和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第一一一話

「ねぇねぇ。見てよ、あの娘……」

「嘘、どうしてあんなのが……良く顔を出せたわよね?」

「澄まし顔で、何て恥知らずな……」

 

 座席に居座る少女は周囲からの奇異の視線をひたすら無視していた。嘲りの陰口を無視するように努め続けていた。こうなる事は元より分かりきっていた事なのだから。

 

 ……心が冷めきっていた彼女にとって、それよりも問題は眼前で行われている講義であった。

 

「あー、つまりですな。結界式の構築に必要な基点は……」

 

 棺に片足を突っ込んだ老境の博士がたどたどしく呟く内容に、彼女は小さく嘆息する。周囲に気付かれぬように、しかし明確にうんざりする。

 

「はぁ……詰まらない」

 

 頬杖をして、彼女は小声で呟いた。それは講義が分からない故のものではない。寧ろ逆、分かりきっているからこその退屈であった。

 

 ……陰陽寮付属機関たる陰陽修院は若手の陰陽師、退魔士を養成するための国立の教育機関である。

 

 とは言え、多くの名家では家内での秘伝の儀式、秘匿の技術を直々に一族に施す事も多く敢えて陰陽修院に通わせない場合の方が多い。

 

 そも、修院成立自体、元を正せば『人妖大乱』で断絶した退魔士家の補填として擁立した一族、あるいは存続した代わりに大幅に弱体化した旧家の質の回復のための最低限必要な知識と技術の指導する補助制度だった経緯がある。

 

 そんな事情もあり、修院に通う者達は新興退魔士家や二流三流の家人の家の者が過半を占めていた。あるいは名家の者が通うとしても純粋に講義目的というよりかは人脈形成こそが本命であろう。

 

 それ故の講義内容の水準の低さ。更に其処に彼女の聡明な才覚が合わされば講義の時間は何処までも無為で、苦痛ですらあったのだ。特業生として優遇されていたとしてもそれは変わらない。……それどころか、彼女の家の立場を思えばそれは寧ろ枷ですらあったように思えた。

 

「っ……!!?」

 

 頭に何か当たった気がした。ちらりと見れば畳の上に雑に丸められた和紙が転がっていた。背後からクスクスと小さな嘲りが漏れる……。

 

「……」

 

 詰まらない嫌がらせだと思った。下らない嫌がらせだと思った。子供染みた所業だ。……実際、子供だけれど。

 

「隠行。式符化。呪い返し。……行け」

 

 袖の下に仕込んだ符に向けて小声で呟く。すっと袖下から抜けた符は隠行しながら畳に転がる紙屑に向かう。貼り付くとともに紙屑は己を組み換えて、皺くちゃの紙鼠と化した。

 

 紙鼠は疾走する。チュチュと小さく鳴いて机の合間を抜ける。そして机の上に乗り出して躍り出た。己を丸めて放り捨てた退魔士の卵の少年の眼前に。

 

「あ?」

『チュ!』

 

 唖然とする少年に対して、紙鼠の行動は早かった。口から墨汁を吐き出して少年の顔面にぶちまける。少年が叫んで周囲の視線が集まる直前に紙鼠は離脱。窓から外に逃亡した。後は適当に焚き火や竈の中にでも突っ込めば証拠隠滅は容易だった。

 

「何をしているのかね、君は?」

「違っ……あいつが!式神で!!」

「式神?そんな物何処にある?」

「っ……!!?」

 

 博士の言葉に少女はほくそ笑む。彼女も衝動で動く馬鹿ではない。術の行使に際して偽装はしている。丹念に調べたら兎も角、ぱっと見では己が術を使った痕跡なぞ何処にも残っていない。そして定年と給与の事しか考えていないだろう博士達も、態態こんな些事の真偽を確かめるつもりは無いだろう事を、見抜いていたのだ。

 

「全く、ふざけるのは止しなさい。次騒ぐのならば罰則を与える事になるぞ?」

 

 案の定、老博士は心底面倒そうに騒いだ少年を叱責する。その後、序で罰とばかりに彼女に向けて講義の問い掛けを仕掛けるが彼女は堂々とした態度でそれを唄を諳じるように即答して見せた。博士は嘆息しながらもそれを称賛して、彼女もまたその賛辞を悠々と受け入れた。

 

 ……その他者を見下す態度こそが、周囲から疎まれる一因である事に彼女は気付いてはいなかった。いや、気付いていてもそれを唯の醜い嫉妬の類いとしか見なしていなかったのかも知れない。

 

「では、続いては界の結びにおける特性の付与についてであるが……おや、もうこのような時間か」

 

 講義が次の内容に移行しようとした時であった。室内に鐘の音が鳴り響く。宮中の、そして都全域に向けた時刻を伝える鐘の音色だ。刻を知らしめる行いは朝廷の義務であり、また民草のみならず文武百官の行動を支配する国家の権利であった。

 

 そして、その鐘の音は苦痛の時間の終わりでもある。

 

 老博士の講義の終わりの宣言。そして次までの課題の出題。参列する生徒達が同じ学友同士で雑談を始める中で淡々と彼女は部屋を後にする。博士に尋ねるべき質疑は何一つ無かったし、己に劣る学徒達には欠片の関心もなかったから。彼女は友人と都の商店を巡った経験もなく、それをしてみたいとも露にも思わなかった。

 

 しかしながら彼女は宮中の外れに設けられた仮住まいに真っ直ぐ帰る事もまたしなかった。監視の付くあの家は退屈そのもので、窮屈そのものだった。

 

 だから、彼女は向かう。あの人の元に。

 

 大人顔負けの隠行と、幻術に催眠の霊術。何よりも『先生』から譲り受けた幾つかの呪具の効果もあって、唯人の衛士共の目を誤魔化すのは容易だった。

 

「はっ、はっ、はっ!!」

 

 胸を高鳴らせ、息を荒げながら彼女が駆け走るのは大門を抜けた先にある外京。悪所も点在する貧民や出稼ぎ民を主体とした雑居地である。その裏通りの一角の店の主人こそが、彼女の目的の人物であった。

 

「先生!!」

 

