和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第九五話

 それは月の光も照らされぬ闇の深い夜の事だった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ………!!」

 

 供養のために鬼月家の屋敷に訪れていた林玄僧侶からその知らせを受けた俺は、必死の形相でその母屋に向けて走り続けていた。真っ暗な足下で、たまに転けかけながら、それでも前のめりになって走り続ける。ひたすらに、走り続ける。

 

 広い屋敷の敷地で震えながら息を切らして、やっとの思いで俺は門前に辿り着いた。辿り着いて俺は途方に暮れる。一体どんな顔であの人に会えば良いのだろうか、今更のようにそんな事を思って。

 

 そしてそんな疑念が一度浮かべば、後はたじろぐだけだった。鍵もしていない、薄い木製の戸口、しかしそれを開く事に俺は迷いに迷っていた。

 

「……何をしている?そんな所でぼさっと突っ立ちおって」

「えっ……!?」

 

 声の聞こえた方向は背後からで、驚いた俺が振り向けば其処にいたのは般若面を被った長身の人物だった。思わず口を開いてポカンとする俺を観察するあの人は、そのまま面の上からでも分かる程にニヤリと笑う。

 

「ほぅ、成る程夜這いにでも来たか。いやはや、小僧と思っていたが油断ならんな。流石に姫君を連れて駆け落ち等と仕出かそうとしただけあるな」

「違うわ!俺はただあんたが……痛ててぇ!?」

 

 俺が不本意な嫌疑に対して弁明しようとする瞬間には、代わりに悲鳴を上げていた。左手で耳元を乱暴に掴まれて、牽引するかのように容赦なく引っ張られればこうもなろう。

 

「ははは、今更言い訳は無駄だ。まぁ、丁度良い。仕事終わりに一杯やろうとしていた所だ。酌持ちでもしろ。上司からの命令だ」

「パワハラだ!?」

 

 愉快げに叫ぶ彼女は戸口を開いて悲鳴を上げる俺を容赦なく自室に連れ込む。そして俺の足を払って転がし、畳の上に投げ込めば己は棚を探ってあっという間に膳と酒と、摘まみを用意する。……自分の分だけ。

 

 いや、俺の歳じゃあ出されても飲めねぇけどさ。

 

「よし、じゃあ飲むとするかぁ!!全く、糞みたいな仕事だものな。飲まなきゃやってられないわ!!ほら、さっさと注ぎなさいな!」

 

 それはそうとして、やけっぱちにでもなったかのように仕事着のままに胡座を掻いて、声高々に職務への文句を言いながら御猪口を俺に差し向ける上司である。その態度に俺は嫌味を言おうとして、しかし直ぐに口ごもる。

 

 袖口から僅かに覗く包帯巻きの彼女の右腕が、痛々しい程に赤黒い血に滲んでいたのだから……。

 

「…………」

 

 事前に話には聞いていた。寧ろだからこそ俺は彼女の元へとこうして訪れたのだ。

 

 鬼月家からの無茶な任務、その結果として彼女とその傘下の二個班は壊滅的な被害を負った。彼女を含む一一名の内死亡した者は八名、再起不能な重傷者が一名、彼女と残り一人もまた軽くない怪我を負い、それと引き換えに数千もの怪物が潜んでいた巣穴は鬼月の退魔士らによって殲滅され、低級ながらも化物共の支配下にあった霊脈もまた、人界の手に渡った。

 

 それは極めて割に合う犠牲であった。安上がりですらあった。退魔士の被害が一人もなく霊脈が解放された、それは快挙ですらあった。

 

 ……例え、その犠牲が彼女の可愛がっていた部下達であり、俺にとっては世話になった先達であったとしても。

 

「ん、どうした?そんな呆けた顔をして。ははぁ、もしや見惚れたか?困った困った、ついに年上御姉さんの魅力に気付いてしまったかな?」

「……五月蝿い。自惚れ過ぎだ、糞上司め」

 

 何れだけの時間沈黙していたのだろうか?決して長くはなかった筈だ。だから俺は内心の動揺を気取られぬようにそう言い捨てて、後は渋々とあの人の酌をする。御猪口に酒を注いで、彼女の仕事の愚痴を聞き続ける。そして摘まみがなくなれば命令に渋々と従い新手を棚から探し出す。

 

 それだけが、今の無力な俺が彼女に出来る唯一の恩返しだから。それだけが、俺が出来る唯一の彼女への慰めだっただろうから。そして今思えばきっと、この一時の安らぎを確かに俺も楽しんでいたのだろう。だから、だから…………。

 

「余り、人の思い出を汚さないで欲しいんだけどな?」

 

 俯きながら過去を思索して嘆息した俺は、次の瞬間に顔を上げれば眼前のそれに向けて嫌悪感を剥き出しに罵倒していた。

 

 まるでずっと其処にいたかのように鎮座していた緑髪の怪物は、天女のような微笑みで以て俺の言葉に応じた。黄金色の眼がいつの間にか少年から今の背丈に成長している俺の姿を映し出す。

 

 面のない、俺の素顔を映し出す。

 

「……言っても無駄なんだろうが、相変わらず人の記憶に土足で入り込むのが好きだよな。忌々しい」

 

 そして一層腹だたしいのは、その事について俺が怒る理由を欠片も理解出来ていないであろう事だ。

 

 何処までもこいつら化物の思考回路は人間から逸脱している。話が擦れ違うとか合わないなんてものじゃない。根本的に認識がズレているのだから……。

 

『あらあら、そんな袖みするような物言い悲しいわぁ。折角、母が可愛い坊やのために大切な助言をしてあげようと思いますのに』

「助言……だと?」

 

 敵意を向ける俺に向けて本当に悲しそうに妖母は宣った。そして俺がその重要な単語に反応するのを見れば、一変して妖母は満面の笑みを浮かべる。

 

『はい。困っている我が子に対して母からの大事な大事な助言ですよ?心して聞いて下さいね?』

 

 勿体ぶって、自信満々に、そして張り切るように怪物は口を開く。そして指摘する。俺が此度の任務の途上から抱いていた疑念を言語化し、そして氷解させる。

 

「それは……」

『嘘ではありませんよ?私が可愛い坊や相手に嘘を言うものですか。これ迄だって、私のお陰で貴方は助かったでしょう』

 

 思わず否定しそうになるのを、妖母が先手を打って補足する。その根拠のない言葉が、しかしこれ迄の実績と、彼女の特性から偽りではない事を嫌でも理解出来てしまい、だがそれでも感情は別問題であった。

 

「だがっ、そんな、……そんな馬鹿な事!?」

 

 俺は愕然とする。そんな事は原作の設定には記されてはいなかった。指摘されてはいなかった。しかし同時に、それは確かに此度の事象を説明する上で納得出来る理由で、原作から逸脱している原因として理解出来る要因で…………。

 

「うっ……!?」

 

 嘔吐感に俺は思わず踞る。口元を押さえる。それが事実だとすれば、事実であるとすれば…………!!?

