正義と、大義と。   作:新田良

42 / 49
第四十話 正義と狂気

 緩慢な時間が流れる。

 

 戦闘は時速数百キロ以上の高速で行われているはずなのに、その内容は遅々として進まない。緩やかに、まるで料理の手順のような手際だった。

 

 福音は機体を右へ左へと揺さぶる。揺さぶるとは言っても、福音の速度は時速千キロを遥かに超えているため、常人の目には光の矢が空をジグザグ縫いしているようにしかわからない。

 

 方向転換の際の僅かな停止時間。一瞬だけ鮮明に映る聖女の残滓を二つの灼熱の熱線が刺し貫いた。あと、コンマ数秒切り替え時間が長ければ直撃していた。カノジョは時間が経つにつれて徐々に正確になっていく狙撃に圧迫感を覚えた。

 すかさず、二つの影が飛び込んできた。福音は至近距離から撃たれたショットガンをバックロールで躱し、その隙を狙った鈴の双天牙月の豪打をあろうことかドアを足で押し開けるような気軽さで受け流した。その絶技にもはや笑うしかない。

 

 右に飛んだ瞬間、左へイグニッション・ブースト。鈴とシャルロットが福音のフェイントについていけずに突き放されるが、そこへ黒い影が飛来する。

 

 その手に目を焼く光を迸らせ、軌跡は空気中の塵が焼けて淡く残る。

 

 "―――……ッッ"

 

 福音は弾かれるように距離をとった。これでまた鳥籠の中だ。しかし、この距離だけはマズかった。織江の朔夜には福音ではあの距離だけは歯が立たない。

 

 通算七度目の失敗。福音はこの包囲網からの撤退を目論むが、そのたびにこの女に邪魔をされる。

 

 その苛立ちを爆発させるように福音は銀の鐘を斉射させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦室で真耶は目を見張っていた。あのナターシャ・ファイルス―――厳密にはその経験を間借りした福音であるが、世界のトップランカーを相手に生徒たちが立ち向かえている。戦闘開始から三十分が経過したが、未だ誰も損傷らしいダメージは受けていない。それに対して、福音は攻撃頻度が劇的に低下し、回避運動も単純になってきた。機械である福音が疲労しなくとも、ナターシャ・ファイルスの身体はたしかに消耗している。

 

 ―――もしかしたら、このままいけば勝てるのではないだろうか?

 

 そんな希望観測ともいえる考えが真耶の頭に浮かんだ。

 

 こちらはまだ切り札たる零落白夜を使用していない。そして、福音はすでに消耗し始めている。

 

 実際には奇跡的な戦況といえる。もしも福音が己の損傷を顧みずに確実に一人一人を全力で潰す作戦に切り替えたのならなす術はない。

 しかし、最優先目標が『日本へ行く』である福音は『次』を見据えなければならない。だからエネルギーの無駄な消耗は避ける。―――という思考にしか至らないという福音への奇妙な信用からこの作戦が成り立っている。

 

 千冬は横目で櫻井を見た。

 

 「その作戦指揮、一応は見事と言っておこう」

 

 最初のラウラへの銀の鐘の掃射を見た瞬間、櫻井は作戦を切り替えた。福音のエネルギー消費の莫大さを見抜いたのだ。そして、福音には構造的な欠陥が存在した。

 福音の主武装―――銀の鐘は三十六門のエネルギー砲口とスラスターの複合装備。どちらもエネルギーを消費する。

 

 では、そのエネルギーはどこから持ってくる? 

 

 答えは、当たり前だが福音自身。つまりは―――

 

 「銀の鐘へと供給される出力装置は単一でしかない。あれだけの消費を賄うには攻撃か移動か、どちらかにエネルギーを割かなければいけない。福音は"エネルギー弾の掃射と超高速移動を両立できない"」

 

 それに気がついた瞬間、櫻井はエネルギー切れに持ち込む作戦へと切り替えた。元は零落白夜無しでの作戦を考えていたのが幸を成した。おかげで、致命的な隙を与えることなく作戦の切り替えをすることができた。

 

 このままいけば勝てるかもしれない。状況からしてそれは当然の希望であった。

 

 そうであってほしい。そんな願いに千冬は顔を曇らせた。櫻井も難しい顔でモニターを睨んでいる。一方で、作戦室で真耶とエレナだけがその理由を理解できない。

 

 「だが櫻井、この作戦は……」

 

 「わかってます。この作戦は、おそらくは失敗する」

 

 櫻井の断言に真耶とエレナが驚いた。彼の顔からその言葉がウソではないとわかっている。

 

 「な、なんでっスかセンナくん? 作戦は上手くいってると思うっスけど」

 

