第一話 プロローグ サクライセンナとは
“キミは勘違いしている。キミはボクに異常な出来事が起きたと思っている。でも違う、本当は嘘に正常なことが起きただけなんだよ”
大和八幡は仕事の合間のコーヒーを飲んでいると、古い友人の言葉を突然に思い出した。
この言葉が何を表しているのか、大和が出した答えは数あれど真意はわからないかった。その友人はたまに言葉遊びのような難解なことを言う困ったやつで、大和が毎回数秒間頭を悩ますのを楽しんでいた。
目を閉じれば、言われた時のことを容易に思い出す。しとしと降る霧雨にずぶ濡れになったアイツの顔をきっと忘れることはないだろう。
それにしても、どうして突拍子もなく思い出したのだろうか。
窓の外を見れば、雨が降っていた。
「そうか、明日はアイツが死んだ日だったか」
墓参り、行こうかな。
感慨もなく冷めきったコーヒーを飲み干した。飲み干したコーヒーカップの底が濃く黒ずんでいる。
「俺もすっかりオッサンだ、走るのもずいぶん遅くなってしまった。お前の所に追いつくのは当分先だな」
真っ黒に曇ったガラスを眺めていると頬が緩んだ。
ここは百里飛行場。茨城県小美玉市にある航空自衛隊の管轄する飛行場である。特徴として共用化された軍民共用飛行場であることだが、滑走路は二七〇〇mが二本配備されている。国際線は韓国と中国が運用している。かの有名なブルーインパルスのアクロバット飛行も毎年行われている。
そんな百里飛行場で大和は航空自衛隊二等空佐である。よく同僚や知人からは目つきが悪いと言われ、いまは定年退職してしまった教官からは「お前はたぶんヤクザのほうが天職だったかもな」と言われてしまうほどの暴れん坊であった。我ながらよく佐官まで昇進できたものだと思っている。そんな大和であるが、年を取るにつれて険が取れてきたらしい。無意味に警戒や不審を与えて苦労してきた大和としてはうれしい限りだが、加齢による窶れだとは思いたくない。最近それを娘に話してみると「父さんの場合はタルんでるんじゃない? 具体的にいうと腹部とか」などと言われた。想像以上にこれは堪えた。あまり信じたくはない。
窓が振動する。飛行機が飛んだのだ。当然だ、ここは飛行場なのだから。
ただ今飛んだ飛行機は旅客機よりも甲高い音で、短く高速で飛んで行った。戦闘機だ。スクランブルで飛んで行ったのだろう。ここまで来たとなるとロシアの爆撃機がまた飛んできたのか。
遠ざかるエンジン音に目を閉じて歯を食い縛る。
スクランブル発進する自衛隊パイロットは哀れだ。日本は島国で海岸線がとても長い。ゆえに警戒空域がとても広大で不認可航空機に対する頻繁なスクランブル発進が行われる。スクランブル発進は基本二機編隊で行われる。領空侵犯機を見つけると警告、めったに起こることではないが場合によっては警告射撃も行われる。しかし、自衛隊法には侵犯機に対して「着陸させる」か「領空外へ退去させる」の二つしかない。「攻撃」に関する記述がない。それがたとえ軍用機であってもだ。だから、スクランブル発進するパイロットが侵犯機から攻撃され正当防衛権を行使し反撃するにしても、それは相棒が攻撃すなわち撃墜されてからなのだ。
それでも隊員たちは本気で任務を遂行する。それが自衛隊の大義だからだ。
大和が三杯目のコーヒーを淹れようと立ち上がった時、部屋のドアが乱暴に叩かれる。
「おう、邪魔するぜ」
返事も待たずに入室してきたのは大柄の男だ。男は我が部屋とばかりにずかずかと入り込んでくると応接用のソファにどっかりと座りこんだ。右手にぶら下げているのはただの炭酸ジュースであるが酒瓶のほうがよほどしっくりくる困った男だ。
大和は口をへの字に曲げて苦言を漏らした。
