嬉しいけど恐れ多い…アリガトウ…アリガトウ…
じりじりと包囲網を縮める海魔の中央で、リーダーとランサーは背中合わせに得物を構えた。
戦い続けているランサーと、既に行動パターンを知っているリーダー。二人の撃破数は四桁に届く勢いであり、迫り来る海魔を次々と沈めている。
しかし包囲網を崩すには至らない。
というのも、死体を介した連鎖召喚のせいで一向に数が減らないのだ。
「どうやら本体を叩かなければ終わらないようだ」
ランサーは余裕綽綽とばかりに笑みを浮かべて言った。もちろん虚勢ではない。むしろ一気に本体を叩くべきだということは、キャスターと戦い始めてすぐにマスターから聞いていた。聞いていながら、膠着状態に甘んじているのだ。
なぜならマスターとの連携を試す練習台として、そして古今東西の英霊と手合わせする前の準備運動として、キャスターの海魔は最適だったからだ。
だがそんな余裕も、リーダーにしてみれば傲りと変わらない。戦場に立つからには全身全霊。気を緩めるとすれば、息の根を止めた後だ。
そして現在戦っている触手持ちのアラガミを止めるには、心臓たる
しかし──
「なぜだ……なぜだッ!復活すべきは貴様ではない!断じて貴様ではないのだ!再誕を賜るべきは、我が聖処女ジャンヌッ!!ただ一人なのです!!」
一見支離滅裂な主張を繰り返しているが、一貫して「ジャンヌ」という名前が出ていることにリーダーは気づいていた。
ジャンヌ復活。生贄と犠牲。願いを叶えるセイハイ。
点と点を線で結べば、自ずと不可解な叫声の意味も見えてくる。
この前は討伐しようとしたが、一度気づいてしまえば無視することはできなかった。人間らしい感情に神機を突き立てれば、それは殺人だ。
それでもセイハイだけは倒そうと決めていた。
命は不可逆で、だからこそ価値がある。
有限で一度きりだから精一杯生きようと、誰かの命を大切にしようと思えるのだ。
「知り合いか?」
「雨生がね。私達は一回手合わせしただけ」
「友の友は敵、ということか」
フッと目を細めるランサー。その憂いを帯びた横顔は世の女性の胸をときめかせる威力を秘めていたが、ここに自ら魅了を受けた婦人はいない。
「……あのさ」
「なんだい、レディ」
「なんでアイツは本持ってるの?」
「魔導書のことか?」
あの本にはアラガミを生み出す呪文が書かれているのだろう、とリーダーは予想していた。
だがわざわざ本を取り出し、戦場で片手を不自由にしておく利点はあるのだろうか。大事な呪文なら覚えて諳んじればいい。もし本を取り出して、開いて、ページをめくって……という作業が必要なら、その間に銃弾を撃ち込むなり斬りかかるなり、先手を打てるはずだ。と、騎士道に反することを思っていたリーダーに、ランサーが答える。
「おそらくあの魔導書は──」
だがその先は轟音にかき消された。
空間そのものが揺さぶられるような振動。雷かと上空を見上げるが、しかし雨雲は一欠片もない。あるのは静かに瞬く星々と、こちらに迫る流星のみ。
(……流星?)
「伏せて!」
リーダーは咄嗟にランサーの前に出た。シールドを展開し、重心を低く構える。
隕石が衝突したような衝撃波が走り、眼前に何かが通り過ぎたかと思えば横一直線に大地が抉れていた。まるで空中爆撃を受けたような破壊跡に目を見開くが、それも束の間。遅れて突風が巻き起こり、空中に舞った土塊が流星群のように降り注ぐ。
災害は海魔にも等しく襲いかかり、生き残ったのはリーダーとランサーだけだった。周囲は海魔の血と肉塊が地面を染め、歪な円を描いている。
それでも砂嵐が起きなかったのは、地面に霜が降りていたおかげだろう。
「皆、武器を収めよ。王の御前である!」
破壊をもたらした犯人──ライダーは、御者台で声を張り上げた。
その後ろではウェイバーがリーダーを凝視している。思わず服装を確認するリーダーだが、おかしなところはない。コーヒー色のパーカーとミニフレアスカートは、お気に入りの一着である。
「我が名は征服王イスカンダル!此度の聖杯戦争においてはライダーのクラスを得て現界した!」
シン……と沈黙が訪れる。
(こいつ、自ら真名を……!)
