和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第一一話 白無垢の仔

 それは遥か遠き日の記憶だった。暗い森の中を少女は息を切らしながら必死になって駆け続けていた。その背後から追い立てる複数人の駆け足の音。

 

 少女は息苦しさと恐怖にその幼くも可愛らしい顔立ちを歪ませて目に涙を浮かべる。そこには絶望があり、悲しみがあり、不条理に対する悔しさがあった。

 

 何故このような目に遭わないといけないのか?何故命を狙われなければならないのか?何故こんな怖い目に遭わなくてはならないのか?何故何故何故……?

 

「ひゃっ……!?」

 

 木の根か何かに引っ掛かったのだろう。足を挫いて倒れる少女。その音に気付いたのか足音と怒声が近付いて来る。咄嗟に少女は草むらに隠れて息を殺す。

 

「ちぃ!化物め、何処に逃げやがった!!?」

「あの身体でそんなに遠くには離れていない筈だ!探せ!探してぶち殺してやれ!」

 

 ゆっくりと草むらの中から彼女は追っ手の姿を覗く。鉈や鍬、あるいは猟師であろうか、火縄銃を持つ者までいた。

 

「まさかあの女、あんな化物の餓鬼がいたとはな……」

「可笑しいと思ってたんだよ。山で遭難してよ。一月してから戻ってきたんだからよ。山の村で助けられたとか言ってたが妙に獣臭い臭いがしたと思ってたぜ。まさか化物とまぐわっていたとはな!」

 

 心底軽蔑した口調で追っ手の一人が叫ぶ。そこには嫌悪感が滲み出ていた。大乱から数十年程度しか経っていない時代、朝廷は敗残兵と化した化物の掃討に熱をあげていた。道なき道にまで兵を進め、化物は赤子であろうが容赦なくこれを殺した。懸賞金を懸けて民草に積極的に山狩りをさせて、遂には大乱に参加しなかった化物の勢力域にまで侵攻する。

 

 弱者たる人にとってそこに情けなどない。化物に対して与える慈悲なぞ有るわけがない。少しでも妥協すれば、手心を加えれば、慈悲を与えれば再び過去の大乱が再現されるだろう。余りに多くの犠牲の果てに辛うじて勝利した扶桑国と人間にとって再度の大乱が生じればまず耐える事は出来まい。故に不安の種はこれが芽吹く前に殺し尽くさなければならないのだ。

 

 そして、そんな時代の中で一人の半妖の小娘が訳も分からぬ内に殺されるのは悲劇ではあるがある意味では仕方無い事であったかもしれない。それが歴史の潮流であり、一個人の悲劇なぞ膨大な記憶の海に押し流され忘れ去られるものであるから。

 

 ……そう、仮令彼女が物置の隙間に隠れながら唯一の家族である母親が人間の裏切り者として残虐な殺され方をしたのを見たとしても……。

 

「ひくっ……ひくっ……もうやぁ……おかあさん……たすけてよぅ……」

 

 踞りながら、嗚咽を漏らさぬように泣き崩れる少女。彼女は一刻も早くこの恐ろしい夢から目が覚めるのを願った。しかし、それは叶わぬ願いだ。現実は目の前にあるのだから。

 

「見いつけた」

 

 その声に少女は小さな悲鳴を上げるよりも前にその特徴的な「狐耳」を引っ張られた。耳が千切れそうに思えるような強引な引き、そして地面に叩きつけられる少女。狐を思わせる尻尾が衝撃を殺してなければ頭を打っていたかも知れない。

 

「見つけたぞ!こいつだ!!」

 

 農夫の一人が叫ぶ。それに釣られてぞくぞくと集まる農民の男達。その誰も彼もが殺気だっていた。

 

「ひっ……!?」

 

 恐怖から足が震えて立ち上がる事も出来ない少女。

 

「白い髪に尻尾に耳、やっぱりだ。化け狐の餓鬼だ!」

「人間の姿してくれやがって化物が!!」

「人間に化けておら達を食い殺す積もりだったな!?」

 

 訳も分からぬ怒声を浴びせられた少女は頭に生えた耳をくぐめて、尻尾をしょんぼりと倒す。文字通り小動物のように怯える様は見る者によっては保護欲を目覚めさせるかも知れない。しかし親や祖父母から化物の恐ろしさを散々聞いている者達からすればそれも油断を誘う演技に見えただろう。あるいはそれが演技ではないと見抜いた者も半妖が怯える姿を見て優越感に浸っていた。

