正義と、大義と。   作:新田良

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第三十話 波乱のはじまり

 

 

 

 

 

 臨海学校が始まった。ただしかし、そう述べるにはやや語弊があるような。

 

 臨海学校の初日は自由時間。つまるところ課外授業としての臨海学校が始まるのは明日から。明日に備えて今日一日は遊べというわけだ。

 

 ここがIS学園ならば一日暇となれば街に繰り出すところだが、今日は違う。目の前に海がある。IS学園は海に囲まれた人工島にあるが、護岸された味気のないものだ。

 

 目の前に輝くビーチがある。となれば答えはひとつだった。

 

 「うーん、これはいわゆる冥福というやつなのか……?」

 

 と、首をかしげる一夏。目の前にはそれぞれ水着を着た美少女たちが戯れている。個性を表すかのような水着に包まれている肢体はいつも以上に輝いているようにみえる。ビーチバレーをしている女子なんか跳びはねるたびに胸が揺れているので正直目のやり場に困る。普段は鈍感鈍感と散々に言われている彼であるが、麗しい健康的な水着姿を見て何も思わないほど少なくとも不能ではない。

 

 見渡す限りの青い海、どこまでも続く遠い空。白く輝くビーチは胸が踊るが、旅館なのにプライベートビーチがあるコトに違和感を感じる。

 

 「しかし困った。どうすりゃいいんだこれ」

 

 一夏は傾いた首をさらにかしけてさらには首を捻る。

 

 彼の言う、どうすればいい、とはいまの現状である。はっきり言って、水着の美少女しかいない海はIS学園以上に男の一夏にとって浮いてしまっている。せめて櫻井がいればなんとか浮かずにすんだかもしれないが、生憎と、護衛であるはずの彼は書類と格闘していてここにはいない。まあ、よく考えれば櫻井がここにいたとしても、この現状がどうにかなったとは思えない。

 

 一夏はあまり海に来た記憶はない。不出精な千冬は海に行きたがるような質(たち)ではなかったし、箒は海よりも違う道場の見学に行ったほうが目を輝かせていた。鈴は弾と同じでゲーセンに入り浸っていた。……おそらくは三人とも一般の枠に入れてはいけない部類の相識なのだろうが。

 

 そういうわけで、一夏は海に来たのは良いがなにをすればいいのだろう、と途方に暮れていた。一般男子高校生が客観視すれば殺意と血涙を溢れさせるであろう。

 

 あたりを見渡すが、やはり櫻井は居ない。肝心な時に居ないんだな、とため息。本人がいれば絶対に口にできない。

 

 ポケットに入れていた携帯電話が鳴る。画面を確認すれば『五反田弾』と表示されている。持つべきものは友だなと彼は頷いた。

 

 「どうしたんだ弾?」

 

 「よう一夏。あれから元気か?」

 

 気安い仲なので電話口の常套句無しで要件を尋ねると、向こうからは聞き慣れた声聞き慣れた調子の返答が返ってくる。弾も暑さにまいっているらしい。

 

 「あれからってまだ一週間も経ってないぞ」

 

 「細かいコト言うなよ。小言はお袋と蘭で十分だっつーの。ところでだ一夏」

 

 弾が勢い込んで訊ねてくる。

 

 「IS学園ってやっぱ女の子ばっかなんだろ? だからさー、かわいーコを俺に紹介してくれよ。あと一週間ちょっと地獄を耐えきればNA☆THU☆だぜ☆」

 

 どうしよう。姿が見えないのに友人のバカ面が容易に浮かぶ。おそらく、この快晴と同じぐらいのカラッとした脳天気さなんだろう。熱中症並みの思考力低下を見ればよくわかる。

 

 「……弾。いまは学校だろ。なんでケータイを使ってるんだ?」

 

 「ああ? ……おまえまで先公みたいなコト言うなよな。てか、今日は期末テストだったから午前中で終わり」

 

 「結果は?」

 

 「もちろん補修確定☆」

 

 どうやらこのカラ元気はただの現実逃避だったらしい。

 

 「いやーマジやばかったぜ高校数学。正直ナメてたわ。数学でいきなり英単語出されてパニクった。なんなんだよ『シン』って。誰だよマジで。先生テスト間違えたのかな?」

 

 たぶん『sin』のコトを言っているのだろう。果たして彼は高校を無事に卒業できるのだろうかと他人事ながら心配になった。まあ、一夏自身もそうとう危ないのであるが、いまもアホっぽく笑っている弾を見ると危機感が薄れる。

 

 「それでなんかイイコいないか? あ、この前言ってたワガママボディのコでもいいぜ!」

 

