撃を与えられる距離はギリギリで三十m。今度は少し近すぎた。
それでも避けられる。
そう、確信したすぐ後ろで。
―――――― けた ケタ
ひたりと、死神の手が一夏の肩に手を置いた。
「――― なッ!?」
肩に手を置いているのは人狼。
ではどうしてすぐ後ろにいる? たったいま通り過ぎたはずなのに。
そこで一夏は地面に大きな引っ掻き傷が深く刻まれているのに気が付いた。
“コイツ、地面に爪を立てて支点を作りやがった―――ッ!!”
要は船の舵と同じ。地面に爪を立て、制御できない速度を強引に飼い慣らしたのだ。
一夏の耳にはすでに白式が肩部に異常を訴えるアラームの音が聞こえていなかった。彼が振り返った視界いっぱいに人狼の大きな手が迫っていたからだ。
箒の打鉄は離れたところにいる。シャルロットの援護は間に合わない。
“――― やられる……!”
まさに一夏の頭を握り潰さんと掴まれる直前、その腕は横から弾かれた。
「あれっ、仲間のピンチに颯爽と駆けつけるわたしってヒロインじゃなくってまさか主人公っスか?」
場違いな軽い調子はこの場では不謹慎で、だがそれがとても頼もしく。アメリカ代表候補生―――――― エレナ・クロスフォードは愛機を駆って無邪気に戦場へと飛び込んできた。
それはわずか数分前のコト。
暗い管制室で千冬はまいったと天を仰いだ。
一夏たちの偶然を組み合わせた連携により、あっさりと人形を倒してしまったときには拍子抜けしてしまったものだが、やはりあの人形を作った本人はどうしようもなく趣味が悪い。むかし、ウサギのぬいぐるみに合体変形、両腕ミサイル発射機能を追加して妹を泣かせたこともある束だったが相変わらずらしい。ちなみにそれ以来、箒はウサギのぬいぐるみにトラウマを抱えてしまった。少なくとも幼稚園生にそんなもの送るもんじゃない。
千冬が隣の櫻井を見れば苛立たしげにモニターを睨んでいる。一夏が戦うことを選択して窮地に陥った事と別のコトでイラついているように見えた。
「山田教諭。まだ隔壁は上がらないのですか?」
「す、すみません。それが外層部の隔壁はこっちのコンタクトすら受け付けないんです」
真耶は教師であるはずなのに生徒の櫻井に申し訳なさそうに言う。
聞いて櫻井は眉を顰めた。
「外層部は……?」
「あ、はい。内部の隔壁はなんとか解除できてます。いまも避難誘導をしているんですけど、外に出られなくてどうしようも……」
後半から櫻井は聞いていなかった。また思考に耽っている。
それを、エレナは不思議そうな顔で見つめた。
「センナくんは助けにいかないっスか? 護衛なんスよね、イチカくんの」
「センナくん言うな。それにISが出てきた時点で僕の処理できる許容範囲を―――」
顔を顰めてながら櫻井の言っているコトに、エレナはさらに深く首を傾げて訊いた。
「じゃあなんでセンナくんはISを使えるイチカくんの護衛なんスか?」
管制室の空気が固まった。
そう、それは当たり前のようで、誰も今まで気にさえせず指摘しなかったコトだった。
ISを展開すれば戦車だろうが戦闘機だろうが倒せる。一夏がいくら未熟であろうが機体性能が圧倒的すぎるのだ。そこらのテロリスト程度でどうにかなる相手ではない。ISにはISをぶつけなくてはならない。もし一夏の拉致迫害を目的としているならばISが出てくる。
護衛であるのならば、ISを装備した織斑一夏よりも、それを狙う敵よりも強くなければならない。
「つまり、センナくんには、"ISがやってきても撃退できる手段がある"ってコトっスよね?」
「……、」
そうでなければおかしい。そうでなければ護衛として成り立たないはず。
―――ならば、どうしてISを使えない櫻井が護衛なのだろうか。
櫻井の目の色が変わる。それが当たり前の疑問であるため櫻井は何もしないが、エレナは明らかに踏み込み過ぎていた。
冷たい無色の色を帯びた眼を、エレナは朗らかに笑い返した。
「だからわたしを頼って欲しいっス」
「……は?」
この少女の行動を予想できないと諦めていた櫻井であったが、今度もまた予想外の言葉だった。
