和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 貫咲賢希さんより、ファンアート二件頂きましたのでご紹介させて頂きます!
・前話監視ゴリラ様
https://www.pixiv.net/artworks/97586856
・ヒロインキャラ絵まとめ
https://www.pixiv.net/artworks/97735828
『………ねぇ』
 ゴリラ様表情豊か可愛い。原作主人公ちゃん、ダース化してない……?
『………ねぇ、見えてるんでしょ?』
 素晴らしいイラストの数々、本当に有り難う御座います!
『私もあなたを見ているわ』(<●><●>)


第九十話●

 初級クエスト『なまはげ監視任務』はプレイヤー本人、つまり主人公自身が死ぬ選択肢は実の所其ほど多くはない。

 

 寧ろ、このイベントは純粋無垢な主人公様の命を奪うというよりも、その美しいメンタルを残酷で醜い現実を突きつける事でどす黒く濁らせるためのものといって良い。

 

 現場猫案件により村人避難のための食糧その他の物資が不足している事を主人公様が気付くのは任務の土壇場になっての事である。朝廷の役人らの雑でいい加減な仕事のせいであるのだが、問題はそれだけでは済まない。

 

 監視の引き継ぎ予定であった退魔士家から、直前になまはげを見失ったとの報告が伝えられる。実際は直前どころか監視役が飛ばした式神が撒かれて、しかも当の監視役が視覚を共有せずにいたために長時間に渡って事の判明が遅れた。

 

 これは完全にルーチンワークと化していた監視が雑になっていた故の失態であるのだが、この時点でも尚周囲は直ぐに見つかるだろうと其処まで切迫感はなかった。慌てるのは一人主人公様だけであり、それすらも周囲からすれば初任務故に神経質になっているだけだと笑われる。ほんの一月前に家族も友人も全て失った主人公様はこの扱いに随分と傷ついた筈だ。

 

 正常性バイアスは当の村人達すらもそうであった。二百年に渡って数年ごとに行われていた村人の避難は、次第に彼ら自身からすらも軽視されるようになっていたのだ。

 

 考えれば分かる事だ。北土の厳冬の中で避難、それも衣食住とて十全でなく、貧しい地方では三日村を空けるだけといえども決して簡単な話ではない。特に直接なまはげが通り抜ける村ならば兎も角、徘徊ルートに隣接するだけの村々からすれば、毎度毎度自分達の村の敷地に足を踏み入れた事がないのに用心のために避難するなぞ、次第に馬鹿馬鹿しくなってきたらしい。

 

 最初の内は三日の避難を二日に、それが一日になり、何時しか実際になまはげが村に入り込んだ事がないからと避難そのものをしなくなった。

 

 その癖、御上と謀って三日分の避難用の食糧や薪、毛布の横流しを黙認する代わりに彼らもまた朝廷が定めた、避難の見返りとしてのその年の特例減税の恩恵を受けていた。それ処か其ほど徘徊ルートと接していないにもかかわらず形だけの避難対象として扱われていた村すらあった。当然ながら避難用に定められた物資は現地のお役人によってポッケナイナイされ、村人らは減税の恩恵を受ける。これが本当のウィンウィンな関係かな?

 

 まぁ、実際には今回に限ってなまはげが徘徊ルート逸れて複数の村が訳が分からぬ内に壊滅するんですけどね?そしていざ事態を把握して避難しようとすれば蔵にある筈の物資がなく、主人公は極限状態で選択を迫られる。

 

 一つはこの厳冬の中、物資がないままに村人を避難させる選択肢。

 

 一つは最早村人らを助けるのは不可能として見殺しにする選択肢。

 

 一つは避難が出来ぬのならば止めるだけ、となまはげの眼前に主人公が立ちはだかって戦う選択肢……この三つである。因みに三つ目の選択肢は即行バッドエンドになります。『悪い子』である主人公がボロ雑巾みたいになぶられながら苦しみ抜いて殺されます。泣きじゃくって後悔して、家族の名前を呼んで助けを求めながら死に行く様は歴戦の愉悦教徒ですら中々来るものがあると評判だ。声優迫真の演技である。

 

 一つ目の避難強行はそのまま八甲田山事件になる。雪国なめたらあかんね。脅迫してまで行った避難は、猛烈な吹雪で無惨な失敗に終わる。子供達がいつの間にか凍え死に、村人達が怨みごとを言いながら一人また一人と沈黙していく光景は主人公を絶望させる。主人公様?霊力のお陰で意識鮮明の元気一杯さ!……声優の絶望に満ちた主人公の慟哭凄いね。

 

 二つ目の選択肢はこのイベントにおける一番無難な判断だ。周囲からの説得もあって、苦悶しながらも村人を見捨てる判断をした主人公様は、罪悪感によって悪夢を見て起き上がる。そして衝動的に村に向けて駆け走る。己の心に嘘はつけないから。彼はやはりこの世界において優し過ぎた。

 

 ……お陰様で肉塊だらけの大殺戮宴会跡となった村の残骸と御対面するのだが。

 

 己の判断が招いた事態に主人公は嘔吐する。血生臭い村の残骸の中心で何度も何度も嘔吐する。泣きじゃくる。そしてふと遠くから子供の声が響くのだ。助けを求める子供の声が。

 

 必死にその元に駆け付ける主人公様、しかしそれは無意味、最初から手遅れだった。腹が裂かれて中身が飛び出し、手足を切断された達磨な子供をどうして助けられよう?