 

 ……そして、またある一部の者は少女のその母親譲りの美貌もあってまた別の感情を抱いていた。

 

 最初に彼女を引き摺り出した男が下卑た顔で周囲の仲間に向けて提案する。

 

「おいおいマジかよ」

「こんな化物でか?正気かよおめぇさん」

「てめぇまさか変態かぁ?」

 

 幾人かの男達は仲間のその提案に顔をしかめる。しかし、しかしまた一部の者達は興味深そうな目で少女の方を見た。その舐めるような視線に未だ第二次性徴も来ていない少女はしかし本能的に恐ろしく危険な未来を感じ取った。

 

 そして言い出しっぺの男が少女に近寄るとその手足を押さえつけて、その衣服を掴み取り……。

 

 

 

 

「いやああぁぁぁ!!?」

「きゃっ!?」

「うわっ!!?」

 

 少女は目覚めると同時に悲鳴をあげた。同時に続くように数人の幼い驚きの声が響き渡る。

 

 少女は汗をぐっちょりとかき、息を切らして、先程の夢を思い出す。

 

 ……しかし何の夢だったか?夢というのは一度目覚めれば急速に忘れていってしまうものである。

 

 故に彼女はそれがとても恐ろしいものであった事は自覚して両手で自身を抱き締めるがそれが具体的にどんなものであったのかを既に忘れつつあった。しかし、あるいはそれが何だったのか忘れているからこそ、より一層恐ろしいのかも知れない。

 

「はぁ…はぁ…はぁ……えっ?」

 

 怯える少女は、ふと自身の小さな手に更に小さい手が置かれた事に気付く。そしてその方向に視線を向ける。

 

「おねえちゃん、だいじょーぶ?」

 

 心底心配そうに蜥蜴のような尻尾を生やした幼女は呟いた。その背後には此方を観察するように覗く数人の子供達……。

 

「ここは……?」

「ここは私が運営している孤児院よ。……経営は余り良くないけどね?」

 

 少女の疑問に答えたのは子供達の奥から現れた狸の耳と尻尾を持った妙齢の女性であった。

 

「えっと……」

「河原孤児院の吾妻雲雀よ。そこの子はうちで一番年下の茜」

 

 こくこく、とにっこりと笑みを浮かべる蜥蜴少女。

 

「街で見つけたのだけれど驚いたわ。全身ぼろぼろで、しかも、槍を持った奴が直ぐ側にいたから。……この辺りでは見た事ないけど、都の外の生まれなのかしら?」

 

 吾妻は半妖の少女にその身元について尋ねる。しかし……。

 

「………」

 

 何か口にしようとして、しかし気付いたように唖然とした表情の少女は、所在無さげに顔を俯かせる。

 

「……?どうしたの?」

「……その、すみません。わたし……だれ、なのでしょう?」

 

 少女は心底困惑した表情で、自身が何者なのかすら分からぬ事を告白した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『闇夜の蛍』の攻略キャラ狐璃白綺は設定上元半妖の凶妖として設定されている人物だ。妖らしく残虐で、自己中心的な彼女はゲーム内で特定条件を満たすと四度目の妖討伐任務時に出現する。この際主人公が滞在していて交流を重ねていた善良な村の人々達が彼女のけしかけた妖の大軍によって女子供すら含めて貪り尽くされる事になる。尚、好物は油揚げと紅葉饅頭と生きた人間の脳味噌、スタイルは肉感があるたわわで太股とか臀部がエロい事でファンの間では知られる。

 

 力を渇望し、人間を餌か虫けら以下の存在のどちらかとしか見ていない彼女は、しかしこの時に主人公との戦いに破れ命からがら逃亡を余儀なくされる。それは彼女のプライドを甚く傷つけた。

 

 ルートにもよるが、その後主人公と幾度か戦闘イベントを経るが毎回汚く外道な策略をしても主人公の成長とその成長した力に圧倒され、その憎悪から彼女は主人公に執着するようになる。そして更にこれも分岐ルートであるが鬼月家の長老衆、ないしゴリラ姫かババア、旧空亡派残党『救妖衆』のどれかに接触してこれに利用される事になる。

 

 ここで共に罠にかかった主人公(というか主人公が本命だった)が利用され見殺しにされる彼女を救出する事に成功するとヒロインフラグが発動する訳だ。

 