「キミね、チンピラじゃなくて一応それでも自衛官なんだからもう少し自覚を持ったらどうだ? 今の入り方なんてまさにヤクザだ」
「うっせーよ、テメェもその気持ち悪いしゃべり方をさっさと改めろ。善人ぶってんなよ『福笑い』」
『福笑い』とは現在の大和の渾名である。彼の老成とした穏やかな雰囲気からきた渾名であるが昔をよく知る古株にはその渾名はよくからかわれていた。
「結婚してからキモいぞ、オマエ」
「雷同、キモいってあのな……」
さすがの物言いにムッと来た大和であるが、なんとか堪えて無粋な来客の対面のソファに座る。
こうして少しばかり二人から離れて見ると対照的である。
雷同は昔の大和以上に、むしろそのまま年を重ねているので完全にその筋の人にしか見えない風貌だった。筋肉隆々、ナイフに光を反射させたような眼光は鋭く、初対面の人間はまずその鋭すぎる視線に心臓が縮み上がる。雷同と初対面で動じない新人は出世すると噂を聞いた新人隊員がその強面に挑むが、ほとんどが顔が引きつる。声は低く地面を這うどころか掘り返すような重機の重低音で、話していると脅迫されているようだと恐れられている。結婚してから丸くなった大和とは対し、さらに磨きがかかったとも言われている、いや鍛えられたと言うべきか。理由は誰にも分からない。大和は恐妻に晒されている反動だと予想している。
二人は同じ世代で防衛大学を同じ年に卒業したいわゆる同期だ。それぞれ空自と陸自と別れたがお互いに責任重大なポストに就いていた。雷同もエリートとして今では中央即応集団の現場指揮官だ。
当然のことながら階級は同じでも空自陸自と大きく立場の違う二人が揃うことなど早々にない。
大和は自分で淹れたコーヒーを、雷同は自分で買ってきた炭酸ジュースを呷った。
「そういや、たった今さっき」
「重複してる。頭痛が痛いよりも酷い」
「滑走路見てきたぜ、ひでぇもんだな」
「酷い? ……ああ、そうだね」
言葉の足らない雷同の文句であったが、大和は何を指しているのかわかった。
雷同の指した滑走路。一〇年昔は先ほどスクランブルに出撃した戦闘機のほかに六機以上の機体が常駐していたが今は半分ほどにまで大きく数を減らしていた。大和も昔と比べて随分と寂しくなったと感じている。
理由は単純だった。予算不足だ。しかし、自衛隊の防衛費が大きく削減されたからではなかった。世界は現在大きな平和の期間を経て、世界的な経済不況、紛争の肥大化などだんだんと不安定に転がろうとしている。時勢と現実の読めない平和主義者やそれを助長するマスコミなどから与党はなんとか必要最低限の経費は守り通している。しかし混沌に転がると同時に時代は大きく変わり始めていた。
新型のパワードスーツ、インフィニット・ストラトス――――――略して『IS』と名づけられた技術進化の世代をすっ飛ばした代物が登場した。
ISは最初から注目されていたわけではない。もともとは宇宙開発用のパワードスーツと銘打ってあったし、何より開発者という人物が無名どころか中学も卒業していない少女だったからだ。ISはその奇抜すぎる発想から一度は大きく取り上げられたものの、現存の技術を蹴とばしたかのようなその論文は机上の空論として、十代の少女が描いたファンタジーとしてマスコミの興味がなくなると同時に姿を消した。そうして音もなく消え去った少女の夢物語であったが、意外な形で世に出ることとなった。
突如、アメリカ、ロシア、中国を中心とした軍事大国において大規模な軍事コンピュータークラッキングが起きた。普通、軍事システムは通常のインターネットからは切り離されている。だから外部からの侵入など事実上は不可能だ。初めに報告を聞いた執務官も眉唾だと報告を軽んじた。が、事実弾道ミサイルが日本へ向けて打ち出されたという事実に泡を吹いて慌てふためいた。
――― なぜ?
