和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 貫咲賢希さんより、暑中見舞いな牡丹のイラストを頂けましたのでご紹介を。そこはかとない鬱くしさが幻想的にも思えます。
https://www.pixiv.net/artworks/99815291


章末・前●

 扶桑国央土が大霊脈の直上、最も普及している呼び名で単に『都』と称される国一番の大都市圏内……その郊外にその施設は建てられていた。

 

「ふむ……今年の育ちも中々だな。流石に土が良いだけはある」

 

 雪の積もった畑の野菜の出来を観察して、女は呟く。大根、白菜、野沢菜に菊菜……寒さに強い所謂冬野菜はこの冬の寒風の中でも逞しく育っている。

 

「これなら冬は十分に越せそうだな。問題は収穫作業だが……さて、これでは集中出来んな」

「きゃー!」

「わーいっ!!」

 

 師走の月、冬真っ只中にあってその孤児院では院長たるその女が併設された野菜畑にて今年最後の収穫作業を始めようとしていた。……手伝いとして自主的に付いて来た癖に遊び回る年長組の子供らに目を配らせながら。

 

「こら、お前達。余りはしゃぐんじゃない。転けて怪我をするぞ?」

 

 薄く雪で覆われた野菜畑を駆ける子供らに向けて、女は軽く叱責する。叱責するが、其処はやはり本能に任せた遊びたい盛りの子供で、中々女の言葉を聞いてはくれなかったが。自分達で手伝いをするなんて言ったにもかかわらず、けらけらと笑いながら子供達は畑を駆け回る。どうやら追いかけっこをしているらしかった。必死に走り回る子供達。

 

「あっ……!?」

 

 ……そして案の定、追いかけっこをしていた女児の一人が躓いて地面に向けて豪快に突っ込んだ。

 

「ふぇ?……う、ゔえ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ん゙!!?」

 

 一瞬、何が起きたのか分からないというように唖然として、直後には女児は大声で泣き立てる。心配して急いで周囲に集まる子らはしかし、其処から先で何をどうすれば良いのかも分からずただただ狼狽えるばかりであった。

 

「全く、悪餓鬼共め。だから走るなって言ったろうに」

 

 その様子に呆れながら、放置も出来ずに女は仕方なさそうに泣きじゃくる子供の傍に歩み寄る。

 

「ほら、立ちなさい。っ!?おいこら、尻尾を振るうんじゃあない!」

 

 女児を立ち上がらせようとする女は、しかし気が立った蛇のように激しくのたうち回る『尻尾』にペチペチと叩かれて辟易として呆れ返る。

 

 そう。子供の、その臀部から当然のように伸びる鱗に覆われた『尻尾』に。

 

 良く見れば周囲の児童らもまた唯人ではない事が分かっただろう。誰も彼も、明らかに人間には存在しない器官が存在していた。尻尾は無論、頭に生える多種多様な耳や背中に羽のようなものがある者、あるいは獣毛や羽毛、鱗のようなものが生えていたり、爪や歯が異様に鋭い者もいる。

 

 それは正に人と魑魅魍魎の血を宿す存在……半妖であった。半妖の、子供。そしてそれはまた彼ら彼女らを甲斐甲斐しく世話する女もまた同様であった。

 

 幻術で目立たぬが、その道に通じている者であれば彼女の身体から生えている狸のような尻尾と耳を目撃出来た事だろう。化狸の半妖……それが女の正体であった。

 

「ほら、立ちなさい。……安心しろ。怪我は其れほど深くはないぞ。少し擦り剥いただけだな」

「ううぅ……」

 

 泣きべそをかく幼子をそう慰めて、化狸の女は傷口の汚れを落とす。

 

「一旦、院に戻るぞ。綺麗な水で傷口を洗い落とさんとな。消毒も必要だ」

 

 子供は風の子とも言うし、ましてや半妖ともなればこの程度の怪我ならば唾を付けておけば化膿する事はあるまい。それでも女は念には念を入れて治療をしようと泣きじゃくる女児の手を繋いでとんぼ返りで帰宅する事を決めていた。周囲の子供らも呼び集めて一時撤退とする。

 

「やあ!!ひぐっ、あたしかえらないもん!!」

 

 当の泣きじゃくる女児が大声で空気も読まずに反対したが。

 

「こら。大人の言う事はちゃんと聞きなさい。そんな我が儘を言うから転んだんだぞ?」

 

 繋いだ手を引っ張って、何ならば尻尾もブンブンと振るって嫌々と宣う女児に、女は叱りつける。幼いから自分勝手してもらっては困る。支援もあって以前よりも環境は良くなったとは言え、この世界は半妖にも子供にも弱者にも優しくはないのだ。

 何が理由で命を失うか知れない。女児を躾るのは決して感情的な理由からではなかった。

 

「うぅ、やあ!!かえらない、かえらないもん!ひぐっ、わたしもおしごとするもん!!おかあさんのおてつだいするもん!!」

 

 それでも当人は尚も食い下がるように嫌々と全身で意思表示をする。この子は孤児院で育てる餓鬼共の中でも特に頑固な事を知っていたから女は困り果てる。困り果てるが、其処は大人として妥協は許さない。

 

「駄目だ。皆で一緒に帰るぞ。……このまま血が流れ続けたら足を切り落とす事になるぞ?」

「ひっ!?」

 

 脅すようにそう言ってやれば途端に元気良く動き回っていた尻尾が萎れたように下がる。顔を真っ青にして怯える女児。

 

「もう追いかけっこは出来ないだろうな。勿論お出掛けも出来ないぞ?大変だなぁ、怖いなぁ」

「かえる!わたしおうちにかえる!!」

 

 態とらしくそんな風に宣えば、打って変わって帰宅に賛同する女児。卑怯卑劣と言う勿れ。幼い子供は段階を踏んだ論法で諭しても理解出来ぬ事も多い。単純に感情を攻める方が有効な場合もあるのだ。

 

「そうか。それは良かった。……なぁに。仕事はまた別の時に手伝ってくれたら良い。自分が大変な時に他人の心配をするもんじゃあない」

 

 そうでなくても、子供が大人の心配なんてするものではないのだ。子供なんてものは大人を食い潰して成長する存在なのだから。

 

「さぁ、行こうか?」

「……うん」

 

 そうして、愚図りながらも手を引かれて素直に帰宅の途に就く女児。しかし途中で思い出したかのように女児は足を止める。

 

「どうした?」

「……ひぐっ、あのね?わたしね、ちゃんとかえるけどね?けどね、わたしたにんじゃないよ?わたしはね、おかあさんのこだよ?」

 