 ……より正確に言えば生き残ったが弱体化とそれによる妖気の多くと記憶を喪失する事で狐璃白綺は元の姿を維持出来ず、幼い子供のような姿に変化する。そして真っ白な記憶の中で初めて目にして尚且つ優しくされた主人公を実の親のように慕うようになり、初期ステこそ低いが成長率が糞高い主人公の使い魔として活用出来るようになるのである。

 

 だがここで油断してはならないのが「闇夜の蛍」の恐ろしい所だ。多くのプレイヤーがここでロリ化(そして善玉化)した彼女をストーリー進行やサービスシーンなスチール画集めのために成長させたがここで成長させ過ぎると製作陣の悪辣な落とし穴に嵌まる。

 

 実はある水準まで彼女のステータスが上がるとバッドエンドが強制エントリーする事になる。力を取り戻し、そして記憶も取り戻した彼女の裏切りでルートにもよるが大体の場合において鬼月家は奇襲を食らって半壊する事になる。その際主人公に対する好感度の高いヒロイン数名が狙ったように殺害される。

 

 ……嫌な予感すると思った読者、その予感は正解だ。記憶を取り戻すと共に元の人格を取り戻した彼女の目的は当然の如く執着し続けた主人公の独占だ。あるいは助けられた記憶やその後の子供姿での記憶もあるのだろう、それらが絡み合ってかなり面倒臭い病みキャラぶりを見せてくれる。

 

 細かい状況は立てたフラグによって変わるものの、十中八九主人公は逃げないように達磨にされて首輪を嵌められる事になる。更にその上で女狐が激しく騎乗位で逆レしまくり、更には主人公を自身と同じ妖にするために殺された(そして主人公の良く知る)鬼月家の人間を始め、霊力のある人間の肉を口移しで食わせまくる凄惨たるエンドとなる。うん、正直この時のスチール画は衝撃的過ぎて凄い性癖が歪むわ。

 

 しかも、この場合主人公が途中脱落するために『救妖衆』が目的を達成して都が妖達の手に落ちて扶桑国が滅亡するおまけ付きだ。おう、洒落にならないぞおい。

 

 ……さて、そんな狐璃白綺の原作スタートの前日譚の短編小説の一つに『狐児悲運譚』がある。調子に乗って都に攻めて返り討ちにあう程度の力しかなかった彼女がどうやって原作スタート時点で碧子様と殴りあい出来る程の力を得たのかを書いた畜生ストーリーだ。女狐の邪悪さがこれでもかとばかりに描写される鬼畜作品としてファンに知られる。そしてその内容に従うならば……。

 

「さてさて、これは少々どころではないくらいには面倒な事になったな」  

 

 都の新街……城壁でも、結界等でも守られていない雑然とした街、その中でも一際高い建物の屋根の上で隠行と認識阻害の呪いをかけた外套……謎のゴリラ餞別品仕様……で姿と気配を隠した俺は舌打ちする。

 

 小説によるとあの女狐はくたばる直前に自身の魂を幾つもの分身に分け身した事が描写されている。小説通りに物事が進むとするならばその分身達が都の、特に朝廷の警戒が薄い新街を中心に幾つもの事件を引き起こす事になるだろう。そして、化け狐は少しずつ力を取り戻し、集まり、融合し、最後はメインディッシュとなる惨劇と共に以前よりも更に強大な妖として復活する事になる筈だ。

 

 俺の立場からすれば後々の事も考えてこの復活劇は阻止したかった。そして、そのためには復活の核となり、メインディッシュが踊り食いされる切っ掛けとなる件の分け身をどうにかする必要があったのだが……。

 

「ちっ、この際は仕方ない。簡単な課題から取り掛かるしかないな」

 

 一度あの吾妻雲雀に保護された以上下手な接触は避けるべきだ。最終的には関わらない選択肢はないにしろ、今は目前の課題から解決するべきだろう。

 

「即ち、雑魚狩りって訳か……!!」

 

 次の瞬間、俺は式神の蝙蝠と視界を共有した事で捕捉した目標に向けて全力で槍を投擲した。

 

 霊力で強化された膂力で投げ出された槍は下っぱ時代のそれよりも若干質が良く、更に刃先に霊力を纏わせていた。空を切る音と共に突き進むそれは次の瞬間呑んだくれの男を背後から食い殺そうとしていた化け狐の頭を粉砕した。頭の上半分が肉片となり、くらくらと四つ足をさ迷わせて倒れる死骸。尚、呑んだくれは背後で起きた事に何も気付いておらず千鳥足で暗い道を進んでいた。呑気なものである。

 

