加東圭子にサヨナラを。 著・加藤敬(フォトグラファー)   作:矢神敏一

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著者紹介
 加藤敬:フォトグラファー 昭和32年生まれ。
 少年期をいわゆる軍国少年として過ごし、青年期には学生運動などに興じた。
 軍事評論家を目指していたが、大学在学中に写真家へ転向した。
 北極戦などで従軍記者として活躍したほかは、カールスラントの難民キャンプなどの取材で南方新聞賞を受賞している。

 現在、平京産業大学写真学科特別講師として教鞭を取っている傍ら、写真活動も行っている。


1)中古カメラなら、新宿駅徒歩五分

 それはあまりにも偶然の出会いだったように思う。

 

 ある日、新宿のとある中古カメラ屋で、仕事に使うカメラを物色していた。

 

ちょうど、奥まったところにあるスペースを通過しようとしたときである。なんだろうか、予感や第六感とでもいうのだろうか。急に胸騒ぎがして、私はその棚にあるカメラを見なければならないという衝動に駆られた。

 

 そこは、骨董品のコーナーだった。つまり、実用にはあまり適さないカメラ(もっと言えばアンティークとしての価値しかないようなカメラ)の売り場だった。

私はプロカメラマンだ。であるからして、私が求めるべきは純然たる実用のカメラであり、いわゆるインテリアとしての骨董品は私にとって一切の価値を持たぬものだった。

 しかし、私はなぜだかその棚の中にある、ひとつのカメラが気になって気になって仕方がなかった。

 

 私は恐る恐るそのカメラを見る。値札には店主の雑な走り書きの文字でこう書いてあった。

 

Leica Ⅱ (扶桑軍仕様? 銘板ナシ、一致ナシ、シャッター切れました) ¥123,000

 

 私はそれを見て、その胸騒ぎは明らかな高揚と確信に変わった。LeicaⅡ、私はそのカメラのことを終生忘れたことが無い。なぜなら、それは……。

 

 LeicaⅡ。カールスラントの片田舎にある工場で製造されていたそのカメラは、カメラ文明がプレ・モダンからモダンへと切り替わった象徴のようなカメラであった。まさに世界カメラ史上に残る名機であり、このカメラを知らない人は稀だろう。

 愛用者は世界中に在する。加東圭子という人物もその一人である。

 

 そして、加東圭子は、私にとっての死兆星でもあり、ベツレヘムでもあった。

 

 

 

 ウィッチと聞いて。読者らは誰を思い浮かべるだろうか。

 リバウの三羽烏、陸軍の英雄・加藤武子氏、外国に目を向ければ近代魔法航空戦闘額の祖であるエーリカ・ハルトマン氏、音速の女王シャーロット・E・イエーガー氏、さらにはアフリカの星ことハンナ・マルセイユ氏。

 

 数多のエースの名が挙がることだろう。しかし私はその中で、加東圭子の名を挙げる。

 

 彼女の公式撃墜数は23。個性豊かな面々の前では霞んでしまうが、しかし十分にエースパイロットであると言える。

 しかし、扶桑人は彼女の神髄を理解していない。かくいう私も、理解していなかった。あの時までは。

 

 私が彼女にほれ込んだのは、一枚の写真を見たときである。

 

 それは、アフリカの星、ハンナ・J・マルセイユ氏を撮影した写真であった。黎明薄暮の空を堂々と飛ぶ撃墜女王。その写真はマルセイユ氏の代表的な写真と言える。

 しかし私はその写真を見たとき、それを撮影したカメラマンに気を取られた。なぜなら、その写真は明らかに、広角レンズによって至近距離から撮影されたものであったからだ。

 

 詳しく言えばそれは、つまり共に飛んでいる同僚ウィッチによって撮影された写真であることを指し示している。

 私はびっくりした。ウィッチの中に、写真機を操る者がいたという事実に、私は打ちのめされた。

 そして何よりも、その写真はあまりにも美しかった。

 

