かつて極東には聖杯戦争があったらしい   作:つどい

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ロンツイぐっ様すこ



間桐桜の安寧



 

 間桐桜は人並みに明るい子供だった。

 嬉しければ笑い、痛ければ泣く、普通の子供だった。

 

 しかし間桐家にやって来た桜を待っていたのは、過酷な拷問だった。

 連日の陵辱は少女から笑顔を奪い、涙を涸らし、肉体と精神を蝕んだ。

 

 間桐家に来て、桜は家族を失った。

 

 誰も桜を愛さなかった。

 

 蟲を使った拷問を許容する間桐家に、桜の平和はなかった。

 

 

 

 

 

 

 桜は怪我を押して街を歩いていた。

 血がにじむ膝には土が付着したままで、手当てしていないことは一目瞭然。

 だが桜は泣かなかったし、立ち止まることもなかった。

 

 もちろん手当てすべきだとわかっている。

 しかし間桐家には、擦り傷より重大な異変が起きていたのだ。

 

 

 間桐家当主、間桐臓硯の失踪。

 

 

 年中無休で桜を、ここ一年は雁夜をも蟲蔵に連れていた臓硯が、帰って来ないのだ。一昨日の拷問を最後に、何の伝言もなく姿を消している。

 どうやら自分の意思で出て行ったようで、鶴野が酔っ払いながら「荷物もねぇ」とボヤいていたのを、桜は聞いていた。

 

 連れ戻したいわけではない。

 臓硯さえいなければ、蟲蔵は無人のままだ。

 

 しかしまだ幼い桜は、蟲蔵に行かなくて済むという安堵より、突然自由になったことへの不安の方が強かった。

 

 もう冬木市を去っているかもしれない。けれど、他に何をすればいいのかもわからず、桜は一人フラフラと出歩いていたのだった。

 

「その血、どうしたの?転んだ?」

 

 きっと母親が側にいるだろう、と大人達が通り過ぎる中、誰かが声をかけた。

 少女の眼に映るのは、雁夜と変わらない身長を中腰に縮め、心配そうに傷口を見る女性。

 

「どこか遊びに行くの?」

「ううん。人を探してるの」

「人……?お友達かな」

「おじいさまはお友達じゃない」

「ああ、家族か。でも殺人鬼が捕まってないし、一人で出歩くのはやめた方がいいよ。防犯ブザーは持ってる?」

 

 桜は無言で首を振った。

 前の家でも、防犯ブザーを買い与えられたことはない。もうあまり思い出せないが、そもそも家の中に機械が少なかったような気がする。

 

「じゃあ私と一緒に探そう。いいかな?」

「……うん」

 

 コクリと頷けば、優しい手つきで頭を撫でられる。

 変な感覚が胸に広がったが、桜にはよくわからなかった。

 

「そうだ、君の名前は?私はリーダーって呼ばれてるの」

「さ、桜……」

「桜!?」

 

 突然ボリュームを上げたリーダーに、桜の肩が小さく跳ねる。

 何かしただろうかと徐に見上げれば、満面の笑みが目に飛び込んだ。

 

「私知ってるよ。お花見する木でしょ?綺麗だよね、桜……桜かぁ……いい名前だね」

「……」

 

 何か言いたいのに、言葉が出てこない。

 何を感じているのか、自分でもよくわからない。

 そんな変化に戸惑って、屈託のない笑顔から目を逸らす。

 

 視線の先には、怪我をした膝があった。このくらい、いつものことに比べれば痛くない。

 だが痛がっていると思ったのか、リーダーは慌ててリュックをアスファルトの上に寝かせた。

 

「はい、ここ座って。治療しよう」

「…………、」

 

 桜は困惑の追い討ちを食らった。

 リュックをボフボフと容赦なく叩く辺り、中身はしっかりしているのだろう。

 

 だが問題はそこではない。

 他人の、しかも初対面の人の荷物に体重を乗せるなど、許可があっても躊躇する。まして中身がわからなければ、なおさらだ。

 

 本当にいいのか尋ねようにも、持ち主は「消毒液持ってないんだよな……」とウエストポーチを漁っていて、リュックのことなどまるで気にしていない。

 

 仕方なくおずおずと座ってみれば、板のようなものがぎっしり詰まっているのを感じた。

 

