加東圭子にサヨナラを。 著・加藤敬(フォトグラファー) 作:矢神敏一
加東圭子氏の代名詞と言えば、「居合撮影」と通称される独特な撮影技法だろう。
これに関しては自著による言及こそないものの、多数の目撃証言やその技法によって撮影された写真が残る。
だが、この居合撮影の詳細、具体的に言えば方法について記述した文章は存在しない。残っているのはこういった類の証言のみである。
「加藤圭子は居合の要領で瞬く間にカメラを取り出すと、気が付かない間にシャッターを切り、そして気づいたころにはカメラはもうすでにその懐の中にあった。」(鈴木2013)
この”居合の要領”というのは、要するに剣道における居合切りの要領と理解してよかろう。そしてこの部分に関しては当の本人が「居合の要領ヨ」と答えたという出典不明の証言(おそらく稲垣真美氏の手記と思われる)が存在している。
長々と述べたが、つまりは決定的瞬間を逃さないための手法といえるだろう。
面倒な話になるが、写真とは被写体だけでは成立しない。被写体を撮影する者が居なければ話にならないのだ。
問題は、この撮影者が被写体に対し影響を与えてしまうという点である。
この居合撮影はこうした被写体に対する影響の最小化に有効である。なぜなら、証言によればこの居合撮影では被写体は撮影されたことに気が付かなかったというからだ。
しかし、私はプロカメラマンとして一つの疑義をここにはさみたい。というのも、本当にこの居合撮影は可能なのかというところが、現代の基準に照らし合わせると非常に疑わしいのである。
せっかく、加東圭子氏が使っていたと思しきカメラが手に入ったのだ。試してみよう。
というわけで私はアフリカはエジプト、カイロ市にやってきた。ここで飛行機を乗り継いで戦地へ征くのだが、トランジットの兼ね合いで少々どころでない隙間時間ができた。
戦場へ行く前に、ここで腕試しとしよう。
さて、ちょうどいい街角へやってきた。そこにおあつらえむきに花屋があり、アラブ人の女性が花を買っていた。
私は腰に下げていたポーチから素早くカメラ・LeicaⅡを取り出すと、シャッタースピードを設定して、絞り(後述)を設定して、それからファインダーを覗きこんでピントを合わせて……。
シャッターを切る。ここまで15秒。これがプロの数字である。
しかし、この15秒というのは、その女性が私を見てヒジャブで顔を隠すには十分なタイム・ラグである。
これでは、加東圭子氏がかつて成し遂げた金字塔には遠く至らないであろうことは明白だ。
これではいけない。くしくも、ここは
次は明るさの調節の過程(シャッタースピードと絞り)を省略することにする。これは事前に数値を調整しておいて、あとはそのままという方法である。
精度は劣るが、そもそもとしてこの完全アナログカメラに精度もクソも無い。
また、ピント合わせはファインダーを覗きこまず、目測と手の感覚だけで合わせることにする。
このLeicaⅡというカメラは少々特殊な「レンジファインダー」というタイプの機種であるのだが、この類はファインダーに付いた距離計によってかなり正確にピントを合わせることができる。
それをあえて使わないというのはもったいないようにも思えるが、致し方ない。
今度は路地裏で、女性が子供に何かを上げている場面に出会った。
私は素早くカメラを取り出す。レンズを引き出し、目測で距離を測り、ピントを合わせる。
明るさに関わる設定はいじらず、ファインダーで構図だけを少々確認して、シャッターを切る。
今度は約5秒ほど。かなりの進歩だ。
しかし、今度もやはり女性に気が付かれてしまった。彼女は怖い顔をしてこちらにやってくる。
「申し訳ないが、写真を削除してはもらえないだろうか。私はカールスラントの軍人である」
被写体にばれ、挙句に削除まで要請されてしまった。これでは失敗である。
さて、前にも申し上げた通り、フィルムカメラの利点はこうした状況においてその対処がしやすいというところである。
私は目の前の女性がまさか軍人であるとは知らずにシャッターを切ってしまったわけで、これこそまさに不意遭遇戦とでもいえるだろう。
この場合、私はLeicaⅡの中にあるフィルムを引き出して感光させることによって、誠意の表明、すなわち写真の削除をすることになる。
だが、ここでひとつ、私は彼女引退してゴマカシを試みてみたくなった。
「お嬢さん、これはフィルムカメラというものです。つまり、今からフィルムに光を当てれば、写真はすべて消えます。よろしいですね?」
「結構」
そう言われて、私は
