和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 貫咲賢希さんより、紫ちゃんのファンアートを頂けましたのでご紹介致します。
https://www.pixiv.net/artworks/98299837
 ブンブン震える阿保毛を見ると「愛のうた」が頭に過ります。
 


第九三話●

 乾いた衝撃に空気が震えた。それは一度ではなく、二度三度と断続的に鳴り響く。

 

「くっ……!?」

 

 激しい斬撃の連続に、環はひたすら防戦一方だった。思わず歯を食い縛って、それらを必死に受け止め、あるいは受け流す。 

 

 無論、それだけでも芸術的な神業であっただろう。郷での鍛練と鬼月の屋敷に預けられてからの師からの指南、その双方の経験がこの十代の少女の素晴らしい剣捌きを作り上げていた。

 

 その若さ、その経験量からすれば天才的とも言える技量……しかしながらそれはあくまでも初見の者にとっての感想であり、彼女の屋敷での鍛練を知る者であればその動きに精彩を欠いている事は明らかで、それもあって試合の帰結は明白だった。

 

「くっ……破ぁ!!」

「うわっ……!!?」

 

 眼前の手合わせの相手の、その掛け声と共に仕掛けられた止めの突きに環は対応仕切れなかった。次の瞬間には手元に握り締めていた木刀が吹き飛んでいた。クルクルと回転しながら宙を舞う木刀はそのまま勢い良く地面に突き刺さる。そして、試合は終わった。

 

「有り難う御座いました」

「あ、有り難う御座います………」

 

 暫し唖然、それを眼前の試合相手の厳粛な一礼によって我に返った環は慌ててそれに応じて頭を下げる。再び頭を上げた時に彼女が目にしたのは明らかに不機嫌そうに此方を睨み付ける紫髪おかっぱ頭の少女の姿だった。

 

 蛍夜環と赤穂紫、歳が近く共に鬼月菫の指南する二人の少女は、稗田郡都の郊外で手合わせを行っていた。

 

 手合わせ自体は何の事はない、鬼月菫に指南を受ける姉妹弟子同士、腕が鈍らないように毎日行う鍛練の延長であった。

 

 ……問題は、二人の間に流れる不穏で険悪な空気である。

 

「剣筋に迷いがありますね、環さん」

 

 一礼の後に環が紫に最初に掛けられた言葉は、明らかに不満げだった。あるいは辛辣だった。

 

「此処数日、鍛練に身が入っていませんね?そんな半端な姿勢で姉弟子と対面しようとは、実に良い度胸です」

「え、えっと……ご免なさい」

 

 詰る紫に対して、環はおどおどと謝罪する。

 

「謝罪は要りません。それよりも鍛錬を疎かにする理由を聞きたいですね。下らぬ事で腕が落ちては笑えません。退魔の役目はそんな不真面目な心持ちで出来るものではないのですよ?」

 

 紫の指摘に環は表情を曇らせる。環もその事は重々承知している。これまで話に聞いた事、数少ない幼妖小妖との戦いの経験だけでもその事は心に刻まれていた。人外にして超常の怪物、それとの戦いは一切の油断も出来ぬ事だ。何時までもこのように腑抜けたままではいられない。いられないのだが……。

 

「それは……」

「紫様、返信の式が到着致しました」

 

 どうにか覚悟を決めて白状しようとして、しかし折り悪くそこに現れた隠行衆からの知らせに、環は思わず口を閉じる。同時に隠行衆に向けて振り向いた紫は小さく頷いた。

 

「分かりました、行きましょう。……環さん、申し訳ありませんが今日の鍛錬は此処までです。努々、修練は怠らぬように。良いですね?」

「は、はい……」

「では。失礼致します」

 

 そういって、紫は踵を返すと隠行衆と共に郡役所に向けて足を進めていく。その後ろ姿を憂うように見つめる環……。

 

「姫様、手拭です」

「あ、うん。有難う……」

 

 ふと、声を掛けられて視線を向ければそこにいたのは親友でもある女中の姿であった。一方の手には吹き飛ばされた木刀を手にして、今一方の手には冷や水に浸して絞った手拭を差し出す。手拭を受け取り、環は顔や首筋、腕に浮き出た汗粒を拭う。

 

「姫様、やはり気になるのですか?」

「うん。まぁ、どうしてもね……」

 

 親友の指摘に力なく頷く環。それは、彼女がここ数日何事につけても集中出来ぬ原因であった。

 

 己の提案が原因で恩人と友人に危険な任を押し付けてしまった事は、環に不安と自己嫌悪を抱かせた。己の無思慮と無責任の招いた結果……しかし同時に環は己を取り巻く状況に不満と義憤を抱くのもまた事実であった。罪のない村人達を身勝手に見捨てる事は環には許せなかったし、郡の役人達の態度は内心で怒りすらも湧いていた。

 

(だけど、迷惑もかけられないしなぁ……)

 

 今一度、去り行く二つ年下の姉弟子の姿を見る。己と比較して小柄なその背中は、随分と疲れているように見えた。いや、事実赤穂紫という少女は肉体的にも精神的にもこの一連の騒動でかなり疲弊していたのだ。

 

 当然と言えば当然だろう。本来は危険の欠片もなく安全安心に終わると思われていた任務が、蓋を開けてみれば現場の準備は杜撰としか言いようがなく、ましてや監視対象の危険な妖は所在不明と来ていた。

