考えても答えは出なかった。
財団が誇る人材も、機材もないこの状況で、○○に出来ることなどたかが知れている。
「まぁ、人里にいる時点で妖怪ではないと思うけどね」
「何故だ?珍しくないんじゃないのか?」
「いや、博麗の巫女がそんなの許すわけないわ…」
「博麗の巫女…」
「あり、博麗の巫女を知らない?」
「妖怪退治を生業としている存在、としか」
「そうそう、あの悪魔みたいな…」
○○は里で生活している中で、博麗の巫女というものがどういった存在であるかは大雑把ではあるが把握していた。慧音の素性とは対照的である。
「博麗の巫女ってのは、妖怪と見たら無差別に退治していくの。それはもう凶暴で凶暴で…」
「…そうか」
どうやら妖怪から見た博麗の巫女と、人里から見た博麗の巫女では大きな隔たりがあるらしい。
目の前の魔法使いの話とは真逆で、博麗の巫女は人里ではかなり人気があった。妖怪を倒せるのは彼女の専売特許のようなものであったからだろう。人里にも退治屋という妖怪退治の専門職はいるが、博麗の巫女には到底かなわないそうだ。
そして、博麗の巫女というものが人里を護っているとも。慧音も里の守護者と呼ばれているが、その違いはなんだろうか。
「…慧音と博麗の巫女の違いはなんだ?」
ふと。過ぎった疑問がそのまま○○の口から飛び出して来た。
「知らないわよ」
そしてその疑問は矢田寺に一刀両断された。
「まぁ、それもそうか」
そもそも矢田寺は人里から見たら部外者である。これだけ聞き出せただけでも、収穫と言えるだろう。
「里の周辺を探索したいんだが、一人だと余りにも心許ない。だからついてきてくれないか?」
"話は変わるが"と前置きをした○○が、目を瞑って何やらブツブツと念仏のような言葉を呟き出した矢田寺に尋ねた。(後で尋ねたところ、確かに念仏だったようだ)
○○はここがどこか隔絶された場所である事は分かるが、妖怪と呼ばれる敵対的な実体によって里からの遠征行為は自殺行為になると聞いていた。これは○○自身実感していた。矢田寺と初めて遭遇するまでに一回、矢田寺と歩いていて一回、里に辿り着くまでに合わせて二回妖怪と遭遇しているのだ。
だが調査を止める訳にはいかない。ここがどこかも分からない状況で、現状に甘えるようなことは彼の恐怖心が許さなかった。
しかし調査を進めようにも敵対実体に対処する為の弾薬は無限では無い。補給も見込めない。ということで彼は友好的に見える矢田寺を利用しようとしていた。今回彼女を訪ねた理由の一つに、それがあった。
「え、嫌よ。なんであんたの都合で連れ回されなきゃいけないのよ」
「だよな」
最初から期待はしていなかった。そんな様子の○○を、ぱちくりと大きな目を開けた矢田寺が、呆れたような顔で見ていた。
「バカな人間ねぇ…里でずっと暮らしていればいいじゃないの」
「あぁ、そうかもしれない」
「ならどうしてさ。 ーーーもしかして外の世界に帰りたいのかい?」
「いいや、そんなことはない」
「じゃあ、何がしたいんだい?」
残りの人生を里で暮らす事を受け入れつつ、外の世界に帰ることも拒絶する。だが里の外に出たがる。矢田寺は隣に座っている男の考えていることが分からなかった。心做しか悪かった顔色が更に悪くなっているように見える。
「それは冒険心ってやつか?」
「いいや、恐怖心だ」
もしかして、といった感じで矢田寺が投げ掛けた言葉は、予想外の言葉によって応えられた。恐怖心が原因なら、それなら尚のこと里に引きこもっていた方が都合が良いではないか。
「どういうこと?」
「…逆に聞くが、未知の存在に囲まれていて平気なのか?残念ながら、いつ全てが崩壊するかもしれない状況で、座して待てるほどに俺は強くない」
「心配要らないと思うけどね…」
「本当にそうだと思うか?」
その一言と同時に、隣に座っていた人間の雰囲気が変わった事を矢田寺は肌で感じた。言葉に表せないような圧力のようなものが掛けられたように、隣の人間を意識せざるを得なくなった。
そして誘導された視界で、○○が悲哀と諦観の混じったような表情を浮かべていたのを見て、感じていた圧迫感が消失した。そこで一体自分は何に怯えていたのか…と考えて、矢田寺は初めて自分が怯えていた事に気が付いた。
…一体何に?
