織斑一夏は憂鬱に溜め息を漏らした。
最近、己の近況が目まぐるしく変化していく。思い返せばなかなか忙しい短い人生であったが、今ほど忙しい時期がこのほかにあったであろうか。
記憶彼方の幼年期時代は兎も角として、平坦であったが中学生の姉と支援金を頼りに二人きりで生活していた、人生ラインそのものが低かった幼少期。
中学に入り近所の商店街で頼み込んでアルバイトに精を出し、最低のライン上までを引き上げたがISの登場とそのIS競技の世界王者となった姉への妨害のためか拉致までされたなかなか類を見ない少年期。
その少年期も中盤にして、もっとも花を咲かせるといわれる青春の高校生となった。と、思えば女性しか動かせないと云うISを動かしてしまったと強制的に事実上の女子高に独り男子生徒として通わされる羽目になった十五歳の春。というか約二カ月前のこと。
我ながらなかなか波乱万丈な人生を送っている。満ち足りているかと聞かれれば、不満はあれど不足はない。むしろ、おなかいっぱい。御馳走様と言いたいがコースメニューには終わりが見えてこない。
はたして、どうしてこうなってしまったのか。そう自問自答するが答えは出ない。ので。己を振り返ってみる。
織斑一夏は、自分ではわりと平凡な男だと思っている。以前、友人の弾にそれを言うと無言のグーが飛んできたが。
身長は平均より高いものの、身長順の整列で最後尾になったことはない。得意科目は理科と体育、社会も好きだ。逆に苦手は数学と物理系、それと国語も含まれるかもしれない。国語は漢字がそれなりできるが、いかせん、言い訳するとバイトが忙しく活字本を読まないものだから『作者の気持ちを答えなさい』に弱かった。弾にはなにやら矢鱈と納得されていたが、一夏にはどうしてかわからない。試験でも、優秀でも劣等でもなく平均を前後するような順位を取っていた。
喧嘩もよくやっていた。一夏から仕掛けることはなかったが、売られた喧嘩は残らず売値で買った。本人の素知らぬことであるのだが、織斑一夏は周囲からは正義感が強いと受け取られていた。それが気に食わない不良生徒だっているだろう。昔から最強の姉や強気の幼馴染にボコボコにされていた成果か、一夏は打たれ強く喧嘩では負け無しだった。
一夏は一度だけ、相手が骨折して病院に運ばれるほどの大けがを負わせたことがあった。それは外国からの転校生で日本語をまともに話せないのをいいコトに罵声を浴びせたり嫌がらせをする男子生徒達だった。言葉は通じなくとも悪意は通じる。猫のように勝気な吊り目の転校生も、最後はとうとう耐え切れずに泣き出してしまった。何度も姉に迷惑をかけ怒らせていた一夏も初めは抑えたが、それを見て我慢の限界に至り、乱闘になった。結果、一夏は三人のうち一人の足の骨を見事にぱっきりと圧し折ってしまった。
当然のように相手の親は激怒。姉はまた学校へと呼び出しを食らう羽目となり、姉ともども一夏は相手の親へと平謝りすることとなった。しかし、これまで平手なんて選択肢はなく拳、背負い投げまでして怒っていた姉はこの時は叱らなかった。どうしてか、その帰りにそう問うた一夏に姉は夕焼けをのんびり眺めて笑った。
「お前は今まで『どうして喧嘩になった?』と聞いたらいつも『喧嘩を売られたから』と答えていた。それは幼稚な暴論だ。そんなことをしていたらキリがない。チンピラとなんら変わらん。
でも今回は、『助けたい』って思ったんだろう? それなら私は許してやろう。正義の味方みたいでカッコイイじゃないか。私も胸を張って頭を下げられる」
そう微笑む姉は誇らしげで、その姿が織斑一夏の指針となった。
