和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 前話は新年前に予約投稿していましたので、今回改めまして新年御祝い申し上げます。

 本編前に貫咲賢希さんより二点、ファンアートを頂きましたのでそちらをご紹介させて頂きます。

・2023年御正月イラスト。個人的に光の加減が好き
https://www.pixiv.net/artworks/104100596

・ポプテ風四コマ漫画。最後?この作品のジャンルを確認して下さい
https://www.pixiv.net/artworks/104115691

 素晴らしいイラスト、誠に有り難うございます!!


第一一七話●

「痛たたた……」

「姫様、少し滲みますが失礼を」

 

『迷い家』を包囲する陣中の牛車の内に彼女達はいた。より正確には停車する『迷い家』化している鬼月の牛車の内、と言うべきであろうか?

 

 車中、畳の敷き詰められた部屋の中心で敷物をして座り込むのは赤穂紫である。鎧を緩める彼女の身体の所々には大小の擦り傷がある。それは空中に放り捨てられて樹木に突っ込んだ時に出来たものだった。傍らの女中がそんな紫の手当てを進めていく。白湯と焼酎による傷口の洗浄と消毒を警告する。

 

「か、構いません。遠慮なくおやりなさい。この程度の事で赤穂の家の者が泣き言を……熱い!?滲みる!!?」

「大変申し訳御座いません、紫様。我らの二の姫が御無礼を……」

 

 虚勢を張った直後に情けない悲鳴を上げる紫の眼前で膝を突いて深々と頭を下げるのは鬼月家家人、下人衆助職たる宮水静であった。何処までも恐縮仕切った表情を装い彼女は謝罪する。鬼月の二の姫の代わりに非礼を詫びる。

 

 血統として親族とは言え、それは当然の事であった。北土の名門御三家の一つたる鬼月家であるが、その歴史は八〇〇年余り。千年以上の歴史を持つ西土の名家と比べれば不釣り合いとは言わぬまでもどうしても多少見劣りする。それを何の理由かも分からぬがいきなり直系の娘を公衆の面前で空に放り捨てるなぞ……従姉妹の関係でも限度がある。

 

「本当、何と申し上げれば良い事か。二の姫にもお伝え致したのですが……」

 

 静は自家の二の姫に直ぐ様謝罪に向かう事を進言したが、当の本人は何処吹く風であった。何処吹く風で何処かに消えてしまった。

 

 慌てて探したが見つかる訳もなく、かといって身内にしてこの任における鬼月家の代表の奥方も何故かこの事案に関して真面目に取り合ってくれなかった。だからと言って縁の薄い一の姫に向かって貰うのも大規模術式の準備もあって請い願う訳にも行かないだろう。

 

 結果としてどうしようもなく宮水静がただ一人で赤穂の姫君に対して謝罪に向かう事になった。仕方のない話であった。せめて、己の主君への反発は避けたかった。

 

「ううう……か、構いません。この程度の傷、じゃれあいの怪我のようなもの。一々そんな些事で騒ぐ事ではありません。それに従姉様のこと、何か深い思慮があっての事に違いないでしょう。……彼を戻したのも恐らくその筈です

「はぁ……」

 

 消毒作業に若干涙目の紫はそれでも赤穂家の代理として精一杯の威厳を装い宣う。正直余り上手く装えているとは言えぬし、最後の方が聞き取りにくかった紫の意見も静や他の者達からすると疑問を抱かざるを得ないものではあったが……本人がそういうのだから外野が何も言える筈もなかった。

 

「しかし、流石にお持ちの刀については……」

「いえ。それも大したものではありませんよ。……この程度の損傷であれば十日もあれば問題なく元に戻りますでしょうから。其処まで深刻に鬼月の家が心配するものではないと、御当主様方にも御伝え下さい」

 

 少しでも二の姫の糾弾の材料を仕入れようと、あるいは反発を強めようとしての謝罪を偽った静の指摘に、しかしそれに気付く素振りもないままに紫は軽く受け流す。何ならば静の言葉をそのままの意味として素直に受け入れている程であった。傍らに置いた己の刀を、妖刀を一瞥して紫は答える。

 

「それは……重ねて、恐縮の至りで御座います」

 

 勘の悪さか、あるいは政治感覚の鈍さに内心で呆れて失望する静。しかし同時にその件の刀に視線を向ければ流石に瞠目する。息を呑む。

 

 宮水静の視線の先にあるのはしなやかな刀身を持つ黒色の刀。半ばから刀身のへし折れたそれを見て、しかしながら宮水静が抱くのは寧ろ敬意や緊張、恐怖……畏敬に近かった。

 

『根切り首削ぎ丸』、恐るべき妖刀だ。

『そう判断したから、折っておいたの』

 静の視界に映るそれは確かにへし折れているが、そんな事は何の問題にもならない。扶桑国にその名を轟かせる『赤穂十本刀』の一本、それがその程度で死ぬものか。事実、それはまるで生きているかのように今も濃厚な妖気を纏い、その身を少しずつ再生させているのが確認出来た。空気中の霊気でも吸収して己の血肉に代えているのだろう。

 

 それは異常であり、異様な話であった。破壊された部分が再生する武具や妖自体は幾つでも事例はあろう。しかしながら『根切り首削ぎ丸』の特異な点はその刀の存在そのものが核である事だ。

 

 鬼月の老獪な御意見番が編み出し扱う名簡易式『崩山濁竜』がそうであるように、再生能力を持つ存在は基本的にその身の何処かに己の存在を安定化させる核があり、それさえ破壊してしまえば自身を維持出来ない。だがこの刀は違う。存在そのものが一つの核である以上、何れだけ削られようが小さな欠片の一つでもあれば最終的には元に戻る。再生する。それは驚異的な権能だ。