 「無理だな。あわよくば、とでも考えていたが、世の中やはりそんなに甘くはないらしい」

 

 どこか諦めのようなものを含んだ声。

 

 たしかにこの作戦は完璧だった。このまま行けば福音を封殺することも可能だった。―――理想論で問えばだが。

 

 そして、ここでやっと真耶とエレナはモニターのなかで繰り広がれている戦況の違和感に気がついた。

 

 先ほどまで惚れ惚れするような連携だった迎撃組がギシシャクし始めてきたのだ。ラウラとセシリアの狙撃はタイミングを失ったように頻度が減り、織江のほうも徹底的に格闘戦と避けてきた福音が時折刃を交えるようになった。

 噛み合わない歯車、些細な糸のほつれ。疲労から生まれた僅かな誤差が徐々に致命的な状況へと繋がっていく。

 

 福音と同じように、今度はこちら側が消耗してきたのだ。たった一つでも判断を誤ればそこを突かれて落とされる、そして、たとえ一度防げても、エネルギー切れを起こした時に攻撃されれば、死ぬ。代表候補生たちは本当の戦闘を経験したわけでもなく、土壇場の緻密な連携も神経を擦り減らしていた。福音に肉薄して気を引く役目の鈴とシャルロットの消耗が一番激しいように見えた。すでに滝のように汗を流し、呼吸も肩を上下させているほど荒い。

 

 たいして、福音に精神的な摩耗などない。ただ彼女は淡々と最適解を選択していくだけ。そのロジックに迷いなどという疲労はない。

 

 そして、千冬と櫻井がこの作戦でもっとも憂いている懸念がある。

 

 「なによりこの作戦は―――」

 

 口を開いた先で、温存していた福音が、最初の二度の斉射以来初めての全力攻撃をしかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唄が響き渡る。

 

 上空4000mから連続掃射されたエネルギー弾は迎撃組の視界を覆う。その一撃は取るに足らないかもしれない。だが、たった一発にでも捕まれば、体勢を立て直す前に後続のエネルギー弾がこちらを刺し貫く。

 

 鈴は汗にまみれた顔を気丈に歪ませた。

 

 「きっついわねもう!」

 

 視界いっぱいに広がるエネルギー弾。その先にいる福音の姿が憎らしいほどに神々しい。悔しいが今の現状では超えることもできない。こちらは最新鋭のISを五機だというのに届かない。

 

 最高速度はそれなりであるものの、加速力がやや低いコウ龍を鈴は海に沈めた。ひんやりとした海水が火照った身体を冷やした。

 瞬間、海面が白く染まり、鈴が衝撃で叩かれる。エネルギー弾が海面に接触して爆ぜたのだ。予想以上だった衝撃で鈴は口を開けてしまい思わず海水を飲んでしまう。

 

 図らずも一度リセットされた思考で、鈴はとある違和感を覚えた。

 

 "……?"

 

 「鈴、大丈夫!?」

 

 緊迫したシャルロットの声。鈴は荒れた海面から姿を現すと口に残った海水をぺっと吐き出した。

 

 「心配ないわシャルロット」

 

 口元を拭いながら鈴は先ほど感じた違和感の正体を考えた。

 直感とも言える根拠のない引っ掛かり。しかし、鈴はこの本能的な感性こそ大切だと思っている。

 

 そんな考えが実を結ぶ。違和感の正体に気がついた。

 

 "なんでこのタイミングで本気を出した? いや、なんでいままで本気を出さなかった?"

 

 エネルギー消費を避けるロジックならば今の攻撃は不可解だ。いくらこちらが消耗していようと今のようなただバラ撒くような攻撃では射撃密度が足りないはず。あまりにもエネルギー消費と効果が釣り合わない。

 しかし、消耗したこちらを叩こうとしたのなら、福音は迎撃組を撃墜してから逃げる方向へと転向したはずだ。

 そもそも、おかしな点はまだある。福音はさきほどまでエネルギー弾を少量に絞っていた。その時はイメージインターフェイスによる誘導の問題かと思ったが、それならばある程度は福音はエネルギー弾射出とスラスター操作を両立できているのではないだろうか。だというのに、福音は徹底して射撃中はスラスター操作をしている気配がない。ただの考えすぎだろうか?

 

 

 明らかに引き伸ばされている不可解な戦況。ちぐはぐな攻撃手段。この状況をこちらが狙っていたはずなのに、福音はなぜロジックを切り換えることなく付き合ったのか?

 

 何かがおかしい。いや、そもそも、"コイツは本当にこちらを振り切るつもりなのか"?