 勢い良く店の中に駆け込んで叫べば、治療を受けていた親子連れが思わず目を丸くして驚く。白い包衣を着こんだ若い医師はそんな彼女を見ると苦笑した。

 

「これはまた元気の良い事だね。……やれやれ、鐘が鳴って其ほど時間も経てないだろうに。随分と急いで来たようだ。……あぁ。その隅で少し待ってくれないか?まだ処方している所なんだ。棚の書籍を好きに読んでくれて構わないから、ね?」

「はい、分かりました!!そうさせて貰います!!」

 

 言うや早く彼女は突っ込むようにして店の奥に設けられていた本棚から書を取り出して読み耽り始める。『先生』はその様子に苦笑しつつも親子に礼を述べて処方薬の説明を続ける。

 

「ではお代は……此くらいでしょうかね?」

「まぁ、宜しいのですか?そんな少ない額で……」

 

 算盤を弾いて示す治療費の金額に、母親だろう女性は思わず驚く。都の内ならば兎も角地方やこの外京ではいい加減な医師も少なくないし、その癖大金を要求してくる者は数知れない。扶桑国が試験を経て公認する医師の数はその需要からは余りにも少なく、民草の大多数は民間療法や怪しげなモグリに頼る有り様だ。

 

 若いこの医師はその意味で外京において最も評判の良い医師の一人であった。その診察は確かに的を射るものであり、処方する薬は確かに効果覿面であった。求める報奨は安く、物腰は教養に満ちていて、しかも裏では安価且つ確かな効力を持つ呪具も販売している。外京の多くの住民は彼が元宮仕えの貴人だと信じていた。盛念上人の例にあるように、人徳ある人物が宮中での政争に破れて泣く泣く下界に降り、其処で民草に尽くす事は稀にある事だ。

 

「構いませんよ。診察といっても、坊やのは唯の風邪です。大した薬ではありません。……それよりも良く寝かせて上げて下さい。水も小まめに飲ませて。食事は消化の良い物を上げて下さい」

「はい。……本当に有り難う御座います」

 

 赤子の額に触れて微笑みながら、『先生』は母親に助言する。子を抱く母親は何処までも恐縮して幾度も礼を述べた。母親らが店を出た所で、彼は嘆息する。

 

「……さて、と。今日はまたどうしてそんなに張り切って来たのかな?松重の家の御嬢さん?」

  

 振り向いて問い掛ける彼の視線の先には書を凝視するように熟読する少女の姿。

 

 彼女が必死に読み取る書に記述される内容は実験を基にして推測される霊草魔草その他の薬効についてだ。それらの多くは学院の生徒如きでは到底学べぬ知識で、中には禁術指定される可能性がある項目すらあった。そんな貴重な資料から、少女は視線を師へと移す。そして答える。

 

「今日、実験の結果を図る日と聞きました、先生の助手として是非御手伝いをしようと思いまして!!」

「嘘を言いなさい。君の目的は実験の結果を早く知りたいだけだろう?」

 

 元気良く少女が答えるのを、師たる若医者は鋭く指摘する。その指摘が事実故に、少女は思わず苦笑した。苦笑して、子供らしく誤魔化す。

 

 以前此処を訪れた時に眼前の師が行っていた実験を知っていた。その結果が出る時期も……それが気になって気になって、昨日の夜は碌に眠れなかったのは秘密だ。

 

「やれやれ……仕方の無い子だね」

 

 そんな己に対して、師は大人らしく困り果てた笑みを浮かべるがそれ以上追及はしなかった。そして指を鳴らす。戸口が閉まり、障子が閉まり、薬棚が閉まる。店仕舞いする。

 

「さて、来なさい。筆と巻物も用意してね。人の知識をタダで覗くんだ。せめて助手として仕事は果たしなさい」

「はい、先生!!」

 

 師の許可を受けて、ぱぁと笑みを浮かべて少女は部屋の奥に向けて足音を鳴らして走る。それだけ興奮していたのだ。少女はそれだけ己の師を尊敬していたし、その研究の一助になれる事を心から喜んでいたから。

 

 家の立場としても家計の事情からも……そして何よりも扶桑国の退魔士家に課す幾多の法的制約から、彼女は退屈していた。己の時間と才能を無為にする事を。そんな中で巡り会った自身を遥かに上回る師を、世間に疎い少女は殆ど盲信していたのだ。

 

 だから松重牡丹は気付かなかったのだ。己の背中を見つめる師の、その何処までも冷たく、悪意に満ち満ちた眼差しに…………。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「んっ?んんんっ……!!?夢、ですか?」

 

 意識を急速に覚醒させた松重の少女は先ず直前の夢を追憶する。そして苦虫を噛んでいた。余りにも無知で愚かな時代の己の姿を。

 

 そして同時に実感するのは無力感だ。そうだろう。彼女は馬鹿ではない。己に残された時間は限られている。その間にあの男に復讐する機会なんて無いだろう。幾ら怒りに震えていても其くらいの事が分からぬような彼女ではない。だからこそ彼女は実感するのだ。どうにもならぬ無力感を……。

 

「本当、馬鹿馬鹿しい話ですね……って、ん?」

 

 嘆息、そして嘲り。自虐。自嘲。と、其処で漸く彼女は気が付いた。己の置かれている立場を。

 

 自分は抱かれていた。ふっくらとした毛皮に抱かれていた。それは良い。恐らく祖父から借り受けている馬鹿熊であろう。だがこれは……走っている?