 

 加えて所有者の命を的確に理解して従える高い知能、鋭い感知能力、そして妖化した際の大妖相手に正面から打ち勝てるだけの妖としての格、何よりも刀を扱う事、使役するに当たってその代償がほぼ皆無である事がこの妖刀の最大の特徴であった。

 

 その価値は計り知れない。妖刀というものは大抵が一癖も二癖もあるものだ。必ずしも持ち主に益をもたらすとは限らない。それを扱う器量がなければ寧ろその命を奪う。数多くの身の程知らずが、それどころか名の知られた剣豪すらも妖刀を御しきれずに命を落とした事実を思えば一層その意味合いは重い。

 

(私でも、先ず勝てませんね……)

 

『迷い家』から脱出した者共を支援するために赤穂の姫君が放った妖化した『根切り首削ぎ丸』の姿を脳裏に思い返して静は改めてそれを確信する。鬼月の家人衆でも五本の指に入る事を自負する己ですらあの妖化した刀相手には時間稼ぎしか出来まい。

 

 愚かで視野の狭い娘であるが、その妖刀の存在とあわせて実力は本物だ。唯でさえ複雑怪奇な鬼月家内部の勢力争いにおいて、この娘を己の主君の敵に回す訳には行かないと胸に刻み込む。

 

「……」

「……?姫様?」

 

 静は赤穂の娘の心証を改善するため更に会話を誘導せんとして、思わず尋ねていた。尋ねざるを得なかった。

  

 一体何時からであろうか?正面の姫君が唖然とした表情を浮かべていたのは?何時からであろうか?牛車の物見窓の方に視線を向けていたのは?まるで何か重大な問題に勘づいてしまったみたい、に……?

 

「霧……?」

「伏せなさい!!」

 

 物見窓から覗き、漏れる白い霧の存在に気付いた静が呟くように口を開いたのと紫が緊迫した声音で叫んだのは同時だった。

 

 刹那、身体強化で一気に静の傍らにまで肉薄した紫。その手に携えるはへし折れた刀。それを振るった。即座に何も無い空間から赤い血飛沫が飛び散る。異形のおぞましい叫喚が鳴り響く。

 

「えっ……!?えっ!!?」

 

 何が起きたのか、静は一瞬分からなかった。何だったら室内にいた雑人や女中共も同様だっただろう。誰一人事態を理解している者はいなかった。そして、それは紫も同様だった。ただ彼女が気付けたのは下手人共の存在そのものに関してのみであった。

 

 はっきりと姿は見えない。畳の上に広がる赤い血溜まり。翳り。何もない筈の空が歪んで捻れていた。

 

「こ、これは……!?」

「影が、見えました。微かに足音も。もしやと思って仕掛けましたが……」

 

 刃がへし折れた血濡れの妖刀を一瞥した後に紫は緊張の面持ちで答える。その判断は正解だった。正体が何であれ、姿を隠して牛車の内に入ろう等と企む存在が安全なものの筈がなかった。

 

「馬鹿な。牛車の内に気付かれずに足を踏み入れたとでも言うのですか?外の縄張りと含めれば二重の結界を……?」

「事実は素直に認めるべきです。それよりも問題は……っ!?」

 

 未だ困惑する静に対して紫が指摘するよりも事態の展開は早かった。外から突如悲鳴が、そして刀や槍だろうか?喧しい金属音が鳴り響き始める。遅れて騒ぎ出すように鐘の音が轟いた。物見役が陣中襲撃を告げるそれであった。獣の唸り声が聞く者の背筋を凍らせた。

 

「遅かった……!?静さん。貴女は其処で牛車の守りを!!」

「紫様!?どちらに……!!?」

「知れた事、退魔士としての務めを果たすだけの事です!!」

 

 赤穂紫が静の質問に答えるのと、牛車より降り立つのはほぼ同時の事だった。

 

『グオオオオォォォォォォッ!!!!』

「『ぶつ切り刻み』!!」

 

 そして直後に正面に躍り出た怪物を、赤穂の末娘は折れた刀で以て一刀両断にする。刀にこびりつく血を払って周囲を見渡す。いつの間に辺り一面に広がる深い霧。悲鳴。化物共の気配。

 

「くっ……!!やらせませんよ!!」

 

 一体どういう種か。兎も角も一本取られたのは確かだった。苦々しさに歯を食い縛る紫は、しかし霧の中を抜けて刀を振るっていく。己の目が黒い内に妖共に好き勝手させてやるつもりはなかったから。

 

 そして、戻って来ると信じている彼や妹弟子のための帰る場所を奪わせたくはなかったから。

 

『迷い家』殲滅のための時刻は、既に半刻の更に半分を切っていた……。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『崩宝山の迷い家』について詳細に記された著書は公的に、あるいは私的に幾つか存在する。

 

 公的には朝廷の編纂して図書寮に保管されている《北土地理記》や《白永邦国記》、《禁地方録》。あるいは陰陽寮編纂の《北土妖魔絵巻》、《北土退妖事案録・第一七巻》にてその特性や関連した事件等が記録されていた。私的には扶桑国全土を一周した茶人にして詩人、豪商でもあった妙庵老による旅行記にて、周辺退魔士家が独自に記録している資料にその存在が言及されている。

 

 数ある書籍においても《北土退妖事案録・第一七巻》、その第一四四頁から第一八〇頁には『崩宝山の迷い家』について極めて貴重かつ興味深い記述が残されている。

 

 著者は五十嵐家の元下人。皇紀一二六〇年、調査隊として内部に侵入、一三五二年に生還して脱出した。妖による寄生・洗脳の有無を調べる身体検査の後に五十嵐家にて、後に陰陽寮に身柄を引き取られる事になる。

