告白   作:hekusokazura

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第一章 其の二

 青年のメモ帳には、女性科学者から教えられた数種類の薬の名前が書かれていた。

 

―――あの子は、その製造過程で生じた遺伝子上の欠陥がいくつかあるの。簡単に言えば、本来体内で生成されるはずの生命の維持に必要不可欠な内分泌物質の幾つかが、彼女の体は作ることができないのよ。つまり彼女が生きていくためには、その物質を外部から取り込まなければならない。要は薬を飲み続けなければならないの。

 

 それがメモ帳に書き留めたこれらの薬だという。

 

―――どれもそれほど珍しくはない、ありふれた薬だから、世間に出回っている量は途方もない数になるでしょうね。でもその組み合わせで飲んでいる患者で限定すれば、ある程度は絞れてくるんじゃないかしら。

 

「確かに『ある程度』は絞れましたよ。リツコさん」

 

 青年は目の前に積み上げられた段ボールの山を見ながら独り言ちた。

 厚生省に照会を依頼したところ、かの極大事象以降、教えられた組み合わせの薬を処方された延べ患者数が、すなわちこの段ボールに詰められた書類の枚数になるのだという。全国各地の医療機関で発行された処方箋や診療報酬明細の写しが詰め込まれたこの段ボールの山を見ていると、頭がくらくらしてくる。

 

―――もっともあの子が正規の医療保険機関から薬を入手しているとは限らないけどね。

 

 ありがたいことに女性科学者はこれから自分が行う地道な作業が、全て徒労に終わる可能性も示唆してくれた。

 

 それでも。

 あの時、女性科学者が語った言葉。

 

 ―――あそこでは何事でも起こりうる。

 

 青年がこの捜索を始めてから見聞きした言葉の中で、その短い言葉は他のどの言葉よりも力強く青年の心の中に響いていた。

 

 元来が豆な性格で地味な作業を苦にしない青年である。厚生省が電子媒体ではなく、嫌がらせの様に寄越した書類の山の精査を、常人が行ったならば発狂してしまいそうになるほどの気の遠くなるような作業を、飛ぶような勢いで処理し、「彼女」を捜し出す作業に没頭した。

 本来の捜索対象である男のことが青年の頭からすっかり消えたのは、彼がこの捜索を始めてから初めてのことだった。

 

 事前調査として「彼女」の出自を調べてみたが、予想はしていたことだったが「彼女」には戸籍も住民票もなく、彼女の存在を証明するあらゆる資料がなかった。書類上、「彼女」はこの世に存在しない人間だった。したがって、この書類の山に「彼女」の名前がそのまま載っていることはありえない。大量の知らない名前の中から、「彼女」を見つけ出さなければなならい。

 

 まずは性別。次に年齢。それだけでも、条件に当てはまる対象患者はかなり絞られた。そこから女性の目撃情報があった地域の医療機関で抽出すると、捜査対象としてかなり現実的な数にまで絞られた。

 青年はそこからさらに調査対象を絞っていく。

 男と女はおそらく、捜索の手を逃れるため、潜伏先を転々と変えている。また、女性科学者が言うには、女の遺伝子上の欠陥はいつか治癒するという類のものではなく、したがって薬は一生飲み続けなければならないものらしい。

 青年は対象の中から、同一の患者で転居を繰り返している者を捜してみたが、対象の中には見つからなかった。次に、薬の処方が途中で止まっている患者をリストアップし、「彼女ら」の死亡届が出されていないかを確認した。そして、死亡届が出されていない患者の処方が中止されてから近い時期に、別の医療機関で別の患者の名前で同様の処方が始まった患者を抽出する。同じ作業をひたすら繰り返す。

 用事がない限りは殆ど外出せず与えられた部屋に閉じこもり、昼夜構わず、寝食を惜しんで書類の山との格闘を続けて1ヶ月。

 

 一つの「線」が見えた。

 「線」の始まりは、かつてこの国の3番目の首都の名称を与えられた都市から、少し離れた小さな街。次は温泉で有名な海辺の観光都市。次は片田舎の漁村。次は広大な工業地帯の一角を担う地方都市。次は山間の農村。次は…。

 

 すでに深夜をまわり、誰も居ない部屋。室内に点く灯りは、青年に与えられたデスクの卓上ライトのみ。窓ガラスからは、真ん丸に輝く月の淡い灯りが差し込んでいる。

 ドアが慌ただしく開き、青年が大きな円筒状のものを抱えて入ってきた。コンビニで買ってきたコーヒーやサンドイッチが入ったビニール袋をデスクの上に投げると、椅子に座る暇も惜しむように、円筒に丸めていた大きな紙を広げる。

 それは大きな全国地図だった。こんな深夜でも営業している書店に駆け込み、買ってきたものだ。

 広げた地図を、壁に貼る。油性ペンで、買ってきたばかりの新品の地図に、どんどん点を書き込んでいく。全ての点を書き込み終えると、次に時系列順に、点と点との間を、線で繋げる。

 部屋の電灯を点ける時間も惜しいらしい。卓上ライトと月明かりだけの頼りない光だけが照らす部屋の中で、青年は地図の上に線を引いていく。

 一心不乱に。

 

 線を引き終えて、少し離れた場所から地図と、地図の上を這う「線」を見つめた。

 薄暗い部屋の壁に貼られた地図。

 月明かりに照らされた地図。

 そこに浮かぶ、「点」と「線」。

 

 地図上に書き込まれた「点」。それは、すなわち「彼女ら」。それぞれの街の病院や診療所で同じ薬を受け取った「彼女ら」。名前も違えば、生年月日も国民番号もバラバラの、書類上では全員が別人の「彼女ら」。

 「彼女ら」一人ひとりは別々の「点」でしかないが、地図上では一つの「線」として繋がっている。青年にはその「線」が、月明かりに照らされふんわりと浮かび上がっているように見える「線」が、一人の女性の姿を形作っているように思えた。

 

「…あや…なみ…」

 

 久しく口にすることのなかったその名を呟きながら、その線にそっと触れる。

 涙が溢れた。

 

 彼の指は「点」と「点」を結ぶ「線」をなぞり、やがて「線」の終着点、地方のとある街へと辿り着く。

 

 

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