そんな驚きは戦慄へと変化する。
クラッキング先は国防の自動報復システム。第二次世界大戦後の米ソ旧冷戦、近年の急激に軍拡化した中国を交えた米露中の新冷戦となったこれらの国はいつ核ミサイルを撃たれるのかは国防の悩みの種であった。軍事技術では一歩抜き出ているアメリカであるが、核という技術レベルを無視できる戦力兵器は恐怖だった。先手を打たれれば間違いなく敗北する。戦争において非人道的など言ってはいられない。そしてそれはほかの国でも同じであった。ゆえに、各国は自国にとあるシステムを組み込んでいた。それが自動報復システム。アメリカでは『Last Winner(最後の勝利者)』と呼ばれたそのシステムは、アメリカ本土に特殊な震度計を埋め込み弾道核ミサイルによる飽和攻撃だと感知すれば即座に全土の報復用の弾道ミサイルが自動的に起動するように設定されていた。クラッカーはそこに侵入していたのだった。
報復先は可能性のある国に設定されていたがそれらすべて改竄され日本が標的となっていた。打ち出された二〇〇〇発ものミサイルのには不幸中の幸いに核ミサイルはなかったが、不幸という言葉では表せない絶望的だった。日本はもともと北朝鮮の弾道ミサイル実験に悩まされ、米軍のアジア戦略において重要な前線基地と化していた。十分にその標的にされる危険性のあった日本はミサイル迎撃システムをいち早く導入していたが、二〇〇〇発もの弾道ミサイルをとてもだが迎撃できるものではなかった。迎撃ミサイルよりも落ちてくる弾道ミサイルのほうがよほど数が多い。
具体的な対策も非難もままならないまま、第一弾の中国からの弾道ミサイルが着弾予定時間となった。
結論から言うと弾道ミサイルは日本に着弾することはなかった。それは弾道ミサイルの軌道が逸れたわけでも不発だったわけでもない。ことごとく迎撃されたのだ。そしてこれも自衛隊の高射特科があまりに優秀だったと云うわけでもなかった。
迎撃したのは、ISだった。誰もが目を疑った。飛来するミサイルをその既存の兵器とは一線を超す運動性と攻撃性で次々と薙ぎ払うISは圧倒的だった。世界が日本に注目する中、その光景は各国首脳部の頭をハンマーで殴りつけたかのような衝撃を与えた。
弾道ミサイルの誤作動どころの話ではなくなった。文字通り、それ以上の事態が起きたのだから当然だ。弾道ミサイルを迎撃し終えたISはすぐさまいずこかへ去って行ったが、混乱は極めた。そのどさくさに紛れて米露中の海上艦隊が日本に展開。海上自衛隊と一触即発の危機となった。技術大国日本に対し、新兵器の情報の即時開示が外交ルートで要求された。他国に弾道ミサイルを放った挙句厚かましい要求だと日本は憤慨したが、この三国と戦争をしても勝ち目はない。そもそも、日本政府も状況に混乱していた。武力に脅される形で日本領海への侵入を許した。上陸こそ許されなかったものの、海軍国家である日本の楯は事実上の素通り、強襲揚陸艦が虎視眈々と日本の広すぎる海岸線を狙っていた。
そこへ、ISがまた現れた。驚きこそあれど展開した艦隊は喜々して少女の姿をしたISに襲い掛かった。命令は可能なら捕縛、不可能なら破壊であったが、前線兵士は殺す気であった。捕縛にしろ方法がない。導入された戦闘機の数は二一二機、戦闘艦の数は一五二隻。そのすべてが、沈められた。たった一機のISによって。
これが後に言う『白騎士事件』のあらまし。この事件を境に、たしかに世界は変革をもたらされた。
『白騎士事件』はさまざまなところで世界の支配構造を変えた。
民間レベルで言えばISはなぜか女性しか扱えないと云う妙な欠陥があるゆえに女性が明らかに優遇される社会へと進化した。
軍事レベルで言えば分配されたISのコアは表向きこそ軍事利用の禁止を条約で決められたが満足に守られているとは言い難い。ISは『競技』として形を収めたが、本質が兵器であるため開発は各国の軍部が行っている。その余波をまともに受けたのが既存の兵器だった。最新兵器相手に無双をやってのけたISに対して武器の優劣は明確にかけ離れ、『IS最強神話』が生まれたためすべてがISの開発に優先された。相対的にそれまでの主力だった戦車、戦闘艦、戦闘機は地位を大きく落とし、その割り振られる予算も大きく削減されていた。
陸上自衛隊の戦車や装甲車の数も大きく減らされている。かつて勇壮を誇った演習風景も味気ないものと変わっていた。雷同が苦々しく吐き捨てる。
