和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第一〇六話

『グオオオォォォォッ!!!!』

 

 照りつける日射し、喧しい虫と鳥のざわめき。噎せ返るような熱風が空間を満たしていた。海を越えた南方の地にあると言われる灼熱の密林を思わせるその場所で熊が獰猛に咆哮した。咆哮して、殴りかかる。

 

『シャアァァァァッ!!?』

 

 相対する怪異は最早満身創痍であった。全身に彫られるは熊の刻み付けた深い傷痕。ドクドクと流れ出る深紅が痛々しい。漸く己の劣勢を認めて一時的に後退を図る。

 

「逃がすな!何か仕出かす前に殺しなさい!!」

 

 主の命に従った式神の動きは速かった。ぬかるんだ地面を突き進み、最後には一気に跳躍する熊。その巨躯から勘違いしてしまいそうになるが熊は雪原でも恐ろしい速度で獲物に襲いかかる動物だ。湿地であろうともそれは大した違いではない。ここに来て式は遂に本気で襲撃したのだ。

 

『ギャオ!?ヤ、ヤメ……』

 

 命乞いの暇もなくその頭を粉砕する鬼熊。源武。大木すらも一撃でへし折れる会心の一撃であった。首から先が完全に骨ごと挽き肉となり大地に飛び散らせる。そのまま頭を失った巨躰をドシンと地面へと倒す。

 

「はぁ…はぁ……ふぅ。どうにか仕止めましたか」

 

 血が滾るかのようにフーフーと唸る鬼熊、その足下に転がる無残な肉塊を一瞥して、牡丹は冷たく呟く。

 

 蛟……龍の幼体、あるいは亜種、出来損ない。一説では霊脈の地に住まう水蛟は百年で蛟に、更に五百年かけて龍へと昇るのだとか。無論、実際はそれ以上の時間が必要であろうが……。

 

「ふん。随分とまぁ、無駄な時間を掛けさせてくれるものですね」

 

 ピクピクと痙攣する骸に向けて吐き捨てられた言葉は嫌悪感に満ちていた。当然だろう、龍の幼体だからといってそれを崇拝する者は決して多くはない。

 

 水蛟とは即ち蛇。蛇とは水神として神聖視される側面がある一方で悪知恵の働く狡猾で邪悪な存在でもある。南蛮の言い伝えでも蛇は禁断の果実を食べて罪を犯すよう、人を唆したのだとか。

 

 蛇のように邪悪で、下手に龍が如き力を手にした蛟という存在は厄介極まりない。河川や湖を縄張りとするこいつらは大抵無駄に気位が高く、人を見下して、己が土地から人を追い出し、あるいは事あるごとに生け贄を要求する質の悪い化物だ。人界の発展と拡大を阻害する障害だ。

 

 そして、大概そういう蛟は龍に昇っても性根は変わらず悪龍として人々に洪水や津波、嵐、あるいは日照り……災厄をもたらすものだ。朝廷が蛟や悪龍を捕捉次第殲滅を命じているのもさもありなんである。

 

 此度もそうだ。まるでそれが弱肉強食とでも言うように擬態擬装そして四方八方からの不意討ちばかりしてくる獣に虫に植物共……それらをひたすら駆除しながら灼熱の森をさ迷った牡丹らが、その進路上にあった濁った河原を渡った所で出待ちしていたかのようにこの化物は現れた。

 

 尊大に聖域を汚したとほざき、通行料として生け贄を寄越せ等と宣ってくれた。直ぐ側で無数の蛆虫に集られている人夫の死骸を見れば妥協も恭順も有り得なかった。そして、己が実力を過信した馬鹿な蛇はこうして死んだ。

 

「全く、忌々しい……」

 

 蔑むように呟く牡丹は、直後に目眩を覚えて傍らの木々に寄り添い身体を支える。何度か深呼吸して息を整える。額から溢れる玉のような汗を拭う。唯でさえ衰弱し切った身体は、しかもこの熱帯の気候では内に巣くう虫共が活性化するのだろうか?暑さと相乗して一層彼女の身体を蝕んでいた。思わず襟首をパタパタと揺らして衣服の下に風を流す。

 

「……何しているのですか?」

 

 心底不快げに偽りの空と日の光を見上げて睨み付け、その視線に気付いて牡丹が頭を下げれば物欲しそうに此方を見つめる熊を視界に収めて思わず表情をしかめる。直後にその意味を解すると呆れたように彼女は命じる。

 

「あぁ、そういう事ですか。別に構いませんよ、どうせこの先いつ食べられるか知れたものではありませんから」

 

 待てと命じられた犬のように手を口元にやって待機していた大妖は、牡丹の指示を受けるとはしゃいだように先程組み合っていた怪異の残骸にかぶりつく。鱗を毟り取って皮を剥いで、肉を裂いては血を啜り、口元を拭っては小骨を含んだ肉塊を一口ずつ口の中に放り込みムシャムシャと咀嚼する。中途半端に野生で飼い犬のような食べっぷりであった。そんな本道式をジト目で一瞥した後、牡丹は周囲を見渡し……それを見出だす。

 

「……あれですか」

 

