それは遡ること数時間前のコト。
一夏と別れた(職務放棄)櫻井は妹分の織江といっしょに行動していた。
まるで当たり前のようについてきたこの男に、織江は何も言わない。言う必要性がない。必要であれば向こうから話すだろうと知っているからだ。
せっかく遠くの街まで遠出してあとは帰るだけなのだから、織江は家族にお土産を買って櫻井には荷物持ちをさせる。ただ自分の後ろをついてこられても不審者なので有効活用だ。
「ところで織江は昨日はなにをエレナと話してたの?」
休憩に入った喫茶店のコーヒーを飲みながら櫻井は織江に問うた。お土産を山ほど買ってそれを宅配便で送りつける手続きを終えたところだった。
昨日は嵐が直撃する前にさっさとシェルター(布団)に隠れて寝たわけだが、真夜中に目が覚めると二人がベッドに突っ伏して寝ていた。
寝る前は何やら剣呑な雰囲気だったのが、起きてみれば仲良く寝ていたのだった。どういうわけか意気投合している様子。一体何があったのか気にならないといえば嘘になる。というか、一体何の話をしていたのか怖い。
「べつに。千奈が随分と学園で女の子かこって楽しそうにしてるって」
「してません!」
櫻井は即答した。ナニ話したエレナ・クロスフォード。
織江はチョコレートパフェを崩しながら言う。
「更識と随分と仲がよろしいようで、わたしはびっくりした」
「……、……、」
エレナは随分と余計なコトを話してくれたらしかった。
織江は更識家のコトを嫌っている。あの家が関わるともれなく面倒ごとがついてくるからだ。
しかし、とうの更識楯無の方は織江のコトを気に入っているのでそれはそれで厄介であるのだが。
織江の微妙な表情を見る限りそれは彼女も同じコトを考えていたらしい。向こうも関心がないか嫌うかしてくれればいいのに好かれるとなると織江も困る。
「更識のために頑張ってる。何億も詐欺したんだって?」
「してない。いや、犯罪まがいのコトはしたけどね。でも治外法権だし」
「治外法権ってそういう意味だっけ?」
「べつに同じようなものだって。『IS学園はどの国家にも属さず、あらゆる国家の束縛も受けるコトはない』。だから国同士が決めた取り決めにも従う必要はない。まあ、IS学園にはそもそも法律すらないんだけどね」
「お父さんが頭を抱えてたけど」
「……ああ、さすがに自重するよ。あのあとに怒られたし……」
あの後櫻井は電話口で大和に叱られたのだった。護衛対象を数日ほっぽりだして犯罪まがいのコトやってれば当たり前だ。ちなみに櫻井の名前は財政界のブラックリストに載ってしまったらしい。
「千奈、お茶とおかわり」
「よしきた」
櫻井はちょうど近くにいたウェイターを呼び寄せて追加のパフェとオレンジジュース、コーヒー、ついでにケーキを頼む。
追加注文が来たところで、織江が切り出した。
「ずいぶんと楽しそうね千奈」
「えっ、そりゃ織江がいるからね」
「……IS学園のほう」
フルーツタルトのさくらんぼを咥えながら、櫻井が首を傾げた。
「え、そう? 僕としてはさっさとこの仕事を終えて楽になりたいんだけど。ぶっちゃけちゃうと織斑一夏のお守りなんてメンドくさいし」
要人警護を面倒くさいの一言で片付けてしまう櫻井。上司の雷同がブチ切れるだろう。とはいえ、櫻井一人にすべて押し付けている雷同も同じようなものであるが。
「なんていうか、……新しいおもちゃを見つけた子どもみたいな顔してる」
「否定はしない」
「しないんだ……」
「織斑一夏を殴ったり蹴ったりするのはストレス発散になるし、護衛任務ついてるおかげで嫌な書類仕事は減った。妙な人脈は今後役に立つかもしれないし、なにより、織斑一夏を殴ったり蹴ったりするのはストレス発散になる」
二回も言った。本人が聞けば泣くだろうがそこは諦めてもらいたい。お互いに運の尽きだったわけだ。
「千奈。いまさらで手遅れだけどあんまり友達をイジメないように」
「いや、べつに友達ってわけじゃ―――」
「それはエレナも?」
織江の目に剣呑な光が宿る。……いったいいつの間にそんなに仲良くなったんだ。
櫻井ほどではないが、友達の少ない妹分の変化を喜ぶべきか、それとも今は悲しむべきか。
「ま、まあ……善処しとくよ」
「善処じゃない。守って。大事なコトだから」
「……、……、……、」
「少しでもその指先になにかが掠めたのならそれをちゃんと掴むコト。手から零れたのなら拾い直すコト。誰も怒らないから。それはきっと大事なものだから」
織江の有無を言わさない物言いに、櫻井は思わずこくりと素直に頷いた。
よろしい、そう言って、織江は興味をパフェへと戻した。
櫻井はコーヒーを啜りながら織江の顔を伺うが、彼女の興味はすでに目の前の全長30cmはあろう特大パフェから揺るがない。たとえ今この場で地震や火災が起きようともパフェだけは持って逃げ出すだろう。
いろんな意味で複雑な気分になった。
櫻井は織江の言葉に悩みながらフォークを動かす。しかし、フォークの矛先は空振りし、かちゃかちゃと虚しい音を立てた。……ちなみに、櫻井はフルーツタルトのてっぺんにあったさくらんぼしか食べていない。
「……それにしても織江。これもいまさらで手遅れだけど、甘いものを食べ過ぎじゃない?」
織江は櫻井の頼んだフルーツタルトタルトまで食べている。……正直、織江の摂取カロリーはとんでもないコトになっているはず。
それなのにこの体型を維持。世の女性が恨み妬むコトだろう。
「わたしはいろいろと苦労して悩んでるから大丈夫」
「ナルホド……、ぜんぜん意味がわからないけど、織江の苦労なら僕が全部買うけど」
「そう? すっごく高いけど大丈夫?」
「僕の辞書に不可能の文字はない」
それはあらゆる意味であるが。
胸を張る櫻井を見て、織江が顎に手を当てながら残念そうに、そう、と零した。
「実は櫻井千奈っていうとんでもなく高いシロモノなんだけど……」
「待て待て待て、織江ちょっと待って……!」
「どうかした? 買う? 独り立ちしてみる?」
「う、売らなくていいよ……」
いまにも儚く崩れそうな櫻井が額をテーブルに打ち付ける。
織江は満足そうに頷いた。
しかし、その目にまた冷ややかな光が伴った。
「ねえ、千奈。仕事―――いえ、昔のように戻る気は本当にないの……?」
「ないよ」
櫻井は自嘲するように笑う。しかし、その目はちらとも笑っていない。答えも茶化さなかった。
織江はなぜとは訊き返さなかった。……訊くまでもない。すべて、判りきっているからだ。
櫻井のコトを知った人間ははじめにたいてい「なぜキミはこんなコトをしているのか?」と訊ねる。まるで自分の基準が世界の基準であるコトを疑わないかのように。まるで、櫻井を非難するかのように。
しかし、その質問はあまりにも間抜けだ。
なぜ? そんなコト決まっているではないか。
理由があるからだ。十歳を越えたばかりの子どもが、銃を持ち、人を殺すための訓練をする理由が。それがここは日本だからなど問題ではない。