 「紹介だけなら良いけど、……遺書書けよ?」

 

 「怖い! なんだよその脅し文句は! いくらおまえの大事な幼馴染? だっけを紹介しろって言うからって大袈裟すぎだろ」

 

 「いや、おまえの為を思って言ってるんだがな」

 

 「あ、性格が厳しいとか? 剣道やってんだっけ? どのぐらいキツい性格なの? オッパイのでかい可愛コちゃんなら火の中海の中どんな苦痛でも耐えられるぜ!!」

 

 「そうか。ちなみに千冬姉ぇの二倍ぐらいなんだけど」

 

 千冬は外では厳しいが私生活がだらしない。それに対して、箒はそのどちらも修行的で手厳しい。おそらく、箒は恋人ができてもだらけないように厳しく接するタイプだと一夏は思っている。はたして弾はそれに耐えられるか。

 

 なんて考えるまでもなく、電話の向こう側で弾は縮み上がっていた。

 

 「は、ははは、はあっ!? 織斑千冬の二倍の厳しさ!? それ人類を形容する言葉じゃねえよ!!」

 

 千冬が聞けば全力で張っ倒しそうな反応であるが、あながち間違っていないのかもしれないのが反応に複雑なところだった。

 

 弾の戯れ言は適当に流して、一夏は自分の本題に入るコトにした。

 

 「ところでだ、弾。相談がある」

 

 「おうよ親友。何だって聞いてやるぜ」

 

 「それはよかった。水着の美少女がいっぱいの海にいるんだが、どうすればいい?」

 

 瞬間、総ての時が止まったかのような沈黙が流れた。

 

 「……は?」

 

 「いや、だから。水着の美少女がいっぱいの海にいるんだが、俺はどうすればいい?」 

 

 「便秘に苦しんで死ね一夏」

 

 電話が切れた。もとい切られた。ついでに弾がキレていた。

 

 男の友情はあっという間に木っ端微塵と成り果てた。当然の結果と言えば当然であるが、それを察するほど彼は鋭くない鈍感だった。

 

 友情の儚さに驚き慄く一夏。女に飢えた弾にいまの質問はご法度だという思考に至らない。呆気を取られたように非通話となった電話を見つめ、頷いた。ただ、弾だからそんなコトもあるな、と割と酷い感想を持っていた。

 

 結局、知りたいコトはなんにも解決していなかった。大海原を前にして右往左往する。

 

 客観視して不審人物として捉えられかねない一夏を、着替えてやってきたシャルロットが見咎めた。

 

 「あれ? こんなところで何やってるの?」

 

 「ん、んー? いや、べつに何かをしていたってわけじゃ―――」

 

 生返事をして、後ろを振り返った一夏は絶句した。

 

 水着姿のシャルロットがいる。色は鮮やかなハニーイエロー。胸元は大胆にも開いていて、かつて男装していたとは思えない大きさの胸を強調している。何よりも、それらに包まれた白い肌と輝く金髪がいるもよりも魅力的に見えた。以前に裸を見てしまったコトがあったが、なぜかそれ以上に動揺してしまう。

 

 思わずまじまじと見てしまう一夏の視線を、恥じらうようにシャルロットは身をよじった。

 

 「え、ええっと……。そんなに見られると恥ずかしいな」

 

 「お、おう。悪いな。……それで、他のみんなは?」

 

 途端に気恥ずかしくなって一夏は視線をそらすように見渡しながら訊ねた。

 

 「みんなそろそろ着替え終わると思うよ。ただ……」

 

 妙に歯切れの悪いシャルロット。

 

 はて、と一夏は首を傾げていると、そこへ箒が来た。

 

 「む、何をやっているのだ二人とも」

 

 どこか不機嫌な箒の声。

 

 「べつに何も……って、なんだそれ箒」

 

 胡乱な目で問いただす一夏の前には水着姿と思われる箒がいた。彼女は腰と肩に大きなバスタオルを巻いている。一見バスタオル怪人。なんとなく小学校でのプールの光景を思い出す。

 指摘されて箒は顔を真っ赤にしてごにょごにょと口ごもる。

 

 「こ、これはだな……。いざ着替えたはいいが……、は、恥ずかしい……」

 

 そこまで言って箒は顔を俯かせてしまった。普段は強気な彼女の姿とは一転して意気消沈してしまっている。とはいえ、彼女の性格からして水着に着替えて人前に出れただけ努力賞を贈ることができる。

 

 シャルロットが一夏にそっと耳打ちをした。

 

 「ええとほら、箒ってば着替えのときにみんなに注目されちゃってさ……」

 