 

 顔を歪ませながら駆け寄る主人公様。そんな主人公様の存在に気付き、苦痛と絶望の中で苦しむ子供の言い放った言葉は残酷で、しかしある意味当然の言葉だった。

 

『どうして助けてくれなかったの?』

 

 その言葉を最期に沈黙する小さな肉の塊。主人公様は目を見開いて狂ったように叫んだのは想像に難しくない。真に迫った悲鳴は圧巻だ。……だから声優ノリノリだな、おい。

 

 そして止めは事後処理である。これは選択肢の一ないし二を選んで無事イベントクリア(?)する事で発生するのだが…………ここに来て尚も主人公様は曇らされる事になる。

 

 あらゆる関係者が現場猫していた中で、どうして朝廷の上層部だけは例外であると言えようか?

 

 村に郡司に退魔士家、彼らから何十年にも渡ってコピペしたような同じ内容の報告書を受け取り続けていた朝廷が現場猫していない訳がない。国中から毎日のように報告書が届く中央からすれば、取り立てて重大な案件でも無い報告書についてその委細の内容を検分するような時間も人もいる訳がなく、朝廷の官吏らもまた流し見した後に送られてきていた形式以外ガバガバな報告書に対して疑念も持たずに印鑑を押し続けて来た。そんな彼らにとっても此度の案件は公になると厄介に過ぎた。

 

 まぁ、中央が適当に検分していた事がバレるとこれまで以上に各地からの報告が適当になりかねないのだ。朝廷自体の権威にも傷がつくし、何よりも歴代の印を押してきた官吏達の立場がない。事を公にしても誰も得をしないのだ。

 

 故に全ては闇に葬られた。いや、もっと質が悪かった。死人に口無しとばかりに全ての責任は死人に押し付けられた。

 

 監視や管理を怠った退魔士家や郡司に対して非公式の口頭注意は為されてもそれだけだった。そして壊滅した村々は朝廷からの警告を受けたにもかかわらず従わず、それ故に滅びたのだと公文書には記録される事になる。滅びた村は、目先の事しか考えず軽挙な行いによってなまはげの強大化に手を貸した愚か者共として扱われた。

 

 この一連の処理に抗議した主人公様に至っては褒賞が贈られた。選択肢によって微妙に表向きの理由は違うが……何にせよ、その真の意味合いは一目瞭然である。当然ながら主人公様が曇ったのは言うまでもない。

 

 そしてこの騒動は、主人公様が闇堕ちする第一歩、ダース・タマキ化の布石となるのである……って。

 

「いやいや、容赦無さすぎだろ!?」

『(´・ω・`)ソダネ-』

 

 厠で白蜘蛛に対して吸血をさせていた俺は、脳裏に原作シナリオにおける流れを思い出して今更ながら突っ込む。いや、糞蜘蛛。お前には言っていないからな?てめぇは黙って便所飯がお似合いだ。

 

 序盤からの容赦のない鬱シナリオである「なまはげ監視任務」は主人公様、ひいては多くのプレイヤーの精神を無慈悲に曇らせた。シナリオライターは設定資料集のインタビュー欄にてこのイベントについて「黒く染めあげたかった」とか意味不明な事を宣っていたが……実際どんな発想力があればこんな鬼畜な内容を考えられるのか謎である。サイコパスがドブ色になってそうだな。

 

「しかも……糞、完全に計画が狂ったな」

 

 俺がそう吐き捨てる理由は先日の伝令から来た報告のためである。

 

 プレイヤーと主人公様の正気をゴリゴリ削る「なまはげ監視任務」は、しかしその中身さえ知ってしまえば事態を軟着陸させる事は決して難しくはなかった。

 

 ぶっちゃけ、要するに避難用の物資と村人を無理矢理立ち退かせる強制力さえあれば良いのだ。原作ではそもそも選択肢がなかった事もあって物資がないのが分かるのは土壇場、軍団兵の動員も間に合わず郡司以下の面子は早々に損切り切り捨てを決断、主人公様一人が頑張って空回りした上に恨まれる事になる。

 

 逆に言えば物資の徴発と動員さえ前倒しにすればこのイベントの対処は難しくはないのだ。主人公やヒロインの相棒系親友系主人公の二次創作では良く使われた手法である。朝廷側転生で腐敗を事前撲滅したり、最強チート貰って真っ正面からなまはげをぶっ殺すのが出来ない俺の立場を考えればこのテンプレ展開を流用するのが一番だった。

 

「可笑しい……どういう事だ?幾らバタフライエフェクトしようが行動が変化する可能性なんて……」

 

 俺は頭を抱えて呻く。なまはげ自体は救妖衆とは一切繋がりなく無関係、当然ながら主人公様がTSしようが何等の因果関係もない筈だ。それがこの様、一体何処でピタゴラスイッチしやがった……?

 

「落ち着け、先ずは俺の達成するべき目的を整理しねぇと……」

 

 そうだ。混乱した時こそ原点に立ち返らねばなるまい。原作のシナリオから逸脱している事自体はとっくに分かりきっていた事だ。ここで大事なのはこのイベントで俺が果たさねばならぬ目的を整理する事だ。

 

「主人公様や雪音の安全確保が第一だな。そして可能ならば主人公様が闇堕ちしないように事態を軟着陸させる事……」

 

 つまりはなまはげとの接触を絶対に避ける事だ。奴をやり過ごす。そしてその過程で主人公様が絶望しないようにする…………。

 

「避難の見通しは問題ないな」

 

 既に事態は動いている。紫の指摘もあって郡司は渋々と物資と軍団兵の手配を開始したのは伝令の報告が来る前の事である。今更方針を変えれまい。二、三の村が壊滅するとしても主人公様が完全に失望するようなガバガバな惨状にはならないだろう。

 

 今一つ、目下注力すべきはなまはげの現在地が何処かを突き止める事であろう。避難の準備が出来ても実際に何時何処に奴が現れるか知れなければ避難のしようもない。

 