「織江は僕のコトが好き?」
「うん、好き」
あまりにも真っ直ぐな感情表現の確認。たまたま近くにいた、何も知らない若い女性のウェイターが顔を真っ赤にしてそそくさに立ち去る。
櫻井は真剣な織江の顔を見て少しだけ笑った。
「どうして織江やエレナみたいな人たちは僕に懐いたのかな」
「―――たち? ……他にもいるの?」
櫻井はそれに答えず織江の目を見続ける。
「織江は僕に嘘をつかない。言いたいコトははっきり言うし、言わなくていいコトは勝手に察してくれる」
「うん」
櫻井にはもう先ほどまでの弛緩した空気はない。
触れ合えば凍えるような空気と視線から織江は少しも目をそらさない。
「それに対して僕は平気で織江にさえ嘘をつく。言わなくちゃいけないコトだって言わないし、織江が言ってほしくないコトだって平気で言う」
「うん、知ってる」
「僕は織江にたくさんのお願いをしてきたけど、僕は織江の願いを叶えてやれない」
「……、」
「僕はこれからだって『仕事』をするだろうし、僕の『目的』をやらなくてもいいなんて優しい言葉だって簡単に無視する。僕は『目的』のためなら手段は選ばないし、たとえ織江が止めに入ってもおそらくきいてやれない。僕は僕の『目的』のためなら自衛隊の矜持だってあっさりと破り捨てる。僕は織江のお願いをきかないけど、これからも僕は僕がやりたいコトをやり続ける。たとえ織江が泣いたって僕はそれを見なかったコトにすると思う」
「…………うん」
櫻井の声色に容赦はない。言っているすべてが事実で、櫻井はきっとそうする。
いままでに織江もなんども櫻井を矯正しようと頑張ってきたが実を結んだかは怪しい。行動そのものには変化があっても、その根底となる原理はいまだ誰にも変えるコトが叶わない。織江の知らぬ間に、櫻井がちょっと変わってくれたのも、きっと先ほど言った織江やエレナじゃない誰かのおかげなんだろう。
「それでも僕のコトが好き?」
「うん」
―――だから、織江は櫻井のコトが嫌いではない。まだ、どうにでもなるかもしれないから。あんな櫻井をまだ変えようと想ってくれる誰かがいるから。
迷いのない目と即答に、櫻井は困ったように破顔した。
それでも櫻井は謝らなかった。たとえ櫻井が何度時間を巻き戻そうと櫻井は同じ選択肢を選び取る。それならば謝罪の意味はない。
ただ、心配してくれる妹分へのお礼として櫻井はうっかりパフェのおかわりを頼んでしまっていた。
「ところで千奈」
「織江。口をもごもごさせながらしゃべらない」
顔や雰囲気は落ち着いて大人っぽいのに、食べるその姿だけはどこか子供っぽい織江。
櫻井は見ているだけで気分が悪くなるほどの甘い空気を、三杯目のコーヒーで胃に流し込む。……少しばかり甘やかしすぎている気がするがどうにもならない。
櫻井のたしなめをさらりと無視して、織江はジュースを飲み干した。
「気がついてるの?」
何が?、とは愚問だろうか。
織江が気がついたのはつい数分前のコトなのだが、どうやら尾行られているらしい。それも見る限りどうもここ数分の間ではなく何時間単位のようだ。ナンパやストーカー被害を受けるコトのある織江は人の視線に敏感であったが、ここまで気が付かないとは、相手はそれなりに尾行する知識があるらしい。織江も数時間前に目が合わなければわからなかった。
おそらくは、素人ではないだろう。
「んーまあ、だからここにいるわけだし」
「……巻き込んだ?」
「いや、……――――――」
「正直に言いなさい。怒らないから」
「巻き込みましたごめんなさい」
櫻井も自分の失態に目眩がした。まさか自分が織江を荒事に巻き込むような日が来ようとは……。
それから二人は一旦店を出る。……そのときの伝票の末尾の数字に櫻井は震える手で万札を切った。学問のすゝめを書いた偉人は桜の木に生まれ変わった……。
「織江。容赦なさすぎ……」
「だってわたしもうお金もってない」
悪びれもなく織江が言った。
中身が寂しくなった財布。本来ならばもう少しなかに入っているはずだったんだが、お土産に散財してしまったのだった。
「それでアイツらはなに」
「さー」
「これからソレを語頭と語尾に付けないと話せないように躾けていい?」
「いや、僕も本当に知らないんだって……」
というか、尾行してくる犯人グループと顔見知りだったらそれはそれで大問題。
櫻井が気がついたのは織斑一夏と別れる少し前。病院を出たあたりに見かけた男を駅でも見かけ、さらには喫茶店から出た時も駐輪されていたバイクのミラーに写っていた。
一般人の弾はもちろんのこと、一夏も全く気がついていないどころかそんな可能性すら考えていない様子には頭を痛めた。……一応、櫻井は一夏の教育係としても期待されているらしいので、そろそろ本腰を入れて教育しないといけないのかもしれない。
「まあ、そんなわけで五反田弾と適当に時間潰してみたりしたんだけど―――」
「勘違いじゃなかった、と」
「そうなんです」
櫻井は困った困ったと天を仰いだ。櫻井は人通りの少ない路地を選んで歩く。
本来ならば織村一夏と別れたあとに、その尾行者を適当に締めようと考えていたのだが、まさか―――
「―――こっちにまで来るとは思わなかったんだよ」
「ふーん。それで、どうするつもり?」
「そりゃ―――」
櫻井が言いかけて路地をさらに曲がった時だった。
乾いた、それでいて重い音ともに櫻井が後ろに吹っ飛んだ。
二回三回転がってやっと停止する。
櫻井たちがいままさに曲がろうとした角から男がぬっと現れた。夏だというのにハーフコートを着込んでいる。その手には拳銃が握られていた。
櫻井は動かない。音は二度。対象へ続けて二度撃ち込むダブルタップという技術だ。それだけで男が素人が拳銃を握っただけではないとわかる。
「まさか自分からこういうところに入ってくれるとは思わなかったぜ。ま、助かったから良いけどな」
男は倒れた櫻井を凝視したまま動かない織江へ拳銃を突きつけた。
織江は逃げ出さない。かといってその目に復讐の怒りも恐怖の色も見えない。ただ櫻井をジッと見ている。
「へっ。恋人が撃たれて頭んなかがおっつかねぇか。あーもったいねー。人数さえいればこんなきれーなコ『お持ち帰り』して楽しめたのによ。人も足らねーし、手段もないからなマジもったいねー」
男は本当に惜しいと思った。漆喰のような髪、病的ではなくすらりとした肢体、砂糖細工のような綺麗な顔立ち。何より目だ。意志の強そうな黒曜石の瞳。あの目を挫くのはどんなに楽しいだろうか。もしも仲間が来ていれば、こんな目撃者殺さず連れ帰ってみんなで『お楽しみ』が出来たというのに。ああ、本当に惜しい。
男は一人でべらべらと喋りながら織江の顔へ拳銃をそえた。
「あとから惜しまねーようキレイにふっ飛ばしてやるよ」
「……貴方たち、なに?」
やっと口を開いた少女の意味ある質問に、男はわずかに動揺した。いきなり人が死んで思考が現実に追いつかないコトはよくある話だ。それなのに、なぜこの少女は平然としている?