金髪の少女は、まるでデートスポットでも決めるかのような気軽さで提案をする。
「ISがやってきても撃退できる手段のあるセンナくんがどうしてその方法を使わないかは聞かないっス。手段はあるけど使うことができない。だからセンナくんはいまどうやってこの危機を乗り切ろうか考えてる。それならわたしを頼って欲しいっス」
「……」
「どうやってアレを倒そうか考えてるってコトは、センナくんはイチカくんの護衛なんスよね?」
櫻井は押し隠していた内情をこんなにもあっさりと知られたコトがなんだか悔しくて、不貞腐れたように口をへの字に曲げた。
「エレナ・クロスフォード。お前がわざわざ協力する理由なんてないだろう」
そう言われて、エレナはまるで口達者な悪がきの相手をするように呆れた溜め息をついた。その仕草が櫻井には無性に腹立つ。
「あのっスねー。素直に手伝ってくださいって言えばいいのに、どうして昔っからこうセンナくんはメンドくさいんスかねー」
「昔って言うほど付き合いが長くないだろう。吹けば飛ぶ」
吐き捨てるように言った櫻井。途端、エレナの白い顔に青い筋の亀裂がはしった。
「……ッ!
―――ええい、うっさいんですよこの鈍感男!」
轟いた罵声に、驚いた櫻井は呆気を取られた。まさか怒鳴られるとは思わなかった。というよりもエレナがこれほど怒るとは思わなかった。それに、いったい鈍感とはどういうコトだ?
意味が分からずおろおろと視線を彷徨わせれば、千冬がにやにやしながら見物し、真耶は櫻井と同じくびっくりしながらこちらを見守っている。どちらも助け舟を出すつもりはないらしい。
驚きの重なりで混乱していた櫻井に、さきほどの発言でスイッチが入ったのかエレナは駄々をこねる子供のように金髪と拳を振って怒っている。
「こっちが力貸してやるって言ってんですから頼れっつーの! というかっ、立場で雁字搦めになってるカカシのデクノボウよりは百万倍役に立つってもんですよ!」
「……ッ!! 案山子……ッ、木偶の坊……ッ」
櫻井は雷鳴の衝撃を受けた。ここまでボロクソ言われるとショックだった。あと、エレナは地が出ている。
後ろで千冬が腹を抱えて一人で爆笑している。
「だいたいっ、さっきからエラそうなコト言ってるくせに何もやってないじゃないですか! 普段もお菓子作りぐらいしか役立ってないし! この税金泥棒! 立ってるだけの自宅警備員!」
「そ、そこまで言うのか!?」
「ああ、このまえのプリンケーキは美味しかったな」
「えっ、じゃ、じゃあ今度私にも作ってください櫻井くん!」
助ける気がないなら黙ってろ。
勢いに押されて櫻井の反論は虚勢のように頼りなかった。
「だ、だいたいなんでそこまでする! なんでわざわざお前は僕に関わってくるんだ!」
「うるさい! っていうか女の子にそんなコト聞くなっ! キンタマ付いてんなら女の誘いに有無を言わさずついてくればいいんですよっ!!!」
「り、理不尽な……!」
それからもエレナは罵詈雑言の限りを尽くした。真っ白になった櫻井のライフがグラインダーを当てた如くガリガリと音を立てて赤まで削れたところで止まった。
肩で息をするエレナは、あれ?、と首を傾げた。
「なんのはなしをしてたっスかね?」
「え、えーっと、……今日のデザートは何を作ろうかって話だったはず」
「……櫻井」
あまりのヘタレっぷりに千冬は目頭が熱くなる。
基の話を思い出してエレナが深い深い溜め息を吐いた。思わず内心でごめんなさいと謝ってしまう櫻井。自分はナニやっているんだと自問する始末で情けない。
「センナくんは力を貸すにも力を借りるにしろ理由がなくちゃダメなんスか?」
「それは、……必要だろう。危険であるのだし」
それを聞いて少しだけエレナの顔が和らいだ。
彼女は櫻井に手を伸ばした。まっすぐと、射止めるように。
その手を櫻井はびっくりしてまじまじと眺めてしまう。そして、エレナの真剣な金色の目と目があった。
「じゃあ、トモダチになろうっス」
「……ナニ、それ」