「リーダーさん、これ何が入ってるの……?」

「図書館で借りた本だよ。座り心地悪いけど、ちょっと我慢してね」

「でも本が……」

「大丈夫、傷ついたら謝るよ。優しい司書だったし、事情を話せば許してくれるんじゃないかな。カード作る時も、住所わからないなら書かなくていいって言ってくれたんだ」

「住所がわからない……?」

「今住んでるところ、私の家じゃなくてね。人の家に置いてもらってるんだ」

 

 自分の家ではなく、置いてもらっている。

 

 何かがストンと胸に落ちた。

 お母さんもお姉ちゃんもいない。遠坂家は自分の家族ではない。けれど、間桐家を家族とは思えない。

 

(わたしと同じだ……)

 

 それでも桜を引き止め、治療を試みようとしてくれる姿に頼りがいを感じた桜だったが、何も知らなかった。

 

 リーダーが日夜、冬木市を巡回していることも。

 今日はその日課をせず、図書館に行っていたことも。

 大量に借りた本の内容も。

 

「桜ちゃん、聖水って水道水になる……?」

「?」

 

 水や消毒液であればコンビニや薬局に売っているのだが、バザーの資金を丸々家に置いてきたリーダーは、現在無一文である。

 だが今日は図書館で調べもの──所持品の伝説について調べたので、その知識で対処しようと思ったのだが、

 

「エリクサーは……金の原料だっけ」

「?」

 

 一度で全てを覚えられるはずがなく、むしろほとんど忘れていた。

 

「変若水……は飲むと効果があるから、飲まなければただの水?」

 

 取り出した小瓶に向かって話しかけるリーダー。

 その様子をぼーっと眺めていた桜を、大きな影が覆った。

 

 

「エリクサーでも飲ませておけ」

 

 

 冷気を含んだ風が、黄金の髪をサラサラと揺らす。

 

 白いカットソーに黒いスキニーという、ラフな格好に身を包み。

 

 左手には惣菜が入った袋、右手にはコロッケを携えて。

 

 神妙な面持ちで、男が桜を見下ろしていた。

 

「でも、先に傷口を洗い流さないと……」

 

 すっかり冬木市に溶け込んでいる大英雄を市民だと勘違いしたリーダーは、彼の素性より発言の方に注目した。

 

「たわけ。泥程度、勝手に排除されるわ。人間であればな」

 

 リーダーは小瓶と桜を交互に見て、それから幼い手に小瓶を乗せた。

 

「私もよく飲んでるから、安心して飲んで。味は……不味くはないと思う」

「わかった」

 

 見知らぬものを体内に入れることに抵抗はあったものの、桜はゆっくりと液体を喉に通した。

 

 その味は──

 

「おいしい……」

 

 子供の舌に合った、絶妙な甘味が口に広がる。

 その威力たるや、桜の暗い両眼に一瞬だが光が戻ったほどである。

 単品で飲んだことがないリーダーは、後で試飲しようと固く決心した。

 

 だが本来の効用は味ではない。

 見れば、小さな膝小僧はつるりとした肌色を取り戻していた。じわりと滲んでいた血も、まるで蒸発したように消えている。

 

「どうかな。立てる?」

「だいじょうぶ。でもよごれちゃった……」

 

 立ち上がり、リュックを返そうとした桜だったが、これっぽっちも持ち上がらなかった。

 桜の腕力がないから、というのもあるが、それ以上にリュックが重すぎるのだ。

 

(本を借りたって言ってたけど……こんなに?)

 

 本だけでこの重さにするには、一体何冊詰め込めばいいのだろう。

 というか、司書の一存でこんな大量に本を貸し出していいのだろうか。

 

 疑問はあったが、小学校の図書室しか知らない桜は「市の図書館はすごいなぁ」という結論に至った。

 

 一方リーダーは、無表情な桜の子供らしい一面を見て、微笑ましく思っていた。

 大小関係なく、子供が奮闘する様子は見ていて和むものだ。

 

 だが桜ばかり気にかけてはいられない。

 リーダーは軽々とリュックを背負うと、遠ざがっていく背中を見た。

 

 男はコロッケを食べ終えたのか、空いた右手をポケットに突っ込んで既に歩き出している。

 その背中に向けて、リーダーは言った。

 街の喧騒にかき消されるとわかっていても、感謝を込めて。

 

「ありがとう、コロッケの人……!」

「この我を貧相な名詞で呼ぶでない!」

 

 コロッケの人は耳が良かった。

 