 なるほど、と端的な言葉に一夏は納得した。十五歳とは思えぬほどに成長した胸はさぞや注目を浴びただろう。箒は今にも羞恥で死にそうな顔をしている。

 

 「ま、まあ……、とりあえず休んどけば?」

 

 「ああ、そうさせてもらう……」

 

 砂浜に大きなビニールシートを広げて箒は身体を縮めるように座る。

 

 「一夏はどうする?」

 

 シャルロットに訊ねられて、一夏は少し考えてから、

 

 「俺もちょっとここで休むよ。バスに揺られてちょっと疲れた」

 

 「そっか。じゃあボクは泳いでこよっかなー。海って見るコトはあっても泳いだコトなんて全然なかったし楽しみ」

 

 シャルロットは嬉しそうに笑って金色の髪を揺らして海に駆け出した。その姿を見て、たしかに楽しそうだな、と一夏は少しばかり海への興味をくすぐられる。とくに思い出も思い入れもない海であるが、ただっ広い海を自由に泳ぐのはプールで泳ぐのとはまったく違うのだろう。

 

 しばらくぼうっとしていると、織江がやってきた。その手には大きなパラソルがある。

 そばまでやって来た織江は呆れたように一夏たちを見下ろした。

 

 「こんな炎天下でなにやってるの?」

 

 「織江は休む気満々だな」

 

 織江の格好とは言うと、上に薄手の白いパーカーを羽織っている。ファスナーを首元まできっちりと上げている。その下には水着を着ているのだろうが、サイズの合っていないパーカーのせいで、裸にパーカーを着ているようで正直直視し辛い。

 それにしても、あいかわらず凄まじい美人である。顔の造形はさることながら、すらりとした足はただ細く長いのではなく運動をするための筋肉がついており、黒い長髪は全身の白さとコントラストになっていて魅力的だ。櫻井があれほどまでに可愛がるだけはある美少女っぷりである。

 

 そこではたと、一夏は首をかしげた。織江の姿を見て、どこか違和感を覚えたのだ。そう、なぜか、普段よりも服を押し上げている膨らみが大きいような―――。

 

 織江の後ろで、ラウラ、エレナ、鈴の三人が恐れ慄いていた。

 

 「この女ッ、まだ予備兵力を隠していたのか……ッ!!」

 

 「美人で強くて、そのうえ隠れ巨乳、ですと……ッ!?」

 

 「コイツ無敵か……ッ!?」

 

 普段は動きづらいので胸にさらしを巻いている織江はかなり着痩せしているように見える。

 

 拳を震わせ憤る三人を余所に、織江は敷かれた二枚のブルーシートの間にパラソルを突き刺した。ブルーシートの大部分が影となり、織江はその上に身体を丸めるように寝そべる。

 

 「織江、たしかバスの中でもずっと寝てただろうに」

 

 「それでも眠い。箒、泳がないならお昼に起こして」

 

 と、言ったそばから静かに寝息を立て始める。恐ろしい寝付きの早さだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからクラスメイトとビーチボールをしたり海で泳いだりして遊んだ。浜辺でやるビーチボールは白熱して面白かったし、初めて泳ぐ海は気持ちが良かった。

 

 もう少しで昼食に差し掛かろうというとき、一夏は飲み物を買おうと駐車場の自販機まで歩く。織江と同じような白いパーカーを着たエレナもついてきた。

 

 「いやー、浜辺で走り回るのってけっこう疲れるっスね」

 

 「エレナはあまり海に来ないのか?」

 

 「そりゃ毎日のように見てるっスけど泳ぎに来たコトはないっスね。アメリカの訓練校は内陸だったし、とくに海に用事のなかったっスから」

 

 「ふーん、なんか意外だな。エレナなら休暇とか友達と海に行きそうに見えるんだけど」

 

 一夏にそう言われて、エレナははてなと首をかしげた。

 

 「わたし、イチカくんが思ってるほど社交的でもないっスよ? 友達なんてIS学園来てホーキが初めてっスから」

 

 「え―――」

 

 一夏は驚愕した。本当に驚いた。いまのエレナを見るとそんな感じがまったくしなかった。

 

 「小さいころは外で遊ぶような性分でもなかったし、ISの訓練校は、こう、自分が一番になるんだってもっと殺伐とした感じでしたっスからね。わりと命に関わるイジメとかイタズラとかあってヤバかったっス」

 

 ISの代表候補生は名誉であるが、それと同時に狭き門だ。アメリカでは毎年、数万単位の応募があり、その中からたった一人だけ選ばれる。普段の姿から想像しづらいが、エレナもその競争を勝ち取ったエリートなのだ。