 

「だとすりゃあ、今追っているのは…………まさか!?」

『ふふふ、はい。そういう事になりますね』

 

 一瞬生じる疑念は瞬時に解決して、しかし導き出された回答に俺は絶句する。そんな俺の反応を見て、微笑む怪物。まるで算数の出来た幼稚園児を誉めるような屈託のない笑顔。尤も、今の俺にはそんな妖母様の神経を逆撫でする態度に答える精神的余力もない。

 

「待て、しかし……どうして?そんな事………」

 

 彼ら彼女らの行動に俺は動揺して、困惑して、混乱する。裏切られたかのような不信感が芽生えて、しかしそれはお門違いかも知れないとも思い浮かぶ。何故?どうして?

 

『うふふふふ。さて、それは直接聞くしかありませんねぇ』

 

 さらり、と流れるように母は俺の真横を通り抜けて、そのまま俺の背後へと這い寄るようにして抱き着く。そして響く耳元で囁くような甘い声音。それだけで思考は蕩けて蒸発してしまいそうになる。そうなって……!!

 

「っ!?惑わすなっ!!化物が!!」

 

 俺は妖母の術中に完全に嵌まるのを寸前で回避する。無論、それは根性とか理性によってではない。俺だって学習している。対策はしていた。

 

『あら?あらあらあら、これはまた随分と手荒な真似をする事。無茶は行けませんね』

「てめぇに呑まれるよりマシじゃ!!」

 

 妖母が見たのは、俺が己の足に短刀を突き刺した姿であった。痛みによる理性の復帰………以前ここに招かれた時、妖母自身が言っていた事だ。この世界は俺の深層心理であり、夢だ。俺の夢ならば必要な時に必要なものを産み出すことだって出来る筈。だから俺は咄嗟に望んだ。この夢の中で精神を乗っ取られないように理性を保つ手段を、手法を。……現実ではないので幾ら怪我しても良いのが救いだな。

 

『余り感心はしませんねぇ。確かにこの世界は泡沫の幻、ですが同時に貴方自身の精神の中なのですよ?肉体には影響はありませんでしょうけれど……心はどうでしょうね?』

「黙れ!!」

 

 ゆらりゆらり、と迫る妖母の因子に向けて、俺は短刀を向けて威嚇する。その姿を見た母は尚も優しく微笑んだ。

 

 それだけで俺の中に罪悪感が芽生えて、泣きたくなって、すがりつきたくなって……俺は怒りに顔を歪ませて彼女の両肩を掴み上げる。短刀を向ける。怒鳴り散らす。

 

「今すぐ、俺を、目覚めさせろ……!!」

 

 俺は内からの本能を抑えて要求する。命令する。必死に言葉を紡ぎ出し、絞り出す。全ての思い出も、覚悟も、感情も、ただただ眼前の存在へと溢れ出さんばかりの親愛に暴力的に塗り潰されそうになる。それを自覚して、悔しさと情けなさに思わず眼に涙の粒が溢れる。

 

『うふふふ。もう少し、でしょうかね?』

 

 そして妖母はそんな俺に対してニコニコと相変わらずの笑みを見せて手を広げる。抱き着くように迫り来る。

 

 俺の本能が悲鳴を叫ぶ。これをされたら戻れなくなると。絶対に許すなと。必死に逃げようと、一歩下がろうとする。無意味だった。足が動かない。動かせない。何度も俺は足を突き刺す。駄目だった。先程と違って痛みを感じない。感触がしない。

 

『ふふ、そんなに怖がらなくて良いのですよ?何も恐れるべきものはありません。さぁ、母の胸の内にいらっしゃいな』

「畜生……!?」

 

 勝ち誇ったような母の言葉に、俺は絶望する。ゆっくりと、しかし着実に迫る母の姿に敗北を悟る。そして……いつの間にか彼女の背後に存在する巨大な影に気が付く。

 

「え?」

『あら?』

 

 どうやら俺と怪物は同時にその存在を認識したようだった。ほぼ同時に零れた言葉。向けられる視線。視界に映りこむのは深紅に輝く八つの瞳。巨大な牙。明らかな怒気。

 

『此れは此れは可愛い御嬢さんですね。うふふ。ほぅら、お祖母ちゃんです……』

『ぱぁぱをぉぉぉぉっ!!いぢめるなあぁぁぁぁぁっ!!!!』

 

 慈愛に満ち満ちた満面の笑みで以てそれを迎え入れようとした妖母の言葉は、次の瞬間には舌足らずな幼児のような叫び声が鳴り響くと共に頭から齧りつかれた事で強制的に中断された。

 

 そして、そのままそれが妖母を咥えながら振り回すのを、俺はただただ唖然として見つめる。しかしそれも長くは続かない。

 

「あ?」

 

 ……突如として周囲の景色が熔けた。それはまるで画上の絵の具が洗い流されたかのように。そして、それは俺の足下にも及び、俺はその場から急速に転落した。

 

「っ……!?」

 

 闇に落ちる。深い、深い底知れずの闇に、墜ちていく。俺は混乱しながら思わず手を伸ばす。何かを叫ぶ。そして、そして、そして…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「はっ!?」

 

 天幕の中で目覚めた俺は一瞬何が何なのかも分からずに呆然と天井を見ていた。そのまま暫し朧気な夢の内容を思い返し、思考を整理して沈黙し……そして、一番大事なその問題を思い出す。