IS学園委は武道場が多くあり、その中でもとりわけ大きい規模なのが剣道場だ。部員数が武道系では最も多く三〇人は超えている。既定の一〇mの試合場が三面も用意されており、ごくたまに他の女子高の剣道部と練習試合も行われる。
剣道場はいま緊迫した空気に包まれている。湖の底のように静かでありながら、闘志が熱気となって満ち溢れていた。外気温は二八℃。初夏には十分な暑さである。剣道の防具はほぼ全身を包んでいるため暑い。
織斑一夏も頭に巻いた手拭いから染み出た汗が目に染みた。手に持った竹刀が重く感じる。竹刀の長さは既定最長の三尺八寸、つまり一mと一五cm。昔は四尺、なかには五尺三寸(一六一cm)の長竹刀を扱う者も居たらしいがバカだろと一夏は温い小手ごしに感じる重量を噛み締める。一㎏にも満たない竹刀であるが刀である以上、端を持たねばならずそれを何度も振れば腕が軋むように痛い。今も素振り一〇〇回からの試合であるが一夏の剣筋にはすでに鈍りがある。
「やっぱ六年のブランクは長いよな」
そんな一夏の言い訳がましい呟きを耳ざとく聞き取ったのか、相手は言語道断とばかりに果敢に竹刀を振り下ろしてくる。盤石の基礎を積み上げた太刀筋は撓みも淀みもない。面の後ろから零れた長い黒髪が残像のように流麗な尾を引く。
一夏はなんとかそれを受けるが危うく竹刀を取り落しそうになる。危なかった。もしここで竹刀を取り落そうものなら叱責が飛んでくること間違いない。
「なろっ!」
しかし、このまま負けるわけにもいかない。
一夏は上段からの打ち下ろしを受け流すと、一歩引き足で後退りながら籠手狙いのコンパクトに竹刀を振った。それを相手はあっさりと竹刀を返して打ち上げる。
それが一夏の狙い。互いに竹刀を打ち上げた状態だ。しかし、防御に竹刀を打ち上げた相手と、それを狙って打ち上げさせた一夏とでは次の動きまでのラグがわずかに違う。
一夏の動きが一挙に切り替わった。
「オオッ!!」
「……ッ!」
大上段からの面狙い。鋭く切り返された竹刀。わずかに相手の目に焦燥の色が滲んだ。が、あっさりと対処された。
美しき剣士は身体をわずかに開いて華麗に躱す。
“一寸の見切りとか宮本武蔵かよっ!”
思わず一夏は内心で悲鳴を上げてしまった。
一寸の見切りとは宮本武蔵の有名な言葉で、相手の太刀がまさにあたらんとする一寸のところで身体を躱すことである。二寸の開きとも言うが、これは頭の大きさを一五cmとすればその半分である二寸頭を逸らせば刀を躱せるということだ。
三無の剣と云う言葉もある。明治の剣術家、桃井春蔵の言葉だ。曰く、『無理なく、無駄なく、無法なし。これを三無の剣といい剣の至高なるものなり。音なしの剣はこの境地より出るものなり』。
一夏の相対する相手はまさにこの通り、策を練ってあっさりと躱され、さらには無様にも地にまで切っ先を振り下ろした一夏のがら空きとなった面を見逃すはずもなく。織斑一夏は、今日で今年通算六二戦六二敗目の大上段の痛烈な一撃を脳天に見舞わったのであった。
「お前、ほんと弱くなったな」
心底呆れ果てました、と言わんばかりに目を眇める少女に一夏は言葉もない。と云うより眩暈がした。竹刀は軽いがその一撃は防具ごしでも脳震盪を引き起こす威力がある。……というのも言い訳で、主に自分の情けなさにであるが。
それでもなんとか絞り出してみた。
「いやだってだな。さっきも言ったが俺は六年のブランクがあるし、それに箒は全国制覇もしたじゃないか。だから―――」
「言い訳するな」
「……はい」
