和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 貫咲賢希さんより、前話鬼熊(と牡丹ちゃん)のイラストを頂きましたのでご紹介を。鬼熊はお色気系ヒロインだった……?
 https://www.pixiv.net/artworks/101206047


 此方は天上夢月さんより、R-18佳世ちゃん小説になります。此方、アンケート付きとの事です。
https://syosetu.org/novel/235418/4.html

 また、以前紹介した方々の本作二次創作小説についても、その後更新されている物について改めて此処でご紹介させて頂きます。
・愛川蓮さん著
https://syosetu.org/novel/284627/
・パリピプラゾールさん著(R-18)
https://syosetu.org/novel/293932/

 皆様、改めまして素晴らしいファンアート有り難う御座います!




第一〇五話●

「現状、把握出来る範囲での損害は家人たる退魔士三名、下人隠行衆合わせて九名、雑人や人夫も合わせて二十名近くに上ります。またこの数は今後報告が纏まり次第、更に増加する可能性があります」

 

 引き裂き尽くされて、打ち砕き尽くされて、そして焼き尽くされた無数の蔓と根が散乱する大地……天幕がなければ椅子や机すらもない、襲撃によって荒らされ尽くされた酒宴の元会場を流用して拵えた即席の議場にて、現在までに確認が取れた詳細の報告をする宮水静。その顔は真っ青で、言葉を紡ぐ口元は明らかに震えていた。当然であろう、損害は甚大であった。

 

 突如として陣営に襲いかかった蔓と根の大群……その正体を今更説明する必要はあるまい。態態その場で殺さずに地中に呑み込んだ事、そして眼前の『迷い家』がその本質がどのような妖であるのかを知っていれば答えには容易に辿り着く。

 

 自然界に存在する肉食植物がそうであるように、『迷い家』は捕らえた獲物をその場で食い殺す事はない。その腹の内で追い詰めて、真綿で首を絞めるようにじわりじわりと消化していくのだ。それこそ、時として数十年数百年の刻をかけて。

 

 ……尤も、それを含めても今回の事案に対する議場に出席する者達の衝撃は計り知れなかったが。

 

「馬鹿な、有り得ん。地中から忍び寄っていたなぞ……こうも気取られぬものなのか?」

「いや、それは違うな。奴は忍び寄ってなぞおらん。元から根を張っていたのだ。我らはその範囲内に陣を張ってしまったのだろう。狡猾な事だな」

「『迷い家』にとって外装の屋敷は獲物を呼び寄せるための飾りのようなものですからな。しかしこれは流石に……」

「幻惑による洗脳で呼び寄せる事例は多々見られるが……まさかこうも直接的に襲いかかって来た事例は過去の資料を見てもない。前代未聞です」

「ふん、そんな一言で済めば苦労はないわ!!糞、どうしてこんな事に……!!?」

 

 議場に参列する各家の退魔士らはひたすらに愚痴り合う。そうだ、全ては前代未聞であったのだ。基本的に受動的な存在である『迷い家』がこんな行動に出るなぞ……。

 

 甘い誘惑で誘う事はある。眷属共を吐き出して誘拐する事例は、極めて少ないがない事はない。しかしながら『迷い家』が己が直接に外部の人間を連れ去るという記録はこれまで確認された試しがない。まさに前代未聞……だからといってそれで全てを終わらせる訳にもいかない。

 

「…………」

 

 静は己の立場を誰よりも理解していた。この場で誰が切り捨てられるのかを。鬼月家主導の討伐で、しかしながら当主の妻や娘らがその責を取らされる可能性は限りなく有り得ぬ事だった。だからこそ血の気が引く。己の身もそうであるし、何よりも彼女の失脚は彼女が忠誠を誓う主君の立場をも危機に陥れるのだ。

 

「ひ、姫様!?な、何をなさるおつもりですか!?」

 

 悲鳴に近い声が議場にまで届いた。参列者らが揃って視線を向ける。そしてざわめきが広がる。

 

 周囲の制止を押し退けて進むのは姫君二人であった。鬼月の一の姫と二の姫が議場に現れる。一人は紅の鎧を着込み、今一人は最高級の呪具で全身を飾り立てて。共に剣呑な表情に震えるような霊気を纏わせて。

 

「今より『迷い家』の中に突入する、各自直ちに支度をして貰いたい」

 

 雛の要請、いや要求に参列する各家の退魔士らは一層どよめく。困惑する。

 

「馬鹿な。有り得ぬ。論外だ」

「『迷い家』の内に入るなぞ無謀だ。鬼月の一の姫は正気を失われたか!?」

 

 凶妖級にまで成長した『迷い家』の内に突入するのは限りなく自殺と同意であった。いや、生還の可能性がない訳ではない。『迷い家』のその権能は……己が内で他者を迷わせ幻惑させて、地獄のような迷宮に閉じ込めるその力は、しかしながら凶悪で悪辣である代わりに攻略不可能な訳ではなかった。

 

 どれ程可能性は低くても、力と知恵と幸運さえあれば生還は出来る構造である事……それが『迷い家』が権能の『縛り』である。だからこそ、嘗て幾度か送り込んだ偵察の内の幾人かは生き残ってその内部構造や眷属の種類に生息圏、仕掛け罠の詳細を記録しているのだ。

