和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

114 / 180
 先日、本作が二周年を迎えました。弊作をご覧頂いております皆様のお陰です。本当に有り難う御座います。

 貫咲賢希さんより、二周年記念ファンアートを頂きましたのでご紹介させて頂きます!!
https://www.pixiv.net/artworks/100407281

 今後とも、本作を宜しくお願い致します!


第一〇一話●

 北土が退魔士家の名門たる鬼月家、その一族の面々が屋敷の議場に集っていた。誰もが重苦しく、剣呑な雰囲気を纏う。

 

「本年の上洛の期限を延長するだと……?朝廷は何を考えているのだ!!?」

『分かーんない!』

 怒りに任せて叫んだのは鬼月家の財務を司る宇右衛門であった。広い議場に反響する大声で怒鳴ると床に扇子を勢い良く叩きつける。余りにも強く叩きつけられた扇子はそのまま四散する程で、それだけ彼が激怒している証明であった。

 

「来年の夏場まで……一年に延長せよ、ですか」

「人員も増やせとは……無茶を言ってくれるものですな」

『くすくす、苦しめー』

 激昂する者を見れば却って周囲の者は冷静になるものである。それでも宇右衛門程ではないが口々に朝廷からの文を回し読みしては出席者達は愚痴を溢す。溢さざるを得ないだろう。

 

 正規の退魔士家は扶桑国における支配階級である。そしてその立場上、一族で手分けしての各所への挨拶回りに寺社仏閣での儀式等々で正月三が日どころか丸々七日を使い潰すのは毎年の事ではあった。

 

 とは言え漸く一段落したと思った矢先に都からの使者であり、帝の代理である以上は此を誠心誠意に歓待するのは当然の事であった。しかしそんな使者が横柄に差し出した文の内容を読めば、流石に取り繕っていた態度にも限界が来るものだ。

 

「逢見と商会から事前にある程度噂は聞いてはいたが……まさかここまで過分な要求が来る事になろうとは」

『もっと多かったら良かったのにねー』

 同じく鬼月家の分家当主として出席する鬼月矢島が嘆息する。

 

 三年に一度、半年に渡る都での朝廷守護の責務。それが何れだけの出費となるかは今更詳細に語る必要もない。領地での徴税や領内での呪具生産販売の認可、更には各地での妖退治の報酬……上洛はそれらによる莫大な収入があっという間に消し飛ぶ大出費であった。それは鬼月家のような比較的成功している家にとっても同様だ。

 

 ましてや、半年に規定していた滞在を更に半年延長、人員の増強の要求……出席者達が困惑するのも当然だ。恐らく鬼月家程に財政に余裕のない家はもっと頭を抱えている事であろう。

 

「何故、この時節にこのような要求を?」

「噂では右大臣が主導したと聞いている」

「謀大臣殿か。忌々しいものよ……左大臣殿は異を唱えなんだか?」

「随分と長い議論があったそうな。それでこれとは……無礼ではあるが、存外意気地の無い」

『へぇー、そーなんだー』

 長老格の者達が囁き合い、舌打ちする。仁大臣と称される左大臣の名望は北土にも聞こえるが肝心な時にこれとは……!!

 

「……鎮まれ、皆の者よ。畏れ多くも朝廷からの要請であるぞ。そのように謗るものではない」

『……』

 上座の男が議場に広がる不満を宥めた。鬼月家当主鬼月幽牲為時……目元が窪み、骨の浮き出た痩せこけた男のその忠告に皆が黙りこむ。

 

 ……尤も、半分は彼の言葉ではなくて彼自身を恐れての沈黙であったが。

 

「……隠行衆頭。仮に朝廷が要望する期間と人員で上洛する場合、必要な費えはどの程度となるか?」

「はは、それは……」

 

 当主であり、実兄でもある幽牲の問い掛けに宇右衛門は歌うように説明を始める。

 

 朝廷が此度命じた軍役は退魔士十名を筆頭に隠行衆・下人衆付せて二十名……しかしながら実際は其処に更に世話や荷運びのための雑人と人足が求められる。薬師衆も必要だ。恐らく総勢では百名を越える大所帯となろう。この行き帰りの旅費だけで馬鹿にならない。

 

 宿泊は逢見家に、あるいは人が多いので他の家か宿屋を借り受ける必要があるかも知れない。何にせよ、食費や接待費も含めたらそれだけで軽く百両は飛ぶ。都の物価は北土に比べて遥かに高い。

 

 朝廷に対する進物、都に集う他の退魔士家や武家、公家にも贈呈が必要だろう。一年の滞在とならばこれ迄同様に中元だけでなく歳暮の費用も必要だ。正月元旦等、祭事の費用は如何程になる事やら……。

 

「相当に切り詰めても最低で千両。いざと言う時の余裕を考えれば千五百両は欲しいものですな」

『へぇー、良く分かんないわぁ』

 脳内で算盤を弾き導き出した宇右衛門の予算の概算に出席者の大半が苦虫を噛み締め、呻き声を上げて頭を抱える。払えぬ額面ではない。無いが……残念ながらこれで済みはすまい。

 

「他家から文が届くのだろうな」

「でしょうな。遊馬家、真野家辺りは費えの援助を求めましょう。喜久井家もですかな?」

『もっと沢山文が来たら良いのに』

 当主の言葉に宇右衛門が頷く。鬼月家は旧家で名家で大家だからこそその膨大な出費も支払い切れる。しかし他方の家はどうか……寧ろ退魔士家は収入が膨大なれば出費も膨大、綱渡りで財政難の家の方が多いのだ。そして北土の退魔士家は血縁関係が複雑怪奇であり、そうでなくても近隣の家の没落は必然的に自家が妖共相手により一層の苦闘を強いられる未来に繋がる。見捨てる事は論外だった。無い袖でも振るわざるを得ない。

 

