霧が濃く、少し先もはっきり見えないような場所で一人歩く人影があった。
全体的に黒い服装で、肩に特徴的なシンボルが描かれている。ブーツにヘルメット、関節部に当てられたプロテクター、それに手に持っている自動小銃が、人影がどういった人間であるかを示していた。
頻りにチェストリグに付けている無線機を操作しながら歩いていたが、少しするとそれをやめ、自動小銃を構えて歩き出した。
その後周囲を警戒しながら進んで行く人影とは別に、大きな影が現れる。カチ、カチと硬質なもの同士が打ち付けられる音を発しながら、その影は人影に近づいて行く。
そのまま両者の距離が縮まっていき…そして激突した。
発射口から漏れ出るマズルフラッシュにより、激突地点は弾丸が発射されると同時に明るく照らされる。薬室から弾き出された真鍮製の薬莢が、その光を受けて煤けた光を反射をしていた。
人影と相対しているのは、巨大な蜘蛛の様な生き物であった。八本生えている脚の先は刃物のように鋭く、高所から人影に向けて何度も振り下ろしている。落ちていた小石が両断され、回避行動をとった人影は小石と同じ憂き目を見ずに済んだ。
8つの目が人影を捉え、脚を振り下ろす。だがその刃が届く前に、大きな影が倒れる方が先だった。辺りには体液が飛び散り、打ち合わせて音を鳴らしていた鋏角も穴だらけになっており、見る影もなかった。
弾倉内の弾薬を撃ち切ったのか、引き金は軽い金属音を響かせるだけで、雷管を打ち付けることは無い。熱を持った銃身を通って、とめどなく銃口から硝煙がゆらゆらと揺蕩ているのが、激しい戦いであった事を物語っていた。
続いての襲来を警戒して弾倉を交換している時、霧が薄なっていく。幸運にも、霧が掛かった場所からの脱出を果たしたのだろう。そして、人影の容貌が明らかになる。
青年だった。人影の正体はごく普通の、そこらに居そうな青年であった。顔色は悪く、どこにでも居そうな日本人的な面構えである。
そんな彼の目に入ったのは、一面の赤色であった。そしてそれは、群生した一種類の植生から成り立っていた。
ーーー彼岸花、そう呼ばれる植物によって、この景色は形作られていた。
彼は思わずといった様子で膝を着き、一輪の花を摘み取った。暫くそのまま静止していたが、再び立ち上がるとまた歩き出した。先程よりもしっかりとした足取りで。
彼岸花が徐々に疎らになり、同時に遠くの方に森林が見えてくるようになる。森林に向けて歩いていく彼は、そこで声を掛けられた。
「もし、そこの人?」
ピタリ、と動きが止まる。彼はゆっくり首を回し、声を発した人物を探す。そして森の前に何者かが立っていることに気付いた。
「…なんだ?」
「あなた人間?なんでこんな所に居るの?」
「…ここがどこか分からない」
「ここは里から離れている筈だけど…」
声を掛けた人物は、灰色のコートを着た少女だった。左肩には赤色の前掛けの様なもの布が掛けられている。「変ね…」と言いつつ首を傾げる。それに合わせて黒髪で編まれた三つ編みのお下げが、大きな遍路笠の下で揺れていた。
体は小さく、身長は彼の胸辺りまでしかない。
「…君は?」
「私は矢田寺成美。魔法使いよ」
魔法使い。その単語が聞こえるや否や、彼は腰に引っ提げていた何かの機械を矢田寺に向けた。
「魔法使い、か。普通の人間とは違うのか?」
「私は人間じゃないわよ?元々地蔵だし」
それより、と彼女は続けた。
「名前を教えてくれない?」
機械のモニターに表示された数値を見て安心したように息を吐くと、彼は名前を名乗った。
「デルタだ」
「変な名前ね」
「気にするな…それより、元々地蔵とはどういう事だ?」
「どうもこうも、文字通りだけど?」
「…そうか」
怪訝そうな顔をする矢田寺に、彼はそれ以上食い下がるのをやめた。
「じゃあほら、ついてきなさい」