「万年ボッチのセンナくんにはわからないだろうっスけどね。トモダチならたとえ火のなか海のなかお金のなかだろうと駆けつけるもんっスよ。だからトモダチになろうっス」
「――――――」
櫻井は突き出された手のひらをまじまじと、恐るように見つめた。
櫻井は彼なりに、疑問に思う。
どうして、そこまで彼女はするのだろうか。言ったように、櫻井千奈はとてもだが信用に値するような人間ではないのに。
彼は今まで人間の裏なんて見てきている。彼の父親もそうだったから。結局のところ、どんなにいっても、どんなに考えても、思考や論理でしかなくて、計算であって手段であって。
エレナもそんなコトわかっているはずだ。櫻井はそういう人間なのだと。櫻井千奈はそういう人種であり、そういう生き方しかできない人間であると。
櫻井も友達なんてものを信用していない。期待していない。いや、相手が自分にそういったものを求めたらいけないのだ。
そう思っているはずなのに、なぜ自分はこの手を振り払うことができないんだろうか。
自分の言っているコトは理屈で正しいはず、そう確信しているのに返す言葉は力ない。
「……なんで?」
「だってほら、センナくんは優しいから」
彼女は考えるコトもなくシンプルな答えを出した。
……相変わらず、この女は何を言っているのかわからない。
櫻井は深々と溜め息をついた。見返してやると、エレナは嬉しそうに童女のように笑う。
その笑顔に、妙な既知感を感じた。
やっぱり理解はできなかったけれど、それならちょっとは理解してみようと頑張ってみるのもいいのではないだろうか。そう、どうしてか考えてしまった。こんな自信満々なアホな子を見て、自分はきっとトチ狂ったんだなと自己完結。
なんだかそんな無様な自分が笑えてしまって、櫻井は照れ隠しに意地悪気な笑みを浮かべてその手を取った。重ねた彼女の手は思っていたよりもずっと小さくて、頼りなかった。
「よろしく、エレナ」
「よろしくっス、センナくん」
エレナの援護射撃により、辛くも人狼の魔の手から逃れた。
一夏は銃撃の拍子に手放してしまった人狼の手を振りほどいて後ろに大きく飛んだ。
「わるいエレナ!」
「いやそんなコトよりもまえまえ! なんかめっちゃ怒ってるっスよ、機械のクセに」
眼下の人狼は狩りの邪魔をしたニンゲンを赤い無機質の眼で睨んでいるようだった。
しかし、その矛先の少女は知った事かと言わんばかりにルームメイトに気軽に手を振っている。まさに空気ブレイカーだった。
「ホーキ、遅くなってゴメンっス。おわっ、左手は大丈夫なんスか?」
「ああ、私は大丈夫だ。しかし、外の状況はどうなっている?」
焦った様子で箒が訊いた。いよいよ分が悪くなってきた。生徒だけで対応できるような事態ではなくなった。
「外っスか? えーっと、あの無人機がハッキングしたらしくってアリーナの隔壁が降りちゃって非難ができてないっス。同時に外からの応援もないっスね」
「最悪の事態だな……」
観客の避難は終わらず、それどころか敵の足止めも危うい状況だ。
状況を打破できない悔しさに奥歯が鳴った。
「エレナ、何か策とかないのか?」
勝手なことだが頼るものがほかにない。
すると、エレナは自信満々に胸を張った。
「ないっス」
「……まあ、無策の私たちが批判するのも筋違いだが……」
どうしてコイツはこんなに意気揚々としているのだろうか。
エレナはどこか浮かれているようにも見える。なんだか釈然としない箒。
「っと、無駄話なんてさせてくれる余裕はないみたいっスよ」
「ともあれ頭数が増えたのはいいな。気を付けろよエレナ。アイツ、メチャクチャだぞ」
一夏の忠告を聞いて、さらに燃えたとエレナが不敵な笑みを浮かべる。
「さあ、ハッピーエンド目指してガンバるっスよ!」
「え、ちょっ」
その叫びにぎょっとして人狼から目を向ければ、エレナがスラスターを全開にして突撃していた。敵の脅威を知っている一夏たちからしてみれば果敢どころか蛮勇。もはや無謀とも呼ぶべき正面突撃。