 

 「そういえば、イチカくんはどうしてIS学園に来るコトになったっスか? ISなんて一般人が関わる機会なんてめったにないっスよ」

 

 問われて一夏は少し言いよどむ。わりと恥ずかしい記憶だ。

 

 「あー、それはだな。高校受験の会場で迷ったんだけど、似た名前の高校の受験会場と間違って入ったら、ISが置いてあってだな。男心をくすぐられたというか、カッコいいなーって触ったら動いた……」

 

 「それは……、とんでもない確率の偶然っスね……。イチカくんらしいっス」

 

 褒めてるとも貶してるともとれる口調だが、その目を見れば呆れてるとわかる。

 

 「それにしてもどうしてイチカくんはISを使えるっスかねー?」

 

 「それは、俺も知りたいな」

 

 一夏がこうして女だらけのIS学園に通っているのはひとえにISを動かせるから。女にしか動かせないISを動かせるのはなぜだろうか。いままで幾度と無く考えてきた疑問。

 

 「エレナはどう思うんだ?」

 

 「そう言われても、わたしは使う側であって仕組みについてはあんまり詳しくないっスから。そうっスね……、イチカくんが不能だからとか」

 

 「冗談でもそういうコト言うのヤメロよ! 正常だから! ちゃんと反応するから!」

 

 「……、」

 

 「無言はヤメて!」

 

 そんなくだらない会話をしていると、

 

 「あっ」

 

 エレナが立ち止まる。そして、飼い主を見つけた飼い犬のように彼の元へと走り寄った。

 

 「あれ、センナくんじゃないっスか」

 

 「エレナか。織斑一夏もこんなところで何をやっている?」

 

 「それはこっちのセリフだ。……なにやってんの?」

 

 仕事で遅れて合流予定だった櫻井は旅館の駐車場でバイクの整備をしていた。真っ黒いサイドカー付きのバイクは今流行のハイテク感よりも、いかにも過酷な環境を走り抜くための重厚なレトロ感が強いデザインだ。正直、カッコいいバイクだった。

 

 「櫻井、まさかコレで来たのか?」

 

 「そうだ。この道は花月荘で行き止まりだし、この臨海学校の期間中はシャトルバスも通ってない。タクシーは、……高いから嫌だ。これなら荷物も運べるしな」

 

 「せ、センナくんらしいっスね……」

 

 「というコトは、コレって櫻井の私物か?」

 

 停めてある黒いバイクを指す。櫻井は上から重ね着していたズボンとジャケットを脱いで畳みながら頷いた。

 

 「そう。車より気軽に乗り回せるから結構便利なんだ」

 

 「IMSウラル社のウラルレトロ750CCっスか……。日本で気軽に乗り回せる車種じゃないっスよ……」

 

 エレナは呆れ果てたようにため息をついた。

 IMSウラル社は有名なバイク製造会社だ。ただし主生産品はサイドカー付きのバイクと一風変わっており、さらにそのデザインもさるコトながら、いまではもう使われていないスティックヒューズや水平二気室エンジン、さらにはチューブタイヤなど、日本の先鋭的なホンダやカワサキとは真逆の懐古主義的な設計が特徴だ。

 日本で乗るには、パーツの在庫的な問題からかなり制限があるイロモノ機種でもある。

 

 「センナくんってこーいうのが趣味だったっスか? たしかに頑丈っスけど、ギア操作が難しい車種じゃないっスか」

 

 「それはそうだが構造が単純だからよく動く。改造も簡単だし、意外と使ってみて便利だぞこれ」

 

 そりゃそうだろう。なにせ源流は第二次世界大戦時にナチスドイツが使っていた軍用バイクのコピー生産品なのだから。このご時世で防弾加工されているバイクなんぞこのメーカーぐらいなものだ。

 

 櫻井は整備に使っていた工具と着ていたジャケットとズボンの一式をサイドカー座席下のスペースに収納した。

 

 もともとは兵器だという頑強なバイクに一夏は興味津々だ。男児たるものやはりそういうエピソードのある乗り物は心が踊る。

 

 「なあ、櫻井。ちょっと乗ってみていいか? もちろんサイドカーのほうだけど」

 

 「べつに跨るぐらいならどっちだっていいが、なんでまた?」

 

 「こういうの見る機会って早々ないだろ。というか、生で見たのは初めてだ」

 

 バイクを見ながら目を輝かせている一夏。こんなものでも喜ぶのか、とそれを見て櫻井はつくづく感心する。

 

 「ま、壊さなければお好きにどうぞ。じゃあ、僕は荷物を部屋に置いてくるから」

 