こうすることによって、フィルムに直接光が当たり写真はだめになる。
……だが、読者諸兄らはお気づきであろうか。この場合、実は”彼女を撮影した写真”は無事である可能性が高いのである。
私はレンズを外しフィルムに光を当てる前に、フィルムを巻いた。これにより、彼女の姿を映しているであろうフィルムは一つ横にズレているので、この写真の安全はほぼ確保されている。
戦場でカメラを握るなら、これぐらいのクレバーさは必要だ。どんな手段を使ってでも写真を本国に届ける。それが戦場を駆けるカメラマンの最大の仕事である。
さて、目の前の彼女はなんとかごまかされてくれたようだ。
「よろしい。以後気を付けるように」
私は安堵した。この場でこのトリックに気が付いている人間は、私以外に誰もいない。そう思うと、なんだかちょっと「してやったり」という心持ちになってくる。
だが、残念ながらこのトリックに気が付いたものが一人だけいた。その者は私の背後から静かに近づくと、肩をポンポンと叩いてこうささやいた。
「ダメじゃないですか先生、おイタしちゃ」
優しい声でそう言ってきたその者は、いたずら気な笑みを浮かべた。
私は彼女たちに連行され、軍の屯所までやってきた。もちろん、軍の機密であるウィッチを盗撮したというのが私の咎である。
だが、私は軍警察に拘束されるなどということはなかった。それは、私のトリックを見破った少女が私をかばってくれたからである。
「盗撮の要件は、それがわいせつ使途であること。今回はそれに該当しません」
「私にもプライバシー権がある」
「公道上だからそれには当たらないわ。それに、この国には迷惑防止条例は無いの」
そこまで言い切ってから、彼女は私の方を向いた。
「ねえ、
私のトリックを見破り、そして私を擁護してくれている彼女は、扶桑軍の人間だ。
そして同時に、私の教え子でもあった。
「星見君じゃないか。よく授業を覚えているじゃないか」
「
星見咲奈君。私のゼミの卒業生だ。就職浪人をして苦しんでいたとは聞いていたが、公務員になっていたとは驚きだ。
「しかし先生、あんなウソをつかなくてもいいじゃありませんか。堂々としていろと仰ったのは先生では?」
「君、それは授業の内容を聞き漏らしているぞ。私は極限環境社会学Ⅱで『極限環境においては生存と使命の遂行のために倫理が意味をなさなくなる事態が発生する』と教えたはずだ」
「リリィに殺されると思いましたか?」
星見君はけらけら笑った。
「大丈夫ですよ、先生。私たちは先生の命を頂戴しに来たのではなく、先生の護衛のために参りました」
ねえ、リリィ。星見君が言うと、リリィと呼ばれたカールスラント軍のウィッチは苦々し気な顔だ。
「まさか保護対象がこんな男とは。君の言によれば素晴らしい男性とのことだったのだが」
「あら。世界で初めてデジタルカメラを戦場に持ち込んだり、南極戦線の一部始終を最前線で取材した戦場カメラマンの第一人者よ」
星見君がそういうと、彼女は本当に渋々という顔で敬礼を見せた。
「リリー・デ・グロスマン准尉だ。Herr Kato、我々は従軍記者であるあなたを必ず護衛する」
偶然か、不幸か。彼女はカイロから先、戦地での私に付き添い守ってくれる護衛担当であった。そしてつまるところ、良好な関係を維持しなければならない取材対象である。
これはまずった。
「驚きました。いやはや、とんだ失礼を。どうかよろしくお願いします」
私は扶桑人的な愛想笑いを浮かべて彼女に手を差し出すが、彼女はそれを一蹴した。
「規則に反していないというのであれば、私は貴様の行動を咎めたりはしない。だがしかし、規律に従わなかった場合はその限りではない」
まるで凍てつくような言葉に、私は苦笑いしかできなかった。
「わかってますよ、プロですから。時にリリーさん。護衛は君ひとりかい?」
私は話題を変えるためにこんなことを言った。しかし彼女の眼光は厳しくなるばかりだ。
「マスコミのくせにそんなこともわからないのか。そんなはずがないだろう」
そもそも私は航空ウィッチではないから、基地までの空路を護衛できない、と彼女は言う。
「では、他のウィッチはどこに?」
リリーは大きくため息をつき、呆れたようにあごで指した。その延長線上には、星見君がいる。
彼女はにこっと笑ってこう言った。
「やだなあ先生。私ですよ、わ・た・し」
エジプト上空は快晴である。私は連絡機の中で星見君と隣り合っていた。
彼女は即応待機ということで、その足にストライカーを穿いている。彼女は本当にウィッチであるらしい。
「大学を卒業してからかなり苦労をしたと聞いていたが、まさかウィッチになっていたとは」