 

 その疑念はこの作戦の根底を揺るがしていた。

 

 回線が開いた。

 

 『凰鈴音。奴の動きを止めろ。時間切れが近い。少々強引だが、こちらからしかける』

 

 「その予想してましたって声が腹立つけど、願ったり叶ったりね……! シャルロット!」

 

 「わかった!」

 

 鈴の呼びかけにシャルロットが応える。

 

 自動小銃の指切り射撃のように散発的に掃射されるエネルギー弾を掻い潜り、鈴とシャルロットは福音に肉薄する。

 

 その強気な姿勢に、わずかに福音から戸惑いの間を感じた。それでもなお、福音は今度は射撃密度を上げた斉射を二人に差し向けた。

 

 待ってましたと鈴は叫んだ。

 

 「セシリアッ!」

 

 鈴のリクエストにセシリアは完璧に応えた。

 

 生き物のように動くエネルギー弾の群集を一筋の光が刺し貫いた。

 

 瞬間、空に音が豪放した。空が焼き爛れて、大気が皺ばむ。雲が跡形もなく消し飛んだ。

 

 突然現れた気化爆弾が爆発したのかと錯覚したほどだった。

 

 セシリアのスターブレイカーの一撃がエネルギー弾をなぎ払い、整流を失ったエネルギー弾が次々と爆ぜ、空間そのものが一種の爆弾となって炸裂したのだ。

 

 予想外の攻撃に、福音が脅威の更新をするために僅かに隙が生まれる。

 

 足が止まった福音へ肉薄した鈴は『切り札』を起動させた。

 

 鈴の背から龍砲が消える。その代わりに大きな翼のようなものが量子展開された。

 

 甲龍専用パッケージ装備―――大風。鳥の翼のようなものが広がり、電子回路のような光条が表面を奔る。風が吹いた。

 

 彼我の距離はわずか二十m。至近距離で不可解な装備を目にした福音は得体の知れない何かを感じた。離脱しようとスラスターを起動、―――しなかった。

 

 "―――ッッ!!"

 

 福音に声があるならば、思わず声を上げたに違いない。

 銀の鐘の超高圧出力エンジンはたしかに起動していた。なのに福音は微動だにしない。

 そこで、福音は自分のまわりに起きている異常に気がついた。

 大気が異常に薄い。

 

 そう、これが『大風』の能力ともいえる効果。PICの応用で大気中の物質を押しのける。ドイツのシュヴァルツェア・レーゲンのような大重量は固定できない。だが、重量が極小な大気中の物質ならば僅かな間だけなら除外できる。

 それは擬似的な真空空間の形成。

 

 ISはエンジンは推進剤をプラズマ化させガスを放出、加速する。しかし、現在は宇宙空間で使用するわけでもないため、空気を取り込んで噴出するジェットエンジンとのハイブリットだ。つまりは、取り込んだ空気を圧縮しその中に推進剤をぶち込み爆発燃焼した瞬間にさらに推進剤を追加圧縮爆発の工程を踏むイグニッション・ブーストから空気を取り上げれば不発に終わるわけなのだ。推進剤は想定していない混合比で不良燃焼を起こした。

 

 起動時間はたったの二秒。射程はわずか三十m。発動タイミングは傍から見れば一目瞭然の大風だったが、最高のタイミングで決まった。

 

 理解不能の状況にロジックが空転した福音は隙だらけだ。

 

 足の止まった福音へ、鈴はイグニッション・ブーストを起動させた。手にした愛刀を振り上げ、高らかに勝鬨を上げる。

 

 「はぁあああああああッ!!」

 

 "―――"

 

 だが、機械である福音のほうが僅かに早かった。機械であるがゆえに、移動できなかったという判断は次の瞬間には即座に棄却され、その場で目の前の敵を殺すことにした。

 

 跳ね上がる三十六門もの砲口。この距離ならば疑うまでもない致命傷。鈴は歯噛みする。もしも生きてたら甲龍のエンジンも取っ替えたほうが良いんじゃないかしら、なんて呑気なことを考えた。

 

 数瞬後にはズタズタにされる。福音も、そして鈴もそれを確信している。爆発の衝撃で弾かれたシャルロットの援護は間に合わない。絶対防御なんて最初の一秒で発動して、次の一秒後には鈴の身体は消し飛ぶ。

 こりゃ完敗だわ、とあれだけ運良く事が運んだにも関わらずどうしようもないぐらいな負けに諦観した。

 

 だからこそ、鈴は笑う。

 

 「ま、あたしの役割は最初からあんたを倒すコトじゃなかったけどね」

 

 その少しばかり恨みがましい言い訳ごと福音が撃ち抜こうとした瞬間、

 

 ―――白い閃光が駆け抜けた。

 

 右片方の銀の鐘が消し飛んだ。

 

 "―――ッッッ!!?"