目の前の破壊以上に衝撃的な発言に、ランサーは不信感を募らせた。
聖杯戦争において真名を知られることは、すなわち弱点を見抜かれるも同義。騎士道に通ずるランサーもその危険性を理解し、名乗りを交わしていないというのに、この男は一体何を考えているのだろうか。
「正気か?自ら真名を明かすなど、何が目的だ」
「なぁに、貴様らは素性も知らぬ者と交渉するほど愚かではあるまい」
「交渉?同盟でも組むつもりか?」
「まだです……まだ足りない……」
「会話すら成り立たん者がおるようだが……つまりだな、聖杯を余に譲る気はないか?さすれば貴様らを朋友として遇し、天地を喰らう大望を分かち合う所存でおる」
「「「……」」」
怒りのあまり言葉を失う者。
自分の世界に陶酔する者。
状況把握に努める者。
三者三様の沈黙を破ったのは、ランサーだった。
「貴様の心意気は理解した。私は聖杯を望まぬ未ではあるが、生憎と聖杯はマスターに捧げると……え?いえ、しかし……はい」
途端に顔色を変えたランサーは、困惑した様子で「承知しました」と念話を締めた。
「ランサー陣営はライダー陣営と手を組もう。だが条件がある」
「よし来た!待遇は応相談である。ま、その辺は後で話し合うとして──」
ライダーは隣の、無傷で二次災害を防ぎ切ったリーダーに視線を移した。
「やはりサーヴァントであったか。しかし
「よばれ……?」
怪訝そうに聞き返すリーダーに、ライダーは「サーヴァントの自覚もないとは……」と拳をこめかみにぐりぐりと押し付けた。
「記憶を封じられておるのか?おい、マスター。ステータスはどうなっておる」
「ちゃんとランク付けされてる……けど、見えないんだ」
「見えない?」
「パラメータは見えるのに、なんで……」
ウェイバーは戸惑いながら言った。
「クラスが空欄になってる」
アイリスフィールは純白のコートの中で体を震わせた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、このくらい何ともないわ。でも寒いわね……」
セイバー陣営が出遅れたのには訳がある。
聖杯戦争開始と同時に始まった、蟲の襲撃。個々は手で叩き殺せる程度だが、それが大群となってアインツベルン城に侵入してきたのだ。
銃を撃つには的が小さく、爆弾を使うには拠点の崩落を覚悟しなければならない。そこでアイリが機転を利かせて、殺虫剤を自作した。漂白剤と洗剤をありったけ混ぜるという、事故を恐れない箱入り娘ならではの発案。しかし効果はあった。
だが、それでおしまいとはならなかった。魔力で編まれたものならともかく、使い魔である蟲には実体がある。死滅した蟲はアインツベルン城の床に落ち、生理的悪寒を呼ぶ光景を作った。
その掃除を舞弥に任せ、切嗣とアイリとセイバーで戦場に向かったのだが──
「私達はセイハイを見つけるためにここにいる」
サーヴァントらしき女性の発言に、アイリもセイバーも足を止めた。
アイリスフィールの体は聖杯を覆う殻のようなものだ。その命は聖杯の器として死ぬことが定められた人工物であり、聖杯戦争の終焉と共にアイリは物言わぬ無機物に変わる。
だが、その情報はアインツベルンと切嗣しか知らないはず。どうして知ってるの、とアイリの背筋に恐怖が走る。
「アイリスフィール、貴方は私が守ります」
「……そうね。ありがとう、セイバー」
(大丈夫。私には切嗣もセイバーもいるんだから)
秘密を知られていようと、聖杯を手にするのは切嗣だ。
アイリはそう信じている。
ならば、セイバーの勝利もまた信じよう。
アイリは切嗣に買ってもらったネックレスの飾り部分、虹彩と同じ真っ赤な宝石がはめられたアクセサリーをきゅっと握った。
「行きましょう」
アイリはマスターらしく、セイバーの後に続いて戦場に立った。
今は交戦していないようだが、血肉を浴びた地面を見ればここで戦闘があったことはすぐにわかった。
「お主、クラスはセイバーか?」
「その通り。そう言うお前はライダーに相違ないな?」
「応とも」
セイバーは残りの三騎を見やった。
赤と黄の槍を持つ男はランサーだろう。その奥にいる、本を構える男はおそらくキャスターだ。では、無骨な剣を取る女性は……?