 

「ん?んんん?」

 

 今更に彼女は気付く。周囲の喧騒を。悲鳴を。騒音を。鼻腔を擽る湿った臭いを。周囲の薄暗い光景を。

 

「は?」

 

 首を上げて周囲を見渡した牡丹が直後に見たのは全身包帯巻きの死体だった。正確には木乃伊であった。薄暗くて狭い地下通路を次々と木乃伊が疾走していた。疾走して、突き進む。

 

『グオオオオオォォォォォッ!!』

 

 直後に鬼熊の鋭い爪と拳でそれらは粉砕される。土壁のように粉塵を舞い上がらせながら呆気なく打ち砕かれていく。しかし止まらない。木乃伊共はやって来る。次々と、間断なく。

 

「うわぁぁぁっ!!?熊さん!!早く!!早く前進んでぇ!!?後ろからも来てるんだよぅ!!?」

「泣き言言う前にさっさと迎撃しなさいよ!!?あぁ、こいつら雑魚の癖に鬱陶しい!!?どれだけいるのよ!!?」

 

 悲鳴に近い叫び声が式の背後より響く。片方に至っては半泣きだった。同じように背後でも木乃伊の唸り声とそれらが切り刻まれたり打ち砕かれる音が響くが……どうやら事態は芳しくは無さそうだった。

 

「はぁ……出てきなさい、瞬火」

 

 直ぐに理解した危機的状況に、彼女が懐よりて引き抜いた符は二枚。内一枚より引き出すのは本道式である。小柄な二又の猫だ。猫又を、召喚する。

 

『フゴ!?』

『アァァァ!!?』

 

 同時に恐慌状態に陥る木乃伊の大群。何せ、猫は暗黒大陸においては神罰と守護を司る神格の象徴であった。そうでなくても猫又の伝承を思えばくたばり損ないの骸共が怯え慌てふためくのも当然である。尤も、それが精々時間稼ぎにしかならぬ事を、牡丹は重々承知している。

 

 だから、こうする。

 

「……『断裁撃盪』」

 

 そして生じた隙に今一つの符で以て牡丹は呪いを唱えた。直後に放たれるのは高圧で放たれた熱湯の一薙ぎであった。眼前の通路を埋め尽くしていた木乃伊共を、纏めて薙ぎ払い、粉砕する。

 

 仕掛けは大した物ではない。符に封じ込めていた大量の水に火遁を付加する事で形成・高圧化した蒸気圧を一気に解放しただけの事だ。

 

 符から解き放たれた岩を断裁し破砕する程の熱湯と水蒸気の一撃も、しかし一流の退魔士ならば素手や武具で普通に再現出来る程度の物。密室空間だから効果があっただけで小細工の域を出ない。何だったら彼女の独創でも無かった。南蛮では似た手法で魔王を八つ裂きにしたり緑小鬼の巣穴を水没させた事例があるという。……直ぐに対策されるようになったので初見殺し限定だった。

 

「……」

「……」

「源武、その余所者を掴まえて走りなさい。後ろの連中が混乱している今の内に、一気に突破しますよ」

『グオオオオオォォォォォッ!!!!』

『ナァー』

 

 眼前の光景に思わず唖然とする二人に、牡丹は冷淡な視線を向けて宣えば、言われた本人……本妖は咆哮で以てそれに応えた。続くように牡丹の肩口に乗っかる猫又も鳴く。

 

「えっ!?」

「うわっ!!?」

 

 そして熊はひょいと環達を掴み上げるとスタコラサッサと遮る者の消え失せた前方の通路を疾走し始める。……手足だけになったりスプラッタになった木乃伊が尚も床で蠢くがそんな事知るかとばかりに容赦なく巨獣はそれを踏み潰していた。いっそ、無慈悲だった。

 

「随分と、厄介な事になったようですね。……事の顛末は連中を振り払った後にお聞きしましょうか?」

 

 そして、そんな熊の腹の内に揺られる松重の孫娘は、背後で尚も恐慌状態に陥りつつも追いかけて来る木乃伊の大群を一瞥して言い捨てるのだった。小さな溜め息と共に……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 事の次第は単純明快だった。

 

 悪辣な引っかけ問題を仕込んでいた人面獅子を熊に殴り殺させた牡丹は、しかしその直後には熱中症で臥せてしまっていた。この事態をどうしようかと慌てる環に向けて、獅子舞が示した提案は、兎も角日影に隠れるという当然のものだった。

 

 幸い、眼前には既に建物が見えていた。知る者が見れば暗黒大陸に存在するという四角錐王墓を連想させるその石造の構造物に急いで駆け込んだ一行。建物の内は涼しかった。暫しの休息、そして一行は取り敢えず王墓の奥へと進んだ。無駄に素直な妖熊が主人を胸に抱いて先頭に立ち、奥へ奥へと『迷い家』の出口を求めて探索する。そして……見事仕掛けに嵌まって彼女達は木乃伊の大群に襲撃される事になったのだ。

 

「成る程。ふむ、取り敢えず言いますね?……何でお前は勝手に同行しているのですか!!?」

 

 木乃伊の大群を撒いてから暫し、ここまでの事情を聞き終えると熊妖怪の胸に抱かれながらその胸にていっ!と腹パンを一発打ち込む牡丹。残念ながら牡丹の腕力は余りにも弱過ぎたし、熊の毛皮と脂肪は余りにも分厚かった。殴打は弾力性の高い腹に沈みこみたぷんと小気味良い音がしただけだった。余計に腹が立った。

 

「あ、余りその子を虐めないでくれないかい?ぼ、僕が来ないかって提案した事なんだ……!!」

「だから叱責してるんですが!!?」

 

 しゅんと落ち込む鬼熊の弁護をしようとする環に対して、牡丹は半ば突っ込みめいて叫ぶ。式神が使役者の意識不明に対して自発的に行動を取るよりも無関係な他人の命令に従う方が遥かに問題であった。使役者を何だと思っている!?

 

「はぁ、はぁ、はぁ。もう良いです。私も疲れました。この件については処分は後回しにします。……不問ではないので後で覚えていなさいよ?」

 

 唯でさえ少ない体力を無駄遣いした牡丹はこれ以上の追及は現状無意味と悟り決を下す。勘違いしてほっとする熊に向けて処分内容を付け加えてしょんぼりさせる事は忘れない。

 

 そして、妖の癖に無駄に呑気な熊の事は脇に置いて牡丹は環らに視線を移す。

 

「物好き……とは今回は言わないで置きましょう。何はともあれ助けられた事ですから。礼は述べます」

 

「う、ううん。此方こそ……危うく引っかけ問題に騙される所だったし。助かったよ」

 

 咳をしてから、改まって述べられる礼の言葉に、意表を突かれつつも応じる環。その態度に眉間に皺を寄せて不機嫌になる松重の孫娘。

 

