和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
「ふふふ、さぁ環さん。遠慮為さらずにお食べ下さいな。欲しければまだまだ物はありますからね?」
「は、はい……」
上座に座る紫髪の夫人が垂れ目がちな眼を向けて賑やかに微笑みかける。蛍夜の姫君は己の師の好意に困惑しつつも一礼をして応じると、恐る恐ると手前に差し出された菓子受けに手を伸ばす。そしてその中身を一摘みしては口に放り込み咀嚼する……。
黒砂糖と蜂蜜をたっぷりと染み込ませたかりん糖は確かに美味しいのだろう。女子は甘味に目がないもの、それは年頃の少女である環も例外ではない。しかし……残念ながら今の環にはその芳醇な甘味を殆ど感じる事はできなかった。そんな余裕は無かった。
「…………」
己の左側の席に鎮座する桃色の姫君を見る。彼女は先程から無言を貫いていた。悠然とした表情で脇息に肘を乗せて頬杖を突く。しかしながらその纏う雰囲気は何処までも重苦しい。不機嫌であるようにも見える。背後に控える半妖の白丁は怯えたように縮こまっていた。
「…………」
己の右側の席に座り込む姉弟子たる紫色の姫君を見る。彼女もまた先程から無言だった。少し前まで鬼月の二の姫に積極的に語りかけていたのだが、当の本人から心底詰まらなそうに沈黙を命じられていた。今では強制的に無言にさせられて涙目だ。
……後、多分ずっと正座して足が痺れているようだった。
「あら、環さん。どうか致しましたか?」
「い、いえ……何もありません」
牛車の内の剣呑な空気に緊張する環に対して、上座の夫人は何事もないかのようにそう嘯いた。環は僅かに表情をひきつらせて、しかしやんわりと誤魔化す。誤魔化しながら眼前の菓子の消費に集中する。現実逃避する。因みに、環の背後に控える鈴音もまた同様であった。口元をきゅっと引き締め無言を貫く。額から一筋の冷や汗を流して。
「あらあら、良い食べっぷりだこと。さぁ、お茶のお代わりもありますよ?甘味は喉が渇きますからね?」
鬼月菫がトントンと手元の匙で茶器を叩けばそれを合図とするかのように湯呑みや急須が各々に勝手に動き出して舞い踊るようにして給仕を始める。環の前に程好い温もりの緑茶が注がれた湯呑みが跳ねるように向かって来て、受け皿の上に着地すると停止した。器用な事に元気良く跳ねていた癖に全く中身は溢れていなかった。
「あ、有り難う御座います……」
「どう致しまして。……ふふふ、やはり同行人の多い旅と言うものは良いものですね。人が多いと一人旅と違って退屈しませんわ」
環の若干ぎこちない謝意に微笑みながら菫は応じる。そしてこの重苦しい旅を良き物であると悠然として評して見せる。
「一人旅、ですか?確か長らく屋敷を空けていたとお聞きしましたが……」
この空気に対する菫の物言いに苦笑いしつつ、環はふと思い出したかのようにそれを尋ねていた。尋ねてから己の左側に座る姫君から滲み出る不穏な霊気に身震いする。失言したかと緊張する。霊気への耐性が低い鈴音に至っては思わずびくりと身体を震わせる。
「えぇ。諸事情から扶桑の諸邦を外遊しておりましたの。お陰で娘には寂しい思いをさせたものです。ご免なさいね、葵?」
傍らにいる菫はと言えばそんな娘の漂わせる雰囲気を気にもしていないようだった。瞳を閉じてしんみりとした表情を見せて嘯いて、最後には娘に謝罪の言葉を平然と口にして見せる。
「……気にしておりませんわ、お母様。事情は承知しておりますので、どうぞお気に病まぬよう」
僅かな沈黙の後に葵は慇懃に答える。しかしそれは感情も何も籠っていない、視線すら合わせていない。何処までも義務的な返答のようにも思われた。少なくとも環にはそう思えた。
環は困惑する。例え血が繋がっていなかったとしても円満な家庭で愛情を一杯に注がれて育った環にとって菫と葵の間にある不穏な空気は理解し難いものであったのだ。しかし同時に、それが他所様が無遠慮に踏み込んでは行けないものである事も理解していて、それが環に沈黙と葛藤を強いる。
(困ったなぁ……)
家族は大切な存在だ。愛情と親愛に満たされたものだ。太い絆で結ばれたものだ。それが正しい形だ。環はそれを信じていた。二人の間に何があったのかは分からない。それでも、それでもこんな関係は間違っている……!!
(そう言えば葵様は雛様との関係も……本当に大変だなぁ)
単純な姉妹喧嘩ではないので厄介な事この上ない。己の家族と状況が違い過ぎて内心で嘆息する環。嘆息するが、それでもどうにか出来ないかと悩む。
(そう言えば……伴部さんは二人共面識があるんだっけ?)
