加東圭子にサヨナラを。 著・加藤敬(フォトグラファー)   作:矢神敏一

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6)圧縮引き出し

 久しぶりの戦場は、やはり私の迷いや不安を弾き飛ばすには好都合だった。

 

 すぐそこで何かが爆ぜる。すぐそこで何かが息絶える気配を感じる。生き物ならざる何かが、意思を持って我々と命の遣り取りをする。

 ああ、現場から離れて早10年。戦場の狂騒は、変わってやなんかいなかった。

 

 

 

 カイロ市からほど近く。(とはいえ陸路で数時間の距離である)

 ここには、人智が自然を凌駕した景色がある。

 

 カッターラ大湿地。かつてここは、海抜マイナス100メートルという大窪地だった。加東圭子らがこの地を平定したのち、ここはブリタニアやリベリオンの資本により、その高低差を利用した海水力発電所に生まれ変わった。

 地中海から水路を伝い流れ込んだ海水は、下り落ちながら水力タービンを回し、そしてこの低地に流れ込む。サハラ砂漠の熱波を受けてそれは蒸発し、地中海へと戻る。

 

 これを考え付いたのは、リベリオンの伝説的大統領アイゼンハワーだ。まったくもって、人類とは愚かで、そして泥臭く懸命である。

 

 今、その大湿地はネウロイとの戦争の最前線になっている。

 

 人為的に海水を流し込んだ砂漠は、その湿気と塩分で鉄のカタマリたるネウロイを破壊する。それでもなお、ここに活路を見出す少数のネウロイが果敢に挑戦するが……。

 そうなれば、彼女たちの出番である。

 

 ここを突破されれば、北アフリカはネウロイのモノである。

 アレクサンドリア、そしてカイロは敵の手に落ち、スエズ運河は消失する。

 

 逆にここを守り抜き、そして反対にこちらから攻勢に打って出れば、北アフリカは人類の手に戻る。

 

 この大湿地を抜けた先には何があるか。そう、トブルクだ。

 

 トブルク。

 

 加東圭子に呪われた私にとって、この地はまさに約束の地だ。彼の地は、加東圭子がハンナ・U・マルセイユ氏やライーサ・ペットゲン氏、稲垣真美氏などと共に死守し、そして北アフリカ開放の起点となった町である。

 

 今、前線からはトブルクの町を見ることは適わない。

 

 だが、この戦場の向こうには、必ずトブルクがある。

 

 私の胸は、危なっかしく急いていた。そしてそんな私を、私は肯定したのである。

 

 

 

 

「本当に来てよかったのか」

 

 約束通り、今日はリリー准尉と共に戦場へ赴く日である。前回は半ば騙し討ち的にお預けをくらってしまったものだから、今日の興奮と活力は並々ではない。

 

 だから、彼女のそんな言葉を私は多少の不愉快間と共に吹き飛ばした。

 

「もちろん。これが、私が来た理由です」

 

「そうか」

 

 もちろん、たくさんの人々に止められた。

 

 政府担当者の小野さんは、私にこう告げた。

 

「ここから先は会戦地帯です。上空からの観戦とは異なり、文民である私は外務省から立ち入りを強く抑止されています。ですので、私はここで引き返します」

 

 基地を出てから最初の休憩地点で、彼はそう言った。

 

「そうですか」

 

「できればあなたもここで引き返していただきたい」

 

「それは要請ですか? 命令ですか?」

 

 私がそう尋ねると、小野さんは何も言わず唾を吐いた。

 

「こんな状況でも、取材の自由を守らねばならない私の立場を重んじていただきたいものです」

 

「申し訳ないとは思っていますよ。ですが、仕事ですから」

 

 彼は呆れる欧州人のポーズをとると、私に拳銃を預けた。

 

「あなたが死ぬと、外務省及び陸軍省の背広組の数人が首を吊り、少なくとも5人が物理的に腹を切ることになります。大変不本意ですが、どうかご無事で」

 

「もちろん。生還こそがジャーナリストたると心得ています」

 

 小野さんの胸中を想うと、大変心苦しいものがある。

 

 だがしかし、それを振り切ってここまでやってきたのだ。今の私には、成果を得る責務がある。

 

 カメラを握る掌が、じとっと汗ばんだ。

 

「今日はこちら側へくる敵が多い」

 