「どこに行く気だ?」
「里よ。なんでこんな所に居るのかは知らないけど、里から出て来たんじゃないの?」
「里…まぁいい、案内してくれ」
「任せなさい!」
里という単語を聞いて少しばかり考え込む様子を見せた彼だったが、結局矢田寺に同行することを決めたようだ。
矢田寺が先導する形で二人は歩みを進めていく。少しばかり歩くと、歩きながら矢田寺がデルタの方を向いた。
「それにしても良かったわね。妖怪や妖精とは会わなくて。会ってたら…妖精は分からないけど。今こうして私と歩いてないだろうし」
「妖怪、妖精?そんなものが?」
デルタの表情筋が引くつく。彼の脳裏にはメスのアカギツネと土着存在が過ぎっていた。
「…?沢山いるじゃない」
「…よく里とやらは滅ばないで存在してるな」
「博麗の巫女が居るからでしょ。あと退治屋とか」
「博麗の巫女…?」
矢田寺は足を止めると、振り返った。
「…あなた、本当に里の人間?」
「最初から肯定はしていないが」
「なら、外の人間ね…安心しなさい。里には連れて行ってあげる」
「随分と親切だな」
「まぁね、これでも地蔵ですから。妖精以外には親切にしてるつもりよ?」
そこまで言うと、矢田寺は再び歩き出した。置いてかれまいとデルタも続いて歩き出す。
「でも珍しいわね。外の人間なんて」
「そもそも、ここはどこだ?」
「ここは魔法の森よ」
「魔法の森…?」
「ここまだ少ないから大丈夫だけど、キノコの胞子には気を付けてね。下手したら死ぬから」
「肝に銘じておく」
デルタはその後もここがどこか尋ねたが、ここは魔法の森と呼ばれる場所である。という事しか分からなかった。
「それにしても、変わった格好してるわね」
「そうか」
「この膝とか肘に付いてるのなに?」
「プロテクターだ」
「ぷろてくたー?」
「…鎧だ」
「こんなのが?」
矢田寺が歩く速度を落として、デルタと並び歩く形になる。そして肘に付いているプロテクターをコンコンとつつき始めた。
「何この感触…初めて触るわ。この頭のも、初めて見るわ」
「ヘルメットだ」
「兜とは少し違うわね」
「兜…?それとは時代が違うからな」
「へぇ〜」
適当な返事を返す矢田寺だが、急に後ろを振り向く。
「不味いわね…低級の妖怪につけられてるわ」
「妖怪?」
「そう、妖怪」
この場に居たのが矢田寺だけであったら、なんの問題もなかっただろう。だが、ただの人間を守りながらとなると、些か不安が残った。
矢田寺にデルタを見捨てるという選択肢は最初から無かった。なんせ彼女は元々地蔵であり、衆生を救済するという役割を自分に課していたからだ。但し妖精は除く。
「その妖怪ってのはどんなやつだ?」
「私達を追っている妖怪は妖力的に低級だから、動物から妖怪になって間も無い妖怪だと思うわ。妖獣ってのが正しいかもね」
「妖怪ってのは感染するのか!?」
「え?そんなことはないわよ」
何か勘違いしたデルタが動揺したような声を上げたのを好機と見たのか、藪から黒い狼のような妖怪が三匹飛び出してきた。
それを見た矢田寺が魔法を展開しようとした時、至近距離で爆音が響いた。
「きゃあ!」
横殴りの爆音に鼓膜を殴られ、悲鳴を挙げてしまった矢田寺を後目に、デルタは爆音の演奏をーーー発砲を続けた。排出された薬莢に触れてしまった矢田寺が再び悲鳴を挙げる。
指切り射撃による正確な弾丸の投射は、一匹の妖怪の頭蓋を貫いた。続けて二匹目の妖怪も何発か胸に直撃するも勢いそのまま駆け続ける。だが、続けて飛来した弾丸に頭蓋を砕かれた。そして最後の一匹は接近に成功し、跳躍してデルタに飛び掛った。
引き金は引かれっぱなしになり、空中で妖怪を多数の弾丸が貫いた。その内の一発が筋肉と肋骨の隙間を縫って心臓を穿つ。
デルタが回避行動をとると、彼が先ほどまでいた場所に妖怪の骸が粘着質な音を立てて落下した。