幼い頃は雑人にして一の姫の遊び相手であったと聞く。そう言えば蛍夜郷でも彼を助けに来てくれていた。その一方で今の彼は二の姫が目にかけている臣下でもあるという。派閥争いがある中で、恐らくは二人に対してここまで繋がりがある人物はそうはいないだろう。
彼に協力して貰い、どうにかして彼女らの間をどうにか取り持てまいか……環は半ば真剣にそんな事を考案していた。
無論、本人がそんな事を求められたら余りの無謀さに卒倒する事間違いなかった。
「……あら、この気配は?」
「えっ?」
内心でそんな事を考えていた直後の事であった。ふと、何かに気付いたようにして菫は立ち上がる。ほぼ同時に葵も、数瞬遅れて紫もそれに気が付いた。各々に武器を手に取ると歩み始める。皆が皆、牛車の出入口へと向かう。
……紫だけ立ち上がった瞬間に足の痺れで尻餅をついたのは気にしてはいけない。
「え?えっ?えっ?」
一人何が何だか分からぬといったように環は、ただただ動き出す周囲に視線を向ける。彼方此方を見て困惑する。
「……」
「痛たたた……あれ?口が……っ!!?あ、妖が迫っています!早く貴女も備えて下さい……!!」
葵が言霊術による拘束を解除して口が利けるようになった紫は、己の女中に起き上がらせて貰いながらその事に気付き、直ぐに当て所もなくオロオロとする環に向けて命じる。
「っ!?は、はい!!分かりました!」
紫の言に、環も漸く事態を察する。慌てて傍らの刀に手を伸ばし、立ち上がる。
「陽菜、助太刀は無用です。貴女は隠れていなさい!分かりましたね!?」
「ひ、姫様、私は……!」
「白、貴女は其処に残りなさいな。居ても邪魔よ」
「あ、す、鈴音も此処に残って!」
「姫様……」
牛車の出入口で尻を擦って涙目の紫は、それでも女中の陽菜が短刀を手にして同行しようと支度するのを見つけると叱責するように待機を命じる。ほぼ同時に二の姫が先ず駆け寄ろうとする白丁に向けて命じていて、それらを見て慌てて環も思い出したかのように己の女中に向けて命じる。入鹿は兎も角、鈴音を危険には晒せなかった。
「っ……!!」
菫を先頭にして姫君達は牛車を降り立つ。牛車の出入口を抜けると共に凍てつく風が環の頬を撫でた。思わず表情を歪める。
牛車が停止しているのは一帯が深い森に包まれた山道の途上だった。隊列自体既に止まっていて、周囲を下人や隠行衆らが気を張り詰めて警戒する。環はその中に人夫や下人共に乱暴に指示を出す半妖の友人の姿を見出だした。
「いる……っ!」
環は思わず声を掛けそうになるが寸前で抑える。このような自分勝手は出来ない事を彼女は知っていた。多くの人々の命が賭かった状況である、そんな呑気な事をしている暇はない。
「様子はどうなっていますか?」
「先程咆哮が聞こえました。大物が近場に迫ってきているようです」
菫が尋ねれば車の直ぐ側に控えていた隠行衆が答える。「そうですか」と短く応じた菫は轟音が鳴り響く方向に冷たい視線を向ける。
「大妖、と言った所でしょうか?それに……中妖も数体程いますか?」
「大した獲物じゃないわね。他の連中にでも任せたらどうかしら?」
刀の柄に手を添えて臨戦態勢の紫が険しい表情で相手の格を予想すれば、期待外れとばかりに心底詰まらなそうに葵が宣う。唯人であれば兎も角、一流退魔士からすれば大妖なぞ余程に油断しなければ後れを取る事はない。葵からすれば有象無象の雑魚に過ぎない。そんな小物の相手なぞ同行する二流共に任せておけと言い捨てる。
「そ、それは流石に……!!」
「皆さん、静粛に。無駄な騒音を立てるものではありませんよ?警戒の邪魔をしてはいけませんわ」
葵の無責任な発言に反発しようとした環、其処にその場の者全員に対して菫は軽く叱責する。そして引き抜く。……牛蒡を。
「丁度良い肩慣らしです。此処まで来るのでしたら私が仕留めましょう」
一見滑稽にも見えるそれは、しかし菫が身構えたのと同時に立ち込める霊気と殺気に環は周囲の気温がどっと下がったような錯覚を覚えた。恐らくは他の者達も同じように感じた事だろう。葵以外の者は思わず息を呑み冷や汗をかく。下人や人夫、雑人の中には腰を抜かす者だっていた程だ。
「まぁ、尤も……」
「えっ……?」
そして、直後に菫は呟きながらあっさりとその構えを解いた。瞬時に霧散する気迫。圧力。環に紫、そして周囲の者達が菫の行動に困惑し……一瞬遅れて紫は何かを感じ取って森の奥を見据える。葵だけは何事もないように扇子を煽っていた。
ほんの数瞬後にそれは来た。
『ブオオオオオォォォォォッ!!!!??』
轟音と共に山林の中から躍り出たそれは蛇と蚯蚓の中間のような化物であった。大木程の太さを持ち、無数の牙を伸ばした口だけを頭に備えた妖。
一説に堕ちた土の精霊とされるそれの名は野槌と言う。大妖野槌、化物は涎を撒き散らしながら金切声を上げる。地響きがする程の咆哮を上げる。そのおぞましい造形と声音に、小さな悲鳴を上げた環は咄嗟に刀を引き抜く。そして……。
「我々が出ずとも勝敗は付いているようですが」
師が牛蒡を鞘に戻したのと同時である。断末魔の悲鳴と共に野槌が息絶えたのは。
「えっ……?」