 そう言い残して、櫻井はサイドカーの座席から引っ張り出した使い古した旅行鞄を手に旅館へと歩きだした。

 

 ―――その道中。

 

 突然、背後から聴き慣れた爆音が響き渡る。

 

 「……、」

 

 ちょっと待てコラ。

 

 櫻井は落ち着いてポケットをまさぐる。

 

 ……ない。たしかにポケットに入れたはずのエンジンキーがない。

 

 彼は努めて冷静に振り返った。

 

 そこには、ライダー用のジャケットとズボン、ヘルメットを被ったエレナが笑顔で運転席に。そして、一夏は顔を真っ青にしてサイドカーの座席に座っていた。

 

 タイヤが勢い良く回転して白煙を散らす。

 

 「……、……、……まて、まてまて」

 

 「それじゃレッツゴー」

 

 「まてまてちょっとまてオマエ――――――ッ!!?」

 

 櫻井がエレナの腰に飛びついた瞬間、空転していたタイヤが新たに加わった荷重でアスファルトの地面を掴んで、勢い良く爆走をはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか。作者、ゴーギャンは遺書代わりにこの大作を描き上げて自殺を図ったらしい。彼は自分の遺作になるであろう絵を描きながら何を想ったのだろうか。

 

 織斑一夏は死にそうだと思ったコトも、実際に死にかけたコトもたくさんあったが、やはり心の奥底では自分が死ぬはずがないと思っていた。でなければ、彼はアリーナの控室から震えて出てくるコトはなかっただろう。

 

 周りの人間は一夏の行動を命知らずという。たしかに、無謀とも言える行動はたくさんしてきたが、死にたいわけがない。しかし、それ以上に、何もできなくなる自分が怖くなるのだ。

 

 織斑一夏はべつに命の危険に対して鈍感なわけではない。つまるところ、当たり前のコトであるが、死ぬのは怖いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギアが上がる。エンジンが猛る。マフラーからは爆音が迸る。一応、減音仕様ではあるが、それでも腹の底に響く音は凄まじい。

 

 「……、」

 

 一夏は頭を真っ白に漂白させる。でなければ目の前の恐怖に屈しそうだった。

 

 エレナが操縦するバイクは爆走しながら花月荘へとやって来た道を逆走し、途中で枝分かれした横道に入った。この先は山、というより連山となっている山々を、周回する形でサイクリングロードになっている。普段ならば遠出してきたライダーたちが集まる聖域であるが、いまはIS学園の臨海学校の交通規制のおかげで貸切状態だ。

 

 峠に沿うようにして敷かれた道路をレトロバイクが疾走する。手付かずの山を背景に奔るレトロバイクは、そこだけ時代を切り取ったかのよう。

 

 ついさっきまで線状となっていた木々は、いまでは緑のカーテンとなって流れ去る。

 

 「飛ばすっスよー!」

 

 ヘルメットとゴーグルをしたエレナが喜々した表情でサイドカー付きのバイクとは思えない速度と運動性を出す。どうもハンドルを握ると性格が変わるらしい。彼女はヘルメットとゴーグルの他、なぜかライダージャケットに付属していたフードまでしている。夏なのに暑くないのだろうか。

 

 正直、一夏はさきほどから気が気でない。そのスピードもさるコトながら、サイドカーとは目線が低いため道路との相対速度がものすごいコトになっている。なにより、他人に操縦を預けているという行為がこんなにも恐ろしいとは……。

 

 一夏はちらりとエレナの後部座席へと目を向ける。

 

 止めようとしてそのまま連れ出された哀れな櫻井は、エレナの腰に縋り付いたままじっとしている。ヘルメットどころかゴーグルもしていない彼は顔を前に向けるコトすら敵わない。

 

 そんな櫻井の様子をいまさら気がついたのか、

 

 「あれー、センナくん静かっスねー? 乗り物酔いっスか?」

 

 「……僕はいま飛び降りるかこのまま乗り続けるか、どっちが生存率が高いか計算してるから邪魔するな」

 

 「ヤメロ櫻井早まるな!! というか、俺を置いていくな心細い!!」

 

 「イチカくん心配はそっちっスかッ?」

 

 エレナが素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 

 しかし、冗談抜きで死を覚悟する経験だ。そも、なぜこの娘は側車付きのバイクでヘアピンカーブを曲がりきれるんだ? このバイクPICが装備されてるんじゃない?