「原作のシナリオ通りであれば…………次は新柿村か」

 

 仮に原作に準拠するならばその周辺を張っていれば奴を発見出来るだろう。断定は出来ないが…………稗田郡は貧しい。貧しい故に範囲が広く人口は希薄だ。当てもなく捜索は出来ない。兎も角、今の方針はこれで決まりだな。…………捜索となれば牡丹辺りにも協力して貰おうか?後で話して見る必要があるな。

 

 そうして、俺が脳内で事態を整理し終えた直後であった。厠の戸口がトントンとノックされる。

 

「おい。何時まで入っているつもりだ?御上がお前さんを呼んでやがるぜ?」

 

 入鹿の声であった。俺が人目を忍んで腹ぺこと文句を垂れる白蜘蛛に便所飯を食わせていた訳であるが、その間外で監視をして貰っていたのが彼女だ。俺の身体や蜘蛛の秘密を知っている者は少ない。その中でも俺が公然と指示出来る奴と言えば入鹿くらいのものだった。

 

『( ・`ω・´)イモウトヨ、マダオネエチャンガタベテルデショ!!』

「誰が妹だよ!?」

 

 謎の意思疎通方法で偉そうに宣う白蜘蛛に戸口の向こうから入鹿が叫ぶ。…………うん。何だ、色々突っ込みたい。

 

 顔文字らしきものが認識出来る白蜘蛛のこの謎の意思疎通方法については、やはり牡丹がある種の権能の類いではないかと分析していた。

 

 幻術というよりかはある種の思念波……テレパシー的なものではないかと言う事だそうで。他者の脳内に直接語りかけているのではないかとの事だ。何それ意味分かんない。しかも特殊処理していないと壁一枚くらいなら越えて話しかけて来るしな。

 

「ほれ、てめぇの飯時は終わりだ」

 

 お呼ばれした俺は入鹿に向けて『(; ・`ω・´)プンスカ!!』する白蜘蛛を腕から引き離す。

 

 ……意味不明と言えばこいつの人物認識もそうだ。何をどう解釈すれば将来的に食い殺す寄生先を『(ノ´Д`)ノパパ、ワタシマダタベテルー!!』……おう、だから俺は餓鬼拵えた覚えなんざねぇよ?何なら入鹿の事も何故か妹扱いしているのも訳が分からない。……他の連中をどう認識しているのかは敢えて調べない事にする。地雷を踏みかねん。

 

「よし、少し待ってくれ。こいつを荷馬車に戻して来る」

 

 白蜘蛛を外からは中が見えぬ特製の虫籠に『(。>д<)ウキャン!?』……突っ込んで閉じ込めた俺は、漸く厠から出ると入鹿に伝える。余りやりたくはないが、餓死させぬためにもこの白蜘蛛をイベントに同伴させざるを得ない。こうして定期的に吸血させる時以外は荷馬車の奥にある木箱にしまいこんでいた。木箱と虫籠はこいつの権能阻害のために新調されたもので、盗難防止と追跡用の呪いが付与されている。

 

 因みに虫籠と木箱を新調したのはゴリラ様だ。俺単独ではそれなりに上等らしいどちらも手に入れる事は出来ない。代わりに定期的に俺はゴリラ様に俺の第二の心臓とも言える蜘蛛を貸し出していた。話によれば糸を吐き出させているのだとか。確かに低級の阿呆だが腐っても神格である。神気を帯びた糸は色々と利用価値はあるのだろう。

 

 入鹿と共に荷馬車を停めている厩に向かう俺は、役場前の喧騒に視線を向ける。

 

「……集まりが悪そうだな」

 

 俺がそう評したのは役場前に集まる軍団兵達であった。数は百はいない。六、七十と言った所か……?

 

「あぁ、環に聞いたがその理由もまた酷いもんさ」

 

 聞く所によれば稗田郡が広いために徴集まで時間を要するのもあるが、書類上だけで現実には定数割れしていたり存在しない部隊があるという。当然ながら存在しない兵士を養う金が何処に消えるのかは言うまでもない。それ以外にも任務の危険に怖じ気付いて彼是適当な理由を捏ねて動かない部隊もあるのだとか。

 

 稗田郡の郡司が軍団の動員と物資の徴発を開始して二日でこの様……何も知らなければ呆れ返る体たらくであろう。原作を知っている立場からすればこれでも仕事が早いものだと感心出来るのが笑えない。原作では遂に全く動かそうともしなかったのだから。

 

 動くまでが面倒で、一度動き出したら止める方が余計面倒なのが扶桑国のお役所仕事だ。生真面目で融通の利かぬ紫が伝令が来る前に動員徴発を要求したのが幸いだった。郡司からしても村が壊滅する前に命令しているのでいざという時の言い訳が立つ。

 

「しかし、役に立つのかよ?霊力の欠片もねぇ連中なんざ中途半端な数ぶつけても肉の壁だろ?」

「下人の立場で言えた義理じゃねぇな。……別に戦力としては其ほど期待はしてないさ。避難誘導には人手はいるからな」

 

 俺は入鹿の解釈を訂正するように説明した。退魔士ですら二桁の人員を投入して返り討ちにあったのだ。文字通りの霊力無しの、それも田舎に屯する雑兵では百や二百程度の数では太刀打ちなぞ先ず不可能だ。

 

 このイベントは別に戦う必要はないのだ。それは主人公様だけでなく俺ら下人や軍団兵も同様だ。避難してなまはげをやり過ごす。そしてその間、人の臭いに寄って来た雑魚を追い払えればそれで良い。俺も彼らには其処まで期待はしてはいなかった。