 

 ……同時に俺は胃から込み上げるままに嘔吐していた。

 

「おえっ……うえっ………!!?」

「伴部さん!?あ、えっ、えっと………!?」

 

 いつの間にか側で寝ていた白狐が目覚めて、混乱していた。しかしそんな事は今の俺にとっては何の意味もなかった。

 

 俺はただ吐き出しながら天幕から飛び出す。飛び出して雪原に向けて勢い良く胃の内容物をぶちまけた。一度ではなくて二度、三度と吐き出す。

 

「おい、どうした……!?」

「何だ!?何事だ……!?」

 

 直ぐ側にあった残る二つの天幕でも事態に気付いて軍団兵が着のみ着のままに姿を現す。そして俺を見るや困惑していた。

 

「退いて下さい!!と、伴部さん……大丈夫ですか?ひっ!?」

 

 俺の容態を心配して、天幕の内の荷から胃薬を見つけ出した少女はそんな彼らを押し退けて駆け寄る。駆け寄るがしかし、俺の表情を見るや怯えたように怖じ気づいた。其ほどまでに俺の顔は怒りに歪んでいたからだ。思わず尻餅をついて涙目になる白。

 

 尤も、そんな事は関係なかった。一頻りに吐ききった俺はそのまま唖然とする周囲を置き去りにしてよろよろと歩き出していた。あいつの元に向けて。

 

 あいつを見つけるのは簡単だった。俺達が天幕を張っていた場所から見てほんの百歩もせぬ、視界を遮る障害物の何もない場所で鉞を雪の上に突き立てて、酒を淹れた瓢箪片手に周囲を監視していた。

 

 そう、地平線の先まで続くなまはげの足跡とされているものの傍らで。

 

「ん?どうした、もう交替の時間…………」

 

 此方の存在に気付いた入鹿は怪訝な表情を浮かべ……俺の態度に気付くと黙りこむ。そして瓢箪を一度呷った後には険しい目付きで此方を窺う。警戒する。

 

 俺はそんな彼女を見て嗤っていた。嗤って、口を開く。

 

「はは……よう、監視ご苦労さんだな?何か異常は?」

「いんや。何にもねぇな。……それよりも酷い顔だな、えぇ?」

 

 きっと酷く青ざめて、窶れている俺の顔を見てそう宣う入鹿は、ごく自然な所作を装い雪から鉞の刃を引っこ抜く。その行為に俺は嗤う。嗤って、面を着ける。瞳術対策や顔面保護の意味合いもある総面の般若面を。

 

「ちょっと悪酔いしてな。……それよりも入鹿。お前って本当に猟が上手いよな?今日の晩飯時の兎旨かったぞ?」

「お誉めの言葉、有り難く頂くぜ。何だ急によ?誉め称えたって何も出て来ないぜ?」

 

 肩を竦めて、入鹿は目を細める。獣妖の特性を継いだ夜目が妖しく夜の中で輝く。完全に警戒態勢であった。構わず俺は一歩進む。

 

「いやな。確認しに来ただけの事さ。俺は農民生まれでな。猟の経験なんて少ないんだ。それで聞きたいんだがな。……足跡ってのは吹雪の中でもこうも残るものなのか?」

「……」

 

 傍らの足跡を一瞥して何でもないような物言いでの俺の指摘に、入鹿は無言で以て応じた。俺は更に続ける。淡々と、尋ねる。

 

「なまはげの特性で思い出したんだよ。あいつは確か冬季に、それも吹雪の中で移動するんだってな」

 

 以前にも触れたが元ネタの伝承では吹雪の中で、囲炉裏の周囲で寒さに震える子供を引き摺って引き離すのだ。そして雪の降る中でのみ、活動する事もまた。

 

「考えてみれば当たり前の話だよな?足跡が残っているなら一流の退魔士らがそうそう見失う事態なんかあり得ないものな」

 

 隠行と同じだ。幾ら己の姿を偽装出来てもそれはあくまでも己だけ。足跡は残り得るし、それを認識出来ぬようにするのは不可能だ。そして、其くらいの事、狩猟で生活の糧を得る蝦夷出身者が思い至らない訳がない。そもそも、作井駅の一帯は丸二日に渡って雪が降っていたではないか。

 

「そうでなくてもよ。お前さん、鼻が良いだろう?だったら、なぁ?分かる筈だよな?」

 

 俺は更に一歩、入鹿の元に迫る。そして小さく深呼吸をして、尋ねた。

 

「なぁ、聞いて良いか?猪戸と作井、そして似依の村……全部、同じ下手人の臭いがしていたのか?」

 

 俺の言葉に対する返答は、突貫した入鹿による鉞の一振だった。

 

「っ……!!」

 

 刃は立ててなかった、鈍器として振るわれたそれを俺はギリギリの所で身体をしゃがませて避けきる。同時に向かって来る蹴りを俺は両腕を構える事で受け止める。霊力で強化していたものの、それは入鹿も同じ事で鈍い衝撃音が辺りに響き渡る。そして勢いを殺しきれずに思わずその場に倒れる俺。

 

「ちょいと眠っていろ……!」

 

 そして入鹿は鉞を振りかぶって、正に俺に向けて振り下ろさんとする。……悪いがこの状況は想定内だよ!!

 

「これでも喰らえや」

 

 鉞が振るわれると同時に俺はそれを彼女の顔面に向けて投擲していた。投擲と同時に入鹿はそれが何なのかを悟って目を見開く。見開いて、急いで後ろに下がろうとする。全ては遅かった。

 

 直後に目映い閃光と鼻を刺すような刺激臭が周囲を包み込んだ。下人衆定番の閃光玉と臭い玉である。視覚と嗅覚を奪われた入鹿は顔を押さえて背後に向けて跳躍せんとして……俺に足を払われて雪原に背中から倒れこんだ。

 

「ぐっ……!?こなく、ぎっ!!?」

 

 俺は入鹿の右腕を蹴り上げて鉞を遠くに吹き飛ばすとそのまま彼女に乗り掛かって拘束する。拘束して、頸の直ぐ手前に短刀を突き刺していた。すっと、首の皮から一筋の血の筋が流れる。

 

「て、てめぇ……!!」

「そんな目で見られる筋合いはないな。先に裏切ったのはてめぇだろうが……!!」

 

 光と刺激によって涙目になりながらも此方を睨み付ける入鹿に向けて、俺は怒気を強めてそう言い捨てる。こいつの仕出かしはそれだけのものだったのだ。こいつ、俺達を騙しやがった……!!

