ええそう、これは罰。
ヒトのことわりに反し、自然のことわりに反し、
生命の尊さを貶めたワタシへの罰。
何故、私は生まれてきたの。
神様の贈りもの? 父と母の愛の結晶?
いいえ。
科学者たちが「あの人」から削り取った欠片から、人工培養し結果生まれたのが「ワタシ」。
何のために、私は生きているの?
遺伝子を紡ぐため? 愛を育むため?
いいえ。
エヴァに乗って使徒を倒し、来る日には人々の魂を集約し彼の地に導くために、「ワタシ」は生きているの。
では。
それでは、この「生」はいったい、何のため?
全ては終わったはずなのに。
あの日、彼の願いを叶え、全てを地上に還すことで、私の役割は終わったはずなのに。
2度と目覚めることのない、深い眠りへとついたはずだったのに。
なぜ。
なぜ。
―――なぜ?
指が見える。
狭い視界の中に、指が5本。
「動け」と命じてみる。
指がうようよと動いてる。
風に吹かれて揺れた髪が、左頬を撫でる。視界の隅には空色の毛先。
右頬と、投げ出された手足から大地を感じる。
私は生きている。
なぜ。
なぜ。
―――なぜ?
大量の熱を浴び焼き付いた大地。
毒々しい赤褐色の湖。
空を覆う岩のような厳つい雲。
錆びついた地面に、少女が横たわっている。
膝を胸に引き寄せ、背中を少しだけ丸めた、まるで母体のなかで眠る胎児のような恰好で。
空色の髪。透き通るような白い肌。
ごつごつとした岩が転がる丘の上で、一糸まとわぬ姿で横たわる少女の姿は、神の祝福から外され下界へと堕とされた天使のようだった。
薄く開かれた瞼の下から覗く赤い瞳は、肩からのびるほっそりとした腕の先を見つめている。
瞳に映る指が、自分のものなのかどうかを疑っているらしい。
次に少女は、額から垂れる前髪を数本指でつまみ、それを視界の中に入れ、凝視した。
瞳に映る空色の髪が、自分のものかどうかを疑っているらしい。
それは傍から見れば、深い眠りから目覚めつつ、もう少し微睡の中に身を委ねていたいと駄々をこねる幼子のような姿だった。
しばらくして、少女は諦めたように、ゆっくりと、気だるげに上半身を起こした。
視界が広く、視線が高くなり、改めて周囲の光景が彼女の瞳に映し出される。
地面が抉られむき出しになった大地。
血だまりのような広大な湖。
少女は、かつてそこが豊かな緑に囲まれた、近未来的なビルが立ち並ぶ都市であったことを知っていた。
そして、いつ、なぜ、どのようにして、そして誰が、このような変わり果てた姿に変えてしまったのかも、知っていた。
だから、少女の瞳は、悲しみも、怒りも、恐れも、宿さない。
眼前に広がる光景は、彼女の心情に1mmの波紋も広がせることはない。
ただ心の中にあるのは「なぜ」。
風景はすぐに飽きてしまい、代わりにじっと自分の手のひらを見つめる。
―――なぜ、私は生きている?