 リリー准尉は、表情を変えずにそうぼやいた。

 

「だから危険だと?」

 

 私がそう返すと、彼女ははじめて、私の前で笑みを見せた。

 

「いいや……。おそらく、他所で相当苦戦しているから、こんなところまで逃れてきたのだ。ここは我々が手を下さなくても、ネウロイが勝手に滅ぶ場所。そこまでネウロイが”後退”しているということは……」

 

 私の胸が、高鳴る。

 

「トブルクにも、行けますかね」

 

「可能性はあるだろう。だが、まずは目の前の敵だ」

 

 彼女たちが言うや否や、轟音が空を引き裂いた。

 

 それは星見君たちの飛行ウィッチ隊だ。まるでアフリカ隊を彷彿とさせるその威容は、あまりにも優雅である。

 

「よし、敵位置をスポットするぞ。協力したまえ」

 

 リリー准尉は無線機を握り、照準器を準備し……。とと、え?

 

「まさかとは思うが、敵を見つけるのは私の役目だとは言わないだろうね」

 

「そんなにバカでかいレンズを持ち込んでいるんだ。少しは協力したらどうだ。その方が、トブルクにも近づけるぞ」

 

 私の胸中を知ってか知らずか、そんなことを嘯く。リリー准尉はいやはや、中年男子をもてあそぶことに長けたウィッチのようだ。

 

 そしてつい先日、彼女の前で教え子に敵位置をスポットして見せたばかりだ。実力不足を盾にすることもできまい。

 

 私は渋々、この600㎜レンズを以て索敵を行う。

 

 だが、敵を見つけたは良いモノの、正確にその情報を共有することができない。

 

「あの……烏帽子(えぼし)みたいな岩の……ちょい右……」

 

「……もっと客観的に言えんのか。エボシとはなんだ。アニメか?」

 

「私は素人だ! ああもう!」

 

 私はついに短気を起こした。

 

 私はファインダーから目を離し、カメラを三脚に固定する。そしてライブビューボタンを押し込む。

 カメラに取り付けられた液晶画面に、先ほどまでファインダーに映っていた景色が映し出される。

 

「ここ!」

 

「うむ、わかりやすい。もっとも、私が双眼鏡で探し出した方が早かったが」

 

 私は思わず叫んだ。

 

「あんたはサイコパスか!」

 

「失礼な。君をからかうのが面白くなってしまった、18歳の女の子だ」

 

 この時、リリー准尉は初めて年相応の表情を見せた。私は腹いせにその姿をサブカメラで撮影する。

 だが、彼女はシャッターが切れると同時に表情を変えてしまった。

 

「撮らせると思ったか」

 

「撮らせなさいよ」

 

「い・や・だ。それよりも構えろ。爆撃が来るぞ。わざわざ特等席で見物させてやるんだ。好く撮りたまえ」

 

 私はいろいろな感情をこらえながら、元の任務に集中する。

 

 これから、星見君が敵へ爆撃を敢行する。

 

 さて、これをどのようにして撮るか。

 

 普通の航空機ならまだしも、ウィッチの身体は小さい。生半可な撮り方では、画面に映るゴミと見分けがつかなくなってしまう。

 さて、どうしたものか。

 

 思い悩んでいると、無線が飛んできた。

 

『先生。爆弾投下は超低空で行います』

 

「ほう。つまりどういうことだね」

 

『あまり高い高度から投下すると、爆弾それ自体を迎撃されてしまいかねません。ですので、低空から投下し、私たち自身をデコイにします。そうすれば、敵は私たちの迎撃に夢中になりますでしょうし、万が一意識が爆弾に向いても、低高度からの爆撃ですから敵に加害が及ぶ確率が高まります』

 

 彼女の報告をひとしきり聞いたうえで、私は一つ大事な確認をする。

 

「しごく当然のことを聞くが、爆弾は時限信管かね」

 

『もちろん。さらに今回はサービスで、いつもより低く飛ぼうと思います』

 

 まったくもって、よくできた教え子を持ったものである。

 

 低空で爆弾を投下するということは、自分が爆発に巻き込まれる恐れが高くなる。よって、爆弾を遅発信管とし、着弾から爆発までの間隔を設け、爆発加害距離から退避する余裕をねん出するのである。

 

 そして彼女の言に従えば、その瞬間を利用してうまく撮れと私に言っているのである。まったく、座学は本当に得意な教え子である。

 