「……四十五口径拳銃。日本じゃなかなか手に入らない。もともとアメリカ以外ではベレッタが人気だしね」
「てめぇ、女。一体何を言ってやがる……」
「曲がり角際でいきなり撃つといい二度撃ちといい拳銃といい、素人ではないと思うけとプロでもない。ヤクザか暴力団の雇われ……?」
いきなり身内が撃たれ、あまつさえ殺意の根元を向けられているというのに、彼女の声には抑揚がない。
狂ったわけでもない、思考が停止したわけでもない、“正気で平然と話しかけてきている”。
少女は一切男を見ない。まるで彼女の世界にそんなものは存在していないかのように。
その薄気味悪さに男は思わず一歩下がった。
「……何なんだよ女。死んだんだぞソイツ? なんで――――――」
「千奈。あなた、油断しすぎ……。いつまで寝ているの?」
言いようのない恐怖に負けて、男が意味のない恫喝をしようとした。
獲物の少女が声を荒げたわけではない。ただため息をついて今し方撃たれた少年への苦情を述べただけだ。
しかし、男はこのとおり文句を忘れたかのように絶句している。
なぜなら―――少女の後ろで倒れていた少年が何事もなく立ち上がったからだ。
「あ、あのね、織江ちゃん……。お兄ちゃんが撃たれたんだから泣いて縋り付くとかそういうの、ないの……?」
「千奈は身内だけどお兄ちゃんじゃない」
「泣いていい? つーか、アバラ折ってんのに胴にガバメント二発って……」
「いいからキリキリ働いて」
「お兄ちゃん虐待反対」
「だからお兄ちゃんじゃ―――」
「―――何なんだオマエッ!!」
とうとう痺れを切らした男が叫んだ。男は震えながら、それでも櫻井へ銃を向けている。
「馬鹿だな。至近距離の不意打ちなら頭を狙うべきだろ。IS学園の制服は防弾だ。次はライフルかショットガン持ってこい」
「千奈。なにその意味のないアドバイスは。“次”がないようにしなさい」
「―――くそっ!! 聞いてねぇぞそんなの!!」
男は後ろに飛びながら櫻井の頭へ照準した。
男の判断は必然とも言えた。さらに言えばこの場合、織江のほうに銃を向けたほうが意味があったのかもしれないが、この状況で櫻井よりも織江のほうに銃を向けるという判断は難しいのかもしれなかった。
路地裏にまた乾い発砲音がする。
「……、あ?」
何も起きなかった。
確かに男は撃った。櫻井へと二発。この距離ならハズしようもないはずだ。いや問題はそこではない。
“何も起きなかった”。
中ったのならこの少年は死ぬはずだ。ハズれたのなら後ろの壁に弾痕がはしるはず。それなのに何も起きなかった。
不発? ありえない。発砲音はした。
では空砲だった? さらにありえない。たとえ製造ミスでもそれが続けざま? さきほどまで普通に撃ててたのに。
「―――……何なんだよオマエら。なんだよオマエらは!!」
男はさらに撃つ。何度も。途中弾が切れた。弾倉を換える。撃ち切る。
下から鈍い音がした。薬莢ではない。それは“ひしゃげた弾丸”だった。まるで、何かにブチ当たって潰れたような。
「撃ったぞあたったぞ……! 死ぬだろ普通!!」
男がナイフを抜く。少なからず抗争を生き抜いてきたとっさの判断だった。
ほう、と少年は感心したように前進した。
少年は男へ手を伸ばす。その手をナイフがなんの不思議もなく刺し貫いた。
血が垂れる。少年の右手の甲からは銀のナイフが芽吹いている。
「この土壇場での悪くない判断、それに早い。んー惜しいなー。オッサンちょっと就職間違えたんじゃない?」
「なん、でそんな……!」
なんだこの子どもは。なんだこの状況は。どうなっているんだ。
男の頭の中は真っ白に染まっていた。
得体の知れない恐怖に引きつった男へ、櫻井は薄く笑いかけた。
「まだ弾倉あるのに銃が効かないと判ればすぐに捨てて逃げるんじゃなくてナイフで切りかかってくるなんて……。それに、“運もあるようだ”。ただ―――」
櫻井のおかしな物言い。
男は気がついた。刃が貫通したその右手。明らかに、出血が少ない。
「右手は“ハズレ”だったんだ」
ナイフの刺さった右手を捻ると、バキン!、と音を立てて刃が圧し折れた。
呆然としている男の顔面に、血まみれの拳が突き立った。
気絶した男の所有物を漁りながら、
「織江。ああいうときはちゃんと逃げてよ……」
「逃げる必要も理由もない。それよりも、右手、大丈夫……?」
「大丈夫。義手だしね。ただ痛覚切ってなかったからメチャクチャ痛かった」
織江は櫻井の頭をはたいた。
「次、ああいうコトやったら許さないから」
「いや、でも―――」
「許さないから」
