加東圭子にサヨナラを。 著・加藤敬(フォトグラファー) 作:矢神敏一
扶桑製の軽トラに乗って、前線仮拠点からトブルク空軍基地跡地を目指す。
軽トラを運転するのはリリー准尉だ。
「扶桑の自動車は砂漠で急に壊れたりしないのがよい。ただし、性能は平凡だ。もう少し誉あるカールスラント車を見習いたまえ」
彼女はそんなことをまるで口笛を吹くかのように軽く口を叩きながら、じゃじゃ馬のように暴れるハンドルを涼しい顔で繰っている。
「本当にあなたしかいないんですね」
「アフリカには陸戦ウィッチを回さないのが通例だ。ここは人類の戦場だからな」
ここに居るのはあくまでも基地警備の補助と要人警護が目的だ、とリリー准尉は言う。
「今思えば、加東圭子が闘ったトブルク=キュレナイカ戦線もそうだった。航空ウィッチ4人とハンナ・マルセイユ元大佐の私設護衛陸戦ウィッチ一人」
「アフリカはいつも、ギリギリで戦っているんですね」
「ああ。だが、それも今日で終わる」
砂ぼこりの向こうには、朝日に照らされる街が見える。我々は太陽を背にして、あの街へと向かうのだ。
そう、約束の地。トブルクへと。
結論から言えば、トブルクの町には何もなかった。
当たり前である。なぜなら、人類はとうに避難したか、踏みにじられた後なのだから。
我々は先に、ベースキャンプの設置も兼ねてトブルクの空軍基地へ向かった。
ここは加東圭子氏が隊長を務めた、統合戦闘飛行隊「アフリカ」が所在したところである。
もっとも、その名残などは、あるわけがないが。
「それで、航空部隊はどうしている」
私がそう問いかけると、リリー准尉は鼻で嗤った。
「なんだ、航空支援が無いと不安か?」
からかう様な笑みを見せた。なんだか、このやり取りにもすっかり慣れてしまって、私も乾いた笑みが出てしまった。
「どうした?」
そんな私を不思議に思ったか、彼女は怪訝な目線を投げかけた。
「いえいえ、ちょっと思っただけですよ。ここに航空ウィッチでも居れば、画になったのになぁと」
そういうと、彼女は面白いくらいに不機嫌な顔になった。
「なんだ、私では不満か」
そう言うと、彼女は滑走路の上で仁王立ちをする。
「なんのマネです?」
「私を撮ればよかろう」
私はついつい破顔してしまった。
「その仏頂面をですか?」
「写真を撮られるのは昔からニガテでね。特に、ヒトに黙って隠し撮りをするような人物から撮られるのは、特に」
彼女はベェっと舌を出した。私はすかさずレンズを向けるが、そのころにはもう彼女は無表情になっている。
「撮らせんよ」
「はいはい、わかってますよ」
もうとっくに、慣れたものである。
「まあ、冗談はともかくだな」
滑走路上で佇む彼女の写真を撮影し終わると、彼女はいろいろと事情を教えてくれた。
「カッターラ大湿地を我々人類は制しただろう」
彼女は地図を指し示しながらそう言う。
「ええ。……手ごたえのない進軍でしたが」
「まったくもってその通り。どうやら、敵は西南方向へ潰走したようだ」
トブルクのあたりから、その長い指をつつつーと内陸の方へ伸ばす。
「なるほど。それで敵が少なかったんですね」
「ああ。現在、人類はトリポリなどから逆上陸し、内陸へ逃げ延びた敵の追撃を仕掛けている。ここトブルクはまぁ……、現在のところ空白地帯となるわけだな」
「航空戦力も、南西方向へ?」
「そのはずだ」
ということはきっと、星見くんもそちらへ行ったに違いない。と言う顔をすると、彼女は無言で頷いてくれた。
「ということは……。我々は、ここトブルクを独り占めできるというわけだな」
「ああ。……敵でも潜んでいない限りは、な」