「……近頃は妖被害が多いですからな。各家共に体裁を取り繕う暇はありますまい」

『彼も貧乏は大変って言ってたわぁ』

 席次の端で答えるのは無貌の面の老人であった。鬼月家理究衆頭鬼月慧晴である。理究衆の長として彼は朝廷や他家と共に此処最近頻発する妖被害の増加の原因について調査しているが未だにその原因は掴めていなかった。分かるのは交流する他家が財政的に困窮しつつある事だけだ。

 

「…………」

 

 そして再度、場は沈黙する。援助、支援は必要だろう。だが……。

 

「どうやっても、現金が足りませぬな」

『あんなに金庫にお金隠してるのに?』

 宇右衛門が呻く。莫大な財産を有する資産家とて手持ちの現金はその極々一部に過ぎない。資産の分散投資という意味合いもあるが、単純に資産における不動産、土地が占める割合が高いのだ。美術骨董品や荘園の類を質に入れて金貸しから現金を借り受けるという手もあるがその場合は利息が厳しい。

 

 十一(十日で利息一割)は法外としても金融の信用が発展途上にある時代において、債務者が逃亡や暴力に訴え元本の回収すら出来ぬ事もある。その補填の意味合いもあり金貸しの提示する利息は高く設定されるものである。鬼月家もまた債権を借りてから実力行使して有耶無耶にする事は出来よう。

 

 ……実行した瞬間、また金を借し出してくれる業者は永遠に存在しなくなるが。

 

「……私が橘商会に掛け合いましょう」

『……ごりらうるさい』

 沈黙を破ったのは桜色の髪を伸ばした鬼月の二の姫君であった。周囲が緊張しながら視線を向ける。

 

「……葵。出来るのですか?」

「先方の一族のご令嬢とは親しき仲ですので」

『ぶりっこ嫌い』

 当主の傍らに控える妻……鬼月菫が此処に来て初めて口を開く。優しげに尋ねる。娘は母の問いに答える。双方共に端的で簡潔的な会話であった。その事が一層周囲を緊張させる。

 

 鬼月家当主を取り巻く妻子の複雑な関係、それを理解する者は既にこの時点で腹痛すらも覚えていた。誰もが不用意に言葉を放つ事も出来ない。

 

「御当主様。葵の言、受けてみるのが良いかと」

『……』

 援護射撃は意外とも思える方向から放たれた。キリッと背筋を伸ばした凛々しい黒髪の女が賛同の意思を示す。

 

 鬼月家当主が一の姫、雛が賛同する。

 

 見る者達からすれば実に珍妙で、不気味ですらある光景であった。鬼月家の次期当主を争う姉妹二人、一方の意見をもう一方が徹底的に否定しても良い位の関係である。それをこうもすんなりと……。

 

「……ふむ。娘達がそう進言するのであればとやかく反対する事もない、か。葵、そう申すのであればやってみよ」

『失敗すれば良いのに』

 何よりも、当主の発言に中年以上の出席者達は一様に困惑した。

 

「私からも、進言宜しくて?」

『ばばあ気持ち悪い』

 その困惑につけ入るように妖艶な声音が響く。鬼月家の黒蝶婦が微笑みながら発言を当主に、実の息子に求める。

 

「長年一族を支え、賢明で知られる御意見番殿の進言を妨げるような事はあり得ませぬ。どうぞ忌憚なき意見を」

「あら、そう。有り難う。さて……」

 

 すんなりと下りた許可に端的に謝意を口にした黒蝶婦は出席者らを見渡す。彼ら彼女らの視線が己に集まったのを確認して彼女は言葉を紡ぐ。

 

「金策について中々紛糾している様子ですわね。隠行衆頭と葵にその辺りの努力はして貰うとして、私も陰陽寮に伝がありますからそちらからも促してみますわ。……但し、問題は其処ではありませんわ」

「と、申しますと……?」

『どーいうこと?』

 互いに顔を見合わせて、出席者の一人が眉尻を上げて怪訝な表情で問い掛ける。胡蝶は薄く微笑みながら質問に答える。

 

「問題は此度の要請をした理由でしょう。つまり、朝廷からして都と央土の守護を重んじる姿勢を見せているという事。その点を忘れてはいけませんわ」

『ふぅん。良く分かんないわぁ』

 胡蝶の言に出席者らの間でざわめきが生じる。恐る恐るとその内の一人が口を開く。

 

「それはつまり、朝廷は都に危機が迫っていると判断していると?」

「馬鹿な。有り得ん。都の守護は今までのままでも万全ではないか」

「左様。過剰ですらある程だ」

『あ、そういえば……』

 胡蝶の言わんとする事に反論が飛び出すのは必然だった。その建国以来開発の進む央土は五土の中で唯一点と線ではなくほぼ完全な面による支配を確立している土である。そしてその更に中央に位置する都は周囲を多数の支城に支砦に囲われ、呆れる程の結界で内を固めていた。

 

 名のある魑魅魍魎共の殆どが消え去った今の時代、朝廷が何を恐れようというのか?慎重を通り越して臆病というべきだ。

 

「ですけれど、実際この数年妖共の関わる事案が増えている事は参列する皆さんも御承知でしょう?」

『彼とまた会えなくなるのかしら?』

 その指摘に反論出来る者はいなかった。三年半前に狐の化物が都を襲ったのは身の程知らずの愚か者の暴挙ではある。だが北土で鬼月家の関わった案件だけでも二郡を壊滅させた河童と蜘蛛の騒動があり、前年にはなまはげが異常な行動を示し、突如として現れた山姥が暴れ回った。蛍夜郷を禍獣が襲った事、それと関連して幾体かの化物が捜索されているが未だに発見には至らない。

 