 

「良かった!伴部……允職も僕の話を聞いて欲しかったんだ!!」

 

 役所の議場に参上した俺に向けて、主人公様が駆け寄って来る。随分と憔悴し切った表情だが俺を見るやいなや希望を見つけたようにぱぁと笑顔を見せる。逆に、彼女以外のこの場に参列していた者達の表情はあからさまに険悪だった。

 

「これは……」

 

 中々運気は回って来ないらしい。どうやら、厄介事になりそうだった…………。  

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

 事態が急速に且、急激に変化している事、最早これ迄通りに機械的且、事務的に処理出来る類いのものではない事は、鬼月から派遣された退魔士三人……つまり、赤穂紫、蛍夜環、白若丸の間で合意は取れており、稗田郡の郡司と駐在の軍団の長も渋々とではあるがそれを認めた。認めざるを得なかった。事態は彼らの手に余っていた。

 

 問題はその先にあった。

 

「そんな…………見捨てるっていうのかい!?」

 

 議場にて、環は叫んだ。信じられないとばかりに絶句する。対する周囲の視線は淡々として冷たい。……いや、正確には矢面に立つ紫だけは平静を装っていても動揺しているのが見て取れたが。

 

「そうは言われましても…………」

 

 郡司は環の反発に困惑する。困惑して、ちらりと紫の方に視線を向けた。それは此度の鬼月家から派遣された監視団の責任者とも言える立場である彼女に対する期待であった。無論、当の紫からすればたまったものではないのだが…………しかし、紫にもまた選択肢は無かった。

 

「こ、これは……!見捨てるなんて人聞きが悪いですね!言葉を選んで下さい!!あくまでも暫定的な処置と言っているでしょう!?これ以上犠牲を出さぬように冷静に分析した結果ですよ……!!?」

 

 紫は噛み付く環に対して動揺しながらも叱責する。実際、紫の言もまた、一側面では事実であった。

 

 巡回中の軍団兵から村が壊滅している報告が来たのが二日前、監視引き継ぎ予定であった花鳥院家に急ぎ式神の伝令を放って、なまはげの所在が不明となっている事が判明したのが凡そ半日前の事である。紫は現状の把握した状況を基に郡司と共に対策のための合議を開いた。

 

 なまはげの所在が分からぬ以上、鬼月家による監視団が郡都から動かぬ事で紫と郡司の見解は一致した。

 

 稗田郡の人口は朝廷が戸籍として把握している限りにおいて約六千人余り、戸籍に記載されていない無宿者や乞食、出稼ぎ労働者や奴婢等を含めても七千人はいないだろう。郡都含めて街は三つ、村の数は四十二村である。恐らく隠田やら隠れ里もあるだろうがここでは考慮しない。

 

 なまはげが何処を徘徊しているのか知れぬ以上、郡都から紫達が動くのは論外とも言える行為であった。郡都の人口は二千近い、郡の総人口の三分の一が集まる。此処を襲われたら実質的に郡は崩壊する。郡司は己の保身のためもあって紫達か此処に留まる事を求めた。

 

 紫達からしても、郡都を襲われるという最悪の事態を避けねばならなかった。更に言えば、紫からすれば素人の環や一番年下である白若丸の実力に不安があり、彼ら彼女らをなまはげと遭遇する可能性の高い村々に向かわせる事は不安があった。故に郡司の下心を分かっていてそれに同調した。監視団の長である紫には二人を無事に連れて帰る責任があった。

 

 猛反発したのは環であった。郡都の守りを固めるという紫の言は、彼女には各地の村を見捨てるという意味にしか聞こえなかったらしい。 

 

「僕達がここに来たのは妖から村人達を避難させるためでしょう!?それを臆病にも引きこもるんですか!!?」

「素人が、口を慎みなさい!!そのような物言い、何度も許しませんよ!!?」

 

 環の糾弾に、紫はかっと怒り狂って叫ぶ。紫にとっては環の言葉は侮辱そのものであった。

 

「白若丸君はどうなんだい!?君だって農村の出なんだろう!?こんな……村人達を見殺しにするような方針に賛同出来るのかい!?」

 

 紫相手に議論しても仕方無いと判断したのか、環は白若丸に問い掛ける。生まれながらの名門退魔士である紫と違って、白若丸が自身と同じ農村出身だと環は人伝えに知っていた。彼ならば地方の農村を切り捨てる判断はしないと踏んで。

 

「大のために小を切り捨てる、特段可笑しな判断ではないと思いますが?」

 

 白若丸の淡々とした発言に、環は絶句する。

 

「何、を…………」

「重要な拠点も人物もいないのでしょう?あるのは百や其処らの貧農ばかりの寒村ばかり。一つ二つ潰れても大した損失ではありませんよ」

 

 寧ろ、それらが撒き餌として、郡の安全は守られる。時間稼ぎが出来る。好都合ですらあると、白若丸は意見した。その冷徹で冷酷な論理は彼の師である黒蝶婦からの受け売りだった。物事に優先順位を付けて、絶対に守らねばならぬ一線を引く。そして順位の低いものから順に切り捨てる…………単純にして、絶対の論理。

 

「そんな、酷い…………」

「酷い?寝惚けた事を言わないでくれますか?遊びじゃないんです。甘い事言って皆を危険に晒さないで欲しいのですが?」

 

 火遊びしたいのなら自分一人でしてくれ、と吐き捨てる少年。更に言えば環へのその物言いに安堵していた郡司にも「郡司殿も、自分の仕事に精励してくれたら幸いです」と釘を刺す。あるいは脅迫か…………どうやら、既にこの騒動が終わった後の処理や利益について彼は皮算用しているようだった。流石若作りババアの弟子をしているだけはある。