 泣きながらも、それだけは譲れないとばかりに女児は宣言する。精一杯に、訴える。

 

「あぁ。そうだったな。ご免な、許しておくれ」

 

 一瞬ぽかんとして、しかし直後に彼女は微笑んで謝罪した。女児ははにかんだ。

 

 ……途端に周囲の餓鬼共にも一斉攻撃とばかりに自分が己の子だと訴えられて、また辟易したが。

 

 そんなこんなもあって決して長くない帰り道を歩む女と子供達。餓鬼共の脈絡のない話に受け答えしながら進む彼女は、そして孤児院の前門に回った所で足を止める。

 

 前門に佇む騎乗する二つの人影に警戒する。

 

「あれは……」

 

 隠匿された霊気と妖気の、ほんの僅かな気配に緊張して、しかしそれが誰なのかを直後に女は理解する。ほぼ同時に騎乗する人影の片方が馬から下りて此方を向く。向いて一礼する。

 

「……おかあさん?」

「どうやら客人が来たらしいな。……古い、友人だ」

 

 泣き腫らした眼で首を傾げる女児の呼び掛けに孤児院長は、元陰陽寮の頭たる吾妻雲雀は呟くように答えた……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーー

 鬼月家の、より正確には其処の二の姫からの支援を受けて建てられた孤児院兼寺院たる慈生院、その応接間にて吾妻雲雀は客人を出迎えた。

 

 扶桑国陰陽寮頭、霧草厳正を歓待した。

 

「客人を待たせて済まない。畑仕事をしようとした矢先に小娘が怪我をしてしまってな。手当てをしていた」

「いえ、此方こそ急な訪問申し訳御座いませぬ。御迷惑であられましたでしょう?」

 

 入室早々に客人に謝罪した吾妻に、客人は遠慮がちに頭を下げる。

 

 くぐもった声音であった。声質からは三十から四十代程の印象を受ける。室内でありながら黒い外套を着込む故にか顔立ちは殆ど窺えない。一見すれば何処か不気味にも思える雰囲気を与え、それでいて直後には忘れていそうな妙に印象に残りにくい奇妙な存在感を醸し出していた。

 

 尤も、その実は半ば人間ですらないのだが……しかし、そんな異形な人物に対して吾妻は畏れる事はなかった。それだけ彼女は彼の事を良く知っていたのだから。寧ろ謝意を示す。

 

「それこそまさかだ。……歳暮は助かる。援助はあるがそれでも余り小僧共には贅沢はさせてやれなくてな。来年の元旦は旨い物を食わせられて助かるよ」

 

 吾妻が言うのは、此度の訪問に際して客人が粗品として贈呈した品物の事を指していた。塩漬けの数の子に昆布、味噌に鏡餅、年の瀬が迫る中でそれらの品々は小僧共を養うために己の財貨を切り売りする事も多い吾妻にとって最高の贈り物であった。

 

「いえ、あの程度の物は……お喜び頂けて幸いです」

「ふっ。余りそんな事を言うな。謙遜は美徳だが、度を過ぎればただの嫌味になるぞ?ほれ、受けとれ」

 

 客人の態度に肩を竦めた吾妻は、そのまま盆を手前に差し出す。安物の木彫の盆の上ではこれまた安っぽい湯呑が置かれている。その中身は湯気を放っているが色はない。白みがかった透明色、それはつまり……。

 

「生憎、我が家に茶葉なんて洒落たものはないからな。……白湯で構わないな?」

「はっ。有り難く受け取らせて頂きます」

 

 吾妻の確認に対して、陰陽寮頭は恭しく礼と共に湯呑を受け取る。

 

「おいおい、だからそう畏まるな。今の私は官位も持たぬ唯の孤児院の長なんだぞ?陰陽寮の頭がそんな態度を示すものではない」

 

 己の後任にして、後輩、そして古い戦友たる現陰陽寮頭に対して吾妻は苦笑しながら注意する。

 

「さればこそで御座います。己が前任者に対して礼節を尽くすのは当然の儀礼。何卒御容赦を」

「相変わらず頑固な奴だな。せめて世間体は気にしろ。宮中では皆が皆好意的に見てくれる訳ではないぞ。……して、同行するアレは?」

 

 呆れたように宣い、序で興味深げに吾妻は尋ねる。吾妻の視線の先にいるのは応接間の外、庭先にて若干退屈そうに佇み控える一人の退魔士の姿であった。

 

 十代半ば程の、貴意の強そうな眼帯を巻いた少女退魔士……。

 

「もしや……今更に春でも来たか?ふふふ、お前が同行させる奴と言えばどれもこれも花のない輩ばかりだったろう?」

 

 そしてそのまま勝手に考察して見せて、改めて吾妻は本人に尋ねる。実際、眼前の戦友が堅物で融通が利かぬ事も、それがあって近寄り難い雰囲気を纏い中々浮いた話の一つもない事も彼女は承知していた。特に仕事で誰かを帯同させている時なぞ、大概むさい男連中ばかりだったもので……。

 

「御冗談を。……強いて言えばご紹介をと考えまして。月見家出身の新任第六席です」

「六席?……退魔七士のか?」

 

 吾妻は嘗ての戦友の言葉ににやつかせていた表情を途端に険しくさせた。訝しげに眉を寄せた。

 

「……少し静かに話したいな」

 

 吾妻は直後に触れる事なくすっと障子を閉めた。そして防音の結界を展開して、周囲に潜む式神の有無を確認してから、改めて口を開く。

 

「月見家出身の退魔七士六席、か。これはまた……」

 

 退魔七士、公文上の正式名称を『朝臣退魔職七士長』……それは今より凡そ千年前、都を脅かした四凶の怪物共を討伐するために、時の帝たる康武帝が朝廷に仕える退魔士達から手ずから選び抜いた七人の精鋭達を指す。

 

 そして彼ら彼女らは帝からの勅命をほぼ完全に全うして見せ、以来この称号は時の移ろいと共に代替わりを重ねつつも今代まで絶える事なく続いていた。その刻の陰陽寮に所属する最高峰の実力を有する退魔士七人としての名誉と共に。

 

「無論、見方を変えれば唯の名誉称号以上のものでもないのだがな」

 

 吾妻雲雀の口上は、決して嫌味の類いではなく確かに事実の一側面を突いていた。『退魔七士』の称号は多くの退魔士らにとって、そして民草にとって寮頭に次ぐ陰陽寮の頂点として畏敬の念を想起させるが、それは若干誇張した認識であった。

 