「……ねぇ。勝手に話を進めているけれどアンタって何者?そのお人好しと知り合いっぽいけど、それにしては余所余所しいし。身分を教えてくれないかしら?」

 

 其処にあからさまに訝し気に警戒する獅子舞の追及が来た。牡丹は視線を環から追及者へと向ける。

 

「……同業者ですよ。それ以上答えるべき事はありません。この仕事をしていれば根掘り葉掘り聞いた所で望む答えが返ってくる訳ではない事くらい分かりそうなものですが?」

 

 淡々とした牡丹の物言いに獅子舞は鼻白む。何処となく想定していたようで、それでも不機嫌そうに舌打ちした。剣呑とする二人の間でひたすらオロオロする環。

 

「え、えっと……二人共仲良く……」

「そんな必要はないわ。こいつがそういう態度ならば私だって相応の礼で応えるまでの事よ」

「このような茶番に時間を費やすのは無駄です。さっさと先に行きますよ。時間は有限、特に今は砂金のように貴重です。無駄遣いは出来ません」

  

 咄嗟に仲を取り持とうとする環の言葉を各々が否定の言葉で以て答えた。完全な拒絶であった。その空気に表情を引き攣らせる環。

 

「行け、源武」

『グルル……』

 

 そして、そんな彼女を無視して牡丹が式に前進を命じた。ノシノシと歩み始める鬼熊。それを見て最後尾の獅子舞は無言の内に環の背中を押して同じく前進するように急き立てた。どうしようもないので環はそれに応じる。重苦しい空気の中で狭く暗い通路を進む一行……。

 

「……随分と深く進むね」

 

 狭い通路を進む事、どれ程の時間を経たのであろうか?遂に沈黙に耐えられなくなったのか、環がふと呟く。呟いた後に気まずそうに俯き前後を進む同行者らを窺う。

 

 叱責や罵倒の言葉は来なかった。後方の同行者は肩を竦めて気にしないとばかりの態度を示す。前方を進む同行者は無感動に環をじろりと見て、しかしそれだけの事であった。牡丹は視線を直ぐに前方に戻すと暗い奥底を見据える。

 

「……」

 

 石造の通路は地下に続いているように見えた。通路の床は緩やかに斜面を描いているように思える。壁には途中から絵画や紋様が刻まれ始めていた。猫や鰐等を象った象形文字……中には孔雀石や翠玉で象った文字まで嵌め込まれている。

 

(黄金虫、ですか)

 

 特に色取り取りの虫の象形を一瞥して、牡丹は書物の知識を思い返す。確か暗黒大陸では復活や不死の象徴として扱い、それを媒介した呪いもあるのだったか。

 

「……?待て。もしやこれは……地図、ですか?」

 

 そしてじっと見つめていた牡丹はふとその事に気付いた。急いで鬼熊に壁に寄せるように命じる。壁とにらめっこして、刻まれた文面を読み込んでいく。

 

「えっ?こ、これ……文字なの?というか地図!?」

「こんな絵みたいな滅茶苦茶な文字、良く読めるわね、アンタ……」

「静かにして下さい。私だって付け焼刃の知識なんです。集中しないと解読出来ません」

 

 背後からの同行者の言葉に対して、牡丹は注意の言葉を口にする。そして意識の殆ど全てを眼前の文面の解読に向ける。

 

「これは……通路で、此処が今の場所ですか?あぁ、この節はどうでも良いですね。唯の詩です。……広間と……それに宝物庫ですか。兵舎と、これは罠ですね。なら出口は……」

 

 このような場所の常であるが、無駄に修飾過剰で複雑な文面に舌打ちし、必要な文章のみを必死に解読していく牡丹。刻まれる文面の中には読み上げた途端に相手を呪う仕掛けまであるので慎重に内容を吟味していく。そしてある一節に視線を移して、止まる。

 

「書庫………」

 

 出口を探す中で見つけたその意味を持つ文字に、牡丹は思わず呟いていた。

 

 書物でしか知らないが、確か暗黒大陸の四角錐王墓に設けられている書庫には古代……否、神代、上古の時代の叡智を記した記録が財宝と共に保管されているらしい。嘗ての西方帝国や今の亡命帝国では度々大規模な調査団(盗掘団)を派遣しては少なくない犠牲と引き換えにそれらを確保したのだとか。

 

(所詮は見掛けだけ、期待は出来ませんが……)

 

 財宝には関心は無いが、書物の方にはどうしても興味を惹かれてしまう牡丹であった。元来の知識欲、そして己の生を掴むための方策を求める故に、彼女はその方面について何処までも貪欲であった。更に言えば……。

 

(王墓の書には霊魂、神霊に関わる内容が多く記されていたのでしたか。……あの男からしても縋りつきたい事でしょうね)

 

 其処まで考えて不機嫌になって牡丹は首を横に振る。何を考えているのだろうか?あの下人の状態は呆れ返る程に厄介で面倒ではあるがここで引き合いに出すような類のものでも無かろうに……。

 

「時間があれば幾つか回収しても良いのですがね。……?これは……門?」

 

 冷笑、自嘲、嘲笑。そして出口を探す作業に戻ろうとして、今度こそ彼女は困惑する。その最も重要な一節を修飾する詩に、首を傾げる。

 

「しかし……その門の手前にも、ましてや先に…安息無く、汝……汝に塞がるは混沌……末端…這う、泥?」

 

 途中から極めて難しくなる文面に、牡丹の解読の速度は急速に落ちる。更に集中して刻まれた文面を読み取ろうとする彼女は……しかし、それは叶わない。

 

『シャアァァァァッ!!』

「っ……!?何ですか!?」

 

 肩に乗せていた又猫が威嚇する音に、牡丹の意識は現実に引き戻される。直後にはその場にいた全員が異変を察知して周囲を警戒する。

 

 闇の中で、カサカサという何かが蠢く音が漏れる。

 

「な、何!?何かいるのかい!?」

「静かにしなさい。……騒ぐんじゃありません」

 

 動揺する環を叱責するように牡丹は注意する。そして耳を澄ます。気配を探る。そして気が付く。壁の異変に。

 

「っ!!?焼き払え!!」

 

 直後に壁に沿って火符を放っていたのは正解であった。壁に沿って迫り来ていた拳大の黄金虫共が次々と炎に包まれて悲鳴を上げる。

 