人狼が歯列を鳴らして嗤う。先ほど手の内だった獲物をこのニンゲンのせいで取り逃がしたが、自ら手中に飛び込んできた。意志を宿した機械の人狼はどういたぶってやろうか嗜虐に思考を巡らせた。
アメリカ代表候補生エレナ・クロスフォードの専用機―――――― アメリカ第三世代型ストライクラプター。大気を切り裂くような鋭角的な機影と背の非固定式の四基独立した大出力三次元偏向スラスターが特徴的だ。エンジンの基数を多くすればそれだけ多大な推進力を得ることができるが、それだけに意識で操るISの場合はスラスター操作の難易度が上がる。普通ならば最低基数の二基を装備している機体が多い中、ストライクラプターは現在最も多い四基だ。
機動性能にチェーンしたシャルロットのラファールや大型の大出力スラスターを装備した白式を遥かに超える圧倒的な加速力で、人狼との彼我の距離を吹き飛ばした。
対して、人狼も前傾姿勢を取って迎え撃つ。人狼が掛ければその相対速度は音速を遥かに超える。凶悪な前脚の爪が煌めいた。
「エレナッ!」
箒の叫びよりも早く、人狼の猛りは速く。人狼はエレナが機体ごと粉砕されるであろう未来を思い描いて駆けた。
しかし、切り裂いた大気を置き去りにして駆け抜けた人狼の爪はなんの手応えもなく空振りした。
“(――――――ッ)”
状況から考えて在り得ない結果だ。人間の思考速度で追いつく速さではない。ではなぜ躱された? なぜ中らなかった? どうして、いまジブンは逆に銃撃されているのか?
ピットの甲板に着地した人狼はお返しとばかりに撃ちかえされている57mmアサルトカノンの砲撃を両腕で受け止めながら思考する。
そうだ。こんな結果はありえない。あってはならない。自分は、誰よりも速いのだ。
戦いの中で生まれ落ちた機械の意志は王者としての風格だった。機械であり、人でないジブンが負けるはずがないと。
“(キィィィィィィィィィィ――――――ッ!!)”
軋みを迸らせた。聞くにも耐えない王者の咆哮。
それでも、耳をふさぎたくなるほどの絶叫のなかでも、獲物の少女の不敵な笑みは崩れない。
彼女は、不思議な唄を紡ぐ。
「空白容量(スロット)・入力(セット)、手順定義(マクロインストラクション)・装填(リロード)。 ―――――― 接続変換(チェンジ)――― 接続確定(チェンジ)、連結始動(スタート)―――!」
人狼が装甲板に爪を立て蹴る。少女との距離は十五m。たったの十五m。この距離ならば避けきれまい。そう当然の未来を確定した。
―――――― それでも人狼の爪は少女の柔肌を捉えることが叶わなかった。
地面に爪痕を刻む。己の速度を無理やり捻じ曲げさらに地面を蹴りだし瞬きのうちに二度迫る。
エレナは反応しきった。確かに、この少女の眼は人狼の姿を捉えていた。一瞬のうちに展開されたアサルトショットガンの斉射が人狼を追い立てる。
馬鹿な、人狼に人の心があればそう叫んだだろう。ジブンの速さは人の知覚速度を超えている。なぜ反応される、なぜオレの姿を捉えることができる。
「生憎、ソレはなんども"見た"っス。速いだけが取り柄なんてワタシとストライクラプターには通じないっスよ!」
手品師のように手の内に現れたグレネードランチャーが怒号した。弾速だけなら人狼が二倍以上も速い。それなのに撃ちだされた榴弾は人狼の未来位置を突き徹した。
「な、なにが起きているんだ……」
アリーナを見渡せる位置に移動していた箒は目の前の戦いを呆然と見つめていた。もはやハイパーセンサーの恩恵なしには姿も捉えるコトもできない化け物。それをエレナは見て、躱して、さらには反撃までしている。凄まじい手数の攻撃を回避し反撃を繰り出す。演舞のような凄まじい攻防は人の域を超えていた。
そこで気が付いた。
エレナは人狼など見ていない。なぜなら見る必要がないからだ。どうせまともに視認ができない。見て考えてからでは遅すぎる。ならば、"考えなければいい"。
「……そうか、これが、アメリカの第三世代」
アメリカが開発した第三世代機には第三世代兵装が"搭載されていない"。