 それはモノクロの写真だ。空の美しさなんて、モノクロフィルムには記録できない。彼女の上気した肌の色も、瞳の温度も、戦時中のモノクロフィルムには何一つ記録することができない。そのはずなのに、その写真からは強敵を軽々と撃墜し、そして信頼する同僚へ向けて親愛の情を見せる息遣いがなによりも伝わってくるのである。

 

 私はその時、手に持っていた当時最新鋭のデジタルカメラを投げ捨てたくなった。こんなこと自分の口から言いたくもないが、私の手ではその写真を撮ることができないということに、私はプロカメラマンのある種のカンで、気が付いてしまったからだ。

 そして私はそれを、許すことができなかった。

 

 私は加東圭子という人物に釘付けになった。私は見事に、彼女に憑りつかれたのだ。

 

 

 

 私はカメラ屋の店主に、これが欲しいと言った。すると、店主は苦笑いをした。

 

「そのカメラはね、ちょっとおかしいよ」

 

 店主はそう言いながらも、棚のガラス戸を開けるカギを持ってきてくれた。店主はそしてガラス戸を開けながら、私にこう言った。

 

「これはね、売りに来たモンがなにやら扶桑陸軍が使っていたカメラだというから高値で買い取ったんですよ。でもねえ、ロット番号が一致しないし、そもそも陸軍の偵察部隊はLeicaのカメラを正式採用していないんですよ」

 

 店主はそう言いながら、軍手をはめてそのカメラを取り出した。そのカメラはかなり傷が付いていて、厳しい環境で使用されたことを思わせた。

 

「しかし、そんなに怪しいカメラならなぜ高値で買い取ったんですか?」

 

 このカメラを見ながら、しかしそんな疑問が湧いてきてしまった。それに対し、店主は苦笑いをした。

 

「それがどうも、軍人が機材をいじった形跡があるのですよ」

 

 そう言いながら店主はこっそり私に耳打ちをしてきた。

 

「ここだけの話ですが、このカメラを引き取った時、シャッター幕に()()フィルム片が挟まっていました」

 

「あるフィルム?」

 

 店主は急に声を静めてそう言うものだから、私はその先が気になった。

 

「赤外線撮影フィルム、というやつなんですがね。まあ要するに、航空偵察なんかを行うためのフィルムです」

 

 航空偵察。私はここでピンときた。

 

「もしかして、ウィッチ……?」

 

 私がそこまで言うと、店主はシっ! と口元に人差し指を立てた。

 

「しかし、扶桑陸軍の航空偵察用カメラは……」

 

「ええ。現・タレルホの九九式写真機やFUKKOR、今のフコンのフッコール機なんかがそれにあたりますね」

 

「確かLeica(ライカ)は調達対象外でした。そりゃそうですよ。確かあの戦争では、カールスラントはかなり手痛くやられてましたから」

 

 私の言葉を店主は肯定した。だがしかし、店主は私の意見までは肯定しなかった。

 

「中に入っていたフィルム片は、35㎜用赤外線フィルムでした。これは当時、リベリオンで極秘裏に開発が進められていたもので、戦後しばらくたちますが未だに市場には出回っていません。純然たる軍事用です」

 

「では、本当に……?」

 

 私の驚きを、店主はただただ頷いて認めた。

 

 私は、そのカメラを手に取った。黒とシルバーの単調な組み合わせでシャープに作り上げられた、いわゆるシルバークロムというデザインは、バルナックライカのそれである。

 

「私の予想では、もしこれが制式のものであれば黒田邦佳(くろだくにか)さんあたりが使っていたのではないかと推測しています」

 

 私の耳はもはや彼の説明を聞いていない。なぜなら私は、とんでもないことに気が付いてしまったからだ。

 

「LeicaⅡ、シルバークロム、ウィッチ……」

 

 加東圭子氏のLeicaⅡも、シルバークロムであった。

 

 そのことに気が付いた瞬間、私は誤ってそれを取り落としてしまいそうになった。

 

