第四十三話 陸上自衛隊特殊部隊隊長櫻井千奈特務尉官のお仕事
シャルロット・デュノアは煉瓦道を歩いていた。
弾むような足取りと鼻唄は彼女の上機嫌さを演出し、ふわりと揺れる金色の尾は夏の太陽の下できらきらと輝いて見える。
その姿は街を歩けば雑踏のなかや、アイドルが隣にいても映えていただろう。
ちなみに、彼女だけではない。
ときおりすれ違う他の生徒たちもどこか浮ついた表情を浮かべている。まるで重荷から開放されたようではあるが間違いではない。
本日をもって、三日間の期末テストが終了したのだった。
IS学園ではもちろん普通のテストがある。前学期と後学期にそれぞれ中間テストと期末テストがあり計四回。
さて、これが多いか少ないかは人それぞれの判断だが、数が少ないということはそれだけ一つ一つのテストに対するプレッシャーは大きいといえる。
地獄の三日間を乗り越えれば待ち受けるのはバカンス。つまり夏休み。真夏の太陽のアバンチュール。
フランス人のシャルロットにとって始業式が四月にあるのは不慣れであり違和感があるものだが、いざそうなってみると長期休みが年度の真ん中にあるのは嬉しく感じられた。
私はこの夏季長期休暇は帰国する予定はない。
かくいうのも、帰国するのが大変気まずい状況なのだ。
私の実家であるデュノア家はフランスでも一位二位を争う財閥だ。飲食店から重工業までその手はフランス全土からヨーロッパを中心に広がっている。
つまり私は世界的財閥の娘。ご令嬢―――だったのなら話は単純だったのかもしれないが、世の中はひねくれている。神様は随分と趣味が悪い。
なんと私は妾の子供だった。
なぜ『なんと』なのかと言うと、母が急死して初めて知ったからだ。
母親一人に育てられていた私はその多大な愛を一身に受けて育ったものの父親についてはついぞ触れたことがなかった。ただ一度、父親について聞いたコトがあったが、母親はにっこり優しく笑って「とても良い人よ」とだけ言った。
母が急死して、天涯孤独であわやカトリック系の施設に入る直前でいきなり父親だと名乗る男が登場。
ここで私が勝手に死んだと決めつけ、母の優しい言葉と妄想で育まれていた優男系美男子シャルロットファーザーは木っ端微塵に砕け散る。優男系美男子シャルロットファーザーをターミネートしたのはまさにターミネーターのような男だった。氷と鉄で構成されたようなコンバットナイフのような男だった。
呆気を取られていた私はあっという間に拉致されデュノア家の一員となるのだった。
抵抗した神父を拳で黙らせた男が父親だというのも卒倒ものであるが、さらに屋敷で発覚した妾の子という事実も嘘だと信じたい。正妻からの「泥棒猫の子め!」なんてドラマでしか聞くはずもないと思ってた言葉と平手で現実に戻ったが、同時に自分がこの家でメイドよりも低いカースト最下位という現実も知った。それからの正妻からの嫌がらせを思うと今でも鬱になる。根本的な原因となった父親からの助けなど借りる気もしなかった。
「あの人からどうやって二人が生まれたんだろう……」
ヒステリックな正妻だが、その二人の子供は至って普通に接してくれる。シャルロットよりも九歳年上の義理の兄は同情的で優しく人間的にも尊敬できる優秀な兄だ。シャルロットより四歳下の義理の弟は愛らしい無邪気な笑みを浮かべて今でも慕ってくれる。
もしもあの二人がいなかったら私は頑張れていなかったと断言できる。
そんな実家コンプレックスを持っている私は帰国の予定はない。というか、帰国する必要がなくなった。
代表候補生がこの時期に帰国する理由のなかで、家族に会う他に祖国で待ち受ける試作品のテストがある。
しかし、私の場合は今回はない。なぜなら、このIS学園に怒涛のように装備が送られてきたからだ。