 

 そして彼女は其処で『迷い家』内部に関する貴重な情報の数々を供述した。廃人にすることを前提で記憶の抜き取り・転写をしなかったのは当時の帝が賢明かつ慈悲深い名君、玉楼帝の御世であったためであろう。

 

 ……兎も角も、其処で彼女はその存在について触れたのだ。五十嵐家の元家人にして、人界を裏切ったその恥知らずの罪人を。彼女の上司にして調査隊の実質的責任者であった下人衆班長と相討ったその獅子の化物の存在を。

 

 元五十嵐家仕出家人、獅子舞麻美。それが以降の『崩宝山の迷い家』の内部調査においても度々その「活動する骸」の存在が観測されている半妖の恥者の名称であった……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

「嘘だ!!?あ゙あ゙あ゙あ゙!!??うそ、うそだあ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ゙!!!??」

 

 獅子舞麻美は絶叫する。奇声を上げる。己の頭を抱え、掻き毟り、発狂する。泣き叫ぶ。

 

 脳裏に甦った全ての記憶が、突き付けられた全ての事実が、獅子舞麻美の『骸』に向けて冷酷で残酷な事実を突きつける。

 

 文字通りに全てが手遅れだった。無意味だった。彼女は正確には獅子舞麻美ではなかった。

 

 死骸が限定的に甦る現象、妖化する現象は度々ある。扶桑国にて最も知名度のあるそれは妖化による餓者髑髏であろう。大陸には僵尸という死者使役術がある。南蛮においても人妖問わず死霊術を行使する存在がいる。今発狂している獅子舞麻美の状態もその一種だった。

 

 強いて言えば『哲学的屍者』とでもいうべきであろうか?最早その肉体に本当の意味で魂なんてものはない。魂の振りをした神経が生前の記憶と慣習に沿って反応をしているだけに過ぎなかった。そして、それを本能的に理解しているからこそ獅子舞麻美は己の存在そのものに恐怖する。絶望する。

 

 いや、それだけならば救いがあったのかも知れない。彼女の精神の均衡を打ち砕いた決定的な要因、それは恐らく本物の彼女がその命を堕としたその刹那に見た光景で……。

 

「いやっ!!いやだあ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ゙!!!!?!そんなっ、うそだ!!?いや゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ゙!!!!??」

 

 思い出す。絶叫する。絶叫する。絶叫する。どうして?よりによってどうしてあいつが彼処にいた?可笑しいじゃないか!!

 

 五十嵐の家は間違いなく自分の回収なんて命じる訳がなかった。己が取り込まれた後、絶対に撤収命令が出た筈だ。そもそもどうしてあいつは翁の面なんて着けていた?あいつの顔ならば何度も見ている。あの時の彼の顔は迷宮に捕らわれる直前のそれよりも明らかに違っていた。背丈は高くなっていた。戦いの技量だって段違いだった。そのせいで取り返しがつかなくなる瞬間まで全く気付けなかったのだ。

 

 そうだ、もう取り返しがつかない。後戻り出来ない。手遅れだ。手遅れにしてしまった。自分が、この手で、この腕で!!!!??

 

「獅子舞さん……!!」

 

 環の悲痛な声音に遅れてカランという金属音が鳴り響く。短刀を取り零した音だった。敵の眼前で武器を落とすその行いは無謀に過ぎたがそんな事は環にとっては問題ではなかった。環にとっては彼女は元より敵ではなかったから。

 

「獅子舞さん!獅子舞さん……!!」

 

 今にも泣き出しそうな表情で狂乱する獅子舞麻美に抱き着く環。優しく、強く、激しく抱き締める。抱擁する。堪え切れなかったのだ。どのような理由があれ、己を助けてくれた人がどうにもならぬ残酷な現実に打ちのめされている姿を座視していられる程に蛍夜環は割り切る事が出来なかった。

 

「獅子舞さん!!落ち着いて!!貴女は今ここにいるんだ!御願い、冷静になって……!!」

 

 泣きじゃくる獅子舞に向けて環は叫ぶ。訴える。抱き締める相手と同じくらいに環もまた悲しみの中にいた。彼女の苦しみの全てが分かる等とは自惚れていない。それでも、その一部を想像するだけで環は辛かった。

 

 それは正しく優しさであった。慈愛であった。強くなければ、狡猾でなければ、冷淡でなければ生きていく事も困難である陰鬱なこの世界において、それは目映いばかりの輝きだった。温もりだった。美しさであった。

 

 そして……そんな希少な在り方だからこそ、周囲がそれを考慮してくれる訳が無かった。

 

『愚か者!!避けよ!!』

 

 蜂鳥が警告を発した。叫んだ。一瞬遅れて環は気付く。照りつけるような幻影に。肌を焼くような熱に。

 

 猛火が眼前に佇んでいた。

 

「えっ……」

「っ!!?逃げなさ……!!」

 

 突如現れたその存在を認識するも理解仕切れずに唖然とする環。対して獅子舞麻美は背後のその存在を把握した瞬間に叫んでいた。咄嗟に己を抱く環を押す。押し倒す。吹き飛ばす。床に尻餅を搗く環。

 

 鼻先を業火と熱風が掠めた。続くように赤黒い飛沫が舞って、人影が通り過ぎた。いや、正確に言えば『半分人影』が飛び散った。

 

「ふぇ……?」

 

 一瞬遅れて環は目の前に落ちて来た「足」の存在を目視する。パクパクと口を開けては閉めて、人影の過ぎ去った背後を振り向く。其処にいたのは獅子舞麻美の「半分」だった。腰から下が引き裂かれた無残な姿で倒れ伏す。唯一の救いと言えば引き裂かれた断面が焼けてしまって流血が無かった事だろうか?