 実際問題、『退魔七士』らは精鋭である事に間違いない。しかしそれはあくまでも陰陽寮に常勤する退魔士らの中で、という制約の中での事だ。嘗てであれば兎も角、今の退魔士家は自分達の血脈の最高傑作を必ずしも官人として出仕させる訳でもない。恐らくは、徹底的に探せば七士と同等の実力者を擁する家は、あるいは隠す家は十を越えるであろう。その意味では彼ら彼女らは隔絶した実力を有するとは言えない。

 

 ……無論、平均的な退魔士からすれば十分過ぎる以上の精鋭である事は事実であろうが。

 

 今一つの理由としては、七士はあくまでも現場組の専門家に過ぎないという事もある。化物退治を主体とする陰陽寮とて御役所である事に違いはない。寮頭の下には次席たる助・允・大少属、そして博士と称される責任者の下で教育や研究、封印、警備等を司る幾つもの部署と役職が存在する。

 

 中には財務や人事等、霊力を持たぬ唯人だっており、曲りなりにも太平の時代が続く今の時代では彼らの責任と権限もまた現場組以上のものがある。その意味で、所詮『退魔七士』の名声と、その実態には大きな乖離が存在した。極論すれば箔付け以上の意味合いは薄いものであった。

 

「とは言え、それでも限度というものがあるだろうに。月見家の六席……『退魔七士』の称号は世襲ではないぞ?」

 

 月見家と言えば赤穂家と共に西土の大名門、初代退魔七士第六席を輩出した魔眼と瞳術の権威である。其処出身の小娘を第六席にとは……懐古趣味も甚だしい。

 

「前任はどうした?蓬蓮上人は?」

 

 吾妻は己が陰陽寮を退く前から長らく第六席であった老僧の名を出す。僧職としても、教育者としても、教養人としても名高い上人は、しかし退魔七士に列せられるだけの十分な実力者でもあった。並大抵の凶妖なぞその取り巻きごと一掃して見せる事容易な退魔士であったのだが……。

 

「齢が齢という事もありまして…元々数年程前より一線を退きたいと言う上人の要請があったのです。我々としては次の候補者が見つかるまではと上人を説得し留め置いてはいたのですが……どうやらその話が伝わって彼女を次の候補に、と」

 

 上人は吾妻達とは違い霊力こそあれど純粋な人である。霊気によって、霊術によって多少延命は可能であるがそれにも限界はある。齡一五〇歳ともなれば引退を希望するのも已む無しである。だが、その後釜に経験不足な十代を押し込む等と……。

 

「やられたな。大方陰陽寮に対する影響力を高めるためであろうが……何処の殿上人の思いつきだ?」

「左大臣殿から直々の推薦によるものです。近頃は妖関連の事件が多く内裏と民心が動揺している故、上人に代わり歴史と伝統ある一族より若き才人を、と」

 

 陰陽寮頭の答えた此度の人事の提案者の名に吾妻は意外とばかりに驚き、同時に表情を渋くさせ、複雑な感情をまぎらわせるように白湯を一口含む。

 

「むぅ。無論、月見が送り込んだからには血族の傑作なのだろうが……余りにも若過ぎる。経験は足りているのか?」

 

 吾妻の懸念は当然のものであった。あの月見家が自家の顔としてその任命を承諾したのだ。恐らくは相当の自信とそれに違わぬだけの霊力と異能を有しているに違いない。しかし……。

 

「我らの職務は何れだけの霊力、何れだけの異能があろうとも死ぬ時は死ぬ類いのものであるからな。内裏から追われた老害の戯れ言と言えば其れまでの事だが……あの年で年季の入った妖共の狡猾な罠に対応出来るものなのか?」

「実技試験において合格判定は出ましたが……」

 

 歯切れの悪い陰陽寮頭の言葉。つまり、そういう事なのだろう。どうやら眼前の戦友もまた、あの娘には少々荷が重いと感じているらしい。

 

「詰めが甘かったか?」

「はい。最後の最後に試験官を務めた第三席に一本取られました」

 

 事前に用意された幾多の魑魅魍魎、凶悪な罠、理不尽な呪術の数々を悠々と殲滅し、潜り抜け、祓い退けた月見家の候補は、しかし試験監督官たる退魔七士第三席、相生家の『槍聖』が合格宣言の直後に仕掛けた情け容赦ない不意討ちには対応出来ず、当然のように背負い投げを食らって昏倒する羽目となった。

 

「私なら大幅減点にするが……それでも合格にしたのか?」

「同席する左大臣と納言方が擁護致しましたので」

「成る程な」

 

 必要に応じて帝を含めた殿上人の護衛も務める関係上、『退魔七士』の人事・試験の合格判定には陰陽寮頭の他、大臣や納言もその判定官として関わる。寧ろ彼らの影響力の方が大きい位だ。仮に陰陽寮頭が反対しても彼らが揃って賛同したら此れを覆すのは容易ではない。

 

「本来ならば私一人となっても強く反対するべきだったのでしょうが……」

「いや、お前は間違っていないよ。此処で反対しても陰陽寮の立場が浮くだけだしな」

 

 渋い口調で後悔の念を口にする陰陽寮頭に吾妻は擁護の言葉をかける。下手に意固地になって、翌年の予算を減らされては敵わない。

 

「……まぁ、決まってしまったものは仕方あるまい、か」

 

 腕を組んでの嘆息、そして吾妻は続ける。

 

「最後の不意討ち以外はそつなくこなしたのだな?ならば許してやれ、余り軽く扱ってはやるな」

「はっ。ですが……」

「心配は分かる。だからだ、暫くは単独で動かさず周囲が補助してやれば良い。まだ若い、経験を積ませれば地位にあった心構えも出来よう。誰だって最初から上手くは出来んものだ……と言うよりもお前、私の評価を聴くためにアレを連れて来たな?」

「……恐縮で御座います」

 

 詰るように、それでいてふざけるような吾妻の問いに、深々と陰陽寮頭は頭を下げた。つまりは是、という事である。

 

「ふっ、少し見ない間に随分と厚かましくなったものだ。心強いよ。……そう言えば北土の方で色々面倒事が起きたそうだな?」

 

 戦友の態度に苦笑しつつも微笑む。そして直後に思い出したかのように彼女は尋ねた。尋ねながら、手元の湯呑に再度口をつける。

 

「耳が早い事ですな。何処かの退魔士らから聞きましたので?」

「いや、向こうに預けている子がいてね。この前届いた文からな。……あの山姥を仕留めたとか?」

「正確に言えば無力化した、というべきでしょう。最早皮と骨だけの存在と成り果て、封符と鎖とで某所での封印処置は完了しております」

 

 北土に突如として現れて、挙げ句にはその眷属を以て郡都まで襲ったかつて空亡が旗の下に集った凶妖が一体。長らくその存在を示唆する情報もなかったものであるが……いったい全体何処に潜み、どうして今頃になって出てきたのやら。

 

「それは結構。お前は知らぬだろうがな。あの山悪神には随分と嫌な思いをさせられたものだ。大乱の頃、斥候の任で幾度かそれらしい姿を見た事がある。大乱が終わって直ぐの時には特別に討伐隊が編成されたとも聞くが結局討ち果たす処か何処に逃げたのかも知れず終い。私もかなり悔しかったが……」

 

 目を閉じて、追憶するように吾妻はぼやく。討伐隊には彼女の顔見知りもいた。残念ながら躯どころか形見の一つすらも拾えず終いであったが……これで少しは慰めになったであろうか?