 

「そんな…………」

 

 一縷の希望にすがって環は軍団長の方を見る。しかし稗田小軍団の軍団長は目を逸らすだけであった。環は絶望したように顔を歪める。

 

「環殿。そう落ち込まないで下さいませ。此度の一件は想定外の事、少々の被害があろうとも監視団の責ではありますまい。所詮は貧農ばかりの辺境の村、失われた所で大した損失ではありますまい」

 

 隠行衆からのお目付け役である無邪の言葉は、環を慰める事なく寧ろ深く傷つけた事は間違いない。何が酷いかと言えばこれが普通の退魔士相手ならば普通に効果がある内容だって事であった。

 

(やれやれ、フルボッコだな)

 

 そして、そんな会議の流れを無言で観察していた俺は内心で嘆息する。原作のストーリーも似たような流れはあったが………完全でないにしろ物資と兵士が集まる中で、しかも原作よりも多くの者達から反発されている今の主人公様の状況、ある意味一層ダメージはデカそうだった。

 

(さて、此処での問題はどの選択肢を取るのか分からねぇって事か…………)

 

 主人公様が作中で選び取る三つの選択肢、俺がプレイヤーではない以上、彼女がいざという時にどんな行動を取るのか分からない。いや、原作から色々とズレているからには原作以外の選択肢すら取られる可能性も否定出来なかった。

 

(俺の目が届かない内に無謀な行動を取られたら……厄介だな)

 

 これ迄だってそうだが俺は万能なんかではないし、何時だって想定外な事ばかりに巻き込まれる。そして今回のような場合、主人公が死にかけない危険がある訳で…………先手を打った方が良い、か?

 

「失礼。現状、なまはげの活動場所は分からぬのですね?」

「えっ!?え、えぇ……私と白若丸殿が式神を飛ばしていますが、見つけられてはいません」

 

 突然の俺の質問に答えたのは紫だった。別に下人である俺の質問に答える義理もないのに懇切丁寧に状況を教えてくれる。

 

「允職?何か気になる事でも?」

「はい。なまはげの捜索の方法について、少し」

 

 お目付け役の隠行衆の呼び掛けに俺は答える。ここから先は原作知識というよりはファン界隈での考察に近いが……。

 

「なまはげの監視をしていた花鳥院家は下人も出さずに式神越しによる監視のみを行っていたのでしたか?そして今回紫様や白若丸殿が式神による捜索を行っているものの未だに発見には至っていない」

 

 俺の指摘に、紫が目を細める。

 

「式神では見つけられぬように隠行しているとでも?」

「理屈は分かりません。しかしながら上空を飛ぶ式神の監視を撒くのも、集中的に探索しているにもかかわらず現状で足跡も掴めぬのは少し怪しいかと」

 

 原作でも、なまはげの動向が掴めぬようになってから発見に至るまでは相当に時間が経過してからの事である。それまでに複数の村が壊滅していたにもかかわらずその足跡を発見する事が出来なかった。発見出来たのは偵察に出ていた無邪が式神で主人公様達に対して報告していた瞬間に食い殺されたからだ。その時だって直接なまはげの姿は確認されていない。追加で偵察に出た下人からの報告でなまはげの存在は観測された。

 

 因みにこの時点でなまはげは郡都を通り過ぎていた事も、郡司以下が各地の村を見捨てた一因だ。下手に避難誘導したり獲物を逃がして矛先が郡都に向かうのを恐れたのだろう。

 

 ……さて、閑話休題。つまりはだ。俺が言いたいのはこのまま式神による捜索を続けても効果が得られるのかは不明瞭という事だ。つまり…………。

 

「実際に人を送って捜索しろ、と?」

「百聞は一見にしかずとも言います。直接見て、聞いて、持ち帰る情報は最も確実でしょう」

 

 いや、幻術とか記憶操作とかあるからそれだって信用し切れないけどな?それでもここで人を送るのは試して見る価値はある……そう意見する。

 

「しかし、誰を送るのか?言っておくが私の軍団は動かせんぞ?郡都の守りと避難の誘導の任がある」

 

 軍団長が真っ先にそう申し出たのは、事実ではあるがそれ以上に下手に兵を動かして損害を出したくなかったのも理由であっただろう。頷く郡司も同様だ。自分を守るための手駒をお膝元から動かしたくないらしい。まぁ、想定の内だな。

 

「承知しております。そも、本来の軍団の相手は賊徒叛徒であります。此度のような人理の外の化物相手のものではありません」

「では…………」

「待ちなさい、下人。まさか…………」

 

 軍団長と紫が俺の言に察したように視線を向ける。残る参列者も二人の反応に俺の言わんとする事に気づき始めた。

 

「はい。なまはげの捜索、私が直接出向き行おうかと存じます」

 

 そして、俺は恭しくそう志願の言葉を口にするのだった…………。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーー

 別に口にした言葉程に乗り気であった訳じゃない。それでも俺が志願したのは主人公様のメンタルのためだった。

 

 最悪形だけでも良いのだ。村人達のために努力した、そう主人公様に思わせると共に焦燥感から軽挙な行動を仕出かすのを阻止する…………それが俺が志願した目的であった。

 

 俺の志願に参列者の意見は割れた。郡司や軍団長は賛成した。自分達が無策で事態を傍観していた訳ではないという証拠作りのためであったのは間違いないが、この際は寧ろ好都合だった。

 

 紫は反対した。下人とは言え允職である。自惚れる訳ではないが経験年数や場数からしても紫達退魔士三人の次に俺は戦力になり得るのだ。戦力の分散を疎んで彼女は反対した。

 

