日本の夏は暑い。
8月が始まればじっとりとした暑さが肌にまとわりついてくる。目眩がするほどの日差しは部屋の中にいても身体を蝕んだ。
だが、いま感じている汗はそれだけではない気がする。
織斑一夏の目の前で異様な光景が広がっていた。
最愛の姉、織斑千冬が無理やり男に組み伏せられていた。
倒れた姉の上に男が馬乗りに押し倒している。
姉は男の拘束からなんとか抜け出そうとするが、屈強な男からは逃げられない。タイトスカートから除く足がフローリングを虚しく蹴る。艶めかしいラインを描いた足を包むストッキングは伝線してしまっていた。
「うっ……、ぐ…、ふぐぅ……ッ!」
衣服が着崩れてしまった姉が苦しげな呻き声をあげるが、一夏は一歩も動けなかった。
身体は暑さで火照っているのに、頭は何も考えていない。あれだけ五月蝿かったセミの声も遠くに感じられた。
いや、心の底でどす黒い感情を孕んでいるコトを自覚していた。
いいぞもっとやれ、と。
さて、おかしなところだけ抜き出すと、短いながらなんとも犯罪チックな描写だったが、きちんと書くとこんな感じになる。
「野菜食えっつってんだろが……ッ!!」
「ぐっ、ぐぉおおおおおおおお……ッ!」
「いいぞー、もっとやれ櫻井〜」
皿と箸で武装し千冬に馬乗りになって逃さない櫻井。
口に押し付けられる緑の悪魔(ピーマン)を必死に押しのけようとする千冬。
それを少し離れた食卓から応援(?)する一夏と我関せずな織江。
さてさて、なんとも愉快な構図だが、少し説明不足である。
夏休みに入り、一週間の地獄の補講も終わり、櫻井からの家庭教師も一段落ついたと信じたい8月の初め。
一夏は里帰りを決めた。とは言っても、一夏の家はIS学園が接する都市にあるため帰ろうと思えばすぐにでも帰れるわけなのだが。
しかし、たまには家でのんびり過ごすのもいいだろう。
当然ながら護衛である櫻井も同行。ついでに織江もついてきたのだった。
家でのんびり過ごすはずが他人がいる。とは一夏は考えない。むしろ彼は賑やかになるだろうなーとか、櫻井がいると掃除が楽だなーなんて思っていたのだった。
実際に賑やかである。
櫻井が血走った目で本日の昼食を千冬の口に押し込もうとしていた。
「ピーマンの肉詰めを分解して肉だけ食うなっつってんだろが……ッ!! 野菜は皿かッ!!」
「ぐ、ぐぁあ……! ど、どうしてオマエは私が嫌いだと言ってるのに作るんだぁ……!! む、むぐがぁ……っ!!」
「いい歳こいて好き嫌い言わないでくださいよ、というか、アンタ嫌いな食べ物多すぎじゃねえか……!! なんでリクエストがジャンクフードばっかなんだ……!?」
「お、オマエが作る料理はジジ臭いのばっかだ! 一夏といいオマエといいどうなってるんだ今時の高校生は!」
「織斑教諭だけには言われたくない誕生日来てプラス1して四捨五入したらアラサーのくせに!!」
「なんでそこまでするんだッ!?」
櫻井の執念に千冬が驚きの悲鳴をあげた。
食べろ食べないと争う二人を見ていて、仲がいいなー…と微笑ましい気持ちになる。
しかし、タイトスカートがすっかり捲れてストッキングに包まれた下着まで丸見えなのはいかがなものか。それと、本当に大人なんだから肉詰めを野菜と分解して食べないで欲しい。嫁の貰い手が心配である。
「……、……、……、……櫻井が義兄か」
……考えただけで恐ろしい。きっと苛め抜かれてしまう。
しかし、たぶん千冬と櫻井は意外とだが相性が良さそうではあるのが困ったところ。
ふと、一夏が大皿を見やれば、盛られていたはずのおかずはすっかり少女の腹の中。
「……織江。櫻井、まだぜんぜん食べてないけど」
「大丈夫」
いったい何が大丈夫なのだろうか。櫻井なら食べなくても大丈夫なのか、それとも櫻井なら許してくれるだろうか。はたまた、櫻井なんて気にしなくても大丈夫なのか。おそらくは全部だろう。
(櫻井も悲惨だな……)
料理はあっという間に数を減らしていく。