 鬱蒼と生い茂る深林の中で、それはポツリと設けられていた。周囲の景色の中で浮き出る程に不似合いな装飾された扉。次の部屋への入口。あの蛟は門番でもあった。

 

「これで九部屋目、切りがありませんね。しかも次の部屋がどんな曲者なのかも知れないとは……」

 

 だとしても、何時までも此処に残り続けるという選択肢も有り得ない。こんな蒸し暑い部屋、いるだけで体力を磨耗する。外の連中に至ってはいつ『迷い家』の駆除を始めるか知れたものではない。長居は無用であった。

 

「早く食べ終えなさい。次の部屋に行きますよ?」

 

 牡丹の催促に、どうやら好きな物は最後に食べる趣向らしい本道式は慌てて獲物の腹を裂いていく。腕を突っ込んで新鮮な心臓を抉り出せば口の中に押し込む。ベロベロと手に付着した血液を舐めとる。その仕草はまるで蜂の巣を味わう野生の熊の生態に似ていた。

 

 尤も、実の所熊は別に蜂蜜が好物という訳でもなければ寧ろ蜂の子が狙いであると言う。……昔、彼女が師と仰いだ男が講義の合間に宣っていた詰まらぬ雑学である。

 

「……不快な事を思い出しましたね。何しているのです?さっさと……お前、何をしているのですか?」

 

 不愉快な記憶に舌打ちし、先程より一層不機嫌な口調で牡丹は式を急かそうとして、式の行動に向けて問い掛けた。

 

『グルルルル!!』

 

 死骸を貪ってたかと思えばいつの間にか森林の一角に突貫している鬼熊。何やら木々の中をまさぐって、帰還すれば目を輝かせて、自慢するように鼻を鳴らした。……腕に何かを抱えて。

 

 その緊迫感の欠片もない態度に蹴りでも入れてやろうかと一瞬思った牡丹は、しかし合理主義者故にそんな体力を無駄使いする案を直ぐ様脳裏から払い除け、改めて式神の差し出すそれを観察する。

 

 黄色い果実の束を、窺うように睨み付ける。

 

「…………」

 

 それを一瞥した牡丹は暫し沈黙。そして式の顔を見上げる。はっはっはっ!と犬みたいに息をする熊。顔面を殴りたい衝動を抑えて、取り敢えず彼女は確認する。

 

「……私に?」

『グルル♪』

「食べろと?」

『グルル♪』

「これを?」

『グルル♪』

 

 牡丹の質問全てに、式は腹が立ちそうな程機嫌良く唸って応じた。その暢気な態度に更に牡丹は目を胡散臭そうに細めて……直後に、密林に少女の腹の音が鳴り響く。

 

『グルルルル♪』

「…………」

 

 やっぱりお腹減ってる!とでも言うような鬼熊の笑顔に、牡丹は瞼を閉じて、眉を顰める。口元をひくひくと痙攣させて苦虫を二十匹程噛み潰す。腹に一撃殴り付けたい怒りを押し止める。そして、荒れ狂う精神を落ち着かせる。

 

 凄まじく、そして心底不本意であった。しかし……唯でさえ虫に冒された身体は衰弱しきっていた。小切り小分けに、消化の良い物でなければ身体は受け付けない。それにこの暑さは堪らない。如月の北土なので厚着していたのも不味かった。着こんでいた陰陽着は蒸れる。汗だくだ。肉体は疲弊しきっていた。

 

 残念ながら直ぐにあの下人と別れるつもりであった牡丹は保存食すら碌に携帯してなかった。確かに既に体感時間では半日近い、このままでは迷宮から脱出する前に何処かで倒れてしまう事だろう。分かってはいる。分かってはいるが……。

 

「っ!?」

 

 己の矜持に拘っていた所に再度鳴り響く腹の虫。それは密林の喧騒の中で嫌に良く響いた。同時に緊張感が弛緩したのか、襲いかかるのは猛烈な空腹感である。

 

「……はぁ、背に腹はかえられないという事ですか。仕方ありませんね」

 

 葛藤に葛藤を重ねて、苦渋に苦渋を重ねて、渋々と式の提案を受け入れる牡丹。式神はご機嫌とばかりに咆哮した。こいつ、やっぱり蹴りあげてやろうか?

 

「煩いですよ。……それにしてもお前、食べろとは言いますがこれ、一体何を見つけて来たのですか?って

これは……」

 

 式の差し出すそれをまるで曰く付きの呪具かのように改めて観察する牡丹。緑、あるいは黄色い房が束になって集まる。その造形に、牡丹は見覚えがあった。

 

「確か……実芭蕉、とか言いましたか?」

 

 それの名称を思い出せたのはとある下人の傍に監視の式を置いていたためだ。何時ぞやの時であろうか?事あるごとに鉢合わせする橘商会の令嬢が一度その下人に御馳走していた。南方で良く食されるものであるそうな。

 

「……何とも形容し難いですが、何か卑猥な形ですね」

 

 理由は分からないが何となくそう思えた。そう言えば理由不明ながらあの商会の南蛮人は、これを馳走する時に手元の果実と下人の下半身を何度も何度も挙動不審に見比べて何事か小声で呟いていたような気がする。

 

「食べ方は……実をもいだ後に皮を剥ぐのでしたか?」

 

