告白   作:hekusokazura

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第一章 其の三

 暦の上では小暑を迎えた頃。

 青年は購入したばかりの中古の軽自動車を走らせながら、数時間前まで会っていた女性のことを思い浮かべていた。

 

「だから暫く留守にしていると思う」

 この話を切り出すと、案の定彼女は不機嫌になった。

 青年が住む街の中心街から少し離れた、テラス席のある喫茶店。彼女と落ち合う時は、決まって彼女のお気に入りのこの喫茶店だった。テラス席のパラソルの下、白い丸テーブルを挟んだ向かい側では、彼女が頬杖をつきアイスコーヒーをストローで行儀悪くずずずと啜りながら、「私は今機嫌悪いですよ」アピールをしている。

「まあ別にあたしはあんたが何処で何していようが、べっつにどうでもいいんですけどぉー」

 どうでもよいのであれば、わざわざ語尾を敬語にしなくてもよいのに。苦笑いするしかない青年である。

 

 二人はお互い保護観察中の身だった。大学に通うため県外に住んでいる彼女は、保護観察所への月1回の出頭のためにこの街に訪れており、「そのついで」と称して毎回青年を呼び出しては、喫茶店のコーヒー一杯で何時間も(女性側が一方的に)お喋りしたり、買い物に付き合わせたりしている。

 

「あんたの次の面談日はいつなのよ?」

「え?」

「だから来月の保護観察所の面談日。いくら「出張」中だからと言って、観察員の面談をサボるわけにはいかないでしょ」

「はあ」

「だ・か・ら。あたしの面談日をあんたの面談日に合わせてあげるって言ってんのよ」

「え?でも僕、先月で二十歳になったから。保護観察期間は終了したよ?」

「え!?」

 声を張り上げ、椅子から立ち上げる女性。女性の膝の裏に押され、椅子が音を立てて倒れる。

「あれっ!えっ!?う、うそ!?」

「いや…。うそも何も…」

 ひとしきり慌てふためき、今はこちらを見つめ固まってしまっている女性に、青年はとりあえず落ち着くよう声を掛けながら、訝し気にこちらに視線を寄せてくる他の客に頭を下げた。青年も立ち上がり、女性が倒してしまった椅子を起こす。その隣では相変わらず女性が固まったままで、「…しまった。…6月6日だった…」と呟いていた。

「ごめんね先に終わっちゃって。アスカは12月生まれだからまだ半年もあるけど」

「そ、そうよね。まったくこの国の杓子定規なやり方って、本当に気に入らない。なんで品行方正なあたしがあんたよりも保護期間が長いのよ」

 自分の痛恨の失敗に不機嫌を続けるための燃料が枯れてしまった女性は、青年に促されるままに椅子に座った。

 

「それで。就職は決まりそう?」

「幾つかの事務所からの誘いはきてるんだけどね」

「へー。すごいなぁ」

 その分野には疎い青年でも知っているような大手事務所からリクルートを受ける女性を、青年は素直に尊敬した。

「まああちらさんの誘いのままに決めてしまうのも面白くないし。卒業までまだ時間があるから、ゆっくり吟味してやるわ」

 青年からの羨望の眼差しを受けて、少しだけ上機嫌になる女性である。

「で?」

「ん?」

「あんたはいつまでその「バイト」を続けるつもりよ?」

「…一区切りつくまでは」

 いつも聞き役でいる青年。話の中心を自分に向けられると、途端に声のトーンが下がってしまう。

 女性の目はあからさまに「辞めてしまえばいいのに」と訴えているが、青年は気づかないふりでもするかのように女性から視線を外し、女性も青年の「バイト」が単に生活費を稼ぐためのものではないことを知っていたので、あえてそれを口にはしなかった。

 

 ―――お父さんを見つけて、どうするつもり?