「死骸の処理は面倒だな……とは言え放置も出来んからなぁ」

 

 隠行術を以て跳躍して屋根づたいに音も立てずに駆ける俺はぼやく。化物の死骸なんて他の化物を引き寄せるだけだし、何なら人間が不用意に食べれば同じ化物に堕ちかねない。放置は出来ない。

 

 無論、小説内の描写を見る限り最低でも数十体はいるだろう分け身全ての死骸を俺が一人で処理する時間も能力もないのもまた事実。となると……。

 

「おや?お困りかな?だったら俺が手助けをしてやってもいいんだよ?」

 

 耳元で響くその粘りつくような言葉に咄嗟に跳躍して俺は距離を取る。まぁ、ストーキングくらい想定してなかった訳ではないけどよ……!!

 

「おいおい、そんな嫌な顔してくれるなよ?傷つくじゃないか?」

「鬼がこの程度で傷つく訳ねぇだろが……!!」

 

 おちゃらけた口調で笑みを浮かべる托鉢僧のコスプレをした化物に友好度皆無の口調でそう言い返す。当の鬼女は肩を竦めてやれやれと小さく呟く。

 

「どうやら死骸処理でお困りの様子。なので人生の先達たる御姉さんからすれば助け船の一つか二つ出してやっても良いと思っていてね?」

 

 そう嘯き地面に倒れる化け狐の死骸の前でしゃがむ鬼。そのまま破壊された頭に白い手を伸ばし、クチャクチャと潰れた脳味噌を弄び……一摘まみすると伸ばした舌の上に乗せて此方を見やる。その仕草はグロテスクであるが同時に艶かしさを感じさせた。

 

「ふむ、まぁ味は悪くないかな?どうだい、この死骸一つ俺が買おうか?」   

「……何?」

 

 俺の怪訝な表情に楽しげに口元を歪める鬼。舌を口の中に戻してごくり、と味見した肉塊を飲み込んでから話を続ける。

 

「なぁに、そんな悪い話じゃないさ。みーんな幸せになれるウィンウィンな話さ」

 

 色気なんて微塵もない服装の癖に、ウインクに舌を小さく出した大鬼のその姿は異様な程扇情的に見えた。

 

「何やらお前さんはこいつらに御執心のようだからな、俺が狐共を集めてやる。お前はそれを処理して俺にくれれば良い。どうだい?悪い条件じゃないだろう?」

 

 成る程、表向きの条件は悪くはない。だが……。

 

「鬼の提案程信用出来ないものなんかねぇよ」

 

 大嘘つきである鬼の提案に乗るのは大馬鹿者だ。論ずるに値しない。

 

「……即答とは傷つくなぁ。毎回の事ながら人の善意を無下にするのは君の悪い癖だと思うんだけどね?」

「善意ね、そもそも人ではないだろうが」

「おや?ははは、成る程確かに。これは一本取られたかな?」

 

 愉快げに笑いながらも鬼が「摘まみ食い」する度にボリ、グチャ、ゴリゴリ、と顔をしかめたくなる擬音が響く。

 

「ふぅ、ご馳走様でした。流石化け狐だね。小妖にしては結構良い味だ」

 

 内臓や骨まで含めて粗方食い荒らした鬼は口元に赤い血を付着させたまま満足そうに手を合わせる。足元の残飯のグロテスクさもあって中々にシュールな光景だった。というか結局食ってるじゃねぇかよ。

 

「ふふふ、そう怒らなくても良いだろうに。次からはお邪魔はしないからさ。けど、肉の処理に困ったらいつでも呼んでくれても構わないよ?君と俺の仲だからね」

「友情の欠片も無さそうな仲だな」

「君は直ぐそう言うね。俺だって女の子だから素っ気なく扱われると悲しいんだけどね……」

 

 全く悲しそうに見えない顔ですぅ、と消えていく鬼。妖気の風に変わる事も、影に潜る事も、霧に変わる事すら出来る鬼は気配を消す事も姿を消す事も簡単だった。正にストーキングに最適な能力だな。原作ゲームでもこれでトイレ中や入浴中も、文字通り四六時中主人公をストーカーしていたに違いない。気持ち悪い能力な事だ。

 

「当てがない訳ではないがな」

 

 自身の一族から抜けたり、庶民から霊力や呪いの力に目覚めてそのまま不良退魔士や在野呪術師として都に隠れ住む輩は多くはないが存在しない訳ではない。原作の描写から見て危険もあるから余り御近づきしたい訳ではないが……この際だ、コネクションのためにも接触してみるしかない、か。

