東方財団録   作:たんぽぽ

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まだ三話が書き上がっていないので初投稿です。


"ヒト"

「○○先生!ここがちょっと分からなくて…」

「これか、これはこうしてーーー」

「あ!分かった!ありがとう○○先生!」

 

あれから○○は就職活動の傍らで慧音の下で教鞭を執っていた。

職が見つかるまでとはいえ、穀潰しになるわけにはいかない。そんな風に出来ることを探していた彼にとって、慧音からの教師としての仕事の手伝いを申し出されたのは渡りに船であった。

 

彼が最初に連れてこられた施設は慧音が運営する、寺子屋というこの里における教育機関であったのだ。

 

授業の資料を纏め、授業を行い、小試験の答え合わせをする。○○は決して無能でも無教養でも無かった。資料は慣れた様子で纏めており、授業は慧音の授業より眠くないと好評であった。

 

 

「○○は教師の経験があるのか?」

「いいや、全く」

 

余りにも上手くやっている事から、授業が終わったある日に慧音が○○に尋ねた。

 

「前の職場で報告書を死ぬほど書かされたし、それを纏めて提出しなければいけなかった。新しく部隊に入った人間を指導したこともある。…今思えば教師に似たような事の経験をしていたな」

「そうか。…なら、いっそここで教師として働くか?」

「有難い提案だが、そろそろ職が決まりそうなんだ」

「…残念だ」

 

 

 

 

「それでもう職は見つかったのか?」

「あぁ、決まった。道具屋で働く事にした。中間管理職を務めた事があるからか、歓迎されたよ」

「そうか…」

 

二人は夕食を載せた机を囲みながら他愛のない話をしていた。今日の夕食は慧音が作ったものだ。川魚の焼き魚に、味噌汁、白米といった料理が湯気を立てて鎮座している。

 

「…○○、道具屋の仕事が始まっても、私の手伝いをしてくれないか?してくれるなら、引き続きここに住んでいてもいい」

「本当か?助かる」

 

「自分のような者のための貸家の家賃は高いからな」そう言って○○は焼き魚を解体していく。

 

「そ、そうか。私はそういったことには疎いからな。知らなかった」

「…」

 

○○は疑問に思っていた。それは慧音に対する里の人間の対応についてだ。彼女は子供達に懐かれているし、大人は重んじるような様子を見せている。

だが後者は慧音に対して余所余所しい…というより、対面するのを可能な限り避けているように思えるのだ。里の人間が彼女と談笑をしているのを見た事が無いし、交わす言葉はどれも事務的だ。

彼女は頭が良い。教養もある、同時に人格者である。これは同じ屋根の下で生活しているから、○○には身に染みて理解出来ていた。だからこそこの里での教育機関である寺子屋を任されているのだろう。だが、それ以外の知識ーーー特に里の生活に関する知識が少なからず欠如してるのだ。

 

「なぁ、慧音。なにか隠している事はないか?」

「いきなりどうしたんだ?隠し事なんてなにもないさ。なにも…」

 

○○はどこか歯切れの悪い慧音の返答に、引っ掛かりを覚えた。

 

"この小さな違和感は、肉のカルトによる未完の儀式を想起させる"

 

 

 

 

「いや〜○○くん、助かるよ。商いの規模を拡大していて、事務方の仕事が出来る人間が少なかったんだ。今から育てようにも、時間が掛かるからね」

「帳簿の書き方はこれでいいですか?」

「あぁ、完璧だ。元々は事務職をしてたのかい?」

「いや、そういうわけではないが…始末書とかを書いていくうちに、色々教えられて…今思えばなんで俺が事務処理してたんだよ…」

 

どうやら彼が属していた組織は、人材不足が深刻であったようだ。本来ならば自分が処理する筈ではない仕事を押し付けられていたことに、今頃になって抗議をしたい気持ちが湧いてきているようだ。

 

「とにかく良かった!これで憂いが減ったよ!」

「これからも頑張らせて頂きますよ。…ところでご主人、寺子屋を知っていますか?」

「知ってるも何も…そこで私は学を学んだんだ」

 

なにを当たり前の事を。そう言いたげな表情を浮かべて道具屋の主人は返答した。

 

「いやなに、自分はそこで手伝いもしているもんで。どういった評価なのか気になったんですよ」

「…上白沢先生は良い人だよ。間違いなく。里に長年貢献してきてくれた」

「長年?どう見ても彼女は少女に見えますが…」

「女性に歳を尋ねるものじゃないよ、○○くん。君は若いからよく分からないと思うけどね」

「いえ、そういうことではなくーーー」

「…ほら!次はこれを頼むよ」

「…了解しました」

 