にべもない。一夏の幼年期の幼馴染にあたるこの少女は、女尊男卑の今の世においても『男児は女子より強くあれ』の教えを強いる。それには一夏も納得であるのだが、なかなか手厳しい幼馴染だ。
面を取って、日本刀の切っ先のような吊り目と月夜に溶けるような光沢のある黒髪を晒した彼女の名前は篠ノ之箒と云った。一夏と箒はもともと姉同士の繋がりで出会っただけで、仲が当初それほど良かったわけではなかったが、彼女のイジメを一夏が庇ったのを機にそれなりに仲良くしている。と思いたい。もし箒が一夏との仲を「赤の他人です」などと言ってしまえば一夏のお友達基準が引きあがり女友達がゼロになる。つまるところ一夏の内心では彼女が一番親しいと思っている。
帯刀の構えをしながら箒は、尻餅をついた一夏にずんずんと踏みよった。
「いつまでも間抜けな格好してないでさっさと姿勢を正せ。例で始まり礼で終わるのが剣道、もとい武道だろう」
「あ、そうか悪い」
幼馴染の剣幕以外にも急かされ一夏はあわてて居住まいを正して礼を取る。
「「礼」」
箒の声は凛としていて耳触りがいい。朝の清冽とした道場にはよく響く。
一夏は頭から手拭いを外した。ぐっしょりと濡れていて汗を拭くには少々気持ち悪いが、これは頑張った証拠だ。一夏は真新しい籠手を見下ろし、まだまだ練習は足りないな、と一夏は思った。箒の籠手を見れば、うっすらと白んでいる。これは表面の皮が擦り切れたのもあるが、手汗が潮を吹いたのだ。これぐらいになるとかなり練習していると言えよう。
道場のシャワー室は一つ、と云うよりも女子用に一つしかないので一夏は一番近くのアリーナのシャワー室に行く。そこで汗を洗い流して着替える。その後、箒と合流して朝食に向かう。これが織斑一夏のIS学園においての日課となりつつあった。
朝食に向かうために一年生用の食堂へと続く煉瓦道を竹刀と着替え一式の入ったナイロン袋を手に並んで歩く。朝練帰りに早朝の清涼とした風が心地よい。初夏にはありがたい風を頬に感じ、一息つくと途端にお腹が減ってくる。
「最初は辛かったけど、だいぶ慣れてきたな」
「朝から身体を動かすと気分がいだろう?」
「いや、どっちかと言うと辛いが勝ってる……」
一夏が本音を漏らすと箒は不満げに眉を寄せた。その表情は如実に情けないと語っていた。
確かに朝から鍛錬を積むのは健康としていいのかもしれないが、二度寝好きとしてはなかなか辛いのだ。今もベットに潜り込めば三秒で夢の国へと旅立つ自信があった。
「まったく、しばらく見ないうちにすっかり腑抜けたなっ」
「腹は減ってるけどな」
「うまいことを言ったつもりなら一〇点だ」
一夏は時折小粋な洒落をかましてみるが受けたためしがない。いつか大爆笑させてみせると芸人のような気概を持っているが道のりは遥か彼方に遠かった。ちなみに、今のは『胃』と『臓腑』をかけた洒落だ。
幼馴染の辛辣な批評に今度は一夏が不満げに眉を寄せる。箒は呆れて何も言えなかった。今のが面白いと思ったのだろうか。
剣道場から食堂まではしばらく歩く。IS学園は恐ろしく広い。広大な人工島がまるまる学園の敷地内なのだ。IS学園は都会の近郊に設立されてるが孤島のようだと生徒は言う。それはISが世界の軍事最先端の集約地であるため外部からの出入りを徹底的に洗うためなのだ。基本、生徒の出入りはIS学園生徒専用のモノレールのみ。物資の運搬は船。一度同じところにすべての物資を集め徹底的に検査、それをわざと港を三つ経由させて検査を繰り返すと云う徹底ぶり。わずかでも目録と積荷に違いがあればすべての物資と船員が送り返される。
「うーむ、都会なのに海がきれいなのはいいんだがな」
「日本で海沿いは湿気が酷いんだ」