 恐る恐ると束の内の一房を捻り取り、ズルズルと皮を裂いていく。厚めの皮を毟ると現れるのは黄色がかった白い果肉であった。独特の芳醇な、少し強くも思える甘い薫りが鼻孔を擽る。

 

 ……だが何故だろうか?皮を剥いたら余計卑猥に見えて来た。

 

「……詰まらない思考をしましたね」

『グルル?』

「此方の話です」

 

 思わず呟いた言葉に首を傾げる熊。それを冷たく突き放して牡丹はその先端に小さな口で咥えこんだ。そして咀嚼する。

 

「……淡白で仄かに甘い、それに柔らかいですね」

 

 余り自己主張しない味わいだと牡丹は思った。しかし、栄養価は高く消化は良さそうだ。毒も、恐らくは問題ない。良く噛む。そしてそのままごくりと胃に落とす。はぁ、と小さく嘆息。自覚せず僅かに口元を綻ばせていた。

 

「……」

 

 暫し己が齧りついた果肉の残りを見つめて、そして彼女は唾を呑んだ。空腹だった。無駄に不味い丸薬は細切れにして誤魔化しながら摂取していた。内臓の調子は常に悪く、ずっと薄い粥くらいしか食べていない。それも少しずつ、一杯の粥を食べるのに何刻かけたか分からない。

 

 そんな彼女にとって眼前の柔らかく優しい果実は余りにも魅力的で、思わず二口目を求めて口を近付けて……直後に胃に走った耐え難い激痛に悲鳴を上げる。

 

「あっ!?ぐっ……!!?」

 

 手元の果実を地面に落として、牡丹は涙目になって踞る。慌てて駆け寄る鬼熊。どうやら欲張り過ぎたらしい。もっと一口目を噛むべきだった。液体になるまで咀嚼するべきであった。内臓中に蠢く寄生虫共が異物に反応して暴れまわる。それに合わせるように、牡丹は思わずその場で痙攣しながらのたうち回る。

 

「お゙えっ゙!?うっ、げぇ……!!?」

 

 嘔吐した。殆ど胃液のそれに先程食べた果実の欠片が疎らに混ざった汚液をぶちまける。何度も執拗に吐瀉する。何度も、何度も…………。

 

「あっ、うげ!?えっ、はぁ……はぁ……ふー、ふー、……」

 

 どうにか拒絶反応が落ち着いた牡丹は暫しその場で打ち震える。暑いのに寒かった。

 

「はぁ……はぁ……ははは、我ながら、馬鹿をやりましたね!」

 

 地面の吐瀉物と、その中に沈む食べ掛けだった果実を一瞥して松重家の孫娘は青ざめた表情のままにぼやく。それは自虐であり、自嘲であった。己を何処までも蔑み、呆れる後悔であった。

 

 本当に馬鹿な話だと思った。こんな事今までだって何度もあっただろうに。慌てて食べ過ぎだ。そんなに美味しく思えたのか?どうせ先のない短い命の分際で。

 

「……行きましょう。もうそれは要りませんよ。食べたければ自分で食べてしまいなさい」

『クゥン……』

 

 無理矢理に立ち上がった牡丹は式の横を通り過ぎながら言い捨てる。実芭蕉の房を抱える鬼熊は物悲しげに鳴いた。その態度が一層牡丹を不快にさせた。

 

「あぁ、そうでした。……源武、命令です。もし私が生きてここから出る事が出来なければ私の遺体を喰って、死ぬまで暴れ続けなさい」

『グルルルルッ!!?』

 

 ふと、思い出したように牡丹は式にそれを命じた。当の式は驚愕して鳴き立てるが、彼女からすれば驚くべき事ではなかった。

 

 退魔士の肉は妖共にとって極上の餌であるが故に。己の死体が化物の肥やしになる事は絶対に許してはならぬ務めであった。今一度密林の一角で腐り果てている人夫の醜い死骸を見ればその意志は一層強まる。

 

 だからこそ、牡丹は命じる。己が借りる眼前の式神に己の肉を処分させて、その後にはせめてこの忌々しい空間に巣くう眷属共を手当たり次第殺戮させる……牡丹の判断は何処までも退魔士らしい選択であった。

 

 退魔を務めとする、松重一族としてそうあるべき選択であった。

 

「……この扉はお前では潜れませんね。戻りなさい」

『グルルルル……グルル………』

 

 扉を一瞥し、牡丹はそんな事を呟くと懐の式符を投げる。風に煽られるように飛ぶ封符が何か訴える鬼熊の額に当たるとそれを封じる。幻影のように消え去る巨体。符は牡丹の手元に戻る。何時しか、周囲は静寂に包まれていた。獣も、虫の喧騒も聞こえない。

 

 名状し難い孤独が、彼女を襲う……。

 

「…………」

 

 少女は、無言の内に符を懐に戻すと俯きながら扉の奥へと消えるのだった…………。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

『闇夜の蛍』作中における『迷い家』は、その設定からなのか国内よりも寧ろ、クリーピーパスタな文化がある海外ファンからの人気が高い妖であった。

 

 コミカライズで登場した糞みたいな部屋の後付け設定から始まり、二次創作ゲームのステージやファンムービーの舞台としてやたらと活用された『迷い家』は、原作制作陣からの「やるからには設定がっちり鬱く固めてね!」という要望もあって主に海外ニキ達から相当数の部屋や罠、眷属、アイテムの設定が構築される事になった。