 

「糞ったれ、だからこの時期の都なんて来たくなかったんだよ……!!」

 

 俺はそう毒づきつつも跳躍して再度屋根越しに都の新街を駆ける。上空に展開させていた式神が別の狐の分け身を捕捉したからだ。手間はかかるが動くしかない。奴らを強くさせてやる義理はないし、何の罪もない一般人が食い殺されるのを見殺しに出来る程俺は神経は図太くはなかったから……。

 

 

 

『……ふふふ、良いね良いね。そういう価値観、実に人間らしくて、英雄らしくて、俺の好みだよ?』

 

 暗い暗い都の闇夜の中で、自身の提案を『期待通り』一蹴された化物は『お気に入り』の人間のその在り方に満面の笑みを浮かべて囁いていた。尤も、仮に彼が彼女の提案を受け入れていればその瞬間彼女の熱情は冷めていただろうが。化物の好意を易々と受け入れる人間なぞ彼女の求める「英雄」ではない。

 

『さぁ、どうやら大変そうだけど頑張ってくれたまえよ?か弱く幼気な人間らしく、血反吐を吐いて、苦悩して、恐怖して、血を流して、それでも歯を食いしばって前に進んでくれる事を期待するよ』

 

 ……そうすればこの前みたいに俺も少しは梃入れしてあげるからさ、と最後に悪戯っ子のように楽しげに鬼は呟く。

 

 闇夜の中で人間を観察するその眼差しは恋する乙女のようで、慈愛に満ちた母親のようで、愉悦と快楽の虜になった雌のようで、何よりもご馳走を前にした獣のようで……。

 

 

 

 

 

「本当、下品な鬼ね」

「おや?何か仰りましたかな、姫様?」

 

 彼女が小さく呟いた言葉を聞き取れなかった歓待役の公卿が首を傾げて尋ねる。烏帽子を被り、直衣を着こんだ公家の男に鬼月葵は扇子で口元を隠した後ころころと鈴の音のような笑い声を上げる。それは見る人に好意を感じさせる優しく、そして可愛らしい笑みだった。

 

 ……尤も、それは外面上だけの事であるが。

 

「いえ、流石は都の御料理ですこと。とても美味しくて驚いてしまいましたわ」

 

 一三歳の子供らしい内容、しかしその物腰は柔らかく、上品で、何よりもその声音は何処か艶かしく色香を感じさせる。その独特の雰囲気に歓待役は一瞬呆けて、しかし直ぐに朗らかな笑みを浮かべて謝意を伝える。

 

 歓待の料理は華やかだった。鮮やかな陶磁器や漆塗りの入れ物に供えられた料理は丸々一匹を塩焼きにした鯛であり、塩茹でした車海老であり、ふっくらとした鱧の天麩羅であり、多種多様な海魚を芸術的に盛り合わせた刺身であった。都が内陸部にある事を思えば生きたまま海魚を運び出し、新鮮なままで提供する苦労が偲ばれる。

 

 雉の照り焼きからは香ばしい香りがしてくるし、干し牡蠣から出汁を取った吸い物は旨味が効いていた。炊き込みご飯は山の幸と鴨肉を白米と共に炊いたもので、里芋と椎茸は醤油と昆布の出汁で大変柔らかく煮られておりその食感は楽しい。胡瓜や茄子、蕪の漬物は酢の味が良く染み込んでいた。

 

 甘味として用意されたのは砂糖菓子や饅頭だけではない。瑞々しい西瓜や桃は井戸水で良く冷えていた。砂糖漬けした杏もまろやかだ。何よりも氷の塊を削って水晶の器に盛り付けた氷菓はその上に果汁と砂糖をまぶせばご馳走だった。

 

 そこに清酒や舶来の葡萄酒を供に供えれば扶桑の国の上流階級の宴席の料理は完璧な体裁を整える。しかも上記の内容は全て一人に対して供される内容であり、それが十数人分揃えられるという事はこの宴席を準備した者の財力を表していた。宴席を盛り上げる楽団の演奏もかなりの腕前だ。宮中から呼び寄せたのかも知れない。

 

 凡そ、庶民では想像も出来ないこれだけの豪勢な席を用意したのは治部省大輔兼玄蕃寮頭の逢見家の当主、逢見嘉一だった。

 