 ……人肉食の妖黄金蟲を丸焼きにする。

 

「馬鹿な、こんな近くに来るまで……何!?」

 

 驚愕、そして牡丹は目撃する。壁の文面に嵌め込まれた文字が、黄金虫が震えると同時にポトリと床に落着するのを。そして表面の宝石を打ち砕いて現れる。狂暴な牙を生やした妖蟲が。

 

『グルゥ!!』

 

 牡丹達の存在を認めて嬉々として疾走しようとした所を鬼熊は命令よりも先に判断し、勢い良く踏み潰す。人の肉を容易に噛み千切る黄金虫も、大妖の硬い皮膚は流石に無理であったらしい。

 

「ちぃ……!!成る程、休眠状態で妖気を誤魔化してましたか!『結』!!」

 

 舌打ち、そして通路の背後に向けて一線、結界を張る牡丹であった。それは邪気を打ち払う無色透明の障壁。直後には結界に激突して次々と砕け散る幼妖。黄金虫。だが……。

 

「狭所で物量は妖共の定番の手ですが……!!走りますよ!!」

 

 暗闇の向こうから蠢く闇のように押し寄せる黄金虫の大群を目撃して、牡丹は叫ぶ。叫びながら更に結界を結ぶ。足音が暗い通路に騒がしく反響する。

 

「源武、耐えなさい!!」

『グルル!!』

 

 突き進む通路の先でも壁に嵌め込まれていた黄金虫共が次々と目覚める。次々と飛び掛かるのを、身構えた熊は躊躇なく強行突破する。巨大な足で地面を這う連中を複数体を纏めて踏み潰し、飛び掛かる蟲もまた、硬い毛皮、厚い脂肪で受け止められる。筋肉に力を入れれば膨らんだ筋繊維によって食い込む蟲は即座に押し潰された。矮小な怪物共の断末魔の悲鳴が上がる。

 

「無駄遣いはしたくないのですが……『蒸焼地獄』!!」

 

 打ち砕かれる背後の結界と迫り来るおぞましい金切声に、牡丹は次の札を切る事を即断する。そして背後に向けて放たれるのは超高温の蒸気であった。

 

 先刻木乃伊の大群を高圧の熱湯で破砕した符にはもう一つの仕掛けがあった。符内に残留した熱風を解放、茹だるような熱波は狭い通路を突き進む黄金虫共を纏めて蒸し焼きにした。蒸し焼きの、蟲焼きであった。所詮数が多いだけの幼妖、次々と悲鳴を上げては息絶える。……その濁流を一時的に押し止める。

 

「『開け』!!」

 

 眼前の石扉に符を投擲、そして命令。意思を得たように重々しい石扉は音を立てて開いた。鬼熊は牡丹を抱えたまま扉の先に突っ込む。

 

「早く来なさい!!『火水爆』!!」

 

 距離を置いて追い掛ける環らに向けて叫ぶ牡丹。湯の刃を放ち、水蒸気を噴き出した符をここで更に酷使する。符が発火しながら矢のように放たれる。環達の直ぐ傍を符が通り抜ける。そして蟲の群れに突っ込み……爆発する。

 

 水蒸気とは気化した水であり、水という物質は爆発性の因子……水素……を分離抽出出来る。先程の水蒸気に含まれていた多量の水素、其処に火種とした火符を放り込む事で追い立てる蟲の群を一気に爆散させる。

 

「『閉まれ』!!貴重な符を二枚も使う事になるとは……!!」

 

 環達が通り抜けた所で牡丹が叫べば石造りの扉が軋みながら閉ざされる。蟲共がそれに追い付くのは最早不可能だった。閉ざされる扉に背を向けて、牡丹は吐き捨てる。

 

 過去の調査記録からこの広大な迷宮には様々な呪具が設けられているが、それらは玉石混淆……いや、圧倒的に石、滓が数を占めている。その場に合った、己に合った呪具とは限らないし強力な代物でも罠が仕掛けてあったりもする。積極的に活用したいものではない。信用出来るのは自前の物のみであった。特に牡丹のような術師型の退魔士の場合は装備の損耗は死活問題である。毒を吐くのも当然だった。

 

「はぁ……はぁ……た、助かったよ。有り難う」

「はぁはぁ……危なかったわ。もう少しで食い殺されるところだったわね。悔しいけど、助かったわ」

「…………」

 

 一方、蟲から逃げるのに走り続けた環達はぜいぜいと息を荒げていた。背を合わせて床にへたりこむ二人。そんな二人の様子を確認した牡丹は無言で以て二人の言葉に応える。

 

 つまりは無視であった。獅子舞は不機嫌そうに鼻を鳴らすのを、環が苦笑いしながらも宥める。それすらも関心を示さずに、牡丹はただ辿り着いた空間を一望する。そして其処が何処なのかを直ぐに見抜いた。

 

「書庫……」

 

 幾多の棚に納められた古ぼけた巻物を見て、あるいは重々しい金属製の大本を見て、牡丹はそれを確信する。

 

「思っていた通り、妖魔本の巣窟ですね……」

 

 恐らくはある意味貴重品であろう、しかしながらそれらはあくまでも邪悪な妖魔本のようで、神代の叡智を記したそれらとは別のように思われた。その事に牡丹は軽く失望する。

 

「……この先は、所謂『王の間』ですか」

「えっと……」

「疲れているでしょう?其処で少し休憩していて構いませんよ。別に置いていったりはしないので安心して下さい。……行け、源武」

 

 此方に何か言いたげな環に向けての牡丹の平坦な応答。熊の式に命じて己を抱いて先に進ませる。本棚の列を二十は超えただろうか?漸くその部屋に辿り着く。直ぐ隣の石棺の安置された部屋に到着する。

 

「棺、さてさて何が入っているのだか……そして、これが門ですか」

 

 中央に鎮座する石棺を冷たい視線で見つめて、牡丹はそれを挟んで眼前に構えられた門を見やる。文字通り真っ暗で先の見えぬ門を……。

 

「報告書通り、次の部屋への入口……」

 