「……やはり、あなたもその考えに至りましたか」

 

 先ほどまで黒田氏がどうのと言っていた店主は、やはり静かにそう言った。

 

「補足ですが、このカメラが持ち込まれた時、可動部に砂が付着していました。修復時に除去してしまったために現存はしていませんが」

“おそらく、()()()()の砂漠で付いたものでしょう”

 

 店主は言外に、私の考えが正しいであろうことを伝えてくる。

 

「主人、これがもし私にこのカメラを買わせようという策略であるなら、怒りますよ」

 

「何を言います。もし私がお客に吹っ掛けたいなら、私はこれを麗しの黒田嬢が潜入作戦の際に使用したカメラだと言い張りますよ」

 実際にはそんな作戦はありませんが、と店主は舌をチロリと見せながらそう言った。

 

「主人、これを買います」

 

 私は半ば反射的にそう言った。別に店主を信用したわけではなく、私がこれを彼女のカメラであるはずだと直感したからである。

 

「あなたも、加東圭子に見惚れた人間ですか」

 

 店主は半ば苦笑しながらそんなことを言ってきた。私はそれに、淡々と答えた。

 

「ええ。彼女は私の心を折った人ですから」

 

 

 

 私はこの時、戦場カメラマンとしてアフリカ中東部へ出張するように要請を受けていた。私はその回答を留保していたが、しかし私はプロカメラマンであるから、万が一のっぴきならない事由によって要請を受け入れなければならない状況になってもいいように用意を進めていた。

 具体的に言えば、戦場にもっていくカメラの調達だ。戦場というのは特殊環境下であるから、実は普通のデジタル一眼レフでは撮影に適さない場合がある。

 むしろ、例えばフィルムカメラの方が、撮影の際に都合がよい場合が多い。

 というのも、戦場というのは不意に政治的機密に遭遇しかねない場所であるからだ。もちろん、そういったものを記録し持ち帰るのがカメラマンとしての誇りではないかと思われる諸兄も居ろうが、しかしやはり、戦場で大切なのは自分の命である。

 

 もし万が一、機密地域(日本で言えば要塞地帯のような場所)にカメラを持って出歩いているのを警()に見とがめられたとしよう。

 この時、フィルムカメラであれば直ちにフィルムを引き出し感光させ、フィルムを無効化することによって身の潔白を証明できる。

 しかし、デジタルではそうはいかない。こういう時、潔白の証明や記録の物理的な所持という点で、アナログはデジタルに勝ることがある。

 これは、私のようなカメラマンには半ば常識である。(この知識はスラム街などを撮影する場合にも役に立つことがある)

 

 というわけで私は、扶桑最高峰のカメラメーカー、FUKONの旧型フィルムカメラを買いにカメラ屋くんだりまでやってきたわけだが、しかし手に入れたのは骨董品のLeicaだった。

 

 私は友人に事の顛末を打ち明けると、その友人(ここでは仮にエヌとするが)はいつものようにニヒルな苦笑いをした。

 

「彼女は君の運命の人だからね。無理もない話だ」

 

 彼はリベリオン製のスマートフォンを気障にいじくりまわしながら紙ストローに口を付けた。そして滴り落ちる結露を見ながら、半ば投げやりに結論を出す。

 

「行ってくればいいだろう、アフリカに。そのカメラを持って」

 

 彼はそう言って、ある物体を私に投げてよこした。

 

「なんだい、これは」

 

「加東圭子が愛用していたとされるフィルムだ」

 

 それはクーラーボックスの中に厳重に保管されていた。私は恐る恐るそのボックスを開けると、ドライアイスの煙と共にそれは姿を現した。

 

「コダクローム64、か。もう有効期限は10年以上前に切れてるはずだ」

 

 私がそう言うと、エヌは肩をすくめた。そんな彼に私はたたみかける。

 

「当然、こんなフィルムを現像している現像所も無い。貴重ではあるが無用の長物だ」

 