 鬼月家の関わらない事案を含めれば騒動は更に増える。南土での水害は海坊主の仕業と判明して在地の退魔士と朝廷の水軍の共同討伐に発展した。東土では『東武幕乱』の無縁仏から餓者髑髏が大量発生し東土退魔士家の三分の一が駆り出された。西土では鬼と思わしき存在による辺境の小村全滅が散発的に報告されていてその捜索は一向に進んでいない。小事件も含めれば妖関連の事案はどれ程の数になる事やら……。

 

「し、しかし……主だった事件は既に解決しておりましょう?」

「だが、事件が起きた事、それ自体を憂慮しているのかも知れませんな」

「なまはげの一件でも随分と懸念しておられたようですからなぁ……そうでしたかな、思水殿?」

「えぇ。その通りです」

『それは困るわぁ』

 一族の者達が囁き合い、そして現場に出向いた本人に、下人衆頭に尋ねれば、彼は恭しく頷いて改めて答える。都から派遣された中納言はなまはげ監視の役務を預かっていた鬼月家含む退魔士家に対して結局は口頭注意で罰らしき罰を与える事は出来なかった。しかしながらその後も在地に留まり各家の記録に入念に目を通していた……。

 

「うぅむ……」

『うーん?』

 唸り声は誰が発したものであったか、朝廷からすれば近年の妖騒動の頻発もあってか各地の退魔士家が本当に職務を果たしているのか訝んでいるのかも知れない。となると此度の上洛期間の延長もそれに関連してのものであろう。

 

「此度の上洛の一件を凌いだとして、朝廷の懸念が解けなければ今後も厳しい対応は必須でしょう。違いますか?」

「……御意見番殿としては、どうするべきと?」

『私、この谷から出られないわよねぇ』

 胡蝶の問い掛けに対して、当主は結論を求める。

 

「此度の要請は朝廷が我々の力量を、職責を疑い生じた事と思われます。ならばその懸念を打ち消すだけの功績が必要……そうではありません事?」

『どうしようかしら?』

 胡蝶の提案の意味を理解した出席者達は、一様に顔を見合わせる。

 

「禁地の物怪共を討伐する、という事でしょうか?」

『流石に一年となると縁がねぇー?』

 思水が胡蝶の言わんとする内容を口にした。

 

 禁地、それは文字通りに立ち入りを禁じた土地である。そしてそれを判断するのは朝廷と陰陽寮、そして近隣の退魔士家の合意である。その異能や特性、純粋な妖力、はたまた単純に地理的要因や人手不足、予算不足から討伐を先送りされた妖共が鎮座し、あるいはその残滓が残留して一切の立ち入りだけを禁じられた場所の事。

 

 扶桑国内に最低を三等で、最も危険なもので一等として三段階で区別されたそれらは百箇所以上が指定されている。個々の事例事案によって差異はあるが多くの場合はその境界線上に異変に際して対応と報告のための監視が設けられている。

 

 去年の師走に騒ぎとなったなまはげも広い意味ではこの分類に含まれる。なまはげは移動範囲の問題もあって地域全域ではなく移動するなまはげそのものの周辺を禁地として指定していた。三等という最も容易な評価は前年の異変以前であれば妥当なものであった。今は行動の予測が不明瞭となった事と山姥との接触によるものか特性に変質が見られるために危険性は第二等に格上げされている。

 

「……私が一つか二つ、近場の妖共を焼き払いましょうか?」

『……最近いらいらしてるから?』

 表情も変えずに淡々と意見したのは雛であった。三年余り前、彼女は禁地に巣くう牛鬼を成敗している実績があった。

 

「お待ちなさいな。……答えを急ぐ事はありませんのよ?焦れば見落としする事があるものです」

『みんな、見落としてばかりだものね?』

 やんわりと、御意見番は雛を諌める。孫娘と祖母の視線が交差した。沈黙が突如として流れる。幾人かが困惑した。

 

「……はい。申し訳御座いません」

『まぁ、どうでも良いけど』

 雛は小さく頭を下げて胡蝶の言葉に応じる。祖母もまた賑やかにそれに答えた。霧散する重苦しい空気。

 

「いえ、良いのですよ。鬼月の一族の名誉と誇りのために逸る気持ち、良く分かりますわ。……けれど、だからこそこの案件は貴女一人の手でやるべきものではありませんのよ?」

『それよりも……本当、どうしようかしら?』

 雛を擁護して、宥めて慰めて、胡蝶は己の狙いを口にし始めた…………。

 

 

 

 

 

 集議が御開きとなり、出席者達は各々に一礼をして去り行く。ある者は一人で、ある者は数人で語らい合い、あるいは幾人かは屋敷の別室で更に相談を始めるつもりのようであった。

 

「では、私は此れにて」

「うむ。ご苦労だった」

『早く死んじゃえー』

 雛が席を立つのを幽牲は頷いて応える。雛はそれ以上何も言う事はなく、無言の内に踵を返す。

 

「……葵よ」

「……何用でしょうか、御父様?」

『それって親子ごっこ?』

 同じく無言の内に座敷から立ち上がった所で、父に呼び止められた葵は、一瞬の沈黙の後に返答する。視線を合わせなかった。

 

「いや、お前もご苦労であった。議中で橘の商会と交渉するとあったな。せめて何か贈品が必要だろう?費用は用立てするから遠慮なく言いなさい」

「……はい」

『あはは、どの口でいってるのかしら?』

 幽牲の配慮の言葉に、葵は短く答えた。一礼の後に背を向ける。何処か刺々しく立ち去る。

 

「葵」

『ごりらー』

 直後、再び呼び止められる葵。しかし今度の声は父よりも柔らかかった。ちらり、と首を背後に向ける。その視線の先にいたのは賑やかに笑みを浮かべる女がいた。幽牲の隣に控える紫髪の撫子が、菫が、母がいた。

 

「私からも感謝致しますね?一族と御父様のために、有り難うね?」

『ぶりっこ?』

 それは悪意の欠片も見られない謝意の笑みだった。

 