 

「文によればなまはげの腕も討ち取ったと聞く。中々の成果だな。噂が流れぬのが不思議な位だ。朝廷の威光を示す上で恰好の材料であろうにな?」

 

 探るような狸の言に陰陽寮の頭は肩を竦める。

 

「やれやれ、厚かましくなった等と……そういう貴女様は何時まで経っても意地が悪いですね。其処まで聞いておられるのでしたら答えは御知りの筈でしょうに」

 

 陰陽寮頭は苦笑する。そして、改まって事の経緯を説明した。

 

「朝廷も此度の案件についは少々困惑している嫌いがあるようです。元はと言えば怠慢と失態からのものですので」

 

 陰陽寮頭は説明する。なまはげの監視任務がどのように形骸化していたか、それと協同する朝廷の地方行政が何れだけ腐敗していたのか、稗田郡都の攻防戦における醜態に、最後の予期せぬ形での山姥討伐を……。

 

「ある程度聞いてはいたが……誰も彼も良くぞここまで怠慢に怠慢を重ねたものだな。幾つ村が潰れたのやら。朝廷が大っぴらに宣伝しないのも道理だな」

「はい、一件落着したのは非常に幸運な事です」

 

 結果良ければ全て良し、等と言う言葉もあるが此処まで不始末を重ねて最後の最後に現場が収拾をつけたとなれば朝廷からしても愉快な話ではあるまい。下手に宣伝したら自分達の失態が暴かれかねない。沈黙するのも已む無しか。

 

「して、後始末は如何に?」

「各退魔士家に対する処分は実質不問とする事になりました。数が多過ぎる事もありますし、実害はこれ迄然程無かった事もあります。何よりも鬼月家に先手を打たれました」

 

 鬼月家は事件の発生から終結迄の短期間の内になまはげ監視の役務を受けていた二十余りの退魔士家を取り纏めて集団交渉の席を拵えて見せた。先日現地に出向いた中納言は一家一家訪問して圧力をかける予定であったがその前提は崩れてしまった。結果として朝廷からの彼らに対する処遇は形ばかりのものに骨抜きにされてしまったらしい。

 

「中々の手際だな。公家からすれば北土の退魔士家に干渉する絶好の機会を失って苦々しい事だろうな」

「それどころか鬼月家は橘の商会に渡りをつけて朝廷と各退魔士家に恩を売り付けております。山姥の件もあり、正に禍を転じて福と為したようです」

 

 鬼月家が橘商会と繋がりがある事はそれなりに知られてる事実だ。

 

 そして此度の案件でなまはげが巡回する各郡の備蓄すべき物資の多くが書類上にしか存在しない事が明らかになった事、その補填として橘商会が当座に必要な物資を殆ど儲けのない値段で朝廷に提供した事実、それが鬼月家の口添えによるものであったこともあって朝廷は鬼月家を無下に出来なくなった。それどころか間接的にとは言え鬼月家は山姥討伐のために貴重な武器まで提供した。

 

「先年の騒動は聞き及んでいる。霊脈で結晶化した特上の翡翠の塊だ。幾らでも使い道はあろうが……まさか周囲の妖力を根刮ぎ吸引するのに使うとはな」

 

 妖気等という不純物を大量に取り込んだ翡翠では、その用途はかなり限定される事になろう。ある意味希少ではあるが好んで取り扱いたい者はそう多くはあるまい。

 

「件の作戦では途上で合流した軍団兵も協力させておりますれば、朝廷の面子にも配慮したと言えます。ここまでされれば譲歩せざるを得ないというのが御上の判断でしょう」

 

 なまはげ捜索のために分離した鬼月家監視団の別動隊はなまはげと山姥双方の存在を確認すると途上で合流した軍団と協力、翡翠で以てこれを誘き寄せ潰し合わせ、翡翠自体をも利用して山姥を無力化、更にはなまはげの腕をも確保して献上した。

 

 その代償として陽動と足止めを実行した軍団が壊滅したのは、寧ろ朝廷にとっては僥倖ですらあっただろう。朝廷の怠慢、無策、無力、堕落を糊塗して花を持たせる事が出来たのだから。鬼月家自体も集団交渉に持ち込まれ立場を失い、宴席で憮然としていた納言に謝意を示して立場に配慮したという。

 

「流石八百年続く北土の名門だ、中々上手くやる事だな。中央との付き合い方というものを理解している」

 

 朝廷は退魔士家を圧迫する圧政者であるが、同時に擁護者であり、何よりも猜疑心の強い組織だ。離れ過ぎても敵視し過ぎても、媚びを売りすぎても深入りし過ぎても破滅しかねない。その点で鬼月家の態度は絶妙な塩梅であるように吾妻には思えた。

 

(心配していたが……預けて正解だったかな?)