 

「獅子舞……さん?」

 

 囁くように、譫言を漏らすように環は呟いた。同時に思い出したかのように小さな塊が混じった疎らな赤い雨に打たれる。鉄臭くて、粘っこくて、生臭かった。

 

「あ、あぁ……!!!!」

 

 漸く全てを理解して、環は狂気と怒りに震えて前を向き直る。そして視界が紅蓮の輝きに彩られる。それが己の知る人の纏うそれとは全く性質が異なる事を環は本能の領域で理解していた。あの人のそれよりも、眼前の炎は低俗だった。

 

「『迷い家』……!!」

 

 憎悪と敵意に満ち満ちた怒声を吐き捨てる環。止めどない憎悪に歯を食い縛りキッと睨み付ける。

 

 火鉢より身を乗り出した文字通りに巨大な火炎の塊はそんな少女を見て嗤っていた……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『迷い家』は植物系の妖だ。それに間違いない。種が発芽して地中深く根を張り、土地の養分を、霊脈から染み出る霊気を、己の内に迷いこんだ獲物を糧として成長していく食肉植物とでも言うべき性質を持っている。

 

 植物であれば五行相生の理論から言って炎が核なのはおかしいのではないか?そんな道理は必ずしも人理の外にある怪物共の前では通らない。それは芽吹いた土地柄、あるいはこの個体が凶妖に到りて学ぶ機会を得た故に体得した固有の特性であるのかも知れなかった。

 

 多くの同族がひたすら己の腹の内を複雑怪奇にして眷属を殖やす事を追求し続けたのに対して、『崩宝山の迷い家』は己が霊脈の真上という絶好の立地に根付く事が出来たために養分たる霊気に困る事はなかった。寧ろ、初期には己が喰いきれぬ霊気を外に無造作に垂れ流していた程だ。

 

 結果としてそれは多くの妖を呼び込んで己の眷属化する上で役立てたのだが、他の妖共の襲撃……無数の罠と眷属を力尽くで突破されて自身の核を捕食されそうになる場合もまた少なくなかった。それ故にこの『迷い家』は明確な自我を形成する過程で己の自衛に特に心血を注ぐ事になる。

 

 そうして身につけた自衛手段の一つが己の存在に火炎を纏う事だった。より正しく表するならば己の核を通じて霊脈の霊気を圧縮し、妖気に変換して放出する。己の身体の延長として火炎の如き熱量を秘めた妖気を吐き出して纏う。成長し、知恵をつけるに従ってそれはまさに己の手足のように操れるようになった。自身の本体が五感の無い「種」に過ぎぬ事から、果てには炎を通じて光の反射や音の伝導を感じ取る事により簡易的な五感の代用にすらなった。

 

 それが正に今蛍夜環の前で燃え盛る獄炎の正体であった。身の丈にして五丈はあろうか?小さな火鉢から上半身のみを乗り出したようなそれは炎で構築された仮初めの顔を器用に歪ませる。威嚇であり、威圧であった。

 

『小娘メ。ソノ手ニ持ツ武器ヲ捨テルガイイ。今ナラバ痛イ思イヲセズニ済ムゾ?』

 

『崩宝山の迷い家』にとって、目の前の存在を殺すつもりは更々ない。その存在が腹にある事自体が外の人間共に対する人質になり得ると判断していたし、何よりも先だって訪れた鼬の使者の手前もある。出来るだけ綺麗に、殺さずにこの娘を確保したかった。

 

「ふざけるなよ……!!よくも獅子舞さんを、獅子舞さんを騙して!!その上こんな事……!!」

 

 自分から捕らえておいて、命乞いさせての足下を見た契約。その上それすらも死なせて反故にして騙し続けて、挙げ句に……挙げ句にこんな無慈悲な所業を!!環は『迷い家』の鬼畜過ぎる行いを理解出来なかったし理解したくもなかった。ただただ憎かった。

 

『オヤオヤ、ソレハ心外ナ話ダナァ?本来ナラバ有無モイワセズニ養分ニシテヤッテモ良カッタノダゾ?ソレヲ生キル機会ヲクレテヤッタノダ。感謝シテ欲シイクライダナ?』

 

 更に言えばくたばった骸をそのまま契約に従って吸収しても良かった。それを利用価値を認めてやって骸の再利用をしてやったのだ。文句を言われる筋合いはない。身体が吹き飛んだのだって元を正せばウダウダと己の仕事を果たさぬから仕方無く此方が出てきただけだ。それを土壇場で邪魔をしてくれるからこうして未だ娘の確保が出来ぬと来ている……!!

 

『全ク、生キテイテモ死ンデイテモ手ヲ焼カサレル。愚図ナ獣猿メ、期待外レモ甚ダシイッ!!』

「貴様ああぁぁぁっ!!?」

 

 心からの獅子舞麻美に対する蔑みと罵倒に、環は激怒する。怒りに震えた声で叫ぶ。叫んで、地面に落としていた短刀を拾い上げては襲いかかる。熱風なんて気にしなかった。どう仕掛ければ良いかも考えていなかった。それはただただ怒りの衝動に身を任せた蛮勇であり、暴挙であった。

 

『ハァッ!!』

 

 怪物は妖気の炎で構成された顎をガバリと広げた。同時に吐き出されるのは熱波であった。真っ白い蒸気が吐き出される。蒸気の津波が環を正面から呑み込まんと迫り来る。

 

「えっ……!?ぐっ!!?」

 

 それは殆ど反射運動に近かっただろう。霊力による己の身体強化。身を捻って熱波を避けようとする。結果としてそれは半分成功した。瞬間的に短刀を持つ手が蒸気に呑み込まれるが直ぐに強化した脚力でもって離脱に成功する。