 

 紫からすれば各種の想定を見越して事務の仕事をしながら最悪の事態に備えて鍛錬もせねばならぬのだ。実家でも幾度か大役の仕事をした経験のある紫だが、その場合は大概同行する父や兄が責任者であり、それ以外にも頼れる助言役は大勢いた。今回の場合とは訳が違う。紫にかかる仕事と責任はこれ迄の経験とは比較出来ぬ程に重過ぎた。

 

 ……いや、正確には事務関係では仕事を代行させられる下人の允職がいたのだが生憎その者は今は此処にいない。

 

 更に言えば環は知らぬが紫自身も允職以下の者達に危険な任を押し付ける形になった事を少なからず気に病んでもいた。そして、環が口を噤んだ事はある意味で正解であった。正直に話せば紫の精神に更に負担が掛かっていたであろうから。既に紫は毎日三度、密かに胃薬を飲んでいた。

 

 ……ついでに言えば昨日辺りから来た月の物がかなり酷くて貧血気味だったりする。

 

「……姫様?」

「あ、御免ね?少し考え事していて……僕らも戻ろうか?」

 

 無言でいた主人に向けて鈴音が問えば、環はどうにか笑みを浮かべてそう提案する。提案するが早いか歩み始める環。僅かに驚いてすぐさまその後に続く鈴音。

 

(他の人に相談……も難しいなぁ)

 

 一瞬脳裏に浮かぶのは此度の任に同行した三人目の退魔士の少年の姿。しかし環はすぐにその考えを否定する。

 

 特に何か仲違いするような経験があった訳ではないが、あの少年との関係もまた環にとって円滑ではなかった。何と言うべきか……話す度に何処か刺があるのだ。そしてその理由を不躾に聞くのも環には躊躇われた。

 

「憂鬱だな………」

 

 こんな時、狼の友人ならば笑って気にするなとでも言ってくれるのだが。あるいは恩人であり鬼月家に預けられてから幾度も相談に乗って貰えたあの下人なら………残念ながら彼ら彼女らを危険な任に追いやったのは己であった。それを再度自覚させられて一層環は消沈する。

 

「雪、か」

 

 ふと、頬に当たった冷たい感触に環は空を見上げる。曇天の曇り空にちろちろと雪が降り始めていた。

 

「嫌な天気ですね。……西から流れて来た雲ですか。風は此方に吹いてますからこのまま風向きが変わらなければ明日明後日には吹雪ですね」

「うん、そうだね」

 

 空模様を見ての友人の見立てに環は頷く。西からの雲……彼方はもう酷い吹雪の真っ只中だろう。何処かで凌げていれば良いのだが。

 

「………」

 

 雪嵐の中で危険な任に就いているであろう恩人と友人の安否に思いを馳せて、暫し環はその場に無言で佇まざるにはいられなかった………。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 茶は前世においては歴史的かつ世界的な嗜好品として位置付けられた存在である。過去を紐解けばボストン茶会事件や阿片戦争等、重要な歴史的事件にも直接的間接的に関わって来た世界商品である。

 

 含有されるカフェインやカテキンには中枢神経の興奮の他、強心作用に抗癌作用、リラックス効果等があるとされており、それが嗜好品として世界的に茶の飲用が広まった原因とされている。

 

 特に現代文明であれば茶に限らず珈琲やその他の飲食物、薬品等によって容易にカフェインの摂取が可能であるためにその恩恵は分かりにくいが近代以前においてはより一層その効果を認識出来た事であろう。英国では砂糖を大量投入した紅茶は労働者の生産効率を高めるために、労働基準法なぞ糞食らえな産業革命時期の工場ですら自主的に用意していたと言う。……まぁ、代わりに質の悪い酒飲まれて操業中に事故られたら困るからね。主に機械の損壊的な意味で。

 

 ……さて、茶道なんてものが存在するように日本もまた文化的に茶とは歴史的に深く長い繋がりもあり、それをモデルとして設定された扶桑国も同様だった。

 

 恐らくは貴賓の接客用に常備されていた茶箱を見つけた俺達は、この酷い吹雪から暖を取り疲労を癒すためにも煮こんだ湯に茶葉を突っ込んで更に煮詰めた。出来たのは煎茶であった。茶道の極意や作法の欠片すらない雑過ぎるやり様であったが勘弁して欲しい。そんな教養も余裕も有りはしないのだから。

 

「こんなものだな。それじゃあそろそろ、情報の擦り合わせと行こうか?」

 

 始末した妖共の死骸を一ヶ所に集め、各々に持参した湯呑みに煮込んだ煎茶を注いで、焚き火を囲み終えると俺は会話の口火を切った。

 

「ちっ、仕方ねぇ」

 

 この軍団兵達の長らしい男は椅子代わりに設けた丸太に腰がけると被っていた黒塗りの頭形兜を外す。そして舌打ちをしつつも此処に至るまでの説明を始めた。

 

 朝廷の官軍たる軍団は帝直属の近衛軍団や国営鉱山の守備隊、機密任務に就く特務部隊等一部例外を除くとその割当地域の人口や経済力、地理的環境に応じて大きく分けて三つの規模で編成されている。

 