 

「何だ?何が目的だ?これはどういう事なんだ?この足跡は何なんだ?どうして嘘をついた?自分の行いが何を意味しているのか分かっているのか?」

 

 俺は次々と、矢継ぎ早に入鹿に向けて追及していた。それだけ俺は怒り狂っていた。

 

「…………」 

 

 そしてそんな俺の追及に対して入鹿の返答は無言であった。視線を逸らしてだんまりを決め込む。まるで叱られた子供のように。

 

「ふざけやがって……!!」

 

 そのなめた態度に俺は頭に血を昇らせて、警告目的で短刀を動かそうとして…………。

 

『待て。下人よ、落ち着くが良い』

 

 突如として響いた皺嗄れた老人の声。それに俺は反応して視線を向ける。至近……そう、直ぐ隣の雪の上に佇む一体の蜂鳥、その式神の姿を捉える。

 

「牡丹……ではなくて、翁ですか。何の御用で?」

『大有りじゃよ。其奴を責めてやるな。其奴は実行犯に過ぎぬ。この犬には何かを企める程に器用に頭が回らんわい』

 

 ほほほほ、と嘲るように嗤う蜂鳥。恐らくは牡丹の使役するのとは大して造形が変わらぬのに彼女のそれよりも明らかに冷淡で酷薄に見えるのは、明らかに中の者の影響であった。

 

「何が言いたい……!?」

 

 俺はぎっ、と式神を睨み付ける。しかしながら当の翁はそんな俺の怒気なぞ意に介さぬように淡々とした態度を貫く。そして宣う。

 

『恐らくはその態度、主の内に巣くうあの妖魔の堕神の入知恵かの。ならばもう分かっている筈じゃ。何もかも、その犬や儂らが何をしたのかも。そして、その目的も、の。……そうであろう?神力持ちの下人よ?』

 

 翁の口にしたそれは、正にこの一連の騒動の元凶にして犯人を指摘したものであった…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 思えば、最初の猪戸村の壊滅の時点で奇妙であったのだ。なまはげは吹雪の中で移動する。ならば野外で村人が襲われる事例は少ない筈なのだから。

 

 それはまた、似依村を壊滅させた下手人は間違いなくなまはげである事の証明でもある。似依村の犠牲者は猪戸村と違って屋内のものが大半であった。そして作井駅を二日に渡って襲った雪嵐の存在を思えば、自ずと真実に辿り着く。

 

 つまりは、俺達はなまはげを捜索して追っていたが、その実は逆だったのだ。なまはげは俺達の後ろから進んでいたのだ。タイミングを逆算すれば何も原作のシナリオから変わっていなかったのだ。……少なくとも最初の内は。

 

 そして、そう考えれば新しい疑念が浮かび上がる。一つは猪戸村を、作井駅を襲った存在の正体である。

 

「もう一体、この郡を化物が徘徊している……そうだよな?」

『儂が見る所、あれは悪名高い「山姥」じゃな。付け加えるならば其奴を誘導しているのはいつぞや都で主を誘拐したそのお犬のお仲間じゃ』

(救妖衆か……!!)

 

 山姥、そして入鹿の元同僚の存在を示唆された俺は直ぐにその組織の暗躍に当たりをつけた。それはつまり原作シナリオにおける「山姥襲撃防衛イベント」が、所を変えて行われている事を意味していた。

 

「……となると、あの足跡は山姥か?」

『いや、あれは儂の使役した簡易式じゃよ。主を誘導するためにの。尤も、山姥の向かう先が東……恐らくは郡都である事は間違いなかろうがな』

 

 翁の言葉は、入鹿が俺を騙した理由を婉曲的に説明していた。入鹿は善人でもなければ、任務に対する義務感も、扶桑国に対する忠誠心も何もない。

 

 しかしただ一つ、環達に対する恩義と友情は間違いなく本物だ。それこそ己が捕らえられる事も、命を奪われる事も覚悟する程に。なまはげの捜索を命じられている最中、尚且友の元に危機が迫っているとなればどうするか……彼女の出したであろう答えは想像するに易い。

 

 そして、『それだけ』ならば俺が此処まで動揺する事はなかっただろう。

 

 そう、もっと根源的な問題がある。どうしてなまはげは今年に限ってイレギュラーな動きを始めたのか。それさえ無ければ事態はもっと明瞭であったろう。此処までややこしくはならなかった筈だ。

 

 つまり、何が言いたいかと言えば…………。

 

「俺が……俺が原因、か」

 

 全てを認識し、認めて、受け入れて、俺は力なく呟いた。いつの間にか入鹿を拘束する力が弛緩していた。残念ながら到底ここに至ってそれを出来る程俺の精神は屈強ではなかった。出来る筈がなかった。

 

「ははは。こりゃあ、笑えねぇな」

 

 笑える訳がなかった。笑えるものか。こんな最低で、最悪な現実を、受け入れられる訳がなかった。

 

 ……言及されていないが、恐らくは原作シナリオでも同じ原理が働いていたのだろう。

 

 原作の蛍夜環は、蛍夜郷での惨劇の結果、己の異能に目覚め、それを以て土地神を呑み込んだ。呑み込み、己のものとした。

 

 神力は数ある退魔士一族からして見ても、それこそ名門からしても相当に希少な因子である。神代は遥か遠く、神格の存在も、それを根源とした血筋や呪具も年月と共に数を減らし、その力は嘗てに比べて零落している。

 

 そんな中で二百年もルーチンワークしている任務だ、どの家もそんな切り札ないし虎の子扱いの人材や呪具を持ち出さなかったに違いない。一方でなまはげはこの二百年の間に着実にその神気を失っていった。神気に対する渇望は日に日に増していったに違いない。