 

 その細い華奢な腕は痛々しく赤腫れしてしまっていたが。

 

「あ、あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!!?」

 

 思わず今一方の腕で火傷した腕を押さえ込む。喉の奥から獣染みた悲鳴を上げる。火傷自体は表皮を軽く炙った程度でしかないがそれでも少女にとっては相当な激痛だった。霊力による身体強化がなければ怪我は更に酷かっただろう。

 

「うぐっ……うぅぅぅ!?くぅ!!ふぅ、ふぅ……!!」

 

 環は顔を苦しみで歪めきって、涙の粒を頬から流す。腕が文字通りに焼ける程痛い。腫れる。熱い。ほんの半年前まで唯の姫君であった彼女にとっては想像もしなかった壮絶な激痛。

 

 それでも、短刀だけは落とさない。『迷い家』を睨み付ける。健気に、必死に、睨み付ける。

 

『避ケラレタカ。シカモマダ抵抗スルノカ?手加減シテヤッテイルノニ馬鹿ナ娘ダナ!!』

 

 一方で『迷い家』はそんな環を見て呆れ返る。勝ち目なぞ無いというのに。此方が手加減している事を分かっているのだろうか?殺すつもりならば先程吐き出したのは蒸気ではなく火炎であっただろうに……そんな事を嘯いても尚、環の敵意は折れる事はなかった。寧ろ、その侮辱に反発する。

 

「ふざけるな!!手加減だって!?僕をなめるな……!!」

『……フム、仕方アルマイ。立場ヲ理解スルニハモウ少シダケ痛メツケル必要ガアルヨウダナ?』

 

 肩を竦めたような態度を取り、そして『迷い家』の纏う炎はその苛烈さを増す。その外観は二回り程肥大化させ、放たれる熱は煮え滾るようだ。

 

「くっ……!!?」

 

 身体に晒される激しい熱気に環の額から玉のような汗が噴き出す。湧き立つ痛みへの恐怖を圧し殺して短刀の刀身を向ける少女の姿に冷笑する『迷い家』。本当に健気な事だ。そして無意味な事だと思った。この女は己の行動の誤りにまだ気付いていないのだから。こうして相対している事それ自体が失策であるというのに……。

 

『ヌッ!?』

 

 少女の愚かしさに思わず嘲笑の笑みを浮かべる『迷い家』は、しかし直後にその異変を察知すると炎熱で形成した風貌を歪めた。直上を見上げる。それは直ぐに来た。

 

 突如、高速で何かが環と『迷い家』の間を遮るように落下した。……いや、落下というよりは激突、衝突、着弾したとでも表した方が良かったかも知れない。激しい轟音と共に床は抉れて、陥没して、粉塵が激しく周囲に舞い散る。足が千切れて、腕が折れた血に塗れた鼬の怪物が倒れ伏す。

 

『アガッ……こ、こりゃあ困ったなァ。部分変化の癖に、さっきよりも強くないかい?』

 

 血を吐きながら尋ねる化鼬への返答は殴打だった。直上から先程以上の速度でそれは突っ込んだ。音を置き去りにして衝突する。轟く爆音。吹き飛ぶのは建材や土埃だけではなかった。粉々となった、いや霧散した血肉が周囲に豪快に撒き散らされる。

 

 その衝突跡の中央に半ばまで人の姿を逸脱した下人が肩で息をしていた。全身の切り傷から血を垂れ流しながら……。

 

『グルル……はぁはぁ、死に損ないが!漸く仕留めた……ガッ!!?」

「伴部くん……!!?」

 

 必死に妖の本能を枷に押し込めた下人は肉片に粉砕してやった化物を罵倒しようとして……直後に腹から殴り飛ばされる。相手が誰かは言うまでもない。妖気の塊たる灼熱の剛腕による一撃だった。いっそ笑える位に回転して、床に何度も叩きつけられては跳ね上がる下人。空の切る音が聴こえる程の勢いでそのまま土壁にめり込む。骨の折れるようなおぞましい音が響いた。悲鳴を上げる環。

 

「そんなっ……!!?くっ……!!」

 

 恩人の元に駆け寄ろうとして、しかし障害を排除して改めてゆっくりと迫り来る『迷い家』を無視する事も出来ずに身構える少女退魔士。火傷した腕でどうにかして短刀を構えて抵抗の意志を見せつける。勇気を奮って、業火に向けて駆け出そうと一歩踏み締めて……。

 

『フンッ!!』

 

 刹那、環のその身体は床から無数に突き出た蔓に捕らわれた。唸り声に気付いて周囲を見ればいつの間にか参上していた複数の中妖大妖共が少しずつ彼女に向けて距離を詰めていく。

 

「なぁっ!?」

『ダカライッタダロウニ?馬鹿ナ娘ダトナ。俺様ガノコノコト危険ヲ冒ス訳アルマイ?』

 

 睨みつけて来る人間の娘に向けて『迷い家』は尊大に宣う。そうだ。そもそもこうして相対していた事が環の誤りだったのだ。

 

『迷い家』からして見れば、逃げ道を破壊されたせいで直接出張る事になったが延々と危険に晒されるつもりはなかった。辺りから呼び寄せた追加の眷属共が続々と到着した以上はもう御仕舞いだ。

 

『カッカッカッ!!間抜ケナ事ダ。サッサト逃ゲルカ、俺ヲ仕留メレバ良カッタモノヲナ!!』

 

 環を馬鹿にするような高笑いをする『迷い家』。後の事は眷属共に任せてさっさと安全な別室に退散するとしよう……そんな事を考えて凶妖はこの場を後にせんとする。火鉢を包み込む豪炎の塊は環の呪詛に近い叫びを無視してノシノシとその場から距離を取っていく。そんな事よりも『迷い家』は鎌鼬がくたばった事への対処をどうするべきかで頭が一杯だった。折角取引材料を確保したのに交渉窓口が死んでしまったのだ。さてさて、一体どうするべきであろう、……か?