これにもまた理由があった。
今から一ヶ月半前の話だ。ざっくり略すと、私はスパイだった。……これは省略しすぎたかもしれない。
私は産業スパイだった。目的は白式の稼働データだ。今となってはそんなもの盗み出してどうするんだと首をかしげたい代物だったが、欧州のイグニッションプランから除外された事に焦ったデュノア重工業幹部のなりふり構っていられない様子が伺える。
結論を述べると失敗。むしろ私の恋心を一夏に奪われた。本当に生きててよかったと思えた瞬間だ。惚気て申し訳ないがこの一ヶ月で得たものとは比較もできない。
結果、私は遅すぎる反抗期宣言。冷酷非道、地獄の悪魔も裸足で逃げ出すようなのターミネーターに対して、
「私は貴方の命令に反します。いち……友達に対してそんな卑怯な事をしたくありません!」
我ながら清々しい宣戦布告。思い返しただけでも足が震える。音声通信だったが電話口から拳銃でも突き出されるんじゃないかと戦々恐々していた。ぶっちゃけ後がないデュノア社からしてみれば、即時帰国からの専用機没収、そしてこのまま暗殺の必殺コンボでもやって来そうだったが、会長―――つまりはシャルロットの父親からの返答は以下の通り。
『わかった』
―――わかった!? 今のでナニがわかったの!?
逆に私が大混乱。
拾われて五年。何年も恐れ悩み、そして恋した男子生徒に後押しされて二日徹夜して考えた『デュノア製ターミネーターターミネート大作戦』はまさかのたった一言で終結した。
それから数週間経ったが音沙汰なし。まさかのドラマ性ゼロ。散々先延ばしにした挙句打ち切り終了。どうやら本当に完結してしまったらしい。それはそれでどうなんですかお父さん?
もしやこれは父からの策略ではないか、と特殊部隊所属の実は寂しがり屋ウサギ系ドイツ美少女に相談してみると「シャルロット。お前は疲れてる。寝るんだ」と言われてしまった。悲しい目で言われたのがとても傷ついたのを覚えている。
そんなわけでシャルロットはこの夏休みもIS学園に残ることになった。正直、望んだはずなのに複雑な心境である……。
「あれっ……、でもこれってチャンス……?」
はたと気づいてしまう。
そう、一般的な代表候補生は帰国するが、私はしない。
そして、世界から狙われている一夏が世界で一番安全と言われているIS学園から出ていく可能性は低い。
……ヤバい。これはチャンスではなかろうか。
まさにヤりたい放題。邪魔者がいない。まさか最大の難関である千冬は仕事があるから四六時中一緒にはいないだろうし、不真面目な櫻井が一夏の護衛を片時も離れずにするだろうか。
「うわーっ、どうしようどうしようっ。え……、これってまさに神様の試練だよね?」
夏休みのなかで進む恋物語。帰国しIS学園に帰ってきた仲間たちに「ごめんねー。ボク一夏と―――(以下略)」と自慢。悔しがるライバルたち。
ヤバいヤバい。この妄想だけで雪山で暮らしていける気がする。
山のように送られてきた装備品のレポートに明け暮れると思っていた夏休みだがまさかのボーナスステージだったなんて。
ふわーっとした妄想をしているだけで身体が火照ってきた気がする。端から見たら何してんだろうって思われる。
とりあえず落ち着こう。
そう心を沈めたその時だった。
校舎の角から勢い良く曲がってくる人影。車だったら素晴らしいドリフト走行。
人影の正体は件の織斑一夏。
一夏は私の顔を見るや否や泣き出しそうな顔ですがりついてきた。
「うわぁあぁあああ、シャルロットだシャルロットだ……!」
「ど、どうしたの一夏!?」
普通に考えてセクハラを突き抜けた行為だが、恋する乙女にとっては火にニトログリセリンをぶち込む所業だ。ばっくんばっくんに好き勝手に鼓動する心臓を抑えて努めて淑女らしい表情を維持する。うっかりするとこのまま抱きしめてニヤけそうだ。