道具屋の主人公に話題を逸らされたが、○○は大人しく引き下がった。これ以上食い下がったところで、有意義な情報は得られない上に、不要な摩擦が生じるだけだと判断したからだ。

 

「上白沢様のことか…?あの方は昔から里に貢献してきてくれた方だ、里の守護者だよ。どう思っているかって?勿論尊敬しているよ」

 

その後も○○は情報を集めていたが、聞いた話の殆どがこういう内容であった。あの少女にしか見えない同居人は、どうやら○○が想像していたよりも遥かに長い年月を生きているらしい。茶菓子屋の老人は、幼少期に彼女の下で学んだと語っていた。

異常性はハッキリとしていた。そして彼女がそれを話したがらないということも。

 

彼女が一体何者なのか、どういう存在なのか、情報収集に努めても里の人間にはぐらかされてしまう。その途中で慧音に対する印象が、親切な同居人から警戒すべきアノマリーへと変わっていった。

異常性ははっきりしている。だが口裏を合わせたように、誰もそれを話したがらない。何者かに口止めされているのか、なんらかの異常性による影響なのか、検討がつかなかった。この一見平穏に見える均衡状態を悪戯に刺激するのは、取り返しのつかない事態を招くだろう。○○はそう考え、これを一旦保留する事にした。

 

"例えそれが一見人畜無害に見えていても、その実そうではない場合があると熊の人形が教えてくれた"

 

 

 

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 

表面上は何も変わらないやり取りだったが、片方の内心は穏やかではなかった。それが顕れたのか、慧音はにこやかにしていたが、○○の表情は心做しか固いものであった。

○○から見てこの里は…いいや、目の前の人物は警戒するべきアノマリーだと認識していた。彼女は少なくとも"ヒト"ではない。人型の"ナニカ"である。

ここでは何かが薄皮の向こう側で蠢いてる。そんな予想をしてしまう程度には、彼は目の前の少女について把握出来ていなかった。専門の機動部隊(村のアホ)であれば、もっと上手く情報を収集することが出来るのだろうなと、○○は無い物ねだりに思いを馳せていた。

 

「部屋は余っているからな」

寂しげな表情でそう言った慧音が○○に貸している部屋で、彼は里で購入した着物のような普段着から、ここに来た時に着ていた黒い服に着替えていた。完全武装である。

そして胸ポケットから吸入器を取りだした。これには休眠状態の知覚レベルを活性化させる、認知増強剤が入っている。

手の中でそれを弄びながら、○○は違和感のあるこの里について考えていた。

"自分の認知が歪んでいるのか、この場所自体に何かがあるのか"

分からない。分からないが、この違和感は決して捨て置いて良いものではない。そう判断した彼は、手に持っていた吸入器を使用した。

 

 

…○○の視界には特に変化はなかった。壁に立て掛けていた自動小銃を手に取り、周囲を警戒する。歩き慣れた廊下を進み、慧音が居る居間まで進む。

そして、障子を開けた。

 

「どうしたんだ、そんな格好で…」

 

彼が想定していた最悪の事態は起こらなかった。障子の音に慧音は振り返り、いつものように声を掛けてくる。明日の授業の準備をしていたのか、教材が机に並べられていた。

 

「いやなに、久しぶりに着てみようと思ってな」

「そうか…」

 

そう言うと、慧音は机の上の教材に向き直った。

それを見届けた○○は、外に出るために玄関に向かう。

 

「そろそろ夜になるから、出掛けるとしても早めに帰るんだぞ?」

「あぁ、そうだな」

 

○○の背中に向かって、慧音が忠告する。そういえば彼女は少々堅苦しい人物であったなと、彼は再認識した。

 

 

 

 

町並みにも異変は無かった。

分かったことはただ一つ、○○が懸念していた事柄がここで起こっていなかったという事だけであった。

少し安心すると同時に、自分が知らない未知の何かが関わっているのではないか、という疑惑が○○の中で浮上した。同居人の異常性については、未だに仔細が明らかになっていないからだ。

そもそもここがどこだか○○は未だに分かっていないのだ。里での情報収集の成果は芳しくない。

 

そこで彼は里の外に出る事にした。

完全武装しているのだから、ちょうどいいだろうと思ったのだ。

 

里の外縁部に辿り着いた○○は、ちょうど近くを歩いていた歩哨に声を掛ける。

 

「ちょっといいか?」

「お前は…寺子屋の」

 