作った側としてはなんとも冥利の尽きることであるが、食べた栄養はいったいどこに行くのだろうか。と、一夏は臨海学校で見た織江の水着姿を思い出しながら納得。そういえば、あの剣道少女も栄養は大事だと言って、たくさん食べていた気がする。
一夏はやっぱり食べるコトは大事だなー、とよく一緒に店の売れ残りを食べていた中華娘を意識的に除外しながらしみじみ頷いた。
一方で、二人の取っ組み合いは激化。千冬の衣類はさらに乱れてブラジャーまで露出。本格的に絵柄が危なくなって来たので止めようかなと思い立った頃。
インターホンの音が聴こえてきた。
千冬と櫻井が争いをやめてまっさきに顔を玄関に向ける。
「来客か?」
と、思い一夏が立ち上がる。しかし、それをピタリと喧嘩をやめた櫻井が呼び止めた。
「待て織斑一夏。勝手にほいほい動くな」
「勝手にって……。ここは俺ん家だぞ?」
「来客はよりどりみどりだろうが」
ああなるほど、と一夏は頷く。考えたくはないが、一夏を害そうとする人間が帰省を知って襲撃に来るという可能性もあるのか。
一夏は歯噛みした。
「くっ、こっちは家でゆっくり休んでるっていうのに襲おうなんて野郎がいやがるのか……!」
「ああ、こういう仕事はいろんな意味でブラックだからな。盆休みぐらい取れよ、というか休みをくれ」
「家にまでくるなんて、いったいどんなヤツらだ」
「こんな強硬手段を取るぐらいだからな。よほどなりふり構っていられない事情があるか、ただのアホか」
「そういうやつに限って用意周到だったりするよな」
「その点は同意だ。とにかく僕が様子を見てくるから」
「おい、まさか俺に逃げろっていうのか? 櫻井、それは卑怯者がすることだぜ?」
「僕は僕の義務を果たすだけだ。そのあとは勝手にしろ。僕は身体張って止めようと思わないし、その先は仕事でも義務でもない」
「この家は俺の帰る場所なんだ……、好きにはさせねえ!」
「やっぱり僕にはお前がわからない……」
などと、真面目に言い合っていた二人だったが、
「あ、エレナだ」
来客用の内線カメラの映像を見ていた織江の言葉を聞いて膝が崩れた。
「とつげーき! 隣町のおひるごはーん! さあさあ、エレナさんが遊びに来たっスよ!」
「還れ」
「誤字発見! わたしをいったいなんだと思っているんですか!? っていうか、なんか今日は一段と辛辣じゃないっスかー!?」
出迎えた櫻井に開口一番に一蹴され、エレナはギャン泣きする。夏休みだというのに彼女は制服姿だった。
「ごめん、うっかり本音が」
「ヒドイっス!」
「要件を言え。いったい何の用?」
「もうっ、一番最初に言ったじゃないっスか!」
「『突撃』が目的か。じゃあ、終わったコトだし満足したろ?」
「ちがーう!」
ぐいぐい背中を押す櫻井と抵抗するエレナ。彼女はドアの縁に足を突っ張らせて負けじと叫ぶ。
「いまIS学園ってみんな帰っちゃってるからわたししかいないんスよーっ! いいじゃないっスか遊んでくれてもー!」
「エレナもアメリカに帰ればいいだろう。てか、むしろ帰らないの? なんで帰らないの?」
「き、キズつくっス……! ホントは帰るつもりだったっスけど、一週間くらい伸びちゃったっス! だから、誰もいまいないっス、ホーキも実家に帰っちゃったし!」
「友達、ほかにいないの?」
「って、友達に言われました!?」
エレナが素っ頓狂な悲鳴をあげた。
涙目でふるふると震える彼女をさすがに哀れに思ったのか、櫻井は努めて優しく声をかける。
「エレナ、僕は別にお前にイジワルをしたいわけじゃないんだ。それはわかって欲しい」
「せ、センナくん……!」
「僕は、ただこれ以上面倒を引き受けたくないだけなんだ」
「真摯な顔でとんでもないコト言われました!?」
きゃーぎゃーと喚き争う。押したり引っ張ったりとくんずほぐれつ。通行人が何事かと目を向けるが、言い争う二人を見て、微笑ましそうに通り過ぎていった。
そこへ、いままでニヤニヤと眺めていた千冬が、
「まあまあ、櫻井。良いじゃないか。クロスフォードを入れてやれ。ちょうど昼食を食べているしな」