 各々に小軍団(小団)・中軍団(中団)・大軍団(大団)と捻りもない名称で呼ばれるそれらの内、稗田郡に編成されているのは定数三百人余りで編成される小軍団だ。軍団の三分の一余りを郡都に、残りを郡内の町や駅などに分散駐屯している。郡司はそれらの内、必要最低限の駐屯兵以外を郡都に集結させる事を命じた。

 

 当然のように、郡内での軍団兵の動員は中々進まなかった。

 

 理由は様々だ。そも書類上記載されていても実態のない幽霊兵士がいる事もあるし、制度上は常備軍でも田舎の村に常駐している兵士は帰農していたり屯田兵化していたりもしている。あるいはあれやこれやと言い訳して徴集を拒む隊、返事も寄越さぬ隊もあった。それどころか郡都に駐屯するお膝元の隊すらも規定の数に達していない有り様だ。

 

 想定内と言えば想定内の事ではあったが、郡司からすれば笑えない話であったらしい。この非常事態において己の身の安全のために一人でも多くの兵士が欲しかったようだ。郡都や付近の村々から猟師や樵……職業柄妖との接触が比較的多く荒事と武器の使用に通じている……を無理矢理に徴集、また各地に少数の兵を送り出して何とかして規定の兵を引き摺り出そうとしたようだ。

 

 目の前の男、稗田小軍団の火長(あるいは十人隊長)代理である彦六郎はそんな命令を受けて各地に派遣された小部隊の長の一人であった。………因みに代理なのはそもそも火長が存在しないためだ。代理ならば支払う給料が安く済むからね、仕方無いね。バイトリーダーかな?何なら十人定員なのが実数七人しかいない。更に言えば先程一人切断されたので今は六人だ、素敵ですね。

 

「それで、此処の駅からも徴集を?」

「あぁ。徴集の伝書鳩を送っても返事も来ないんだってな。規定じゃあ五、六人は引き抜いても問題ないってんで徴集の呼び掛け先としてこうして来たって事さ」

「それでこの吹雪か」

「あぁ。危うく遭難しそうな所で漸く見つけてほっとしていたらこの様だ。糞っ垂れ、御上も急に動員なんて言いやがるし、何がどうなってやがる……!!」

 

 苛立ちながら言い捨てる彦六郎。手元の湯呑みを勢い良く呷って煎茶を飲み干すとはぁー、と唸るように息を吐く。まさかこれは………。

 

「火長代理。まさかとは思うが……動員の理由について聞いていないのか?」

「理由?おいてめぇ、まさか何か知ってるのか?」

  

 怪訝な表情を浮かべる彦六郎。

 

(あぁ、成る程。考えて見れば当然だな)

 

 伝令が叫んでいた事からして、村が一つ壊滅した事は知っているのだろうが……村が滅びるなんて事自体は決して珍しい話ではない。死体の処理は終えた。後は退魔士家の仕事と考えるのが道理で、なまはげ相手に二百年に亘って適当に対応していた事もあってかそれらが繋がらないのだろう。今自分達の置かれている状況を彼らは理解出来ていないようだった。

 

 まぁ、事実何て教えたら最悪こんな任務に従わずに逃げかねないのだが。

 

「……あぁ、知ってる。余り愉快な話ではないが、聞きたいのか?」

「当然だ。何が何だか分からねぇ命令で命を懸けられるかよ。なぁ、お前ら?」

「んだんだ」

「あぁ、訳も分からずに死ぬなんて真っ平だぜ」

「さっきの化物の事もある。何か知ってるならさっさと教えてくれよ!?」

 

 彦六郎に釣られるように陣笠を被った軍団兵らは口々に俺の説明を求める。幸い、俺が郡司に口外禁止を命じられたのは村の者に対しての説明である。軍団兵らに対してのものではなかった。そして、今更勿体ぶって事をひた隠すのも難しかった。

 

「では……」

 

 故に、俺は現状について説明する。なまはげを引き継ぎ相手の退魔士家が見失った事、それによって村が一つ壊滅した事、郡司が村の避難準備を出来ていない事、俺達の任務、そして………。

 

「おい待て。となるとこの駅の有様は………」

「そういう事だな」

「マジかよ。冗談だろう……?」

 

 彦六郎は頭を抱えて項垂れる。

 

 扶桑国の各地に点在する駅を守る結界がたかが小妖や下級の中妖如きに破られる訳もない。仮に破られる場合があるとしても少なくとも今回はその例に当て嵌まる事はない。集めた化物共の腹をかっ捌いて中を確認したが人肉らしきものは殆ど見つけられなかった。つまりは駅をこの惨状に変えたのはあの害虫共ではない。………因みに伝書鳩らしきものは腕虫の胃袋から見つけられた。

 

「先程調査した限りこの駅が殺られたのは数日前って所だな。少なくとも一週間は経過していまい」

「………」

 

 自分達の、そしてこの稗田郡を取り巻く状況を理解して、火長代理以下の軍団兵達は無言となる。俺は手元の湯呑を一口口にすると携帯していた干肉を一枚咥える。序でに側で湯呑を冷ましながら啜っていた白にもやる。入鹿にはやらない。自分の物があるからだ。え、もう全部食った?ふざけんな!