 無邪は沈黙を通した。その立場上賛成も反対も出来なかったのだろう。意見表明を棄権した。

 

 最も困惑して動揺したのは環であった。己の発言のせいで他者に貧乏籤を引かせたと思ったらしい。彼女からすれば自分が口にしたのだから自分が一番危険を負うべきだと口にしたが、それは紫から却下された。

 

 白若丸は、意見表明をしなかった。熟考すると言ってそれきりだった。結果として、事態は暗礁に乗り上げた。

 

「仕方ありません。一旦御開きにしましょう。夜間に今一度賛否を問います。それまでに各々結論を出して下さい」

 

 長々とした議論は、不機嫌そうに紫がそう宣言した事で一度解散する事になった。何時までもこの議題だけを話す訳にはいかなかったのだ。紫は郡司と軍団長と邦司への報告や周囲の退魔士家への警告、郡都の警備について話を詰めるために残り、他は一度その場から退散する。

 

「なぁ、少し付き合ってくれよ」

 

 水干服の少年から呼び止められたのは正にその瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 前世と違って都市の灯りがなく、空気が比較的澄んでいるがために、この世界の夜空は星の光が良く見えた。文字通りに満天の星空だ。

 

 時刻にして戌の五つ時過ぎ、冬季のためにとっくに日の光は沈んでいた。一応、郡都である以上は霊脈の真上にある筈だが質は良くないためにその気候は真冬の北土の中ではマシ、と言った所であった。それでも、街道が豪雪で埋まらないだけ幸運と言えたかも知れない。

 

「白若丸殿、一体どちらに?」

「まぁ、良いから。付いて来てくれよ」

 

 そして、そんな郡都の郊外の林野を、俺は白若丸の護衛として側に付き添いながら進んでいた。手荷物と共に同行を命じられたのは半刻前の事で、篝火すらもない中で夜間の林野を進むのは余り誉められたものではないのだが……白若丸本人がそれを命じたのだから俺には反対のしようがなかった。幸いにも先程言及した通りに夜空は明るいのである程度は周囲の様子は分かるが…………。

 

(流石に妖はいない、か……?)

 

 霊脈のある街にはその殆どに魔除けの結界が張られている。其ほど郡都から離れていないこの辺りにもその恩恵は及んでいるらしく、俺の索敵する限りにおいては妖の存在は確認出来なかった。

 

(牡丹の式神がいればもう少し確実な警戒が出来るんだけどな)

 

 ここ数日姿を見せぬ蜂鳥の式神を思って、俺は原作の設定を思い出す。原作シナリオに登場する翁と違い、彼女は原作では登場する前に死んでいたのだったか。

 

 より正確に言えば主人公様が鬼月家に保護されてから半年位した時期の事であった筈だ。病死……とはあったが、この世界における病死は単純に病だけを意味する訳ではない訳で…………。

 

「兄貴、何考え事してるんだ?」

「えっ……うおっ!?」

 

 その呼び掛けに俺は思考の海から脱却し、同時に眼前で此方を見上げていた美少年の姿に気が付いた。気が付いたが反応は遅れて思わずそのまま白若丸に正面からぶつかってしまう。そのまま転んで俺は彼を押し倒す形で倒れこんだ。

 

「っ……!?」

「兄貴、痛いじゃないか?」

「し、失礼を…………!」

 

 転んだ俺はその非難の言葉と共に眼前に白若丸の顔を捉えていた。目と鼻の先で此方を見上げる少女のような顔立ち。そして今の双方の姿勢に理解が及ぶと慌てて身体を退かして謝罪する。

 

「……別にそんな慌てなくても良いんだぜ?」

「御冗談を。互いの立場を思えばそのような非礼は許されませぬ」

 

 転けた衝撃で衣服が若干崩れた白若丸がくすくすと少女のように笑う。滑稽なものを見たかのように笑う。尤も、俺にとっては二重の意味で冗談として片付ける事が出来なかったが。一つは口にしたように立場から。そして、今一つは…………。

 

(たく。色気が有りすぎ何だよな。男の癖に)

 

 儚い眼差しに白い肌、華奢な体躯に線の細い顔立ち。しかも最近は髪を伸ばしているので余計少女に見えてしまうと来ていた。その気がないのに一瞬俺の身体すら反応仕掛けた程だ。

 

「それはそうと、ここは…………」

 

 そして、俺は先程の記憶を忘れる事も狙って話題を逸らす。周囲を見やる。

 

 俺と白若丸が足を止めた所、其処は底の浅い湖だった。林野の中に隠れるようにして出来た澄んだ湖。小さな崖からさらさらと清水が流れ落ちる湖…………。

 

「あぁ。修行の一環で定期的に禊祓をしていてな。師匠から稗田の郡都なら此処でやるのが良いって聞いてたんだ」

 

 俺の疑問に白若丸は生き生きと答える。

 

「禊祓……あぁ、成る程」

 

 白若丸の言に、俺は一瞬周囲を観察してから納得する。神道においては欲望や邪心を洗い清める意味を持つ禊祓、この世界においてもその修行は存在する。

 

 特に霊気の濃い河川や滝で行うそれは大地の霊気を取り入れ、常に妖共と相対する事で己の身体に纏わりつく妖気や呪詛、呪いの類いを洗い落とす意味合いを持つ。

 

 特に術師型の退魔士は肉体が頑強ではないために一層この行為を重視していた。白若丸も結界や呪い、式神を扱う術師型であれば、当然ながらこの任務中に何度かは禊祓をするのも可笑しくなかった。

 

 どうやらこの辺りは穴場らしい。範囲は狭いが結構霊気が濃厚だった。禊祓には絶好の場所であろう。寒いのさえ我慢すれば、だが。

 

「では、その間私は周囲を警戒しておけば良いのですね?」

「あぁ。頼むよ」

 

 そういって少年は目の前で水干服を脱ぎ出した。俺は慌てて視線を逸らして背を向ける。同じ男なのに滑稽な話であるが…………いややっぱりこいつの色気可笑しいわ。

 

(まぁ、ある程度信用はされてるって事か?)