「ああ、織斑先生……! 普段は怒ってばっかりな鉄拳先生って思ってたっスけど謝るっス。メシアっス」
「う、うむ。いろいろと物申したいコトもあるが……、ところでクロスフォード。お前、ピーマンは好きか?」
「はい? ぴーまん? ……ああ、グリーンペッパーのコトっスか。い、いやーあんまり好きじゃないっスね」
「よし帰れ」
「えぇええええええええええ!?!?」
あまりにも大人げない手のひら返しだった。同窓会などにいる年収を聞いた途端に群がってくる女もびっくりな鮮やかさだった。
それにしても、この人はまさか来客に食べ残しのピーマンだけを提供するつもりだったのだろうか。
家主から許可がおりたので櫻井の遠慮はなくなった。
「ほら、良い子だから帰りなさい」
「ああああっ、センナくんが首根っこを掴んで追い出そうとするっスぅ!」
「ちょっと千奈。エレナをイジメないで」
「ぁぁぁぁ…ッ!! 織江が首を鷲掴みにして握りつぶそうとしてくるぅ!」
「うわーん、オリエー!」
助け出されたエレナが織江に抱きついた。
受け止めた織江が絶対零度の視線で櫻井を睨めつける。しかし、櫻井はそれどころではない。
「織斑教諭、僕の首がプラスチックみたいにボキンッって……!」
「安心しろ櫻井、ギリ大丈夫だ」
首に慎重に手をやりながらふるふると震える櫻井を、千冬は優しく撫でた。
一方、エレナはご立腹なようすで片頬をぷくっと膨らませていた。
「なんでセンナくんはそんなイジワルっスかー! もうホントにツンツンツンツンデレキャラっスねーっ!」
「誰がツンデレキャラだ。こっちだって用事ってもんがあるんだ」
「そんなコトないっスよ! だってイチカくんが昨日「明日から実家に帰るんだーでもやることないけどなー」ってスゴいアホ面で言ってたっス!」
「酷え…」
一夏がげんなりと呟くが、昨日は地獄の一週間から抜け出せた衝撃で意識がなかった気がする。きっとそのときエレナに会っていたのだろう。
しかし、櫻井は真面目な顔をしてこんなことを言う。
「いや、これから織江と僕の実家に帰るから」
「櫻井、それ初耳なんだけど……」
そんな話聞いてねえ。というか、今日のこの家に帰ってきたばっかなんですけど……。
そんなツッコミを交えた視線を櫻井へ送る。
「この予定は朝決めた」
「それ帰ってきた時だよね? お前はこの家のなにが不満なの?」
「家から帰省の催促が来たんだよ。それに同じ都市の倉持技研にも顔を出したいし。この家にはどうせすぐ帰れるわけだし別に良いだろ?」
たしかに言われてみればそうだ。夏休みはあと一ヶ月近くあるし、遠方の櫻井たちと違って織斑宅はIS学園からモノレールと電車を乗り継げば一時間もあれば到着する。それに、家にいたって特別な用事もないのだ。それなら櫻井たちの家に行ったっていいだろう。
「べつに構いませんよね織斑教諭」
「ああ、許可する。ただし、日数分のおかずをちゃんと作っていけよ。今日のごはんはハンバーグを所望する」
「あんたって人は……」
櫻井の案と言い分に納得した一夏たちだったが、困ったのはエレナだった。本当に用事があるなんてあまりにも運が悪い。
「え、ええー……。じゃあ、帰っちゃうっスか。それは仕方がないっスね……」
しょんぼりと肩を落としたそのさまは雨に濡れた子犬の連想させた。その姿はあんまりにも可哀想で、思わず櫻井すらもたじろがせる。
そこへ、一連の流れを見ていた織江がこともなげに言う。
「じゃあ、エレナもついてくれば?」
「「えっ?」」
櫻井とエレナがびっくりして振り返るが、織江はいつものように何を考えているのかよくわからないぼんやりとした目をしている。
「二、三泊したら帰ってくるんでしょ? それならエレナもついてくればいい」
「え……、いいんスか……?」
「駄目でしょ」
ゴッ、という鈍い音とともに櫻井が一夏の視界からフェードアウト。力関係が如実にあらわれたようで哀れである。
「お母さんもエレナをつれて帰れば喜ぶだろうし。……エレナは嫌?」