彼女は極めて意地の悪い笑みを浮かべた。
私はどう返したものか言葉に窮してしまい、適当に愛想笑いを浮かべる。
「冗談だぞ」
「わかってますよ」
そんな軽いやり取りをしつつ、私たちは飛行場を後にした。
またもや扶桑製の軽トラに乗りこみ、我々はトブルク市街地を目指す。飛行場からトブルク市街は、少々の距離があった。
道路……、と呼べるものは当然のことながら、既に風化してしまっている。我々は町がありそうな方向へ向かって、適当に車を走らせている。
「一応、ロマーニャの砲兵隊がカッターラ大湿地を越えて南部への支援砲撃に備えるらしい。もっとも、前線が押しあがる速度が速すぎて、全然追いつかないとボヤいていたが」
「ここまで人類の進撃が速いとは。やはり勝因は逆上陸でしょうか?」
「ネウロイはずっと、カッターラ大湿地の攻略で戦力をすり減らしていた。そこへ脇腹を食い破られるように人類の攻撃を受けたのだから、当然の結果として敗北した。実に痛快で、明快な勝因だとは思わないかい?」
彼女はやはり口下手なのか、取り留めもなくしゃべりながら最終的に「イチイチ私に言わせるな」とばかりに黙り込んでしまった。
「しかし、一面どこを見ても砂と岩だらけですねぇ」
すっかりしゃべらなくなった彼女に何事かを言わせようと、私は会話を続ける。
「ああ、でも見えてきましたね。あれが街じゃないですか?」
その道路とも呼べない砂地の向こうに、建物のようなものが見えてきた。
その町は砂ぼこりの向こうに、しっかりと在った。
「ああ、見えてきましたね。トブルクです」
トブルク。それは間違いなくトブルクだ。加東圭子が居た面影がまるで残っていない飛行場に比べて、こちらはわずかばかりでもその面影があるはずだ。という期待が私の胸を躍らせる。
思わず顔がほころぶ私を見ながら、ハンドルを握る彼女は少し笑った気がした。すかさず彼女に目線を向けると、彼女はもう笑ってはいなかった。
相変わらずリリー准尉は隙が無いなあ、などと呆けたことを考えていると彼女は急ハンドルを切り車を横転させる。
「伏せろ!」
彼女が私の上に覆いかぶさる。次の瞬間、衝撃が私の身体を襲った。
「うおお!?」
そんな格好のつかない声を出して、私は弾き飛ばされた。思わず、中古市場でとんでもない価格になるLeicaⅡを護る様に受け身をとる。肩からぶら下げていたFukonD5に付けていたレンズが、壊れる音がした。
「ああ! これだから純正じゃないレンズは……」
などとぼやいていても仕方がない。私は状況の把握に努める。
「何がありました」
リリー准尉に近寄る。だが、彼女からの反応は鈍い。まさか、と思って助け起こしてみると、彼女は頭部にけがを負っていた。
「准尉!」
「静かにしろ。敵は攻撃結果の評価をしている最中だ。うまくいけば、やり過ごせる」
彼女は自分で布をキズに当てながら、そうつぶやいた。
「敵、ということはネウロイですか」
私も声をひそめながらそう問いかける。彼女は小さく頷いた。
「油断した。やつら、トブルクの町に潜んでいたんだ」
彼女はため息をついた。
「つまり、敵の脇腹を食い破った……、と油断している人類の、脇腹を食い破ろうと?」
「ああ。……敵はどちらの方へ進軍している?」
そう問われて、私は軽トラの残骸から少しだけ頭を出す。
砂ぼこりの向こうで、何かがうごめいているように感じた。カメラのレンズを使って覗いてみようと思うが、残念ながら今の攻撃でデジタルカメラを喪失してしまった。手持ちはLeicaのみ。これでは、望遠レンズを望遠鏡代わりにすることはかなわない。