 

 くるくると宙を舞ったあと銀の鐘が爆発した。そのあおりを受けた福音はバランスを崩して、何の関係もない雲を残った銀の鐘が蜂の巣にする。

 

 一夏は零落白夜を構えて獰猛に笑った。

 

 「やっと出番が来たな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「大丈夫か鈴」

 

 「……狙ってたとはいえ間に合うなんて。あんたホントにヒーロー体質よね」

 

 鈴は呆れたように言った。はじめの加速を箒に後押ししてもらったとはいえ、一夏の登場タイミングは完璧といってよかった。

 最初から計画されていたマッチポンプ。しかし、やはりその姿はかっこよく見えてしまうのが恋する乙女の困ったところ。

 一方で、はてと首を傾げる一夏だった。

 

 「敵を見ろお前ら!」

 

 苛立った箒の声が響く。

 そわりと産毛だ逆立つような悪寒。一夏は強引に機体を後ろに弾いた。

 

 刺し貫く数十もの光線。

 

 見やれば、福音が憤然と一夏に残った砲を差し向けている。フルフェイスのヘッドパーツに表情はないはずだが、その姿は怒り狂う寸前だと見て取れた。

 

 「怖いな……。普段同じレベルの扱いを受けていても慣れないぞこれ」

 

 「一夏、あんた死にたいの?」

 

 迂闊なことを口に滑らせた一夏へ、鈴が場違いなほど明るい笑みを浮かべた。

 

 一夏はさっと顔をそらす。やはり違いがわからない。

 

 通信が入った。

 

 『織斑一夏。一撃で決めろと言ったはずだが』

 

 「わ、悪い。零落白夜って加減が難しいんだよ。全力で振り抜いたら中の人まですっぱり斬っちまう」

 

 『バカかお前は。余裕もないくせに手加減なんて考えるな。そういうのはせめて勝率六割を超えた相手にしろ。死ぬ気でやれ、でないと本当にあっさり死ぬぞ』

 

 言外に殺す気でやれと言われて一夏はムッとする。そう言われてはいそうですかと殺人兵器を振り回す気はさらさらなかった。

 

 零落白夜は一夏の精神状況でその性能や威力を大きく変える―――らしいが、一夏は可能な限り出力を絞った。

 

 福音のエネルギーの枯渇は間近であるとわかっている。大した威力は必要ない。

 

 「行くぞ箒!」

 

 「ああ! 決着をつけるぞ!」

 

 白と紅。二つの機影が躍り出た。

 

 "―――ギィッ"

 

 福音が唸る。推察通り、もはやエネルギー切れは近い。そんな時にさらに新手が二機。フザケた状況だ。

 

 福音は大きく重量バランスが狂った機体をPICを偏向させてなんとか持ち直す。

 

 後ろに下がりながら、福音は自分の手を確認するように開閉した。傷だらけの欠けた鍵爪。変化はない。

 

 その奇妙な動作に違和感を覚えながらも、一夏と箒は福音との彼我の距離を削り飛ばした。

 

 矢のように疾駆する朱い機影。世界唯一の第四世代機―――紅椿。洗礼された機影の背中の装甲が翼を広げるようにスライドした。

 瞬間、紅椿は福音さえも超える加速と機速で大気を置き去りに突き抜けた。

 

 "―――ッ!"

 

 福音は揺さぶるように機体を振った。経験の浅い箒はそのフェイントにあっさりと引っかかる。であるのに、福音は箒を突き放せない。全速で駆け抜けようにも紅椿は福音のロジックを覆すほどの速度でその距離をあっという間に縮めた。

 

 朔夜も福音に迫れるだけの凄まじい機動性能だった。だが、これは―――

 

 追いついた箒が双刀を振るう。

 左のカタナを突き出した。距離は五十mは離れている。だが、ナターシャの培った経験が福音のロジックを越えて警報を鳴らす。半身を逸らす。その身体を擦過するようにナニかが突き抜けたのがわかった。

 続いて右のカタナが振り抜かれた。無防備な福音の胴を断つ軌道。今度は見取った。カタナを振り抜いた範囲にエネルギーが放出されている。まるで逆上がりでもするような体勢で福音は死のハードルを飛んだ。躱した先の海面が数百mにわたって抉れる。

 

 "―――ギギッ"

 

 福音は悟る。この機体は格上だと。しかもまだフルスペックを出していない。

 

 勝てないかもしれない。

 

 福音はそんな可能性をはじき出した。

 

 「一夏、遅いぞ!」

 

 「速すぎだろ時速千何百キロ出てると思ってんだよ!」

 