有無を言わさぬ死刑宣告に櫻井はこくこくと頷いた。
織江の言わんコトはわかる。ただ櫻井に理解が及んでいるかは微妙なところであるが。
櫻井は二度右手を握ったり開いたりした。刺さり方が良かったのか問題はない。
櫻井の右手は義手だ。昔に『事故』で失った。右眼も義眼だ。ちなみに、右手に凄いギミックがあったり右眼がセンサーだったりそういうのはない至って普通の義手と義眼だ。付けようか
?、と訊ねられたコトは一度あったが断った。男のロマンがくすぐられるが、万が一に暴発したら洒落にならない……。
「千奈。これからどうするの?」
「とりあえず織江は帰って―――」
「……、」
「お願いします」
無言の圧力に負けてお願いした。
「……自分で言い出してなんだけど。千奈が協力させてくれるってコトはわたしは安全ってコト?」
もしも織江に危害が及ぶようなコトなら櫻井はそもそも立案しない。櫻井が織江のコトを頼りにするというコトは任せられる仕事も安全である。
「さっきコイツがいろいろべらべらと喋ってたでしょ?」
「そうね。旬のブリみたいにべらべら喋ってた」
「……、その心は」
「どっちも良い脂がのってるようね」
この状況でも食べ物と絡めますか腹ペコ姫は……。
「……、それはともかくとして。コイツの言葉が正しければコイツラはただの雇われ。組織でいったら下っ端の下っ端、トカゲのしっぽの先っちょ。計画の杜撰さからいって薮を突いてみただけっぽい」
「つまり、織斑にちょっかいかけて誰が釣れるか試してた? ならわたしたちが狙われたのは?」
「『わたしたち』というより僕かな。IS学園の情報も半日で外に漏れてたわけだし、一般人にはともかくとして、裏の情報網に僕のコトが流れててもおかしくない」
「……大丈夫なのソレ」
「僕の職業とかじゃなくて特徴とかそんなの。表向き僕は護衛じゃなくてうん十万が一の確率の『出来損ない』プラス『織村一夏のお友達係』で通ってるから」
「狙われてる時点で全然大丈夫じゃないでしょう……」
織江はため息をはいてこめかみを抑えた。この男はなぜ他人の心配を察せないのだろうか。
「……たしかに、コイツもわたしのコトを標的というより巻き込んだような言い方してた」
「……、」
そこで櫻井はとあるコトを思い出してノビている男のところへ引き返す。
すると、あろうコトか大の字で気絶している男の股間を蹴り潰した。
「……なに、してるの」
「下賤な会話を思い出した。僕の目の前であんなコトを言い出すとは運のないやつ」
織江はもう一度ため息をついたが、何も言わなかった。
ただ一言、
「ありがとう」
「どういたしまして」
どうしようもない『家族』へとお礼を言うコトにした。
『彼女』は少しバツの悪そうに視線を逸らしながら、この場にいない誰かに言い訳をする。
「ホントは見てておくだけでいいって言われたんだけどね。これはしょうがない。うん、しょうがない」
呆気を取られ、空気が停滞する中で、彼女を知っているエレナが目を輝かせて、頼れる彼女との再会を喜んだ。
「オリエーっ!」
「うん、昨日ぶりね。エレナ」
櫻井千奈が妹と自称する『彼女』―――大和織江は落ちていた鉄パイプを拾い上げた。
箒と襲撃者の男たちは目を丸くして突然の乱入者を見る。
織江はゴムで後ろ髪をうなじで一纏めにしながら襲撃者たちを睥睨し、一度頷いた。
「その様子だと出てきて正解?」
「もちろんっス!」
思わぬ援軍にエレナは笑顔になった。
織江がブン投げたスチール缶の一撃で転倒していた男が、憤然とした目を爛々と燃やして睨む。フラつきながらも取り落とした特殊ライフルを持ち直すと織江へと駆け出した。
「あ、バカ! 待てオマエ!」
仲間の制止を無視してひたすら駆ける。濁った目には明確な殺意が宿っている。
「オリエ! 専用機を腕でもいいから部分展開してそこで受け止めるっス! アレは不完全な絶対防御じゃ受け止められないっス!!」
「専用機?」
織江は首を傾げた。やっぱりというかなんというか、櫻井の妹でやはりコイツも同類というか。昨日の会話で織江が代表候補生としてIS学園へと編入してくるコトを知っていたエレナの前提をぶっ壊す一言を平然と言い放った。
「わたし、専用機なんて持ってない」
「って、えええええ―――ッ!!??」
間抜けな会話に男は笑みを浮かべる。この銃は不完全な絶対防御を接射で発生させることによってその反作用で対象者を内部から破壊し殺す兵器だが、相手がただの生身なら木っ端微塵だ。
バカな娘だ。寸での所でコケにした代償は高く付くぞ―――!
この距離なら外しようがない!