 

『ヌヌッ!?ナニコレハ……!!?』

「はぁ、はぁ……ははっ、座標は分かったぞ。来い、『崩山濁竜』」

 

 其処まで考え込んでいた『迷い家』は己の身体の内の異変に気付いて思わず反応する。その直後に響き渡る男の呟き。同時に環を引っ捕らえようとした眷属共が崩落する床の音と共に悲鳴を上げた。

 

『グオ゙オ゙オ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙ッ゙!!!!』

 

 それは地中から出でし龍の出来損ないであった。全身を建材と土と妖の血肉で構成された龍擬き。下人が時間稼ぎとして放っていた簡易式は『迷い家』の「外殻」を構成するあらゆる存在を取り込んで肥大化し続け、挙げ句には空間の壁を無理矢理抉って本体の潜んでいた部屋に乗り込んで来たのだ。

 

『グヌヌ……!!?キ、貴様ァ!!?』

「けほけほっ。はは、エンディングにはまだちぃと早いぜ。汚ねぇ火の悪魔さんよぅ?」

 

 憎悪に満ちた形相を浮かべる業火に向けて、血塗れの下人は血混じりの咳を吐きながら嘯いた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 かつて、とある著名なRTA実況プレイヤー兄貴が『闇夜の蛍』の数少なく無駄に難易度の高いハッピーエンドルートを年末年始イベントとして最速クリアせんとした。

 

 事前に他実況主のRTAプレイを視聴・研究し、実際にプレイを重ねて操作速度を熟達させ、緻密にチャートを組んだそれは実況主や作品自体の知名度に加えてその馬鹿みたいな気合の入れようもあって告知の時点でかなり注目を受ける事になった。そして大晦日からプレイをスタートして……ガバッた。

 

 プレイの終盤、実況主はミスを犯した。ここまでで既に御節も雑煮も食わずに二六時間に及ぶプレイを続けていたため、土壇場で装備変更操作をミスったのだ。挙げ句に眠気からそれに気付かず、流れるコメント欄の指摘からも完全に意識が逸れていた。うん、死にそうな目してたもんな。

 

 攻撃力強化のための上級呪具の代わりに主人公に持たせていた装備は当初予定していたものとはかけ離れた塵であった。

 

 戦闘開始直後に実況主は絶叫した。プレイスタート以来時間惜しさとプライド、そしてネタとして一度もセーブしてなかったのだから当然だ。必死に戦闘を捌いていくがやはり緻密にチャートを組んでいたのが仇になった。想定外の事態からゴリゴリ削られるHP。倒れる味方キャラ達。主人公は今にも死亡寸前だ。敵を撃破して態勢を立て直すにはどう考えても一手足りなかった。

 

 破滅の道のりは最早規定路線だった。シナリオ的に敗北すれば主人公は牝化の上で孕み袋にされる事と実況主の今にも死にそうな顔付きもあって、流れるコメント欄は絶望と歓喜とおちょくりとで埋め尽くされる。

 

 そして一撃を食らった。一気にHPゲージが減っていく。終わった。誰もが思った。

 

 奇跡は起こった。

 

 誤って装備したその性能は「防御+五」である。正直滓アイテムだ。しかし、それが主人公の体力を文字通りにギリギリのギリギリ、メモリ一つ分残して生かした。一瞬遅れて事態を理解した実況主の反応、そしてコメント欄の盛り上がりは動画サイトにおいてある種の伝説になった。

 

 以来、界隈で奇跡を起こした装備として崇められるようになったその装備の名前、それは『木彫りのひよこ』であった。

 

「まさか自分が同じ目に遭うとは思わなかったがよ!!?」

 

 殴打の際に焼け焦げた衣服から俺はそれを取り出した。焼け焦げて殆ど炭化、というか砕かれている『木彫りのひよこ』が其処にあった。マジか。これなかったら死んでね?

 

 正直本気で危なかった。鎌鼬を漸くぶっ殺して油断していた。身体の負担を抑えるために妖化を解除した所に火炎のアッパーが来たのだ。『木彫りのひよこ』が絶妙な位置にあったから良かったものの、下手しなくてもなかったら内臓破裂していた。いや、その時はその時で妖化でどうにかなるかも知れないが……暴走していた可能性も高い。あるいは時間切れになっていたか。

 

「はぁ、はぁ……取り敢えず、てめぇは逃がさねぇぞ!!」

『ホザケ!!グオッ!!?』

 

 俺が命を下せば環の周囲の妖共を粗方潰した濁竜がその目標を『迷い家』の業火に向ける。取っ組み合いになる凶妖と簡易式。その隙に俺はゴリラ様から貰った符の一つを解放する。出てくるのは予備の丸薬である。糞不味いそれを丸呑みし、同時に身体の内の妖母の血を刺激する。身体の傷や火傷が若干回復していくのを感じ取る。

 

 ……無理矢理の再生なので当然のように心臓を始め、全身への潜在的負担は多分エグいんだろうけど。目先の事で必死なのだ。贅沢は言えんね。

 

「いけっ!!『崩山濁竜』!!馬鹿蜘蛛、頼むぞ……!!」

『(*´,_ゝ`)マカサレヨウ!!』

 

 環に群がろうとしていた粗方の妖共を屠った簡易式は、俺の命に従ってその目標を『迷い家』の業火に向ける。俺は首筋に取りつく蜘蛛に向けてラストスパートを予告した。先程の丸薬を以てしても、部分妖化であっても三十秒も時間はなかった。最後の最後、止めを刺す直前に全力をぶつける。それしかない……!!