 ツカツカと踵を返し、空いた距離を縮める。

 改めて見る美貌は鋭い刃を彷彿とさせ、只者ではないと予感させるに十分だった。

 

「そこに直れ。我の名を知らぬとは不敬であるぞ」

「初対面ですよね……?」

 

 しかし、怖気づくとは限らない。

 

「もしかしてテレビに出てる人?桜ちゃん、この人知ってる?」

「しらない」

 

 子供の素直な返答に、英雄王の目尻が吊り上がる。

 それを見て、桜はすばやくリーダーを盾にした。

 

「計算か本能か……まあ良かろう。ともかく、この我を『いかにも惣菜店に勤務している人』のように呼ぶでない」

「でもさっきのコロッケ、商店街のですよね?私もたまに貰うからわかります。油で揚げると大体おいしくなるとはいえ、コロッケは庶民の定番にして孤高の存在という高レベルな食べ物。できたてにかぶりついてサクサクと音を立てながら熱々の具材を口いっぱいに味わう瞬間は、まさに至福のひととき……それを何てことないように食べ歩きしてみせるとは、かなりの上級者と見た」

「お前は何を言っておる」

 

 これにはアーチャーも困惑した。桜に至っては「大丈夫?エリクサー飲む?」と辛辣な言葉を浴びせる始末。

 元の世界では常識人といえど、その常識が変わってしまえばただの変人なのだ。他に原因があるとすれば、ライダーと羽目を外したついでに頭のネジも外れてしまったのかもしれない。

 

「リーダーさんはコロッケがすきなの?」

「商店街の物はみんな好きだよ。焼き鳥とかドーナツとか、全部おいしいからね。でもこの時代の物は何でもおいしい。むしろ食べられない物ってあるのかな」

「貴様のは雑食と言うのだ。時々光る物があるのは認めるが、量産に特化した味は受け付けん」

「オンリーワンが好きってこと?確かにマーサさんの手料理とレトルト食品を比較するのは難しいけど……」

 

 でもさ、とリーダーは静かに微笑んだ。

 

「たくさん食べ物があれば、みんながお腹いっぱいになれるんだよ。それも一つの幸福じゃないかな」

「……、」

 

 アーチャーは僅かに眉を動かすと、不機嫌そうに首を傾けた。

 

「ならば我にバターケーキを献上せよ。無論、貴様らの手で調理するのだ」

「……けんじょう?」

「渡すって意味だよ」

「どうして?」

 

 リーダーは質問を受け流すようにアーチャーを見た。

 

「貴様らが知る必要はない」

 

 目的は教えてくれないが、成果は求める。

 その対応に既視感があった桜とリーダーは、特に抵抗もなく命令を受け入れた。

 

 下につく者は大概、その真意を知らされないものだ。

 それでも知りたければ、好奇心の赴くままに動くだけ。助言のお礼を求めているのか、何か他に目的があるのか、本人の口から聞くだけが方法ではないのだ。

 

「でも連絡手段がないと渡せないんじゃないかな。ケーキって、完成したら早めに食べないとでしょ?」

「ならば今日作ればよいではないか」

「今日は桜ちゃんのおじいさんを探さないと」

「この時代の人探しなど警察に任せておけ。そのための組織であろう?」

「じゃあまずは交番かな。桜ちゃん、一緒に来てくれる?」

「うん」

「交番に行って、材料を買って、ケーキを作る!でもお金もレシピもないんだよね……」

「それなら……」

 

 桜はじっとアーチャーを見つめた。黒く澱んだ双眸で、何かを訴えるように凝視する。

 

 その意図を理解したのか、アーチャーは酷薄な微笑を浮かべた。

 

「よかろう。その賢明さに免じて、材料は我が用意してやる」

「わーい」

 

 桜はリーダーの右手を引いて、アーチャーの前に出た。

 

「……何だこの手は」

「あなたが逃げないように」

 

 頼れる盾を手にした安心感が、桜の気を大きくさせていたのだろう。小さな手を伸ばし、袋を握るアーチャーの手首を掴んだ。

 

「あんないして」

「この我に命ずるとは、豪胆な童め……まあよい。日暮れまでは視察に興じる予定であったゆえ、付き合ってやろう」

 

 右にアーチャー、左にリーダーを連れて、桜は商店街を歩き出す。

 その表情に笑顔はなかったが、この時確かに、臓硯に対する恐怖は薄らいでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 衛宮切嗣は浮かない顔をしていた。