 残った銀の鐘の砲口を小刻みに連射しながら徹底して引き撃つ。

 迫る一夏と箒。恐れるように福音は徹底して下がる。

 

 ―――押し切れる。

 

 この勝機を逃すなど有り得ない。

 箒の戦闘本能がカチリと切り替わった。鍛え上げた神経を極限まで研ぎ澄ませ、スロットルを一気に跳ね上げた。

 

 展開装甲から高圧エネルギーが勢いよく放出され、音を超え、まさに無間とも呼ぶべき速度で彼我が迫る。

 

 福音の中で、ノイズが奔る。最高速度に達していたにも関わらず、まるでこちらが鈍重な牛になったかのように追いつかれた。信じがたい現実。カノジョはなす術がない。

 

 箒は殺った、と確信した。

 

 

 そして、この瞬間―――福音は『賭け』に勝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「―――なっ!?」

 

 箒は紅椿の渾身の一撃が防がれた事に驚きを隠せなかった。

 紅椿の二振りのカタナ。その片割れである空裂(からわれ)は刀身にエネルギーを纏い放出する武装だ。その威力は至近距離ならば主力戦車の複合装甲を容易く溶断し、さらにエネルギーを纏ったままの斬撃はガーディアン・カーテンのエネルギーシールドすらも紙切れの如く切り裂く。

 

 そのカタナが受け止められた。

 そんなはずはない。福音の近接格闘用の鍵爪は既に傷つき欠けていた。空裂ならば薄紙のように斬り落とせる。

 

 その時、奇妙な音とともに空裂が大きく弾かれ、箒が仰け反った。

 

 通信機から鋭い声が飛んだ。

 

 『後ろに飛んで!』

 

 困惑から我に返り、箒は弾かれたように飛び退る。

 

 まさに箒のいた空間を、"巨大な爪"が鷲掴みにした。

 

 そう、あの傷だらけで欠けていた爪が、凶悪で胴体などまるっと掴み取れるほど大きな爪に変わっている。それはかつての人狼の爪を思わせた。白銀に輝く爪の手のひらには円形の真っ黒い窪みがあった。

 

 「すまないエレナ」

 

 『ホーキっ、アレに掴まれちゃダメっス!』

 

 その助言を正しく聞いていたのか、本能的に悟ったのか、箒は紅椿の埒外な瞬発力で飛び退いた。逃げていた先ほどと打って変わって箒へ飛びかかってくる福音。その両腕の凶悪な前足の底からはうっすらと光を帯びている。

 

 箒は双刀を駆使して凶爪から逃れる。先ほどまではあんなにも接近戦から逃げていたのに今は果敢に攻め立ててきている。もともとナターシャ・ファイルスの技量は隔絶としている。いくら接近戦が得意な箒とはいえ、洗礼された軍隊格闘術の前には経験不足だ。

 

 『わたしの記憶が正しければその掌に装備されたそれはアメリカで開発されてる指向性超高圧式ジェットっス! でもそれはゴスペルには装備されてないはず……!』

 

 「すまない全然意味がわからん!」

 

 『わかりやすく言っちゃうとそれに掴まれたら銅像のお腹にも風穴があきます! ホーキの腹筋じゃムリですから!!』

 

 「当たり前だ!!」

 

 なんとか叫び返す。

 

 場違いに叫んだせいか、少し冷静になって箒は福音を見た。紅椿と打ち合えるほどの膂力、そしてより洗礼された機体の形状。これは―――

 

 「両爪もそうだが……、やはりコイツ……ッ!」

 

 「第二形態移行(セカンド・シフト)! 機械のクセに博打したって言うの!? ホントに素直に落ちてりゃ良いもんを……!」

 

 鈴は違和感の正体の真意を知った。

 

 これが、この作戦における千冬と櫻井の最大の懸念だった。

 ISが戦闘経験を積めば自己進化機能が促進される。それも殺し合い、さらには劣勢であるのならその速度はさらに上がるだろう。

 

 最初の攻撃で櫻井がエネルギー切れに作戦を切り替えたように、福音も罠に誘導されたと判断した瞬間、方針を切り替えていたのだ。

 不可解なぐらいに引き伸ばされていた戦況は、福音が"経験値"を積むためのものだった!