 

 ……十人に一人程度の割合ではあるが。

 

「では『迷い家』に捕らわれた者達はどうする?このまま見捨てると?」

「しかし!奴の腹の中は広大、我らが侵入しても二次遭難になるだけの事。下手に……うおっ!?」

 

 雛の追及に参列者の一人が反論しようとして……直後の事であった。彼らの眼前の大地が無惨に抉られたのは。

 

 抉った張本人は……何処までも冷たい眼で彼らを睨む鬼月葵は有無を言わせぬとばかりに扇子を参列者に向ける。削り取った神木を骨組として何重にも呪いを仕込んだそれは唯の調度品ではなく一級の武器であり、それを他者に向ける行いは誤魔化し様がない程に明白な脅迫であった。

 

「支度して貰えるな?」

 

 そして重ねての要請。一の姫の命令。放たれるは圧倒的且つ濃厚な霊気……此処に集う鬼月家以外の退魔士家は最も古い家でも三百年程度の歴史しか持たない。一般的に代を重ねる程に霊力と異能を濃縮させる事を思えば眼前の若い娘らの気迫に彼ら彼女らが揃いも揃って怖気づくのは寧ろ当然の事であったろう。何ならばやろうと思えば皆殺しにも出来たかも知れない。選択肢は存在しないかのように思われて……。

 

「雛さん、葵」

 

 彼女は何事もなかったかのように二人の『娘』に声をかける。普段と変わらない柔らかな、何処か呑気にも思える甘い声音で。焦燥する人間の神経を逆撫でするような安穏とした口調で。

 

 ……気取られる事もなく二人の少女の直ぐ背後に佇んで。

 

「え?うっ!?」

「なっ!?がっ……!!?」

 

 それは一瞬の事であった。いつの間にか背後に立っていた菫の呼び掛けに驚愕に近い反応で振り向いた二人の姫君は、直後に悲鳴を漏らし、そして崩れる。地面にそのまま倒れこむのを菫が纏めて抱き支える。

 

 手刀であった。恐ろしく速い手刀。歴戦の退魔士すらも見逃してしまいかねない速度で放たれたそれは首の急所を正確無比、一撃の下に捉え、一切の反撃すら許さずに姫君達の頭蓋を揺さぶりその意識を刈り取ったのだ。思わずその場にいた全員が唖然とする。その行為に、その手並みに、その技量に。人を気絶させるのは殺すよりも難しい事を思えばそれは最早芸術的ですらあった。

 

『グオオオッ!!』

『グルルルルルッ!!』

 

 ほぼ同時に天から飛び掛かったのは白鷲であり、龍であった。神気を纏う神獣共が主人を害した下手人に迫り来る。

 

「お黙りなさい、駄鳥」

 

 頭蓋を食い千切ろうとした鷲の嘴を捕らえてそのまま背後の森に叩き投げる菫。後続の龍はその光景を確認して様子を見るように空でとぐろを巻く。唸りながら菫を睨み付ける。

 

「お止しなさいな。貴女相手では私も勝てませんけれど……貴女も私と戦うならば手加減は出来ない筈。主君を巻き込むおつもりかしら?」

『…………』

 

 鬼月の龍は深い知性を感じさせるその眼を細め、菫を凝視する。

 

「颯天もそうです。主君が害されたからとそんな真っ直ぐに突っ込むものではありませんよ?……ねぇ、澄影?」

 

 夫人は何物も見えぬ一角に視線を流す。森の中から飛翔した神鷲は己に土をつけた女に怒り狂う。

 

「……気持ちは分かりますけれど、今はお引きなさい。過度な忠義は却って主人を困らせるものなのですよ?」

 

 菫の言葉に式達は沈黙する。静寂が周囲を支配する……。

 

「今一度、伝えます。今はお引きなさい」

『…………』

 

 龍が、先ず天へと帰る。続いて心底不満げに鳴きながら神鷹が嵐と共に消え去った。そして不可視の妖もまた……それらを確認し終えた菫は視線を漸く地上に戻した。

 

「未熟な娘達が御見苦しい姿を見せました。全く、妖に先手を取られた程度で直ぐに動揺してみっともない。……皆様、どうぞ御容赦下さいまし」

 

 周囲が言葉を失う中で、菫は慇懃に謝罪の言葉を口にする。両の腕に姫君らを抱えながら。

 

「……さて。今後の予定について討伐隊の筆頭たる私から意見させて頂きたいのですが。皆様、宜しいでしょうか?」

 

 鬼月家の夫人は微笑を浮かべて近場の退魔士の一人に問いかける。問われた退魔士はコクコクと頷くしかない。それを是として菫は場の参列者達を見渡して言葉を紡ぎ始める。

 

「ここに至っては仕方ありません。囚われた者達について彼是と考えるのは死んだ子の齢を数えるような事ですわ。この討伐が態々朝廷に具申し、帝の御手を煩わせて認可を得たものである以上、何も果たせずに退く事はあり得ぬ事……となれば私達の取り得る手は唯一つのみ、違いましょうか?」

「と、捕らわれた者共はお見捨てになると……?」

 