「ふん、たしかに世界はISに敗北したが、そりゃ一〇年前の、それも『白騎士』での話だ。はっきり言って俺はISに勝てると思うぜ」
負けず嫌いな雷同に大和は苦笑したが反論はしなかった。不貞腐れた雷同の言葉は嘘ではない。ISは最強の兵器。しかしISは絶対数が明らかに足りていたなかった。開発者の少女が雲隠れの際に置き土産と称して残したISのコアの数は四六七基。それが技術的にIS開発の可能な国連加盟国に分配されている。
そして、ISの致命的な弱点といえるのが現在技術的な問題からISの性能を活かしきれていないことに致命的な問題があった。『白騎士』はその圧倒的なスペックで既存兵器を圧倒したのもの、それは『白騎士』であってISだからというわけではない。ISのエンジン、武装は主に航空機をベースに開発されたがこれが難航した。戦闘機がバッテリーと航空燃料が動力源であるのに対しISはバッテリーだ。ゆえに推進剤に依存しないエンジンの開発を行わなければならなかったし、それらも到底『白騎士』のスペックに届くものではなかった。それどころか汎用性との引き換えに空力的に不向きな形状をしているISは戦闘機と比べ大きく速度が劣っている。正直開発の最前線の人間はISを戦闘機の延長線上の戦力程度としてしか評価していなかった。
だから、『IS最強神話』を啓蒙する首脳部は女尊男卑の世の中を助長させ隠れ蓑としていた。とばっちりを喰っているこちらとしてはいい迷惑だと不平も広まっている。
「まあ、戦う女性というのはいつでも人気があるからね」
「アイドルじゃねぇんだぞ」
「キミだってそうじゃないか、機甲特科のアイドルと結婚しちゃってさ」
雷同は戦車乗りだった女性隊員と結婚していた。厳かな美人だった彼女は『巴御前』と噂され憧れの的であったが、その的を射とめたのがよりにもよってこのヤクザのような男だったため大きな騒ぎになったのを大和はよく覚えている。
「一緒にするんじゃねぇよ。テメェだって戦闘機乗りとくっついたじゃねぇか」
「うーん、似た者同士だねぇ」
そんな呑気な会話をしていると、部屋のドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼します」
高くもないが低くもない受け取り方で判断の異なる声色で、簡素な鉄製のドアを押し開けて入ってきたのは年端もいかない少年だった。彼の名前は櫻井千奈(さくらいせんな)。少年に見えて実際に年齢はまだ一八歳だ。女性のような名前であるが立派な男性である。雷同と同じくナイフで削りだしたような鋭い目をしているが、自然の風雨が岩から造り上げたような雷同に対してこちらは職人が造り上げた装飾品のように品がよく顔に収まっていた。
「おう、よく来たな!」
「なぜ雷同二佐がここに? またサボりですか?」
「またサボってねぇよ!」
「職場でAV収集してるのはサボりだと思います。コレクションするにしても物があるでしょう」
「コレクトしてねぇよ、ちゃんと使ってんだよ! 実用品だろ!」
「キミ、いったい何を言っているんだ?」
大和が胡乱な目を眇めて雷同を見る。上にバレたら停職ものである。どうやら彼の部隊は鉄の結束があるようだ。
「いやな結束ですね、男同士ですか」
「まったくだ」
「ぶっ殺すぞバカ親子」
キレた雷同がジュースのペットボトルを投げるが櫻井にあっさりと受け止められた。ぐるぐると唸る雷同を大和が諌める。櫻井がペットボトルを大和と雷同がそれぞれ座った向かい合った応接ソファの間のテーブルに置くとそこから一歩離れた位置に立った。
「新しい辞令が下ると聞きましたが?」
大和と雷同の二人は櫻井の直接の上司だ。櫻井は陸空共同のISの試験部隊に籍を置いている。
「櫻井、今世界中がてんてこ舞いってことはわかってんだろ」
「むしろ忙しくない年なんてありましたか?」
「今年は尚更だ」
雷同の返答に櫻井は意味が分からないと首をかしげてみせた。あん?、と怪訝そうに唸る雷同に代わり大和が質した。
「櫻井特尉、正月明けは何をしていたか? 私はちょっと忙しすぎて記憶がないんだが」
「雷同二佐からの辞令で中東派遣でしたが」
おおそうだったと雷同が手のひらを打ち、無駄な質問をさせるなと大和がそれを横目で睨む。
「だとしたら一月末の事件は知らないか」
「織斑一夏ですか?」
先手を取った櫻井のしれっとした答えに大和と雷同はややコケた。複雑な表情で雷同は櫻井を睨んだ。
「おちょくってんのか、お前」
「まさか。自分の中東派遣期間、二人して仕事に忙殺されたということはIS関連。この二つから導き出した推理とも呼べない簡単な推論です」