里の外に出たいという旨を伝えると、驚く程あっさりと通る事が出来た。一応の警告はされたが。それも妖怪に対するものであった。

恐らくこれは○○が道具屋で働き始めており、尚且つ寺子屋で手伝いをしている事が大きいだろう。この里で、彼は信用というものを得ることが出来たようだ。

 

「どこに行くんだ?」

「あぁ、少し森に…」

 

里を出た○○に話し掛ける人物が居た。てっきり歩哨かと思った○○だったが、それにしては妙に声が高い。それはまるで、少女のようなーーー。

 

「…どうしてここに?」

 

声の主は少女というより、慧音であった。振り返った○○の視界には不機嫌そうな表情を浮かべた同居人がそこには立っていた。隅には眉間に皺を寄せた歩哨が。慧音は歩哨を一瞥すると、○○に向かって歩き出した。

 

「それはこっちのセリフだ。早く帰るように言っただろう。それがどうして里の外に出ることに繋がるんだ」

「ちょっと知り合いに会いに行こうと思ってな」

「…いいから今日は帰るように。もう夜だ。妖怪の餌食になるぞ?」

 

慧音は○○の手を掴み、強引に里に連れ帰ろうとする。○○は抵抗しようとしたが、予想以上に、いや…異常な程の力で抵抗を許されなかった。この細腕のどこにこれ程の力があるのか。振りほどこうにも、まるで鋼鉄製の拘束具のようで不可能であった。

自身の腕を掴む白魚のような指を見つつ、彼はまた慧音の異常性を目の当たりにした。

 

「全く、里の外は危険だというのに…夜なら尚更だ」

 

彼女の明らかになっている異常性は、普通の人間では考えられない寿命と、強力な膂力の二つである。後者に関しては単純明快であるが、前者に関してはそもそも寿命が本当に長いかすら分からない。他者の肉体を乗り物にする存在を○○は知っていた。そもそも、彼女は"ヒト"なのか?それは解剖でもしなければ分からないし、専門知識の無い○○には判断する事も不可能である。機材も無い。

そこまで考えたところで、彼は小さくため息をついた。慧音には聞こえなかったようで、追求は無かった。

 

「…まだ晩飯は食べてないな?作っておいたから、一緒に食べよう」

 

家に到着してもまだ、慧音は手を掴んでいた。

 

「そろそろ手を離して貰ってもいいか?」

「もう里の外に出ようとするんじゃないぞ」

「分かった、分かった」

 

○○をジト目で見詰めると、慧音は手を離した。それは手の掛かる子供を世話しているような雰囲気であった。

 

「全く…外来人だからと言って、妖怪に対する警戒心が足りていないのは問題だぞ。容易に命に関わる問題だ」

「妖怪は夜になるとなにか変わるのか?」

「ふむ、まだ話していなかったか?力が増したりするし、人間は夜目が効かないが、効く妖怪は多い。それに、満月の夜にでもなればーーー」

「満月の夜?」

「あ…あぁ、そうだ。妖怪は満月の夜になると普通の夜よりも力が増すものが多い」

「本当にそれだけか?」

「…それだけだ。とにかく!夜に里から出ないこと。夜でなくても、不用意に里から出ないこと。分かったか?」

「分かった。気を付ける」

 

○○は何故か慧音が満月の夜について言及した時に言葉に詰まったのを見て、何かあるのではないかと訝しんだ。だが直ぐに強引に話を断ち切られてしまった。ここまで露骨にされると、彼はこの里における情報収集の限界を痛感させられることとなった。

 

 

 

 

翌朝、今日は道具屋の仕事が非番であった為に、彼はまた完全武装で里の外縁部まで来ていた。

 

「やぁ、昨日ぶりだな」

「昨日は直ぐに戻ってきたな。今日は保護者は居ないのか?」

 

からかい混じりの歩哨の言葉に、苦笑いを浮かべながら彼は里を離れる。まだ日が高いし、この時間であれば慧音は寺子屋で授業をしている。そこまで考えて彼は、魔法の森へと足を進めた。

 

「しかし…よくもまぁ、一緒に住めるものだ」

 

小さく呟かれた歩哨の言葉は、○○には届かなかった。

 

 

 

 

意気揚々と魔法の森の前へと来たのはいいが、そこで○○は立ち往生していた。森に無策で入っても、遭難するのが目に見えていたからだ。森の中に道と呼べるような道は無く、もし矢田寺の案内もなければ彼は里に辿り着くことすら出来ていなかっただろう。

そこで彼は自動小銃を空へ向けーーー。

 

 

「うるっさいわね!」

 

 

その少し後に魔法の森の中から自称魔法使いが飛び出して来たのを見て、彼は笑みを浮かべていた。

 