ドスン、と山を響かせてその場に倒れ伏す。何が起きているのか分からずに唖然とする環は、しかし眼前の遺骸に目を凝らして漸く気が付いた。化物の、その全身に刻まれた多種多様の傷痕を……。
「こ、これは一体……」
「よく始末して下さいました、允職。この分だと先遣隊の任は順調のようですね?」
困惑する環。其処に当然のように菫が呼び掛ける。森の奥に向けて、呼び掛ける。環はその言葉の意味に一瞬混乱して、ふと理解すると仰天したように視線を深い森の暗闇に向けていた。
森の奥より姿を現した全身ボロボロ、息絶え絶えの般若面の黒装束は、菫達の存在を認めるとその場で膝を折り、恭しく一礼をしているのだった……。
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「……では静さん。進捗の程を聞かせて頂いても?」
『宝落山の迷い家』討伐隊の先遣隊と本隊が無事に合流を果たしたのは凡そ一刻程前の事である。それと同時に本隊の、そして討伐隊それ自体の総責任者でもある鬼月菫は己の率いて来た隊員に休息を許可した後、静に向けてそのように問い掛けた。
「はっ。順調です。既にこの辺り一帯の有象無象の妖共は一掃しております。結界の展開も既に作業は半ばに達しておりますれば、全ては恙無く進んでおります」
宝落山の一角、丘陵に築かれた陣中を見回りながら、宮水静は此度の討伐隊の長に対して的確に説明を述べていく。
「それは結構。現状、憂慮するべき問題は何も発生していないと言う事ですね?」
「はっ、強いて言いますれば雛様の事でございますが……」
菫の質問に、ここで思い出したように苦々しい表情を浮かべて静は指摘した。
数日前に先遣隊の長たる鬼月雛が独断で実行した山椒魚の駆除は簡潔な事後報告のみであった事もあり、他家に対する軽視ではないかと問題となったものだ。尤も、同時にこの辺り一帯で一番厄介な妖群が殲滅された事もまた事実であり、その事から表立っての不満や反発もないのも事実ではあるが……裏での陰口が囁かれている事を静は把握していた。
「話は事前の式神より聞き及んでおります。宮水さんには気苦労をおかけして申し訳ありませんね?義母として、私からも雛さんに申しておきますわ。どうか堪えて下さいな」
「い、いえ。そのような事は決して……」
心底申し訳なさそうに返答する菫に対して、静は恐縮するように頭を下げる。尤も、それは形だけで内心は違った。
(このまま本家内で対立が深まれば……)
静は家人、故に深い事情全てに精通している訳ではない。それでも鬼月の本家が腹違いの一の姫と二の姫とで次期当主の争いをしている事、一の姫の実母が衰弱死している事、当主が嘗て一の姫を贔屓にしていた事は知っている。そして、鬼月菫が名門赤穂家においても畏れられる程の実力者である事も。
妾の腹は所詮は本妻の代用品である。妾の子は実際は兎も角、建前上は本妻の子であり、その意味で雛もまた菫を母として敬わなければならぬ立場である。
当然ながら人は感情の生物だ。菫が雛を叱責すればそれが鬼月家本家にどのような影響をもたらすか、一つ一つは大したものでは無かろう。しかし巡り巡ればあるいは己が主君の台頭に繋がり得る。その意味で菫から言質を取れただけでも成果であった。思わず頭を下げたまま小さく口元を吊り上げて、慌ててそれを直す。誤魔化す。取り繕う。
そして静が頭を上げたと同時に、二人は丘陵の頂上に辿り着く。そして、それを目撃した。
霧がかった山頂部を基点として、非現実的な程に煌びやかな大御殿が、視界一杯に広がっていた。豪華絢爛な、しかし何処か重苦しさも感じる豪邸……。
「……」
「……これは、話には聞いておりましたが中々大物ですわね」
暫しの間、沈黙しつつそれを見渡す二人。先に口を開いたのは菫であった。感嘆すらしたような夫人の言葉に静は神妙に頷く。
「あれだけ肥太れば内に潜む眷属共も相当な数に上ると思われます」
「私や雛……主力は本体と核を破壊する事に集中します。静さんは他家の方々と共に溢れ出る小物の掃討を御願い致しますね?」
「はっ、幼妖一つとて逃しはしません!」
本気の覚悟であった。所詮は人以下の使い走りに過ぎない允職とは違う。助職にして家人たる静の失態はそのまま彼女の主君の失態でもある。静が主君の足を引っ張る事なぞ許される訳がない。その意味で静は己の役目を全力で果たす所存であった。
「ふふふ、期待しておりますわね。……さて、目標も一目見た事ですし、そろそろ協同する他家の代表の方々と挨拶しませんと行けませんね?」
「既に酒宴の用意は整えております。此方です」
恭しく静は菫の言葉に応じて誘導する。迷い家は基本的に受動的な妖だ。己の範囲内に入り込みさえしなければ襲いかかる事はない。周辺の妖共も一頻り掃討して結界の構築作業も順調となれば後は本番までの間協同する他家との親交を深める事が仕事のようなものであった。
「雛さんと葵……それに紫さんは?」
「後程お呼び出し致します。蛍夜家より預かる姫君については?」
「そうね……今回は止めておきましょう。長旅で疲れているでしょうし、この手の酒宴には不慣れでしょうからね」
つまり、脇の甘い新人を下手に参加させて他家に取り込まれる危険を冒す必要はない、と言う意味であった。