「うぇ?なんのこと?」
「…いいや、忘れてくれ」
そう言うと、○○は破顔した。
余りにも呆気なく霧散した圧迫感に、体がついていけていないのか、矢田寺の心拍数は未だに高いままだった、
「さて、そろそろ帰るとするか。情報感謝する」
「あ、うん」
そう言って立ち上がった○○がひらひらと後ろ手に手のひらを振りながら、森へと歩いていく。
そして、途中で止まった。
「なぁーーー」
まだなにかあるのか。矢田寺は無意識に身構えていた。
「帰り道、教えてくれ」
矢田寺はベンチから転げ落ちた。
矢田寺の呆れたような視線を背中に受けつつも、里へと帰ってきた○○。魔法使いとの会話で得られた収穫と言えば、博麗の巫女の対応から、慧音が妖怪である可能性が低いということ。"魔法使い"という存在が○○の知っているものとは違うこと。ここで言う魔法使いの"魔法"の原理が分からないことが分かったということ。
それらを彼はメモに書き留めていた。
彼が今日得られた情報をメモに書き終わり、寺子屋に帰るために歩いてると、里の中にある小さい池の畔で何やら座って考え込んでいる様子の男女の子供が二人いた。見慣れた子供だったからか、○○はつい声を掛けていた。
「どうした?こんな所で…」
「あっ、○○先生…」
二人は○○に気付くと、立ち上がって駆け寄った。
「先生、聞きたいことがあるんですけど…」
「なんだ?」
「山彦のことです」
「山彦…?」
山彦。それは山や谷の斜面にて反響した音が返ってくる現象を指す単語である。
「それがどうした?」
「前に山に行った時に、何回も言葉が帰ってきたから、山彦が何匹も居るんじゃないかって怖くなって…」
どうやらこういう事らしい。この二人は最近山に登る機会があったらしく、そこで両親に言われて大声を出した。そしてそのまま声が返ってきた事に酷く驚いたらしい。それも複数回。
「山彦は生き物じゃないぞ?」
「え?」
「山や谷での音の反響による現象…分かりやすい物理現象だ」
「で、でも、妖怪の仕業だって父さんが…」
呆れたような表情で、○○は二人を見た。
「…課外授業を始めるか」
「げ」「うわ」
「そう身構えるな、簡単な事しか言わない」
○○の課外授業はそれから暫く続いた。
「ーーーじゃあ山彦は自然現象で、妖怪の仕業じゃないんだね!」
「当たり前だ」
「父さんに教えてくるー!」
「転ぶなよー」
二人の子供は家へと駆けて行く。
それを見る○○はひと仕事終えた、といった様子であった。
「随分と熱心に教えていたな」
そんな彼に話し掛ける人物が居た。その声は少女特有の高い声で、しかし落ち着きのある声色であった。
「ん?…慧音か」
「まったく、探したぞ。里のどこにも居ないのだから…どこへ行っていた?」
「いやなに、少し里の外に出ていただけだ」
「危険だといっただろう。…まったく、何度も言っても分からないのか?」
慧音は腕を組みながら、呆れたような声色と表情で言い放った。
それに対し、〇〇は目を見据えて演説のような言葉を吐き出す。
「この場所について知る為にーーー」
「何が"危険に見合った価値があると信じている"だ。そんなもの、どこにもありはしない」
呆れたような雰囲気は継続しながら、長ったらしい〇〇の言い訳を慧音はバッサリと切り捨てた。
「なぜ言い切れる」
「…この場所について知りたければ、鈴奈庵にでも行って幻想郷縁起でも借りてくればいいだろう」
あっさりと解決策を提示された〇〇は、一瞬動揺した。だが、すぐに落ち着きを取り戻す。
「鈴奈庵?幻想郷縁起?なんだそれは…」
「…里の中心から少し外れた場所に、貸本屋がある。それが鈴奈庵だ。そして、その鈴奈庵に幻想郷縁起という書物がある」
「その幻想郷縁起というものは、この場所について書いてあるのか?」
「そうだ。私も授業をする上で参考にしていたりする」
ーーーそんなものがあるなら先に言ってくれ。