 

 一夏は速度計と思われる計器を覗き見ると、すでに法的速度のダブルスコアを突破していた。お巡りさんこの人です。

 

 「え、エレナ。法的速度を守ってくれ……。この道は四十キロだぞ」

 

 「四十キロ? マイルでどのくらいっスか?」

 

 「バカヤロウッ! 前見ろコロス気かッ!?」

 

 首をかしげるエレナ。慌てたようすの櫻井がその首をぐりんと前に戻す。その眼はガチだ。

 

 可愛らしく舌を出すエレナを櫻井は呆れ果てたようすだった。頼りない小さく細い背中に出来るだけ体重を預けないようにしながら、

 

 「エレナ、降りたらわかっているんだろうな……」

 

 「いやー、ちょっとだけ気になるものがあって……」

 

 さすがのエレナもその怒りを感じたのか、バツ悪そうに速度を緩め、空を仰ぎ見る。

 

 櫻井は怪訝そうな顔をした。

 

 「いったいどういう意味だ?」

 

 「センナくんはケータイ持ってないからわかんないかも知れないっスけど、イチカくんのケータイは通じるっスか?」

 

 「は? ケータイ?」

 

 一夏が携帯電話を取り出して液晶を見ると、アンテナの数はゼロだった。

 

 「あ、あれ……? おっかしいな。このケータイ、衛生回線で世界中のどこでも通じるのが売りなのに……」

 

 「そうでなくてもここはそれなりに名の知れたサイクリングロードだ。人里から離れてるし取り締まる警察官もそばにはいない。となれば、当然事故率も上がるし通報のためので通信環境は整備されている。それでも通じないとなると―――」

 

 櫻井が前に腕を伸ばしてミラーを動かす。エレナがハンドルをわずかに傾けると、すぐに見つけた。ミラーが写すそのさきに、一瞬だけ木々とは明らかに違うシルエットが太陽の反射とともに見えた。

 

 櫻井はその正体をすぐ看破した。

 

 「MAか……」

 

 「MA?」

 

 「Machinized Armorの略だ。日本では強化機械外装鎧、略して機鎧と呼ばれている。もともとは強化外骨格のアップグレード版として開発されたもので、コンセプトは歩兵が戦車を正面から破壊することを念頭に開発されていた。戦車では対応できない小回りや上下の動きを活かして山林や市街地のような地形なら単機で戦車を制圧するコトができる。装甲はライフル銃程度なら簡単に弾くし、三メートルの垂直跳躍が可能。武装は最大で20mm機関砲やロケットランチャーを装備可能。市街地では無類の強さを発揮できるとかで各国が開発にやっ気になっていた」

 

 「……なんでそんなモンがこんなとこにあんだよ」

 

 「ISが開発されたからだ」

 

 「……?」

 

 いったいどうしてその話とこの話がつながるのかかわらず一夏は首をかしげた。

 

 「ISが登場して科学技術のパラダイムシフトが発生した。たとえば、ISが登場するまで夢物語だった網膜投影型空間投影ディスプレイも今ではちょっとお金をかければ当たり前のように手に入る。それは軍事技術でも多く起こった。既存の、もしくは最新の軍事技術と謳われたモノがたった一日で価値のないものになった。抱えるほどの基盤は手のひらサイズに変わったし、場所と電源さえあればアリーナのように防護障壁を作り出すコトだってできる。その価値の無くなったモノのひとつが機鎧だった」

 

 「まー、ISなら市街地どころか戦場をまるっと支配できるっスからね。IS開発するのに天文学的な予算も必要になって、軍人は3分の1がリストラされたりまでして開発部門とかもいくつも潰れたっスよ。いや、ヤバかったっスね。あの時代は、……本当にひどかった」

 

 最後に、エレナの声色に冷たい何かが混じる。あの事件後の世界の混乱は内乱が勃発しなかっただけ奇跡と言われたが、暴動は多数起きた。もしかしたら、彼女も何かしらの被害を受けたのかもしれない。

 

 「機鎧は白騎士事件後の混乱で価値が値崩れした。IS開発のための資金繰りに困った国家はISとは無縁の国に技術を売っていた。もともと大多数の歩兵に配備するための機鎧は大人気。ついでに横流しされたものはテロリストからも大絶賛」

 

 櫻井が肩を竦めた。櫻井も以前、中東で対装甲車用機鎧と戦ったコトがあったが、12.7mm機関銃と対人火炎放射器には手こずった。

 

 「……エレナ、よく気がついたな、いや、最初に僕に報告してくれて助かった礼を言うよ」

 

 珍しくも櫻井が素直に言うと、エレナは嬉しそうに顔をほころばせた。

 

 「……、」

 

 櫻井にはその笑みがなんだか痛々しく見えて、小さな頼りない背中に体重を預けないように腰に回した手を緩めた。

 