 

 描写されている過去の経験を思えば男性不信になっていても可笑しくない。原作と違って若作りババアに預けられて守られている事もあるのだろうが、護衛に男の俺を連れて来るとは丸くなったものである。

 

 ……そんな事を考えている内に、背後から水の音が聞こえ出していた。ちらりと見る。薄い白衣一枚になって、髪をほどいた白若丸は湖に腰の下辺りまで入ると滝の下で頭から水を浴びながら全身を冷水に濡らしていく。

 

 項が覗く。濡れた白衣が身体に密着して身体を透かしていた。男の癖に曲線のある体つきが異常な程に艶かしい。やはり寒いのか、身体を震わせながらはぁ、と息を吐いたのを確認する。嘆息したような吐息は白く夜の空間にたなびいて消えていく…………。

 

「…………」

「っ……!」

 

 刹那、濡れて垂れ下がる髪の隙間から覗いた瞳に吸い込まれるようにして視線が重なる。目の錯覚か、くすりと笑ったように窺えたその表情に、俺は自然を装い思わず視線を逸らす。

 

 ……よし、正直に話そう。無駄にエロかった。流石有名同人サークルで一人男の癖に抱き枕カバー作られただけあるわな。しかも雛の奴押さえてキャラ別売上四位とか業深過ぎない?

 

(落ち着け、相手は男だ。俺はその気はない。俺はノーマルだ、ノンケだぞ…………)

 

 取り敢えず念仏を唱える乗りで頭の中でそう呟き続けた。あいつ、実はフェロモン出してたりはしてないよな……?

 

 背後からの水飛沫の音を意識せぬように俺は周囲の警戒に集中した。それは己のためでもあったし、白若丸に対する誠意のためでもあった。

 

 ある意味拷問のような時間は何れ程経ただろうか?言う程に時間は経てなかったかも知れない。その内に此方に水の滴る音が近付いて来た。疑念を思うと、直ぐに声を掛けられた。

 

「そろそろ終わるよ。……着替え、くれないか?」

「ん、あぁ…………こいつだな」

 

 白若丸からの要求に、同伴を求められた際手渡された手荷物の事を思い出す。風呂敷を広げると手拭いと着替え用の薄着を確認する。

 

「分かりました。此方、どうぞ…………」

 

 振り返らないようにしながら、湖の側まで近付いて腕だけを伸ばして着替えを差し出す。……同時に冷たい感触が背中に抱き付いて来た。

 

「っ……!?」

『逃げないでくれ』

 

 条件反射的に、思わず振り払おうとした俺の行動はその声によって静止させられる。拘束される。言霊術だと気付いたのは一瞬後の事で、それを誰に掛けられたのかを理解するのには更に数瞬の時間を要した。

 

「白若丸……様?」

「今は砕けた口調で呼んでくれよ。……今は、誰もいない……だろう?」

 

 此方が困惑しながら名を呼べば、腰を回すように抱き付いて来た少年は何処か怖じ気づきながらそう宣う。

 

 暫しの沈黙…………俺の衣服は冷水を吸って次第に濡れていく。ひんやりとした刺激が身体を伝い、しかし遅れてやって来るのは人肌の生温い感覚であった。

 

「…………」

「さっき議場で言った提案…………本気、なのか?」

 

 その少女のような声に反応して、ゆっくりと首を向けて背後の少年を見下ろす。横腹に顔を密着させる長く、寒水が滴る茶髪が視界に映る。その表情は俯いているために窺い知れない。しかしながら、その声音一つ一つに言い様のない、言語化し難い存在感が感じ取れた。

 

「…………式神だけでの探索には限界がありますので」

 

 俺は動揺を隠しながら答える。嘘は言っていない。そも、式神だけで妖がどうにかなるのならば下人衆や隠行衆は必要ないのだ。

 

「兄貴が、行く必要はあるのか…………?」

「……部下には任せられません」

 

 任務が任務なので中堅ならば兎も角、其処まで精鋭メンバーを持って来る事は出来なかった。もしもの被害を考えると部下に任せるのは怖かった。

 

「あの女のため、か……?」

「は?」

 

 一瞬何の話か分からずに首を傾げて、しかし直ぐにそれが誰の事を指すのか予測して俺は確認する。

 

「環姫様の事でしょうか…………?」

 

 こくり、と無言の内に小さく頷く少年。その態度に俺は先程までの複雑な劣情はすっと消えて、思わず苦笑する。

 

 もしかしたら妹や弟に親を取られた子供の嫉妬のようなものなのかも知れない。環が鬼月家に引き取られてからそれなりに世話を焼いていた。其までは白若丸の世話を良く焼いていたのを思えば、本人には悪いが眼前の少年の心境も微笑ましく感じ取れた。同時に内心に余裕が生まれる。

 

(思ったよりも信用されてるって事か)

 

 いじらしさすら感じさせる不器用な少年の態度は、寧ろ俺には好印象だった。そりゃあまぁ原作ヒロイン共の歪んで倒錯した愛情やゴリラ様のパワハラ待遇を思えばねぇ…………。

 

「……環の意見は理想論的ではあるが、理解出来なくはないだろう?」

 