ハッと我にかえる一夏。私は理性の勝利にガッツポーズ。
しかし、私の心境など知るハズもない一夏は必死の形相でまくしたてた。
「シャルロットっ、ここには誰も来なかった!」
「うん、ボクがいるんだけど」
「そうじゃなくてーっ!」
どうやらよっぽど余裕がない様子だ。まあ、おおかたヒロインズか櫻井か。そのどっちかに追われているのだろう。さっきのはちょっとした悪戯心だ。一夏の情けない表情を見ていると、こう、むくむくと良からぬコトを考えてしまうコトがある。
「俺はここには来なかった! 頼むっ、シャルロットしか頼れないんだ!」
「えっ……」
不覚にもドキリときた。今のは卑怯だと思う。好きな人にお前しか頼れないとか言われたらなんだってしてしまうではないか。
「うんわかった! 任せて一夏! ボクは一夏の味方だよ!」
「サンキュー恩に着るぜ!」
脱兎のごとく駆け出した一夏。
私の心臓は努力も叶わずフル回転している。一夏と触れた温もりがまだある気がする。
任せて一夏。今なら地獄の悪魔とだって戦える!
そんな覚悟装填済みの私の前に、一夏を追いかけるように現れたのは、やはりというか櫻井千奈だった。
右手に軽機関銃。左手にチェーンソー。顔には般若。
地獄の魔王が私をロックオン。
「シャルロット・デュゥノアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
織斑一夏のゴミ野郎はどこに行ったぁあああああああああああああああああああ!!!!」
「はいあっちに行きましたっ!」
わずか五秒の即日降伏。正確には、覚悟装填から五秒後の悲劇だった。
聞くや否や駆け出した櫻井。つい先ほど、一夏が曲がっていった角で立ち止まると、いきなり機関銃をぶっ放した。
「見つけたぞゴミクズがぁああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「いやぁああああああああああああ見つかったぁああああああああああああああああ!!?」
巻き起こる破壊の銃火と悲哀の叫び。
やがて機関銃の弾丸が切れると、櫻井は軽機関銃を放り出して、チェーンソーのスターターロープを勢い良く引く。チェーンソーが唸りを上げて回転する。
あまりのことに腰を抜かして、放り出された軽機関銃が量子の光となって消えてなくなってしまったことに気が付かなかった。
「いやーっいやーっ! 櫻井落ち着け! 流石に死ぬ! 人殺しは良くないぞ!?」
「ひと思いに死なすかバカ野郎が! その頭を掻っ捌いて脳みそをマイクロコンピューターと入れ替えてやるよ!!」
「絶対やる! お前それ脅しとかでもなく本気でヤル気だろ!?」
嵐はあっという間に過ぎ去った。
なにっいまのはなに!?、と大混乱。
今度はエレナがデジャブのように飛び出してきた。
「シャルロット! いまここにセンナくんが来なかったっスか!?」
「……え、……えええと…、あっち……」
震える手でなんとか指差すとエレナはすっ飛んで行った。
「わーっ、待つっスセンナくん! さすがにそれはイチカくんの主人公補正でも死ぬっスからーっ!」
「死んだらタイトルバックを変更しとけばいいだろっ!!」
「身も蓋もない!!」
喧騒は遠くへと走り去っていった。さながらにわか雨の雷雲のようだった。ハリケーンに出くわすとはこういう感じなのだろうか。
すると、今度は箒と鈴、織江の三人がまた同じ角から現れた。ただしこちらは焦った様子もなく悠然としている。
箒と鈴は呆れ顔。織江は他人事。
この三人の組み合わせが珍しいかもしれないが、近接格闘大好きの三人であるため意外と相性が良いらしい。ここ数日の放課後の訓練ではよく目にする三人だ。