「……いえ、構いませんわ。鬼月の者として当然の事を口にしたまでの事ですわ」

『嘘ばっかり』

 再度一礼、そして悠然と葵は部屋を出ていく。障子の先に出るまで、一度たりとも背後を振り向く事はなかった。

 

「……良く耐えたわね」

『面白い顔だったね!』

 障子の向こう側に、廊下に出た葵にその真横から囁いたのは祖母であった。葵は視線を上げる。祖母を見上げる。微笑んだ。その手元の扇子はいつの間にかへし折れていた。

 

「……行きましょうか」

「えぇ。そう致しましょう」

『おー!』

 孫娘と祖母、葵と胡蝶は二人で廊下を進んでいく。周囲に人の気配はなかったのは偶然ではない。既に人払いの呪いによって意識的無意識的に、あらゆる人はこの場から立ち去っていた。この廊下を進む者は唯二人しかあり得ない。

 

 暫し、無言の内にひたすら廊下を進む二人……先に口を開いたのは祖母の方であった。

 

「それにしても不気味なものね。あの子があれほど素直に従うなんて……」

『本当、不気味よねぇ』

 先程の会議を思い返して胡蝶は怪訝な表情を浮かべる。腐っても母親である。息子の性格位分かっていた。愛する女のためにあれほど多くの無茶と暴挙を繰り広げた息子が……先程の会議だけではない。廃人から復活してからのそれはまるで人が変わったかのようで気味が悪過ぎた。

 

「本当ね。蛍夜郷の一件はあの女が関わっていたからまだ分かるけれど。稗田郡での騒動でも沙汰無しなんて……色々と備えていたのに無駄でしたわね」

『色々慌てて滑稽だったわね』

 葵は祖母の言葉に淡々とした口調で合意する。稗田郡のなまはげ騒動で彼は相当に大立回りした。それを誤魔化すのはかなり奔走する必要があると思われた。

 

 幸いと言って良いのかは微妙だが、彼は功績の大半をくたばった軍団兵共に譲ったのでそれほど悪目立ちはしなかった。……とは言え、下人衆頭も当主も深く突っ込んでは来なかったのは本当に不可思議な話ではある。

 

「…………」

「無駄な希望は持たない方が良いわよ」

『希望なんてまやかしだ』

 寝覚めて以来、人が変わったかのような父の態度に沈黙する葵に、祖母は警告する。

 

 胡蝶には分かっていた。眼前の気丈に、傲慢に振る舞う孫娘の内の迷いを、葛藤を、希求を。だからそれに容赦なく冷や水を浴びせる。

 

「私が人の事を言えないけれど……本気で何かを求めるのだったらそれ以外は切り捨てる事よ。二兎追う者は一兎も得られないわよ」

『お前らに彼はやらない』

 今更言うまでもない事であった。孫娘自身言っていた事だ。自分は祖母のようにはならないと。しかし……だからこそ、胡蝶は念を押す。彼のためには失敗は許されないから。そして、きっとその時は孫娘の心が壊れるであろうから。

 

「……えぇ。問題ないわ。何が狙いなのかは分からないけれど、逆効果ね。寧ろ、あれだけの事をしておいてのあの態度だもの。屈辱的で腹だたしさを感じた程よ」

『そのまま噴死しろ』

 沈黙を破って、葵は宣った。口元を吊り上げて、獰猛な肉食獣のように目元をギラギラと輝かせて。その身に纏う霊気は空気を震わせる。それは確かに怒りの感情であった。傲慢で高慢な少女の激情であった。

 

「あの程度の演技で騙されないわ。必ず復讐してやる、纏めて、絶対に!」

『それは私の台詞よ』

 そしてあの忌々しい両親を排除した暁には彼と己が其処に君臨するのだ。彼にこの家の一切合切何もかもを差し出し!捧げて!彼の隣に侍り!支える!それこそが、それこそが唯一絶対のあるべき形……!!

 

「……そう、なら良いのよ」

 

 孫娘の宣言に、胡蝶は淡々と頷くのみであった。宣言の中身なぞどうでも良い。大事な事はいざという時にそれを有言実行出来るかのみであるのだから。そして敢えて口にして強い口調でそんな事を宣う孫娘に対して、この祖母は口にした言葉程に信頼はしていなかった。

 

 裏切るとは思わない。葵の彼への思いは極端であるが本物だ。しかし……やはりこの孫娘はまだまだ甘い。土壇場で動きが鈍る事は十分にあり得た。判断に迷う事はあり得た。要注意するべきであろう。

 

(本当、計算違いね)

 

 全く、困ったものだ。相手が両親でなければここまで孫娘の心が揺さぶられる事もなかったであろうに。いや、相手が両親であろうともあの時の息子の企みが成功して汚され尽くして絶望仕切ってしまっていれば……いや、それでは彼の命もないか?

 

(……いっそ、彼が気付けでもしてくれたら良いのに)

 

 祖母として、胡蝶は葵の性格を良く理解していた。傲慢で強欲で気性の荒く自尊心の高い娘である。しかしながらその分厚い心の鎧を無理矢理にでも剥がしてしまえば支配するのは容易なのだ。

 

 彼が孫娘を押し倒すか、何ならその行為の最中に首を絞めてくれても良い。頬を叩くのも良かろう。罵詈雑言を浴びせて犯して貶めて、そうして命令してくれたら良いのだ。自分を裏切るなと、自分に従えと、道具になれと。それだけでこの桃色の孫娘は悦んで彼に屈伏し、隷属する事になるだろう。

 

 口では側で共にと妻に等と偉そうに嘯くが、その実この孫娘は彼の傍らにいるよりも、その足下に平伏す事にこそ一層幸福を感じる牝なのだろうと胡蝶は薄々に察していた。

 

 束縛して、執着して、支配する。そして同じように束縛されて、執着されて、支配される。それこそがあの両親を見て育ったこの孫娘にとっての愛の認識で、前者よりも後者の側面が強いのは、これ迄の経験の結果なのだろう。何にせよ、碌なものではなかった。