「俺は、今でもそのフィルムを現像できる技術と設備を持っている」

 

 私の抗議のような指摘に対し、彼は淡々とそう言った。

 

「これは依頼だ、加藤。かつて加東圭子が使ったフィルムで、かつて彼女が大空をかけたその地の今を、撮ってこい」

 

「二つ、言いたいことがある。一つは、加東圭子がコダクローム64を使用したという証拠がない」

 

 私はまるでネットの情報を鵜呑みにした学生の論文を添削するかのように、やはり淡々と事実の指摘を行う。

 

「私が知る限り、彼女が使用しているフィルムはそのほとんどがモノクロフィルムであり、カラーリバーサルフィルムであるコダック64を彼女が使用したという記録は残っていない」

 

「さすがは扶桑における加東圭子研究の第一人者だ。しかし、ならばこの話も知っているはずだろう。彼女には、ハンナ・J・マルセイユの秘密の姿を映したカラー写真を所有している可能性があるということを」

 

「根も葉もないデマだ。もし学生がそんなことを書いてきたなら、私は大学に何と言われようともその学生に落第点を付ける。なんならゼミから追い出してやってもいい」

 

「君ほどの写真家であり研究者である君から、尚早な断定の言葉を聞きたくはなかったね。事実、加東圭子がカラーフィルムを使っていたと思しき記述自体は存在する」

 

「大方、フジヒガシのフジの方と間違えたんだろう。扶桑人は昔から加東圭子に冷淡だ」

 

「加藤!」

 

 エヌはいつものふてくされた顔をやめ、真剣なそれで私に詰め寄った。

 

「行ってこい」

 

「ヤダね」

 

「お前は加東圭子に憑りつかれてる。だから第一線を退いて大学講師になんて成り下がったんだろう」

 

「後進の育成は先人の義務だ」

 

「アナーキストのお前が義務だって? 馬鹿を言うな、学生運動の時に自分で言った言葉を忘れたか。お前はきちんと授業を受けるべきだといった俺に、義務とは左足で蹴飛ばすものだといったんだぞ」

 

 彼は紫煙を燻らせながら強い口調でそう言う。

 

「サヨナラを言ってこい。加東圭子と、決別してこい。お前は、加東圭子に憑りつかれてる」

 

 それが、君の隣のゆりかごで揺られてた私からの唯一の助言だ、とエヌはそう言った。

 

「いってこい、アフリカに」

 

 私とエヌは、同じ日の同じ年に同じ病院で生まれた仲だ。お互い死にかけながらここまで生きてきた。私の心は、彼と同じだ。

 彼にそう言われては、私は動かざるを得ない。

 

「お前さんがそう言うんだ。間違いなかろうよ」

 

 エヌが返事をするより先に、私はクライアントへ電話をかけた。

 

 アフリカへ行きます、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃弾が飛び交い、そしてネウロイから発射されたであろう飛翔体がすぐそこに落ちてくる。そんな環境にいま、私は居る。

 クライアントの要請で場所を明かすことはできないが、そこはまさに最前線だ。

 

 私はここで、人生をか賭けた勝負をする。今までの私の人生のすべては、ここにある。

 




ライカⅡ(LeicaⅡ)
 LeicaDとも。帝政カールスラントのカメラメーカーであるライカが生み出したカメラ。近代カメラの祖とも言える、いわばフィルムカメラの原型である。
 いわゆるバルナックライカであるが、知名度や流通ではバルナックライカの完成形と名高いLeicaⅢシリーズに軍配が上がる。
 スローシャッタは無し、最高シャッタースピードは1/500である。

 なお、航空用ライカはそのほとんどがLeicaⅢまたはLeicaⅢcであり、LeicaⅡは制式では確認されていない。

 また、ライカDⅡという呼び方をされることも多い。(これはライカCの後継に当たるとされたため。正式名称ではない)

 現在ではそのほとんどが骨董品としての扱いを受けるが、一部において未だに使用されている。
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