「あ、シャルロット。こっちに誰か来なかった?」
「……誰も来なかったコトにしたい」
「つまり来たわけね」
さすが鈴。容赦ない。
いつまでも腰を抜かした格好は恥ずかしいので立ち上がる。直前にトイレに行っていなければ小学校時代の悲劇が繰り返されていたのかもしれない。
聞きたくないが聞かないともやもやしそうな案件だったので、
「ねえ、どうしたのあれ……?」
「いつもどおりの光景でしょ。今回はちょっと大げさだけど櫻井に同情してやれるわね」
「……?」
若者の人間離れを目撃した私はいったいアレのどこに同情の余地があるのか気になった。
そんな私の疑問ならぬ疑心暗鬼を感じ取ったのか、鈴は手にしていた紙切れを手渡した。
硬質で上等な紙。ただし、まるで力の限り握りしめられた後のようにグシャグシャになったものを無理やり広げられたかのようだ。
その内容を見た私は凍りついた。
「……なるほどね」
「そりゃキレるわよ。櫻井ならなおさら」
紙の正体はテスト用紙だった。その内容はテスト用紙の状態と同じように凄惨だった。
IS学園のテストはほぼ全てがマークシートで構成されている。採点は機械に通せばあっという間に点数入力まで終了するので、その日には結果が出てくる。希望すればテストをした数時間後には採点されたテスト用紙が返却される。
が、これは違うような気がする。
まったく根拠のない話だが、おそらく一夏のテスト用紙が櫻井の手にこんなにも早く渡ったのは偶然という名の悲劇だろう。
『んー、織斑君は今回テストの成績が悪かったですけど仕方ないですよね。IS学園に急に入学することになりましたし、次を頑張れば大丈夫だと思います!』
などとうっかりこぼした巨乳メガネの副担任の姿が浮かんだ。
鬼の教官櫻井にそんな言い分が通るはずがない。
騒ぎは騒動を聞きつけた千冬から専用機使用許可が下りるまで続けられた。一夏がそれまで生き延びたのはきっと日頃の訓練の賜物だろう。
昼休み。
この時間でもっとも忙しいのは食堂だ。
テストが終わり、極度に緊張していた空気に潤いが伝播していく。堅苦しいテスト期間からの開放感は万国共通だ。そこへ追加される食堂のおばちゃんの旨い飯はまさに無敵だった。
しかし、一角に暗鬱とした空間が構成されていた。みな暗黙の了解としてだいたい食べる席は同じであり、その一角とは一年代表候補生たちが座っている席だった。
芸術なのかさっぱりだが複雑な波型の長テーブル。そこに座るのは裁判長櫻井千奈、被告人織斑一夏と大和織江。そして、その他傍聴席。つまりいつものメンバー。
机の上には主役である料理を差し置いて紙切れが占領している。特別に作成してもらった二人の成績表だった。
一夏と織江を冷酷に見下ろす櫻井。二人は全力で受け流そうと視線を逸らすが、魔王から放たれる可視光線はHPをガリガリと削っていく。
なんとか正気に戻ったと思えば即座に尋問会が開かれたのだ。ちなみに、一夏ほどではないが織江もあまり成績が良くなかった。他人事だと思っていたら当事者だった織江の顔は見ものだったと後にエレナは語る。
しかし、魔王のMPがさきに切れたらしい。櫻井は遠い目をして一人で黄昏れた。
「なぜこんなにテストの成績が悪い」
「運」
「余裕だね織江! 僕けっこう怒ってんだけど!?」
ズバッと言ってのけた織江は大物なのかもしれない。
櫻井は必死な形相で机をバンバン叩いた。
「二人とも昨晩あんなに仕込んだじゃん! なにこの点数? 僕のコト殺したいの?」
「そんなコトない」
「そうだぞ櫻井。俺たちは努力した」
「むしろ手を抜きまくったって言われたほうが嬉しいんだけど……」
櫻井は嫌そうな顔をして成績表に目を通した。
頭痛がしてくる内容だがなんとか現実に踏みとどまる。