 私はこのお化けのような望遠レンズを最大限までズームさせ、敵に狙いを定める。この時、いずれ星見君が通過するであろう場所を考慮しちょっとだけ上に隙間を開けておく。

 

 爆音が近づく。星見君がやってきた。

 

 我々の上空を通過し、敵へ向けて一目散に飛んでいく。だが、ここではまだシャッターは切らない。

 

 爆弾が投下される。

 

 着弾。信管が作動し、タイマーにより爆発までのカウントダウンが始まる。

 

 敵がやっと星見君に気が付き、攻撃の準備を始める。

 

 だがもう遅い。敵ネウロイの足元に放り込まれた爆弾が、今まさに爆ぜる。

 

 その刹那。

 

 ネウロイと星見君が、構図の中に対角の線で結ばれる。

 

 シャッターボタンを押し込む。電気信号が回路を通じモーターに指令を与え、レフ板があがる。

 CMOSイメージセンサに電流が流れ込み、レンズを通して集約された光の情報を記録していく。

 

 一枚、二枚、三枚。

 

 秒間最大10コマというスピードで、情報が記録媒体に送られていく。

 

 そして、4枚目の記録をセンサが始めたころ、爆弾が爆ぜた。

 

 閃光が迸る。私は思わず顔をそむけた。

 

「無茶をする」

 

「だれのせいだ」

 

 目の前をチカチカとさせていると、リリー准尉は私のカメラを奪った。

 

「どんな写真が撮れた」

 

 リリー准尉の表情は、最初、ほぅ大したものだな、とでも言いたげな顔だった。だが、次第に怪訝なそれに移り変わっていく。

 

「なにか?」

 

「ホシミ少尉はこんな低空を飛行していただろうか?」

 

 軍人として、私が写し取った光景に疑問を覚えたようだ。

 

 私はカメラを取り戻して画像を確認する。すると、確かに私の思惑通り、星見君はまるで極めて低空を飛行しているかのような格好をしている。

 

「少尉、いくら身内へのサービスとはいえ、やりすぎでは?」

 

 リリー准尉が無線でそう咎めた。だが、それに対する星見君の答えは、まるで歌っているようだ。

 

『あら先生。その分じゃ綺麗に撮れたんですね』

 

「ああ、お陰様でね」

 

 さすがは私の教え子である。彼女はすべてを理解していた。

 

「どういうことだ?」

 

「圧縮効果、さ」

 

 私はまるで、異世界に転生する三文小説の主人公のような口ぶりでそう言った。

 

「私に分かる言葉で言ってくれないか」

 

 彼女はただ不快感を表明する。現実は小説のようにはいかない。

 

「すなわち、被写体から離れたところから写真を撮ると、被写体と被写体との間が実際よりも少なく見える視覚効果を指す。例えば、報道写真でビルや橋に異常接近しているように見える写真を見たことはないかい?」

 

「……ああ、あの詐欺写真か」

 

「ああいった小ズルい写真を撮る時に使う技法だ。覚えておいて損はない」

 

「じゃあ、この写真も詐欺じゃないか」

 

 リリー准尉は口をとんがらせた。

 

「そうだね、そう言えるかもしれない。だが、写真なんてそんなものさ。これがもし、圧縮効果を使っていない写真だったら、それはそれはマヌケなものになると思わないかい?」

 

 そう言ってみて、自分でも想像する。豆粒ほどの星見君と、敵。それが十分な距離(ディスタンス)を取って対峙している……。

 軍事的に正しいが、絵面としては最悪だ。第一、何の記録にもならないだろう。

 

「ううむ……」

 

「要は、写真を見る側にリテラシーがあればよいのです」

 

 私はこんなことを嘯いて、リリー准尉の追求をけむに巻いた。

 

 無線の奥で、星見君が笑っているのが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人類の進撃は破竹の勢いであり、ついにカッターラ大湿地を超えることができた。

 

 私もリリー准尉に帯同し、押し上げた前線の先にある仮拠点にたどり着いた。ここで一夜を越え、明日はさてどこへ行くか。

 

 ここから数百キロの距離には、もうトブルクがある。

 

「ホシミ少尉率いる航空隊は、この付近の制空権を確保するために留まるようだ。我々は陸上ウィッチ隊は……、現状のところ特に大きくは決まっていない」

 