第三世代機のコンセプトはイメージインターフェイスの使用。これは別に兵装である理由などどこにもないのだ。だからアメリカはISの特徴を極限にまで突き詰めた。
アメリカ第三世代特殊装備―――――― テスタメント。
これは装備と云うよりもシステムだった。
たとえば、前方から銃弾が飛んでくるとしよう。ならばどうするか。選択肢はいろいろある。腕で庇うこともできるし、掴み取ろうと手を伸ばすこともできるし、または身をかがめて避ける選択肢もある。
では、どれが正解だったのか。あとから考えてみれば当然、最後の避けるが正解だろう。腕で庇うのは悪手だし、掴み取ろうなどと持ってのほか。避けるのが最上の選択肢。
人間と云う生き物は判断をする。飛んできたものは何か。飛んできた方向はどこか。それはいったいどういう物なのか。自分はいったいどういう状態なのか。挙げれば切のない条件から削合し、行動を選択する。それでは結果論を述べると無駄な時間が多く存在する。
そこで開発されたのが、テスタメント。あらかじめ"最善の選択肢"をインプットしておくコトによって即座に判断を下す。
機械の圧倒的処理速度と、人間の圧倒的柔軟性を融合させたまさに人機一体のシステム。分かりやすく例えればエクセルマクロだ。あらかじめ仕事を決めていればボタン一つで複雑な仕事をこなす。
人間の柔軟性と機械の処理速度とISの自己進化機能を組み合わせればその可能性は無限大となる。
機械に人としての経験を積ませる、それがアメリカが開発した第三世代機の能力だった。
機械としての反応速度は互角、それに足してエレナは人間だ。意志が芽生え始めたとはいえ機械の人狼に"進化"では負けない。
しかし、だからエレナが有利な状況に立っていると云うわけではなかった。エレナのストライクラプターはアメリカの第二世代機アサルトイーグルを軸に開発されている。それゆえに武装もそれに準じたモノが多い。
つまりは、
「硬……ッ!」
すれ違いざまに繰り出したナイフは人狼の装甲に阻まれる。続けて追い打ちをかけた20mmガトリングライフルも決定打を与えることができない。
―――――― それは火力不足。ストライクラプターの最大火砲である57mmアサルトカノンを防がれたときに悟ったが、あの人狼の外皮は恐ろしく硬い。さらには鋭角的なフォルムをしているため避弾経始がとんでもないことになっている。エレナは最低90mmクラスの形成炸裂弾か離脱式装弾筒付翼安定徹甲弾が欲しくなった。
そしてなにより、エレナの限界が近かった。
テスタメントは操縦者に圧倒的な反射速度と判断力を与えるが、それだけ送受者への負担が大きい。乗用車のエンジンに航空燃料を無理やりぶち込んで動かしているようなものだ。テスタメントの適性試験で一番の適性を叩きだしたエレナでさえも使用時間は五分。
目に火花が散るのを自覚しながらエレナは信頼できるトモダチを信じて粘る。
「うぉおおおおおおお―――ッ!!!」
“(――――――ッ!?)”
人狼の進路に割り込む形で一夏が飛び込んだ。零落白夜を展開した。残り少ないエネルギーを総動員させた乾坤一擲の白銀の刃は人狼の右腕を斬り飛ばした。それだけでは収まらず人狼の身体の大部分を切り裂いた。切り落とされた右腕が遅れて無残に地面に転がる。
「やった!」
「一夏、離れてッ!」
シャルロットの叫びに勝利の手応えに満足していた一夏は現実に返った。
「―――――― え?」
振り返って一夏は頭が真っ白になった。
そこには人狼の姿はなかった。その代わりに、巨大な右腕があった。丸太のような五指を拡げ、掌にぽっかりと空いた地獄の窯の底が光を帯(お)びている。
「コイツッ!」
人狼の姿から戻ったのだ。機械の彼女も残り少ない力を振り絞って一夏を殺すために。
白式のエネルギー残量は少ない。零落白夜ではもう防ぎきれない。
「ぉ、おおおおおおおお―――ッ!!!」
一夏は全力で右に飛んだ。躱すことだけを考え、倒れ込むようしてなんとか射線軸から身体を弾きだそうとする。
そのあとは?