そういえばそうか。あれだけ大きく騒がれ、四月も大きく騒がれたのだから知らないほうがおかしい。
織斑一夏。女性しか扱えないというISを動かしたことで一躍有名人となった少年。この少年の登場によって世界がまた大きく問題に直面した、というわけではなかった。
ISはたしかに女性しか扱えないという重大な欠陥を抱えていたものの、女性が扱えるのでそこまで大きな問題というわけでもなかったのだ。男性だろうと女性だろうと優秀な人間は優秀だ。むしろ三次元的な空間認識能力が高いといわれる女性のほうがISを扱うのには適任だった。
織斑一夏の存在を問題視したのは現場の人間ではなく、政府やメディアの存在だった。これまでISの思わぬ性能不足を『戦う精悍な女性』ということで崇めていたのにも拘らずここで男子操縦者が出てきてもらってはその偶像が崩れてしまうのだ。
「それじゃあ、話は早い」
大和の言葉に櫻井は背筋を正した。
「IS学園に入学してきなさい」
「は?」
櫻井は命令の意味がわからず複唱し損ねてしまった。意味がわからないが、ただ自分が面倒なことに巻き込まれたということだけは正確に予感していた。
「IS学園に入学しなさい」
「……、はあ」
あまりに予想外の命令に櫻井は思わず気のない間抜けな返事をしてしまう。しまったと口を慌てて紡ぐが大和も雷同も気にした様子もなく、むしろ苦笑している。
「はっはっは、さしものお前でも驚いたか」
「うん、キミは硬すぎる嫌いがあるから良い物を見れた気分だね」
二人はなにやら喜ばしいものを見たとでも言いそうな笑いを浮かべる。櫻井は黙って待っているしかない。二人が満足そうなのでなにか言って水を差すのも気が引けた。
出来るならば今の命令は空耳であって欲しいとも思った。
「随分と意外そうな顔をする」
「なにしろ自分には縁もゆかりのない場所ですので」
「“縁もゆかり”もあるはずだよ、キミには」
「……」
そう言われてしまえば無理に反論をすることもない。しかし、『学園』と櫻井が縁もゆかりもないのは確かである。なんせ櫻井は学校にまともに通ったのが小学校の低学年までだったし、その後はワケあって二年留年したあとは保健室登校だった。物の見事に世間一般の爪弾きである。まともな友人がいた記憶がない。それどころか養い親である大和の娘、櫻井にとって二つ年下の妹分に手を引いてもらっていた。
IS学園に入学しなさい、ということはIS学園に通えと云うことなのだろう。それ以外に解釈のしようがない。暫く、数字にして三秒ほど櫻井は普通に学校に通う自分の姿を夢想してみる。が、どうしたものか、ランドセルと黄色い帽子を被ったビジョンが出てしまった。ただのコスプレだった。内心ツバを吐く。どうやら櫻井の学校生活は小学校の低学年のあの日から時間停止しているらしかった。
「なんだ、もっと嬉しそうに喜べよ。学校に通えんだぞ」
雷同がまるで明治の農村の親爺のようなことを言う。不精髭でむさ苦しいので丁度だった。そも、学校に通えて喜べなど二一世紀で文明社会の日本では喜びを見出す要素が全く見当たらない。むしろ小学校の低学年から不登校もしくは保健室登校だった櫻井としては学校生活に対して何の思い入れもなかった。
「先ほどの話と学校に通え。この二つがどうして繋がるのでしょうか?」
櫻井は今更学校になど用はない。とは言え、命令となれば行かねばなるまい。しかし、なぜ自分が学校に、それもIS学園に通えなどと命令されなければならないか、それが櫻井にはわからなかった。直前の会話からどうも『織斑一夏』が関係しているらしいが、まさか男子唯一のIS学園生徒であるため可哀想だから面倒を見に行けとは言うまい。
「もちろん理由はある。彼の護衛をして貰う」
「彼……とは織斑一夏のことでしょうか? ……聞くところによりますと、IS学園は世界で一番安全な場所なのでは?」
先程から質問ばかりであると櫻井自身感じていたが、言渡された任務が任務だけに致し方のないことだった。
IS学園は日本にあるが、どこの国家にも属さない治外法権だ。そして、世界最強のISを専門とした教育機関であり、通常兵装こそ配備されてはいないが訓練機としてISが三〇機配備されている。これはアメリカの二四機を大きく上回り数の上では全面戦争にも耐えることができる。そんな場所にいれば確かにISを起動しあまつさえ操縦まで果たした織斑一夏の存在はそれまでのIS世界の基板をひっくり返すものであるが、女性しか扱えないことに重大な問題が発生しないと云う現場の本音を櫻井は知っている。櫻井としてはそんな『世界の警察』以上に物騒なところへ喧嘩を売る、もとい戦争を仕掛けるような大馬鹿野郎がいるのかどうか疑問なところである。