「もともと平均にはいかないだろうと思っていたがここまでヒドいとは……」
「いやいや櫻井。平均が全部八十点超えるとかなんという無茶振り」
「だからといって赤点取っても許されると思うなよ。……というか、織斑一夏。なんで現国だけこんなに点数が良いんだ? 僕からしてみてもこのレベルは結構難しいと感じたんだが?」
「え、日本語ができるから?」
「もうやだ……、理由がバカっぽい……」
櫻井はぐったりとうなだれた。
ちなみに、織斑一夏とゆかいな仲間たちの座学の成績は以下の通り。
一位 セシリア・オルコット
二位 櫻井千奈
三位 ラウラ・ボーデヴィッヒ
九位 エレナ・クロスフォード
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十二位 凰鈴音
十八位 シャルロット・デュノア
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三十八位 篠ノ之箒
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超えたらいけない壁
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・
百二十四位 大和織江
百二十五位 織斑一夏
となっている。
一夏は全体的に救いようがなく、織江は現国と歴史が酷かった。
「はあ、二人はいままで何を勉強してきたんだ?」
「まあひどい」
「失礼じゃないかねキミ!」
「メガネしても頭が良さそうに見えないから。てか、どっから持ってきたんだよそのメガネ」
山田先生から拝借したメガネを仕方なく外した一夏は弱々しく首を振る。
「違う。俺はもっと頑張ればきっと出来る子だから」
「そうそう。わたしもやれば出来る子だから」
「その自信はどっから出てくるんだ……?」
櫻井は疑わしそうな目で、
「織斑一夏。『1+2×3+4』は……?」
「13!」
「小学校からやり直して来いオマエ!!」
「―――ハッ、ひっかけ問題か!?」
「基礎だバカ! もうお前はダメだ!」
櫻井は切実な表情で織江に向き直った。
「織江、信じてるから!
『いい国つくろう―――』!?」
「がんばって!」
「がんばってぇえええええええええええええ
ええええええええええええ鎌倉幕府っ!」
「いいくにつくろう、いいくにつくろう……。鎌倉幕府ができたのは1192296年……?」
「それ未来ぃいいいいいい!!」
櫻井が絶叫する。
織江の肩を掴むと激しく前後にシェイクした。
「それテスト前にやったじゃんか! あんなに時間かけたのに! なんで織江は数学できるし頭がいいのに歴史とかはできないのーっ!?」
「千奈。わたし、前から思ってたんだけど……」
「うん」
「千奈の教え方、下手……」
「うわああああああああああああ僕のせいになったあああああああああああああああ!!」
櫻井発狂寸前。あまりの痛ましさに仲間たちはかける言葉がない。
はっきり言って櫻井はかなり努力している。長い時間をかけて懇切丁寧に何度も教えている。かくいう箒たちもテスト前に何度か櫻井を交えて勉強したが、彼の教え方は明瞭としていてわかりやすかった。
故に、今回の一夏たちの成績を前にして擁護ができないのだった。
エレナが絶望する櫻井をなんとかしようと頑張っている。
「センナくんセンナくん落ち着くっス! ほらテレビ! なんか凄そうなパワースポットが―――っ」
「二人の頭が良くなりますように」
「「……、」」
とうとう櫻井が神に祈りを捧げだした。彼はもう限界なのかもしれない。
またまたなんとか正気を取り戻した櫻井。最近、なんだか彼のキャラ崩壊の進行が危ぶまれているが原因が自分たちなので何も言えなかった。
「状況を整理しよう」