一夏の背筋に怖気が奔った。
その時、一夏は横から何者かに蹴り飛ばされた。
「あ、イチカくんそっちじゃないっス」
「―――――― ……はい?」
まるで道でも間違えたような気軽さで、一夏は何とか躱そうとしていた射線へと蹴り戻されてしまった。
「エレナぁああああああああああ!?」
「ナニやってんのぉおおおおおお!?」
箒とシャルロットが頭を抱えて絶叫した。
一体何が起きたのか訳が分からず、一夏は暴力的な光に包まれた。
櫻井は目的の位置に移動していた。その手にはアメリカ製のかの有名な対物ライフル――――――バレットM82をえっちらこっちらと運んで久々の全力疾走。
「あ、ヤバい。もう足がもつれそう」
さすがに五分近くも右へ左へ上へ下へと走り回っていれば自衛官の櫻井でも足が悲鳴をあげる。敵が機械人形の時点ならばここまで苦労することはなかっただろうが、今は半獣となって好き勝手に走り回っているので櫻井も走り回って目標地点を切り替えなければならないのだ。
櫻井がいま走り回っているのはアリーナ上部にぐるりと設置されたエネルギーシールド発生装置の整備作業スペースだ。安全柵など気の利いたものはなく、足を滑らせれば十m下の観客席へとまっさかさま。さきほどからエレナが気前よく銃をぶっ放してくれるもんだから流れ弾がびゅんびゅん飛んでくる。さすがにグレネードが飛んできたときには心も脚も折れそうになったが奇跡的に無事である。
「冗談抜きに死にそうだ。効かないってわかってんだからサブマシンガンなんてバラ撒くなよ……!」
生身の櫻井は5.56mm弾でもしっかりと死ぬので本当に止めて欲しい。
戦場を見ればエレナも限界が近いと櫻井はわかった。それでも気丈にふるまっているのだからほとほと感心する。
櫻井は作戦の要を見極め、通信機に叫んだ。
「ポイント256;184!」
流れ弾とエネルギーシールドが起こした放電現象に感電死しかけて転がるように櫻井はバレットライフルの三脚を立てる。足を延ばして拡げ、伏射の姿勢を取る。脇をしっかりとひきつけるように固めて銃を固定。
返事はない。そもそも期待はしていない。あとはエレナの腕と運次第だ。
櫻井は思わず笑ってしまう。自分にしてはなんとも他人任せで雑な作戦だ。
でも、
「気楽でいい。さて、大口叩いたんだからちょっとは働けよ、織斑一夏」
グラスファイバーストックを右肩に押し当て左手はストックの上に、銃を安定させてスコープを取り払い上部に取り付けたマイクロサイトを覗き込む。
マイクロサイトの先では、思い描いた通りの状況が広がっていた。人型に戻った無人機は、自慢の最大火砲で一夏を粉砕しようとしていた。一夏は何とかそれを避けようと飛んだらしいがエレナの蹴りによってもとの位置に蹴り戻されたようだ。
「哀れだな織斑一夏」
ここからは見えないが、一夏の間抜けな表情が容易に思い描けた。思わず笑いが込み上げる。
機械人形の右手からは今にも破滅の光が迸ろうとしている。
それが臨界に達する瞬間、櫻井は引き金を絞った。
シアとボルトを介して薬莢の底部を撃針が打撃。雷管がガンパウダーを一気に燃焼させ咥内圧力が弾丸を超音速で撃ちだす。遅れて炸裂音。銃底が櫻井の肩を蹴った。
距離は二百m。12.7mmの巨弾はその距離をコンマ二秒で飛来した。
ISのエネルギーシールドの原理は簡単に言ってしまえば磁石のようなものだ。斥力の壁を創りだすことによって物体を反発させ目標物の運動エネルギーを相殺あるいは弾き返す。何事も力には反動が伴う。では、外部からの弾丸を弾き返したISの内部はどうなるだろうか?