 

「という訳だ!!てめぇらはこれで我慢しろや!!」

 

『迷い家』に突貫……する前に背後から襲撃を仕掛ける獣の小妖に振り向き様に回し蹴りを食らわせた。背後からのアンブッシュは妖の基本、古事記にも書いてある常識だった。関節に部分的に霊力を込めての強化、遠心力を利用して首筋をへし折る。

 

「お前は拳骨だ!!」

『(*゚∀゚)エキサイティング!!』

 

 一体目の影から現れた二体目には顔面にお見舞いしてやる。顎を開いて牙を晒してくれたので顎からの掬い上げるような一撃だった。そして……此方に向けて火炎を吐き出す『迷い家』に向けて蹴り飛ばす。

 

『ギャ……』

「危ねぇ!!?」

『(゚ロ゚ノ)ノアチュイ!?』

 

 一瞬にして消し炭になる獣妖怪。それによって生まれた僅かな瞬間を以て俺は火炎放射の射線から退避する事に成功した。何だったら火炎そのものを死角にしてその真下から一気に『迷い家』に近接する。

 

『ヌヌッ!!?チィ、チョコマカト……』

「行け!!ぶっ飛ばせ!!」

『グオ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙!!』

『ヴオ゙ォ゙ッ゙!!?』

 

 俺の生存と死角からの接近に遅れて気付いた『迷い家』が吐き出し続ける火炎で俺を薙ぎ払おうとするが、それは同時に隙を生み出す。横合いから突っ込む『崩山濁竜』により押し倒されて、押し潰される。通常の炎であればすり抜けたであろうが、圧縮・濃縮された妖気により構築されたそれは質量を有していた。それが仇となった格好である。

 

『コ、コノゥ……無礼者ガァ!!?』

 

 己の炎の密度を薄めて簡易式の追撃を抜ける『迷い家』の業火。そのまま零距離からの火炎放射。『崩山濁竜』は全身を焼き、融かしながらも業火を巻き込むようにのたうち回る。その間隙から俺は更に『迷い家』に迫る。『迷い家』の本体に向けて……!!

 

「……!!」

 

 その最中、チラリと俺は見る。蔦に囚われていた環を土壁の向こうから現れた埃まみれの熊妖怪がこっそりと救い出すのを。よし、これでもう不安要素はなくなったな。

 

『猪口才ナァ!!』

「ぐううっ!!?」

 

 怒り狂った『迷い家』が大きく息を吸い上げる。その業火の身を数倍に膨れ上がらせて……そして直後にそれは吐き出される。

 

 それはこれ迄にない高熱で生成された黒色の炎だった。かなり濃密な妖気を含んだそれは単純な熱としてだけではなく帯びる妖気それ自体が身体の毒たり得た。

 

「耐えろよおぉぉぉぉぉっ!!!?」

『(*´ω`*)ウンメェウンメェ!!』

 

 襤褸切れになった黒衣を剥ぎ取り盾とする。一瞬で燃え尽きるが関係なかった。一瞬後には妖化した腕の一閃が火炎の津波を吹き払う。そして、走りながら構える。投石器を。

 

『迷い家』の業火は所詮、御殿同様に外付けパーツの外殻に過ぎなかった。大事なのは本体だ。そう、業火が身を乗り出している小さな火鉢こそが……!!

 

「ぶっ飛べやあぁぁ……!!」

『ヌヌッ!?』

 

 腕を通じて妖気を取り込ませた『木彫りのひよこ』は、最早炭の塊ではなかった。鉛玉に匹敵する硬度を得たそれを、妖気で強化した腕力で以て射出した。何かを察した『迷い家』の業火。しかし遅い。既に木彫りは空を切る音と共に打ち出されていた。

 

 刹那の空白の後、火花を弾けさせながら木彫りが火鉢を打ち砕いた。中の灰が豪快に周囲に向けて飛び散る。まるで腹の中の血と内臓をぶち撒けたように。

 

『(*´ω`*)チュルン!( ・`ω・´)ムムッ、ヤッタカ!?』

「いや、まだだ……!!」

 

 灰の山の内に埋もれるその存在を目視して、俺は馬鹿蜘蛛の発言を否定する。殻は壊せたが、どうやらまだ種には届かぬらしい。ならばと今度は馬鹿蜘蛛の背負う釘でも奪って打ち込んでやるまで……って!?

 

『ギャオッ!!』

「こんのっ!?」

 

 横合いから肉薄してきた狼妖怪が腕に噛みつく。妖化は間に合わず牙が肉に食い込む。すかさずそのまま腕を顎に押し付けてやると条件反射で口を開いて仰け反る妖狼。それを殴り飛ばす。

 

『( ・`д・´)オカワリヨ!!』

「もう一体……!!?」

 

 白蜘蛛の叫び、真反対から更にもう一体迫る妖狼に振り向き様にその鼻っ柱をへし折ってやろうとして……しかし、それは失敗だった。妖狼の狙いは俺の四肢でも首でもなかった。手中にある投石器だったのだ。

 

「何?糞っ……!!?」

 

 即座にその意図を解して、俺は手刀で狼の首の骨を叩き折った。遅かった。引き抜いた投石器はもう嚙み砕かれて使い物にはならなかった。

 

「しゃらくせえ!!」

『ギャウ……!?』

 

 体勢を立て直して一体目の狼妖怪が再度仕掛けるのを半壊した投石器で撲殺するとそのまま突貫した。飛び道具では最早届かないのは明らかだった。投擲?ジタバタ動く釘を投石器ならば兎も角そのまま投げても目標には当たるまい。即座に妖化する。足と、腕を変貌させる。一気に肉薄して切り裂きに掛かる……!!