 震える声で参列する退魔士の一人は問い掛ける。それに対して菫は一切表情を変えずに提案の続きを述べる。

 

「『迷い家』に関する探索規定に従うのが良いかと思われますわ。それ以上は生存に期待するのは無意味ではありません?」

 

『迷い家』の探索規定……正確に言えば陰陽寮が作成する各種妖の特性に基づいた対処方法の規定書には記されている。『迷い家』内部に囚われた者は丸一日以上その内から生還せぬ場合死んだものとして考えるべしと。

 

「しかしそれは……」

 

 場に参列する者達は互いに窺う。その理由は分かり切っていた。責任の所在だ。人夫や下人共の犠牲は仕方無いとしても家人を含めた退魔士については別問題だ。見捨てた事による外聞や追及を思えば我先にと賛同出来るものではない。怨まれて呪われては敵わない。

 

「……此度の討伐は鬼月の家が主導したもの。なればこの一件もまた私が責を負いましょう。決してこれ以上他家の方々に御迷惑はおかけ致しません。何卒お願い申し上げます」

 

 そう言って菫は、鬼月家当主夫人は恭しく参列者達に向けて頭を垂れる。

 

「そ、そう仰るのであれば……」

「捕らわれた者共の一覧を見れば、鬼月家所属の者も多いようですからなぁ……」

「鬼月家当主夫人よりそのように言われてしまえば、これ以上文句は言えますまい」

「左様、我らも出来うる限りの協力を致しましょうぞ」

 

 菫が公然と全ての責任を負うのを申し出た事で、漸く彼ら彼女らは折れた。折れたように見せかけて彼女に全ての責任を押し付ける。言い訳する逃げ道さえあれば彼ら彼女らはまるで自然の摂理かのように直ぐにそちらへと流れる。

 

「皆様、心より感謝申し上げます。此度の損失、我が家より補償させて頂きます事も御約束致しますわ」

 

 再度頭を下げての謝意、そして最後の殺し文句に参列者達の大半は迎合した。少なくとも下人や雇った人夫を捕らわれただけの者達は。家人を捕らえられた者達も今更この流れは覆せない。最も多くの手勢を捕らえられたのは鬼月家であり、菫の言う通り一度捕らえられた者の事はどうしようもないのだから。いや、どの道あのような騒ぎを見せられて真っ正面から反発出来る者なぞいる訳が無かった。

 

 こうして、場の主導権は菫の物となる。

 

「それでは、一先ずは陣を下げましょう。大分根も蔓も祓いましたがまだ仕込みがあるやも知れません。今一度襲撃を受けては堪りませんわ」

 

 菫の言葉は尤もであった。この辺り一帯が地下で妖の根で被われている事が判明した以上何時までも留まる訳にはいかない。

 

「念のために新しい陣を張る際には地中を耕した方が良いでしょうね。静さん、紫さん。後程協力を御願い致しますわね?」

「は、はい!」

「えっ?わ、分かりました!?」

 

 突然の呼び掛けに名を呼ばれた二人も返事に動揺を隠せなかった。特に紫の場合は丁度周囲の根と蔓の残りを殲滅し終えて帰還した直後の事である。何故菫が鬼月の姉妹を抱き抱えているのかと首を傾げながらの返答であった。

 

「それでは、動きましょうか?」

 

 何はともあれ、議場の主導権を握った菫の言に逆らう者はいない。菫のその一言に参列者達はぞろぞろと行動を開始した。残余の下人に隠行衆、雑人に人夫らにそれらを雇う各家が指示を出していく。

 

「貴女方もですよ、蛍夜の従者の皆さん?」

 

 その光景を一瞥して、そしてにこりと微笑みながら菫は天幕の陰から覗いていた視線に呼び掛けた。直ぐに降参とばかりに両手を上げた狼女と緊張に表情を強張らせた女中が現れる。

 

「主人が捕らわれた事に対して救助に向かおうとするその心意気、忠誠心には感心致しますわ。ですがこの件に関してはその勇気は無謀、蛮勇に類するものですよ?御止めなさい。分かりましたね?」

 

 諭すように菫は入鹿と鈴音に向けて忠告する。優しく、しかし何処か軽薄にも思える声音で警告する。

 

「す、菫様!」

「鈴音!不味い、止めろ!」

 

 そんな菫の態度によるものか、鈴音が顔を引き攣らせるとそのまま入鹿の制止も聞かずに駆け出す。菫の足元に跪く。頭を文字通り地面に着けて歎願する。先刻の騒動で捕らわれたと思われる環の救助を求める。

 

「後生で御座います!!ひ、姫様を……!お願い致します!!どうか姫様の救助を、何卒……!!」

「なりません」

 

 鈴音の勇気を振り絞っての必死の要望を即座に、淡々と菫は却下の意思を下す。

 

「先程宣言したように、全ては規定に基づく処置。例外は認めませんよ?」

「そんな……!?殺生な!!?」

 

 余りにも冷たい宣告に鈴音は絶句した。付き合いは長くないとは言え確かに環は菫の教えを受ける師弟の関係にあったのだ。牛車の内でも菫は比較的環に目をかけていた事も目撃している。少なくとも敵意も悪意も向けられてはいなかった。それをこれ程までに易々と……!?