「そこの銀髪の、お主もマスターであろう?こやつのクラスを観よ」
「え?」
突然ライダーに指名され、アイリは気の抜けた声を漏らした。
確かにマスターはサーヴァントの情報を読み取ることができる。その人の最もわかりやすい方法で表示され、敵のサーヴァントでもパラメータ程度であれば簡単に知ることだってできる。
だがそれは、マスターであればの話だ。
「……どうして私に頼むのかしら。貴方には自分のマスターがいるじゃない」
「既に試したわい。だが『読めない』などと抜かしよる」
(読めない……?情報を隠蔽する逸話でもあるのかしら……)
困惑気味にリーダーを見るが、マスターではないアイリには何もわからない。
鎌をかけているのか、本気で観てほしいのか──返答に迷っている時だった。
「ぉぉ……おお……!ジャンヌ!ジャンヌではありませんか!!」
沈黙を貫いていたキャスターがセイバーに近づいた。
彼は戦況の推移を見届けていたのではない。セイバーの登場に際し、言葉すら忘れるほどの感激に溺れていたのだ。
「待ちわびておりました、我が聖処女よ」
片膝をつき、恭しく首を垂れる。
先程までの狂乱から一転、騎士然とした振る舞いをするキャスターに対し、ライダーとランサーは静観を決めた。
「不肖ながら私、貴女の復活だけを祈願し、いま一度貴女と巡り合う奇跡だけを待ち望み、こうして時の果てまで馳せ参じてきたのですぞジャンヌ!」
早口で歓声を紡ぐキャスターに、セイバーは「ジャンヌ?」と疑問を漏らした。
座ではなく、カムランの丘から召喚されたセイバーに英霊の知識はない。救国の乙女と名高いジャンヌ・ダルクのことも、名前すら知らなかった。
「ご自身のことをお忘れですか?貴女はジャンヌ。そして私は貴女の忠実なる永遠の僕、ジル・ド・レェにて御座います!」
「人違いではないか?我が名はジャンヌではない。貴公とも初対面だ」
聖杯に望むほど待望した人物の拒絶。
それはキャスターに多大なショックを与えた。
「ぉぉ……お……オオオオオオッッ!!」
キャスターは両手で顔を覆い、天空を仰いだ。
「なんと痛ましい!なんと嘆かわしい!神はどこまで残酷な仕打ちを与えるのか……ッ!」
彼の中でセイバーはジャンヌであり、もはや
「何を言っている。私はそもそも──」
「おのれを見失うのも無理はない……貴女は誰よりも激しく、誰よりも敬虔に神を信じていた。それが神に見捨てられ、何の加護も救済もないままに魔女として処刑されたのだ……ああ、お労しやジャンヌ……」
ボロボロと大粒の涙を流すキャスターに、セイバーは憤りを感じた。
セイバーにはどうしても聖杯を手に入れなければならない理由がある。聖杯戦争に参加したのは、決して戯言に付き合うためではないのだ。
「目覚めるのですジャンヌ!これ以上神ごときに惑わされてはならない!貴女はオルレアンの聖処女、フランスの救世主たるジャンヌ・ダルクなのです!」
「いい加減にしろ!我が身はセイバー、そして貴様はキャスターの英霊ッ。それ以上でもそれ以外でもない!」
セイバーの服が、黒いスーツから鎧に変わる。
キャスターの体勢では、セイバーの斬撃を回避できない。
「……何の真似だ」
セイバーは目の前に立つリーダーに鋭い視線を向けた。
だが彼女はまるで立ち塞がるように──キャスターを庇うように、動かない。
「死者は生き返らない」
それは誰もが知っている、自明の理。
だからこそ奇跡を願う、悲劇の入口。
「だから殺すなと?我々は聖杯を懸けて鎬を削るサーヴァントだ。退かぬと言うなら、お前ごと切る」
セイバーは宝剣の先をリーダーに向けた。
リーダーは神機を構えなかった。
「失ったものは、元には戻らない」
「聖杯はどんな奇跡も可能にする。でなければ、サーヴァントが戦う意味もない」
セイバーは一歩間合いを詰めた。
リーダーは静かに目を閉じた。
「後悔するくらいなら、死なせる前に手を伸ばすべきだった。別の未来に導くべきだった」
「……貴様、何を……」
セイバーは気づいた。
彼女が話しかけているのは自分ではなく、後ろにいるキャスターだと。
「……あの悲劇を知らぬ者にはわかるまい。神を信じたジャンヌがあのような処刑を下される謂れがどこにある。神の愛は我々を守りはしない。子羊の祈りも天には届かないのだ。悪徳を極めた私を裁いたのは、人間の醜い私欲であった。こうして復活を遂げようと、ジャンヌは私を忘れておいでだ……!」