 

「……てめぇはどうするつもりだ?」

 

 数瞬程、押問答した末に渋々数枚の干肉を入鹿に明け渡した直後の事だった。彦六郎は俺に向けて緊張の面持ちで問う。俺は座り直して暫くの間焚火を見つめ続け……そして答えた。

 

「俺達の任務は変わらんよ。なまはげの行方を探す。そして見つけ次第上に報告する。……無論、この駅の惨状については報告するけどな」

「報告ねぇ。どうやってだ?てめぇら伝書鳩なんざ持っていねぇだろ?一人伝令に出すのか?」

 

 彦六郎の言葉への返答は腕を伸ばして掌を見せる事だった。より正確に言えば俺の掌に置かれた紙切れを、か。

 

「何だ?そりゃあ紙……うおっ!?」

 

 一瞬軍団兵らは怪訝な表情で掌を見つめて……直後掌から現れた鳩の式神に驚いて後退りした。唖然としたように腰を抜かしていた。その光景に思わず俺は面の下で苦笑を漏らす。己のやっている事が鳩出し手品みたいに思えたからだ。

 

「おい、そりゃあ……話に聞く式神って奴か?さっきの戦いの時にも使っていたよな?」

「あぁ。簡易式って奴だな」

「けっ、そんなもん使うなんざてめぇらはやっぱり化物だな」

 

 吐き捨てるように宣う彦六郎の言葉に、しかし俺は否定は出来なかった。

 

 式神術による簡易式の使役なぞ、退魔士からすれば基本中の基本であるが、下人からすれば高度な呪いであり、ましてや霊力の欠片もなければ文字通り魔法のようなものである。田舎の軍団兵からすれば間近で見る事も滅多にないのでこの反応も道理であった。……まぁ、俺もゴリラ様から厳しく指導されて漸く不恰好な簡易式の使役を出来たのであるが。

 

「この吹雪が止めばこいつに文を結んで飛ばす。半日もあれば郡都まで着く筈だ」

 

 牡丹のような正規の退魔士ならば式を通じて直接会話も出来る等色々と機能を付け足せるのだが、残念ながら俺は其処まで上手くはない。今の所習得しているのは目的地への半自動移動に視覚の共有、後は煙玉や臭い玉等を括っての自走爆弾化位のものだ。小手先の技ばかり、尤もそれだけでも俺にとっては非常に助かるし、術の一つも使えない者からすればチートかバグ技のようなものだろう。

 

「そりゃあ凄ぇ話だな。伝令要らずってか?」

「さてな。お前達はどうするんだ?生憎と、目的の駅はすっからかんになっちまったようだが?」

 

 荒れ果てて、辛うじて吹雪だけを凌げるだけとなった駅の内部を一瞥して俺は問う。

 

「……さてな。ここが最後の呼び寄せ先だったからな。本来ならば郡都まで戻るんだが……この吹雪ではな」

「おいおい、彦六郎。マジかよ。こんな場所に滞在するのかよ?」

「化物の死骸と御睡しろってか?冗談じゃねぇぞ?」

 

 火長代理の言葉に限りなく同僚に近い部下の軍団兵らは口々に文句を垂れる。

 

「仕方ねぇだろうが。それともなんだ?この吹雪の中で無理して進めってか?死にたい奴は止めねぇぞ?ほらさっさと行けよ!」

 

 外の猛吹雪を指しながら彦六郎が宣言すれば残る軍団兵達はそれ以上の言葉を口に出来なくなった。彼らも同じ北土人の稗田の地元生まれの地元育ちである。この何時晴れるかも分からぬ吹雪の中で外に出るのは自殺に等しいと理解しているらしかった。

 

「……一応簡易的に魔除けの結界は結んでおく。幼妖小妖なら兎も角なまはげ相手には期待出来ないがな。見張りも立てるぞ。此方は俺と入鹿で交替で、そちらは六人いるから二人ずつ三交替だ。問題ないな?」

「問題ねぇ……と言いたいが、その餓鬼は員数外か?」

「ふぇ!?」

 

 いきなり己が話題に上がったために湯呑みを啜っていた白は唖然として、直後に怖気づく。怯えるように傍らにいた俺を盾にするようにして隠れる。その姿を一瞥した後に俺は改めて火長代理の方を向いて口を開く。

 

「余り脅してくれるなよ。餓鬼に夜番なんてさせて意味あるかよ」

「餓鬼、ねぇ。化物の外見なんざ当てに出来るかよ」

 

 胡散臭そうに白を睨んだ彦六郎は、しかし直ぐに関心を失ったように眼前の焚き火に視線を戻す。煮込まれた鍋から御代わりの煎茶を湯呑みに注ぎこむ。暫しの間誰もが無言で焚き火を囲み続ける。

 

「さて、と。……話は終わったな?んじゃあ俺は少し失礼するぜ?」

 

 場の沈黙を真っ先に破ったのは当然のように入鹿であった。床に胡座を掻いていた彼女は、気だるげに立ち上がる。

 

「何処行くつもりだ?」

「干肉と茶で満足出来るかよ。蔵あんだろ?適当に食い物を失敬しにいくんだよ。どうせ最後は焼いちまうんだろ?」

 

 駅は既に至る所がボロボロだった。化物共の死骸の処理も兼ねて、此処を立ち去る際に建物は焼却してしまうつもりだった。どうせ燃やすのだ、物資を失敬しても問題あるまい……入鹿の主張はそういう事だった。

 