 

 やれやれ。やはり親子、血は争えないという事か……。

 

「ふふふ」

『うぇ、気持ち悪い笑い』

 其処で無意味な方向に思考が向かっている事を自覚して、胡蝶はそれを振り払う。誤魔化すように小さく嗤う。そうしている内に、何時しか二人は其処に辿り着いていた。

 

「……それでは、私は此れにて失礼を」 

『どうせ碌な事考えてないわね』

 華美な絵柄の描かれた襖を一瞥して、葵は引き下がる。胡蝶はそれを引き留める事はしない。警戒は当然だった。この先に、胡蝶の私室に、黒蝶婦の空間に積極的に足を踏み入れたい人間はそう多くはない。

 

 賑やかに孫娘を見送ってから、胡蝶は襖を開く。途端に立ち込める甘ったるい匂いは嗅ぐ者の思考を鈍らせる。胡蝶は口元を妖艶に歪める。 

 

 華美で豪奢な調度品で飾られた居間の中央に彼は、いや『彼女』はいた。敷かれた布団の内で、一糸も身に纏わぬ華奢で色白の『少女』が己が身を抱く。艶かしく喘いで、息絶え絶えに呻いていては時折身体を痙攣させて絶頂に達していた。

 

「あらあら、可哀想な事」

『死にかけの芋虫みたい』

 胡蝶の声音には憐憫と同情と、嘲りと嘲笑とが含まれていた。先日行った施術は予定を前倒しにした暴挙であった。

 

 無茶は胡蝶が強いた訳ではない。眼前の駒が求めた事だ。

 

 焦っているのだろう。彼の身体の侵食に、そして彼との絆が風化する事に。それが必要であったのは事実だとしても、家人となってしまった己は愛する人の側に自由に居られないのだ。しかしながら、彼に己を捧げるためには家人としての立場は必須で、だけどそんな事をしている内に彼の周囲は賑やかになって己とは疎遠となっていく……。

 

 最後の点については若干被害妄想が入っているが、その焦りの気持ちは胡蝶にも痛い程に分かった。唯でさえ若者という者は物事を急ぎ過ぎるものであるし、己の内の激情を抑えきれないものなのだ。去年に折角の機会が空振りに終わったのも一因だろう。

 

「……随分と苦しんでいる様子ね?だから一気にやるのはお止めなさいと言ったのに」

『沢山血が出てたねー』

 布団の内でくるまる弟子の傍らで膝を突いて、胡蝶は呆れるように呟いた。

 

 側に寄って見れば、元稚児の惨状はより一層明瞭となる。伸ばした髪は布団の上に乱れ広がり、はぁはぁと嘆息しては口元から情けなく涎を垂らす。うわ言を呟いては目元を潤ませていた。幾筋も流れる涙の跡、一体何れ程の回数号泣していたのかすらも分からない。

 

 事実、この元稚児の肉体を襲っている激痛は筆舌に尽くし難い。丸一日かけた切除手術は麻酔すら許されず、覚醒状態でのものであったのだ。四肢を拘束して、夥しい出血すらもして、その傷口は縫い合わせた今でも眼前の弟子は痛みに苦しみ続ける。それがこの惨状であった。

 

「化膿は……無さそうね?」

「し、しょう……?」

『残念だわぁ』

 布団を剥がして手術痕を確認した御意見番は淡々と呟く。其処で今更のように、胡蝶の存在に気が付いた白若丸。

 

「ふふふ、良く頑張ったわね。驚いたわ、泣き言一つ言わないなんてね」

『白眼に泡吐いてたわね』

 実際に施術したのは初めてであったが、その道の専門家より話は聞いていた。諸事情があって『肉魂流転換施儀』を行う者は稀にいるものではある。しかし、いざ処置をすればその過酷な過程で音を上げる者、あるいはその後の違和感や喪失感から後悔したり怒り狂ったりする者も少なくないのだ。それをこの元稚児はこの幼さで……。

 

「おれ……わたし、がんばった?」

「えぇ。とってもね?……だから御褒美をあげなくちゃね?」

『?』

 そういって胡蝶が簡易式共を呼び寄せて持ち運びさせるのは一枚の装束だった。雑人の、子供用の、少し古びた、しかし上等な代物だ。それを受け取った胡蝶は弟子に差し出す。

 

「っ……!!?」

『気持ち悪い動き』

 それが何なのかを解した白若丸は直ぐにそれをふんだくる。そのまま装束を己が胸の内に抱き抱くと顔を埋める。

 

「はぁ……あにきぃ……んっ、すきぃ……だいすきぃ……」

『私は別に羨ましくないわぁ』

 針鼠のように身体を丸めた元稚児は鼻息荒くして装束の薫りを肺に一杯吸い込み、そして再び譫言を呟き続けた。何時までも何時までも、ひたすらに憐愛を囁き続ける。

 

「うふふ、可愛い子。……本当に、健気な娘」

『何時も一緒に寝ているものね』

 鬼月の黒蝶婦は、そんな己の駒を心底慈愛に満ちた笑みを浮かべて、その頭を撫で続けた。それは、畜産家が己が家畜を可愛がる姿に似ていて……。

 

『さて、と。面白くもないから彼の所に行こっと』

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

「はくしゅん!?」

「ん、どうした?風邪か?」

 

 俺の突如のくしゃみに傍らで干肉を噛んでいた入鹿が宣う。

 

「さてな。誰かが噂でもしているのかね?」

「迷信かよ」

 

 鼻を啜って嘯く俺を入鹿がこれまた鼻で嗤う。全くその通りであった。我ながら詰まらない冗談を口にしたものであった。

 

 清麗帝が御世の一四年、睦月の下旬。鬼月家の屋敷が隅が隅、下人衆用の野外教練場の木陰にて休憩する俺と入鹿であった。汗を手拭いで拭い、水分を摂り、申し訳程度の軽食を口にする。眼前では模造武器で手合わせを行う部下達の姿。