 峠を一周したあと、国道との分岐点となっているサービスエリアの駐車場で停車させた。普段ならば、ライダーや店で賑わう場所であるが、いまは交通規制のせいで人一人おらず不気味だった。

 

 「それはそうと、お ま え は、どうして、いつも、勝手なコトばかりするんだ」

 

 「イタっ! イタタタっ、連続チョップ禁止!」

 

 バイクから下りるなり、櫻井の左手がマシンガンのように唸る。エレナは涙目でおでこを守る。

 一夏は風圧で強張った顔をもみほぐしながら、

 

 「櫻井、なんであんなモンがあんなところにいると思う?」

 

 「技術が流出して大量生産向きの作りだからといっておいそれほいほいと道楽で買えるシロモノじゃない。機鎧があんな場所であぐらかいてる予定はないしありえない。あの型はロシアの大量横流し品の代名詞とも呼べるタイプでテロリスト御用達であると同時に足が付きにくい。テロリストと見せかける目的でも使えるからな、いいトカゲのしっぽ。国家か企業か、はたまたテロリストか。アホな一般人が騙されて買い取って美少女を盗撮しに来ましたー、なんてレアな事例もあるから判断ができない。が、敵だ。犯罪レベルなら軽自動車を簡単に転がす機鎧を使ってるから上から2,3番目の重度。万が一殺しても文句は言われない。むしろ抵抗されたら冗談抜きでこっちが死ぬ」

 

 連続チョップをやめた櫻井が冷たく吐き捨てた。今にもあの機鎧を中身を確かめもせずにスクラップにする勢いだ。

 

 櫻井は面倒くさそうに頭を掻いた。なんだかIS学園に来てから毎日が濃ゆい気がする。

 

 「でも、アイツはどうやってここまで来たんだ? 立ち入り禁止って道に警察官が立って検問敷いてるレベルじゃないんだろ?」

 

 「そりゃ、IS学園か自衛隊に裏切りモノがいるんだろ」

 

 「……、」

 

 自衛官は言いにくいコトをさも当然のように断定した。

 

 「臨海学校時の規制線はIS学園と自衛隊の共同でおこなわれている。この防衛ルーチンは強固で、いままでスパイや自称正義のジャーナリスト、果てには戦う美少女目当てにオタクまで山を越えようと入ってきたが破られたコトはない。となると、規制線を守る側に問題があると見るのが妥当だ。」

 

 内側から手引すれば侵入は容易だ。むしろ、防衛線に絶対の自負を持っているからこそ突破されたコトに気が付かないコトもある。

 

 「自衛隊だって汚職はあるし不正もある。自衛官には外国人妻帯者だって多数いる。全員が全員疑わしいってわけじゃないが、警戒は必要だと考える。IS学園だってそうだ。元は国から派遣された教師。全幅の信頼を寄せるには程遠い」

 

 櫻井の物言いに、一夏は不機嫌そうに眉を寄せた。

 

 「なんだよそれ。つまり千冬姉ぇや山田先生も信用してないってコトかよ」

 

 「怒るなよシスコン。織斑教諭に連絡した所でどうする。IS学園の教師は個ではなく集団で動いている。連絡した所で織斑教諭は身動きが取れない。むしろIS学園内で疑心暗鬼の犯人探しが始まるぞ」

 

 一夏は驚きとともに、なるほど、と思った。櫻井の意見ではなく、だからエレナは怒られるコトを承知で櫻井を連れ出したのか。 

 

 「アレはロシア製のエピジェーミヤだ。周りの電波をかき乱す形でステルス性能を発揮する偵察・撹乱用の機鎧。電波を吸着したり逸らしたりするステルスよりも簡単で安価に大量生産できる。歩兵に配備するためのコンセプトが裏目に出たな。アレのせいで紛争地帯は通信が混雑するカオスな状態に……」

 

 櫻井は過去の悲劇を語るかのように言う。実際に経験したのだろう。彼があんな表情をするのだよほど凄まじいコトになっていたのだろう。エピジェーミヤとはロシア語で『伝染病』という意味の言葉であるが、まさにそのとおりだった。

 

 「IS学園に連絡しないなら自衛隊に助けを呼ぶのか?」

 

 「呼ばない。さっきも言ったとおり規制線敷いてる側に裏切り者がいたら困る」

 

 一夏は怪訝そうな顔をする。……意味がわからない。それではいったいどうするつもりなんだ。

 そう考えたところで嫌な予感がした。

 

 エレナが半分睨んでるような目で櫻井を見る。

 