「構わんが、余り長居するなよ?粗方始末したろうがまだ妖が隠れているかも知れないからな。武器も忘れるなよ?」

「どうせなら酒か煙草かも探してくれよ。この寒さだ、特に酒が欲しい」

 

 俺の言に乗っかるように彦六郎が注文をしてくる。何なら残る軍団兵らもそれに乗っかる有り様だった。自分達が動かないのは焚き火から離れたくないからか。肩を竦めて入鹿は蔵に向けて歩を進める。

 

 足音が遠ざかる。再び訪れる沈黙………。

 

「伴部さん………」

「取り敢えず、今日は毛布にくるまって寝ておけ。何時何処で寝れるか分からないからな」

「ですけど、私も何か御仕事を………」

「餓鬼が出しゃばるもんじゃねぇよ。……お前もこの吹雪で消耗してるだろ?目元が辛そうだぞ?」

 

 白の目元は明らかに眠たそうだった。焚火と茶で安堵したのも理由だろう。緊張の糸が切れてしまったらしい。

 

「身体は正直だ。我慢するもんじゃねぇよ。ほれ、敷物だ」

 

 そして恐縮する白に向けて、俺は荷から取り出した安物の敷物を押し付ける。一人用の、野宿時のためのものだ。

 

「はい。………すみません」

 

 しゅん、と狐耳と狐尾を萎れさせながら小さく頷く白。俺の傍らで敷物を敷いて、防寒着を布団代わりに身体に纏うと丸まるようにして横になる。

 

「伴部さん」

「どうした?」

「さっき襲われた時、助けてくれて有り難う御座います」

「……さっさと寝てろ」

「……はい」

 

 それきりに、白は話さなくなる。少しすると小さな吐息が、鼾が鳴り始める。

 

「………」

 

 俺は、自身も感じ始めた倦怠感と眠気を覚ますように茶を啜った。そして半壊した駅の窓を見る。吹雪で殆ど何も見えぬ駅の外を…………苦虫を噛む。喉に骨が引っ掛かったような何とも言えぬ感覚に苛立つ。

 

「糞」

 

 誰にも聞こえぬ程に小さく、短く俺は舌打ちする。何かが、何かが引っ掛かった。名状し難き違和感。だがそれが何なのかも分からない。説明も出来ないために何も言えず、誰にも言えず、それが余計に腹が立つ。

 

 そしてそれ故に、俺はただただ一人座りこんだまま焦燥するしかなかった………。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

「えっと蔵は……蔵は……お、ここだな」

 

 外から雪が吹き込める廂を通り抜けて、狼人は其処に辿り着いた。

 

「お、これは中々品揃えが良いな」

 

 駅の蔵に足を踏み入れた入鹿は、いっそ惚れ惚れする程の我が物顔で中を物色し始めていた。

 

 来客時に持て成すためでもあるし、恐らくは少し前に補給の物資が来たばかりだったのだろう。蔵の中は田舎の駅にしては実に潤沢だった。

 

 途中で見つけた桶を引っ提げて、その中に食料なり酒瓶なり煙草なり、ポンポンと考え無しに掴んでは放り込む蝦夷の女。

 

 そんな彼女の手が、突然前触れもなく止まる。同時に訪れる静寂は一瞬の事で、直後に入鹿は敵意と警戒を滲ませる口調で口を開いた。

 

「おい、何時までそうやって覗き見しているつもりなんだよ?」

 

 その言葉と共に跳躍するように身を翻した入鹿は、次の瞬間には己の十歩後方にて隠行によって認識阻害しながら尾行していたその式神を捕らえていた。蜂鳥の式神を、握り締める。

 

『………随分と手荒な真似をしますね?一体何のつもりですか?』

 

 手元に引き寄せた蜂鳥から放たれる、その淡々とした物言いに、しかし入鹿は不愉快そうに鼻を鳴らす。

 

「可愛げのない演技は止めろよ。てめぇ、中身は普段そいつを使っている女じゃねぇだろう?」

『………ふむ。これは困ったな。声帯は上手く加工出来たと思っているのだがな?どうして分かったのかの?』

 

 入鹿の指摘と共に蜂鳥から紡がれた言葉は少女から嗄れた老人のものへと変わっていた。松重の翁は蜂鳥の首を若干傾げさせて尋ねる。式神の眼は何処か虚無的で無機質にも感じ取れる。それは式神の向こう側の使役者がどの様な人物なのかを物語っているようにも思えた。

 

「なぁに。第六感って奴さ。……そんな事はどうでも良いんだよ。さっきから此方を吟味するように見てくれやがってよ。かなり不愉快だぜ」

『それは酷いものだ。別に監視しているのは儂だけでもあるまいに。それとも、他の者の視線には気付かなんだかの?』

 

 舌打ちする入鹿に、翁は指摘する。確かにあの下人の側に潜む式神はこの蜂鳥だけではない。だけではないが………。

 

「んな事は分かってんだよ。ちらほら嫌な視線は感じていたからな」

 

 具体的に誰が見ているのかは流石に入鹿も分からない。彼女に分かる事は複数人である事と、少なくともその内の一つはあの蒼い鬼であろう事くらいだ。その事を以前あの下人に伝えたら苦笑された事を入鹿は覚えている。あの下人もその事は理解しているらしかった。「玩具扱いは前からだ。もう慣れた」と半分諦めたように宣っていた。尤も………。

 