 

 鈴が双天牙月を振り上げ叩きつけた。

 福音はそれを危うげなく、真正面から受け止めた。

 

 「押しきれない……! くそ!」

 

 掌底が燐光を帯びたのを見て、鈴は慌てて抜き取ろうとするが、その手からがっちりと絡め取られて離れない。

 

 「そんな……! 甲龍の推進力がパワーアシストの握力に負けた……!?」

 

 光が爆ぜる。高圧縮されたエネルギーが指向性を持って開放された。

 

 盾すらも粉々に砕く双天牙月の刀身が粉々に砕け散った。散弾のように撒き散らされた残骸がエネルギーを容赦なく削る。

 

 狼狽する鈴へ魔手が伸びる。

 

 掴まれたらそこで終わる。振り払うのは難しい、たとえ一度や二度アレを防げたとしても、さらに連射されれば木っ端微塵になって死ぬ!

 

 「―――ッォおおおおおおおおお!!!」

 

 体当たりで一夏が福音を掻っ攫う。

 

 寸でのところで命を拾った鈴は思い出したように詰まった呼吸を再開させた。

 

 もはや近接格闘能力すらも向こうに軍配が上がる。鈴はせめてと叫んだ。

 

 「一夏っ、いくらセカンド・シフトを果たしたってあっちはエネルギー切れが近いのは変わらないわ! 零落白夜を掠らせればこっちのもんよ!!」

 

 「ああわかった!」

 

 一夏は神経を尖らせて構えた。広い空も海も目に入らない。その眼は敵一点。敵はおそらくシールドを最小限までカットするだろうがもはや零落白夜のまえでは無防備に等しい。たとえ相手が一段も二段も上手でも押し切れる。

 

 決意を固めて福音を凝視する。

 

 福音も静かに見つめていた。その眼には、何故か今の現状以上の敵意を感じる。

 

 セカンド・シフトを果たしたところで、福音は満身創痍。片方の銀の鐘を失ったことにより重量バランスが大きく狂った状態なら高速機動戦など望むべくもない。

 

 白式と紅椿、そして仲間たちからの援護があれば―――

 

 そう考えた矢先で、おもむろに福音は己の背中に手を回した。大きな鍵爪の手が、残った銀の鐘を掴み取る。ぶちっずるり、と背中に接続された銀の鐘を"毟り取った"。破断したシャフトやケーブルが骨や欠陥のように垂れ下がる。まるで、もはや使い物にならなくなった身体の部位を、邪魔だからとでも言うように。

 

 「なに、をやっているんだ……?」

 

 さしもの一夏もその行為にど肝を抜かれた。あれだけ傷つけられたことに怒り狂っていた福音が、不要なゴミでも捨てるかのように毟り取った銀の鐘を放り捨てたのだ。

 

 

 そして、変化が起こる。

 

 

 傷口から血が流れるように、淡く輝く白い流体状のものが滴り落ちた。やがてそれは姿を変え、そして羽になる。なめらかな動作で広がった翼は神威だ。誰にも理解されることも、触れられることもない奇跡。恐れるように福音から風がふいた。

 まるで生命の羽化にも似た、素手で触れることさえも憚られる神秘に、知らず後ずさる。

 

 

 空や海や雲よりも、なおもよく映えるその翼を福音が展開した。

 

 

 その大きさは数百mにも及んだ。

 光り輝く翼の表面から撃ち出されるエネルギー弾。白式のハイパーセンサは律儀にもその数を正確に表示した。三枚の対になった六枚の翼から撃ち出された光弾の数は三千六百発を数えた。

 

 先ほどまでの軽く十倍の数を、まさに一度に撃ち出され、空はエネルギー弾で光り輝いた。

 

 「避け―――」

 

 その声は誰だったのか。

 

 次の瞬間には、世界が死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『―――か、』

 

 耳をつんざく音は、しばらく一夏から聴覚を。眼を焼く光は視覚を奪った。それでも、ハイパーセンサーの恩恵がなければどちらも失っていたのではないだろうか。

 

 『織斑一夏、返答しろ』

 

 薄気味悪いほどの静寂の中で、ささやくように聞こえる声。どうしてか今の現状では安心できる声だった。

 

 「さ、櫻井か…。なにが、どうなった」

 

 『こちらから確認した限り五体満足だ。……見た目上ならな』

 

 「みんなは……? 無事か!?」

 

 巻き上げられた海水や水蒸気のせいでひどく視界が悪い。べたついた海水が気持ち悪かった。

 

 『一点集中で狙われたわけじゃない。全員五体満足。……とまではいかないな。戦闘続行できるほど無事といえるのは織江と織斑一夏と篠ノ之箒。それと上空にいたセシリア・オルコットぐらいか。他の三人は機体の損傷からもう戦闘は無理だ』

 

 どこか遠くでエレナが叫ぶような声がした。おそらくは、櫻井の近くでエレナが箒の無事を確認しているのだろう。

 

 図らずも戦闘は中断された。

 一夏はこの機を逃す訳にはいかないと訊ねた。

 

 「アレは、いったいなんだ櫻井」

 