呑気に和む一夏。女子の大変さを知らない唐変木に箒は胡乱な視線を投げかけた。ついでに剣道家としては防具に湿気はやはり天敵である。一気にカビが生えてしまうので大変なのだ。
「なんか、今日はいつもより五割増しに騒がしくないか?」
朝食の煮魚を箸で啄みながら、一夏は朝の喧騒に首をかしげた。
女三人寄れば姦しいと昔から言うが女が一二〇強も集まれば当然騒がしい。国も人種も違えど根本的なところは人とは変わらないものだ。
いったい何を話しているんだと耳を澄ますが、がやがやが大きすぎて何を言っているのかいまいち聞き取れない。ISの登場により世界共通語が日本語に変化しようとしている今の世であるが、聖徳太子でもない一夏にはこの中で耳を澄まそうなど無理な話だった。
「なんだ知らぬのか、我が嫁よ」
突然一夏を嫁呼ばわりしたのは、透き通る銀髪が眩しい小柄な少女だ。一夏の対面に座る少女―――ラウラ・ボーデヴィッヒはパンケーキをナイフで解体しながらルビーのように淡く赤く燃える瞳で一夏を見据えた。一夏から目を離さないが彼女の手元ではパンケーキが見事に等分されていく。のだが、その解体しているナイフがパンケーキ用のプラスチックではなく軍用のごつい大型ナイフなのはいかがなものか。その小さな手に握られたナイフには『解体』と云う言葉がまさにふさわしい。
「何のことだよ」
極力、その小奇麗な顔より下は視界に入れないようにしながら一夏は問い返す。同じく一夏の隣に座っている箒も小首をかしげていた。
女子生徒が騒がしいのはいつものコトなれど、この一年生が騒ぐのはわけが違う。なにせ、一年生の寮監はあの織斑千冬先生なのだ。織斑一夏の実の姉にしてI世界ひいてIS学園の最強もとい最恐ついでに最凶。ラウラにとってはさらに鬼の教官である。余談であるが、彼女の友人とその妹は『最胸』である。
そんな人物がこの騒がしさを黙認するはずもなく、即刻叱責、一夏には鉄拳が飛んできてもおかしくない。いや、一夏としては自分にだけ鉄拳が飛んでくるのはとてもおかしいと思っているのだが所詮チキンであるので口には出せない。刷り込みとは恐ろしいものである。
話が脱線気味であるが、とにかく、織斑千冬もこの食堂で食事を取るため、いつこの場に現れるかもわからないのにこれほど騒ぎ立てるのは命知らずなのである。一夏としては「まさかの反抗期? 命を捨てるには早くない? 今ならまだ間に合うよ」と一人一人に質問したいぐらいである。
が、
「なんでも転校生が来るらしい、それも我々の一組に」
「何人目だよ……」
「三人目だ、数だけ言えば四人目だ」
「マジレスされた……。ん、四人? ああ、シャルのを含めてか」
シャルル・デュノアと云う生徒がいるのだが、初めは男と偽って転校し、それからいろいろ事件が起きまた“女として”転校為直してきた女子生徒がいるのだ。これには一夏も深くかかわってくるのだが。
「だからと云ってこれほど騒ぐことなのか? 命を捨てるほどに」
同じく千冬のコトを個人的に知っている箒はますます疑問を深める。
ここで、一夏の背後を見たラウラはにやりと口の端をうっすらと上げて微笑う。その笑みは年不相応に蠱惑的だった。
「いや、なんでも、その転校生とはどうやら男らしいぞ」
「な、な、なっ」
「なにぃいいいいいいいいい!!!」
「煩いぞ愚弟」
あまりの驚愕に、女子の喧騒を打ち破るほどに絶叫を上げてしまった一夏は、我が尊敬する実姉にむんずと頭を鷲掴みにされテーブルに叩きつけられた。
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