「はっ」
静は恭しく菫の命を承る。菫は、少なくとも外面上は柔らかい微笑みを浮かべて頷く。……そして、ふと怪訝そうに足を止めた。
「…………」
「……夫人?」
ひたすら黙りこんでその場に佇む菫に、静は首を傾げる。それを無視して、何かを感じるように、探るように、菫は眼を閉じて……。
「……いえ、何もありませんわ。歳を取るというものは嫌なものですね。少し旅の疲れが出たのかしら?」
瞼を開いた菫は何事も無かったかのようにコロコロと笑った。
「どうぞ御自愛下さいませ。酒宴の酒は弱めの物に替えて置きましょう」
「えぇ。そうして下さいな。……さて、行きましょうか?」
菫の催促に静は急ぎ会場に案内する。何かが引っ掛かったが……しかし静は眼前の職務からそれを思考の脇に押しやり、何時しか忘却していた。
……暗闇の世界から、それは既に忍び寄っていた。
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「では、我々は巡回に向かいます」
「あぁ。気を付けろよ?」
討伐隊の天幕の一つで怪我の手当て(自前)をしていた俺は、入室して来た柏木の報告に応じる。彼の背後の小僧共は此方を窺うが、直ぐに上司に促されて立ち去る。彼らはこれから『宝落山の迷い家』の周辺を警備しに向かう予定であった。
「……糞、意外と手間取ったな」
『(´・ω・`)ソダネー』
天幕の人気がなくなったのを確認してから、俺は悪態をつく。腕の大きな擦り傷を消毒して包帯を巻いていく。数刻前に下人衆隠行衆総動員で漸く始末した野槌から食らった怪我である。
より正確に言えば肉薄した野槌に森中を引き摺り回されて負った怪我がこれで、よりにもよって木屑が幾つも突き刺さり、それを引き抜くのも中々痛い作業であった……。
「あの鬼だ。絶対あの鬼だな……!?」
俺の脳裏に過り、何なら悪態を吐き捨てるのは何時もゲラゲラ下品に嗤う蒼い鬼の姿であった。
大妖なんて彼方此方に転がってるものでもない。山椒魚を雛が殲滅した時点で残るは有象無象、中妖以下の雑魚の掃除で済むと高を括っていたのだが……。
「いや、可笑しいだろ。五日で三体は絶対可笑しいだろ」
『( ・∀・)ジェットストリームアタックヲカケルゾ!!』
「知るかボケ」
白い阿呆蜘蛛の戯言に呆れながら、改めて俺は今の状況の異常具合を振り返る。
食肉植物めいた野生の、しかも特大の『迷い家』が鎮座しているのだ。霊脈の真上にある関係もあって大妖なんて真っ先に招き寄せられて美味しく頂かれる筈だ。それを山椒魚を除いても三体、五日という短期間で三体だ。冷静に考えれば異様としか言い様がない。となれば考えられる可能性で一番高いのは分かりきっていた。
(人夫の数が一人減ってる事からして、最有力候補だな。まさか、ここまでの襲撃が全て偶然とは思えねぇしな)
山椒魚を始末した次の日にはもう新手がやって来た。こいつを雛が焼肉にした時点で俺は急いで備えはしていた。二体目、そして三体目については辛うじて下人衆と隠行衆で対処が出来たが……。
「備えあれば憂いなし、か。そう単純な話でもないが……」
今回の戦闘で二桁近い負傷者が出たものの死亡者が出なかった要因は二つ。一つは橘商会から各種の装備を予備含めて多数用意していた事。そしてもう一つは各家の下人衆隠行衆の実質的な指揮権を有していた事だ。
特に二つ目は大きい。元々今回の任務は緊迫したものではなかったので各家下人衆らの共同訓練を行いたいと事前に雛に申請していたのが功を奏した。……自分の頭越しに動かれた静はかなり不快感を抱いているようだが背に腹はかえられない。毎回想定外に巻き込まれれば対策したくなるのが人情だ。命大事に、である。
(最悪に備えておきたいしな……)
主人公様が主人公ちゃんな事を含めて随分と原作から逸脱しているのだ。努力はするがあるいはバッドエンドは避けられないかも知れない。各家の下人衆との訓練と顔繋ぎはそのためにある。
薄々感じていた事ではある。鬼月家の下人衆は平均勤続年数十年を下回るブラック企業であるが、悲しい事にブラック企業の中ではホワイトの類いらしい。
小身金欠な家の下人衆にはガチで悲惨な所もあった。三年離職率(物理)九割とか意味分かんない。装備が塵、最低限の連携や武技すら不足する連中を投入なんてそれマジかよ。糞みたいな環境の鬼月家下人衆は、それでも歴史と人員の量によって蓄積されたノウハウから比較的恵まれていた。素晴らしいね。
下人なんて原作のゲームは無論、漫画ノベルといった他媒体でもモブな雑魚ではある。それでも貴重な戦力である事には変わりない。零と一は違う。彼ら彼女らには一人でも多く生き残り、一体でも多くの妖共を殺して貰いたかった。この機会に不用品となった装備の一部を贈与し、此方のノウハウや技術を伝授して生存率を高める……それが今回の任務における俺の目的であった。
……お陰様で囮役に手負いへの止めという死亡率の高い一番危険な仕事がダブルコンボで俺の役回りになってしまったが。新調した槍もへし折れて、今では一段階質の落ちる予備がメインウェポンである。笑えねぇ。それもこれもあの糞鬼のせいだ!!