 福音の背中に表れた翼。明らかに物理的な何かではない。エネルギーでできている、なんて説明は不可能だ。運動、熱、光。エネルギーには姿はあれど形を成すなど不可能だ。

 

 通信機からは怪訝そうな声が上がる。

 思ったよりも、冷静であった一夏に引っかかりを覚えたのだ。

 

 『正体は明白だろう。織斑一夏のその手にも握られているだろう?』

 

 「……! まさか」

 

 単一仕様能力(ワンオフアビリティ)。各ISが操縦者と最高状態の相性になったときに自然発生する能力。通常の物理現象を超越する超常の力。

 

 なるほど。たしかに、セカンド・シフトと同じく、これだけ緊迫した状況なら誘発されてもおかしくはない。

 もとより、操縦者であるナターシャ・ファイルスは自分のIS人生とともに開発が始まり、共に歩んできた銀の福音に並々ならぬ愛情を注いている。可能性は十分にあり得た。

 

 一夏は自分のワンオフアビリティである零落白夜の強力な力を知っている。故に、初めて相対するナターシャのワンオフアビリティに背筋が凍る。

 

 突然、視界が晴れた。いや、靄が消し飛んだ。

 福音がその翼を軽く払ったのだ。たったそれだけで視界を重く妨げていたものが跡形もなく吹き飛んだ。

 

 台風もかくや、突風にあおられた一夏は、まるで巨人が矮小な自分が隠れている小石を拾い上げ、見つけ出したかのような錯覚を見た。

 

 福音が真っ直ぐに一夏を射竦める。その眼は揺るぎない。

 

 一夏は呼吸が荒くなるのを抑え、問うた。

 

 「……それで櫻井。どうすりゃいいんだこれ?」

 

 すでに、一夏の許容範囲を超えている。だが、あの男なら、櫻井千奈ならばこの絶望的な現状を打開するだけの策があるのではないだろうか?

 

 たとえどんな理不尽な条件をつきつけられても成し遂げてみせる、と。そんな覚悟を固めていた一夏に、櫻井が指示を出した。

 

 『状況終了。迎撃組はすぐさま撤退しろ』

 

 何を言われたのか理解できなかった。

 

 状況終了? 今まさに殺し合わんと向かい合っている状況だというのに。

 撤退? 迎撃作戦は終わっていない。ならばなぜ撤退しなければならないのか。

 

 ぐるぐると櫻井の真意を図ろうと足りない頭が空回りする。

 

 いや、どこかで一夏は気がついているのだ。

 

 「……またかよ。なんでだ?」

 

 口に出した問いは自分でも驚くほど空虚だった。

 

 通信機からの返答は理性的だった。

 

 『こちらはエネルギー切れと零落白夜の一撃に賭けた。そして福音は時間を稼ぎ、セカンド・シフトとワンオフアビリティの発現に総てを賭けた。結果はこちらの敗けだ。エネルギー切れまで持ち込めなかった時点で、いや、福音がエネルギー切れまでに凌ぎきった時点で勝負はついた。勝算ならばこっちがよほど上だった。ただ運が悪かったんだ。迎撃組は最善を尽くしていた』

 

 櫻井は珍しくも、説得するように言葉を選んでいたように思えた。だからこそ―――

 

 「それは、俺のせいか……? 俺が、あの時にナターシャを殺せなかったからか?」

 

 『……落ち着け織斑一夏。お前のせいじゃない。もともとこの作戦は博打の要素があまりにも多すぎた。あのISは競技用の条約締結型のコンセプトではなく戦争に特化したコンセプトだ。競技場ならともかく、非限定空間の戦いだと分が悪い。だから、退け。ワンオフアビリティを発現されたからにはこちらの勝算は不透明だ。ナターシャ・ファイルスのワンオフアビリティの能力すらもまだ検討できていない』

 

 「じゃあ、この後はどうするんだ」

 

 『一式航空魚雷はあと数発ある。それで時間を稼いでる隙に撤退を―――』

 

 「俺のコトじゃねえよ!」

 

 気がつけば激情が溢れ出ていた。

 だが、だから何だ。櫻井はこう言っているのだ。もうこっちが危ないからアイツは放置して逃げろと。

 

 では、その後は? コイツが向かう街の人は? 

 

 おそらく、櫻井はその結末を理解している。その上で、"どうだっていいのだ"。

 

 知らないから。関係ないから。

 そんなもののために櫻井は必死にはならない。

 

 櫻井は、同情なんてしないのだ。

 

 長い、永い沈黙の後、批難するような響きの声がする。

 

 『……織斑一夏。……お前は、狂っている』

 

 「……は?」

 

 『なぜそこまで必死になれるんだ。なぜ自分の命を軽々に投げ出して他人を救おうと思う。なぜ、お前の生き方に、自分の命が算段に入っていない……!』

 

 そんなはずはない。一夏は死にたがりじゃない。いつだって生きたいと思っている。自殺なんてもってのほか、殺されたくなんてあるわけない。

 

 では? なぜ織斑一夏はこの場に立てているのか?