 

 環の内に呑み込まれた神格の因子、その微かな気配に反応してなまはげは元来と違う動きをした…………原作の推移だけを思えばその考察は所詮考察に過ぎない。俺の存在が無ければ。

 

『奴が貴様を捕捉したのは恐らくは猪戸村の辺りじゃろうて。そして御主の内にある堕神の因子を感じ取り少しずつ主に迫っておった』

「だが、俺を追い抜いた。そうだな?」

『御主の髪を拝借した。因子を濃縮した上で式神で囮とした。簡単に引っ掛かりおったわ』

 

 ほほほほ、と翁は笑う。あの時かと俺は髪の毛を回収したタイミングを思い出す。同時にその気楽そうな態度にイラ立つ。

 

「どうして言って頂けなかったのですか!?いや、誘導するにしても他にやり様があった筈です!人気のない方向に向かわせる事だって出来た筈だ!!」

 

 猪戸村はどうしようもなかっただろう。しかし似依村は、別の方向に向かわせる事だって出来た筈だ。恐らくは俺を追って襲われただろう新柿村もそうだ。明らかに不必要な犠牲、それを……!!?

 

「一つは……確実性だよ」

 

 答えたのは翁ではなくて、俺の下で組伏せられている入鹿だった。

 

「確実性……?」

「なまはげの野郎は元々てめぇを追ってんだぜ?それを謀ろうってんだ。そうなると擬似餌だけじゃあ少し不確実なんだよ。途中で疑似と分かっても食い付くだけの実益ある餌が必要だったらしいぜ?」

『どの道、この郡の役所も村も朝廷の勅を軽視する程に腐敗しておったしの。なまはげを討伐するのは流石に難しい。似たような事例が引き起こされた時のために一つ見せしめの戒めを作ってやった方が良かったのじゃよ』

 

 入鹿と翁は冷徹に、犠牲は必要なものであったと宣う。その物言いに一定の合理性がある事を認めつつも、その冷酷で残酷な内容に俺は嫌悪感を抱く。

 

 ……己もまた、村の一つや二つは見捨てるつもりだったのを棚に上げて。いや、そもそも俺が元凶なのだから尚更質が悪い。

 

「一つは、か。……まだ理由があるのか?」

 

 激しく罵声を、罵倒をしたくなる衝動を抑えて、俺は問い詰める。入鹿達の物言いにはまだ理由がある事を示唆していた。怒るのは全てを聞いてからでも良かった。俺は追及する。答えるのはまたもや、組伏せられている狼人である。

 

「お前だって、知りたくなんか無かっただろう?」

 

 それは吐き捨てるような呟きだった。

 

「……どういう意味だよ?」

「強がるなよ。都でも郷でもそうだったろうが。何だったら其処の爺からも色々と聞いてるぜ?随分と生きるのが下手らしいな、えぇ?頭ん中で何考えてるかは知らねぇがよ。傍から見れば危なっかしくて仕方ねぇんだよ!!」

『御主が自身をどのように評価しているかは知らぬがな。御主の無謀な行いについては儂らなりに独自に評価しておる。主のこれまでの功績を思えば此処で無為に失うのは惜しいのじゃよ』

「それは…………」

 

 二人の説明に俺は暫し無言となる。この二人からすれば、俺がいざその時になって眼前の犠牲を本当に座視出来るのか疑問であったようだった。故に俺に内密に事を起こした……そしてその指摘を、俺は必ずしも否定仕切れなかった。

 

 いや、確かに内心で決意はしていた。相手が相手で、シナリオがシナリオな以上、どうしようもないと思っていた。多少原作よりもマシで、主人公様がどうにか闇堕ちしない程度の惨事に抑え込めたら上々と考えていた。確かに、そう考えていた。

 

 ……しかし、実際その時になったらどうか?本当に目前の人間を見捨てる事が出来るのか?残念ながら、俺はそれを自信を持って断言出来なかった。分からなかった。そして、己ですら分からぬのだ。入鹿達からすれば尚更の事であろう。

 

「…………」

「……騙した事は済まないと思ってるぜ?けどよ、俺だって不確定な前提で行動は出来ねぇからよ。何か間違えててめぇがトチ狂って無茶して死んで見ろよ。鈴音の奴に顔向け出来ねぇよ」

『お主の中の因子もどう転ぶか分からぬしの。主も馬鹿では無かろう。儂らの言葉に納得出来ぬ訳でもあるまいて?』

 

 二人の言葉に、尚も俺は沈黙する。沈黙して、己の内の感情を、激情を整理する。そして、深く息を吐く。

 

「一つ聞きたい。白はこの案件に関わっているのか?」

 

 白も獣妖の半妖だ。五感は人一倍に鋭敏で、入鹿達の小細工に気付いても良い筈だった。それが……あいつも可愛い顔で俺に秘密にしていたのだろうか?

 

「だから、あいつにはお前の相手をしてもらったんだよ。近頃はお前さんに纏わりつく事が多かったろう?所詮餓鬼だ、少し誘導してやればそっちにばかり夢中になるんで言い包めるのは簡単だったぜ?」

「……そうか」

 

 入鹿の言葉に安堵するとともに少し傷ついた。ロリコンの趣味はないが甘えて来る餓鬼んちょが嗾けられただけだと思うとな。さて、それはそうとして……。

 

「……理解は出来る。だが、やっぱり納得は出来ない」

 

 俺は入鹿の首筋に当てていた短刀を鞘に戻してから今更な言葉を口にする。その言葉に入鹿も翁も想定内とでも言うように呆れたように鼻を鳴らす。

 

「……じゃあ、どうする?まさかと思うが今からなまはげの方向に向かうか?悪いが郡都に向かう奴の対処を優先して欲しいんだがな。お前さんだって彼方に大事な奴がいるだろう?」

『そも、今ある戦力だけでどうやってなまはげに対処するつもりか?悪いが主がまた怪物になろうとも今回は少々難しいと思うがの。情けなく忍んでいた蜘蛛とは訳が違うわ。場所を分かっていながら陰陽寮が二百年も放置していたのは怠慢ではないぞ?』

 