 

「鈴音、馬鹿!止めろ!!」

「ですが!入鹿……!?」

「良いから落ち着けっての!!」

 

 尚も食い下がろうとする鈴音を背後から入鹿が止める。鈴音はそんな友人の無情に睨み付けるが、入鹿の苦渋の表情を認めると顔を歪ませる。

 

「気持ちは分かるが止めろ。首が飛ぶぞ……!」

「っ……!?」

 

 入鹿の警告に、鈴音は今更ながらに正面から滲み出る殺気に気が付いて腰を抜かす。微笑みを浮かべる眼前の夫人の、その隠しようのない圧力に冷や汗が浮かび上がる。

 

 一罰百戒、そんな言葉が思い浮かんだ。規則に、指示に、従わない誰かを見せしめにする事で周囲の統制を図る……危うく己がその贄にされる所であった事を鈴音は理解する。

 

「も、申し訳……御座いません」

 

 震える声音で鈴音は屈服する。屈服せざるを得ない。それ以外の選択肢は存在しなかった。無意味だった。

 

「……お分かり頂ければ良いのですよ。分かっております。貴女方の主君への忠義については良く心に留めて置きましょう。しかし、今はどうぞ抑えて下さいな。凶妖共相手の仕事は報国であり、共同作業。己が都合のみでは進められぬものなのです。くれぐれも早まった真似はせぬように」

 

 菫は女中の土下座を一瞥すれば小鳥の囀りのような声音で二人を宥めた。宥めながら二人に言い訳の余地を与える。彼女らの主人が喪われた後にその家族に向けての弁護を確約する事を迂遠に嘯く。二人が責を問われる事がないように口添えする事を仄めかす。

 

「……はい。どうぞ、宜しく御願い申し上げます」

 

 苦虫を十匹は噛み潰したような表情で鈴音は謝意を示す。口だけで心が篭っているようには思えなかった。なんだったら屈辱ですらあった。思い浮かんだのは遠い過去に家族を失った記憶。だが……事実彼女には選択肢なぞ無いのだ。その厳然たる事実を突き付けられて、鈴音は青ざめて、目元に潤みを覚える。己が無力を思い知らされて、情けなくなる。屈辱に打ち震える。

 

「……では其方の狼さん。この女中さんを頼みますね?蛍夜の姫様のお連れの女中、お気に入りのようですから」

 

 物分かりの良くなった女中を見下ろした菫は微笑を浮かべて小さく頷く。そして傍らに寄り添う入鹿に一言命じれば、踵を返してその場を立ち去っていく。両の腕に娘らを抱き抱えながら。

 

 背後から漏れる嗚咽には最早何の関心もありやしなかった。唯、娘らを寝かせるために後方に設営されている天幕に向かう途上で、一度だけ彼女は視線を向ける。

 

「……さて、お手並み拝見とでもいきましょうか?」

 

 夫人の囁くような呟きは、周囲の喧騒の中で掻き消されていた……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

『くすくすくす……』

『ほぅら、どうした?俺はここに居るぞ?』

『分からないのか?こんなに近くにいるのに……』

『ひひひひひ、どうした?俺の姿が見えないのかぁ?』

「…………」

 

 耳元で、あるいは直ぐ傍らで、時には背後に天井、足下から響くそれらの不気味な呼び掛けの数々に、しかしながら俺は無言を貫く。唯々無言の内に瞼を瞑り、壁を伝って俺は歩み続ける。鏡だらけの迷宮を進み続ける。

 

(どんな部屋に繋がっているのか不安で仕方なかったが……これは運が良かったな)

 

 延々に果てのない通路を妖共に追いかけられ続ける糞部屋から、何処に繋がっているのかも分からぬ襖の内に飛び込んだ俺は安堵する。理由は唯一つ。逃げた先の部屋の難易度が低いものであったからだ。……少なくとも原作知識を持っている者からすれば。

 

 鏡の中の自分……それは伝奇物の中ではかなりポピュラーな代物だ。学校の七不思議があればほぼほぼ確実に一つはエントリーしている事であろう。内容は様々だろうが多くの場合鏡の中に取り込まれたり、入れ替わったり、あるいは精神を誘導されて自殺してしまうなんて話もある事だろう。

 

 俺が辿り着いた先は壁という壁が、それどころか床も天井も全てが鏡の大迷宮であった。俺は知っていた。この部屋を無事脱出するために必要な事は鏡を見ない事、それだけだ。

 

 鏡妖怪共は条件が揃わぬ限り俺を直接害する事は出来ない。だから俺はひたすらに目を閉じ続けて壁伝いに迷路を進む。あらゆる言葉を以て鏡妖怪共は俺に瞼を開かせて鏡を見せようとするがそれらは全てまやかしだ。設定が正しければこの迷宮には罠も徘徊する妖もいない。いるのは唯唯鏡の中から惑わすように、あるいは挑発するように声をかけて来る連中のみ。

 

 正に初見殺しの部屋であった。普通に考えれば『迷い家』の内に閉じ込められて動揺する中、一面鏡張りの部屋で視界を閉じ続けるなんて選択はそうそう出来ない。奇襲や背後からの不意討ち上等なのが妖であれば、四方八方からの声音に無反応を貫くのも容易な事ではなかった。俺だって事前知識がなければあっという間に引っ掛かっていただろう。