 

 吾妻の脳裏に過るのはほんの少しの時間であれ己が保護していた白狐の少女の姿である。月一度程の割合で文が届くが苦労する事はあれどもどうやら本人は向こうの生活に満足しているらしく、此度の案件の顛末を見ても鬼月家という大家に身柄を任せたのは正しかったように思われた。

 

「吾妻殿?」

「ん?いや、何でもない。少し考え事をしていただけだ」

 

 突如沈黙した吾妻の姿に訝しげに呼び掛ける陰陽寮頭。しかし吾妻はそんな彼に対して苦笑するのみであった。

 

 そしてその後も暫し両者は雑談を続ける事半刻近く……手元の白湯を二回程お代わりした所で、盆の上に湯呑を置いた吾妻は漸く話を切り出した。

 

「さて、と。そろそろ餓鬼共の飯の支度をせねばならん頃だな。悪いが御暇をして欲しい所ではあるが……それで?霧草、私の元に来た本題を聞かせて貰えるかな?」

 

 吾妻の切り出したその言葉に場は一瞬静まり返る。そして……覚悟を決めたように霧草はその行動をとった。

 

「吾妻雲雀殿……いえ、義姉上様。お願いで御座います。何卒、今一度朝臣として陰陽寮に復帰をして頂けませぬでしょうか?」

 

 畏まった姿勢で、文字通り床に付く程に頭を下げて、陰陽寮頭は要請する。前任者の協力を依頼する。嘆願する。

 

「………」

 

 戦友であり、弟同然に可愛がっていた同胞の言葉に、しかし吾妻は無言であった。当然であろう、一度は朝廷から官位も席次も奪われて追放された身の上である。それを今一度帰還して協力をして欲しい等と後釜に言われて見ろ。誰であろうとも不快になるのは当然の話であった。

 

「何卒……!!」

 

 分かっている。分かっているのだ。それでも、霧草は嘆願せざるを得なかった。長らく陰陽寮における一退魔士として、ただただ永い時を生き、大乱の時代を知り、経験が豊富なだけを理由として吾妻の後釜となった彼には、しかし今の役職は身の丈に合わぬ重荷であった。

 

 それを情けなく思っていて、しかし己の領分ではこれ以上は務まらぬ事も分かっていて、だからこそ、彼は吾妻に、己の先達に、己の姉貴分に向けて助けを求めた……。

 

「……ふぅ。弟分に頼られるのは悪い気はしないのだがな」

 

 困り果てた吾妻の言葉は、霧草の表情を歪ませた。口元を強く結んで、目を閉じる。彼女との付き合いの長い彼だからこそ分かる。吾妻の心中を。その答えを……。

 

「御無理を申し上げている事は理解しております。御迷惑をお掛けしている事もです。ですが……」

「それ以上は言うな。お前の苦労は良く分かっている。生真面目なお前にはやはり宮中の政は肌に合わんだろうな」

 

 寧ろどうしてこいつが己の後を引き継ぐ事になったのか、吾妻には不思議に思えた。

 

「私が長らく寮頭の地位にあったのは帝への義理立てであったのでな。私を推挙して下さった玉楼の帝、以来六代の帝……どの御方も私の身分に対して蔑む事なく応対して頂けた」

 

 嘗て程ではないが、今も尚霊力持ちは恐れられ、疎まれる。半妖に至っては侮蔑する者も少なくない。宮中であれば尚の事である。

 

 彼女からすれば陰陽寮頭の地位は殊更に執着するものではなかったが、それでも仕えた歴代の帝は彼女に対して侮蔑の視線を向ける者はいなかったし、専門家としての彼女の言葉を尊重し、労いさえした。

 

 だからこそ、彼女もそれに応える事は吝かではなかったし、それ故に先帝を呪殺から守れなかった事、陰陽寮から不祥事を引き起こしてしまった事への責任は重かった事も理解していた。処断されても文句は言えない。今上の帝の即位による恩赦の対象となった事、官位を取り上げられて都の壁の外に追放されただけで済まされた事は温情であった事も分かっている。

 

「それに壁の外に追放された事で見えて来るものもある。小僧共との生活も悪くはないものでなぁ」

 

 吾妻にとって、捨てられた半妖の子供がこれ程多い事は驚きであった。退魔士として朝廷の威光に従わぬ半妖の盗賊や罪人の始末をしてきた事もある。嘗てはその事に然程関心はなかったものであるが……今の吾妻にとって、孤児らを育てる事は扶桑国に対して今の己の出来る役目であり、これ迄無関心だった同胞に対する贖罪でもあった。そして今では楽しみでもある。

 

「まだまだ悪餓鬼共だが……背丈も高くなった。色々と教えるのも楽しくてな。自分勝手な輩だが手伝いをしようという気概もあるしな公家連中に気兼ねする必要もなくて気楽なものさ」

 

 ははは、と笑う吾妻に霧草は苦し気な表情を浮かべる。浮かべるが……下げた頭は上げない。いや、その表情を見せぬためには上げる訳には行かなかった。この場でそのような表情を見せつける事が何れだけ卑しい行いなのか、彼は理解していた。

 

「一年、待ってくれないか?」

「!?義姉上様っ!!?それは……!!」

 

 吾妻の発した言葉に、霧草は思わずその顔を上げる。あからさまな程に驚愕して、動揺すらする。

 

「こら、落ち着け。……陰陽寮頭ともあろう者が情けないぞ?」

 

 そんな弟分を宥めて、一拍置いて吾妻は口を開く。

 

「復帰するとは言っても、流石に頭にはなれぬぞ?精々が顧問といった所であろうな。……そも、私を引っ張るだけの後ろ楯はあるのか?」

 

 疑るように吾妻は問う。幾ら陰陽寮頭が復帰を望んでも宮中の公家らの意向に背くのは難しい。誰か、引っ張り上げるだけの権限を持った擁護者が不可欠であった。

 

「そ、その点でありましたら御安心下さいませ!此度の提案につきましては右大臣殿に御賛同して頂いておりまする。もし必要とあらば、委細の調整は自身が責任を受け持つと、委任状もお請けしております!」

「右大臣殿がか?……それだけ事態を重く見ているという事なのか?」

「ここ数年、妖関連の大きな事案が頻発しておりますれば……懸念に備えるべしと」

「そうか……ならばやはり断る訳にはいかぬな」

 

 弟分からの説明に、吾妻は深刻な表情を浮かべて腕を組む。歴代の右大臣が謀大臣と呼ばれる所以は些細な異変にすらも反応して最悪を想定して事態に取り掛かる故の事。そして事実、歴代の右大臣の備えと懸念の少なくない事例でそれは実現してしまっていた。

 

「右大臣殿には先程伝えた通り、一年程は待って欲しいと伝えてくれ。……それと余り大仰な地位は要らぬともな。あくまでも私は寮頭の補佐と助言のために出仕するのであって、名誉挽回のためではない、と」

「義姉上様……いえ、承知致しました。そのように右大臣殿には御伝え申し上げます」

 

 吾妻の言葉に僅かに寮頭は顔を歪めるが、直ぐに恭しく頭を下げて承諾した。

 

「構わんよ。可愛い弟分の頼みだ。それに……右大臣殿が私の復帰を求めるというのならば、それだけの警戒があるのだろうさ。小僧達のためにも私に出来る事はしたい」

 