「ちょちょちょっと!煩いわよ!事前に言いなさいよ!しかも熱いのよ!なにこれ!?真鍮の筒?ってアッツ!」
鈍い光を放つ薬莢を拾おうとしてしまった矢田寺が、三度目の悲鳴を挙げる。
「…すまない」
至近距離で警告も無しに発砲をしたのは悪かったと思ったのか、弾倉を入れ替えながらデルタは謝罪をする。
「もう!私が優しくて良かったね!普通だったら許されないよ!普通の人間だったらね!」
「助かる」
「さっさと行くわよ!また妖怪に絡まれたらたまったもんじゃないし!」
矢田寺が怒りながら足早に歩き始め、それに慌てたようにデルタがついていく。
「ていうか今の何?魔法じゃなさそうだし、あんた人間でしょ?妖術も使えないだろうし、霊力ってやつ?」
「…自動小銃だ」
「銃?鉄砲の事かしら…それにしては私が知っているのとは全然違うわね…」
矢田寺は怪訝そうな顔をしたが「まぁいっか」と言うと、追求をそこでやめた。外の人間がまた新しく何か開発したのだろうと独りでに納得したからだ。
「妖怪ってのはどういう存在なんだ?」
「うーん、妖怪によって違うから一概には言えないわ」
「なぜ妖怪と呼ばれているんだ?妖精とは違うのか?」
「あ!妖力を持っていたら妖怪じゃないかしら。妖精は純粋な生命力の塊だからね。妖怪とは違うわ。なんせ、私が少し力を出したら簡単に…ふふっ」
「…妖力ってのはなんだ?」
妖精に対する矢田寺の態度に空恐ろしいものを感じたデルタは、妖怪について聞くことにした。
「なんだと言われてもね…妖力は妖力よ。説明のしようがないわ」
「そうか。それにしても、妖怪とやらは普通の生き物と同じ様に、心臓を破壊されたら死ぬようだな」
「まぁ低級の妖怪だからね。力の強い妖怪だと、心臓を破壊して首を落とさないと死なないやつも居るらしいわ」
「…そうか」
矢田寺の話から、妖怪と一口に言っても様々な種類があるのだろうとデルタは予想した。
"魔法使いだと思わされていた少女が居た"
■
「それで妖精を暇潰しにーーー」
「…あれは?」
「ありゃ、もう着いちゃったか」
矢田寺の話に相槌を打ちつつ歩いていたデルタの目に入ったのは大規模な町であった。
「じゃあ私の案内はここまで。また話そうね!魔法の森で待ってるぞー!」
そう言うと、矢田寺は去っていった。一人残されたデルタは、町へと歩いていく。
町の外縁部には槍を持った二人の人間が歩いており、デルタは歩哨だろうと当たりをつける。そしてその内の一人がデルタに気付くと槍を構えながら彼へと近付いて行った。
「…何者だ?」
「ここに迷い込んだ者だ」
「外来人か…どうやってここまで来た?」
「矢田寺という魔法使いに案内された」
「魔法使い…ふむ、まぁいい。ついてこい」
残っていた一人が町に走っていった。そして少し経つと、武器を持った5人ほどの男を歩哨が連れてきた。
デルタは5人の男に囲まれながら、里と呼ばれる町に連行されて行った。そこには江戸時代後期のような街並みが広がっていた。時代錯誤なそれに、デルタが驚きの表情を見せる
「こっちだ」
5人の男のうち、一人の男がついてこいと顎で示した。
「妙な真似はするなよ」
「分かっている」
会話はそれだけだった。
無言のまま歩き続け、ある建物の前で男の一人が止まった。
そして、建物に向かって大声で人を呼んだ。
「もし!上白沢殿!居るならば出てきて欲しい!」
少しばかり待つと、ドアが開いた。
出てきたのはまだ少女に見える女性であった。青色のメッシュが入った長い銀髪、奇妙な帽子が目を引く。
「なんだ?」
「急に訪ねて申し訳ない、上白沢殿。用件なのだが…外来人だ」
「外来人…あぁ、後ろのやつか。お勤めご苦労、置いてっていいぞ」
「はっ!」
男達は小走りで走り去って行った。それはまるで、ここから一刻も早く離れたいという様子であった。