ウィッチの高齢化は全世界的な課題である。だが、だからといって大卒程度の人間がウィッチになるという話は聞いたことが無かった。
「私、実習の成績が悪かったじゃないですか」
「講座が優秀だっただけにとても残念だったよ。あそこまで実習が足を引っ張る学生というのも珍しかったね」
「ええ。ですから、ずっと考えていたんです。私に出来ることって何だろうって」
「それが、これかい?」
「その血筋であることは知っていました。最初は怖かったですが、意外と何とかなるものです」
彼女は飄々とした笑みを浮かべた。
「それで先生。さっきは何をしてらっしゃったんですか?」
彼女は、未だ私の手の中にあるLeicaⅡを見咎めてそう言った。
「加東圭子という女性を知っているかい?」
私が問いかけると、星見君は少し考えた末に答えを出した。
「はい。扶桑陸軍第五十五期航空歩兵で、扶桑海事変などで活躍されたエースパイロットです」
「私はもう君の先生じゃないんだから、そんなに固くならなくて結構。しかし、正解だ。では、彼女の代名詞と言えば?」
そう問いかけると、彼女の頭の中で私の作ったレジュメのページがめくられる音がする。
「えっと、確か居合撮影だったかと……。あっ」
「よく覚えていたね。その通りで、私は居合撮影の実証を試みていた」
そういいながら私はLeicaⅡを取り出した。
「それは……?」
「加東圭子氏が使用していたのではないかと目されるものだ」
「そんなものを使って実験ですか、さすがは先生です。それで、結果は?」
「見ての通り失敗だよ。いやはや、加東圭子の背中は遠い」
加東圭子氏なら、リリー准尉に嫌な顔一つさせることなく撮影を済ませ、飄々とした顔をしていたであろう。だが、私にはそれができなかった。
加東圭子氏がどのようにしてこれを成し遂げたのかもわからない。
「先生ほどの方でも、難しいですか」
「私
「デジタルカメラの第一人者が、
星見君は、いたずらっぽく口角を上げた。
「私はデジタルを追い求めたんじゃない。アナログから逃げたんだ」
私はそう言うことしかできなかった。
連絡機は無事に※※※※基地(以後、前線基地)に到着した。だが、到着してすぐ、敵ネウロイから発射された飛翔体の接近警報が発令された。
私は飛行機を降りてすぐ防空壕へと逃げ込む羽目になる。
近隣陸軍基地のロマーニャ軍砲兵隊が応射を行うと同時に戦闘攻撃機隊が出撃。さらに前線基地からも制空隊と星見君率いるウィッチ小隊が出撃し、敵ネウロイ陸上型を撃破した。
しかしながら前線基地は地上勤務者3人の犠牲を出し、またロマーニャ軍砲兵隊もFH70×3門及び後方勤務者2名を含む5名の犠牲者を出した。
攻撃が止み防空壕から飛び出してすぐ、私は目の前に空いた大穴を見ることになる。
それを前にして、私の身体は思い出した。ここは、明らかに戦場である。
そして私は、ここで戦うのである。記者として。
・レンジファインダーカメラ
定義)光学視差式距離計が組み込まれており、測定距離に連動して撮影用レンズの焦点を合わせることのできるカメラ
特徴)写真を写すためのレンズと距離を測る/構図を得るためのレンズが別である。
欠点:写真を写すためのレンズから得られる光を直接観測できる一眼レフカメラと異なり、ファインダーで見たものがそのまま写真とならない。
つまり、構図が少しズレたり、あるいはレンズキャップの外し忘れに気が付かないなどのことが考えられる。
利点:距離計による測定がその他のものと比べて正確に行えるとされている。
また、一眼レフと違いレフ(ミラー)を必要としないため、構造の単純化・軽量小型化において有利である。
またこの点はレンズの設計自由度の向上にも寄与している。
LeicaⅡ(およびバルナックライカ)はレンジファインダーカメラの代表的な機種である。
LeicaⅡは二眼式ファインダーであるため、距離測定用ファインダーと構図決定用ファインダーが異なる。(模造品のカンノンなどは単眼式であるため、ファインダーは共通)
撮影には以下の工程が必要である。
1)カメラを取り出し、レンズの準備をする。
(沈胴式レンズの場合はレンズを引き出す。レンズキャップを付けている場合は忘れることなくキャップを取り外す)
2)目視にて明るさを確認する。
3)明るさの設定を行う。
(装填しているフィルムの感度を考慮し、絞り及びシャッタースピードを調節する)
4)測距用ファインダーを覗き距離の測定を行い、以てピント調節を行う。
5)構図決定用ファインダーを覗き構図を決定する。
6)シャッターを切る