 

 ……『祟り人の間』はそんな部屋の一つであり、難易度が特に高めの部屋の一つであった。

 

「畜生めがっ!!」

『((( ;゚Д゚)))パパキタワァ!!?』

 

 闇夜の中、俺はひたすら水田の中を駆ける。そんな俺の後ろから、左右から水田の稲穂を踏み荒らしながら次々と黒い塊が蠢き迫り来る。

 

 外道に祟られた人の成れの果てが、追い縋る。

 

『グオオオオッ!!』

「失せやがれ!」

 

 正面を塞ごうとした一際大柄な個体に苦無を投擲。片眼に突き刺さったそれに化物が悲鳴を上げてのたうち回る。その傍らを全力疾走して俺は抜ける。こいつらに捕まるのだけは、接近される事だけはしてはならなかった。

 

『外道』という妖は憑き物、怨霊にも近い妖である。しかもこいつらは憑くだけでなくそれを広げようとして来る所が厄介だった。

 

 伝承でこの妖は群れで憑いた一族から飯を頂戴し、しかもその家の娘が嫁に出るとそれに群れの一部が同行して婿の家にも寄生して来るのだとか。糞みたいな話であるが、家に恩恵をもたらさない癖に没落して寄生する家で腹を満たせなくなるとその一族を呪うという。

 

 海外ニキな筆者が構成した設定によると、この部屋は元々は外界の村であったという。霊脈の恩恵を受ける村……奴隷王朝時代、とある一族に寄生した『外道』を、その地を治める王は下手に殺して別の者に、特に己に憑依するのを恐れたという。

 

 結果、その一族を霊脈のある土地に追放、小さな村での自給自足に近親相姦を続けさせて呪いが外に漏れるのを防いだ。……そして時を経て、その村は丸ごと『迷い家』に取り込まれた。当然ながら霊脈の恩恵を得られなくなった村の者達は食料を賄う事なぞ出来ない。村人共は皆呪われて異形の怪物と化した。

 

 この『祟り人の間』は捕らえられた者に二者択一を迫る。自分達の娘(化物)を嫁とするならば『迷い家』はその者を嫁諸とも外の世界に帰してくれる。呪いを撒き散らす爆弾として。嫁取りを拒否したら?この部屋の連中は皆常時腹ペコだ。

 

「この部屋の筆者、ふざけんじゃねぇぞ……!!?」

 

 手車を振るって迫り来る化物を裂きながら俺は叫ぶ。この部屋の概要執筆者は他媒体のクリーピーパスタでも糞理不尽系な記事を書く性格ド腐れ野郎と評判だったのをふと思い出した。本人からすれば冗談のつもりでも実際にそんな悪意マシマシの部屋を体験する立場からすれば罵倒したくもなるのが人の情であろう。

 

 しかも……。

 

「ちぃ、やはり設定通りに復活してくるか!!」

 

 身体を文字通りに切断された『外道』共は、しかしその切断面からブクブクと肉が溢れ出して損壊箇所を再生させている。痛みからか全身を痙攣させているが、完全復活もそう遠くなさそうだ。

 

 ……笑える事に切断されたもう片方の肉塊も同様に再生しつつあった。お前らは『( ´゚д゚)マルデプラナリアァ!』横から台詞取るの止めてくれない?

 

「そんな無計画に増えるから餓えまくってんだろうが!!糞、仕方無い……!!」

 

 数に限りがあるが……今が使い所だろう。

 

「これでも食らえ!!」

 

 疾走する俺は懐からその巾着を取り出すと、その中身を一摘まみして化物共……ではなくて明後日の方向に豪快に放り投げる。

 

『……ッ!?』

『…………!!!!』

『( ゚ロ゚)!!』

 

 直後、声とも言えぬ声をあげて『外道』(と糞蜘蛛)は一斉に反応を示した。異形の怪物共は俺のばら蒔いた米粒に向けて、『身代舎利』に向けて我先にと群がった。まるで俺の存在を忘れたように。『(゜ρ゜)パッパゴッハーン』はいはい、後でな!!

 

 一部ファンからは「虫除けポロック」なんて渾名で呼ばれる『身代舎利』は、その渾名と先程言及した『外道』共の行動の変化から何となく効果は予想出来よう。

 

 霊気を丹念に注いだこの上質米は、総じて肉食な妖にとっても抗い難い誘惑である。それこそ知恵ある種族か凶妖でもなければ効果抜群だ。眼前に霊気を纏った人間がいようが己が攻撃を受けていようが気にせずひたすらこれを食べる事に熱中する程だ。ゲーム中では精々逃亡中に使う消耗品の中級呪具であるが、下人身分からすれば貴重過ぎる手札であった。因みに先月位から販路を手に入れたという橘商会より仕入れた。

 

「本当ならゴキブリホイホイに使うんだがな……!!勿体ねぇ!」

 

 本来の仕入れ目的は安全に妖共を呼び寄せる餌としてである。無数の罠と伏兵で呼び寄せた妖怪共を反撃すら許さずに袋叩きにする……これまで囮役になる事が多かった己の保身も兼ねた運用をするつもりであったんだがな。この世界でラストエリクサー症候群とか普通に死ねる。出し惜しみは無しだ。