 砕けた口調で俺が答えたのは少年からの要求もあったが、それ以上に説得のためでもあった。人間不信の男不信の気がある少年にこの場で敬語を貫くのは寧ろ壁を作るだけの行為だった。

 

「…………あいつの言ってる事は甘過ぎる。俺だってあの婆さんから色々教えられてるんだ。其れくらい分かる。あいつ、退魔士に向いてないよ」

 

 俺の返答に、尚も拗ねるようにして白若丸は応じた。不満げに、不機嫌そうに、指摘する。

 

「それでも良いと俺は思うがな」

「どうして…………?」

「合理主義な連中ばかりだと不安になるからな。…………俺達下人衆だって切られる側だ」

 

 時として決断しなければならなくなる時もある仕事であろうが、だからと言って簡単に気楽に切り捨てられるのはご免だ。村人を簡単に見捨てていては、俺達だって例外では無かろう。

 

 消耗品なのは分かっているが、だからこそ環のような退魔士には不適格に思えるような人物だってバランスを保つためにも一人二人はいた方が良いだろう…………その気持ちは嘘ではなかった。

 

 …………まぁ、あいつが闇墜ちしたり、今後更に原作から逸脱しないように早めに手を打ちたいという理由の方が大きいのだがね?

 

「…………そうか」

「別に無茶ぶりって訳でもないしな。あくまでも捜索だけだ。見つけて、遠くで監視するなら難しくはないからな」

 

 心配そうにする白若丸に、俺は説明する。そうだ、無理難題という訳ではない。遠目に視界に収めて報告するだけだ。必要以上に身構える案件ではない。これについては、後で環にも教えてやる必要はあるな。

 

「…………」

 

 白若丸は暫し無言で、そして俺から離れると背中を向けた。白く曲線を描いた背部を晒す。そして口を開く。

 

「脱いで、身体拭くから、少し消えて……くれるか?」

「……了解」

 

 恥ずかしそうに宣う少年に、俺は肩を竦めて応じる。そして周囲の茂みでも探索しようかと歩み始めた所で一度呼び止められる。

 

「兄貴!」

「……?どうかしましたか?」

「さっきの話…………気をつけてくれよ?」

 

 その言葉の意味を、一拍置いて俺は理解する。理解して、一礼をして俺は再び歩み始めた。

 

 この禊祓の沐浴から一刻余り後、紫が提示した再度の衆議において、前回棄権した白若丸が捜索に人を出す事に賛同する事になる。

 

 結果、参列者の半数以上が賛成した事で下人衆の允職、つまり俺は直接行方不明のなまはげ捜索のために出立する事になるのだった…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

「うへへ……うへへへへ………………」 

 

 允職が湖の側から離れた直後、少年は……少年だった存在はともすれば気味が悪くなるような声音を漏らす。漏らしながら一糸も纏わぬ己が身体を恍惚としながら抱き締める。

 

 喜悦の笑みを浮かべて、抱き締める。

 

「はぁ……はぁ……うへへ、兄貴…………兄貴ぃ…………!!」

 

 震える声は、決して寒さだけによるものではなくて、寧ろ抑え難き興奮から来るものだった。冷水を頭から浴びていた華奢な身体は、しかしその内から煮え滾る程に熱かった。のぼせてすらいた。

 

 彼は、あるいは彼女は知っていた。その視線に気付いていた。その気配に気付いていた。当然だ、その視線を彼は昔からうんざりする程に周囲から向けられていたのだから。 

 

 男すらも蠱惑して、その心を掻き揺らす己の風貌容貌に、白若丸は初めてといって良いくらいに感謝していた。己が恋慕する相手のその視線に密かに、僅かに、しかし間違いなく獣欲が混じっていたのに気付いた瞬間、その事実だけで彼は歓喜に震えて人知れず達していた。

 

「んっ……はぁ、いひっ……うへへへ…………!」

 

 華奢な身体をよがらせて、頬を赤く染め上げて、彼は彼女は嘆息する。愉悦する。恍惚とする。正直、師に勧められての己の改変は肉体的にも精神的にも大きな負担を伴い、苦行そのものであったが此度の一件だけでその全てが報われたようにすら思われた。後は…………。

 

「俺は……俺は、別に構わないんだぜ……?」

 

 それは直前の彼の言に対する白若丸の偽りなき返答であった。

 

 元よりこの元稚児は己に対して大した価値なぞ抱いていない。自身の過去を思えば抱ける訳もない。食い物にされ続けて、欲望の捌け口とされ続けた御古の薄汚れた身だ。だからこそ……元稚児は鬼月の二の姫の辛辣な蔑みに傷つくし不快にはなっても、反発はしない。

 

 御古で小汚い、薄汚れた身でも良い。元より彼は葵や佳世と競合するつもりはなかった。出来る筈もなかったし、その意思もない。彼の存在意義はただ一つで、そのために使い潰される事に何も文句はなくて、寧ろ望む所で…………。

 

「んっ……はぁ、うぅぅ…………」

 

 その悲しくて、しかし素晴らしい現実に切なくなって、肚が疼いて、白若丸は身体を殆ど全て湖の中に沈める。静める。鎮める。己の内の衝動を慰める。

 

 そして猫のようにか細く鳴いた。哭いた。啼いた。快楽に身を任せる。口元を吊り上げて妖艶に笑みを浮かべる。ほの暗く快楽に溺れる。口元から涎を垂れ流す。

 

「あにきぃ…………だからおれは、まってるからな…………?」

 

 彼が己を必要とする時を、その時の贄となる瞬間を、そうして己の存在が彼の心の内に刻まれる刻を思って、少年だった存在は、暫しの間幸福に陶酔するのだった。

 

 それは、正しく逢瀬に思いを馳せる恋する乙女そのものであった…………。


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