「嫌じゃないっス行くっス! やったー!」
よほど嬉しいのかエレナは今にも踊りだしそうな勢いで喜んだ。
しかし、復活した櫻井は口をへの字に曲げて、不服そうである。
「本当に連れて行くの?」
「つれて帰ったらダメな理由があるの?」
逆に問い返されて、櫻井は停止してしまった。
エレナを実家に連れて行ったらダメな理由。
言われてみれば特にない。
人間的にエレナ・クロスフォードという少女に非はない。それに大和家は機密施設でもなんでもない。つまり、理屈上はなんの問題もない。
では感情的な問題か、と言われればそれもまた違う。櫻井とエレナは友達。櫻井もエレナが嫌いじゃないし、拒否する理由もない。むしろ、エレナという少女には嫌う理由よりも感謝しなければならない事例が多い。
ならば、生理的嫌悪か。それはない。だったら最初から櫻井はエレナを徹底的に排斥していただろう。
理由がない。理由がない。理由がない。
ではなぜエレナを連れて帰るコトに難色を示したのかわからない。
櫻井はロジックエラーを引き起こした機械のように停止してしまった。
それを見て織江は己の勝利を確信する。
すべてを理屈で説明しようとする櫻井が、言葉にできない感情を抱いた時点で出会った頃より随分変わったものである。嬉しいコトだが、それが自分に起因することでないのは少女にとって少しばかり悔しいことであった。
固まったまま頭の上でクエスチョンを量産している櫻井を放置して、準備に取り掛かる中、
「ところで織江。エレナを連れていくなら箒も一緒にいいか?」
「篠ノ之も? 構わないけど」
その答えを聞いて一夏はすぐに携帯端末を取り出した。
どうせあの剣道少女のことだ。連れ出さなければ、夏休みのあいだずっと鍛錬に費やして家から出てこないだろう。
彼女は旧世代の運動型引きこもりなのである。
在来線の特急に乗ること一時間半。県境を一つまたいだあたりで下車した。
「へー、ここが二人が育ったところっスかー」
「何もないところだけどね」
田舎の風景にエレナが目を輝かせた。櫻井と織江にとってはさして感想のある光景ではないのだが、アメリカ人のエレナにとっては日本の田園風景とは感慨深いものであるらしい。
制服の短いスカートを風にはためかせて踊るようにはしゃぐ。
そんな彼女とは対象的に、箒は都会とは明らかに違う匂いで吹く風を感じ入るように目を閉じて、息を静かに吸った。
「私は、都会よりもこちらのほうがいいかな……」
時刻はすでに夕暮れ時。とは言っても、すっかり日の入りが遅くなったこの頃ではまだまだ日は高い。
都市部から帰る一団の流れに乗るようにして五人は小さな駅から出た。
利用客の数は少ない。人気は霧散するように消えた。
広大な田圃のなかにひっそりと立つ駅は孤独な島のようだ。
田舎にはなにか都会とは違う不思議なものをたしかに感じる。
もともと素朴を良しとする箒の頬は自然と緩む。
「二人の家はどこなんだ?」
「少し歩く。山を越えればすぐに市街地なんだが、このあたりは見ての通り畑ばかりだ。あの遠くに見える山、あそこあたりが大和家」
言われても山を越えれば街があるなどとにわかに信じがたい。この平穏とした世界はどこまでも広がっていると言われたほうがしっくりとくる。
辺りをキョロキョロと見渡して、エレナが考え込むように言う。
「うーん、でもコンビニもないとちょっと不便っスね」
「見たほどでもないさ。今時、車もない家なんてないし。まあ、目に見えて剥がれていくのはわかるけど」
櫻井は靴先で舗装も満足に行われていない道路を指した。
モータリゼーションが進んだ現代社会では不満はあれど不足は発生しない。しかし、その結果、田舎が満ち足りていくかと言えばそうでもないらしい。やはり、豊かになれば次に求められるのは生活の質なのだ。
慣れているようだが、億劫そうに歩く織江がぽつりと零す。
「わたしは都会のほうがいい……」
「そうか? 織江ならこういったところのほうがのんびりできそうだが……」