一生懸命に目を凝らしてみると、なんとなく敵の動きが見て取れた。敵は砂色を身にまとい偽装してはいるが、なんとなく我々から向かって左……。すなわち、西方へ向かっている様子が見て取れた。そしてその隊列の形状から、それが若干南に傾斜しているという事もなんとなく想像がつく。
「ご想像の通り、西南です。ありゃあ、逆上陸部隊の裏をかくつもりでしょうなぁ」
あのネウロイが進んだ先には、逆上陸の後、破竹の進撃を続けている……、と思わされていた陸上部隊がいる事だろう。そして、そこにはそれを支援する星見君たちもいるはずだ。
「いち早く、通報しなくては……」
彼女はそう言うと、残骸の中から衛星電話を探し出した。そしてそれに手を伸ばして……。
そして不意に、その手をひっこめた。
「どうしました?」
「今日日、ネウロイの中には電子戦型も存在する」
彼女は息を殺してそうつぶやいた。
「ここで電波を使えば、最悪の場合こちらの存在を気取られてしまう恐れがある……」
そう言うと、彼女はハッとしてこちらを振り向いた。
「そういえば、貴様のカメラは通信機能があったな」
「ええ。FukonカメラにはWifiとBluetoothが標準装備ですが……。一応、機内モードにはしています」
「念のため、今すぐカメラの電源を切ってくれ」
「構いませんよ。どうせ今や無用の長物ですから」
レンズが無いと何もできないのがレンズ交換型カメラの短所でもあり、長所だ。
私はFukonD5から電池を抜き、同時にスマフォの電源も落としておく。
「で、どうやって通報するんですか?」
そう問いかけると、彼女の顔がどんどん険しくなる。
それは明らかに、葛藤している顔だった。
こんな状況を、私は南極で経験した覚えがある。それは、軍人としてなすべきことの内、どちらを優先させるかを悩んでいるときの顔だ。
私は、彼女の葛藤がなんであるかに思い至った。
次の瞬間、私は考えるまでも無く、彼女に向けてLeicaのシャッターを切っていた。
ファインダーも覗かず、ピントも適当。当然、露出設定もおぼつかない。ただ、彼女の顔に向けてシャッターを切った。
「こんなときに、なんだ」
不服そうな目線を向ける彼女に、私は私は意地悪な笑みを返した。
「私は今、自分のやるべきことをしています」
そして私は、彼女に頷いた。
「あなたもどうか、あなたのすべきことを」
覚悟はできている。私は彼女に、そう伝えたかった。
彼女の顔が少し明るくなる。どうやら、私の覚悟は彼女に伝わったようだ。
「岩場に隠れながら、通信機材を移動させるぞ」
「ええ。少しでも頑丈な建物に避難するんですね?」
「ああそうだ。急ぐぞ!」
私は、使い物にならなくなった機材のいくつかを、メモリーカードを抜いたうえで投棄した。そして、負傷した彼女の代わりに荷物を担ぐ。
「さぁ、人類の一員として恥じない行動をしようじゃないか」
急転直下、私は生と死の狭間に追い落とされた。
それがなぜか、私にとても不健全な高揚感と充実感を与える。
「ええ……。ここは、人類の戦場です」
加東圭子も、こんな心持ちだったのだろうか。
戦場カメラ
かつて、戦場のカメラと言えば丈夫で壊れず、取り回しも好いLeicaカメラであった。
しかし、扶桑製カメラの勃興に伴い、戦場に帯同するカメラとしてはより堅朗性の高いFukonFシリーズなどに切り替わっていった。
特にFukonF2は南極などの極寒地においても驚異の生存性を見せ、各国の報道関係者はこぞってこのF2を調達したと伝えられている。これが、現在まで続くFukon神話の始まりである。
一般に、極限地での生存性はデジタルカメラよりフィルムカメラの方がよい。電子接点はどうしても、寒さや砂塵などに弱いからである。