 

 もはや敵との戦力差は絶望的。敵はこちらを殺す気で、一夏自身は傷つける覚悟すらもない。

 

 勝てるのか?

 

 勝てるはずもない。

 

 自分で理解している。これは一種の自殺なのだと。

 

 敵わない相手に爪を立てるのは。叶わない希望に総てをかけるのは。待ち受けているのは自壊でしかない。

 

 矛盾だ。矛盾している。だが、たった一つ。もしも櫻井の言うとおりならば、織斑一夏の行動原理は辻褄が合うのだ。

 

 恐れた。正確には、それらになんの恐れを感じていない自分に恐れを抱いた。

 

 重い虚脱感と、不自由な浮遊感が一夏から五感を奪う。

 

 霞む視界が瞬いた。何も見えないのに、身体は操り人形のように突き動かされる。

 

 迫りくる死の賛美歌。光弾は一夏一人に殺到した。

 

 「ッァァァアアアアアアア!!!」

 

 得体の知れない激情を振り払うように、剣技など無視して零落白夜の振るう。触れたエネルギー弾は跡形もなく消し飛ぶ。だが、迫る無数のエネルギー弾はとてもだがカタナ一本で払えるものではない。

 

 それでよかった。一夏は被弾覚悟で引き絞った矢のように駆け抜けた。

 

 接近を嫌がる福音は退いた。さすがに、零落白夜相手では接近戦はハイリスクだ。だが、アレは剣でしかない。届かなければ無力に等しい。

 

 一夏はさらに加速して追う。

 

 『待て! それ以上は作戦領域を越える!』

 

 千冬の声がした気がした。だが、従わなかった。

 

 数十キロに及ぶ逃避行。

 

 突然、福音がこちらに向き直る。眼下には作戦区域外だからと避難が後回しにされた漁船が取り残されている。

 それを背にした一夏に逃げ場はない。

 

 福音の翼が変化し、一つの槍となる。

 

 あれだけの破壊を撒き散らした翼から創生された槍は、数千度の熱と都市区画と吹き飛ばすだけの威力を混在して、流星の一撃となる。

 

 反射すらも難しい速度で突き抜ける槍を一夏の眼は捉えた。

 

 上等だ、斬り伏せる!!

 

 無意識に叫んだ。

 

 「『絶て 零落白夜』!」

 

 カタナは鋭く長く。一夏に従って顕現した。

 

 真一文字に振り抜かれたカタナは澱みなく、投げられた槍を正面から真っ二つにし、勢いを大きく削がれた槍は融けるように消え去った。

 

 一夏はイグニッション・ブーストを起動させた。輪郭さえも捉えられぬ超加速。

 

 福音もその場から動かない。代わりに、残りの翼をすべて槍に変化させた。

 

 一発目。一夏は大上段から叩き潰す。

 

 二発目と三発目は同時。それを返したカタナで切り払うが、殺しきれなかった勢いで零落白夜が後ろに大きく弾かれた。

 

 四発目を、あろうことか一夏は左腕で殴りつけた。左マニピュレータは弾け飛び、ISの生体保護機能により防御が間に合ったが左腕は見るも無残な有様で、完全に捻じれ曲がっていた。

 

 そして五発目。音はしなかった。手応えもなかった。

 

 「……あ?」

 

 一夏も福音も、予想外の出来事に驚いて停止してしまった。福音に至っては得体の知れないものを見たようにたじろいだ。

 

 いったいなんなんだ? どうも右の横っ腹が熱いと、一夏は手で触ろうとして失敗した。

 

 見れば、一夏の腹部の右半分が、コンパスで線を引いたようにきれいに半円を描いて消し飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 終わらなかった…
 もっとコンパクトにまとめられればよかったんですが、書きたいネタぶち込んだらこんなに…
 どうも予告詐欺が多いアラタです。今度こそ、今度こそは完結させます…!

 めちゃくちゃ寒い今日この頃。鹿児島に住んでいるのですが、外は豪雪です。うっかり珍しくて庭を歩いてみたのですが、氷柱が屋根からすぐ目の前に落ちてきて慌てて家に引きこもりました。積雪は30㎝ほどですが、新田良はそろってコタツムリ状態です。

 アドバイス、批評、ついでに感想評価要望をお待ちしています

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。