 今の扶桑国は未だ半妖に対して差別はあるが、古の昔程ではない。しかし今後何か大きな事件が起これば……扶桑国の不安定化による不平不満が子供達に向けられる恐れだってあるのだ。

 

「義姉上様らしい物言いですな。……では御言葉通り、そろそろ私も失礼致しましょう」

「うむ。見送ろう」

 

 霧草が、それに続いて吾妻も立ち上がる。二人して応接間から退出する。

 

「瞳、用は済んだ。内裏に帰るぞ。……何をしている?」

 

 縁側に出て、庭先に待機していた連れに呼び掛けた陰陽寮頭は、直後に珍妙な物を見たかのように眉を顰めて首を傾げる。

 

「り、寮頭殿……!?いえ、こ、この小僧共が!?」

「ねぇねぇ、おねーちゃんどんなあそびがすきー?」

「おほんよんでよー!」

「なにしにきたの?」

「なんでかためかくしてるの?ちゅーにびょー?」

「もうおそいよー?ごはんいっしょにたべるの?」

 

 庭先では孤児院の年少組の子供らによって若い退魔七士の六席が包囲網を敷かれて困惑していた。年長組がどうにか引き離そうとしてはいるが、興味が先行するちびっ子共は本能に従い混乱する六席に対してひたすら質問攻めを仕掛けて、衣装や手を彼方此方へと引っ張る。

 

 六席からすれば乱暴に振り払う訳にも行かず、さりとて持ち場から離れる事も叶わず途方に暮れているようであった。

 

「こらっ!お前達!!客人に粗相をするでない!!」

「「「うきゃー!?」」」

 

 小僧共の無礼な振る舞いに吾妻が叱責の言葉を叫べば、先程までのしつこさが嘘のように年少組の子供らは蜘蛛の子散らして一斉に逃げ出した。その光景を見て、六席は事態の変化について行けずに唖然とする。

 

「え、えっと……?」

「六席。重ねての命だ。用事は済んだ、帰還の準備だ、厩に向かえ」

「は、はっ!」

 

 彼方此方を見渡して混乱していた六席は、しかし上司の命令を理解すると慌てて応答して厩へと向かう。この孤児院に向かう際に乗っていた二頭の馬は其処に預けていた。

 

「……やはり心配になるな」

「面目次第も御座いませぬ」

 

 嘆息する吾妻に陰陽寮頭は謝罪する。何処までも沈痛な謝罪であった……。

 

 

 

 

 

 

 

「では、改めまして此にて」

 

 準備を終えて、孤児院の門前にて騎乗する陰陽寮頭は吾妻に去り際の最後の挨拶を行う。

 

「うむ、道中気をつけてくれ」

「はっ」

 

 一礼と共に陰陽寮頭が、そして続くように付添の月見家の退魔士が馬を走らせて立ち去っていく。その後ろ姿を、吾妻は暫しの間見送る。

 

「さて、と。飯の準備をせんとな。畑の収穫は……仕方あるまい。一日位後回しでも良かろう。やれやれ、母親と言うのは忙しい事だ」

 

 ははは、と何とも言えぬ苦笑いを浮かべながら吾妻は孤児院の中に戻ろうと門を潜る。そして先程の弟分の訪問と語らいを思い返してふと、宮仕えしていた頃の記憶を追憶する。

 

「そう言えば……」

 

 吾妻の脳裏に過るのは現陰陽寮頭と共に弟のように思っていた彼の事であった。

 

 そう、吾妻は彼の事を良く覚えていた。両親を含む一族郎党の多くを幼い頃に失い、陰陽寮に直接引き取られた。寮頭として親代わり姉代わりに世話をしてやり、師として退魔の技術を指南してやったものだ。己の右腕として信頼し、御家の再建にも口添えしてやった。助職と理究院長の役務を推薦したのも彼女だ。

 

 そして、そんな己を裏切り失脚の一因となって……。

 

「失脚自体は別に怨みはしないが……」

 

 部下達の道を踏み外させたのは、それに気付けなかったのは上司たる己の落ち度だ。そうでなくても帝を御守り出来なかったのだ。失脚は免れなかったろう。

 

 しかし、吾妻の心中にあるのは己の後継として見込んでいたあの男の未来を失わせた事への後悔であり、その後のあの家の者達への仕打ちであった。特に後者には吾妻は無力で……。

 

「あの馬鹿者め。今は一体何処で何をしているのだか………」

 

 吾妻は夕暮れ近くの空を見上げると愚かな弟分の、松重一族の長老に向けて小さくそう罵倒するのだった…………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

「くしゅん!……ふむ、誰か儂の悪口でも話していたかな?」

『クゥーン?』

 

 松重道硯は咄嗟にくしゃみをすると、鼻を啜りながら背後に控える源武に向けてそんな事を嘯いた。当の声を掛けられた鬼熊は主人の言葉に対して何とも言えない表情で首を傾げるのみであったが。

 

『ギャ゙ア゙ア゙オ゙オ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙ッ゙!!!??』

 

 と、突如として鳴り響くけたたましい咆哮に、気が付いたかのように翁は正面を向き直る。

 

「ん?おぉ。済まぬ済まぬ、余所見をしてしもうたな」

 

 呑気とも思える口調で翁はその咆哮の主に向けて態とらしい心の欠片も籠らぬ謝罪をした。

 

『グオオオッ!!?何故ダ!?何故コノヨウナッ!!?我ノ力ヲ借りヨウト召喚ノ儀式ヲシタノデハナイノカ!!?』

 

 南蛮式の魔法陣が描かれた床の上でそれは片言で叫ぶ。その全身を無数の封符に鎖によって囚われ拘束された怪物……悪魔であった。

 

 正確に言えばその姿は牛と羊と人を合成したような出で立ちだった。更に言えば足は鵝のように歪に曲がっていて、蛇のような尻尾で激しく周囲の本棚や家具を叩き潰していた。

 

 嘗て、西方帝国の皇帝は大規模な遠征をしたという。目標は西方の主要な七二の霊脈。それらには其々に根城とする神格がいたが、皇帝は己の軍勢と賢臣の助言を以てそれらを悉く罠に嵌め、妖魔にまでその神格を貶め、特注の禁書の内に封じ込めたとか。西方帝国は以来、時にそれらの悪魔を召喚して利用して、しかしその大半の時間を本の内に閉じ込め続けた。そして帝国崩壊後はある柱は封印を脱して魔王として君臨し、ある柱は本に閉じ込められたまま帝国国内外に散逸した……。

 

「ふむふむ。その造形……正しく西方七二柱が第三二階の悪魔殿ですな?」

『分カッテイルノナラバサッサト我ノ拘束ヲ解ケェェェェッ!!?』

 