「むしろ逆。なにをするにしろ時間がかかるから早めに行動しなきゃいけない。田舎は現代社会との折り合いが悪い。それに、道が暗くて嫌」
「へえ、オリエにも怖いものがあるっスね。ちょっとだけ意外っス」
「……暗いところを恐れない人なんていない。無視も我慢もできないから明かりがないと出歩けないんでしょ? 暗闇っていうのは、本当は恐れないといけないものだとわたしは思う」
彼女は遠くを俯瞰するようにそう零した。
大和家は山の近くどころじゃなかった。
山の中にあった。正しくは山の中腹。舗装のされていない自然とできた広い山道をさらに数十分ほど登ったところにあった。
「で、でか……」
一夏の第一声は驚きだった。
大和家は純和風の豪邸を山にそのまま持ってきたようだった。街にある一般家庭が六軒は入りそうなほどの敷地に相応の風格をもった母屋が鎮座している。
あまりに立派な門構えを恐る恐るまたいだエレナがおっかなびっくりに首を巡らせる。
「お、オリエは実はお嬢様だったりするんスか……?」
「ぜんぜん。この家だってお母さんが吹けば飛びそうだったものを物好きで買い取っただけらしいし。お母さん、自衛官だったから退職金だけは立派」
彼女はくたびれたようなため息を一つ吐いた。
「でもこの家、広いのと縁側からの風景がいいぐらいしか取り柄がない。冬とか寒い」
織江は気構えなく歩きだした。不満たらたらといった様子だが、歩く姿はどこかいつもより気軽だ。
すると、おもむろに玄関が勢い良く開け放たれる。
そして、織江をそのまま小さくしたような十歳にも満たないほどの少女が顔を覗かせた。
「わあ、お母さーん! お姉ちゃんが帰ってきたー! お客様もいっぱーいっ!」
その元気で愛らしい姿にエレナが興奮した。
「ふああ……っ! なんスかあのちっちゃいオリエ! 名前はなんスか!? ロリエちゃん?」
そんなわけない。
織江へとかけよった幼女は顔をきらきらと輝かせてマシンガンのように攻め立てた。
「お姉ちゃんおかえり! ひさしぶり! いつまでおうちにいられるの!? 表情がいつもと違うけどなんか良いことあった? あの人たちは誰、もしかしておともだち!?」
「ただいま梓。何日かはいられる。良いことはよくわからない。あの人たちは……そう、……と、友達」
幼児特有の純真無垢な姿に一夏たちの頬も自然と緩んだ。ついでに照れた織江の返答にエレナが感激している。
そこへ、門を閉め終えた櫻井がやって来る。
気がついた梓が櫻井にとびついた。
「おかえりせんな! あのね、あのねっ、あずさといっぱい遊んでほしいの!」
「はははっ、いいともいいとも」
見たこともない表情で幼女を抱き上げる櫻井。
仲間たちは驚愕。
「笑顔! センナくんがめっちゃ笑顔!!」
「誰だアイツ!」
「あんな顔ができたのか!?」
普段は詐欺師系の笑いならぬ嗤いしか浮かべない男が穏やかな笑みを浮かべていた。
せ い て ん の へ き れ き だ っ た 。
そんな失礼な三人を無視して、櫻井は少女に優しく笑いかけ、
「ところで梓。そろそろ僕のことをお兄ちゃんと呼んでも―――」
「や!」
瞬殺だった。純真な即答が自衛官の屈強な身体を圧し折る。
「センナくん、可哀想……!」
思わず同情する三人と、きれいに無視して実家の玄関を開ける織江だった。
玄関で出迎えたのは織江そっくりな女性だった。それなりの年齢のはずなのに背筋がすっとしているせいか若く見える。自衛官だったからだろうか。
「あらあらあら。こんなに可愛らしいお客様がたくさん。万年ボッチなこの子たちがお友達をたくさんつれてくるなんて……、晩御飯は赤飯ね!」
いろんな意味でぶっ飛んだお母さんだった。ABCという言葉を知らないらしい。
「お母さん、くだらないコト言ってないで部屋に入れて。歩き疲れた」
「なによ。千奈くんがこんなにいっぱい人を家に招くなんて信じられないわ。織江もいつまでも余裕ぶってたら獲られちゃうわよ? 男の子までいてよりどりみどりじゃない」