『崩落山の迷い家』、過去数回実施されたその内部調査の報告書……正確にはその無断写本を牡丹は以前に読みこんでいた。確か、生還者の一人がこの部屋を経由したのだったか……。

 

「上手くやれば後幾つか経由すれば出られる筈ですが……っ!!?源武!!」

 

 其処までぼやいた牡丹は、直後に己を抱き抱える源武に向けて叫ぶ。即座に反応した熊が背後に向けて後退する。熊が先程まで佇んでいた床に鋭い傷痕が刻まれたのは一瞬後の事だった。

 

「えっ……!?な、何!?」

「環、武器を構えなさい!!……嫌な予感がするわね。アンタ、墓荒らしでもしたの!!?」

「人を何だと思っているのですか?そんな軽率な事はしませんよ」

 

 動揺する環、そんな彼女に指図をする獅子舞は薙刀を構えて牡丹に向けて問い詰めた。当の松重の少女は心外とばかりにそれを否定する。高貴な者の棺なぞ、墓荒らし用の罠に呪いが当たり前だ。それらを調べずに無警戒に棺を弄くったなんて疑われるのは退魔士として侮辱そのものだった。

 

『ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!』

 

 そんな会話を交えている内に部屋の向こう側から渇いた呻き声が上がる。そして立ち込める瘴気。腐った悪臭。人影が現れる。

 

 枯れ果てた王の骸が棺より起き上がる。

 

「一難去ってまた一難、ですか。しかもこれは厄介な……あの下人でもあるまいに」

 

 己の巡り合わせの悪さに舌打ちしつつ、牡丹は少ない体力を振り絞って、戦闘態勢を取る。

 

 次の部屋に繋がる門を遮るように佇むそれに向けて、神出鬼没にして無形なる『這い寄る混沌』、その切れ端の切れ端に当たる分け身に向けて、身構えた……。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 嘗て暗黒大陸や西方帝国を中心に、人界に干渉しては混乱を引き起こし続けた古い神格にして怪異。『這い寄る混沌』と称されたそれは討ち果たす事も困難であり、それでも最終的に大元は西方帝国前期末に七罪の魔女達、そして『賢者』によって最果ての地にて永劫に封印されたとされる。

 

 尤も、それは大元のみの話に過ぎない。限りなく概念化しつつあった混沌の悪神は、根源を同じくする多くの端末、分け身が尚も各地で猛威を振るった。

 

 千疋狼の例にあるように、高位の神格・怪物共はその魂の総量から、あるいはその異質な精神構造から分け身や代替わりを行う事への抵抗は非常に小さい。

 

 それでも、『這い寄る混沌』のそれが厄介極まった理由はその分け身の多種多様性であっただろう。己が封じられる直前、格の落ちる邪神は無論、妖に獣、人、文字、呪文、道具……それどころか分け身から更なる分け身を生み落とし、時間すらも超越し過去未来に向けて己の魂の一部を転移させる事までその神格はやって見せたのだ。西方帝国中期以降に各所で『異端審問』が実施されるようになった一因だ。

 

 ……暗黒大陸において、嘗てその分け身の一つが邪悪な王として君臨していたのだとか。

 

「ツキがありませんね……!!」

 

 壁面の地図に刻まれていた文面と、眼前の木乃伊が飾り立てる装飾品の類いから、その出自に当たりをつけた牡丹は十枚を越える符を一気に放っていた。其処から躍り出るのはどれも本道式である。中妖級の本道式である。

 

『カッカッカッ……!!』

 

 水気の全くない顎を鳴らして嘲笑い、木乃伊は手に所持する杖を掲げる。次々と放たれる業炎の火球は式と化した妖怪共をその度に焼き殺していく。

 

 ……いつの間にか外面だけ似せた簡易式と入れ替わり隠行していた鬼熊が音を置き去りにして木乃伊の王の背後に迫っていた。

 

『グオ゙オ!オ゙オ゙オ゙ッ゙!!!!』

 

 木乃伊が振り向くと同時に振るわれる鋭い爪の一撃。妖力を込めたそれは大鎧を一撃で八つ裂きにする威力を秘めていた。しかし……直後に手を上げて見せつけるのは五本の指に無数に嵌められた金銀宝石で象られた指輪の数々。その一つが光り輝けば、不可視の壁が鬼熊の拳を受け止める。

 

『グルルルルルルッ!!!!』

 

 刹那に更に十撃は振り下ろした大妖は、しかしそれでも尚も見えざる壁を抜く事が出来なかった。

 

「退きなさい!!」

 

 木乃伊の翳す指輪の一つが輝く。牡丹の叫びと熊が防御態勢を取りながら跳び跳ねたのは同時だった。閃光が放たれる。拳で受け止める熊の左手が裂けた。

 

『グオ゙オ゙オ゙オ゙ッ゙!!!?』

 

 左手に受けた傷に叫び声を上げながらも、熊は牡丹の傍にまで離脱する事に成功する。簡易式の熊に抱かれた牡丹は、己の主力の受けた手傷に苦虫を噛む。

 

「切れ端の切れ端でこれですか……!!流石に源流が神代の化物なだけはありますね」

 

 神気を感じる事は出来ない。凶妖とは言えたかが『迷い家』の眷属と化している。恐らくは封じられた大元から分離した低級の分け身……の更に切れ端とでも言うべき代物だろう。あるいは更に其処から切れ端かも知れない。それでもやはり一筋縄では行かぬようであった。

 

『カッカッカッ!!』

 

 焦燥する牡丹を見て、木乃伊の王は嘲笑う。そしてそれを懐から飛び出させる。

 

「えっ!?鏡……?」

 

 刀を抜いて牡丹の傍にまで来ていた環が思わず呟く。木乃伊が装束の内から引き抜いたのは錆び付いた鏡であった。銅縁に嵌め込まれた小さな手鏡……。

 

「油断しないで!!唯の鏡な訳ないでしょ!!?」

「余所見しないで下さい。来ますよ……!!」

 

 獅子舞が困惑する環に発破をかける。牡丹が眼前の敵に集中するように指摘する。そして、そのもの共が鏡の奥から身を乗り出す。

 

「な、何…あれ……!!?」

 