「その安全なところで事件が二度起きた」
雷同の端的な言い方には、僅かに櫻井の表情を顰めさせるだけの威力を持っていた。
「一度目は五月の上旬だ。IS学園では五月の上旬にIS競技の理解と親善を兼ねたクラス代表によるトーナメント戦が行われる。まあ、大抵代表候補生のデモンストレーションになっちまうらしいが、別に問題じゃねぇしこの際はどうでもいい。今年も例年通りクラス代表トーナメント戦が行われたんだが、ここで外部から襲撃があった」
「IS学園には弾道ミサイルによる爆撃が起きても問題ない防御機構があるはずです」
大型の発電設備の設置が前提となるが、IS学園にはISに搭載されているエネルギーシールドと同じ防御機構が備わっている。耐久テストでは陸上自衛隊の火砲を装備する特科と戦車を装備する機甲科が合同演習の的にしても無傷であったと云う。とまあ、エネルギーシールドは非物理体であるのでキズなど付くはずもないのだが。
「それがトーナメント戦の最中に突破されたんだ。アリーナには流れ弾防止用に内に向けてシールドが張られてたがァ、外周区もいつも通り。トーナメント戦を見物に来る来賓の関係でキチンと外向きにシールドが張られていた。内向きの方だって一応外部からの戦車砲の一撃に耐える強度だ。それが二つとも突破されたんだ。学園上層部は上へと下へと大騒ぎだ」
それはそうだ。IS学園のエネルギーシールドには日本が開発した一式斥力防護障壁が使用されている。これはアメリカとロシア、日本の三カ国が性能競争した結果、防御性能自体はアメリカが抜き出たものの、あまりに途方もない維持費と莫大な電力消費に見送られ、二つの兼ね合いをとれた次点である日本製が選ばれたと云う経緯があった。
国家間の政治的なしこりはともかくとして、その性能は各国にも知れ渡っていた。
「なるほど、そんな強力な光学兵器を備えた無人機が現れたとなれば大問題ですね」
櫻井はまるで他人事のように嘯いた。そうして今度は首を傾げる。大和と雷同が複雑な面持ちで押し黙っていたからだ。
「一体何ですか」
「いや、あのだね……」
「……、」
二人の表情は険しかった。大和は言葉を濁し、雷同に至っては睥睨している。
櫻井の発言は見当外れでも何でもなく正解だった。だからこそ、二人の疑念は当然であった。雷同はIS学園のエネルギーシールドが突破されたとは言ったが、それ以上の情報は与えていない。加え、IS学園無人機襲来事件は、究極の兵器であるISが多数運営されてる。そのような施設が襲撃を受けたとあってはISの沽券に関わる。IS最強神話と云う基盤の上に秩序と自己利益の世界を保ちたい上層にとっては世間に知られては困る事例だ。さらには、この襲撃犯は単機、それもどの国家も開発し得ない完成度の高い無人機であったのだ。それ故に、このIS学園無人機襲来事件には厳重な情報規制が敷かれていた。特殊な立場であるが下士官である櫻井が知っていることではない。
そんな疑惑を持ちかける二人に、櫻井は表情こそ崩さなかったものの心外も甚だしい。なんとか溜め息は我慢する。
「少し考えれば想像できます。強力な光学兵器と予想したのは一式斥力防護障壁を突破されたからです。一式は実弾なら155mm砲を並べた斉射も耐え切ります。突破されるとすれば一点収束による貫通。そうなれば出力次第で威力をどうとでもできる粒子砲かレーザのどちらかの光学兵器。無人機と判断したのはわざわざそんなトーナメント戦に乱入してくるとなれば“誰が見てもあり得ない”ほどの技術兵器且つ万一失敗しても痛手を被らない。人間だとどうしても情報流失の恐れは拭えませんからね。それにどこの国家も開発できていないほどの無人機となれば必死に隠蔽するでしょう」
なんとでもない事のように言うこの男に今から一人でそれについて調査して来いと命令するわけだがちゃんと危機感を持っているのだろうか。調査して来い、というのはどういうわけかIS学園はこの無人機について詳細なデータを開示しない。いや、正確にはデータは送られてくるが実物検証は拒まれたのだ。IS学園はどの国家にも属さない治外法権である、それを尊重するために自治が行われているもはや小さな国家とも云える存在となっていた。なので、各国の実物検証を拒む権限があるのだが、それが各国の思惑がなくなるとはならない。