 二人は其々に俺の言葉に疑念を抱いて意見する。それは俺も重々承知していた。

 

 ……そして、俺の中では即興とは言え既にある程度作戦が出来ていた。幸い、今回お出ましになられた怪物共ならばこれである程度はどうにかなると当たりをつけていた。……どうにかなってくれないと困るとも言えるが。

 

「勝算は……あるんだな?」

「あぁ。辛うじてな。問題は……」

「この状況をどう処理するか、か?」

 

 俺と入鹿は、そして蜂鳥は闇夜の中で迫り来るその気配に視線を向ける。暗闇の中からそれは現れた。月光を反射して照らされるのは鎧兜に鉄の鏃、槍の穂先、そして刀身……。

 

「火長……」

「……今の話はどういうこった。説明して貰おうか?えぇ?」

 

 武器を構える軍団兵らの代表として、彦六郎は険しい表情で俺達に向けて問い掛けた……。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

「今の話は本当なのか?」

「例の化物はどっちに向かっているんだ?北か?北なのか……!?」

 

 そう叫ぶのは弩を構えている軍団兵二人だった。緊張に声を震わせて、俺達に返答を迫る。

 

『そうじゃの。なまはげの方は確かに北に向かっておる』

「向かってるだ?ふざけんな、てめぇらが誘導したんだろうが!!」

「これだから霊力持ちや半妖は信用出来ねぇんだ!!畜生、ふざけやがって……!!」

 

 翁の淡々とした物言いが逆鱗に触れたのか、弩を構える軍団兵らは怒鳴り散らす。俺は無言で彦六郎に視線を向ける。

 

「盗み聞きした事に謝罪はしねぇぞ?せめて密談は小さな声で目立たねぇようにするべきだったな?」

「此方も動揺していたんでね」

「嘔吐までしていたんだものな。食中毒にでもなったのかと思ったぜ?」

「心配してくれてどうも」

「ははは、馬鹿言え。俺達だって同じもん食ってたんだ。いつ腹を壊すかと戦々恐々だったぜ」

 

 俺の返答にヘラヘラと火長は乗っかるように笑う。笑いながら宣う。

 

「俺らには専門的な話はてんでさっぱりだ。学もねぇもんで、正直話の内容の半分も分かりやしねぇ。だが一つだけ分かっている事がある」

 

 そして、彼はこれ迄見た事がない程に殺気立つ。

 

「お前さんらが自分の都合で化物を北の村に向かわせたって事と、それを俺らに黙っていたって事だ」

 

 彦六郎は腰元の刀を引き抜いて吐き捨てる。

 

「その事については謝罪する。俺が部下の独断に気付けなかった」

 

 俺がそう口にした刹那、こめかみを鏃が掠めた。一瞬の焼けるような刺激、そして温かい液体が面の隙間を通って頬に、そして首元、鎖骨へと滴る。視線を移す。弩を持つ二人の軍団兵の内の一人が弦を巻き上げ次矢を装填している所だった。今一人がその隙を守るようにこれ見よがしに弩のバネの音を軋ませる……。

 

「口で謝れば済む事だと思うなよ。此方は仲間や家族の生き死にが掛かってんだよ」

 

 彦六郎は冷徹にそう宣った。そして、くいっと顎を動かせば背後にいる槍を持つ仲間が彼女を連れて来る。

 

 白い耳と尻尾を萎れさせて、心底萎縮した狐の少女を。

 

「白……!?」

「へっ、村を生け贄にするような連中でも仲間は可愛いか?えぇ?」

 

 漸く動揺した俺の反応に槍持ちが冷笑する。彼はそのまま彦六郎に白を押し付ける彦六郎は抜き身の刀身を腕を回されて囚われている白の頸元に向けた。

 

 それは明らかな人質であった。

 

「と、伴部さん………」

 

 彦六郎に囚われた白が怯えきった表情で俺の名を呼ぶ。助けを求めるように、呼び掛ける。

 

「火長!?止めろ、そいつは無関係……」

「動くんじゃねぇ!!」

 

 俺が彦六郎に暴挙を止めるように叫ぼうとして、しかしその声は一層大きな怒声に掻き消される。びくり、と俺は中途半端な姿勢で動きを止める。

 

「其処の犬と……何だ、爺声の鳥もだ!!少しでも許可なく動いて見ろ!!この餓鬼の首だけじゃねぇ!てめぇらの頭もぶち抜いてやるからな!」

 

 槍持ちのその声に応じるように再装填を終えたものを含めて此方に向けて構えられる二挺の弩からキチキチと音が鳴る。限界まで弦が引かれている証明だった。引き金が引かれた瞬間に勢い良く矢が俺達に向けて放たれる事になるだろう。

 

「卑怯なんて言うなよ?お前さんらの仕事は卑怯卑劣が習いって聞いたぜ?」

「仕出かしを思うと反論は出来ねぇな。それで?俺達はどうすれば良い?まさかとは思うが此処で死ねという訳じゃああるまい?そんな事しても意味が無いのは分かってるだろ?」

 

 俺の発言に軍団兵らは無言だった。当然だろう、彼らも今更北に向かったなまはげを上司らがどうにかしてくれるとは思っていまい。ここで短絡的に俺達を殺しても一時的な憂さ晴らしにしかならない。

 

 つまり、これは交渉だった。

 

「……お前さんには何か考えがあるんだってな?それを信じろってか?」

「確実、とは言えないがな」

「なめた事を言いやがって!」

 

 彦六郎の質問に俺が答えれば槍持ちが忌々しげに詰る。まぁ、彼らからすれば事の元凶が何をほざいてやがると思うだろう。しかし、それでも俺は宣う。

 

「彦六郎、それに他の奴らも。考えている時間も、駆け引きの時間もない筈だ。違うか?この場において起死回生の策を持っているのも、それを実行出来るのも俺だけだ。頼む、協力して欲しい」

「減らず口を…………!!」

「無論、一番危険な役回りは俺が行くつもりだ!!」

「っ!?」

 

 俺の宣言に、槍持ち含めて軍団兵らは沈黙して、動揺する。言葉をそのまま素直に信じた訳では無かろう。しかしながら俺だってそれなりに死線は潜った自覚はある。その語気に流石に一瞬動揺したようだった。