 手元の、その散逸した禁書の一つを手にして悠々と、そして呑気に問い掛ける翁。対して悪魔は、堕ちた神格は悲鳴と共に翁に向けて叫ぶ。命令する。召喚に応じて禁書の内から飛び出して見ればこの仕打ちである。幾ら悪逆無道な悪魔でも怒鳴りたくもなる。

 

「ほほほほっ!」

『ギャァァァァァァ!!?フザケルナ糞爺ガアアアァァァァァ!!??』

 

 悪魔の怒声に気にせずお清めの塩と酒を拘束する悪魔に振り撒けば、肉が焼けるような蒸気が広がり、悲鳴は一層高くなる。何なら背後の源武がヨッコイショとばかりに一生懸命桶一杯に満たされた塩と酒を行ったり来たりして運んでいた。翁は容赦なくそれらをお代わりとして悪魔にぶちまけて室内は更なる阿鼻叫喚に包まれる。

 

『ギャァァァァ!!?止メロ!!ヤメルノダアァ!!?』

 

 悪魔からすれば理不尽そのものだった。これ迄だって己を召喚しようとした人間は幾人もいた。

 

 ある時は己の力を借りようとして、ある時は己を完全に滅せんとして。己を邪神として奉ろうとした者や、偶然に召喚してしまった者もいる。その場その場で悪魔は召喚者を殺して、あるいは貶めて、知恵を授けて、あるいは封印から脱するために誘惑しようとした。しかし、招かれていきなりこれ程の理不尽は受けた事がない!!

 

『フ、フザケルナヨ猿風情ガッ!!我ヲ愚弄スル罰ヲ受ケ……ギャ!!?』

 

 口の中から灼熱の業火をぶちまけて無礼者を焼き殺さんとして、直後に熊妖怪の顎パンチが完璧な瞬間で悪魔に叩きつけられる。放とうとした火球がそのまま口内で爆発したのだ。

 

「よしよし良くやった。この書庫で火種なぞ出されては堪らんからの。後で干し肉をくれてやろうて」

『グルルルル!!』

 

 翁の褒美の言葉に熊は目を輝かせて涎を垂らす。実に単純な獣の思考であった。嘗ては山一つ、霊脈一つを支配する大妖だった誇りは何処に消えたのだか。

 

「さて、と。……幻術を使おうとするのも止しなされ。此処は儂の根城、易々と小細工は出来ませぬぞ?」

『ギャァ!?』

 

 いつの間にか変わり身を使って封符と鎖から逃れてきた悪魔だが、直後に翁が杖を振るえば書庫のあちこちに蒔いていた種から発芽した蔦が慌てて逃げようとする悪魔を四方八方から木乃伊を拘束する包帯のようにして取り押さえた。何世代にも渡って品種改良した翁特製の肉食蔦である。獲物の霊力妖力を搾り取り、最後にはその肉まで溶解液で溶かしてしまう。

 

 事前に儀式に工夫して『一部だけ』召喚された弱体化し切っている悪魔である。封符と鎖、清酒と塩、源武の顎パンチと続いてこれではさしもの元神格でも逃れきれない。

 

『ガッ……アガッ………力ガ、抜ケルゥ!?』

「ふむ。こんなものかの」

 

 身体を痙攣させて白眼を剥く悪魔の様子を観察して、翁はそろそろかと頃合いを見計らう。一応幻術や洗脳の類いをされていないか己の五感を再確認してから、翁は配下の改造妖共に命じてそれに取り掛からせる。

 

 悪魔の体液を採取する。

 

「よしよし。これで良い。……では、恐るべき七つの大罪が一つを司る悪魔の侯爵殿。儂の用は終わりましたのじゃ。大変御苦労、そろそろ御帰宅なされますよう!」 

 

 まるで発破を掛けるように禁書をパンと閉じて、慇懃無礼にそんな事を宣った次の瞬間には、召喚陣を描いていた床の石灰が四方八方から突如吹き荒れた風によって散逸する。同時に現世に体現するための契約の結び目を失った半死半生の悪魔はその姿を霞のようにしてすっ、と消えていった……。

 

「ふむふむ、よし。ではこれとこれは保管庫に。その瓶は儂の実験室に持っていけい」

 

 消え行く悪魔の事なぞ最早興味なく、翁は側に来る蝙蝠妖や蚊妖怪に、採取した悪魔の体液を小瓶等に納めて慎重な移送を命じる。序でに後片付けも彼らに命じた。

 

「これで最後の材料は揃ったな。行くぞ源武……その前にその蛇は処分してな」

『グー!!』

『ギャッ!?ヤ、止メロ!!?』

 

 禁書の内に強制送還される直前、本体から切り離して潜伏させていたのだろう蛇の尻尾が悲鳴を上げて逃げようとするが直ぐに鬼熊に捕まる。

 

『オイ!!ダカラ、糞、ヤメ……』

『グー!』

 

 そしてのたうち回って抵抗しようとする蛇を熊は床に叩きつけて伸ばし、気絶した所をそのまま頭から齧りついた。ぶちぶちと蛇の肉を護謨のように引き千切っては引き裂いて、熊の腹に収まる。

 

『グルルルル!』

 

 ぺろりと腕を舐めて腹をポンポンと撫でる鬼熊。ご機嫌そうであった。弱体化した上に更に切り離した尻尾とは言え悪魔は元神格、その味は格別であったらしい。

 

「……ん、食べ終わったかの?ならばさっさと来る事じゃ」

 

 子供のような仕草を浮かべる熊に呆れたように翁は言い捨てる。そしてそのまま老退魔士は書庫の奥へと進んでいく……。

 

 書庫の最奥にそれはあった。扉を開く。そして翁は彼女を視界に収める。

 

 寝所に臥せて顔を真っ青にした孫娘を見つける。

 

『ニャア?』

「ふむ。少しお邪魔させて貰うぞ?」

『ニャー』

 

 足元に来ていた猫又に向けて翁は尋ねる。当の猫又は掛けられた言葉を理解しているのかしていないのか、呑気に喉を鳴らしてそのまま部屋から立ち去って行く。

 

「……お爺様、ですか?一体……何の御用で?」

 

 立ち去る猫又の後ろ姿を見つめていると聞き馴染みのある、それでいて弱々しい声音に正面へ向き直る翁。顔を青白くした少女がその身体を起き上がらせていた。

 

「ほほほほ。なぁに、臥せる孫娘の容態を心配して見に来ただけの事よ。……気分はどうかな?」

「白々しい。ぐっ!?……宜しくないのはお分かりでしょうに」

 