そう宣言する櫻井。
もう一度成績表を机に並べて俯瞰する。
「織斑一夏は全体的に酷いが数学は空前絶後だな。一桁? 本当にこんな点数が存在したのか……? 織江は現国と歴史、あとは政治経済が鬼門か……」
櫻井は一度ため息をついた。
「僕は別に順位云々に対して文句を言うつもりはない。四十人いて三十九人が百点なら九十九点でも四十位だからな。だからせめて点数だけは六割はとってもらわないと」
「それができたら苦労しない」
おずおずと手を上げる一夏。続いてうんうんと頷く織江。
こいつら自分の立場がわかってんのか……、と櫻井は目眩を覚える。
「とりあえず一週間後に再評価のテストがあるから今日の夜から死ぬ気で勉強」
その言葉に身を震わせたのは織江だ。彼女は櫻井の恐ろしさが身にしみている。
「せ、千奈……? わたしは赤点が三教科しかないんだし今日から始めなくても……。ほら、勉強なんていつでもできるし……」
「じゃあ、お昼を食べ終わったら始めようか。いつでもできるんだしね」
とにっこり笑う櫻井。織江撃沈。
恐れ慄きながらセシリアが、
「さ、櫻井さん意外と厳しいんですのね……。てっきり織江さんには優しいのかと」
「優しいと甘いを履き違える気はないから。今日から夏休みだし今から死ぬ気で仕込めば睡眠時間四時間でも間に合うでしょ」
笑顔で死刑宣告を言い渡す櫻井裁判長。
よし、櫻井のお世話にだけはならないようにしよう。
魂魄が抜け落ちている一夏と織江以外の全員が心に決めた。
教科数が多い一夏は自然と重責が大きい。夏休み最初の一週間は地獄であることが確定した彼は頭を抱える。はたして、一週間後の自分は元の織斑一夏だろうか。
「再評価のテストって合格点が確か五十点だったろ? 取れる気がしねえ……」
「取れないとあんた夏休み補講よ? しかも十中八九あんた一人」
「……鈴っていつからそんなに頭が良くなったんだ? 中学はそんなに俺や弾と変わらなかったじゃねえか」
「ばっか―――! あんたや弾とあたしを一緒にすんじゃないわよ! 中学でもかなり点数が開いてたでしょうがっ! つーっか、万年赤丸の弾と一緒にだけはしないでよ!!」
思い出のように語る一夏だったが、鈴からすれば恥辱以外の何者でもない。
とはいえ、一夏の指摘はあながち間違いでもないが、代表候補生になれたのはそれからの彼女の努力のほどが知らされる。
同じ幼なじみとして箒も頭を抱えたい。
一夏はようやく自分の昼食を食べ出しながら意気消沈していた。
「でもよー、英語とか全然できないんだけど。今って世界共通語が日本語に変わり始めてるんだろ?」
「世界共通語になりかけてるがまだIS関係者にしか通じないからな」
ISの登場から十年と少し。一夏の言うとおり世界の共通語は日本語に変わり始めている。理由としては日本人である束が生み出したISの価値もさることながら、ISと日本語の特性が関係していた。
日本語は単語数もそうだが、とにかくニュアンスが微妙に違う単語や言い回しが多い。雨という言葉に関連する二字熟語だけでも数十種類以上ある。
また、日本語とそれ以外の違いを表すのに端的な例は擬音語だ。クッキーの食感を表すのにサクサクやボロボロなど多彩な言葉があるのに対し、英語では『crispy』の一言で片付いてしまう。
ワンオフアビリティを発現した操縦者の三割を超える人間が日本人であることから、日本語の多彩さがISの自己進化機能を刺激するのではないかと真剣に議論された結果、急速に日本語が普及し始めているのが現実だ。
それらの学説に対して半信半疑である櫻井は冷たく言い捨てる。
「数学の知識が将来役に立たないとかいう奴もいるが、学生なんだからせめてその程度は覚えろ」
「……はい」
一夏の訴えは即座に棄却された。
