尺の関係上、ちょっと短いです。
一夏はぐったりと頭をシートに沈めた。高級感あふれる大型バスのシートはそこらの安物なんかよりよっぽど心地がいい。
一夏は昔から暑い日が苦手だ。
暑さは何をしても日射病や熱中症を引き起こすし、薄着の汗は気分が悪くなる。とくにバイト前の移動中は汗をかかないように大変だった、と勤労男児である彼は息をつく。名前に『夏』とついてれば夏が無条件で好きになるというわけではない。
もう少し太陽は手加減というものをしてくれないだろうか。
と、窓から空を見上げれば、暖かというより痛いと表現できてしまうほどギラギラとした光線を放って絶賛活動中のよう。これだけ殺人的な光線を放っているというのに、絵本では笑顔で描かれている不思議発見。
子どもには純粋な輝きを向けるが、大人の陰の差した表情の一躍を担っている。もしやこれが大人の階段を登るというコトか……。世知辛い世の中に絶望する一夏。
とまあ、このように。彼らしからぬネガティブ思考はそれだけ一夏がこの炎暑にまいってしまっているからだ。
天気予報によると明日は快晴。この炎天下の中で野外活動をするのはいかがなものか。
バスの中では女子生徒たちの喜色のあふれた空気が充満している。
海に行けるのが楽しみらしい。本当は臨海学校とは遊びではなく課外授業なのだが、女の子にはそんなもの関係ない。彼女たちのメインイベントはみんなとのお泊りと初日の自由時間である。
一夏は、修学旅行と同じだな……、とどういうわけか感心していた。
そういう自由時間があるわけだから楽しみにしていたり、目的がすり替わっているのも仕方がない。
祖に帰る。人類の祖先は海から生まれたわけだから、生き物として海に行くのが楽しみなのは本能なのかもしれない。
今週の木曜からいよいよIS学園一年生が楽しみにしていた臨海学校が始まった。これから二泊三日で一年生は野外活動に人里から離れた地方に行くのだ。
IS学園から臨海学校が行われる花月荘まではバスでの移動となっている。大型バス四台にそれぞれ四クラスと教職員を分乗させている。
送迎バスはやたらと豪華な仕様だった。
一般的な縦四列の座席だったが、横幅はゆったり広く、新幹線のように座席を半回転させるコトができた。また、外は爛々と太陽が照りつける真夏日だが、バスのなかはコンピューターで管理されたエアコンが付いているのでかなり快適である。
問題は、はたしてここから出る時に外の気温に耐えられるかである。
窓を触れば、断熱であるのにもかかわらず熱い。ひりひりと痛い。
「……出たくないな」
「急になに言ってるんだ一夏」
一夏の向かいの席に座っている箒が言った。その声には呆れが多分に混じって、一夏を非難している。大方、暑さにまいっている一夏が情けないと言いたいのだろう。
「いやいや、炎天下でも汗一つかかない箒がおかしい」
「私は軟弱なお前と違って鍛えてるからな。……と、言いたいが私だって夏はいろいろと苦労するんだ……」
最後あたりを、ごにょごにょと濁した箒。
その具体的な言及はとどめたが、箒はひそかに自分のとてもよく実った胸を隠す。……どうやら大きすぎるとは本当に大変ならしい。箒の隣でエレナが哀しそうな顔で俯いていた。通路を挟んで反対側のラウラは人を殺しそうな目で箒の胸をガン見している。……、繰り返すが、大きすぎるとは本当に大変ならしい。
高速道路を併用し、バスに揺られて二時間半。
花月荘は海沿いの街からはだいぶ離れたところにあった。空はどこまでも高く、海は輝くほど青く、周りの自然は触れるコトも躊躇してしまうぐらいに深く繊細な色をしている。
まるで、ここだけはかつての大自然を切り取ったかのような未踏の領域だ。
これもひとつの秘境と言えるのだろうか。知らず、胸が高鳴る一夏。
一夏たちはバスから降りて、まず自分の荷物をバスの荷台から引っ張り出す。この日のために買い揃えた旅行カバンと中身は重い。ISの授業で使う教材も入れているからだ。
やはり、外は殺人的なぐらいに暑かったが、都会よりは幾分か過ごしやすく、まわりに自然があって視覚効果があるためか、海に囲まれた人工島の上にあるIS学園よりも涼しく感じた。
バスから降りて、全員が少しばかりの一息をつく予定のない休憩時間。
凝り固まった背筋を伸ばしていた一夏に、箒、エレナ、織江の三人が近づいてきた。
「イチカくん、イチカくん」
「どうしたんだエレナ?」