男が必中を確信した距離で引き金を引こうとした―――
数瞬早く、織江が一歩を踏み出した。それは男の予測を遥かに超える速度と距離。必中を確信する距離まで詰めていた男を鉄パイプの射程内におさめていた。
緩やかな動作で振るわれる鉄パイプ。それなのにとてつもない速さで特殊ライフルの銃口を擦過した。
僅かに上にブレたライン。剣士はその隙間に滑り込んだ。
引き金が引かれる。しかし、必中になるハズだった弾丸は少女の髪の毛先のみを僅かに焼き切っただけ。
織江の脚が跳ね上がった。下から上へと振るわれる戦斧如き一撃は、男の下顎を砕いた。
数センチ浮き上がった大の男が地面に叩きつけられるよりも早く、速く。その横を織江は風のように走り抜けた。
「こ、コイツ―――ッ!!」
唖然としていた二人目が銃口を向ける。だが、一発しかない特殊ライフル。装填している暇はとてもだがない。
織江が足元の捨てられスプレー缶を蹴り飛ばした。助走とそれを生み出した脚力によってゴミにしか見えないスプレー缶は立派な凶器へと変貌する。
弾丸のように飛ぶスプレー缶が男の額を割った。だが、使用前ならともかく軽いスプレー缶だ。男はなんとか銃口を向けようとするが、遅すぎた。それはもう致命的間合いだった。
床をこするように振り上げられた鉄パイプが銃を持った右手首を折る。サッと切り返された二撃目が男の左肩を砕いた。悲鳴が上がるよりも速く、手首をしなやかに返した追い打ちの二連撃が残った両膝を破壊した。
あまりの早業に男の脳が痛覚を遅れて知覚。砕かれた膝が地面についたところで男が悲鳴を上げたが、織江の前蹴りが顔面に突き立ち、壊れた目覚し時計のように悲鳴が止まった。
男は優に1メートルは宙を浮いて上向けのまま一夏たちの足元に転がる。
「う、うわっ……!」
たったいま殺されかけたので同情はないが、鼻と上前歯を蹴り潰された顔は直視できない。
それに、ちょうど箒のスカートを覗くような形で転がってきたので箒は思わず恐怖よりも嫌悪のほうが勝って一夏に飛びついた。
「そこの二人。大丈夫?」
と、あどけなく首を傾げて訊ねてくる路地裏の剣士。
「えーっと、うん。大丈夫だ」
「一夏、一夏。あの人は誰なのだ……!?」
箒は飛びついた一夏の腕を上下に振って問い詰める。なんだあの織斑千冬再来みたいな少女は。思わず昔近所の安眠を妨害させた暴走族を壊滅させた千冬の勇姿を思い出した箒。
問われて一夏はなんとも答えづらそうに。
「あー、アレはだな。櫻井の妹さんだ……」
「…………、なんだろう。納得した」
「納得しちゃったか」
「わたしは千奈の妹じゃない」
織江がどこかむすっとした顔で鉄パイプを引きずりながらエレナの隣に並んだ。
いやしかし、血のつながりがないらしいがそっくりだ。……容赦がまったくないところとか……。
エレナは喜び半分、呆れ四分の一、恐れ四分の一の配分のなんとも微妙な顔で織江を歓迎した
「わーオリエだオリエだうれしいなー」
「なにそれ。来ないほうが良かった?」
どこか傷ついたような織江。うっ、とエレナの良心を深くエグった。
「いや、なんといいますかっていうか、―――やり過ぎです……。とくに二番目のお方……」
「……、やっぱダメだった?」
「んー、でもまあ。オリエが怪我するよりは良かったっス」
しゅんと落ち込んでいる織江が可愛くてエレナは甘いコトを言ってしまった。
織江はわずかにホッと息をつく。
「ところでオリエはどうしてここに?」
「千奈が顔が確認できないぐらいの距離から織斑を尾行ろって」
「は? なんのためにっスか」
「エレナがいるならきっと路地裏で返り討ちにする案を取るだろうから路地に入るタイミングと場所を教えろって」
「……なんでセンナくんがわたしの予定を知ってるっスかねー。いや、予測できるヒントは結構あるっスけど……。―――で、その当の本人はどこっスかー」
胸の前で腕を組んでむーっとしかめっ面をつくるエレナ。言外に櫻井がいないコトを批判する。
「なんか兵法の基本は各個撃破だって言ってたけど」
「ああ、なるほどっス」
エレナたちが路地裏に入る場所とタイミングを教えろとはそういうコトか。つまり櫻井はここにいる襲撃犯以外の犯人たちをせっせとボコボコにしているらしい。
こうして悠長に話していられるのもそのおかげか。
「じょ、冗談じゃねぇ! 話が違うこんなのやってられっか!?」
そうこう話している内に茫然自失となっていた最後の一人が我に返ったらしい。
いかにもただ雇われただけの下っ端のようなセリフを吐いて、一夏たちへ背を向けて走り出した。
しかし、織江がそれを許さない。無造作な動作で投げた鉄パイプが足首にあたる。男は悲鳴をあげて転倒した。
「エレナ。この人たち知ってる?」
「な、なんスかその質問。こんな怖い友達なんていないっスよ」
「ごめんなさい。千奈がエレナならこのメンツの中ではそういうのに詳しいんじゃないかって」
織江自身も今の質問がかなり失礼だと自覚しているらしい。目を伏せてすぐに謝る。
そして、織江は這う這うで逃げようとする男のもとへ歩み寄った。
「う、うわああああっ!! くるなぁあああ――――――!!」
見ていた一夏たちはいたたまれない気持ちになった。もはや女の子にあげる悲鳴ではない。しかし、無理もない。銃弾かわして鉄パイプで仲間を再起不能にしていった剣豪相手に怯えるなと言うのは酷だろう。というか、鉄パイプをガラガラ引きずって歩く織江がマジ怖いです。
「貴方たち、いろいろとちぐはぐ。けっこう土壇場にも慣れてるようだけど詰めは甘い。それなのに持ってる武器は変わったものばかり」
櫻井を銃撃したガバメントも、日本では密売でもあまり流通していない。そして、この三人の襲撃者が持っていた特殊ライフルは言うに及ばず、である。
「そういうわけで、貴方にはいろいろと訊きたいコトがあるんだけど一つ問題があるの」
「は、……え?」
「わたしが用があるのは口だけ。残りは要らない」
そう言って、織江は反撃と逃走の芽を潰そうと鉄パイプを振り上げた。
が、いつの間に後ろから忍び寄っていた誰かに取り上げられる。
「はい、オリエ。だからヤリ過ぎっス」
このままではこの路地裏で尋問ならぬ拷問が始まってしまう。
鉄パイプを取り上げられて不満そうな織江。その顔がおもちゃを取り上げられた子どものようで、……怖いのでやめて欲しい。