答えは、同じく反作用が生じる。
よって、あまりに膨大なエネルギーを撃ちだす一瞬に、その唯一の放出口をその反作用で塞いでしまえばどうなるか。
答えは、目の前に広がっていた。
膨れ上がった轟音と衝撃波。五十m以上も離れていた箒やシャルロットにも衝撃が叩きつけられた。すぐそばにいた一夏とエレナも絶対防御が作動するほどの凄まじい爆発だった。
光に包まれていたアリーナがゆっくりと正常に戻る。内部で突如として爆ぜた内圧にアリーナのエネルギーシールドが反応して太陽のような発光現象を起こしたのだ。
過言無く死にかけた一夏とエレナは冷や汗をダラダラと流してその中心部を覗き込んでみる。アリーナには見事大きなクレータができていた。その中心部には何も残っていない。
櫻井が放った弾丸により逆流したエネルギーが内部で爆裂、途方もないエネルギーがそのまま自分に返ってきて人形は跡形もなく爆散してしまったのだ。
今年二度目の無人機襲来事件から数時間後の夕暮れ時。
「―――――― とまあ、こういうことが起きましてだね」
櫻井はベッドに寝転がりながら天井を見上げて説明する。
彼はいま、市内の病院の一室にいた。見事無人機を破壊することに成功した櫻井だったが、その爆発の余波に巻き込まれて整備作業スペースから観客席へと転落。肋骨を数本折ると云う怪我を負ったのだった。大したことはないのだが、重要な内臓が多数ある部分でもあるし絶対安静として二日の入院を強いられることになったのだった。
「ふーん、それは災難だったわね」
と、気のない返事をしたのは櫻井が妹だと自称する大和織江だった。
櫻井が入院して三十分もしないうちに顔を出しに来た妹はいったいどれほど暇なのだろうかと少々IS試験部隊の内情を心配したりしたのだが、本人曰く、仕事を放りだしてきたらしい。喜ぶべきか、叱るべきか一秒ほど考えたあげくに喜ぶことにした。なぜならめっちゃうれしいから。自分に素直だった。
今は病院から拝借した果物ナイフで林檎を加工中。ただ持ち方が逆手なのがとっても怖い。
外を見れば真っ赤な夕焼けが街を大きな影絵に仕立てている。陰陽の区切りがしっかりとしている風景は嫌いではなかった。
「やめれば?」
「――― え?」
外に気を取られて聞き逃してしまったと思ったがそんなはずがない。櫻井が織江の話を聞き逃すはずがないのだ。織江の言葉が端的なだけで。
林檎から目を離すことなく、織江がもう一度繰り返した。
「仕事、やめれば?」
「……」
「そもそもどうして、千奈はこの仕事を続けてるの? 別に日本を守りたいとか働きたいとかそんなわけでもないのに。千奈が理由もなくやってるなんて、変」
櫻井は織江に自衛官をやっている理由を話したことがない。話せば、きっと自分は嫌われるだろうと知っているから。
「お金なら心配しなくても私が稼ぐし」
「なおさら辞められないな」
「じゃあなんで?」
気が付けば織江は果物ナイフも置いて櫻井をまっすぐに見ていた。黒曜石のようなまっすぐな光を宿した強い眼が櫻井は好きだった。
「織江は、なんで今の仕事をやろうと思った?」
卑怯だと思ったが言い逃れをしようとした。櫻井も織江に直接理由を聞いたことがなかったのもある。
織江の返答は一瞬だった。
「千奈がいるから。千奈はわたしが見てないと」
「独り立ちできなくて悪いね」
「いいよしなくても。慣れてるし」
織江は林檎の加工を再開する。もう織江は櫻井に問いを重ねなかった。そうやって気を使ってもらえるのがありがたくて、同時に申し訳ない。
櫻井はゆっくりと息を吸って大きく吐いた。思えば、久々にゆっくりしているような気がする。こうやってゆっくりと何も考えずに過ごす時間は嫌いではない。ただ、退廃とした昔を思い出すこともあるので櫻井はそうしようとしなかった。
「千奈、学校はどう?」