 

 因みに視線を合わせなくても出来るだけ会話もしない方が良い。覚妖怪のように此方の思考を直接読み取れる手合いではないが、口達者な連中だ。此方の返答から様々な情報を読み取って言葉巧みに術中に嵌めようとしてくる。不用意な会話は危険だ。面で顔を隠すのも此方の感情を読み取るのを妨げるのに都合が良い。

 

「っ……!」

 

 何れ程進んだだろうか?体感時間で一刻程さ迷い続けて……とは言え『迷い家』の内での体感時間なんて当てにならないが……漸く俺はそれを見出だす。一面鏡張りの迷宮の中で突然触れる木材の感触。ちらりと瞼を開いて見れば取っ手があった。引戸であった。

 

『おいおい、行っちゃうのかよ?』

『キャハハハ、良いのかぁ?その先に何があるかなんて分からないんだぜ?』

『それよりも私達とお話してみない?何か良い考えが思い浮かぶかも知れないわよ?』

『そうそう、何事も相談が大切だよ?』

 

 様々な方向からの老若男女様々な声音が俺に向けて囁く。ある者は怒るように、あるいは嘲るように、不安を煽るように、説得するように、優しげに……全てが等しく無価値な雑音であった。

 

 俺はそのまま引戸を開く。その先にあるのは再び真っ暗な空間……。

 

(さて、次は何処に繋がるのやら……)

 

 何にせよ、何時までも此処に留まる訳にはいかなかった。この鏡の間から出口に出る事は出来ないし、時が来れば恐らくこの空間は、化物の腹の中の世界は文字通り噴き飛ばされる事だろう。退魔士に人質なんて滅多に効くものではない。

 

『おい、待てよ。無視するんじゃねぇ!』

『けっ、生意気な猿め。なめやがって!』

『後悔するが良い。此処に留まっていた方が良かったってすぐに泣きじゃくる事になるぞ?』

『出口を探すなんて無駄な事なのにねぇ』

『『『お前らはこの牢獄からは逃げられない』』』

「知るか阿呆め」

 

 最後の最後に小さく吐き捨てて、俺は暗闇の中へと身を乗り出す。再び感じる浮遊感、落下していくような奇妙な感覚……雛との山椒魚退治の時程ではないがこの感覚は中々慣れなかった。俺は絶叫系アトラクションが嫌いなのだ。

 

「ん?そう言えば……」

 

 ふと、闇の中で落下し続けながら俺はふと気が付く。あの鏡妖怪共、今「お前ら」って言ったか……?

 

(他の囚われた連中の事か?それとも俺を監視でもしてる式神の事か?いや、それにしてはニュアンスが……)

 

 鏡妖怪共の捨て台詞に俺は困惑し、疑念を抱き、そして……。

 

『(>ω<。)ンンー?、(* ´ ▽ ` *)ファー、パパ!イマオヒルネオワッタワーヨ!』

「お前の事かい!!?」

 

 今更のように口を開いた嬉しくもない連れ合いに向けて、俺は落下しながら突っ込みを入れていた……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

「……さて、と。休憩がてら、一度所持品の確認とでもいくかね」

『(´・ω・`)ソダーネ』

「うん、お前に向けて話してねぇんだわ」

 

 直接頭に語りかけて来る返答に言い捨ててから俺は手持ちの荷物を全て広げる。今更感があるが仕方のない事だ。一つ目の『百鬼屋行の間』も二つ目の『魔鏡界の間』も落ち着いてそんな事をしてられる場所ではなかったのだから。

 

『魔鏡界の間』の戸口から渡った先で辿り着いたのは小さな洞窟の中であった。

 

 より正確に言えば天井が陥没して露呈した岩のドームである。日射しが降り注ぐ洞窟内には芝生と花畑が広がり、小鳥や小動物、あるいは鳴虫の囀りが響く。その一角には遠目からでも清浄に思える美しい洞泉があり、その傍らを抜けるように進めば奥にこれ見よがしに次の部屋への扉が鎮座している……『黄金泉の間』であった。先程の『魔鏡界の間』同様、初見殺し特化のステージである。逆説的に言えば、事前知識があれば大した危険がある訳ではない。具体的には泉の深淵を覗かなければ幻惑に魅せられる事はない。……多分な?

 

「一応設定だと妖の類はいない筈だが……大丈夫だよな?」

 

 一応、この部屋に落ちた直後に確認したが再度周囲を見渡して警戒する。この部屋に住まう動物は本物の野生動物であり攻撃性はない筈であるが、油断は禁物だった。

 

 ……どうやら、それらしい気配は感じられない。俺は改めて視線を地面に戻す。

 

「……これは少しキツいかもなぁ」

『(。・`з・)ノレデイニシツレイヨパパ!ワタシハスマートヨ!』

「いや、寸法測ってるんじゃねぇんだけど?」

 

 腰鞄に懐等から取り出して芝生の上に陳列した手持ちを一瞥して、俺は思わず嘆息する。序でに馬鹿蜘蛛の発言にも嘆息する。

 