「でもコイツらの背後関係とか聞き出さないと。それにこれからどうやって帰るつもり?」
「うっ……。それはたしかにそのとおりなんっスけどね。これ以上は絵的にヤバいというか、友達としてどうかなーっと」
『友達』という単語に織江がわずかにピクリと反応する。落ち着きがなさそうに、そうね、とつぶやくとそっぽを向いた。
普通にしてれば可愛らしい美人さんなのにどうしてこうも過激なのか。やはりこういうところは櫻井とちょっと似ている。櫻井と織江の家庭環境がとても気になるエレナだった。
そのときだった。
路地裏の角から何者かが飛び出した。弾かれたようにエレナは特殊拳銃を構え、織江はその影へと取り返した鉄パイプをブン投げた。
「織江ッ、今の銃声―――っづおっ!?」
「「「「あ」」」」
投げられた鉄パイプは哀れな被害者の額へズゴーン!とブチあたった。
もんどり打ってひっくり返った『彼』。
「せ、センナくん遅い!」
「づぉおおおお……!! ……本日一番働いた功労者へのなんという仕打ち……! っていうか、いまオマエも僕に拳銃向けてたろ隠すな」
エレナはうへらーと力なく笑って誤魔化した。……バレたか。
額を押さえながらふらふらと立ち上がる櫻井千奈。まわりの邪魔者を粗方片付けて駆けつけてみればこの歓迎。あまりにヒドすぎる。
「……織江、僕に何か言うことは?」
「次からはもっと加減して投げるから」
「謝れ!」
意地でも謝る気はないらしい。櫻井はうなだれた。次からは鏡を使うか、物陰からひょっこり頭だけ出すとしよう。……間抜けすぎる。
「で、そこの二人も大丈夫なのか?」
と、櫻井がエレナと織江の後ろで置いてきぼりにされていた一夏と箒へ訊ねた。一夏は櫻井が飛び出してきたのにもちゃんと反応して箒を守るように前に出ていた。それを茶化すつもりもなくむしろ高評価だ。
「ああ。俺たちは大丈夫だ。櫻井はどうだ?」
「誰に言っている。僕を本気で殺したいならチワワでも持ってこい」
まったく意味がわからない。もしかして櫻井はチワワが好きなのか? ……どうしよう。チワワを愛でてる櫻井を想像すると笑えてくる。
と、一夏は袖口をちょいちょい引っ張られているコトに気がついた。
振り向くと顔を赤くした箒がいる。箒は落ち着き無く目をそらしながらながら消え入るような音量で言う。
「い、一夏。そのそろそろ離してくれ」
「―――あ、悪いな」
てっきり新手だと思っていた櫻井が飛び出していたとき、一夏はとっさに箒をかばっていた。そのとき掴んでいたのが手だったらしい。
「う、うむ。わかれば良いのだ、わかれば」
あいかわらず熟れたリンゴのような顔色のまま、箒は離れた手を胸に抱く。
櫻井が微妙な表情で一夏と箒を見比べた。
一夏と櫻井の目が合う。その目が「なんで誕生日プレゼントを買う相手といっしょにいる」と語っている。
一夏はふいと目をそらした。元はといえば櫻井が悪いとは言い切れない。櫻井があそこで別れたのは尾行に気がついたからであるのだし。
「え、センナくんってチワワ好きっスか? あはははっ、似合わないっス!」
「よく考えろエレナ。お前、チワワが牙向いて襲いかかってきたら返り討ちにできるのか?」
「……、……、……、」
どうやら脳内でチワワに敗退したらしい。
などと、呑気な会話をしているとさらなる来訪者が路地裏に現れる。
誰だ、と身構えたエレナたちだったが、見知った顔に目を丸くした。面識のない織江は現れた有名人の顔を見て訝しげに首を傾げ、櫻井は手をあげる。
「ああ、来ましたか。織斑教諭と山田教諭、……とフランシィ教諭?」
「キミね、どうして私だけもののついでみたいに呼ぶのかしら」
「いえ、何も問題はないんですが、僕が連絡したのは織斑教諭一人だったので一人プラスぐらいは予想してましたが、まさかフランシィ教諭まで来るとは……。戦力過剰すぎません? っていうか、フランシィ教諭久しぶりすぎません?」
「昨日も会ったはずなんだけど。キミ、私のコトなんかバカにしてない? 具体的には出番がないみたいな」
真耶は元日本代表候補生であるし、エドは二度あった世界大会で総合3位に入っている。そして、巷ではいまだ世界最強と名高い織斑千冬。櫻井が犯人側なら全面降伏する最悪のメンツだ。ここに一人二人櫻井の『知り合い』が加われば世界最強チームが出来上がる。
櫻井が千冬たちを呼びつけたのは迎えのためだ。
櫻井以外は本職ではないので安全確保のために呼びつけたのだが、まさかここまで凶悪な布陣でやってくるとは。
暇ですね、と視線を送ると、エドはぷんすか怒りながら腕組みをする。
「だってしょうがないじゃない。千冬は運転がど下手だし、真耶は免許持ってないし……」
「私は運転が下手なのではない。交通マナーが身につかないだけだ」
それを下手っていうんです織斑先生。
「わ、私は仮免持ってますよ!」
なんでISを操縦できるんですか山田先生。
しらっとした生徒の視線に真耶が涙目で弁解をしようとする。
「本試験まではいけてるんですよ! ただ、試験になると緊張して手が震えて……」
「落としてしまったと」
「はい、川に」
「車ごと!?」
山田真耶、恐ろしい女である。助教の先生にトラウマを刻み込んだ。
「それにしてもお前ら派手にやったな」
千冬があたりを見渡して呆れたように言った。
死屍累々の阿鼻叫喚。寸での所で命の助かった男は隅でガタガタと震えている。
生徒諸君はなんとも微妙な表情。
ソレを見て、てっきり櫻井がぜんぶやったのかと思っていた千冬は「まさか」と見慣れぬ少女を見直した。
「このコはいったい誰だ?」
「キミ、IS学園の生徒じゃないわよね?」
「わたしは千奈の『家族』です」
「―――ッ! さ、櫻井の身内!?」
今度は教師三人が微妙な顔をする番だった。
目を丸くして惨状を見渡し、櫻井とその家族を自称する少女を見比べ―――
「―――……なるほど」
……納得してしまわれた。
とはいえ、千冬たちは目の前の少女がコレをやったとは信じがたい。櫻井の身内ならあり得ると自分に言い聞かせていた。……そうでもしないと、人間不信になりそうだった。
「……って、ん? よく見たらキミ……?」
「ああ、お前が大和織江か」
「はいそうです」
驚いたのは櫻井だ。
「え、なんで織斑教諭たちが知ってるんです?」
「雷同二佐という人物から連絡があって急遽編入させるコトが決まった」