「ところで、センナくんはどこ行ったっスか? 今日は見てないっスけど」
「おおう……」
あまりの哀しさに脱力してしまった一夏。なんていまさらな質問なんだ。思わず櫻井に同情してしまう。
一夏は質問に答えず、まずは一番事情を知っていて、さらには一番エレナたちに説明していそうな織江に目配せをしたが、彼女は不思議そうに首をかしげている。どうやら役に立たなかったらしい。
「そういやずっとバスで寝てたな織江は……。
櫻井は仕事とか言ってたな。なんか遅れるらしいぞ?」
詳しい事情は知らないが、今朝起きると櫻井は死にそうなぐらい面倒くさそうな顔をして書類と睨めっこをしていた。おそらくは、臨海学校に必要な書類の整理だろうと思ったが、それで護衛対象である一夏を放置するのは本末転倒ではないだろうか。
とはいえ、彼が仕事で忙殺されているのは間違いなく一夏のせいであるため口が裂けても言えなかった。
聞いてエレナは呆れ顔。
「えー……、センナくんはアホっスかねー……。こんな遊ぶチャンスで仕事仕事なんて……。そんなのほっぽり出せばいいのに……」
「おいエレナ。櫻井の仕事って俺の護衛じゃねぇか」
一応、苦言を申し立てるが、エレナは楽しそうに文字通り笑い飛ばした。
「あはははっ、イチカくんはしぶといっスから大丈夫っスよ」
「ひでぇ……」
ちなみに櫻井によると、先ほどまで乗ってきたバスはなんと12mm機銃で撃たれても大丈夫だというそうだ。そんなコトを聞かされても安心できる要素はない。防弾仕様、つまりIS学園は移動中に襲撃を受ける前提でこのバスを使っているというコトではないか。
「おい、お前たち。うるさいぞ、並べ」
千冬の鶴の一言で、下車後の喧騒は一瞬で静まった。女三人集まれば姦(やかま)しいというが、絶対強者の前では借りた猫。彼女たちは、さながら訓練された軍人のような機敏さで整列する。
整列が終わると、今回お世話になる花月荘の女将に挨拶があり、それが終わると真耶からの臨海学校における概要と注意事項、スケジュール確認が始まる。
こんな炎天下のアスファルトの上で迷惑な話だが、花月荘の中では百五十人もの人数を一度に整列させる場所はないので仕方のない処置といえた。
こんなに暑く、この後は一番のメインイベントである自由時間が控えているのにもかかわらず、女子生徒たちは真耶の話をきちんと聞いている。この真面目さと忍耐強さが倍率一万倍を勝ち取ったのだろう。
一夏は同じく不動の立ち振るまいながらも、その心は上の空だった。真耶の説明が耳から滑る。
腕にはめられたガントレットを指で撫でると、硬質な金属がひんやりとした。この炎天下、そして一夏がずっと肌に身に着けているのにもかかわらず、白式はひんやりと底冷えした感覚を腕に残している。
白式を、専用機を持っているといろんな生徒が興味を持ってくる。べつに誇りたいわけでもないが、特別断る理由も見つからず見せるだけならしてきた。
白式の待機形態を見て、彼女たちの反応はすべて同じだった。
"『えっ、コレが待機形態……? なんか……、ゴツいね……』"
彼女たちは興味津々に、それでいて少し困ったようにそう言った。
ISの待機形態は、一般的にアクセサリーなどの装飾品を模すコトがほとんどだ。これは、ISの自己進化機能を誘発させるのに、『自分を着飾るためにISを身につける』という感覚が必要ならしい。着飾るとはつまり自分を綺麗に見せようという自己顕示と、もっと綺麗になろうという自己の向上心を表しており、これがISの自己進化を促すだろうと言われているからだ。
対して、白式の待機形態はガントレット。これはアクセサリーというよりも"防具"である。一夏は男子であるのでこっちが良いだろう、と思うかもしれないが、防具とは自分を守ったり敵の攻撃を防いだりと、保守的な意味合いが多い。つまりは、"ISを進化させる"という点に置いては無意味であり、また取り外しが容易ではないそれはただ不都合しかない。
もしかしたら、『取り外しのできない防具』である理由があるのだろうか。それもと、これはただの素人の妄想が過剰なだけなのだろうか。
変わったコトといえば、もうひとつあった。
一夏が簪と櫻井に白式の整理を頼んだ日から、夢を見るのだ。無論、一夏は日頃も夢をよく見るし、起きたらすぐに忘れてしまう。人として当然の作業だ。
ただ、その夢とは少しばかり変わっていたのだ。