 さて……主力である槍は予備の短槍である。これは前回も触れたが鬼がけしかけたと思われる大妖退治の際にお釈迦になった長槍の代用品であり、質は一段落ちる。室内戦闘では長槍よりも取り回しは良いのも事実であるが……果たしてどれくらい持つ事やら。

 

「となれば、やはりこの二つが手元にあるのは幸いか」

 

 ゴリラ様謹製短刀と土蜘蛛の糸を利用した手車(蜘蛛糸手袋付)は下人に不相応な俺の命綱だ。ほぼ間違いなく短槍は途中で御亡くなりになられると予想される。大妖は無論、凶妖級に対しても手傷を与えられるこの二つの装備は文字通りに希望だった『(´▽`;)ゞイヤァ、ソレホドデモアルワ!!』……頼むからお前黙ってくれない?

 

 その他装備としては煙玉と閃光玉が二つずつ。苦無が計四本にやけに影の薄い投石器……下人という立場とこれ迄の経験もあって常在戦場の心持ちでいた故の品揃えである。尤も、この『迷い家』の内で無事生き残るにはこれでも少々心もとない。精々が屋敷から雪崩を打って吐き出される眷属共相手が想定だったからなぁ。流石に今の状況は想定外だった。

 

 ……いやまぁ、『迷い家』の中をさ迷う事になるのなら無尽蔵に物資があっても物足りなく思えてくるのだが。

 

「水筒は……中身は半分か。設定通りならば一応補給は出来る筈なんだが……」

 

 竹筒の水筒の中身を確認しての嘆息。携帯食として飴玉や干肉が少々。直前に弁当を食べていて良かったな……。

 

 設定資料集やファンムービーから『迷い家』の内には稀にではあるが水や食糧、その他のアイテムが設けられている事は分かっている。『迷い家』の持つ権能の制約の一つであり、同時にこの妖の性格の悪さを証明する特徴だ。

 

 余りにも広大過ぎる屋敷のその内側では幻惑や催眠で骨抜きにされるのを避け、免疫細胞代わりの眷属や罠を退けられても単純に飢えから餓死渇死しかねない。凶悪な権能の代価・救済処置として迷宮内に点在するそれらの物資は、しかしながら同時に囚われた獲物に微かな希望を見せる事でより長く苦しめようという意図もあるらしい。更に言えば物資自体にも罠が仕掛けられている場合もある。やっぱり妖って糞だな。序でにそんな設定考える制作陣も糞だわ。

 

「後は……呪具に小道具類、か」

 

 限定的な隠行を行える『闇夜目隠之勾玉』を筆頭に大妖退治で囮として活用していた『妖招鈴』、佳世から返されたお守りの数珠(修繕済)に袋詰めの『打清塩』と『身代舎利』、式符は十枚程、それに此れは……。

 

「ヒヨコ様か」

『(* ´ ▽ ` *)カワイイワネェ』

 

 戦隊物の登場シーンのようなキリッとした決め顔決めポーズをした木彫ヒヨコを手に持って俺は呆れる。二通りの意味で。そして思い出す、手に持つ彫刻についての原作知識を。

 

 この木彫自体は原作のゲーム内では初期にでも雑貨店で簡単に何時でも何処でも何個でも手に入るような、何なら鍛冶屋等で自身で加工して製作出来るような超低級アイテムであった。それこそゲームの販売開始から長らく入手次第即売却されるようなゴミアイテムである。あの伝説的逸話が生まれるまでは……それ以来、一部のプレイヤー達にとってはこのヒヨコ様は一種の験担ぎの必須装備品扱いされていた。

 

 無論、俺もよもやゲームであってゲームではないこの世界でそんな冗談みたいな行為に意味がある等とは思っていない。いないが……。

 

「荷物の中に間違えて交ざっていたか。……まぁ、ここで捨てても仕方無い、か」

 

 限りなく不要品ではあるが俺はこの掌に収まる木彫を懐に戻す。こんな糞みたいな状況となれば根拠零であるとしても験担ぎをしたくもなる。一応、ケチッてくれやがったとは言え贈り物でもあるしな『(`・∀・´)カワイイイモウトノプレゼントダモンネ!』いや、それは違う。

 

「後は……予想通りの中身だな」

 

 残る小道具は縄に火打石、布巾に方位磁石、手鏡、椀、箸、包帯や消毒用酒精といった応急用医療器具、備忘録と筆記用具としての墨と筆、猿次郎に頭を下げて拵えて貰った折り畳み式円匙(二代目)、その他等々……基本的に腰鞄に一式纏めて仕舞っていた物だ。これが俺の手荷物一覧『(o≧▽゜)oパパ、ワタシヲワスレチャダメヨ!!』……後は中身の煩過ぎる虫籠もか。

 

 これらの道具は俺自身が個人的に備えていたと言うよりは衆全体で常時携帯を取り決めているものだ。仕事が仕事である。突然に妖の襲撃で陣を焼け出されたり、指揮系統が崩壊して衆が離散した場合でも生存するため、任務中は腰鞄に食糧と共にこれ等道具を詰め込んで如何なる時でも腰に巻いておくか、あるいは直ぐに持ち出せるように傍に置いておくように教育している。

 

「これといって掘り出し物は無しか。分かっちゃあいたが……まぁ、想定していた物が無いよりはマシだな」

 

 各種装備・道具を仕舞いながらの嘆息。安堵と落胆の混ざりあった溜め息だった。失望した訳ではない。しかしこの状況……何処までやれるかな?