 

 言っておくが上司だからと楽をしている訳じゃあないぞ?肩慣らしの競歩と筋トレを真っ先に終えたのは俺であるし、その後に文句を垂れていた新米共相手に三人同時に手合わせして分からせてからの休憩である。

 

 因みに同じく休憩している入鹿も二人分からせた。何だったら俺よりもずっと悪質で悪辣にシゴいた程だ。楽しそうな顔で餓鬼をボコるな。

 

「おいおい、そりゃあねぇぜ?向こうは真刀、此方は徒手、女相手に二対一、か弱い淑女を鉄火場に突っ込んでおいて酷ぇ言い草だ」

「半妖の分際でそれを言うか」

 

 一流退魔士が振るう名刀ならばいざ知らず、素人の糞餓鬼共が安い下人用の刀で斬りかかった所で入鹿の妖腕で鷲掴みされる処かそのままへし折られる事確実だ。というか実際へし折って驚かせた。そのまま脅しの言葉を口にすれば手合わせした糞餓鬼共は涙目になって失禁してしまった。

 

「あれくらい脅かしといた方が良いってもんよ。てめぇだって新人共に寝首掻かれ……るのは流石にねぇだろうが、あいつらが馬鹿やって自滅したり処断されたりとかは見たかねぇだろ?」

「…………」

 

 入鹿の物言いに、しかし俺は反論出来なかった。俺はまだ代えの利きにくい允職である事とゴリラ様の玩具にされている立場であるのと引き換えに比較的自由が許されているが末端はそうではない。そんなに甘い扱いではない。

 

 そも、そのつもりになれば少し反抗しただけでも刻まれた呪いで苦しみ抜いて死ぬ事になるのだ。ましてや、前年の終わりも終わりに新しく補充された下人候補の小僧共一個班分は中々に手の掛かる連中であった。

 

「人手不足だから贅沢は言えんが……」

『あー、見つけたー』

 購入してきた下人衆頭によれば、街道で集団で盗賊紛いな行為もしていた札付きであるという。朝廷に捕らえられた後の尋問で年少組共は処刑の最低年齢を下回るのが判明した事と貴重な霊力持ちという事で死罪を逃れ、紆余曲折の末に鬼月家に売り払われた。年長組?ああ、頭領以下は捕らえられた地元で打ち首獄門されたってよ。

 

「確かにな。……首輪付きで引き立てられた時も面倒だった。危うく助職に見せしめで一人二人溶かされる所だったしな」

『何の話ー?』

 下人衆助職の有する異能は霊力持ちの三代目、百年程度の歴史しか持たぬ新興退魔士としては破格のものだ。文字通り大概の敵は触れられただけで御陀仏と来ているし、そのくたばり方も中々のエグさである。確かにあの異能の効果を見せられたら逆らおう等と考える馬鹿はいなくなる事だろう。

 

 恨みや憎しみは残るし、何よりも出所は兎も角、折角補充された貴重な部下をこんな事で損耗されたくは無かったが。纏まった数の仕入れなんて滅多にある事じゃあないんだぞ!?

 

「下人は消耗品、だっけか?真っ先に相手する羽目になったのがてめぇだったから感覚が狂うが、成る程な。今更ながらその辺りが良く理解出来て来たぜ。……てめぇが下人連中の中でも相当に変わり種って事もな」

「おい止めろ。身を乗り出すな、気持ち悪い」

『犬の癖に生意気だ』

 狼のような身のこなしで此方の側まで肉薄する入鹿。ニヤニヤと耳元で囁くのを俺は嗜める。嗜めるが、当の入鹿は止めるつもりもなく更に続ける。狼腕を俺の首に回して、喉元に爪を立てて、犬歯を覗かせて、目を獲物を狙う猛獣のように細めて……宣う。

 

「冷たい事言うなよ。俺とてめぇの仲じゃあねぇか。なぁ、兄弟?」

『(o≧▽゜)oオヤコヨ!ソシテワタシノイモウトナノ!!』

「……」

『…………』

 突如脳内に響く阿呆っぽい声に俺と入鹿は共にその場でげんなりする。げんなりしながら、俺は問う。

 

「……はぁ。何が狙いだ、えぇ?」

「……解せない事が色々とあってな」

『んー?』

 シリアスな空気がぶち壊されて何とも言えぬ空気の中で俺が嘆息しながら尋ねれば、回していた腕を解いて眼前で胡座を掻いた入鹿が応答する。

 

「解せない事?」

「てめぇを疑うつもりはねぇけどな。だが、これでも俺は勘が鋭くてな」

「野生児だけにか」

「煩せぇ。……お前の監視と観察していてどうも引っ掛かってんだよ」

「何がだ?」

『何がー?』

 先ずこいつが俺の監視観察なんざしていた事実に驚いて……その行為自体よりもそんな事をする知能があった事にだ……俺は続きを求める。

 

「お前が鈴音の奴に甘いのは別に分かるんだよ。正体を隠すのもな。だからこそ、解せないんだよ。環の奴相手にお前さんがどうもなぁ……甘い癖に何処か腫れ物に触れるような所があるのがな」

「………」

『…………』

 入鹿の不可思議で仕方ないと言う表情に、面をした俺はただ無言で応じる。

 

(俺としては出来るだけ自然な振る舞いを心掛けたつもりだったんだが……やはり何処か違和感はあるか)

 

 入鹿の違和感もさもありなんである。そもそも環の奴はこの世界の、扶桑国が滅びるかどうかを左右しかねない鍵であり爆弾だ。主人公様だ。唯でさえ何処かミスったらヒロイン共に始末されたり達磨にされかねない均衡の上にいるのに、しかも女体化していると来た。既に『闇夜の帳』エンドのあの闇の泥を一度使っている事もある、その扱いは慎重にならざる得ない。

 