そんな心情を隠しきれなかったのか、気の抜けた表情で〇〇はため息をついた。無駄足であった。慧音が里の外に出る事に消極的であったのに、こういった事情があったのだろう。この事を知っていれば、確かに里から出る必要なんてない。
「早速行ってみるよ。ありがとう、慧音」
「助けになったようでなりよりだ。これから里の外にはーーー」
慧音の長い説法が始まった頃には、〇〇は駆け出していた。
得体の知れない同居人の手前、〇〇は合点がいった、という振りをしていた。だが実の所、彼はその書物を信用していない。…というより
何がその書物を書いたかも知らない上に、その存在が何らかの影響を受けているか、故意的に情報を隠蔽していたりする可能性があるからだ。
それらを考慮した結果、〇〇は実際に調査しなければならないと考えていた。問題は山積みだが。
主な課題は、やはり補給を受けられないことだった。それに矢田寺の話によると、今まで遭遇したものとは比べ物にならない程に脅威度が高い敵対実体がここには掃いて捨てるほど存在しているという。この二つが大きな課題である。
それに対して、〇〇は財団との通信を確立できてない以上、彼らの頭脳や
だが諦めるわけにもいかない。〇〇はそれだけは認めることができなかった。
■
走っていた〇〇が"鈴奈庵"と書かれた表札を見付けて中に入ると、そこは少々カビ臭く暗い空気が充満した店だった。
「何かお探しですか?」
そんな空間の奥から声が響いた。店に入った〇〇に近付いてきた声の主は猫背の男であった。最近成人した青年といった容貌で、にこやかに笑っている。
「…幻想郷縁起という本はあるか?」
「幻想郷縁起ですか?ありますが…」
「その本、貸し出しはしているか?」
「ええ、少々お待ちください」
そう言うと、彼は…店主は再び店の奥へと引っ込む。暫くすると、分厚い書籍を抱えて持って来た。
「これを貸し出すのは貴方が初めてですよ。皆、ここの歴史に興味がないものですから…」
寂しそうな表情で、店主は本の表紙を撫でる。
「料金は幾らだ?」
「ええと、これくらいですね」
提示された金額は想定していたよりも安価だった。
「随分と安いんだな」
「ええまぁ、著者の方の要望もありますので…」
「著者?」
「稗田様ですよ。御阿礼の方です」
■
右腕で抱えた書籍のずっしりとした重量を感じつつ、〇〇は帰路へとついていた。そろそろ日が暮れる為に、急ぎながら。
「あの」
小さな声だった。
「はい?」
だがとても透き通った…よく通る声であった。だから〇〇の耳に小さくとも、はっきりと届いたのだ。
「その本、借りたのですか?」
「えぇ、まあ…」
〇〇が声の方に振り返ると、そこには少女が居た。彼が普段目にしている服よりも上質なものを身に付けた少女は、自慢げな表情で言葉を続けた。
「ふふ、ちゃんと読むんですよ?」
それだけ言うと、少女は上機嫌に去っていった。
急に話し掛けられ、そして相手が急に去っていった為に、置いてけぼりにされた〇〇を残して。
一体あれはなんだったのか。〇〇は今さっき遭遇した不思議な少女について考えていた。なにやらいきなり話し掛けてきたと思ったら、直ぐにその場を後にした謎の少女。
…一体何者なのだろうか?
その答えは近く明らかになることになるが、今の〇〇には知る由もない。
■
自室に戻り、文机に本を置いた〇〇は、改めて幻想郷縁起を観察する。肌触りの良い表紙に指を滑らせながら、店主の言葉を思い出す。
「稗田様が代々書き上げているこの幻想郷縁起は、妖怪に対する対処法や、この幻想郷の成り立ちについて書き記しています。ですが、皆はそれを読もうとしません。私はそれが残念でならない」
"幻想郷"
〇〇は初めて聞く単語であった為に店主に詳細を聞いたところ、この場所がこの場所である由縁であるとの説明を受けた。
それを重要な単語だと思った〇〇は、この言葉を頭の片隅に留め置く事にした。
「…っ!」
内容に目を通した瞬間に、致命的な事実に彼は気付いてしまった。
すぐに本を閉じ、寝転がる。
「読めないんだが」
また結構期間空くと思います