 

「……さてと。休憩もそろそろ終えるとするかな?」

 

 荷を全て仕舞い終えて、腰鞄を巻き付ける。槍を携えて、面を装着し、立ち上がる。泉の奥に佇む扉を見据える。歩み始める。

 

「うろ覚えだが……この先は余り良い部屋に当たる可能性は低いんだよなぁ」

 

 膨大にある『迷い家』内の部屋は公式とファンによって三桁単位で設定が作られて、其々が次に何処に繋がるかまで設定されていた。残念ながらこの『黄金泉の間』から先に繋がる部屋は刻一刻と変化しており、その大半は危険な物であった。そうは言っても足踏みする訳にはいかないのも事実である。現実と戦わなければなるまい。

 

「……腹を括るかね」

『(*´∀)ノイェーイ!』

 

 恐らく水底に黄金へと変質した無数の犠牲者達が沈む泉を視界から外して俺は扉の前に立つ。深呼吸……覚悟を決める。

 

「出たとこ勝負ってな!!」

 

 勢い良く扉を開いて突貫、そして直後に地天が回転し……いつの間にか俺は夜道の中央で尻餅をついていた。

 

「……あ、これ不味い?」

『(*´・ω・)マズーイ?ゴハン?』

 

 脳内のピント外れの戯れ言を無視して、胸騒ぎと共に俺は周囲を見渡す。月光だけが光源の夜の水田、散村の沿道、田舎道……俺は咄嗟に振り返る。分かりきっていた事であるが先程潜った扉は最早存在しない。逃げ道はない。

 

 そして俺は直ぐにその気配を察知する。左右に広がる暗い水田の奥から異形共が姿を現す。赤い眼光が漆黒の闇の中で妖しく光る。笑い声が響いた。嗜虐的な嘲りの囀りが奏でられる。

 

「三十六計逃げるに如かず!!」

 

 俺は直ぐ様駆け出した。この部屋の出口は多いがその半分は碌でもない。取り敢えず塩屋敷か酒蔵、せめて神社の賽銭箱の中に飛び込まなければならなかった。

 

「糞、大外れだっ!!」

 

 迫り来る形容し難い獣声をBGMに、俺は『祟り人の間』を全身全霊で走り抜けた……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

「………え?」

 

 意識を覚ました環が、最初に感じた感覚はい草の香だった。困惑しながら畳の上で少女は起き上がる。

 

「ここは……何処?」

 

 環は和室の中央に倒れていた。上質の畳が敷き詰められた八畳程の書斎である。座布団に脇息、文机、傍らには雪国には必須の火鉢があって白い煙がたなびく。壁を見れば掛け軸が掲げられていて、見事な屏風が立てられている。調度品の数々は雅で趣のある品揃えであった。

 

 何処からどう見ても、此処は書斎であった。しかも相応の身分のある貴人の物に思われた。

 

 暫し唖然として、呆然として、環はそれらを観察する。そして……直後に己に降りかかった災難を思い出す。同時に理解する。この空間が何なのかを。 

 

「そんな……!?は、早く脱出しないと……!!?」

 

 慌てて環は部屋の襖を開いた。そして廊下に出る。左右の廊下は更に枝分かれしているようで、まるで迷路を思わせた。いや、事実それは迷路であった。

 

 獲物を惑わし絡めとる迷宮であった。

 

「っ……!!?」

 

 顔を青ざめさせて環は廊下を突っ走ろうとして、直後に虫の知らせを感じたように立ち止まる。その刹那の事だった。彼女の眼前に刀が振るい落とされたのは。

 

「ひっ!?」

 

 小さな悲鳴が漏れる。長々しい廊下に掛け軸や盆栽等と共に飾られていた甲冑に視線が向かう。

 

『ア゙ァ゙…………』

 

 兜の隙間から漏れる呻き声に、漸く環は気付く。それが鎧ではなくて鎧を身に纏った骸である事を。

 

「が、餓者髑髏!?」

 

 環は叫ぶ。正確に言えば低級の、一人分の餓者髑髏であった。彼の妖は同じ同胞同士で同化し合う事でより強大な存在に成長する。その意味で言えば眼前の枯れた肉がこびりついた個体は言うなれば幼妖と言うべき存在であった。一般的な退魔士ならば瞬時に無力化出来る雑魚……しかし環にとっては人型である事、人の遺骸である事が動揺を与える。

 

「っ……!!」

 

 埃の被った鎧を着込んだ木乃伊が怪しげに環を見つめると、二刀目を振るう。尤も枯れ果てた死骸であるが故にその動きは緩慢で、慌てて回避すれば虚しく刀身は虚空を過ぎ去るのみ。環は刀を抜く。剣先を骸に向ける。そして、躊躇う。

 

「く、来るな……!来ないで!!」

 