「他の連中みたいに見てるだけってんなら構わんがよ。お前らは違うんだろう?」

 

 あの下人から話も聞いているし、実際に宿場街の牢から逃げる最中に孫娘の方とは関わりもあった。都での一件で因縁がある事も既に知っている………。

 

「此処暫く顔も見せてなかったらしいじゃねぇかよ。しかもいざ現れたと思えばあいつじゃなくて俺の背後を付けてると来た。妙な話だよな?それに……今、態と気配を晒しただろ?」

 

 妖狼の五感が鋭敏だからこそ分かる。明らかにこの蜂鳥の中の存在は敢えて見つかるように気配を覗かせたのだ。この周囲に誰もいない中で会話をするために………。

 

「何が目的だ。えぇ?」

『やれやれ、余り乱暴は止めて欲しいのだがの。所詮はこれは簡易式じゃ。余り強く握られると壊れてしまうぞ?』

 

 入鹿に対して呑気にそんな事を宣う翁。しかし入鹿は無言だ。その態度に小さく嘆息する蜂鳥。

 

『若者というのはせっかちで困るの。いや何、其処まで警戒せずとも良かろうて。お主に事前の警告を伝えようと思ったまでの事よ』

「事前警告だぁ?」

 

 蜂鳥の物言いに入鹿は怪訝そうに反芻する。

 

『そうじゃ。そしてお主にはその事で協力を頼みたくての』

「可笑しな話だな。俺なんかよりもあいつに話を持って行けば良いだろう?」

『本来の順序で言えばな。しかしそうも行かぬのじゃ。儂の言にあれは恐らく反発するだろうからな』

「つまり、碌でもない企てって事か?」

 

 この蜂鳥を使役する女と老人について、入鹿は下人の秘密の協力者である事は知っているが、それ以上深掘りした内容までは聞き出せていない。これまで迂遠でこそこそとした協力をしていた事を思えば余り真っ当な協力者でない事だけは確かだった。

 

 式神を使い霊術呪術に見識があるという事はモグリか、あるいは追放された退魔士といった所か……何にせよ、そんな連中の企てがまともとは思えない。

 

『話も聞かずに酷評するものではないぞ。……あの下人は色々と不器用だからの。お陰様で不必要に危ない橋を渡るでな。儂らからしても此度の案件を上手く収めたいのは本音じゃよ』

「…………少なくとも、表面上は嘘を言っているようには見えねぇな?」

 

 式神の主張に、野生の本能とも言うべき感覚で渋々と入鹿は判断を下す。その答えに蜂鳥の向こう側の翁は興味深そうに笑みを浮かべる。

 

『ほぅ、意外と素直だの。もう少し疑って来るかと思ったが』

「信用はしてねぇよ。……俺を騙せるなんざ思うなよ?俺は確かに学もねぇ馬鹿だが間抜けじゃねぇ。臭い謀には鼻が利くんだぜ?」

『犬だけにかの?』

「狼だよ!」

 

 犬扱いされた事に腹が立ってか、それとも冗談で煙に撒こうとする翁の態度に不快になってか、蜂鳥の身体を握り締める力が強まった。ペシペシと翼をバタつかせて蜂鳥は握力を緩めるように要求する。

 

『やれやれ、だからこれは簡易式だから壊れやすいと言っとるであろうに……』

 

 皺の寄った出で立ちをちらほらと見て嘆息するような仕草をする蜂鳥。その様子に入鹿は舌打ちする。

 

「話の脇道は良いからよ。さっさと内容を言えよ。俺だって暇じゃねぇんだよ」

『分かった分かった。そう急かすでないわ。……さて、と』

 

 そして入鹿の要請に、蜂鳥は改めて態度を正す。そして本題へと話は移る。蜂鳥は言葉を紡ぐ。

 

 ……その内容を聞いて、入鹿は思わず息を呑んだ。眼を見開いた。驚愕した。

 

「……おい。そりゃあ、冗談だろ?」

『冗談でこのような戯言を言うと思うかの?』

 

 思わず口から飛び出した疑念の言葉を、態態翁は意地の悪い口調で否定する。その物言いに嘘が含まれていないのを察して、入鹿は苦虫を噛む。同時に焦燥する。事態は己が思っている以上に不味い方に推移しているようだった。

 

「はは、洒落にならねぇな。えぇ?」

『協力、頼めるかな?』

「…………」

 

 蜂鳥からのその要請に、入鹿は即答出来なかった………。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

「…………」

 

 蜂鳥との会話の後、沈黙しながら蔵から戻った入鹿は焚き火を無言で見つめていた下人を視界に捉える。

 

 先程までの会話の内容から、入鹿は暫しその場に佇んでいた。しかしそれも長くは続かない。刹那、面越しの下人の視線に入鹿は勘づいた。下人の首が動くのはその直後の事だ。

 

「ん、戻ったか?随分と遅い……うおっ!?」

 

 己に向けて尋ねようとした瞬間、それを放り投げる。下人は一瞬驚いて、しかし然りとそれを受け止める。

 

 防寒用の外套を受け止める。

 

「これは………」 

「白狐にやった分だ。てめぇ、ずっとそのままでいるつもりだったのかよ?」

 

 入鹿は小馬鹿にするように鼻で笑う。出来るだけ平静を保とうと、誤魔化すように不敵に笑う。

 