「えっ? 僕のところにはまだ連絡が来てない」
「なんでも櫻井の力量不足による補填らしい」
「だったらISとケンカして見せろよあのオッサン……!!」
櫻井の怒りはもっともであるため駆ける言葉がなかった。
「まあ、とにかく三人のコトは任せます」
「櫻井、お前は来ないのか?」
エドが用意した車へ向かおうとした一夏は、櫻井と織江が完全にお見送り体制であるコトに気がつく。
「僕はいろいろと後片付けしてから帰るから。織江も自衛隊のほうに預けておく」
「ん、そうか。櫻井、今日はありがとな。織江も助かった」
「今度こそさようなら織斑。エレナも気をつけて」
アメリカ人のエレナとお別れのハグをしていた織江がしらっとした目で一夏を見ていた。おおかた、あまりトラブルは持ち込むなと言いたいのか。散々トラブルメーカーと言われてきた身として保証できないのが哀しいところ。
櫻井と織江と別れた一夏たちはふつうに歩いて駐車場へと向かう。櫻井が絶対安全と太鼓判を押したのでそれを信用してのコトだ。実際に、駐車場までは何事もなくたどり着いた。
千冬たちが乗ってきた車は変哲もないバンだった。どうも誰かの私物ではなくIS学園の備品らしい。
あとは、IS学園に帰るだけだ。
「ふーん、そりゃ災難だったわねあんたたち」
と、本日の波乱万丈の体験談を、食堂のテーブルで聞かされた鈴はフライドチキンをむしゃりと食べながらどうでもいいような感想を述べた。
コイツあいかわらず人の苦労に対して他人事だな、と一夏は呆れたが、向かい側に座っているラウラは、「嫁よ、そういうときはこうしてだな」などと軍事専門家の視点から一夏たちの行動を批評していたのでそこまで落ち込まなかった。
セシリアやシャルロットの二人は本気で心配してくれているのでなおさら嬉しかった。
「それにしても箒って今日が誕生日だったんだ。どうして言ってくれなかったのかな」
「ぐっ、ご相伴をあずかってますのに手ぶらとは心苦しいですわ……」
「え、えっと。すまない、次からは気をつける。それにセシリア、気にしないでくれ」
シャルロットは箒が黙っていたコトがちょっとショックだったようで、セシリアは申し訳なさそうにしゅんとしている。
今まで経験のない反応に、箒は居心地悪そうに身をよじった。エレナに助けを求めようと視線を送れば、「ほらね」とでも言いたげににこにこしている。
現在、夕食時であるが、食堂の隅では箒へのささやかな誕生日パーティーが慎まやかにおこなわれていた。
「にしても、この料理どうしたの? 学食じゃないよね?」
「そうなのだ、渡されたんだがよくわからない……」
集まったいつものメンツでできるだけ豪華そうな料理を選んでそれをシェアして食べようと決まったのだが、笑顔の食堂のおばちゃんが「あずかりモノ」と言って数個の箱を渡したのだ。
箱を開ければフライドチキンやオードブル、ケーキなどが出てきたのだった。
「もしかして誰かの誕生日にはこういうサービスが学園からあるのかな?」
「一年だけで百五十人超えるぞシャルロット」
口々に出処を言い合う仲間たち。
箒が目線を彷徨わせる。真剣な仲間たちを眺めて一夏が笑っている。しかし、これは一夏の仕業ではない気がする。エレナが「ツンデレさんだからなー」と微笑んでぼやいている。
と、いうことは―――
箒は微笑う。なぜあの男がそこまでしてくれたのか知らないが、盛り上がっているので素直に感謝しよう。
叶わぬ話であるが、もしもその犯人がこの場にいて、問いつめられれば、「昨日エレナが明日は篠ノ之箒の誕生日だとプレッシャーをかけてきたんだ」なんて言い訳しただろう。限りなく真実であるが。
食堂の使用時間が終わりに迫り、そろそろお腹もいっぱいになりだした頃。
おもむろに、一夏がポケットから上等そうな立方体の何かを取り出して、箒に差し出した。
「なんだコレは?」
「箒、誕生日プレゼントだ」
ちなみに断じてどこぞの馬鹿野郎が薦めた勝負下着ではない。
用意してないセシリアたちは茶化すこと無く少し気まずそうに目をそらした。
呆気を取られていた箒。その唇が僅かに震える。
「…………た、誕生日、プレゼント……。私にか? ………開けてもいいか?」
「ああ、開けてくれ」
エレナからは服を貰った。では、一夏からは何が貰えたのか箒はルンルン気分で箱を手にとった。まさか再会した幼馴染からプレゼントを貰えるとは。誕生日とはいままでそれほど良い体験などなかったのに心が踊る。
大きさからしてオルゴールだろうか。以前に腕時計がなくて困っていると世間話をしていたからそれだろうか。それともネックレスかなにかだろうか。
期待で想像を膨らませた箒が笑顔で箱を開け――――――機能停止した。
箱の中身は指輪だった。
指輪だった。
紛うこと無き、正真正銘の指輪だった。
ネタみたいなシロモノではなく、大真面目な清楚な指輪だった。
空気が凍る。
微笑ましい笑顔のまま停止していたエレナのほおをつうっと冷や汗が滑り落ちた。セシリアの手から食後のケーキを食べていたフォークが机の上に落ちてからんからんと音を立てる。鈴があんぐりと口を開けて固まっている。シャルロットの表情に影が差す。ラウラは副隊長から吹き込まれた知識を思い出し遅れて意味を悟る。
「え、ぇえええええ―――――――ッ!!!」
その叫び、もとい悲鳴は誰のものだったのか。シャルロットではないということだけは明記しておこう。
「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆ―――――っ!!!」
「え、セシリアお湯が欲しいのか? 食堂のおばちゃんに頼めば――――おぶあっ!?」
張り手で殴られる。
「あ、あああんたばっかじゃないの! いや知ってたけどさ!?」
「はあ!? 人が真面目に選んだのになんだよソレ! 店員からも太鼓判貰ったぞ!」
鈴の悲鳴に一夏が頓珍漢な返答をする。
「嫁! 私にソレをくれ!」
「えええ―――!? なに言い出すんだよラウラ!?」
まさかのプレゼント強奪宣言に一夏は驚愕する。
「……、……、……、」
「……、」
シャルロットからなんのコメントをいただけないのがとても怖い。
ようやく機能が再起動した箒。だが顔はオーバーヒートの限界を突破し、箱を持つ手は振動機能搭載なみに震えている。