 威嚇する環の言葉に、しかし甲冑を着込んだ骸は呻くだけであった。死霊はよたよたと不気味に迫り来る。この系統の妖はある意味では植物系や動物系よりも遥かに知性に劣っていた。環の威嚇の意図に恐怖も警戒も有り得なかった。ただの外部刺激に過ぎない。

 

 生者の存在を宣伝する刺激でしかなかった。

 

『ア゙ア゙ア゙ァ゙ァァッ!!』

「くぅ!!」

 

 唸りながら襲いかかる餓者に向けて、環は一太刀を浴びせる。燕返しの要領で振るわれた刃は骸の刀を持つ腕を鎧の隙間を縫うようにして切り落とす。重心の均衡を崩してその場に倒れる。しかし……片腕を失っても尚、死者は歪に立ち上がり環に襲いかかろうとしていた。

 

『ア゙ア゙ァ゙ァ゙!!』

「……!?」

 

 黄ばんだ歯を剥き出しにして叫ぶ骸に思わず環は後退りする。化物と戦う勇気ならあった。実力も、鍛練もしてきた。だが、元が人間である存在相手に動揺もせずに討ち取る覚悟はまた別だったのだ。幸い相手は鈍い。ここが『迷い家』の内であるのならばこんな物の相手をしている暇はない。そのまま放置して逃げ出そう……半ば言い訳しつつ環は踵を返して駆け出そうして、吹き飛ばされた。

 

『ブオオオオォォォォォォッ!!』

「なっ!?」

 

 突如叩きつけられた壁に吹き飛ばされる環。咄嗟に身構え防御した事で重傷は免れたがそれでも反対側の壁に背中から激突して苦悶の表情を浮かべる。思わず涙目となって、しかし直ぐに正面を向き直る。そして視線が重なる。三つの目玉と。

 

「ぬ、『塗壁』かっ!!?」

 

 それは異形の獅子であった。全体的に弛んだ脂肪のついた四足歩行の獣。その顔面はまるで壁のように純白の四角形で、水平面であった。その中央に三角形を作り出すようにして目玉が嵌め込まれていた。あるいは、何処かの下人が目撃すればトリケラトプスの出来損ないという感想を持ったかもしれない。

 

 妖怪『塗壁』は隠行染みた擬態を解除して壁の窪みから身を現す。奇妙な獣声を上げて環を嘲笑う。急いで少女は立ち上がり刀を構えようとするが……直後にその手首を掴まれる。

 

「ひっ!?や、やめて……痛い!?」

 

 いつの間にか肉薄していた骸が環の腕を捉えるように掴みかかる。伸びきった爪が白い乙女の肉に食い込む。死骸特有の言い様のない悪臭が鼻孔を擽り、環は恐怖に怯える。だが、そんな行為は化物共には無意味だ。餓者髑髏と塗壁は共に環を貪らんとして距離を詰める。そして、そして…………!!

 

「はあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 廊下の奥から喚声が響いた。直後に環は骸の頭が粉砕されるのを目撃する。頭部を失い、何なら衝撃でそのまま床に叩きつけられる木乃伊。干からびた肉と骨が四散するのを唖然として環は見つめる。

 

 そして一瞬後に視界に映るのは修行僧に酷似した衣装を纏った少女であった。薙刀を手にした凛々しい娘。家人。

 

『ブオオォォッ!!』

「ちぃっ!!」

 

 躍りこんで来た闖入者に対して咆哮する塗壁。乱入者の少女は霊気を乗せた薙刀で塗壁を刺突する。やった、仕止めた、環はそれを確信する。しかし……。

 

「やっぱり浅いわね」

「そんな!?無傷!!?」

 

 眼前の現実に環は驚愕する。塗壁の纏う妖力は精々中妖程度、薙刀に乗せられた霊気の量を思えばほぼ確実に頭蓋まで撃ち抜けた筈であった。しかし、現実は塗壁の正面に僅かに傷を負わせるのみ……その事に絶望する。

 

「その程度!!」

『ブオッ!!?』

 

 だが戦い慣れているのだろう、塗壁と相対する娘はその程度の事で動揺する事はなかった。即座に彼女は霊気を乗せた拳を叩きつけた。眼球に。三つある内の一つの目玉を殴り潰された塗壁は驚愕し、直後には激痛にのたうち回る。

 

 隙が、生じる。

 

「去ね!!」

 

 塗壁の間隙を抜けた娘は薙刀を振るう。首に。横腹に。今度は効果があった。腹の臓物が飛び散って、首から先が床に向けて落下する。遅れて踞る胴体。塗壁の大妖を凌ぐ頑強な外殻は残念ながら顔面のみにしか存在しなかった。

 

「ふん、穢らわしい!」

 

 薙刀にこびりついた血をパッと払う娘。鼻を鳴らして妖を討ち取った少女はくるりと回って環の眼前に屹立する。其処で初めて環は気付いた。彼女の頭部に生える獣耳を。特徴的とも言える獅子耳が、浅黄色の豊かな髪から覗く。

 

「北土封地退魔士家、五十嵐家出仕家人。名は獅子舞 麻美だ。……どうやら、似たような境遇のようね。貴女、何処の家の者か教えて貰えるかしら?」

 

 何処か尊大にも思える口調で、そう名乗りを上げた少女は環に返答を要求するのだった……。


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