 そう言うと、彼女は私を試すような目線を向ける。

 

「つまるところ、これからしばらくの行動は、ウィッチたる私に一任されている。さあ、どこへ行こうか」

 

「あまりからかわないでくれませんか。さもなくば、私はトブルクと口にします」

 

 そう言うと、彼女は声を殺して笑った。

 

「やはり、貴様の目的はトブルクか。面白い」

 

 そう言うと、彼女の眼は遠くを見つめる。その先には、西の空。すなわちトブルクがある。

 

「私も、そこへ行きたい理由がある」

 

「そんな理由で行けるものなんですか? 貴女は軍人でしょう」

 

「ショッピング・イン・バザールだよ」

 

 私の疑問に、彼女は何ともないように答える。

 

「ショッピング・イン・バザール……。アフリカ戦線の伝統ですね」

 

「知っていたか。勉強熱心なのはいいことだ」

 

「もちろん。これでも、大学教授ですから」

 

 ショッピング・イン・バザール。これこそ、加東圭子の功績である。

 

 指揮系統が混乱したアフリカ戦線において、多国籍のウィッチ部隊を率いて上層部の許可を得ず独自の極秘作戦行動を取った。これがショッピング・イン・バザール。

 これらの作戦は、当然公的な記録には一切残されていない。しかしながら、加東圭子が遺したアルバムの中に、その作戦を記録した数枚の写真が記録されていたことから、私の知るところになった。

 

「なるほど。今からあなたはショッピングに行く」

 

「ああ。もちろん、直属の上司の許可は取っているよ。”カメラマンの好みに合わせるように”とね。私の今の仕事は、貴様の護衛だ」

 

 そう言って彼女は地図を広げる。おそらくリベリオン軍の作成した北アメリカ沿岸部の地図だ。

 

「貴様の行きたいところを指させ」

 

 私は一縷の迷いなく、その地を指さした。

 

「もちろん、トブルクへ」

 

 

 

 加東圭子は、トブルクの地から北アフリカを取り戻した。

 

 我々は、今まさにトブルクの地を取り戻す。

 

 アフリカの、それも加東圭子がかつて取り戻した地を踏んで、思うことがある。

 

 それは、加東圭子は軍人であるということである。

 

 彼女は優秀なカメラマンであった。だがしかし同時に、北アフリカをほぼ独力で取り返した名将でもある。彼女は、同時期にその二つの仕事をやってのけた。

 

 まさに、二刀流を達成した大谷翔平……。いや、アイススケートでオリンピック金メダルを獲得し、のちに野球でもオリンピック銀メダルを獲得したエディ・アルバレスと言った方がふさわしいか。

 

 それも、第二次ネウロイ大戦期という現代技術の黎明期に、すなわち物的・質的欠乏の中彼女はやってのけた。

 

 改めて、加東圭子という人物の偉大さに圧倒される。

 

 彼女の手元にあったのは、整備もままならないストライカーユニットと短機関銃、そしてバルナックのLeicaと50㎜程度のレンズ。そして、己の頭脳のみ。

 

 遠い。あまりにも遠い。

 

 トブルクに行けば、なにか彼女に近づく術があるだろうか。私の頭の中は、そんなことでいっぱいだった。

 

 もうすぐ、アフリカの夜が明ける。

 

 そうすれば、私にとって最後の”こたえさがし”が、はじまる。




・望遠レンズと圧縮効果

 圧縮効果とは、切り取る場面から撮影位置が離れれば離れるほど近影と遠景が重なり合う視覚効果のことを指す。
 一般に望遠レンズを使用したときに起こる現象と認知されるが、レンズによる光学現象ではないため、広角レンズで撮影しそれをトリミングしても同じ効果を得ることができる。

(50㎜レンズで撮影した写真をトリミングして100㎜レンズで撮影した写真相当にしたとしても、理論上100㎜レンズで撮影した写真と同様の圧縮効果を得ることができる)

 長方体に近い立体を撮影する場合には、これによってアスペクト比が変わる。これを利用して、間延びしない構図を作り出すことができる。
 現代の撮影においてはかなり多用されることの多い効果である。

 なお、トリミングが事実上難しいアナログ撮影で、50㎜レンズしか持ち合わせていない場合、この圧縮効果を十分に引き出すことは難しい。
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