「それで二回目の襲撃とは? IS学園も間抜けではないでしょう?」
「ああ、二度目は襲撃っつーか……」
「櫻井特尉はVTS(ヴァルキリートレースシステム)と云うシロモノを知っているか?」
問われた櫻井は少し考えてから答えた。
「モンド・グロッソにおける上位成績者、取り分けヴァルキリーやブリュンヒルデなどのモーションデータを元にOSを組み立て操縦者に動きをインストールする、と云う机上の空論ですよね」
一時は各国が血ナマコになって研究していたものを櫻井は容赦なく切って捨てた。
この手の研究はIS以外にも色々とされてきたが、脳が余りにも複雑過ぎた事に加えて人間の何気ない動作が多くの判断と手順を組み合わせたルーチンワークであるためまともな成功例はまだない。さらには人道的な側面からVTSの研究及び搭載はISの運用規律を定めたアラスカ条約で禁止されている。
「あんまり詳しく知らされてねぇがどうもドイツの代表候補生の機体に仕込まれてたらしい」
「仕込まれてた、らしい?」
「お前が言った通りこう云う研究はとてもだがどいつも実用段階に至ってねぇ。VTSも同じだ。だが、その機体に仕込まれてたらしいシロモンはかなりの完成度だった。ドイツの軍部も大慌てさ。なんせロールアウトしたばかりの新鋭機が試合でコケちまった直後に暴走。薄気味悪ぃモンが新鋭機に仕込まれてた挙句、禁止されているVTSを搭載していたと今頃IS委員会の強制捜査だろうよ」
雷同は卑屈に笑ったが、大和は本当に気の毒そうだ。
VTSは表人道的な理由で禁止されているが、実際には違う。VTSは非常に高度な技術を必要とするが完成すればそれ以上に強力なモノとなる。高度な技術が必要と云う事は簡単には完成しない、完成すればそれ以上に強力なモノとなると云う事は軍事バランスを容易に覆す。研究の方向性を少し間違えればそれだけ答えへのロスが広がる。つまり、他の国に先に完成されては困るという事なのだ。
とりあえず、IS学園にいる織斑一夏が二度も危険な目に遭っている事を理解した櫻井は最後に質問した。
「IS学園は如何なる国にも属さず、また介入されない、という規約がありますが自衛官である自分が護衛として派遣されるのは問題なのでは?」
「うん、だからキミはIS学園に派遣するのではなく、“IS学園に入学して貰う”」
「……、」
「護衛についてはIS学園の学園長からの依頼でな。可能なら同年代で男の護衛を指名したいってな」
僕はホストか。櫻井は複雑な気分になった。
苦い表情の櫻井を、個人的にも付き合いの長く父代わりとも呼べる二人は笑い飛ばした。
櫻井特尉ではなく、櫻井千奈としてもう一度、最後に質問した。
「それらは建前で、―――本心は?」
「きちんと学校に通わせたい」
「今更学校に通うお前を見てぇ」
こう云うのを職権の乱用だと言うんだ。他に適任がいるだろうに、と櫻井はやはり自分が面倒に巻き込まれたと確信した。
大和の士官室を出た櫻井は溜め息を吐いた。
「なんだか妙な事になった」
「一体何が?」
隣のベンチに腰掛けた黒髪の少女が問う。
彼女の名前は大和織江。苗字で分かる通り先程の大和八幡ニ佐の娘であり、櫻井にとっては大和家に引き取られた九年以来の妹分である。名前と同じく動作一つ一つがスッと動きピタっと止まって矢鱈と格好いい。可愛さを総て放り捨てて美人にパラメータを振ったような容姿なものだからそろそろ櫻井も申し訳なくて近付き難い。織江に彼氏が一度もできない理由が、いつも側にいて世話をしてもらっていた自分のせいだとしたらどうしようと常々思っている。
大和の士官室から出た櫻井は、頭の整理をしようと休憩室を目指し、その途中で織江と出会したのだった。適当に挨拶をして櫻井は休憩室へと直進したのだが、どういうわけか彼女も休憩室へとついてきたのだ。
櫻井にはついてくる理由が分からず首を傾げたが、丁度良かった。織江とも話したい気分だった。
「なんだかな、IS学園に通う事になってしまった」
「ふーん」
ちょっと何かしらのコメントを期待していたのだが、織江は手にしたココアを注がれたカップの表面を見ていた。この自販機のカップには今日の運勢が印刷されている。
「あのね、織江ちゃん」
「何を言いたいのかわかるけど。……まあ、そういう運勢だったんじゃない?」
