告白   作:hekusokazura

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第一章 其の四

 青年はレンガ造りの古びた診療所の前に立っていた。年季の入った鉄柵には、「本日休診」の札がぶら下がっている。

 青年が彼の住む街を発ったのが金曜日の夜。慣れない超長距離の運転だったが、そこは若さで乗り切り、僅かな時間だけ仮眠を取った以外は殆ど休みをとらずにぶっ通しで運転し続け、この街に辿り着いたのは日曜日の昼下がりだった。

 青年は肩掛け鞄の中から一枚の書類を取り出す。厚生省から提供された書類の写し。診療報酬明細書に記された医療機関の名前と、診療所の看板を見比べる。

 間違いない。ここだ。

 青年はそれがさして意味のない行動だと分かっていたが、思わず周囲を見渡してしまった。

 

 ―――この街のどこかに、「彼女」が。

 

 過疎化少子化高齢化の3拍子揃った、この国の地方にはありふれた何の特徴もない山間の田舎町。小さな役場とこの街唯一の小さなスーパーマーケット、郵便局に交番、そしてこの小さな診療所が、外界から忘れ去られてしまったかのようなこの小さな街の中核を担っている。

 

 本部、学校、そして解体の進む古い巨大な集合団地。当時、「彼女」と過ごした場所はその3つだけだった。クラスメイトたちとは街に繰り出してゲームセンターに行ったり映画館に行ったり。同居人たちとは一緒に買い物に行ったり食事に行ったり、いつだったか温泉に行ったこともある。「あれ」が起きてそれぞれが各地にバラバラとなり、それぞれの生活と人生を送るようになったが、それでも連絡が取れる仲間たちとは時々会って食事をしたり何処かに遊びに行くこともある。青年と様々な時間、様々な場所、様々な経験を共有してきた彼らは、ある者は飛び級での進学を繰り返しこの国で一番有名な大学を首席で卒業しようとしていたり、ある者は新しく生えた脚でバスケットコートを走り回っていたり、ある者はずっと気にしていた雀斑が消えたことで長年秘めていた想いを遂に告げたり、ある者は趣味が高じて陸自に入隊したり。成長期の只中に居た彼らは、14歳だったあの頃の姿を留めている者は一人もいない。

 しかし、青年の中での「彼女」は、あの頃の彼女のままだった。

 近未来的な3番目の首都の名を冠した都市。不自然に人通りの少ない高層ビル群の中で、一人佇む青緑色の吊りスカートと白いブラウスの制服を着た少女。あるいは人工的な液体に満たされた鋼鉄の器に身を沈める、白と黒のスーツで全身を包んだ姿の少女。

 科学の英知を結集した文字通りの人工培養された少女が、3階建て以上の建物がない、少し視線を遠くにやれば畑と山しか見えないような、こんな田舎町に住んでいる(かもしれない)ことは、青年には想像し難いことだった。

 

 書類によれば、「彼女」がこの診療所に初めて訪れたのが約3ケ月前。2回目の受診はその約1ケ月後。いずれも処方された薬は1月分であり、単純計算でそろそろ3回目の受診があるはずだった。そして青年が「彼女」であると目星をつけた「彼女たち」の書類上での足跡は、同じ場所に少なくとも3ケ月以上は滞在し、1年以内には次の場所へと移っている。「彼女」がこの行動パターンを今も踏襲しているとしたら、「彼女」はまだこの街にいるはずである。

 

 青年は診療所の近くにある公営アパートの2階角部屋に入った。アパートの空室率は7割を超えているため、彼の「バイト」先の名義を使えば、すぐに押さえることができた。

 軽自動車から荷物を六畳一間、畳敷きの部屋に運び込む。荷物といっても、寝袋や着替え、当面の食料などの必要最低限のものしかない。窓にはすぐに、あらかじめ買っておいたカーテンを掛ける。

 その窓からは、診療所の玄関がよく見えた。

 街を巡回したり、住民に聴き込みをして回ったりすることはできない。見ず知らずの男がうろついていたら、こんな小さな街ではたちまち噂になってしまうだろうから。

 窓辺にこれまた買っておいた座布団を敷き、カーテンの隙間からそっと診療所を見つめる。

 青年に「彼女」を捜す方法は、張り込みしかなかった。

 