「今更言うがよ。俺は良く覚えているぜ?お前さんがあいつの胸揉んでくれやがった時の光景をよ。……あの闇に対して、あんなのでどうにかなる確証があったのか?」

「見てたのかよ」

「微かにな、微妙に記憶していただけだよ」

『へぇ』

 新しい干肉を噛みながら入鹿は宣う。さて、どういうべきか……こいつ相手に下手な誤魔化しは出来んな。

 

「……確証はなかったよ、焼糞だ。あの闇だってどういう代物なのか、俺も知らん。だが、あんなものを見せられたら慎重になるのも当然だろう?」

『あいつが、ね』

 嘘『は』言っていない。原作知識のお陰の予備知識こそあの時役に立ったが、環の設定の核心までは俺は知る由もない。

 

「……何か解せないなぁ」

『私は解せるわぁ』

 俺の発言に、尚も何処か引っ掛かるといった表情で此方を窺う入鹿。

 

「何でだよ。証拠は?」

「てめぇは油断出来ないからな」

「貴様が言うか」

『犬だもんね』

 そんな突っ込みを入れて、俺は蛇足ながら更に付け加える。

 

「安心しろよ。鈴音に関わる事でもなければ、敢えて環姫に不利益になるような事はしないさ。俺としても、姫には感謝こそすれ恨みなんざないからな」

『私はあるわぁ』

 ヤンデレ相手のデコイにする事は?元々の運命だからね、仕方無いね。百合は至高なので間に男が挟まる余地なんざ無いって、ばっちゃが言ってた。……まぁ、そもそもゴリラ様にしても別に恋愛ではなくて玩具感覚だろうしな。本当に危ないのは鬼くらいのものだろう。

 

「………まぁ、今はそういう事にしておくよ」

「それは結構。納得しないんなら孫六の奴に今日の晩飯、てめぇの分は抜きにするように命じていた所だ」

「脅迫じゃねぇかよ!?」

『あいつのご飯おいしいね』

 俺の宣言にこれまでに無い程に驚愕して叫ぶ入鹿であった。いや、お前の優先順位どうなってんだよ。

 

「心底呆れた奴だな、お前は。……ほれ、そろそろ休憩は終わりにするぞ。何時までも上司が楽していたら下っぱ連中に示しがつかねぇからな」

『お仕事大変だねー?』

 俺は水筒の水を呷ると、槍を手にして入鹿に促す。

 

「マジかよ。もうか?というかお前一人で鍛練してろよ……」

「不本意だが、一対一で俺と程好い勝負が出来るのはお前さんくらいだからな」

『贔屓だ贔屓だー』

 俺も今では下人衆で年長組であり、最精鋭に属する立場だった。俺よりも年の上の者自体は幾人かはいるが……多くが身体欠損含む傷人で今では教官にジョブチェンジしていたし、そうでなくてもあの糞地母神の侵蝕のせいなのだろう、身体能力がジワジワと人外染みて来た所があった。入鹿くらいが俺の手合わせ相手には手頃だったのだ。

 

 ……手合わせによる違和感を密告される心配が無いのが最大の理由であるのだが。

 

「ちっ、仕方ねぇ。分かった分かった。やりゃあいいんだろ?やりゃあ……」

『やりたくないならやるなよ』

 そう面倒臭そうに立ち上がる入鹿は、しかし直後に頭頂部に生やした狼耳をぴくりと動かすと遠くを見据える。その先を俺も釣られるようにして見た。

 

 人影が、此方に向けてやって来る。

 

「……どうやらお前さんがお目当てみたいだぜ?」

「……みたいだな。おい、余り騒ぎは起こすなよ?」

『あいつも嫌いー』

 そんな注意をしてから、俺は手元の槍に布袋を被せる。そして姿勢を正して此方へとやって来る上司に向けて一礼をして出迎える。

 

 下人衆助職、宮水静を出迎える……。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 宮水静は典型的な退魔士らしく、下人衆を消耗品として愛着も何も有する事のない人物だ。当然ながら下人衆の修練所に顔を見せるなぞ滅多な事がなければ有り得ない事であり、その理由があるとすれば限られる。

 

 即ち、上司からの命令で俺を呼び出す時くらいの事である。下人衆頭は、允職である俺の呼び出しに幾度か静を出向かせる事があった。

 

(まぁ、大体不機嫌に呼び出される訳であるが……)

 

 宮水静の背中を追いながら、俺は内心で嘆息する。原作及びその他媒体でチョイ役として登場するこの助職様は中々性格がキツい事は少ない描写でも十分に分かったが、実際に直接の上司部下の関係となって見ると一層その事を思い知らされる。

 

「どうしましたか?そのように此方の背中をジロジロと覗くように見るのは。もしや、気付かれていないとでも思いましたか?」

『私の事は気付いたー?』

 そんな事を思っていると、足を止めた静が此方を心底不愉快そうに睨み付ける。

 

「……いえ、態態助職殿が呼び出しに来られる事が畏れ多いものでしたので。式神か、手下でも使えば良いのでは、と」

「既に進言しました。ですが衆頭が仰るには機密保持の関係からも直接の呼び出しが一番であろう、との事です。決して、貴方が高く評価されている訳ではありません。自惚れるのは止した方が良いですよ?下人には下人の分というあります。それを弁える事ですね」

「はっ」

『お前も分を弁えたらー?』

 明らかに嫌味が含まれる指摘に、しかし俺は反論する事なく応じる。静の歩みが再開し、俺は再びその後ろに追従する。……ストレスで腹痛くなりそうだわ。

 

 暫くして鬼月家屋敷の一角、下人衆頭職用の執務室に、正確にはそれがある殿の庭先に俺は到着した。それほど時間は経っていない筈だな、嫌に長い道程に思われた。恐らく相対性理論のせいである。

 