織江の視線は櫻井の手にしたカップに注がれていた。熱いコーヒーに満たされた紙カップには『今日は良くない知らせがあるでしょう~!』と吹き出しとともに愛らしいデフォルメのキャラクターが描かれていた。因みに、織江のカップにも同じ事が描かれていた。
「困ったな。神様の存在はあまり信じてないんだが」
「それにしても、どうしてIS学園にあなたが?」
「織斑一夏の護衛任務」
もちろん、あの二人が最後に語った巫山戯た理由は添削した。あんな理由でIS学園になど行きたくない。
「オリムライチカ? 誰ソレ」
「なんで知らないの。結構有名人だよ。世界で初めてISを動かしたイケメン君」
櫻井は 先程士官室で承った封筒から織斑一夏についての資料の中の写真を一枚抜き取って見せた。
「確かに女受けしそうな顔ね」
そう言いながらも織江の興味は休憩室に備え付けられたテレビCMに移っていた。
整った容姿に加え、ISを操縦できるという特異。実の姉には世界王者を持ち、挙句実質女子校で綺麗どころが揃っていると云われるIS学園に通う事になったなど、世間の恵まれない男児には相当羨ましがられ、また恨まれている。
そんな織斑一夏よりも、織江は『超満腹! 限界突破! ボリュームMAXステーキ!!』と謳ったグルメ番組に目を輝かせていた。
「……、思うんだが織江の好みのタイプってナニ?」
「ねぇ、アレ食べたい」
「聞けよ! ―――えっ、食べたいってあの塊を!? 4.5kgとかその身体の何処に入るのっ?」
ブロック状にブツ切りにされた肉の塊にドロドロのソースをぶっ掛けられ湯気を上げる。その様はまさにキラウエア火山。
圧倒的な迫力に櫻井が戦慄する隣で「奢れ」と織江が無言の圧力を掛けていた。
「あまり考えたことはないけれど、捻くれてるけど変に真面目で真面目なようで抜けてて敏感なのに妙に鈍感な頓珍漢」
「ロクな奴じゃないね、と云うかいるのそんなの?」
「さあ? ああ、でも一人なら身近にいる。例えばすぐ隣とか」
そう言って口の端を持ち上げて微笑む織江は美人過ぎて直視し辛い。本当に二つ年下なのか。
「なにその素敵な告白。うっかり惚れそうになる」
「惚れるだけならお好きにどうぞ」
そんなやり取りをしてまたあっさりとテレビを見ながら屯う。こんな適当なやり取りができるのも兄妹同然に育ったからだろう。
「それにしてもIS学園で護衛任務? 長そう」
「じゃあ、キミも来てくれよ。肌が合わない」
「嫌、何のためにわたしがここにいると思っているの?」
織江は櫻井と同じくISの試験部隊に所属している、つまり櫻井の同僚とも云える。自衛隊のIS研究試験部隊への志望理由はなんと『学校に通いたくない』。元々ISが適性が高かった事もあり代表候補生候補となっている。代表候補生となると否応無しにIS学園に通う事になってしまうので最終審査を仮病ですっぽかし父親のコネを使ってIS試験部隊に入るなどヤリタイ放題。
「わたしがキャピキャピの女子高生とカフェで恋愛トークしている姿が想像できる?」
「できない」
櫻井は即答した。しかし、だからこそ問題なんだろう。お兄ちゃんとして名乗り上げてるだけあって心配だった。そんな櫻井の心配事を他所に我が家のお姫様は「…IS学園」などと仇の名を呼ぶが如く微かに眉間に力が籠もっている。
「……、何怒っているんだ?」
「あなたの女癖の悪さを心配しているの」
なんとも見当違いな、と櫻井は目眩がした。
「心配ご無用だ。そもそも女癖が悪いって僕はまだ彼女もいた事ないんだけど」
「ドーテーだしね」
「黙れヴァージン」
「気にすることないのに」
「気にはしてないが世間的には不評なんだよ、何故か」
「もし行き遅れたらちゃんとわたしが貰ってあげるから心配しないで」
だから格好良すぎて困る。ドキドキする。
「そういえば、IS学園にはいつから?」
「週末挟んで月曜から。それまで休暇を貰った」
「そう。まるで特攻前夜の休日見たいね」
「おい! 仮にも何度か襲撃されてる要人の護衛任務!」
「死地に行くのは間違ってないでしょ?」
それからも一時じゃれ合って割りと楽しんで、お互いに別れた。
「それじゃ、また。ちゃんと家に帰ること。梓によろしく」
「ああ。織江もちゃんと家に帰ること」
なんともない親しい者への別れの言葉。
櫻井は織江の反対方向へと進んだ。
三日後には新たな護衛任務。少なくとも安穏とした日常ではなくなるのだろう。織江は時々櫻井の事を迷子だと言う。自覚できないが織江がそういうのならそうなのかもしれないと納得した。櫻井千奈の人生には色々あり過ぎて導(しるべ)がないけれど、せめて前に進んでいたらと願った。