 

 女性は聞きたがったが、その言葉も口にすることはできなかった。

 

 青年が長い「出張」に出る時は、おそらく青年の父親の手掛かりが見つかった時なのだろう。青年が長い「出張」に出る度に、青年が本当に彼の父親を見つけ出してしまうのではないか、と不安でならなかった。この親子が再会した末に、穏当な結末が訪れることなどどう頑張っても想像できなかったからだ。

 見つからなければいい。そう思う反面、とっとと見つけて片を付けてしまって、さっさとこの拘束時間はやたらと長いくせにしみったれたお給金しか寄越さない「バイト」から足を洗ってしまえばいいのに、とも強く思う。

 

「あーなんだかイライラしてきた……」

「いや。なんで…」

 機嫌が良くなったり悪くなったり。コロコロ変わる女性の表情を、青年は困ったように見つめた。

「あーあ。なにも今夜に発たなくてもいいじゃない」

「仕方ないよ。きょう出発したところで、明日中に辿り着けるどうかも分からないんだから」

「ふん。せっかくあんたがクルマ買ったっていうから、ドライブにでも連れていってもらおうと思ったんだけどなー」

「いやぁ…、アレに君を乗せるのはちょっと気が引けるなぁ…」

「別にポルシェに乗せろっていってるんじゃないんだから。なに?今日乗ってきてるの?」

「うん。ほら、あれだけど」

「どれ?…ん?…へー。何よ。そんなに悪くないじゃない」

「えっ?ん?あ、いやいや。違うよ。その隣のやつ」

「は?隣の?……Ohhh……」

「……」

「……」

「……ね?」

「……はい」

「……」

「まぁ…、1,000㎞走って無事だったら乗せてちょうだい…」

 

 

 青年が住む街を出発してからのトリップメーターが1,000kmを超えた。とりあえず、生まれて初めて購入したこの軽自動車は、あの女性を乗せる資格を得たことになる。

 

 後ろめたさはあった。「出張」理由は毎回告げていないが、おそらく彼女はその目的を察しているはずだ。だが今回の「出張」はこれまでの「出張」と事情が異なることを彼女は知らない。最終目的は変わらないが、そこに至る過程に新たな人物が加わっていることを彼女は知らないのだ。

 

 女性科学者を見つけ出した時、そのことを彼女に告げても彼女は「無関心」だった。自分たちの上官だった白髪の老人を発見した時も、やはり彼女は「無関心」だった。

 彼女の態度から何となく「無関心を装っている」ということは察することができるが、そこには「過去と袂を分かち、ただ前を向いて歩こう」とする彼女の決意が見て取れた。そんな彼女に比べ、過去に囚われてばかりの自分は何とまあ後ろ向きな人間なのだろうと、落ち込みたくなる。

 そんな自分はさておき、「過去」と距離を置こうとしている彼女に、今回の「出張」の目的を伝えてしまったらどうなることだろう。

「絶交…されちゃうかな?」

 

 彼女を知る人の間では、彼女は思ったことをすぐに顔に出し、口にする、感情的なタイプとの人物評が一般的だが、青年はそれを否定はしないものの、彼女の側面の一つを表しているに過ぎないと思っている。きっと、おそらくは、今もこうして定期的に会っている自分にも、寝食を共にしたあの女性にも、そして彼女が強い憧れを抱いていたあの男性にでさえも、彼女が素直なありのままの自分を表していたとは思えない。ところが自分がこれから捜し出そうとしてる人物は、おそらく、自分が知る限りでは、彼女が唯一うそ偽りのない感情を示した相手だ。それは好意的なものではなく、「敵意」というものであったが。

 もし今回の「出張」で、「彼女」を見つけてしまったら。そしてそのことを彼女に知られてしまったら。彼女は今まで通り「無関心」を装うことができるだろうか。

 

 いつも「出張」に出かける時は気分が重い。もし「出張」先で自分たちの努力が結実した場合、それは自分が血まなこになって探し求めていて、それでいてこの世で一番会いたくない相手との再会を意味しているからだ。

 しかし今回の「出張」に関しては気分の高揚があった。この世で一番会いたくない相手の前に、この世で一番会いたいと思っていて、でも決して会えることはないと思っていた人物が居るかもしれないからだ。

 しかし路面の衝撃がもろに伝わってくる薄い座席シートの上に何時間も拘束されている内に、次第に青年の心はいつも通りの鬱々たる気分に支配されていくのだった。

 

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