「いや、助かった。礼を言うよ」

「ちっ、詰まんねぇ反応だな」

 

 素直に礼を言われて、寧ろ入鹿は腹が立った。都での騒動の時もそうだが、中々会話で上手を取れない男だと入鹿は思う。舌打ちして、そのまま傍らに胡座を掻いて座り込むと蔵から失敬してきた食い物を桶から取り出していく。

 

「餓鬼んちょは我慢出来ずに寝ちまったか?」

「いや、俺が寝るように言った。疲れているだろうからな。飯は朝方にたっぷり食わせてやるさ」

 

 入鹿の指摘に下人は答える。優しげに答えて、傍らで丸まる白狐を見下ろす。すやすやと小さな吐息を漏らす半妖狐の少女。こんな状況でありながら何処か安心したように眠りこける姿は危機感が足りないように入鹿には思われた。

 

「全く、暢気なもんだぜ。豪快に寝てやがらぁ」

「何時も鼾がでかいお前が言えた義理かよ。……寝る子は育つって言うからな。怯えて眠れないよりはマシさ」

 

 そういって、寝入る傍らの少女の頭を下人は撫でる。それに応えるように白狐は口元を緩める。小さい掌が下人の衣服の裾を掴む。

 

「けっ、あざとい狐だぜ。……おいお前ら、御所望の酒と煙草だ。持ってけ泥棒め!」

「お、やっとか!」

「へへへ、待ってたぜ」

 

 白狐の行動をそう呆れたように評する入鹿。その宣言に同じく焚き火を囲んでいた軍団兵達は次々と桶に寄って各々欲しい物品を回収していく。そして彼らだけで集まってやいのやいのと酒盛りを始めてしまう。

 

「どうだ?お前は飲むか?」

「いや、夜番の見張りがあるからな。俺はいい。お前は先に寝ても良いがよ。飲み過ぎるなよ?後で交替させるからな」

「へっ、詰まんねぇ奴だな」

 

 入鹿は、下人の返事に嘆息して蔵から頂戴した酒瓶を開けるとそのままらっぱ飲みする。摘まみには同じく蔵から頂戴した漬物で、沢庵を丸々一本噛りついてはボリボリと噛み砕く。

 

「はぁ、お前の方が暢気じゃねぇのか?緊張感が足りないぞ?」

「前にも言ってないか?人生太く短くだぜ?」

 

 下人の感想に、入鹿は己の主義を堂々と宣う。それはまごう事なき本音だった。この御時世、何時死んでも可笑しくない。我慢して後悔なぞ馬鹿馬鹿しい。入鹿は己に対して愚直なまでに素直に生きて、そして死ぬ事を心に決めていた。

 

「……別に、お前の人生観に文句を言うつもりはないがよ。俺だって人に彼是言えるような人生を送って来た訳でもないしな」

 

 心底呆れたように、そして何処か自嘲するように肩を竦めて茶を啜る下人。その態度に酒を飲む手を止める入鹿。そして、じっと下人を見やる。

 

「………どうした?」

「えいよっと!!」

「痛てぇ!?」

「ふわぁ!?」

 

 直後、入鹿は下人の髪の一部を無理矢理にむしり取っていた。思わず悲鳴を上げる下人。その悲鳴に反応して傍らの白狐は寝惚けたように目覚める。

 

「けけけ、中々今の反応は良かったぜ?」

「お前なぁ……!!?」

「な、何があったんですか……!?」

 

 ゲラゲラと笑って立ち上がる入鹿とそれを若干涙声になって非難する下人。そして何が何なのか分からず寝惚けながらキョロキョロと二人を見る白。因みに軍団兵らはその様子を少し離れた所から愉快げに観賞していた。完全に酒の肴扱いであった。

 

「この沢庵は駄目だな。漬けが中途半端だ。仕方無ぇから別の摘まみでも探して来るとするぜ」

「永遠に戻ってくんな!!」

 

 蔵に再び向かう入鹿に向けて、下人は罵倒を吐く。尚も傍らの白狐は訳が分からずに周囲を見渡して、軍団兵らは爆笑する。そしてそんな喧騒を背にして、入鹿は愉快げに高笑いしてその場をトンズラするのだった。

 

 下人から引き千切った髪の毛を懐に忍ばせる光景は、残念ながら陰になっていて誰にも見る事は出来なかった。彼女の、苦虫を噛んだ表情もまた…………。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

「まだ降るか……」

 

 干し草を詰め込んだ桶を片手に、駅の母屋から足を踏み出した俺は頬に触れた冷気に思わず嘆息する。吹雪は凡そ丸一日以上に渡って続いている。

 

「それでも……少し、勢いが弱まって来たか?この雲行きなら明日には収まりそうだな」

 

 馬に飯を食わせるために駅の厩に向かいながら、空模様を見上げた俺は今後の天気を予測する。意外と長く続いた雪嵐であるが、どうにか天候は回復しつつあるようだった。というか回復してくれなかったら困る。何日も廃駅で立ち往生は御免だった。

 

「この分だと、明日出発か?」

「ん?あぁ。明日の朝方に出立予定だ」

 

 背後からの声に振り向けば其処にいたのは鎧兜を脱いだ、革製の軽服に防寒具だけを着込んだ火長……彦六郎の姿。俺はその言葉を肯定しながら厩の中に足を踏み入れる。

 