「そこの外来人、上がるといい。お茶くらいなら出せるぞ」
そんな彼等を胡乱げな目で見送った後、少女はデルタを手招きして建物へと入っていった。
■
「さて」
机の上でお茶が入った湯呑みが二つ湯気を立てている。目の前の少女がお茶を淹れている間、デルタは周囲を観察していたが、この建物が伝統的な日本家屋に即した設計ものであるということしか分からなかった。
目立った異常性は見受けられない。
「君はどこから来て、どんな職業に就いていた?」
「言えないな」
「…それは困るな。素性も明かせない者をこの里に置いておく訳にはいかない」
里の外から流入する人間の事を外来人と呼んでおり、この少女はその選別をしているのだろうとデルタは予想した。
「守秘義務がある」
「それは何故だ?」
「それこそ言えないな」
「…外来人と言えど、妖怪の餌にするのは良心が痛む。正直に言ってくれないか?」
「勘弁してくれ」
少女の恫喝交じりの言葉をなんら脅威に思っていないのか、デルタはどこ吹く風であった。
「ではここにどうやって来た?」
「分からない。俺が聞きたいくらいだ」
「霧と彼岸花を見たか?」
「あぁ、それは見たな」
少女は顎に手を当てて少々考え込む様子を見せた。小さく「無縁塚か…」と呟いた後、気遣うような表情を浮かべた。
「…友人や、親しい者は居るか?」
「少ないが居る」
「本当に?」
「嘘をつく理由がないだろう」
「霧が濃い場所に気が付くと居なかったか?」
「…何故だ?」
デルタの何故という言葉を正しく理解した少女は、目を逸らしながらこう言った。
「そこは無縁塚。人に忘れ去られた
「人に忘れ去られた
「人に忘れ去られた物、者がそこには現れる」
そう言われたデルタは、少し考えこんだ。そして何かを堪えるような、悲壮感を感じさせる表情で少女に向き直った。
「…本当か?」
声は震えていた。
「本当だ」
「そうか…そうか…!そうか!…そうか」
興奮したように少々大きな声を出したかと思うと、直ぐに萎んだ声になる。それは疑問が氷解したような、自身を納得させているような声色だった。
「信じよう。では、何から聞きたい?」
「随分と素直になったな」
「守秘義務はもうない」
「…君はどこから来た?」
「アメリカ合衆国インディアナ州」
「あめりか…?まぁいい、職業は?」
「機動部隊員」
「どんな職業だ?」
「部署にもよるが、自分は様々な任務に駆り出される部隊だった」
「具体的には?」
「アノマリーを確保したり、サイトの警備やら要注意団体との抗争だったり、本当に色々だ」
「…悪いが、どんな仕事なのか余り理解出来ない」
「…そうだな、兵士みたいなものだ」
多大な語弊を含む喩えだったが、この場においてデルタは分かりやすさを優先させた。
「年齢は?」
「忘れた。成人はしている…と思う」
「忘れた…?」
「ちょっと特殊な環境でな。誕生日すら分からないんだ」
長年人を見ていた慧音から見て、彼が嘘をついてるようには見えなかった。
ひたすらに疲れ果てたような心境だけが伝わってきた。風船が破裂したように、先程までの余裕を欠片もなくし、代わりに自棄の雰囲気のみが彼を包んでいた。
「そうか…少しの間は私が預かってやるから、その間に里で職を見つけなさい」
「…お世話になります」
嘘はついてない。そして悪人という訳でもなさそうだ、と判断した慧音は、暫く彼の面倒を見る事にした。恐らくは直ぐに自分の手を離れるだろうから、といった予想もその判断の一因となった。
「そうだ、まだ名前を聞いていなかったな」
「俺はデルターーーいや、○○だ」
「私は上白沢慧音。慧音でいい。宜しく、○○」
"コードネームはもう終わりだ。何故なら既に意味が無い"
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