元々、替えの効く命。
個体がその活動を停止したら、魂と記憶は自動的に次の個体へと移し替えられ、新たな「生」が始まる。
―――ああ、そうゆうことか…。
今までと、これまでと、何ら変わることのないルーティンが実行されただけ。
彼の願いを叶え、役割を終え、それなりの満足感を得て自分の「生」は閉じられたのだと思ったけれど。
自動的に、作業的に、当人の事情はお構いなしに、この命は再利用される。
今回の再利用過程がこれまで繰り返されてきた再利用過程とは幾分違うような気もするが、自分がすでに再生産されている事実は認めるしかない。
つまり、自分は「4人目」ということになるのだろうか。
これは、4度目の「生」になるのだろうか。
いずれにしろ、これまで繰り返されてきた「生」とは大きく違うところが、この「生」には目的が見当たらないこと。
何故、生まれたのか。
その答えは何となく見つかった。
では、何のために、生まれたのか。
これまでと同じルーティンが繰り返されたのであれば、生まれると同時にその「生」に自動的に付加されるはずの目的が、身体中のどこを探しても見つからない。
だから少女は同じ問いを繰り返すしかない。
なぜ。
なぜ。
―――なぜ? と。
目的がなければ、すべきこともない。
何もすることがない。
だから少女は、目覚めた場所から一歩も動くことなく、膝を抱えて座り込んだまま、丘の上から見える風景をぼんやりと眺めていた。
分厚い雲は相変わらず空を一分の隙も無く埋め尽くしている。
その為、陽が沈むと周囲は真っ暗になる。湖の水面を揺らぐ月の光も、空に散らばる星々も、闇を切り裂くような街の光も、丘の上からは見えない。真の暗闇。
東の空が明るくなり始めた。
十数時間ぶりに闇から解放された風景は、しかし以前と変わりはない。分厚い雲を何とか射抜いて地上に辿り着く弱弱しい陽光。時間と共に変わる陰の形、風に舞う砂塵や揺れる湖の水面。見つめ続けて認めることができた変化はそれらだけで、再び世界は暗闇へ。
何をせずとも、何を欲せずとも、雲の上で太陽は勝手に昇ってきて、そして勝手に沈んでいっているらしい。
自分の「生」と同様の、全自動の世界。
何度目かの自動化した夜明けを迎えて。
少女はようやく動いた。動いた、というよりは、身じろぎした、と表現した方が正しい。
身体を右側に少し傾け、左の臀部を地面から浮かす。ずっと地面とくっついてたお尻の皮膚が、パリパリ、と糊付けされた紙を剥がすような音を立てて地面から離れる。暫く左臀部を浮かせていた少女は、一旦姿勢をまっすぐに戻すと、今度は左側に傾いた。右臀部の皮膚が、やはりパリパリ、と小さな音を立てて地面から離れる。
どうやらずっと座り続けていた所為で、お尻が痛くなったらしい。
何度か同様の動きを繰り返してみるが、お尻の痛みは取れないようで、少女は「仕方なしに」といった気だるい動作で両膝を地面に付き、完全に腰を浮かせた。両手も地面について四つん這いになり、そして片方の足のみを立てる。その姿勢のまま、腰の位置を少しずつ高くしていく。
「この身体」をもらって、初めての立位。「この身体」に放り込まれて、初めて重力に逆らう行為。両膝がぷるぷると震えた。右に左に大きく揺れながら、背筋を伸ばす。両腕をぶらんと下げ、重力に身体を慣らしていく。
回れ右をしてみた。目覚めてから、初めて背後の景色を見る。厳つい雲に覆われた空、荒涼とした大地。今まで眺めていた風景から、血だまりのような湖がなくなった以外は、何ら変わらない風景。何かを期待していたわけではないので、がっかりはしなかった。
少女は歩くことにした。
行きたいところがあるわけではなかった。周辺を散策したいわけでもなかった。
また座るとお尻が痛くなってしまうだろうし、立ちっぱなしだと膝が痛くなってしまうだろう。きっと歩いていた方が楽なので、だから少女は歩くことにした。
荒れた地面を裸足でペタペタと歩く。
何も纏わない身体に、時折強い風が吹きつける。
でも少女は気にせず、裸のまま歩き続けた。
お尻が痛くなろうが膝が痛くなろうが、足の裏が泥だらけになろうが、風が身体から体温を奪っていこうが、ただ機械的に、自動的に、目的もなく再生産されたこの身体は、もはや労わる必要はない。
陽が傾き掛けた頃、少女はある場所に辿り着いた。
それは偶然か、はたまた帰巣本能の成せる業か。そこはほんの数日前まで、少女が唯一の居場所として認識していた、とある組織の本部があった場所。
何か巨大な建造物があったと思われる瓦礫の山の隣では、巨大な穴がぽっかりと大きな口を広げている。穴の淵までいって、下を覗いてみる。
穴の底を少女は知っている。少女の身体は知っている。
そこは数日前まで、少女の「元」となったモノが安置されていた場所だったから。
今はそこが空っぽになっていることは知っていたし、別に戻りたいという気持ちもなかったが、たまたま瓦礫の隙間から覗く地下へと降りる階段が目に入ったので、少女は今にも崩れ落ちそうなその階段を使って地下に向かうことにした。