 

 隣にはアイリスフィールが腕をからませ、幸せそうに商店街を歩いている。

 後ろを見れば、黒スーツを着込んだセイバーが周囲を警戒している。

 

(どうしてこんなことに……)

 

 切嗣の見立てでは、今夜聖杯戦争が始まる。

 そうなれば日中だろうと他の陣営の偵察に追われて、出かけるどころの話ではなくなるだろう。当然ながらデートする時間など作れない。

 

 恋人らしいこともできずに死んでしまうのは、少なからず不満があるのだろう。

 だが誰よりも自分の理想を理解しているのも、アイリスフィールに他ならない。

 

 勝利するためなら、我慢してくれると思っていた。

 実際、我慢していたのだろう。

 

 ──今朝までは。

 

(セイバーも止めてくれれば良いものを……何が「私は護衛に徹しますので、どうかお気になさらず」だ。無視した腹いせか?予定を早めて余裕ができたとはいえ、まだやれることはあったはずなのに……)

 

 銃の手入れや監視カメラの動作確認を理由に断ったが、アイリスフィールは聞かなかった。暴走していたと言ってもいい。

 

(せめてアイリが商店街に興味を示さなければ……いや、外の世界に興味を持つのは当然か。情報の取捨選択を誤ったのがそもそもの原因だ)

 

 だが、冬木について教えたのは──

 

(自業自得ってことか…………)

 

「もう、切嗣ったら。せっかくのデートなのに楽しくないの?ずーっと上の空じゃない」

「いや……こういうのは慣れてないんだ」

「慣れてたらちょっと嫌だわ。エスコートは期待してないから、気軽に楽しんで?」

 

 切嗣は今夜、冷酷な魔術師殺しに戻る。

 否、戻らなければならない。

 

 しかし楽しそうなアイリスフィールを見ていると、決心が鈍りそうになる。

 あどけない笑顔を、もっと見ていたいと思ってしまう。

 

 そんなこと願ってはいけないのに。

 

「まあ!あのお店とってもオシャレね!」

 

 アイリスフィールが見つけたのは雑貨屋だった。女性向けの店なのか、客の中に男は見当たらない。

 

 アイリスフィールとセイバーなら違和感はないだろうが、若い女性が集まる空間に切嗣がいれば悪目立ちするだろう。

 

「…………、」

 

 思わず視線を逸らすと、ふと子供連れの市民が目に入った。

 男女に挟まれた子供はまだ幼く、楽しそうに繋いだ手を揺らしている。兄弟なのか親なのか、後ろ姿では判断できないが、その光景は切嗣が望む「平和な家族像」そのものだった。

 

(イリヤ……)

 

 ちゃんと留守番できているだろうか。

 しっかり者だが、寂しい思いをしてはいないだろうか。

 

 雪の城に残した娘を思い出し、感傷的になる切嗣。

 そんな夫を見て、アイリスフィールは腕を引っ張った。

 

「あのお店に入りましょ?今日はここまででいいから、何かプレゼントして頂戴。イリヤにお土産も買わなくちゃ」

「本気か?僕があの空間に馴染めるわけがないだろう」

「大丈夫よ!いい思い出になるわ。それに貴方に選んでほしいんだもの」

「わかったから、まず心の準備を……」

「そんなことしてたら日が暮れちゃうわ!」

 

 

 

 

 

 

 

「リーダーさん?」

 

 突然振り向いたリーダーに、桜が不思議そうに尋ねる。

 自分も後ろを見てみるが、特に変わった様子はない。普段の商店街を知っているわけではないが、慌てて立ち止まるような、目に見えておかしいものは見当たらなかった。

 

「知り合いの声がしたんだけど……気のせいかな」

「はやく行こう?わたしケーキ食べたい」

 

 繋いだ手にぎゅっと力を込めると、リーダーは「そうだね」と桜に笑いかけた。

 

 

 




聖水
魔よけの効果があると言われる水

エリクサー
新陳代謝を高速化させる不思議な薬品
錬金術では飲めば不老不死になれると伝えられる霊薬だが、ギルガメッシュを物理で殴るとたまにドロップすることもあり、効能は現実的な範囲に。カルピスと混ぜて桜ちゃんに飲んでほしい。

変若水
飲むと肌がみずみずしくなると言われる水
飲めば若返るとか月の不死に関わるという伝説がある。
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