 厩の中にいるのは軍団兵の騎乗していた七頭に俺達の連れていた二頭の計九頭の騎馬である。皆俺の姿を見た途端に待ちかねていたように唸る。一際目立つ青毛馬は特に喧しく身体を震わせて干し草を要求していた。

 

 ……因みに元々駅に留め置かれていた馬共は若干の骨肉と壁にこびりついた血だけが残っていた。つまり、そういう事である。

 

「北に向かう予定だってか?」

「……それがどうかしたか?」

 

 桶に詰め込んだ干し草を柵越しから首を覗かせる馬共に食わせる。食わせながら厩の入口に立つ火長に向けて俺は怪訝な視線を向ける。相手の言葉の意図を探る。尤も、その必要もなく相手は用件を口にした。

 

「俺達も同行する。構わねぇだろ?」

「はぁ?」

 

 何でもないように放たれた言葉に、思わず俺は首を傾げていた。面の下で眉を顰める。

 

「何を言っているのか理解しているのか?」

「てめぇ、郡都の時とはえらい違いだな。口が悪ぃ、それが素かよ。えぇ?」

 

 俺の質問に対して、彦六郎はズレた返答を口にする。

 

「話をはぐらかすなよ。どういう風の吹き回しだ?此方の仕事は遠足じゃないぞ?」

「五助と弥八郎の奴は郡都に戻すつもりだ。残りはお前らに同行して北に行く」

「何でまた?言っておくが危険は多分此方の方が大きいぞ?」

 

 俺の指摘に彦六郎は不敵な笑みを浮かべて厩に足を踏み入れる。そして俺の持つ桶に手を突っ込むと自分達の馬に飯を食わせ始める。

 

「別に伊達や酔狂じゃねぇ。無論、同情でもないぞ?ただ……俺達からしても地元が危ないってんだからな。流石に尻尾巻いて逃げられねぇよ」

「それは……成る程」

 

 彦六郎の発言の意味に一瞬困惑して、直ぐにそれを理解して納得する。朝廷の軍団は上位指揮官を除く大半の兵士が地元民を中核に編成されていた。

 

「理由はあい分かった。だが、御上には何て言うつもりだ?」

「其処よ。俺達は各地の村や駅に徴集を呼び掛ける事を命令されたが、それ以降については明確に命令はされてねぇ。そして、お前さんは郡司殿から手形を貰ってるんだよな?そいつが使える!」

「物資及び宿泊等の便宜を図るべし……か。人手については拡大解釈だな。後で俺が文句言われるかも知れないんだぞ?」

「だが、お前さんらも餓鬼含めて三人なんだろう?人手は欲しくはねぇのか?」

「背に腹はかえられない、か………」

 

 彦六郎の提案に、俺は頷かざるを得ない。正直雪音……いや、鈴音らに手を出そうとした陸で無し共であるが、其れは其れである。彦六郎の言葉は雑であるが、その目は真剣だった。どうやら、彼も自身の出身の村がなまはげに荒らされる事に危機感を持っているらしく、焦燥すらも見えた。

 

「分かった。同行を許そう。しかし二つ、条件がある」

「何だ?」

「先ずは俺の警告や命令には従って貰う。お前達は呪いや妖については素人だろう?この前の雑魚共相手にすら苦戦していたからな。自惚れる訳ではないが俺はお前達よりはその道に明るい。下手な事して事態を悪化させたくはない」

「……もう一つは?」

「素行を正して貰おう。先日の郡都でのような事は俺の同行者や道中の旅人や村人相手にはするな。それが出来ないのなら居られても邪魔だ」

 

 俺の提案に彦六郎は此方を暫し睨み付ける。暫し睨み付けて………苦虫を噛んで嘆息する。

 

「ちっ、分かったよ。お前、中々根に持つ性格だな?安心しろよ、あの日は俺らもいきなりの動員でな。しかも夜番と来たらな。酒もあって苛ついてたんだよ。鬼月か?あの女中の餓鬼も生意気だったしな。……おいおい、そんな風に睨むなよ。もうあんな事はしねぇよ。あの狼女もおっかねぇしな」

 

 鈴音の事に触れた瞬間に俺が殺気を向ければ慌てて弁明する彦六郎。その言葉は嘘ではないようだった。どうやら、入鹿に纏めて卒倒させられたのは中々トラウマになっているらしい。ある意味好都合だった。

 

「………はぁ。ほれ」

「ん?何だその手は?」

「握手だよ。別に指示には従って貰うだけで顎でこき使うつもりはないからな。協力者には誠意は示す。………それとも、霊力持ちは化物だから手も触れたくないか?」

 

 俺は最後に若干皮肉げにおどけて宣う。

 

「……やっぱり、てめぇ良い性格してるよ」

 

 俺の物言いに、火長は一瞬目を丸くして、しかし直ぐに心底嫌な表情を浮かべる。そして此方の呼び掛けに応じるように、強く俺の手を握り締めるのだった…………。

 

 

 

 

 

 

 

「…………其れはそうとお前。さっきから手元食われてんぞ?」

「うおっ!?てめぇ何人の腕しゃぶってんだ!!?」

 

 直後の彦六郎の指摘に、俺は慌てて干し草ごと手を舐めしゃぶって来ている青毛馬の頬を全力でぶっ叩いていた。

 

 俺達が駅から出立する、前日の夜の事である…………。




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