「畜生。よく遊んでくれやがる……っ誰だ!!」
糞鬼に対する苛立ちもあって、俺は天幕に忍び寄って来た気配に対して手元に備えて置いていた槍を向ける。
「ひゃいぃっ!!?や、止めて下さいぃ!?」
尤も、俺の行いは余りにも早計過ぎたが。
「っ!?し、白……か?」
天幕の入口を潜った白は眼前に突きつけられた槍の穂先にプルプルと怯える。
「と、伴部……さん?えっと、これは……」
「い、いや。済まん、曲者かと思ってな……」
心底怯える白に、誤魔化すように俺は槍を引く。眼前の刃物が消えた事で、白は若干落ち着いたように此方を窺……『( ^ω^)ナカマニナリタソウニコッチヲミテイル!』ドラクエかよ。
「あー、その……あれか。姫様のお付きで来たんだな?」
「は、はい。そうです……」
当然と言えば当然の話であった。本隊にゴリラ様が同行するのは事前から分かっていた事で、彼女からして見れば鬼月家の紐付きではなく、後ろ楯も血縁もない、何も寄る辺のない白は雑用としては使い勝手が良く、比較的信用出来る存在だ。故に此度の討伐に際して白を連れて行く事は確実だった。
問題があるとすれば、そんな白が何用で此処に来たのか。いや、寄越されたのかという事で……。
「何だ?何か、用か?」
「よ、用事がないのに来ては行けないのですか?」
「いや、そう言う事じゃあないが……」
先程まで気が立っていた事もあって刺のある言葉となった俺と、怯えて他人行儀に尋ねる白。場に何とも言えない気まずい空気が流れる……。
「……分かった。済まん、少し苛立つ事があってな」
大人の役目として、先に折れたのは俺であった。
「槍を向けられたのも怖かっただろう?嫌な思いをさせたのは謝る。だから教えてくれ、明確な理由はなくても何か目的はあるんだろう?」
此方の謝意を示し、改めて丁寧に俺は問い掛ける。白は僅かに俯き、そしててくてくと此方に小走りで駆け寄る。俺はそれに対して反射的に対応しそうになるのを堪える。
此方の目と鼻の先にまで来た白は、緊張を含んだ面持ちで背後に隠していたのだろう風呂敷を俺の真っ正面に差し出した。そして……叫んだ。
「お、お弁当です!お昼ですし、一緒に食べましょう!!?」
「…………お、おう」
白からの必死の要望に、思わず俺は唖然としながら答えていた…………。
どうやら、此処に辿り着く前に宿泊していた旅籠にて白は己と俺の弁当を用意していたらしかった。より正確に言えばゴリラ様が弁当のために作った料理の余り物で白は二人分の弁当を拵えたらしい。
元よりゴリラ様は余り人を信じる性格ではない。幼少期に父の陰謀により飯に麻痺毒仕込まれて地獄に落とされかけたのだからさもありなんである。そんな経歴から、傲慢不遜常時慢心な彼女はしかし、毒探知のための呪具に関しては意外と多く所有しているし何だったら式神を使って自身の口にする物を自分で調理する事だって珍しくはなかった。毒味役だって良く利用している。
そして、その猜疑心は己を陥れた当主の目覚めから一層強まったように思われた。
旅籠の人間が信用出来なかったのか、どうやら行く先行く先で同じような事をしていたと言う。そしてその余り物を白に食べさせていたのだとか。あるいは己の使える駒を毒殺される事を恐れたのか……?
「それで昨日、何時もよりも沢山料理が余ったので伴部さんにもって思って……その、嫌、でしたか?」
不安げに此方を上目遣いで見つめる白狐の少女。表裏の無さそうな純粋なその眼差しに否と言える程に俺は勇気はなかった。
「いや。……そうだな。折角一仕事終えたばかりで腹も減っているしな。貰おうか?」
俺の承諾の返事に分かり易い程に喜びの表情を浮かべる白であった。俺はそんな彼女のために急いで卓と椅子を用意する。卓上に弁当箱を二つ置いて、白湯入りの急須と湯呑みをセッティングする。手洗いも忘れない。早く早くと急かす白を注意して水瓶の水で洗浄させた。そうして漸く飯の用意を完了させる。
「では御開帳と……これは凄いな」
然程高価ではない、大きさだけが取り柄の弁当箱を開くと、その中身に俺は思わず感嘆する。
主菜は魚だった。寒鰤だ。脂の乗った鰤の照り焼きである。かなりの厚切りであった。その他だし巻き玉子に酢と昆布で締めた鰊の切身、鶏と里芋の煮炊きが具わる。
金平牛蒡に黒豆、青菜の和え物、酢の物等々、副菜は計七種に及ぶ。
飯は香の物を供えた山菜と鶏肉の炊き込み御飯だった。出汁がたっぷりと米に染み込んでいるようでこれだけでも延々と食べ続けられそうだった。
「流石の品揃えだな。……姫様にとっちゃあこれでも不満だらけなんだろうが」
薄くてある物を大量に突っ込んで雑穀諸とも煮込んだ粥がメインの下人にとっては見ただけで涎の溢れる御馳走の数々、しかしながら所詮は田舎の旅籠で揃えられる食材で拵えた物だと考えると一流の食材ではないのは確実であの貴意の高いゴリラ様からすれば臭い飯扱いなのかも知れない。
「ははは……」
俺の反応に何とも言えない表情で乾いた笑いを漏らす白。おっといけないな。これから一緒に食う相手に愚痴を言うものじゃあない。
「……とは言え、旨そうな匂いに間違いはないな。じゃあ食べるとするか?」
そうして俺と白は各々に弁当を食べ始める。おう、マジ旨いなおい。
(佳世から馳走になる時は洋食や中華中心だからなぁ)
あれはあれで悪くはないのだが……舌は兎も角、身体に馴染む飯は違う。前世のように当然のように何時でも何処でも万国の料理を食べられた環境ではないのだ。やはり和食、扶桑料理がこの身体に一番合うように思われた。