 

 月曜日。

 9時。前時代的な看護服を着た中年女性が鉄柵扉を開け、診療所の一週間が始まる。

 

 火曜日。

 どうやら、いや、やはりと言うべきか。診療所に訪れる患者の大半は、高齢者のようである。

 

 水曜日。

 この日は朝からよく晴れ、天から降り注ぐ容赦のない日差しが地上を襲った。窓を閉め切っているため、アパートの中はサウナのような暑さになる。

 

 木曜日。

 一転して朝から雨。視界が悪く、おまけに来る人来る人皆傘を差しているため、診療所に出入りする人の顔が確認しづらくなる。何人かは顔の確認が出来なかった。その中に、対象者が居ないことを祈るばかりである。

 

 金曜日。

 暇なのか、診療所の老医師が、庭先で盆栽の剪定に勤しんでいる。

 

 土曜日。

 休診。

 

 日曜日。

 休診。

 

 月曜日。

 太陽が沈みかける時間帯に急患。運び込まれて30分後にサイレンを鳴らした救急車が到着し、サイレンを鳴らしながらどこかへ去っていく。

 

 火曜日。

 庭先で看護婦が、近所のお茶のみ友達と1時間近く立ち話をしている。

 

 水曜日。

 外来患者の一人が玄関前の柱に犬を繋いで診療所に入っていった。往来する人々に吠えまくっていて、迷惑極まりない。こっちの視線に気づいたのか、途中からアパートに向かって吠えまくっていたので、気が気ではなかった。

 

 木曜日。

 注射でもされたのか。診療所から子供の泣き叫ぶ声が聞こえる。

 

 金曜日。

 この日も診療所を訪れるのは大半が老人。それでも週の終わりの夕方近くになると、仕事を早めに切り上げて受診に来た、勤め人風の若い患者が増え始めた。

 診療所近くの役場から直接やってきたスーツ姿の人。整備士をしている風の、胸に某自動車メーカーのロゴが入った青いつなぎを着ている人。郵便配達の制服を着た人。日傘を差した地味な色のロングスカートとカーディガンを着て手提げ鞄を手に持つ人。保育園の制服を着る子供を連れた人。けたたましいエンジン音を響かせながら玄関前に原付バイクを止める人。パステルカラーの上下にエプロンと、いかにも保育園か、もしくは老人ホームに勤めていそうないでたちの人。

 

 

 俄かに混み合い始めた診療所の玄関から視線を離した青年は、窓から離れ、畳に腰を下ろし、背中を壁に預けた。

 深く息を吸い、長く息を吐く。

 もう一度。

 さらにもう一度。

 吐く息が途切れる間際、顎が小刻みに揺れることを自覚した。

 今にも破裂しそうな心臓の高鳴りを抑えようとしたが、深呼吸したくらいではまるで収まらなかった。

 天井を睨んでいた視界が、眼窩から溢れ出るものによって急速に霞んでいく。

 両手で口を抑えた。今にも叫び声を上げてしまいそうな口を、必死で塞いだ。

 すぐにでも部屋を飛び出したいという衝動に駆られる足が暴れる。隣と下の部屋が空き部屋であったことは、本当に幸いだった。足が畳を蹴る度に、安普請のアパートがゆらゆらと揺れた。

 

 すぐにでも。

 今、すぐにでも駆け出し、ドアを蹴破り、階段を滑り降り、道路に躍り出て、診療所の玄関に飛び込みたい。

 そんな、奥底からまるで間欠泉のように噴き出してくる衝動を、意思のみの力で抑え込もうとする行為は想像以上に身体に負担を強いる作業だった。

 気分が悪くなった青年は体を起こすと、今度は畳に這いつくばる。

 額を畳に押し付けた。立てられた爪が畳の表面を抉った。外に漏れないよう、押し殺した声で呻いた。今にも衝動に従ってしまおうとする身体を、意思を総動員させて抑え込んだ。

 

「…本当に…!…生きてた…!」

 

 抑えがたいほどの歓喜の波が全身を駆け巡るという、生まれて初めての感覚に青年は酔いしれた。

 

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