 逢見家は元々鬼月家同様退魔士の一族だったのだが世代を経るごとに力衰え異能の大半を失い、今では退魔の役務をほぼ放棄して公家に転職していた。鬼月家とも幾度か婚姻を結んでおりその縁もあり此度の滞在先として選ばれていた。無論、流石に客人とは言え半年間の間鬼月家に住まいを提供するのだ、代わりに特に妖や呪い等から彼らを守る義務が鬼月家には生まれる事になる訳であるが……。

 

「尤も、余程の事がなければお力をお借りする事もありませんでしょうが。この都の守りは堅牢です。有象無象の妖共が襲おうとも都の内に入るのも困難でしょう。仮に侵入出来たとしてもこの屋敷自体も結界や呪いで守られております。まず安全でしょう」

 

 逢見家の出である接待役は優々と都の守りの堅さを誇った。そしてそれは決して張り子の虎ではない。

 

「それは結構な事ですわ。……ですが内裏に参上致しました時、随分と物々しい警備でしたけど、一体何があったのでしょう?」

 

 葵は極自然に探りを入れる。帝が居住して、政務が行われる内裏の警備は平時にしては異様だった。完全武装した近衛に四面に詰める武士団、陰陽寮の異能者まで動員されて警備に当たっていたのは控えめにいって異常だった。まるで今にも襲撃が起こるかのような緊張状態、何かあったとしか思えない。

 

「ははは、大した事ではありませぬよ。話では身の程知らずの化物がこの都に攻め込もうとして返り討ちにあったとか。その生き残りが外でちらほら蠢いているので念のために警戒しているだけの事です」

 

 鬼月家の代表として上洛している鬼月宇右衛門と共に上座に座る逢見卿は本当に大した事ではないとばかりに笑い声をあげる。

 

 それは一面では事実であろう。そう、一面では。

 

 都の中でも城壁に囲まれた旧街と内裏からなる内京は確かにほぼ安全であろう。だがその周辺は?城壁の直ぐ外に広がる新街や周辺の村は都の防衛機構の恩恵には与れない。ましてや朝廷は都に詰める武士や退魔士のそれらの守りに当たるのではなく、内京の防備の増強に回している素振りがあった。

 

(有象無象の民草は切り捨てても構わない、という事かしらね。まぁ朝廷らしい考え方ではあるわね)

 

 冷淡で冷酷ではあるがそれは今に始まった事ではないし、完全に身分による差別意識から生じただけではない。朝廷にとっては内裏……その地下にある霊脈の守りは何よりも優先するべき課題であったのは確かであるし、卑怯な妖達に対抗するためには残酷で卑劣な手段を取らざるを得なかった歴史もある。

 

 ……とは言え、五〇〇年前ならいざ知らず、戦力や国力に余裕がある今の時代に公然と民草の犠牲を放置しようとしている有り様はやはり朝廷は腐敗していると言わざるを得ないだろう。

 

(まぁ、それはそれで構わないのだけれど)

 

 鬼月葵は考える。その事自体はどうでも良い。彼女からしても下賤な民草が幾ら妖達に食われようと大した話ではない。自身やその周囲に「損失」を与えるならば処理しようが積極的に動く気にはなれなかった。それに……朝廷が動かないのはある意味彼女にとっては好都合だ。

 

(彼への邪魔がないのならそれはそれで問題ないわ)

 

 下手に邪魔が入られては彼の成長を阻害するし、彼の名誉に傷をつけかねない。ならば動いて貰わない方が良い。

 

(化け狐だったかしらね?あれには彼のための糧になってもらいましょう)

 

 彼が何処まで事態を知っているのか、あるいはどうして状況を把握して動いているのか……貼り付けた式神越しでは今一つ分からない。だがそんな事はどうだって良いし寧ろ好都合だ。凡百の男なんぞに興味はない。自身を越える『何か』を持っているのならばそれは歓迎すべき事だ。彼が『特別』な存在なのだと知る事が出来るのだから。

 

「ふふふ、良いでしょう。全て上手くいったら御褒美をあげましょう」

 

 陽気な笑い声と音楽が鳴り響く中、彼女は舶来品の葡萄酒を水晶のグラスからゆっくりと呷る。そして飲みきった後、口元から垂れる赤い飲み溢しを白い指で一掬いして赤い舌でぺろりと舐めとり、ただ一人他の参加者達とは明らかに違うベクトルの微笑を浮かべていた。

 

「だから……お土産は忘れちゃ駄目よ?」

 

 にやり、と口元を吊り上げたそれは何処までも加虐的で、獰猛で、扇情的で、そして………何処までも恐ろしかった。


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