「なんのお話ですか!?」
「あらやだ、冗談よ」
おほほ、と織江母は上品に笑うと奥へと引っ込んでいった。
大歓迎なようすに緊張していたエレナがホッと息を吐いた。
「ユニークなお母さんっスね」
「年甲斐もなくはしゃいでるだけ……」
織江が小さく苦り切った笑みを浮かべる。
櫻井にべったりだった梓がくいくいっと袖を引っ張った。
「ねえねえせんな」
「なんだい梓」
「ずっと家にいるんだよね」
「まあ、用事にでかけたりはするけど数日はね」
「じゃあせんながごはんを作ってくれるんだよね、ね?」
「……、……、……、」
織江母の家事能力の成長を如実に語る哀しい問いかけだった。
台所からは皿を割る音が聞こえる。きっとお茶を入れようと頑張っているのだろう。
夕飯は結局、一夏と櫻井が作った。
お客なのに客扱いされない一夏だったが、百戦錬磨の主夫である彼にとっては夕食づくりなど造作もないことである。
統一性のない冷蔵庫の中身から四苦八苦しながらも、どこの家庭に出しても恥ずかしくない夕飯が完成した。
「一夏くんも料理が上手ねー。このお魚すごく美味しいわ」
織江母は鯛の煮付けに舌鼓をうちながらうっとりしている。
梓も身体をふるふると震わせている。
「お兄ちゃんおりょうり上手だねー!」
櫻井よりも先にお兄ちゃんと言われてしまった。
視界の端で真っ白になっている櫻井を努めて意識しないようにした。下手に突いても報復されそう。
「砂みたいじゃないごはんもまっくろじゃないお魚もおいしー!」
なんだろうその哀しい食卓は。幼女からこんな涙の込み上げる話が出てくるとは……。
一夏は思わず好きなおかずを一つあげてしまった。お礼を元気よく述べる純真な姿にまた胸をうたれる。
「櫻井、お前毎日ちゃんと帰ってやれよ」
「ええ……、夕飯作りに片道二時間?」
「付き合ってやるよ」
けっこう本気の提案だったが、櫻井からは胡乱な視線をよこされた。
「お前……、ロリコンだったか……」
「意義あり! 弁護人を呼んでくれ!」
名誉毀損だと一夏は叫んだ。
しかし、みんな食べるのに集中していて誰も反応しなかった。
「どうしたっスかホーキ」
エレナがなにやらぼうっとしている箒に気がついた。彼女は茶碗を手にしたまま箸があまり進んでいない。
「箒、なにか嫌いなものがあったか……?」
一夏が心配そうに彼女の顔を覗き込む。一応、みんなが嫌いなものがないように考慮したつもりだったのだが、すべてのリクエストに応えられるわけではない。
「いや、なんだか懐かしくてな」
そう言って箒はごまかすように笑った。他の五人はよくわかっていない様子だが、一夏だけはわかった。
箒はIS開発者の妹として人物保護プロラムのせいで一家離散している。だから、今の光景はかつてを思い出すのだろう。
少し団欒に似合わないしんみりとした空気が流れる。
それを打ち破ったのは元気な少女の声だった。梓は意図してかそれとも偶然か、明るい声で櫻井に話しかけた。
「ええっとそれでねそれでねせんな。お姉ちゃんたちとお風呂に入ったんだよ!」
「それは良かったね。どうだった?」
「櫻井、お前……」
箒が呆れた表情を浮かべる。話題の転換は嬉しいが、どうだったと尋ね返すのはどうなのか。
それは他の面々も同意だったが、櫻井とてセクハラ目的で訊いたわけではない。大方、「それでねお姉ちゃんに髪を洗ってもらったよー!」なんて無難で微笑ましい返答が返ってくると思っていた。
それを理解してるから彼へのお仕置きの鉄拳は飛ばなかった。
しかし、少女は幼女で。そういった行間を読むにはあまりにも幼すぎて、純真だった。
幼女はそのままの『感想』を述べた。
「ええっとねー。お姉ちゃんやほうきお姉ちゃんと違ってね、えれなお姉ちゃんは"した"も金色だったよっ!! すごいよね!?」
一家団欒の食卓が凍りついた。
話を重ねるごとに残念になる戦乙女…
櫻井がエレナを連れ帰るのを渋った理由:
単純に女の子を家族に友達として紹介するのを嫌がったから (無自覚ツンデレ)