「わ、わわわ私でいいのかっ! 一夏!?」
「え、ああ。これは箒だからあげたんだよ」
あまりに純朴な笑顔で言われ、箒も腹をくくった。
一夏の後ろで暗雲が立ちこめているが、余裕で無視できた。今なら素手で専用機を持った代表候補生と戦える気がする。
「で、では、はめるとしよう」
箒がそう言って、箱を持ち直すと、なぜか一夏が不思議そうに首をかしげた。
「はめる? いや、置くだけで良いと思うぞ?」
「そうか、置くだけなのか―――は、置くだけ?」
「ああ、店員さんがそう言ってたし」
「………………………………どういうことだ?」
「え? だからこうして」
と言って、一夏は箒の手から箱を返してもらうと、箱と指輪を支えていた台座を取り外す。そして指輪が固定されたままの台座を箒の前に置いた。
「こうするらしいんだ?」
と、やり遂げた笑顔を向ける新世代UMA―――ICHIKA。
――――――指輪は指輪でも、飾るタイプの指輪だった。
箒たちの目を盗んでプレゼント探しをしていた一夏だったが、やはり難航。と、それを察した親切な若い女店員さんが助け舟を出して来たので、「数年ぶりに再会した幼馴染の女の子へ誕生日プレゼントを渡そうと思っているんですが、何を渡したら喜ぶのかわからない」と言ったところ、先ほどの営業スマイルから打って変わって俄然やる気を出した店員さんが倉庫の奥から引っ張り出して来たのだ。
その際に、「彼女が絶対に喜ぶから」と太鼓判を押してくれた上に、真摯にアドバイスまでしてくれたのに感激し即決。特別二割引でも諭吉二枚がお亡くなりになったが満足して箒にプレゼントしたのだった。
「喜ぶか? 喜んでくれたかっ?」と感想が待ち遠しい一夏。今は箒が俯いているので長い前髪に隠れて表情がわからない。
箒の肩がわずかに震える。
「―――ふ、ふふ……」
笑っている……、がベクトルが違う気がする。例えるならば、初期微動のような―――。
「ほ、箒……?」
「―――――――し、」
「し?」
「しねェ!!」
「ぶへらっ!?」
繰り出される右ストレート。いや、弧を描いていたので右フックかもしてない。
怒りと恥ずかしさで充電された拳は一夏を吹っ飛ばした。
末期の痙攣を起こす一夏をおろおろと介抱する仲間たち。
箒は肩を怒らせて食堂を後にした。
「馬鹿か! アイツは馬鹿なのか!? いったいどういう神経したらあんな贈り物をしようと考える!?」
怒りに身を任せて箒はめちゃくちゃに暗い学園を突っ切っていく。寮に戻る気はない。どうせ一夏が謝りに来るに決まってるし、エレナは一夏を通すだろう。
もう、どこをどう歩いたのかわからない。道も暗いので自分がどこにいるのか検討もつかなかった。
なんとなく目についた薮へと突撃。IS学園には森のような木立があるが、深くはない。
箒は落ちている枝や葉を蹴散らしてずんずん歩く。
「女の誕生日に渡すプレゼントが指輪!? アイツは馬鹿か! いや馬鹿だった!! アイツのプレゼントなんて―――ッ」
嬉しくないぞ!、と言いかけて、立ち止まる。ふつふつと沸き起こる怒りを吐き出すように地面を睨む。すでに土ではなくレンガ道だった。
気がつけばIS学園の沿岸部まで来ていた。どうやら随分と歩いてきたらしい。
箒は遊歩道に設けられたベンチに腰を落とした。ベンチは夏日の夜にはひんやりとしていて、箒の激情をいくらか削いだ。腰ほどのフェンスに区切られた景色を見る。遠くには、街の営みの光が見えた。
どれぐらいそうしていたか。後ろからがさがさと音がした。振り返らなくとも誰だかわかった。
「よくわかったなエレナ」
「乙女の勘っス」
友人はぺろりと舌を可愛らしく出して笑った。
エレナは自然と箒の隣に座る。楽しそうに足をぱたぱたと振っている姿は童女のよう。
「いち―――、あの馬鹿は?」
「微笑ましいコトにホーキのコト探し回ってるっスよ。乙女の勘がないからここまでこれそうにないっスけど」
あははは、とエレナは笑う。
それを聞いて、箒はそうかと言うとベンチに頭をあずけた。
一分か十分か一時間か。
そんな時間が経ったあと、箒がぽつりと零す。
「―――嬉しかったよ」
箒は遠くの光を眩しそうに眺めながら。
「指輪だったから、とかそういうのじゃなくて、何年も前に別れた幼馴染から誕生日プレゼントを当たり前のように貰えたのがとても嬉しかった。私と一夏はいっしょに過ごした時間よりも離れていた時間のほうが遥かに長かったのに、また記憶のままの締りのない笑顔で、箒、誕生日プレゼントだ、なんて言って渡してくれるのが、嬉しかった」
こんなコトをされたのは幼少期が最後。それ以来、箒は重要人物保護プログラムによってずっと一人だった。家族からは人伝で手紙が来るぐらい。
「言い出せなかったのか試していたからなのかもしれない。アイツはちゃんと私の誕生日を覚えてくれていたのかを。
―――……、いや、怖かったからだ。忘れてたらどうしようって。期待だけしてる私が惨めに見えたらどうしようって」
誰にも言わず、自分でも忘れてしまうぐらい気にもしないで、隠れるようにそれで数日経ってから「ああ、誕生日だったな」と思い出したらきっと傷つかない。そう思った。
何年もそうして目を逸らしてきた。
それでも期待して。最後の五分間は決まってホテルのドアの前で誰かが来てくれるのを待っていた。
「―――ああ、だから嬉しかったよ。ありがとう。アイツには直接言ってやらんがな。泣いてしまったら死ぬほど恥ずかしい」
誕生日パーティーは子どもだった自分が憧れたようなものではなかった。
漫画のようにきらびやかな飾りはない。場を盛り上げる小道具もない。豪華絢爛な料理もない。迎えてくれる人に家族が一人もいない。
日曜日の繁華街の雑踏に紛れそうな。命を狙われた体験のまえに記憶も霞んでしまいそうな。この世界の誰かにとっては取るに足らないどうでもいい程度のものだったのかもしれない。
それでも、忙しい日々で一番輝いて見えた。
後ろから誰かが草木をかき分ける音がする。時間切れだ。惜しむことはない。
私は、ホテルのドアの前でヒトリ立ち尽くしていたあの頃の自分にさよならを告げた。
「いろいろあったが、今日はとても楽しかった。
―――だから、ありがとう」
箒は、十六歳になったコトに感謝を込めて、気持ちを夜風に溶かした。もしかしたら、アイツにも届くかもしれない。