 

「後、三回分って所か!!?」

 

 随分と軽くなった巾着袋を手にして舌打ち。尤も、背後を見れば牛よりも大柄な黒い毛むくじゃらの獣共が態態米粒一つ一つを摘まんで齧りつき、挙げ句に仲間同士で奪い合いの殺し合いに興じる光景が映りこむ。ざまぁない。出来るならばそのまま永遠に殺し合ってくれ。

 

 そして俺はこの貴重な時間を使ってひたすら走り続ける。この部屋はその危険度から出口もそれなりに多いがその内で安全が保証されているものは多くない。確実な安全を考えるならば酒蔵や塩屋敷、賽銭箱の中、この三つに向かうべきだった。

 

「はぁ…はぁ……み、見えた!あれか……!!」

『(゚∀゚)キター!!』

 

 そして足下すら見通しにくい暗闇の中を進み続けて漸く俺は遠目にそれを見出だす。小高い丘の上に聳え立つ鳥居を。その奥に見える小さな寂れ果てた寺社を。距離にして、おおよそ三町程……!!

 

「も、もう少し……!!」

 

 背後から無数の獣の唸り声が響く。どうやらばら蒔いた分の米を全部食い尽くしてしまったらしい。構わなかった。奴らの足の速さと寺社までの距離を計算すればこのまま、十分、勝ち逃げ…も………。

 

「……は?」

 

 寺社に通じる丘の階段を上り続ける俺は、それを目撃するとともに思わず足を止めていた。背後から迫り来る追手共の存在すら忘れて一瞬唖然とする。愕然とする。

 

 ……考えて見れば十分想定出来た筈だった。俺は無論、野営していた陣中すら襲われていたのだ。そして俺以外に囚われている者達が確実にいる筈なのだ。

 

 だから、当時いたであろう場所からしても、実力からしても、あいつがいるのは何ら不自然な事ではなくて。だが、しかし……!?

 

「……っ!!」

『(゚Д゚≡゚Д゚)゙?パパー?』

 

 糞蜘蛛が困惑するのも無視して、殆ど条件反射的に俺は階段を引き返した。何ならそのまま横合いから丘を突き抜ける。足場が悪いなんて気にしてられなかった。事態は一刻の猶予もなかった。

 

『……ッ!!』

『…!!』

「邪魔だっ!!」

 

 手車で進路を遮る『外道』共を真っ二つに切断する。凪ぎ払う。殺せなくても良かった。一時的に行動不能に出来るのならば。時間稼ぎ出来るのならば。

 

『……!!』

『ッッッ!!!!』

「ちぃ!!寄るんじゃねぇ!!」

 

『外道』共があいつに群がろうとするのを、俺は『身代舎利』をばら蒔いて阻止する。豪勢に二回分ばら蒔く。直ぐに目標をあいつから散らばった米粒に変更して四散する化物共。そして、その間に俺はあいつの元に辿り着く。あぁ、糞!見間違いであって欲しかったのによ!?

 

「馬鹿野郎。よりにもよって、こんな部屋に落ちてんじゃねぇだろうが……!!?」

 

 思わず叫ぶのは罵倒だった。面の下で顔を歪めて、震える声で吐き捨てていた。血塗れの翁面を見て、叫んでいた。

 

 俺の眼前で全身を食い荒らされた無残な骸が、柏木の残りが散らばっていた……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーー

「はぁ!!」

 

 薄暗い洞窟の中で獅子の少女は舞う。乱舞する。演舞するように薙刀を振るう。

 

 荒々しい霊気を纏った刃は容易に大百足を一刀両断する。そんな百足の陰から迫り来る化け鼠の顔面を殴り飛ばす。

 

『ギキッ!?』

 

 悲鳴と共に勢い良く吹き飛んで、そのまま壁に叩きつけられた鼠は赤い染みと化した。

 

『シャア!!』

「バレてんのよ!!」

 

 背後から地中を掘り進めて躍り出た土竜を、参上したと同時にその鼻っ柱に踵落としを叩き込む。頭蓋陥没、首の骨もへし折れて、土竜は珍妙な体勢で絶命した。

 

『グオオオオオオォォォォォッ!!』

「しつ、こい!!」

 

 最後に縦に真っ二つにされた百足が其々に獅子舞に襲いかかる。しかし直後に薙刀から放たれた火遁の嵐が百足を焼き払う。丸焼きになりながらのたうち回る。

 

「さっさと死ね!!害虫がっ!!」

 

 外殻がどれだけ強固でも青い体液を撒き散らす剥き出しの肉は脆弱だ。中から焼き尽くして最終的に伽藍堂の殻だけが残される。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……はっ!思い知ったか化物共め!!」

『キキキキキッ!!』

「うわっ!?く、このぉ……!!?」

「環っ!?」

 

 その悲鳴に獅子舞は振り向く。そして目撃する。妖相手に苦戦する環を。

 

 彼女の相対するのは大型犬並みの躯の竃馬三体だった。素早く跳ねて顎で襲いかかる小妖の攻勢を環は防いでは反撃の斬撃を仕掛ける。菫から仕込まれた剣捌きは本物で返す刀で既に二体を仕留めていた。