「んっ、空か。……白、お前の湯呑みはどうだ?白湯お代わりするか?」
美味しさもあって、暫し無言で食べて飲んでしていると湯呑みの白湯を飲みきっている事に気が付いた。急須でお代わりを注いで白にも尋ねる。彼女の急須に若干温くなった白湯を注ぎながら今更のように俺は弁当の料理が若干味が濃い事を理解する。
「……弁当に詰め込む時に、塩か醤油か追加したりしたか?」
「?いいえ?」
俺は思わず白に尋ねれば白は首を傾げて否定する。奇妙そうな表情を浮かべる。
「そうか。……いや、良いんだ」
俺は直ぐに話を切り上げて白湯を呷り、食事を再開する。再開しつつも内心で不思議に思う。はて、汗水かかない都趣味なゴリラ様なら味付けは薄くすると思ったのだが……まぁ、良いか。
脳裏に浮かんだ僅かな疑問を、しかし俺は直ぐに脇に押しやった。まさか毒が仕込まれている訳でもあるまい。先程一仕事して疲れきっている俺にとっては、寧ろこの濃い味付けは幸いだった。再度、眼前の弁当の咀嚼に意識を集中させようとしていた俺は……其処で手の動きを止めた。
「……?伴部さん?どうしましたか?」
「いや、……悪いな。少し用事を思い出した。少しだけ待っていてくれ」
立ち上がった俺は装束を着込み、白にそう説明すると天幕から出る。そして導かれるように陣内を抜けていく……。
そして其処に辿り着く。周囲が木々と草藪で覆われた、視界の悪い森の一角に。
『迷い家』を一望出来る小さな丘の一角に。
「…………」
冷たい冬の風に、俺は僅かに身体を震わせる。一瞬、『迷い家』の荘厳で不穏なその外装を一瞥し、そして待つ。訪問者を、待つ……。
「突然の呼び出し、邪魔をしましたね?」
其ほど時を経る事なく彼女は来た。草藪が揺すられる音と共に背後から冷たい声が響く。
「……驚きましたよ。一体何の風の吹き回しで?よもや、直接お越しになるとは」
俺は振り向きながら彼女に向けて問い掛ける。これは本当に想定外であった。何時のように式神で耳元に語りかけるのならば兎も角、それによる呼び出しとは。
俺の眼前に、大熊妖怪の胸に抱かれる弱りきった少女がいた……。
ーーーーーーーーーーー
一目見て、彼女の異常は理解出来た。明らかに血の気のない青白過ぎる肌に、明らかに疲労が溜まっているだろう気怠げな目元。元より線の細い肉付きはまるで鋸で削り取ったように一層痩せこけていた。呼吸する度に胸元を苦し気に上下させていて息をするのも辛そうだった。
ただ一点、視線だけは何時も蜂鳥越しに目撃する冷たく冷淡なそれでいて、逆にそれだけが俺を安心させていた。思わず息を呑み、俺は掛けるべき言葉に苦慮する。
「……直接顔を合わせるのはかなり久しいですね、下人。ですが余り人を不躾に見るのは止めて欲しいものです、失礼極まりますよ?」
小さな身体を鬼熊の巨木のような片腕に乗せる形で抱かれて、それでいて口を開けば一丁前に不愉快げな罵倒を漏らす牡丹であった。しかし……普段蜂鳥を通じてのそれと違い今の彼女の発言は多分に強がりの印象を受ける。気まずい空気からか、俺は一瞬唖然として、しかしながら直ぐに口を開く。
「こ、これは失礼を。つい、思いがけず……」
「思いがけず、ですか。……取り繕う必要はありませんよ。貴方が愕然とする理由は察しが付きます」
俺が慌てて弁明しようとするのを、牡丹は冷笑する。自嘲にも思えた。複雑げに口元の端を吊り上げる。
「此方も、そちらの事情や立場に配慮せずに急な接触を要求した事については謝罪しましょう。私も、時間の猶予は無かったものですので」
「時間の猶予……ですか」
「えぇ、そうです」
牡丹の再度の冷笑。そして咳き込み。その咳き込みの度に彼女は苦しむように苦悶の表情を浮かべる。まるで衝撃で内臓が破裂して骨が割れてでもいるかのように。
「牡丹様……!?」
「其処を動かないで下さい!」
余りの悶絶具合に思わず駆け寄ろうとするのを鋭い命令と熊妖怪の威嚇の唸り声が制止した。俺は数歩程彼女らの元に向かったのみでその場で足を止める。
「ゲホゲホ……互いのために、余り傍に来るのは止めて下さい。……はぁ、貴方は馬鹿ですか?こんなに苦しんでいる人間の傍に来るものではありませんよ?」
牡丹の言は退魔士としては当然の常識であった。呪われているのか寄生か洗脳でもされているのか、あるいは中身が掏り替わっている可能性だってある。眼前で苦しんでいても、いやだからこそ不用意に迫るものではないのだ。
「それは……軽率でした」
「全く軽率ですね。そんな無思慮だから今の貴方の酷い状態がある事をそろそろ学ぶべきですね」
此方が謝罪すれば、鼻で笑うように牡丹は冷たく言い捨てる。言い捨てて、何かを思い出すようにして苦々しげに舌打ちする。
「調子が狂う……」
「はっ?」
「我ながら気の迷いで馬鹿な判断をしたという事です」
首を傾げる俺に対して、蔑むような視線を向けた後、牡丹は鬼熊に何やら耳打ちする。空いている方の手を口元にやって困ったような表情を浮かべる熊。牡丹と俺の双方をちらほら見比べるように何度か見つめる。
「いいから命令に従いなさい。式の分を弁えろ」
『おやおや、土壇場で日和ったかの?良くないの、嫌な事を先延ばしにするのは』
牡丹の命を否定するように嗄れた声を口にする蜂鳥が現れた。俺の頭の上に着地して宣った『(。・`з・)ノソコハワタシノシテイセキヨ!』んな訳ねぇだろうが。
「……お祖父様、何用で?」
『ほほほほ、頑固な孫娘に人生の先達としての助言を授けに来たのよ』
「年寄の頑迷な小言の間違いでは?」
蜂鳥の飄々とした口調に不機嫌そうに牡丹が言い捨てる。蜂鳥はそんな孫娘の態度に嘆息する。