 一瞬突き刺すような胸の痛みに呻き声を上げて、しかし翁の孫娘は、牡丹は毒づく。

 

『三尸虫』が一つ、中尸は伝承によれば人の内臓を蝕むという。あの忌々しい男がその伝承を基に開発した人工妖もまたそれを反映した効力を有する。いや、それより一層悪質だろう。

 

 伝承では二寸はある筈の三尸虫であるが、牡丹の内を蝕むそれは遥かに小さい。寄生虫程の大きさであろう。

 

 それが恐らくは大量に彼女の内臓の中で盛大に繁殖していた。牡丹の内にてその霊力を食らい、しかし宿主を直ぐに殺さぬように肉は食らわず、だがそもそもが異物である以上、それが大量に腹の中で巣くう以上肉体への負担は大きく、肉の内を蠢く故に激痛をもたらす。

 

 更に言えば、寄生されて弱る胃と腸によって日々の食事も容易ではなかった。ゆっくりと良く噛んで食べねばたちまち嘔吐してしまう事だろう。

 

「虫下し薬の類いも効果はなく、麻酔と寄生虫の活性化を抑えるあの錠剤で誤魔化す、か……」

 

 ちらりと翁は部屋の片隅、机の上に置かれた小瓶を見やる。一つで一月程効果を持つ白い錠剤は、しかしもう何錠も無かった。今では一つを更に幾つかに切り分けて呑み込み、麻酔の量を増やして症状を誤魔化す。体力をつけようにも飲食も儘ならない。それは正に確定された緩慢な死……。

 

「流石初代陰陽寮頭じゃの。儂も調べて見たが何とも錠剤の材料を把握仕切れぬわい」

 

 牡丹は、そして片手間に手伝う翁も、年単位の時間をかけても推定で五十を超える材料の半分程度しか判明させる事は出来なかった。しかもそれらの材料とて調達が困難な代物が幾つか存在する有り様だ。

 

「数少ない僥倖は御主の身体の中でしか生きられぬ、という事か」

 

 外気に触れても、他者の身体の内に入っても、直ぐに虫はもがき苦しんで死に絶え、分解されていく。完全に中尸は牡丹の身体に適応し、依存していた。

 

 恐らくは技術的な機密保持のためなのだろう、お陰様で被験体を回収するのも一苦労で、それすらも実験管の中にて観察するだけで解剖も実験も碌に出来やしない。逆説的に言えばそれによって河童のような周囲への感染は防がれていたが……そうでなければ翁はやっとの思いで潜伏していた己を見つけ出した孫娘をその場で処分していた事であろう。

 

「……今更、分かりきった事を言い出して、何なの、ですか?私も、辛いのですけど?」

 

 鋭い目付きで、そして苛立つ口調で牡丹は祖父を睨み付ける。先日、言付けを伝えた直後から牡丹は癇癪気味で、翁に対する態度もまた半ば八つ当たりだった。

 

「……そろそろ覚悟を決めた方が良いのではと思ってな」

「何を馬鹿な事を」

 

 翁の言葉に、牡丹は嫌悪感剥き出しにして即答した。

 

「主が延命のためにあらゆる手段を講じていた事は分かっておる。実家よりも陰陽寮書庫よりも、儂の元が一番禁書を読むのも実験を行うのもやり易いからの」

 

 その代価として、翁は孫娘を良い助手として利用してきた。身内だからではない、互いに利用出来る故の持ちつ持たれつの関係……しかしながら、その必死の足掻きに関わらず牡丹に残された時間はもう少なかった。

 

「あの手段は確かに前々から想定はしていました。ですが論外ですね。あり得ません」

 

 分かっている。己に迫る破滅の足音くらい。もうそれが直ぐ其処に迫っている事くらい。だが、しかし……!!

 

「このままでは復讐すらも出来ずに命絶える事になろうて。それでも良いのかの?背に腹はかえられぬぞ?」

「貴方が言いますか……!!」

 

 殺意すら含んだ鋭い視線を実の祖父に向ける牡丹。翁は無言でその場に佇む。孫娘を見つめ続ける。

 

 剣呑な空気の中で二人は互いを見つめる。翁の後ろに控える源武は居心地悪そうに縮こまる。

 

「……ぐっ゙!?悪い、ですが。今は話をする余裕なんて、ありません。今は休ませてもらいたいのですが……?」

 

 先に音を上げざるを得なかったのは牡丹だった。額に汗を噴き出して、顔を真っ白にしてその場に倒れこんで項垂れる。項垂れながらも祖父を睨み付けて退出を要求する。

 

「……そうじゃの。今の主に話しても仕方あるまいな。一旦下がるとしようかの」

 

 翁は孫娘の要求をすんなりと受け入れると淡々とその場を立ち去る。源武はそんな主人と牡丹を交互に見ながらびくびくと後に続く。牡丹は手元を翳す。扉が閉まる。祖父らの姿を遮る。

 

「ぐっ、……ふぅ」

 

 牡丹は激しく反復する内臓の痛みに暫し耐える。麻酔薬を服用する。次第に麻酔が効いて来たのか、多少痛みが和らぐと彼女は姿勢を動かし、息を整える。汗だくになった寝間着を首元から弛めて叩く。火照って汗で濡れる肌が風で冷える。

 

 そのままずるりと、力尽きたように牡丹は横たわった。ふと、天井を見つめる。呼吸する。己の心許ない胸が上下に動くのを彼女は感じる。生きている。少なくとも今は……その事を実感して、牡丹は更に深く呼吸する。

 

「……ふざけるな。そんな事」

 

 そして呟く。先程の会話について。己を保護して、多少なりとも協力してくれた祖父には感謝している。それはそれとして、祖父にも、ましてやあの男にもあんな事を言われる謂れはない。

 

 そんな筋合いはない。例え助かるためだとしてもそんな事……。

 

「…………」

 

 思わず呪詛を吐き出そうとして、しかしそれで牡丹の体力は限界だった。気付いた時には薄っすらと意識をが遠退いていく。眠気が迫る。睡魔が這い寄る。

 

(そうです。そんな、そんな事………)

 

 その選択をした先を思い、心底苦々しげに牡丹は心の内で罵倒しようとする。しかし、其処に一瞬の躊躇いが生じた時には手遅れだった。結局、罵倒する前に彼女の意識は眠りに落ちていくのだった。

 

 そして、その刹那に彼女の脳裏に過ったのは祖父の姿でも、ましてやあの憎らしい師でもなくて…………。


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