 

「あるいは、お前さんらが参加しなくても良い。俺達だけでも実行するつもりだ。後ろから監査でもしていろ」

「弾正台みたいな事でもしてろってか?知ってるか?風の便りじゃあ、何年か前に弾正のお偉いさんがデカイやらかしをしたらしいぜ?俺らが特に理由もなくお前らの後ろから弩を撃ち込まねぇとは思わねえのか?」

 

 探るような彦六郎の脅し、威嚇。しかし俺はそれに笑ってやる。笑って答えてやる。

 

「思いたくないな。家族や故郷のためにそんな暴挙をやらかさない事を願うばかりだよ」

「いけしゃあしゃあと言ってくれる!!」

 

 俺の返答に火長は舌打ちして罵倒する。そして、再度の沈黙。静寂。静粛…………風と、場の息使いの音だけが一帯に響き渡る。全員が黙りこむ。皆が極度に緊迫して、神経をささくれさせる。緊張の中での睨み合いは、下手したら永遠に続くように思われた。

 

「………っ!?」

「あっ!?」

 

 それは突然の事だった。思わずに弩手の一人が緊張の中で思わず弩の引き金を引いていた。カシュ、という乾いた音が周囲に鳴り響く。ほぼ同時の事だった。傍らの同僚が弩を撃ち出していたのに連動して、思わずもう一人も弩を放っていた事を。

 

「なっ!?」

 

 自身目掛けて迫る一発目を殆ど条件反射的に俺は身体を横に乗り上げて切り抜ける。そして神経を集中させて、俺は二発目に身構えて………。

 

「っ!?嘘だろ!!?」

 

 未だに半ば組み敷かれていた入鹿に向かって、彼女の頭に向かって迫る矢玉。残念ながら入鹿は普段から面をちゃんと着けてなく、何だったら今は装着すらしてなかった。そして当然ながら組み敷かれている今の彼女はそれを避ける事は困難で……だから俺は文字通りに即座にそれを行動に移していた。

 

「ぎぃっ!?」

 

 即座に絞り出せるだけ絞り出した霊力で強化して、手刀を放つ形で振るわれた左手に衝撃と激痛が走った。同時に俺はその勢いを殺すために左手を後ろへと受け流す。血飛沫が、飛び散る。

 

「うっ、ぐっ…………!!?」

 

 沈黙の中、俺だけが苦悶の声を漏らしていた。そして左手に矢玉を突き刺したまま、俺はその場に膝立ちになる。顔を歪めて、左手を押さえる。

 

「伴部さぁん!!?」

 

 悲鳴を上げて白が駆け寄るのを、彦六郎は妨害しなかった。寧ろ慌てて白を傷つけぬように首元に押し付けていた刀を離す。

 

「と、伴部さん!?血、血がぁ!!?」

「馬鹿!?いきなり引き抜こうとするな!!先ずは止血だ!!布、布で手首を締めろ!!」

「ひ、ひぁい……!!」

 

 半狂乱になって白が矢を抜こうとするのを、飛び起きた入鹿が止める。そして布地で俺の手首をきつく締め上げると口に噛み物を押し付け、弩手に向けて叫ぶ。

 

「おい、鏃に返しは!?てめぇら、性悪な形のもんなんざ使ってねぇだろうな!?毒は!?」

 

 入鹿の形相に弩手らは思わず怖じ気づき、たじろぐ。その結果として入鹿の求める返答は来ずにそれは一層入鹿を苛立たせる。

 

「この、さっさと口を……」

「や、めろ、入鹿っ……!!」

 

 そのまま立ち上がって実力行使で答えを吐き出させようとするのを、俺は静止する。これ以上事態の悪化は不味過ぎた。周囲が剣呑な殺気で満ちる……。

 

「………」

 

 その沈黙の中で最初に動いたのは彦六郎だった。ゆっくりと此方に向けて歩み寄る。

 

「……!」

「っ!?来ないで下さい!!何をするつもりですか!!?」

 

 入鹿が、そして白が迫り来る火長を警戒する。白に至っては鋭い視線を向けて、あからさまに怒気を放つ。俺がそんな白を宥めようとする前に、目の前でしゃがみこんだ火長が口を開く。

 

「鏃は尖矢だ。俺達軍団装備の弩は対妖用じゃなくて鎧を着込んだ対人用を優先しているからな。貫通力重視だ。毒は安心しろ、脅迫する時にそんなものは塗らねぇよ」

 

 敵意剥き出しの白の視線に対して、彦六郎は無視するように淡々と宣う。そして俺の傷を見て、更に続ける。

 

「箆を切ってから鏃を抜くぞ?……にしてもてめぇ、やっぱり化物だな。避けるだけなら兎も角、尖矢の弩だぞ?何で手を貫通してねぇんだよ?」

「この程度で驚いてちゃ……世話ないなっ!!うちの上司方なら片手で掴みとってたぜ?」

 

 何だったら普通にゴリラ様がやってたしそれを投げ返して相手を文字通りに粉砕していた。

 

「マジか。有り得ねぇ。……よし抜くぞ!!」

「あぁ。来い!……うぐぐっ、ぐっ!!?」

 

 彦六郎の宣言と共に俺に襲いかかる激痛と赤黒い血が溢れんばかりに出血、そして血塗れの鏃が抜ける。其処に入鹿が消毒を行い、白が涙目になりながら包帯代わりに布を巻いていく。巻いた布は瞬く間に赤く染まる……うわ、グロ。

 

「おい、彦六郎!?何してんだよ!!?こいつらの手当てなんざ……」

「五月蝿いぞ、権太!それよりも……」

 

 槍持ちに向けてそう叱責して、彦六郎は弩手らの元に向かう。そして一発ずつどつく。

 

「痛てっ!?」

「うがっ!?な、何するんだよ!?」

「何するんだじゃねぇよ!!ビビって勝手に射ちやがって!!お陰様で番狂わせじゃねぇか!!てめぇらだけでなまはげとか言う化物と殺り合うか、えぇ!!?」

 