 鏡の奥から押し出されるように現れたその存在に環は文字通り鳥肌を立たせて怖じ気づく。

 

『テケ……リッ!テケリ!!』

『テケテケテケ……!!』

 

 弾力性のあるその身体は、一瞬、蕨餅を連想させた。問題はその体色である。どす黒い、溝水のような色合い、更には各所から触手のような物が伸びていて、眼球なのだろうか?球状の赤光が彼方此方から輝いていた。極めつけはその小鳥の声音を下手に真似たような鳴き声である。冒涜的で醜悪的な物体が鏡より召喚される。召喚されたそれは計五体。

 

「確か、書物に記述がありましたね。とは言え、恐らく模造品でしょうが……」

 

 嘗て暗黒大陸の女王が使用したという怪物共を召喚し使役するための鏡。朝廷が確保すれば特級の呪具として扱われるだろうその本物がここにある訳も無し。五体で打ち止めという事はつまり予め捕らえたものを閉じ込めておくだけの代物という事なのだろう。

 

『ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙!!』

『テケリ!リ!』

『テケリー!!』

 

 木乃伊が指さして唸れば不定形の粘体共が一斉に襲いかかる。触手を伸ばして突撃してくる。

 

「近寄るな、キモいんですよ!!」

 

 怒声と共に牡丹は符を放つ。迫り来る触手共に符が貼り付けば全身に雷撃を受けたかのように痙攣して倒れ伏す。

 

 残念ながら、放たれた符の数は触手共の数に比べて余りにも少な過ぎた。

 

「うわっ!?くっ!!?」

 

 環は己に向けて向かって来る粘体の触手を切り捨てる。伸びて来る先から次々と切り捨てる。『迷い家』の蔦の群に比べればまだまだ動きが緩慢なのが幸いであった。

 

 尤も、環は気づけなかった。蔦と違い不定形な粘体の特性を。己の形状を液体のように何処までも変質させられる事実を。

 

「ひゃう!!?」

 

 煉瓦の床の継ぎ目から伸びていた触手が一気に合流すれば太ましい一本の蔓となって環の白い足に纏わりついた。冷たい粘度の強い感触に思わず嬌声を上げる。

 

「環!!?糞、こいつら、意外と硬い……!!?」

 

 捕らわれる環を助けようと赤黒い、ふとましい触手に向けて薙刀を振るい落とす獅子舞。ぐじゅりと言うおぞけの走る音と共に刃は触手に食い込む。触手の半ばまで食い込む。しかしそれだけだった。毒々しい体液を噴き出した触手は、寧ろ飛び散る体液が再結合して薙刀を逃がさんとばかりに絡まりつく。

 

「抜け……!!?うわっ!!?お前ら何処触ってんのよ!!?」

 

 慌てて薙刀を抜こうと悪戦苦闘する獅子舞に背後から触手共が迫る。足に、脇に、袖下にすり抜けるように絡み付いて来る。ぞわりとした感触に獅子舞は暴れる。しかし……抜け出せない。

 

「獅子舞さん!!?うわっ……ひゃあ……!?」

 

 唖然として獅子舞の捕らわれる光景を目撃した環は一層暴れるが無意味だった。粘性の怪物共は伸ばした触手で環の全身を弄ぶ。人体の神経が密集する各部位が触手からの乱暴かつ繊細な刺激を容赦なく叩き付けられる。

 

「いやっ……ふあっ…んんっ!?だ、駄目っ!!止めてぇ!!?」

 

 おぞましい気持ち悪さと共に、何とも名状し難い感覚に全身を蝕まれる環。刺激によってまともな思考すらも阻害されてひたすらがむしゃらに抵抗するのみだった。当然ながらそれは無意味だった。唯の体力の浪費に過ぎなかった。獅子舞も似たようなもので環よりも激しく暴れるが、刻一刻と絡み付いて来る無数の触手を前にその身体の自由は制限されていく。

 

「火符、水符、金符……やはり効果は薄いですか」

 

 一方、唯一捕らわれの身から逃れている牡丹は周囲を熊妖怪に守られた上で眼前の粘性妖怪に対して取りうる手段を次々と繰り出していく。火炎に濁流、更には簡易的な九十九神化した刀に霊気を纏わせて斬りかからせるものの、それらは大して化物に効果が無いようだった。

 

「これはどうですか?木符……ちっ、腐らせますか」

 

 木遁で召喚するのは品種改良した植物の種。妖化したそれは水分と妖気を吸いとって成長、最後は自壊するように設定されているのだが…残念ながら相手の体内に叩き込んだそれは成長途中で腐り果てる。どうやらこの化物共の体液は余り良い水で構成されていないらしい。

 

『クックックックッ!!』

 

 そんな牡丹の徒労を召喚者たる木乃伊の王の嘲笑が響く。牡丹はそれに不快を感じる事なく、冷静に相手の特徴を見据える。

 

(肉体の耐性、適応性は相当高いようですね。ですが……)

 

 ちらりと牡丹は環達を見る。よがり嬌声を上げながら暴れる彼女らの姿に、牡丹は目を細める。

 

(喰われてはいない。命令によるものですね。それにこれは……遊んでますか)

 

 流石に遊べとまで命令はしていまい。つまりはそれは召喚された化物が無力化を指示した事に対してその解釈の範囲内で行っているのだ。ならば命令に対する柔軟な解釈が出来るだけの知性がある事の証明でもある。ならば……。

 

「……行け」

 

 粘性妖怪共の動きを観察した上での簡易九十九神の刀に対して命令。牡丹の命令に宙を浮く九十九神は勢い良く突撃する。そして……粘体の腹に突っ込むとその内で爆散する。

 

『テケリッ!!?』

 

 悲鳴と同時にその身体の半分が四散した粘体は全身を震わせるとその場でドロリと身体を崩し始める。柔軟な思考能力を得るために体内に作り出した脳核は、本来不死身に近い筈の彼らが己で生み出した弱点だった。

 

 長い年月をかけて作り出したそれを破壊されて、粘体妖怪は文字通り唯の物体に成り下がる。殺せてはいないが……それでも今は思考も出来ぬそこにあるだけの存在に出来ればそれで良かった。

 