『そうは言うがの。代案は無かろうて?馬鹿ではない御主であれば現状は把握出来ておろうに』
「……黙れ」
諭すような蜂鳥の物言いに、少女は小さく呟く。
『丸薬は後幾つある?御主に後何れだけ時間がある?』
「……黙れと言いましたよ?」
牡丹の言葉を無視するように蜂鳥は指摘を続ける。牡丹は今一度警告する。
『都の外街からここまで幾日かけた?貴重な時間を何れだけ使い潰した?漸くここまで来たのに眼前で尻込みかの?情けない話よの、そもそもそんな思慮があれば今の主のような事態は無かろう……』
「黙れって言っているでしょうがっ!!!?』
蜂鳥の言葉を遮るように少女は怒鳴る。目を見開き、声を荒げる。まるで逆鱗に触れたような豹変ぶりであった。思わず俺は身構える。
尤も、そんな気力も長くは続かないようで直ぐに表情を苦悶に歪ませて、血の気を失ったように鬼熊の腕の中で松重の孫娘は脱力する。はぁはぁと必死に深呼吸して身体を身震いさせる。それでも直ぐに視線を俺に、蜂鳥に向ける。鋭い眼光で睨み付ける。重苦しい空気が流れる。
「……いい加減にして下さい。自分の始末くらいは自分で付けられます。貴方の一番の懸念はそれでしょう?……見せ掛けの身内への情なんて要りませんよ」
まるで疲れきったかのように疲労困憊の声音で、震えるように牡丹は言葉を紡ぐ。今度こそ蜂鳥は何も言わなかった。沈黙が場に流れる。木々の葉が揺れ擦れる音だけが微かに響く……。
「牡丹様……」
「見苦しい所を見せましたね、忘れて下さい」
「それは貴女の存在そのものを、ですか?」
「先程も言いましたが軽率に他人の事情に首を突っ込むのは止めた方が良いですよ?自分に関わりない案件には見て見ぬ振りするのが賢者の処世術というものです」
俺の指摘に、牡丹は心底呆れたようにぼやいた。冷笑した。
「それこそ御冗談を。貴女に何かあれば私だって困るのですがね?」
「お祖父様がいれば然程問題はありませんよ。接触する頻度が減るだけの事です」
「何が問題なのですか?私に出来る事があれば可能な範囲で御協力致しますが……」
俺の提案に、牡丹は答えない。呆れと蔑みと怒りが複雑に混ざりあったような表情で此方を見つめ……何か言おうとする前に気配に気付く。俺もまた一瞬遅れつつも彼女の存在に気が付く。
「確かこの辺りに……あ、見つけた伴部君!!良かった!あのね、ちょっと相談があって……」
陣内の方向から草藪を抜けて現れたのは少年味のある黒髪の少女だった。どうやら何か用があったのだろう、蛍夜環は此方を見つけると屈託のない笑みを浮かべて駆け寄り……鬼熊に抱かれた少女を見て硬直する。
「えっ、妖?けど……」
「では鬼月の允職。私は此れにて失礼を」
困惑する環を一瞥した後、関心を失ったように牡丹は嘯く。同時に鬼熊に命令をして踵を返させる。その台詞も含め、どうやらこの討伐作戦に参加する退魔士の一人と思わせるように振る舞っているようだった。後はお前が誤魔化せ、という事らしい。
「……はっ!どうぞお気を付け下さいませ」
俺も先ずは牡丹の企みに乗る。一礼して頭を下げる。そして直ぐに環の元に向かう。
「環様、申し訳ありません。御用向きでしょうか?」
「あ、うん……えっと、お邪魔した、かな?」
俺の謝罪の言葉に困惑して気まずそうにした環が問いかける。
「いえ、そのような事は。それよりも自分に一体どのようなご要望でありま、しょ……うか?」
俺は場の状況を誤魔化すために必死に平静を装い話を逸らそうとする。逸らそうとして……直後に漸くその異常に気が付いた。
そして今更ながらに合点がいく。先程から場に流れる重苦しい空気が決して気分だけのものではない事を。本当に、本当に薄い妖気の瘴気がこの場に流れ込んで来ていた事に。
……足下から。
「環様……!!?」
俺は地面から蛇のように浮き上がって環を背後から襲いかかる多数の蔓を目撃する。
「えっ……?」
俺の叫びに咄嗟に振り向く環。しかしそれでは遅過ぎた。俺は咄嗟に手車を投擲していた。投擲しながらそれを鞭のようにして横凪ぎに払う。手車から伸びる土蜘蛛の吐き出した鋭利な銀糸が、まるで豆腐を切るように太い触手のような蔓を纏めて切断する。
……その後方から更に無数の蔓が迫って来ていたが。
「こ、この!?うわっ……!!?」
慌てて刀を抜いた環が即座に己に向かう蔓を一本二本と切り落とす。しかし直ぐに三本目が刀に巻き付き、四本目が環の片手首に巻き付いた。そしてそのまま彼女を引き摺るように引っ張りこむ。
「させるかよ……!!」
俺は携えていた槍を振るった。環の手首に巻き付く蔓を切り裂いた。そしてクルリと回って後続の蔓を纏めて刈り払う。
『グオオオオオッ!!』
その咆哮に俺は振り向いた。見れば同じように無数の蔓が牡丹達に迫って来ていた。彼女を守るようにして鬼熊が鋭い爪で触手のように襲いかかる無数の蔓を迎撃する。牡丹自身もまた呪符を放って抵抗する。
援護は出来なかった。既に第二波、第三波が迫っていた。
『Σ(*゚Д゚*)キタワパパ!!』
「何だ、何なんだこいつは……!?」
此方に向けて襲いかかる蔓の群をひたすらに切り裂きながら俺は叫ぶ。有り得なかった。陣の周囲の妖共は丹念に掃討されている筈で、『迷い家』の周囲は内から妖が解放されれば流石に気付く筈……!?
「いや、これは……まさか!?」
直後に相手が蔓である事、そこから俺はその結論に辿り着く。『迷い家』は植物系の妖、そして植物の根というものは時として地表の上目からだけでは想像出来ない程に広がっているもの、つまり、あぁ嫌な予感しかしねぇ……!!