 困惑する弩手達に向けて、彦六郎がそんな罵倒を叫べば、彼らは何も言い返せなくなる。そしてちらりと俺達を見て、複雑そうに目を逸らす。

 

 その態度に舌打ちして、彦六郎は手にしていた刀を肩に乗せて此方を見る。そして憮然として宣う。

 

「……あぁ。お前の言う通りだな。悔しいがよ、俺達だけじゃあどうにもならねぇ。癪だが今はお前らの手を借りるしかねぇみたいだな。糞っ垂れが!!」

 

 足元の雪を蹴り飛ばして、彦六郎は不愉快な現実を受け入れる事を認める。そして俺達に向けて更に言う。

 

「次騙して見ろ。今度は問答無用でその頭ぶち抜いてやるからな」

「それは構わんがよ……っ、ぐっ、良いのか?はぁ……はぁ……指の一本くらい詰めさせられると思っていたが?」

 

 実際、やらかした内容からしてそれ位は覚悟していた。まぁ、白なら兎も角自分の物なら許容範囲内ではあった。  

 

「化物相手する直前にそんな無駄な事させるかよ。そもそもその怪我、下手したら指詰めより酷いだろうが。……おい、お前らもこれで満足だろ?取り敢えずはこれで勘弁してやれ。てめぇらだって身内でもねぇ奴らがくたばったからって敵討ちするような殊勝な性格じゃあねぇだろう?」

 

 彦六郎は止血しても尚、布地からボタボタと鮮血が溢れ落ちる俺の左手を一瞥して仲間達に向けて叫ぶ。残る三人は互いに顔を見合わせるが……ある者は渋々と、ある者は苦々しげにその言葉に応じた。

 

「だそうだ。有り難く思え」

「そりゃあ、僥倖……だな」

 

 痛みに耐え、苦笑いして、俺は入鹿と白に支えられながら起き上がる。

 

「早速で悪いが時間がねぇ。策があるならさっさと俺らの頭で分かるように説明してくれや」

「あぁ。……となれば図も必要だな。白、天幕で地図を用意しておいてくれ」

「は、はい!」

 

 俺の指示に白が顔面蒼白のままで飛び跳ねるように応じて駆け出す。その姿に俺は怖いものを見せたなと内心で謝罪する。白からすれば起きたら俺が嘔吐するわ、殺気を向けられるわ、喉元に刀を向けられるわ訳が分からなかったろう。完全に被害者だな。この騒動が終わったら謝罪しないといけないだろう。

 

 ……その時まで生きていられたら、だが。

 

「ふっ。……入鹿、天幕まで頼む」

「……あぁ」

 

 先の事を思い冷笑、そして俺の要求に肩を貸す入鹿は若干バツが悪そうに淡々と応じた。どうせなら何時も此くらい素直で真面目ならば良いのに、と俺は内心でぼやく。そして……。

 

「翁も、協力願えますね?」

『…………』

 

 蜂鳥は無言で、そして平然とした態度で肩に乗る事で俺の要請に応えた。俺は目を細める。

 

(策士だな)

 

 俺は内心で翁をそう評した。先程の無言の睨み合いを打開した騒動、それが偶然だったなんて俺は思っていない。

 

 俺は確かに見たのだ。あの刹那、蜂鳥越しに一瞬弩手達に向けて瞳術が掛けられた事を……いやはや、やっぱり退魔士連中はサイコパスな事である。

 

(まぁ良いさ。左手の怪我であの状況を切り抜けられたんだからな)

 

 最悪、俺の代わりに白にでも何かペナルティを与えられる可能性すらあったのだ。呪い的にも、道義的にもそれは余り愉快ではない。どうせ俺も皮の下は大概なのだ。今更、この程度の怪我ならば甘んじて受けよう。

 

「よし、行くぞ」

 

 こうして、一応のけじめを終えた俺達は彦六郎の声と共に無言で天幕まで向かう。

 

『けけけ、中々面白い展開になったじゃねぇか。……まぁ折角自分から難易度を上げるってんだ。今回は及第点としておくかねぇ?』

 

 ……闇夜の中で鬼の冷笑がした事に気付くものは、残念ながら誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

「あれだな」

 

 清麗帝の御世の一三年、師走の九日の早朝の事であった。周囲を一望出来る一際小高い丘から彼は、神威は稗田の郡都を遂に肉眼で視認した。視線すると共に口元を綻ばせる。そして、思い出したように数瞬だけ己の背後を振り向いて警戒する。

 

「残念、あいつらは間に合わなかったらしいな」

 

 尤も、それならそれで仕事は減るし、上司も想定しているので何らの問題もありはしない。何よりも……。

 

「……にしても本当に困ったもんだ。どうしてこう、地母神系統の連中は好き勝手なんだろうかね?」

 

 直ぐ側で、偶然郡都郊外の小屋や街道で見つけた数人の村人や行商人らで「遊んで」いる笑顔の山姥を確認して、神威はげんなりと嘆息する。鳴り響くおぞましい悲鳴に関しても、彼らの運命に関しても神威は欠片も同情も興味もなかった。彼にあるのは、単に上司からの仕事の要請をどう取り繕うか、そして怪物にどうやる気になって貰うかである。

 

 ……となれば、やはりやるしかないのだろう。

 

「気分屋な御婦人が舞台に出られる迄の前座という訳だな。まぁ、俺も何時までも手元に置いておきたくなかったから良いけどさ」

 

 そんな事を嘯いて、神威は己の権能を発動させる。彼の足元を起点として黒い影が広がる。『荷を解す』。そして、解放する。

 

「さあて、出番だぞ糞餓鬼共め。……俺の人事評価にも関わるんだ。精々派手に暴れまわれよ?」

 

 影から吐き出した数百もの魑魅魍魎共に向けて、神威は飄々と、あるいは無責任にそう嗾けるのだった…………。

 




・ちょっとした真相
翁「時間掛かりそうだし、ちょっと暴発させるかの。なぁに、ちゃんとギリギリ当たらんようには狙わせるわい」
鬼「何それ、ツマンネ。直撃コースに変えとくわ」
翁「……」

 尚、主人公の行動が気に入らない場合は当然のように青鬼による強制バッドエンドになる模様

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