 

『ソウ易々トサセルモノカ!!』

 

 核に迫る俺を遮る炎の塊。視線を『崩山濁竜』に向ける。最早それは融解して完全に崩れていた。視線を戻す。大きく口を開く業火。不味い……!!

 

「っ!?これは蒸気か!?」

 

 咄嗟に両腕で防御態勢を取るが放たれたのは火炎ではなかった。高温高圧の水蒸気。身体の水分が滝のような汗となって搾り取られていく。急速な脱水症状に眩暈がした。だが、これで終わりではない。

 

「畜生……ガ!!』

 

 化物の放射する水蒸気が灼熱の炎に変化するのと俺が火炎の息吹を吐き出すのはほぼ同時で、明らかに俺は押し負けていた。向こう側は霊脈からほぼ無尽蔵に燃料補給出来るのだから当然の帰結だった。徐々に俺に向けて火炎が迫り来る。

 

 そして、それで安心する程に『迷い家』は慢心してはいなかった。

 

『(゚Д゚)!!ニョキニョキクルワッ!!』

「は?がっ……!!?」

 

 糞蜘蛛の警告に俺は足下の異変に気付くが対応する時間も手段も皆無だった。十を超える蔓が床から伸びると俺の身体を貫いた。火炎が途切れて咳込む。血を吐き出す。其処に容赦なく業火が迫った。

 

「こん畜生……!!」

『Σ(>Д<)ワッワッ!?パパー!?』

 

 黒色の炎に炙られる刹那の瞬間、咄嗟に出来た唯一の行動は首筋に吸い付く蜘蛛を引き剥がして腕に抱くだけだった……。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 無残に焼かれた下人が床に倒れる。その全身は黒く焼け焦げ、爛れていたが『迷い家』の警戒が緩む事はない。これまでの戦闘でこの逸脱者が常識で測れる存在ではない事は分かり切っていた。

 

 事実、表皮こそ酷いものであるが、その身の内部に限ればこの男は無事であった。元々妖化していた上に焼かれる直前に霊力で更に強化を上積みしていたのだ。それどころか堕ちた地母神の因子が急速にその細胞組織の再生のために活動を始めていた。

 

 故に油断は出来ない。出来ないが……同時に時間を掛ける訳にもいかなかった。時間を与えればこの眼前の猿が復活する。『迷い家』は本能の領域でそれを察していた。新たに眷属共を呼び寄せる時間すら惜しかった。既に一連の戦いで即座に投入出来る連中は粗方使い切ってしまった。

 

 何よりも、『迷い家』はこの人間に対して腹立たしい感情で一杯だった。それが己で直接始末してやろうという判断を怪物にさせた。

 

『(´;д;`)パーパーオキテーネ?Σ(; ゚Д゚)ヒャッ!?キター!?』

 

 幸いにも無傷で下人の手中から抜け出した白い神蜘蛛はちょいちょいと自身の宿主の頬をつつくが、『迷い家』の接近に仰天する。

 

『ヽ(`ω´)ノキチャダメヨ!ワタシノアイザックシュナイダーガカクセイシチャウンダカラネッ!!』

 

 前腕を広げて己の身体を大きく見せる神蜘蛛。何なら手に掲げる釘をブンブン振り回す。当の本釘は逃げ出そうとするように暴れるし、業火の前では完全に塵芥に過ぎなかったが。

 

 フンッ、と小馬鹿にするように冷笑する業火。地鳴りのような音を奏でて、揺れる灼熱の身体を倒れ伏す人間に向け進ませる。その剛腕から生み出すのは同じく火炎で構成された巨槍であった。特大の熱と妖気を圧縮した特注品だった。それを構える。

 

 確実に、眼前の生焼けの男を殺せる炎槍を振るい上げる。

 

『今度コソ終ワリダッ!!』

「それはお前の方よ!!」

 

 勝鬨の言葉を叫ぶ『迷い家』の業火に向けて、背後から罵倒が浴びせられる。驚いて振り向く。そして目を見開く。

 

 其処にいたのは蔦から解放された環だった。抱き締めるようにあの出来損ないの半妖と寄り添っていた。二人はその手を重ねるようにして一本の短刀を握り締めていた。そして、半妖はもう一方の手に火傷すら気にせずにそれを握り締めている。

 

 掌程の大きさ、とくとくと心臓のように鼓動するそれは業火に向けて伸びる妖気の炎を纏っていた。それは業火にとって己の存在の根底そのものだった。

 

『迷い家』は究極的には植物に過ぎず、その種に過ぎない。種である以上は外付けしなければそれ自体に五感はない。忌まわしい下人の相手をするのに意識が向き過ぎていた。外の人間共にも怯えていた。だから気付くのが遅れてしまっていた。廃棄処分を予定していた半妖の骸に至っては完全に忘れていた。

 

 全てが、最早手遅れだった。

 

「よくも……よくも騙してくれたわね、この糞っ垂れが!!」

『止メロオォォォォォォッ!!!??』

 

 獅子舞麻美は吐き捨てる。そして環と共に握り締めた短刀を掌のそれに突き立てる。業火は叫びながら必死の形相で二人に迫る。骸の意識を操ろうとする。重ねて言おう、全てが手遅れだった。

 

 炎を纏う心臓に刃が沈んだ直後、部屋中に化物の絶叫が響き渡っていた……。




 本話はこの前の金曜ジブリと水星の魔女の影響を受けて投稿直前の土壇場で部分修正しました。

 フレッシュトマト時の唖然とした表情はとても素敵でしたね。

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