「え、なに? 織江も学校に通いたいの?」
「いや」
即答されてしまった。これはこれで由々しき事態である。
残念な思いを胸に、乗り出した身をベッドに放り出せば折った胸が痛い。
「それで、どうなの?」
「そうだね、……」
そこまで考えて、気が付けばぽつりと漏らしていた。
「なんだか友達ができたよ」
織江が驚いた様子で顔を上げる。櫻井はなんだか照れくさくて眼を閉じた。だから織江の視線がやや拗ねたようになったのに気が付かなかった。
眼を閉じたまま櫻井はこの二週間の出来事をこぼした。
「他にも馬鹿がいっぱいで、勉強の面倒は見なきゃいけないし、剣道の朝練に叩き起こされるし、失敗酢豚とかおかしなサンドイッチとかも食わされたり……。あれはヤバいね、本当に死ぬかと思った。薬物の耐性訓練はたくさんやったけどアレは二度やれば間違いなく三回は死ねるよ」
本当に、思い返せば馬鹿な日々だ。だからこそ新鮮だったのかもしれない。
「そう、よかったね」
小言のような話を織江は最後まで聞いてそう言った。
よかった? はたしてよかったのだろうか。と不思議に思うが答えは出ないので放置した。今すぐに出さなくてもいいこともある。
やがて織江が切り分けた林檎のすべての加工を終える。見ればウサギに加工されたそれは目があって毛並みもあってなかなか芸が細かい。
あいかわらず器用だ。としげしげ眺める。
織江もその出来に満足だったのか、
「うん、なんで動き出さないのか不思議!」
「もう死んでるからじゃないのかな」
などと、冗談を言ったら林檎二つから生まれ落ちたウサギ八匹を口に捻じ込まれた。危うく呼吸困難で死にかけた。
「なんで全部食べるの?」
キミが食べさせたんだよ、とは口の中に林檎がなくとも言えなかった。
織江が櫻井の口からこぼれた二匹を捕まえて、しゃくりとかじる。林檎はとても甘かった。
入院したし脇腹は痛いが、なかなか幸せな時間だ、と櫻井はなんだかぼんやりと思考停止してきた。
と、そのとき勢いよくドアが開いた。
ドアからは輝く金髪を振って、満面の笑顔を振りまきながら櫻井の友達一号が元気に身を躍らせる。
「はろはろーセンナくん。いやー入院した病院を見つけるのに時間がかかったっス。あ、でも三時間しか経ってないしワタシがお見舞いいちば……ん」
そこで笑顔が固まり、櫻井は人から表情が抜け落ちた瞬間を初めて見た。見れば同じく織江からも微笑が抜け落ちている。
「……『センナくん』? 」
林檎の加工に使っていた果物ナイフを掴み直して織江が無表情で問う。櫻井が名前嫌いで、家族以外に名前呼びを許したことはいまだかつてないのにいったいダレだこのオンナ。
「ダレソレ」
病室にズカズカと軍靴の音を立てながら入り込んできたエレナが冷たく問う。人間嫌いで明らかに友達ゼロの櫻井と病室で二人っきりで仲良くウサギの林檎を食べてるこのオンナはいったいダレだ。
「…………………、
…………………、
…………………、
…………………、」
ナゼダか知らないが、まずい状況だ。櫻井は戦略的撤退を図る。つまりは、布団を頭からかぶって眼を閉じた。
「千奈、説明しなさい」
「寝たふりでごまかさないでください!」
二人が布団の上から櫻井をバシバシと遠慮なく叩く。
いやだってもう意味が分からない。どうしてそんなに怒ってるのキミたち。今日はもう疲れましたおやすみなさい。
櫻井は喧騒を子守唄に寝るコトにした。眠れるわけがないと思ったけれど、意外とあっさり寝落ちすることができた。
この問題はIS学園に帰ってから考えよう。
……IS学園に帰ってから。そう考えてしまったあたり、櫻井千奈にちょっとした心境の変化があったのだが、もちろん本人が気が付くことはなかった。
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