青い平原。白い空。空と同じ色のワンピースを着た麦らわ帽子の少女。千冬ではない儚げな少女は白百合に見えた。
彼女は何かを静かに一夏に語りかけていた。何を言っているのかは聞こえなかった。
ぼんやりとしたあやふやな夢など見ても、思い出せないコトがほとんどだというのに、二日連続で見た夢はハッキリと憶えている。
あまりにも明確な感覚。初めてのはずなのに、どこか懐かしい既知感。
だから思うのだ。
もしかしたら、アレは"夢などではなかった"のではないかと。アレを、自分は"かつてあの風景を知っていた"のではないかと。
遠い昔に置き忘れたコトに気がついても興味を示さなかった『過去』。織斑一夏は自分の始まりを知らない。自分という証明は、織斑千冬の弟であるというコトだけ。
不思議に思ったコトはない。自分の誕生日を疑う人間がこの世にいるだろうか? 誰だって、自分を愛してくれる人が伝えてくれた日を信じているではないか。だから、いままで幸せだった。昔の自分なんてあやふやなものがあるよりも、キレイさっぱりに無くしていた自分のほうが自分らしかった。
今更、昔の自分に興味が出るなんておかしい。そう思っていた。こんな夢だって、きっと何かの奇妙な体験で片付けられていたはず。
あの日がなければ。
箒の誕生日。あの日に見たのだ。
見たのだ。自分の『誕生日』を祝ってもらっていた箒の姿を。彼女はあんなにも嬉しそうに、自らの始まりの日を噛みしめていた。
見たのだ。あの仲の良い櫻井と織江の『兄妹』の姿を。彼らには『血の繋がり』など無いのに、あんなにも強固な絆があった。
そこでふと、呆然とした。頭がハンマーでぶん殴られた後のようにくらくらとする。心臓が痙攣したかのようにバクバクと不規則に脈動する。真夏だというのに身体が寒くて震える。
――――――…………もしかして、ジブンは
「織斑。いつまで呆けてるんだバカ」
「ほげっ」
ガツン!、と今度こそ本当に頭に物理的な衝撃がはしった。頭の中では煩悩を打ち消すようにガインガインと小人が鐘を打っている。
目を回して尻もちをついた一夏。くらくらする頭を手で支えた。
……俺は、いまナニを考えていた……?
殴られたショックか思い出せない。でも、とても恐ろしいコトを考えていたような気がする。
思考が現実に追いついていない。地面に身体がついているはずなのに、自分という存在がふわふわと吹けば飛んでいってしまいそうな違和感した。まるで貧血でも起こしたかのような崩れそうな感覚。
落ち着け、と一夏は自分を叱咤した。すると、どこか遠くに感じていた頭痛が認識できるようになってきた。
アスファルトについた手が痛い。日射が照りつけている肌が滴る汗は気持ち悪い。
一夏はのろのろと顔を上げた。そこには見慣れた姉の姿がある。
「千冬、姉ぇ……?」
「織斑先生と呼べと何度言えばわかる。学習しろ」
問答無用とばかりにもう一発ふってきた。頭がいつものように痺れる。常日頃の、日常茶飯事の感覚に、気がつけばホッとしていた。
とっくに解列したというのに、最後尾でいつまでも立ち尽くしていた一夏。その絶対に話を聞いていなかった姿に思わず手を出してしまった千冬は、いつまでも青い顔で座り込んだままのいち夏を見てさすがに心配した。
「……おい。大丈夫か一夏。まさか気分が悪いとか―――」
珍しく焦ったような千冬の声を聞いて、一夏の心に火が灯る。目を閉じて、大きく息を吸って深呼吸。目を開ける。視界は明瞭で澄み渡っている。
大丈夫、いまのは暑さでどうかしていたらしい。
一夏は機敏に立ち上がって、尻についた砂を落とした。千冬はまだ心配そうに一夏を見ている。
だから、にやりと笑って言ってやる。
「『一夏』って呼んでますよ織斑先生」
「……っ! ば、バカ! いまのは聞き間違いだ! 大丈夫なら、こんな場所に突っ立ってないでさっさと部屋に行ってこい!」
尻を蹴られて一夏は旅館へと追い立てられる。頭は痺れているが、痛くはない。いつもの感覚に思わずホッと安心する。
が、
……ところで、あれだけ遠慮なく殴られたのに痛くないとは、これって慣れたのだろうか……?
などと、いやな想像に肩を落とした。
とうとう臨海学校が始まりました。基本的な流れは原作に沿いますが、いろいろと新田良の趣味がいっぱいです。妄想爆発のカウントダウン開始。
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