 「じゃあ、どうするんスか」

 

 櫻井はそれに答えず、山頂付近を見上げながら、

 

 「織斑一夏、エレナといっしょに花月荘に帰れ」

 

 あくまで冷静に櫻井はそう言った。それに対して、一夏が何かを言う前にエレナがキレた。

 

 「くあーーー、もうっ! だからセンナくんに報告だけをするのは嫌だったんスよ! 相手は曲がりなりも単機で戦車を制圧するコンセプトで開発されてるっスよ!? 限定空間ならISさえも封殺できる機種だってあるのにナニ言ってんスかもうーっ!!」

 

 拳と金髪を振ってエレナが憤慨する。

 

 「あのな、コレは自衛隊の失態だ。部外者がほいほい協力するとか言うなよ」

 

 「わたしもセンナくんだってIS学園の生徒っス!」

 

 反論されて、櫻井は、むっ、と押し黙らされた。理屈で説得しようとした手前、理屈で返されると弱い。IS学園では生命に関わるほどの非常事態においては専用機を持つ代表候補生は事態の収集に当たるべしとされている。たかだか十代の女子にそれを強いるのは疑問であるが、ISの性能が圧倒的であるコトと、ISは平和と人助けのために使うという思想教育の一旦であるらしい。

 

 しかし、櫻井は首を横に振った。

 

 「……いや駄目だ。そもそもISは使えないんだぞ。ISを使えばIS学園にも自衛隊にも知られる。そうなったら内々で処理できないし、事前に察知されて逃走モードに切り替わったアイツが妨害電波を撒き散らしながら市街地に逃げ込んだら困る。たしかアレ、監視カメラを破壊するために磁気を発したり、指向性のマイクロ波を走らせて記憶媒体とかなにふり構わず破壊したあげく、最終的に自爆するときは自分にマイクロ波あてて情報ごと破裂して死ぬやつだったろ」

 

 「なんだその迷惑すぎるヤツ!? 後片付けすらやりたくねえ!」

 

 「問題はこの先10kmのところに飛行場があるコトだ。着陸寸前の機体のアシストシステムが突然切れれば最悪墜落する……」

 

 「さすが『伝染病』の名前を与えられた機鎧っスね……」

 

 エレナもまいったと言わんばかりの呆れ顔。あの機鎧を設計した奴はそうとう頭のネジが錆びきってるうえにネジ山が潰れているに違いない。

 

 櫻井は聞き分けの悪い子どもの急かすようにエレナの背をぐいぐい押す。

 

 「アレは僕がなんとかするから帰りなさい」

 

 「いやいや、ろくな武器も持ってないくせにいったいなに言ってんスか!」

 

 それになんとか抵抗しようとするエレナ。

 

 傍らで攻防を見守っていた一夏は、不思議そうに言った。

 

 「武器? 櫻井はISのパススロットにたくさん武器を量子収納してるから大丈夫だぞ?」

 

 瞬間、周囲から音が消えた。ついでに思考もごっそりと失われた。

 

 いつも意表を突く側のエレナにしては珍しい世にも奇妙な表情だった。

 

 「……、……、……、は?」

 

 「オ マ エ は !! なんでそういう非常識な行動をのほほんとした顔で実行できるんだッ!?」

 

 「―――はッ!? そうかッ、言っちゃダメかこれ!?」

 

 ありえないぞコイツ!、と叫びながら櫻井は首を絞めてがくんがくんと揺さぶった。

 

 一方で、ようやくエレナは正気に戻る。

 

 「―――は? え、……センナくんISを持ってるんスか!?」

 

 「……、」

 

 仕方がないと櫻井も腹をくくる。ここまで来て秘密も何もない。櫻井は簡単にパススロットに武器弾薬を量子収納しているコトを告げた。正直、後悔はした。次にエレナがなんと言うか予想がついたからだ。

 

 「じゃあ、武器は配ればいいっスね」

 

 と、エレナは笑顔で言った。

 

 櫻井はため息をついて、作戦と役割を告げると、エレナにオートマチック式のスナイパーライフルを渡す。エレナの役割は羊飼いだ。

 

 「早期警戒装置の範囲内には絶対に入るなよ」

 

 わかっていると思うが、櫻井は念を押すように言うと、エレナは笑いながら頷いた。ただし、その笑みは普段と違って力のない儚げなものだった。

 

 「大丈夫っスよ。わたしはヘーキっスから。さあっ、ハッピーエンド目指して頑張ろっス!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 織江がさらしを巻いている設定ですが、よくマンガアニメであるような包帯のようなさらしではなく、和服用の幅30cmほどのさらしです。

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