キャスターは涙に濡れた手を握った。言葉に出せば出すほど、遣る瀬無い思いが溢れてやまない。
遂には怒りに身を任せ、地面に拳を打ち付けた。
「私は証明しなくてはならない!神威を失墜を!神の愛の虚しさを!」
覚悟を決めたジルは、袖口から魔導書を取り出した。
「ジャンヌ……今助けますぞ」
『Ph'nglui wgah'nagl fhtagn』
幾本もの触手に呑まれながら、ジルは先日のことを思い出していた。
長くは続かなかった、海魔とリーダーの対決。
召喚されたばかりのジルには襲撃の準備の時間も、荒療治に赴く動機もなかった。さらに、まだ拠点となる隠れ家を探している途中とあっては、数体召喚する程度が限界だった。
それでも海魔を召喚したのは、リーダーの実力を測りかねていたからだった。
ジルが敬意を示したのは剣に宿る神であり、その運び手ではない。無力な人間が選ばれるのか疑問はあったが、外なる存在を使役するジルは「自分ほどの力はないだろう」と軽んじていたのだ。
しかし実際はどうだ。
呑み込まんと近づけば両断され、少しでも距離を離せば砲撃が襲いかかり、捕らえようと触手を伸ばせば軽やかに躱される。
魔術師としては上質な魔力を持ち合わせていたようだが、単純に自己強化したところであのような動きができるはずがない。
右利きの人物が強化した左腕で剣を振るおうと鏡写しに動くことができないように、強化に合った力加減とコントロールが必要なのだ。そしてこの二つは、一朝一夕では身につかない。
だが彼女の殺し方は、明らかに熟練の妙技だった。
つまりジルは、見誤っていたのだ。
しかし威力が伴うとなれば、体力の消費は必須。そして
だというのに、彼女はまるで早朝のジョギングを楽しむかのように──こんなこと日常茶飯事だとでも言いたげにフットワークを崩さなかった。
その表情に焦りはなく。
まっすぐと立ちはだかる敵を見据えていた。
あの眼差しには見覚えがある。
今になって思い出す。
(あの凛々しい面影は、少しジャンヌに似ていましたね……)
触手がキャスターを覆い、さらに海魔が詰め尽くす。
だがそれでも足りないのか、海魔の集合体はなお膨張を繰り返す。
既に姿すら見えなくなったキャスターの沈黙が、河川敷にいる全員に嫌な緊張感を与えていた。
体積が増すにつれ、奇妙な集合体は未遠川に近づく。
そして河心に辿り着いたところで、成長が止まった。
「何よ、これ……」
アイリスフィールの声は驚愕と恐怖から震えていた。
対岸の民家にはポツポツと明かりが灯り始め、深夜にもかかわらず狂騒の声が風に運ばれてくる。
「こいつはまた図体のでかい奴だのぅ」
「倒せるのか、アレ……?」
「倒すしかあるまい。さて、余は空中でも戦えるが……」
ライダーは視線で三騎に問いかけた。
「私は水上だろうと問題ない」
「俺はお手上げだ。投擲しても回収に苦労しそうだし、完全にお荷物だな」
「…………」
「リーダーよ、今は憂いている場合ではないぞ」
ライダーは悔しそうに巨大な海魔を見つめるリーダーに優しく声をかけた。
「お主の言葉は余にも伝わった。それでも決裂したのなら、後は拳で語り合うしかあるまい。それで勝った方が正義だ」
「野蛮だなぁ……」
力なく、けれど元気を取り戻したように微笑を浮かべるリーダー。
(英霊といっても、中身は私達と変わらないのね……)
ここ数日でセイバーと交友を深めたアイリは、戦闘力はともかく、サーヴァントの性格は人間なのだと実感していた。
だがそれ以上に、キャスターとリーダーの発言に思うところがあった。
(私が死んだら、切嗣はどうなるのかしら。悲しんで、キャスターみたいに蘇生を……いえ、それはないわね。切嗣が聖杯に願うのは世界の平和だもの)
それが少し悲しくもあり、誇らしくもある。
アイリは愛しい人を思い出して、目の前の脅威に意識を戻した。
ウヨウヨとうねる触手。捕食器官があるのか、ジュルリと聞こえてくる液体の音。全体を赤と暗い紺が彩る水棲巨獣は、もはや視覚の暴力である。
『ジャンヌ、私が貴女の目を覚まして差し上げましょう。まずはさらなる瀆神を……貴女の魂を解放するため、生贄を捧げなければ……!』
「生贄だと?……まさか!」
セイバーはすぐに気づいた。
不気味に体を揺らすだけだった海魔が、少しずつ離れている。
「アイリスフィール、奴の狙いは民間人です!早急に仕留めなければ大量の死人が出ます!」