「待ってたぞ」

「もっと他の方法は無かったの!?」

「…あるか?」

「いや普通に呼び掛けるとか」

「それで聴こえるか?」

「聴こえるわよ!まったく…」

 

「それでなんの為に私を呼び出したの?」

「少し聞きたいことがあってな…森で話せるか?」

 

里の方を気にしながら、○○は提案する。里に近いこの場所だと不意に里の人間に妨害されるかもしれない、という恐れがあったからだ。

 

「…しょうがないわねぇ。ついてきなさい」

 

なんだかんだ言って話し相手に飢えている矢田寺である。久しぶりに話せる相手に会えて、気が緩んでいた。

 

「あぁ、そうだ」

「ん?」

「お前に教えた"デルタ"って名前、コードネームだから忘れてくれ。本当の名前は○○だ」

「コードネーム?」

「偽名だ」

「あんた、どこまで人をコケにしたら…!」

「お前は人じゃなくて魔法使いだろ?」

「そうだけど…って、ああもう!」

 

"本当にこの人間といると調子が狂う!"と内心憤慨しながらも、矢田寺は素直に○○を森の奥へと誘って行った。

 

「魔法を見せてもらってもいいか?」

「魔法が見たいの?いいわよ。この先で見せてあげる」

 

森の入り口から随分と歩いた場所で、ふと思い立ったかのように○○は矢田寺に声を掛けた。

魔法使いと名乗っているのだから、魔法を使えるのだろう。○○がそこまで考えたところで、彼女がどういった魔法を使えるのか、対処するにはどうしたらいいのかと考えるのは至極当然の事であった。

 

森の中を歩き続けていると、開けた場所に出た。真ん中には小さな小屋が建っている。脇には切株を利用したであろうベンチが設置してあった。てっきり野宿していると思っていて驚いた表情をしていた○○に、矢田寺は「ここが自分の家よ」と自慢げに言った。

 

 

 

 

何らかの機械を向けてくる○○を横目に、矢田寺は様々な魔法を披露した。少女に見えても長い時を生きているだけあって、魔法のレパートリーは多彩であった。同時に色々と質問を投げ掛けてくる○○に丁寧に答えを返していた。

 

「…これで満足?」

「あぁ、ありがとう」

「てかそれなに?」

「カント計数機だ」

 

魔法を見た人間は漏れなく驚愕の表情を浮かべていたが、どうやら○○はそうではないらしい。矢田寺は少し意外に思っていた。

 

「魔法を見て驚かないの?」

「似たものを既に知ってる」

 

怪訝な表情を浮かべる矢田寺に「もっと理不尽なものをな」と○○は続けた。

 

「実は今日お前を呼んだのは魔法を見る為じゃない」

「じゃあなんのためよ」

 

○○は周りを気にする素振りを見せた後、口を開いた。

 

「里について聞きに来た」

「里…?あぁ、人里のことね。何が聞きたいの?」

「人里についてどれだけ知っている?」

「どれだけって…住んでるあんたよりかはきっと少ないわよ?」

「そうか。では上白沢慧音、という人間を知っているか?」

「上白沢…たしか、人里の守護者とか言われてる…」

「あぁそうだ。だが彼女にはおかしい点が有る」

「おかしい点?」

 

「老人が子供の頃から、彼女は少女の姿だったんだ」

「それが?」

 

そんなことはなんてことない、といった様子で返す矢田寺に○○は眉を顰めた。そんな○○を横目に矢田寺は言葉を続ける。

 

「里の守護者って言われてるくらいだし…驚くことかしら?」

「…いや、普通の人間だったらおかしいだろう」

「なら人間じゃないのかもね」

「人間じゃない、か」

「別に珍しい事じゃないと思うけど」

 

「わたしも元地蔵の魔法使いだしねー」そう言って矢田寺はベンチに座る。そして隣を手で叩くと、○○に顔を向けた。

 

「座りなよ」

 

矢田寺に誘われるがままに、ベンチに座った○○の頭の中を"人間じゃない"という言葉が反芻する。そして同時に"珍しくない事じゃない"という言葉も彼の心にざわめきを生んでいた。

ここは、異常だ。隣に座っている存在は人間の少女にしか見えないが、本人の言う所では人間ではない。彼女の口振りからするに、ここはそんなものが大量に存在する場所だ。異常存在の坩堝なのだ。

その事実は、○○の平常心をどうしようもなく刺激した。

 

そもそもだ。

 

 

人里と呼ばれる場所にいる実体が"ヒト"である証拠は無い。


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