「よし。これで残り、も……!!?」

 

 漸く得られた成果に口元を歪める牡丹。それは油断だった。影が彼女を覆う。天井から迫り来ていた六体目が彼女の上に飛び乗ろうとしてきた。咄嗟の事に流石の牡丹も反応に遅れる。

 

『グオオオオッ!!』

 

 全身で以て牡丹に覆い被さろうとした粘体を押し退けた鬼熊。そのまま床に倒れて取っ組み合いとなる。粘体を何度も何度も殴り付ける。戦いは互角だった。互角故に、彼女を守る存在はいなくなる。

 

「っ……!!?」

 

 慌てて残る化物共を打ち祓おうと式符を取り出すが遅かった。残る個体が一斉に動き出す。一体の脳核を破壊して無力化するが其処までだった。無数の触手が彼女に絡まりついて来た。

 

「ぐっ……纏わりつくなぁ!!」

 

 式符を発動しようとして、しかしそれよりも触手がそれらを奪い取る方が早かった。そして彼女の全身に化物が這い寄る。

 

「いや、来るな!触れるなぁ!!!?」

 

 その感触に、彼女は己の内でのたうち回る蟲共を思い出して声を荒げる。しかしそれは却って悪手だった。宿主の興奮に全身で蟲共が反応すれば激痛が彼女を苦しめる。思わず吐き出して脱力する。其処に触手共が手足を絡め取る。拘束して、華奢な身体を弄び始める。安全圏に佇む王はそんな光景を一瞥して冷笑する。

 

「う、ぐっ……いや……いやだ……ふれるな……さわるな……」

 

 口元に涎を垂らして、途切れそうな意識を必死に繋ぎ止めて、牡丹は呟き続ける。しかしながら内心では己の助かる見込みがない事も分かっていた。だから……。

 

「あ……うぁ……」

 

 視界の端に尚も抵抗する式の熊を見る。残念ながらあの分では己の骸を食らう事は出来ないだろう。だとすれば……仕方ない。次善の策を実行する他あるまい。

 

 即ち、周囲を、化物共を巻き添えとした自爆戦法。

 

「っ……!!」

 

 ある意味で退魔士にとって古式ゆかしい伝統的な最期を図る事に、しかし牡丹の動きは止まる。その呼吸が荒くなる。ずっと前から分かっていた最後の決断に、彼女は躊躇する。

 

「し、……ぎっ!!?」

 

 其処に何かを仕出かそうとした事に気付いたのだろう。粘体共は牡丹をきつく締め上げる。同時に一層彼女の身体に絡まりついてくる。それこそ咥内にまで触手を捩じ込んでこようとする程に。牡丹は絶望する。己が一瞬躊躇したばかりに最期の手段すら阻止されつつある事に。

 

(わたしは……わた、しは…!!?)

 

 脳裏に様々な感情が、記憶が走馬灯のように流れる。何が悪かったのか?どうしてこんな風になってしまったのか?どうして……。

 

(どうしてわたしはこのとしで……?)

 

 それは絶望と悲嘆に暮れる彼女の、意識を失う前の最後の思いとなる……。

 

 ガバッ!!

 

『ケテリ!?』

『ケテケテ!!?』

 

 事は無かった。

 

「あ……?」

 

 突然、無数の触手による責めが止まった事に牡丹は気付く。そして消え入りそうな意識を必死に繋ぎ止めて、彼女はそれを認めた。

 

 書庫の棚に納められた黄金の書籍が部屋全体を照らす程に輝いていた。

 

「何が……?」

 

 起こっているのか?牡丹だけでなく、部屋の主たる木乃伊の王も明らかに動揺していた。どうやら木乃伊にとってもそれは初めての光景らしかった。

 

『ケテ!!?』

『ケテケテケテリ!!?』

 

 それ以上に反応が顕著なのは粘体共で、その幾つも備え付けられた眼球らしい器官を震わせていた。それは何かの予感がしているようであった。何かに動揺しているようであった。

 

 そして、そんな彼らの反応を無視するようにして黄金の書籍は独りでに棚から引き抜かれると帯を解いて広がり、直後には本の中から聞き覚えのある叫び声が鳴り響き始める。

 

 ……牡丹の良く知る、問題ばかりを引き連れる男の声が鳴り響いた。

 

『ケテリテケリケテリケテリ!!!!??』

「あああああぁぁぁぁっ!!!??ざけんじゃえねぇぞエイリアンがあぁぁぁぁぁっ!!!?」

 

 一瞬後に本の中から飛び出したのは樽に傷んだ羽と花が生えたような謎の怪物であった。そしてその横腹にぶら下がるのは、黒装束の般若面。

 

 その部屋に元よりいた誰もが闖入者達に対して唖然としていた。特に木乃伊の王は。そしてその空白は明らかに過失だった。

 

『ケテリィ!!?』

「っ……!!?」

 

 直後に般若面のしがみついていた化物が牡丹を捕らえた粘性妖怪に突っ込みそのまま吹き飛ばした。触手の拘束から解き放たれる牡丹。即座に彼女は式を放って環達を捕らえる個体の脳核を破壊、無力化する。

 

『ケテケテケテッ!!?』

『ヴオ゙オ゙オ゙オ゙ッ゙!!?』

 

 同時に壁のあちこちに突っ込んでは弾かれるように進路を変えていた烏賊の出来損ないは次の瞬間には混沌の木乃伊に向けて方向転換していた。慌てて逃れようとするが遅い。直後に木乃伊は突進してきた烏賊共々壁に向けてめり込む。

 

 轟音、激震、そして爆音。粉塵が部屋に舞う。使役されていた残る粘性妖怪共も気味の悪い金切声を上げて混乱状態に陥る。

 

 そんな周囲の状態を確認して、牡丹は立ち上がると衣服の汚れを払った。そして粉塵の中から現れる人影に向けて無表情を装い、淡々とした口調で宣うのだ。

 

「……また、随分と厄介そうな物を拾って来ましたね?趣味なのですか?」

「残念ながら、俺のとくせいはものひろいじゃあありませんよ?」

 

 全身襤褸の下人は、牡丹の言に対して彼にしか分からぬ理論で応答を返すのだった……。

 


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