 

 しかし下手に手負いとなった三体目に苦戦を強いられ続ける環、次第に体力と集中力が途切れてその動きに精彩を欠き始める。

 

「世話の焼けるっ!!」

 

 獅子舞はその叫びと共に疾走する。霊力に妖力を混ぜ込んだ身体強化、生来の脚力も合わせた跳躍。空を切り裂いて突貫する。

 

『キキキキキ……ギッ!?』

 

 勝敗は一瞬だった。環の喉元に向けて飛びかった竃馬は、直後に薙刀を叩きつけられて塵と化す。ふん、と薙刀を構える姿勢を解いて獅子舞は環に視線を向けた。そして問いかける。

 

「……怪我はないかしら?」

「う、うん。有り難う。助かったよ……!!」

 

 助太刀してきた恩人に向けて環は一瞬唖然として、しかし直ぐに心からの笑みを浮かべて謝意を示した。その態度に何とも言えない表情を浮かべる獅子舞。

 

「何というか……やりにくいわねぇ」

「え?」

「あんた、私の出で立ちを見て何か思う所はないのかしら?」

「ま、まさか何処か怪我を……!!?」

「あー、そう来るのね……」

 

 慌てて怪我した箇所を探す環に、獅子舞は呆れ果てたように嘆息する。そしてそのまま、己の尾を振るう。環の顔面を叩く。 

 

「うわっ!?」

「安心して、怪我はないわよ」

「ほ、本当かい!?け、けどだったらどうして……」

「あんたさぁ、それ本気で言ってるの?演技としたら嘘臭過ぎるわよ?」

 

 そう不機嫌そうに宣って、獅子舞は己の獣耳と獣尾をこれ見よがしに見せつける。

 

「これ、別に飾りじゃないのだけれど?当然だけど呪具でもないわ。自前よ。私の一部、分かる?私は半妖なのよ?」

「う、うん……?」

「何も思わないわけ?」

「ど、どうして……?」

 

 失礼を承知で、環は質問に質問で返していた。

 

 実際、環にとって、眼前の家人は頼れる道連れであった。自分一人ではこの危険に満ちた迷宮を探索するなんて……それこそ、最初の遭遇の時点で絶体絶命の危機にあった事を思えば正に獅子舞麻美という存在は心強い先達に他ならない。

 

 半妖である事は全く気にならなかった。元より環には半妖に対する偏見は殆どない。妖すらも初めて目にしたのは半年前の事だ。妖より先に半妖と出逢い親友とした。獅子舞に対して、頭から生える耳も、鋭い爪も、臀部から生える獣尾も気になるものではなかった。

 

 ……それが、この世界においては異端の思考である事を環は言葉としては兎も角実際の認識として理解出来てはいなかった。

 

「呆れたわね……あんた、天然?箱入り娘?」

 

 この短期間の間に何度目かの嘆息をする獅子舞であった。家人らしからぬ、退魔士らしからぬ眼前の少女の態度に大きな価値観の相違を感じずにはいられなかった。

 

 雑ざり者は発覚次第処断……流石に朝廷自身が半妖相手に其処までする事例は減ったとは言え未だに偏見は色濃い。生まれつきの半妖である彼女もまた、己の血に流れる穢れた因子から相応の扱いを受けて来たものだ。あるいは、今陥るこの状況もまたその帰結であると評せるかもしれない。それをこの小娘は……。

 

(媚びてる訳でもないのが……本心から?冗談でしょ?あの鬼月の家人が?)

 

 獣系の半妖故の鋭敏な感覚が、眼前の刀使いの少女が演技をしている訳ではない事を訴えていた。それが、本人が言うにあの北土が退魔の名門、御三家が一つ、鬼月家に仕える家人であるのだから、獅子舞麻美からすれば衝撃的で、困惑すらも抱かせた。

 

「ははは……僕、まだ退魔の務めも殆ど果たした事がなくて。というか家人になったのだって故郷を妖に襲われてね。それが切っ掛けなんだ。だから鍛練含めてまだ半年位しか経験が無いんだよ」

「ふぅん。ズブのド素人と。だとしても無警戒過ぎるし、覚悟も自覚も足りないわね」

 

 故郷を滅ぼされた所で退魔の才を見出だされて家人となる……そういう道程で退魔の道を歩む事になった者が稀にいる事を獅子舞も知っていた。驚くべき事ではない。己の霊力に気付かず、家族や友人、故郷を滅ぼされた時に初めてそれを知るなんて事態は有り得ない話ではなかった。尤も、それを考慮してもこの娘の態度は……。

 

「う、うん。僕の場合は故郷を滅ぼされた訳ではないから。……運が、良かったんだろうね」

 

 そして環は極一部の内容を隠して、しかしそれ以外は誠実に、丁寧に説明する。彼女の友の献身を。彼女の恩人たる下人の大立回りを。偉業を。

 

「何よそいつ、有り得な。……本当に下人?」

 

 笑みを浮かべての環の説明に、しかし獅子舞は嘘臭いとばかりに眉を顰めて口をへの字に曲げる。何だったら妖に幻術で欺かれているのでは、あるいは記憶を改竄でもされているのではとすら思えた。