どうしたものかとうんうん唸る一夏。すがるように櫻井を見た。
「櫻井って本当に頭が良いんだな……」
「千奈は中学のときにキチガイみたいに勉強してた。正直キモかった……」
「マジか……。櫻井、お前は英語とかどんなふうに勉強したんだ?」
頭の良い人の勉強法を真似ればいい。そんな単純な結論に至り訪ねるが、櫻井の反応は微妙だった。
「……、……。……とりわけ特別なコトはしてない。普通に問いて間違えたところを覚え直す。単純作業の繰り返し」
頭の良い人の言うことは違った。それができないから困っているというのに。やはり勉強に近道はないというコトだろうか。
「―――しかしモチベーションが上がらないのは事実なのであった」
「だったらそうだな……。あれだ、英語をスパイの暗号通信だと思って勉強しろ。これから重要任務に就くと仮定して勉強する」
櫻井が提案したが、返ってきたのは生ぬるい視線だった。
「……なに?」
「いや……、センナくんがそんなふうに妄想して勉強してたとか想像ができなかったっス……」
「べつに僕が実践してたわけじゃないんだが。でも、この勉強法は有効であると実証済みだ。―――だよなっ更識簪」
「きゃあああああああああああああ」
たまたま通りかかった哀れな被害者はトレイを落としそうになりながらも櫻井に詰め寄った。
「な、なんでゆうの櫻井いいいいっ!!」
「僕は過去の実例をあげただけ。何も悪くない」
恥ずかしい過去をいきなりバラされた簪は泣きそうな顔を真っ赤にして櫻井を激しく揺さぶった。
簪を一夏たちのテーブルになし崩し的に呼び込む。
「臨海学校で顔合わせはしてたけど自己紹介はまだだったな。四組所属の日本代表候補生更識簪だ」
「さ、更識簪ですぅ……」
頭を下げた簪は涙目でぷるぷると震えている。
(可哀想に……)
きっといままでも散々櫻井に振り回されてきたのだろう。
一夏は簪に訊ねる。
「簪は櫻井に勉強を習ってたのか?」
「す、数ヶ月だけだけど……。代表候補生になるための試験の時に」
櫻井には実績があるらしい。織江もきっと彼に教えられてきたんだろう。
櫻井は一夏の成績表を簪に見せた。もはや一夏のプライバシーはない。
どうすればいいと思う?、そう告げられた簪は沈黙した。
やがてぽつりと零す。
「一夏は……、生きてて恥ずかしくないの?」
バカに人権はないのだろうか、と切に訴えかけたい。
これから地獄の一週間が始まる。
食堂を出て覚悟を決めた一夏。織江も嫌々そうであるが少しは慣れているらしい。それに、彼女は一夏ほど悲惨な状況に置かれているわけではない。
とりあえず自室に戻ろう。
そう決めた一夏たちの前を物凄い勢いで走り去る二人の人影。
追いかけているのは少し前に仕事だと言って抜けていった櫻井。
もう一人は千冬だった。
「そこに直れ織斑千冬ッ!!!! その根性を叩き直してやるッッ!!!」
「ごめんなさいごめんなさい謝るから落ち着いてくれ櫻井ーーーっ!!!」
魔王モードの櫻井が千冬を追いかける。千冬も全力疾走で逃走する。
二人はあっという間に見えなくなってしまった。
「……織斑。あれは、なに?」
織江の問いに一夏は遠い目で答える。
「……たぶん、千冬姉が櫻井が片付けたばかりの執務室をまた汚部屋に錬成したんだろ」
「その言い方だと常習犯? でも、千奈なら一度で無理なら諦めて放置すると思うけど?」
それはたしかにそうだ、と頷いたが、エレナがさらに補足した。
「徹夜で仕上げた銀の福音事件のレポート、織斑先生があの部屋でなくしたそうっスよ?」
「おおぅ……」
櫻井の悲惨すぎる姿に一夏は言葉もない。ただ姉弟共々迷惑をかけますと謝るしかなかった。
いい国つくろう。
がんばって!(応援)
これからしばらく夏休み番外編が続きます。お付き合いください