「きゃあ!?」
「姫様!?」
背後からの悲鳴に俺は振り向くといつの間にか這い寄って来ていた蔓に足を捕らわれる環を視界に収める。直ぐに助けに向かおうとして……地鳴りが響き渡る。
『!!(゜ロ゜ノ)ノウヒャイ!?』
「おいおい、嘘だろおい!?」
まるで爆散したように地面が盛り上がる。亀裂が入る。そして躍り出る。蚯蚓のようにのたうち回る無数の巨大な根が。
「下人!余所見の余裕はありませんよ!?」
「っ……!?マジか!?」
そしてそれ自体が囮だった。牡丹の警告、それと同時の事だった。新手に気を取られていた所で四方から四肢を捕らえるように蔓が伸びる。いや、捕らえた。
「んな事で……!!?」
俺はがむしゃらに暴れて逃れようとするが時は既に遅い。片手に纏わりついたそれを引き離した途端に巨大な根が俺の胴体を捕らえる。
「なっ、止め……!?」
『( ゚д゚)ブラーンコ!!』
叫ぶより先に口元を蔓が猿轡してきた。次に浮遊感が全身を襲う。視界が急転する。
俺は視界の端に見た。遠目に見える無数の蔓と根の襲撃を受ける陣を。必死に抗戦する退魔士に下人。一方的に捕らわれる人夫に雑人。いや、それどころか退魔士を含む戦闘要員すらも拘束される者がいた。
「っ!?」
目映い光が一瞬視界を満たした。轟音が、陣の一角で鳴り響く。陣を襲う滅却の炎の前に無数の根が灰塵に帰する。また別の一角に視線を向ければ次々と迫り来る蔓を扇子の一振りで塵のように凪ぎ払う姫君の姿が視界に映りこむ。
「伴部……!?」
遠目に此方を視認した桜色の姫君が驚愕に目を見開いた。因幡の白兎宜しく迫り来る無数の蔓を踏み台にして跳躍しながら此方に向けて疾走してくる。
「ひ、め……がっ!?」
「っ!?退きなさい!!」
助けを求める俺の声は最後まで続かない。猿轡に加えて自身を捕らえる根がその締め上げる力を強めたからだ。肺が圧迫されて声が上げられない。そして姫の救援もまた無意味だった。無数の蔓と根が遮るように彼女に迫り来る。扇子の一閃で凪ぎ払い、消し飛ばすが意味がない。単純に量が多過ぎて処理仕切れていなかった。それは爆音と共に叩きつけられた業火も同様。
「ん、んんっ……!?」
刹那の内に宙を浮いていた身体が、一気に地面へと引き摺りこまれる。自身を捕らえる根がまるで蛇の舌のように己の躍り出た地表の裂け目へと引き返す。絡め捕らえた哀れな獲物共々に。
「……!!?」
己を呑み込まんとする大地の亀裂が、視界に迫る先の見えぬ漆黒の闇が、まるで怪物のあぎとのように俺には思えて、そして、そして、そして………。
「うっ……?」
何れ程時間が経たのか、頭痛と全身の倦怠感と共に俺は意識が浮上するのを自覚した。どうにも纏まらぬ思考、混乱する記憶、そして揺れる視界の中で殆ど本能的に俺は上半身を起き上がらせる。槍で身体を支える。ふらつきながらも立ち上がって周辺を警戒する。
「な、何だ、こりゃあ……?」
視界に映り込んだのは襖で区切られた延々と続く廊下であった。空間は灯りもないのに妙に明るかった。前方、そして左右にT字に伸びた回廊はその終わりは見えない。
「鬼月家の屋敷?いや、違う。これは一体……っ!?」
俺は混濁する意識で必死に思考する。この異様な空間の正体を考察する。そして自然と背後を振り向いて壁に描かれた二列の文章の存在を発見した。
『おきゃくさま ぼくの じまんの おうちにようこそ!!』
「…………は?」
壁に、まるで子供の落書きのように乱雑に書き記された鮮血のように真っ赤な文章。その一文目を読み取った俺は一瞬訳の分からぬままに唖然とする。直後に思い出す。全てを。前世の原作知識を、直前の記憶を。
そして理解する。状況が最低最悪の糞ゲーの、限りなく理不尽不条理な詰みゲーに陥っている事実を。
『どうぞ じっくりたっぷり こころゆくまでたの しんでね!! そのいのち つきはてるまでな! (゜∀。)』
ほぼ無意識に二文目を読み取った直後である。突如、部屋中から大音量で音楽が奏でられ始める。心底楽しそうな、愉快この上ない音楽が鳴り響く。
「っ……!?」
……同時に俺は振り向き様に、背後からゆっくりと迫っていたろくろ首の首を槍で切り落としていた。満面の笑みのろくろ首の頭が廊下に跳ねるようにして転がっていく。
それが合図だった。号令だった。開演の、幕が上がった。
左右の廊下の襖が次々と開かれる。そして溢れ出る。河童が。人面犬が。泣き女が。けてけてが。唐傘小僧が。毛女郎が。一反木綿が。奇々怪々の魑魅魍魎が……一斉に、俺を見た。
そして笑った。嗤った。哀れな獲物を、生け贄を嘲笑った。
その光景を俺は知っていた。具体的には漫画版と動画サイトで。
「っ!?海外ニキのネタじゃねぇんだぞ!!?」
一瞬気圧された俺は、しかし直ぐに決断する。唯一怪物共がいない、前方の廊下に向けて全身全霊を懸けて疾走していた。背後から無数の足音が追いかけ始める。振り向く暇なんて無かった。海外ニキのファンフィルムでも足止めた奴は大体追い付かれて死んでいた。
「畜生、冗談じゃねぇ……!!?」
無間地獄の、螺旋迷宮の、命を賭けた分の悪過ぎる遊戯が始まった……。