 

 其ほどまでに獅子舞の常識から言って環の語る下人の行動が異常であったのだ。異様であったのだ。聞き齧った内容だけでも下人にしては思考が柔軟過ぎるし強過ぎる。下人の振りした隠行衆辺りではないのか?等と思わず訝る。

 

 ……あるいはその奇妙な扱いから見るに、鬼月家程の大家であれば内部での政争謀略の力学の駒として扱われているのかもしれない。何にせよ、余所様の事情に首を突っ込むのは宜しく無かろう。環の言に対して話半分に聞きながら獅子舞はそう心に留め置く。

 

「うん。伴部君はね、本当に頼りになるんだ!!僕の、心からの恩人だよ!」

 

 一方で環は獅子舞の言葉の裏も意味も読み取らず、ただ胸元に手をやると欠片も躊躇せずに恩人を褒め称えた。それは何処までも屈託も羞恥もない、純粋な言葉であり、称賛だった。

 

 何処までも善人の、苦労知らずの言葉であった。

 

「……はっ。呆れた」

 

 一瞬目を丸くして、次いで肩を竦めて、獅子舞は環の暢気な発言をそう評した。そして踵を返す。鍾乳洞の奥へと視線を向ける。

 

「……随分と道草を食ったわね。立ち話はこの辺にして、行くわよ?こんなジメジメした場所、さっさと抜けてしまいま、しょ……っ!!?」

「獅子舞さん?っ……!?え、来る!?」

 

 其処まで口にした獅子舞が突如として身構える。環も一瞬遅れて同じように構えた。直ぐに異変は起きる。複雑に枝分かれする鍾乳洞の、暗闇の奥底から何か音が聴こえて来ていた。金切音のような、騒々しいような、形容し難い心底不愉快なこの音は……。

 

「っ……!!?環、引き返すわよ!!」

「えっ!?うわっ!!?」

 

 即座にそれの正体を見破った獅子舞が、環の腕を掴まえて全力で疾走する。これまで進んで来た道を逆走する。無理矢理連れ出される環は混乱して、しかし背後を見れば直ぐに道連れが己を引っ張っていったのか、その理由を理解する。理解させられる。

 

「蝙蝠……!?」

 

 けたたましい鳴き声とざわめきと共に闇の中から現れたのは数千、数万、それ以上を超える黒の大群だった。蝙蝠、吸血蝙蝠、小妖幼妖の大軍勢。大雪崩。

 

「この部屋の主の登場という事ねっ!!」

「あ、主!?けどあれは精々……!?」

「直ぐに分かるわよ!!」

 

 一体一体は余りにも矮小なそれらから獅子舞が必死の形相で逃亡を図る事、ましてや主扱いする理由に困惑する環。そんな環に向けて獅子舞は予告してやる。あの群勢のおぞましさを。証明の瞬間は直ぐに来た。

 

 それは一瞬だった。先程彼女らが討ち取った鼠や土竜、あるいは竃馬……妖怪共の死骸はあっという間に闇の中に消えていき、直後にはあらゆる肉と体液を失った骨と皮、外殻のみが残される。

 

「ひっ……!!?」

 

 一瞬の事だった。数秒と経てなかった。仮にあの群れの中に呑み込まれたら自分達がどうなるのか、想像もしたくなかった。

 

「はぁ!!」

 

 獅子舞は駆けながら薙刀を振るう。背後から迫る群れに対してではない。鍾乳洞の岩壁に向けて、天井に向けて。放たれる斬撃は壁に張りついていた虫系の妖共を地表へと落下させ、削り出された岩石が崩れる。前者は蝙蝠共の餌となり、後者は群れを数十単位で押し潰す。時間稼ぎに過ぎなかったが。

 

 矮小な影のうねりが、迫り来る。

 

「糞、数が多過ぎる!!」

「このままじゃあ追い付かれるよ!!?」

「分かってるわよ!!けど、くぅ……きゃっ!!?」

「うわっ!!?」

 

 必死に走っていたせいで足元を疎かにしてしまったのだろう。薄暗い闇の中にある故に二人は足を引っ掻けてその場に倒れる。転げる。水飛沫の音が響く。

 

「水溜まり!?く、地下水か!!」

 

 先に迅速に立ち上がった獅子舞が罵倒するように叫ぶ。見ればぴとぴとと天井の一角から染み出るように、等間隔で水滴が落ちていた。舌打ちし、急いで環に手を差し伸べる。

 

「早く!起き上がって!!」

「う、うん!!け、けど……痛っ!?」

 

 どうやら足を挫いてしまったらしく、環は足の痛みを訴える。

 

「ご、ごめん!!この足じゃあ、走るのは……!!」

「ちぃぃ!!」

 

 環の訴えに忌々しげに表情を歪めて、獅子舞が薙刀を構えて前に出る。環と蝙蝠の大群を遮るようにして身構える。  

 

「獅子舞さん!?」

「あんたもさっさと刀を抜きなさいよ!!私一人に相手させるつもり!?」

 