「其処で、暫し待て」

『待てー』

 砂利の敷き詰められたその庭先にて跪いて待機するように助職は命じると、己は殿に上がってその内に消えていく。おいコラ、放置プレイかよ。……砂利が足の皿に食い込んで痛てぇ。

 

「…………」 

『かごめかごめでもするー?』

 とは言え、其処は結構形ばかりになっているとは言え、俺も意志薄弱で自我の薄い設定となっている下人の一人である。無言でそれを甘受し続ける。

 

 どれ程時間が経った事であろうか?取り敢えず半刻は経過しなかった筈だ。殿の奥から人影が迫るのを確認すると俺は一層深々と頭を下げて礼をする。

 

 何やら、囁き声での会話が聴こえる。数瞬程の短いやり取り……そして、直後に放たれる声ははっきりと聞こえた。

 

「頭を上げてくれて構わないよ。その方が話をしやすいだろう?」

「はっ!」

『…………』

 先程まで執務をしていたのだろうか、殿の奥より静を連れて現れた下人衆頭の命令に従い、俺は頭を上げる。

 

「修練中に呼び出して悪いね。今朝に集議があってね。允職に今後の予定を伝えなくてはならないと考えたんだ」

「はっ!」

『あぁ。さっきの』

 思水の言葉に再度、俺は応じる。尤も、大体の予想は出来ていた。この時期の集議である。原作知識から想定するに夏の上洛の際の随員についての事であろう。

 

 原作においても、今年朝廷が要求する上洛の随員について増員を要求している事が触れられていた。度重なる妖騒動に危機感を抱いた右大臣の提案に、左大臣が乗っかって実現した決定だ。

 

 左大臣からすれば、各地の退魔士家の困窮と朝廷に対する反発の醸成、そして決起に際して纏めて退魔士共を殲滅するのに好都合なために賛成した訳であるが、だからと言って右大臣が無能かと言えばそうでもない。というか、これに関しては右大臣には選択の余地はない。

 

 央土は扶桑国の中核だ。国土に対する比率は二割にも満たないにもかかわらず扶桑国人口の三割、農工業生産の五割近くを占める最重要地域である。国家にとっての心臓と言っても良い。因みにその次に重要とされているのは西土である。

 

 極論すれば、東西南北全ての土を失っても央土さえ残れば扶桑国は巻き返せるのだ。それは公式設定においても言及されているし、扶桑国の上層部も承知している。当然、右大臣もだ。だからこそ、央土は在地の軍団に更に上洛させた武士団や退魔士家も加えて過剰とも言える戦力を常時配備している。

 

 調子に乗ってフルボッコにされた狐璃白綺の存在だって、そもそも朝廷からすれば央土に踏み込まれた事、ましてや都にまで迫られた事自体が驚天動地の出来事だった。地下水道に潜んでいた妖母も然りである。

 

「三個班、一五人を用意してくれ。期間は上洛より一年。人手不足とは思うが頼むよ」

「承知致しました」

『ぶらっくきぎょーだー!』

 どの道ノー、とは言えないからな。

 

(しかし、一五人か……難儀だな)

 

 既にギリギリ過密スケジュールである。上洛まで欠員を一人も出したくないが……さて、どうしたものか。上洛するまで各イベントをどう凌ぐのかが課題だが。

 

「それと、如月の月中に少し大掛かりな仕事がある。そちらにも一五人、用意しておくれ」

「げっ……?」

『うーん、それにしてもどうしよっか?』

 俺の思わず漏らした呻き声に、思水の傍らに控える静が剣呑な視線を向ける。しかしながら、それでも俺は呻かざるを得なかった。人手不足で、数ヶ月後の三個班を捻り出すのも一苦労だというのに、その上来月にも等と……!!?

 

「そ、それは……申し上げにくい事ではありますが現状の下人衆の人員では遣り繰りが……」

「衆頭より、一個班の補充があった筈。まだ足りないと申しますか?」

『……そういえば』

 静の叱責、いや全く足りねぇし。そも、まだ訓練中ですし!!

 

「練度は気にしないよ。どうせ、君達が矢面に立って戦う事はない。監視が出来れば十分だ。その程度であれば練兵中の者でも動員出来ると思うのだけどね?」

「はっ、承知致しました。ですが、実戦の可能性が無いというのは一体……?」

「たかが允職の分際で根掘り葉掘り聞くものではないでしょうが!己が立場を弁えろ、命じられた事に口答えするな!!」

「助職、止めなさい」

『私はお「家」から出られないのよね?』

 静が怒鳴るのを、思水がやんわりと宥める。そして張り付けたような笑みを浮かべて、衆頭は、思水は俺の疑問に答える。

 

「宝落山、其処が目的の場所だ」

「っ……!?し、承知致しました!」

『あはは、良い事思いついちゃった!』

 その地名に、その禁地の名に即座に俺は思水の言わんとする事を察する。彼の、鬼月家の狙いを理解する。成る程、確かにアレが相手であれば此方から突っ込まない限りは危険は少ないか?

 

(だがこれは……イベントが前倒しになっている?)

 

 頭を下げながら、しかし俺はそんな疑念を持たずにはいられなかった。更に言えば、本来のダースタマキルートでは分岐しないルートでのイベントであった。

 

 三等禁地「宝落山」、それは原作ゲームにおいて上洛せぬルートで発生するイベントでの舞台であった。とある妖の討伐で、最早御約束のように主人公様を曇らせる理不尽過ぎるそのイベントが其処で発生する。イベントレイドボス、その名前は「迷い家」。野生の、「迷い家」だ。

 

 そもそも戦闘する事が誤りである夢想と狂乱、希望と絶望、そして沈黙の内に悪辣極まり無い凶妖、それが鬼月家の討伐せんと計画する怪物であった……。

 

『いひひ、今度のお出掛けの時に試してみーよおっと!』 

 

『本当、楽しみだわぁ』

 

 

 

『ねぇ、貴方達もそう思うでしょ?』


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。