 道連れの行動に環は顔を青ざめさせる。己が獅子舞の足を引っ張っている事に、死地に追いやりつつある事を理解して。しかし、だからといって足を挫いた環には出来る事はない。精々己を捨てて逃げるように訴える位で、そしてそれも蝙蝠共の飛ぶ速度からして時間稼ぎにしかならなくて……。

 

『真上をご覧なさい』

「えっ……!?」

 

 耳元で響くのは何処か艶かしさも思わせる囁きだった。直後に一瞬紫の蝶が目の前を羽ばたいたように見えて、それを追うようにして環は思わず頭を上げて……。

 

 ぴと……。

 

「っ!冷…水滴……!?」

 

 混乱して、絶望する環の頭上に一滴の水滴が滴り落ちた。突如として頬に触れるその余りにも冷たい感触に思わずびくりと身体を震わせる。そして……ふと思い至る。一つの可能性を。一つの賭けを。起死回生の選択肢を。

 

「水滴、水、地下水……あっ!獅子舞さん!!天井を、天井を崩して下さい!!早く!!!!」

「はぁ!?……!!そう言う事か!!」

 

 一瞬環の言わんとする事に怪訝な表情を浮かべて、だが目を見開いて彼女は頷く。そして構える、斬撃の姿勢を。

 

「頼むわよ、当たれぇ!!」

 

 後先考えぬ連続で放たれる斬撃が天井の岩肌を抉る。その光景を見ながら獅子舞も環も、祈った。予想が当たる事を。

 

 直後、天井から勢い良く冷水が噴き出した。そして、そのまま天井にピキピキと言う音が鳴ると共に亀裂が生まれる。広がる。罅割れる。決壊する。地下水脈から溢れた水が鍾乳洞を呑み込む。蝙蝠の群れごと、鍾乳洞の空間を呑み込む。

 

「うわっ!!?」

「息を溜めて!!」

 

 あっという間に冷たい地下水で満たされていく洞窟。悲鳴をあげる環に獅子舞が叫ぶ。直後には彼女らは纏めて水の中に沈んでいた。

 

「うわっ……はぁ……ううっ!!?」

 

 碌に泳いだ事もない環は水の中でもがく。追い込まれていたので其処まで深く考えてなかったがそれは必然だった。狭い洞窟の中で地下水脈を決壊させれば当然の帰結である。荒い波と冷たい冷気が彼女を襲う。苦しむ。息が苦しい。激しく水面と水中を行ったり来たり繰り返す。溺れている。流されている。

 

(苦しい、み、水が気管に!!?足も!!?)

 

 冷静に対処しようと思っても無駄だった。噎せた結果思わず水の中で咳き込む。咳き込んで余計に口の中鼻の中に水が入り込む。慌てて足を動かして、挫いた足を更に吊った。痙攣する。痛い、冷たい、暗い、恐怖が身体と心を支配する。落ち着くなんて不可能だった。

 

(い、きが……!?)

 

 苦しい。苦しい。苦しい。寒い。寒い。寒い。

 

(い、やだ……!?こんな、こんな所で……そん、な……!!?)

 

 もがく。もがく。もがく。怖い。怖い。怖い。

 

(だ、め…だ…もう…もう………)

 

 闇に沈んでいく。暗闇に呑み込まれていく。意識が遠退いていく。

 

(と、うさん……にいさんたち……)

 

 脳裏を過ぎ去るのは故郷の記憶。家族の姿。

 

(すずね、いる…か…。ともべ、くん…………)

 

 脳裏に過ぎ去るのは友達の記憶。恩人の姿。

 

 それは走馬灯だった。消える直前の儚い灯火だった。

 

 全てが、薄れていく。消えていく。深い闇の中に、冷たい水の中に、温かい記憶が沈んでいく。そして彼女には、環にはそれをどうする事も出来なくて、何処までも無力でしかなくて…………。

 

『流れよ。凪がれよ。因縁よ、怨念よ』

(え…………?)

 

 直後、脳裏に過ったその光景を環は認識出来なかった。過ぎ去る記憶の奥底に沈むそれが分からなかった。

 

『一族の宿痾を此処に。贄を祝いて柱として。一族が長を、舟に乗せて見送らん』

 

 誰の声なのか、分からなかった。紡がれる祝の意味も分からなかった。空だけが全てだった。宝石を散りばめたような煌びやかな星空だけが見える物の全てで、水飛沫と風の音だけが聴こえるものの全てで、凍てつく風が頬を撫でる感触だけが真実だった。

 

『忌まわしき呪いよ。我らが血筋の裔と共に黄泉の果てまで流転するがいい。刻の末まで流浪するがいい』

 

 ……舟に同乗するその禍々しい影だけが、彼女の唯一の連れ添いだった。

 

(な、に?これは……)

 

 困惑、混乱、動揺。己が知らぬ記憶。見覚えのない。一幕。いや、違う。これは、この記憶は、きっと、きっと、きっと………。

 

「ぁ……!!?」

 

 どうにか纏まった思考が出来たのは其処までだった。窒息の苦しみに、酸素を取り込めぬ環の意識は苦しみから遂には沈黙に向かう。意識が薄れていく。身体から力が抜けていく。迫り来るのは死の気配。死が、纏わりついて来る……。

 

 意識を失う直前、此方に向けて泳いで来る獅子舞麻美の姿を、環は確かに目撃した……。

 

 


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