和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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kouiuteさんより、AIイラストの製作を頂けましたのでご紹介致します。

・第62話鎮魂の舞場面
https://www.pixiv.net/artworks/108688104
・第90話白若丸禊場面
https://www.pixiv.net/artworks/108689096
・第35話等、佳世ちゃん衣装複数
https://www.pixiv.net/artworks/108689273
・ゲームルート転落佳世ちゃん
https://www.pixiv.net/artworks/108689746
・本編別荘給仕佳世ちゃん
https://www.pixiv.net/artworks/108690075
 此方はR-18注意
https://www.pixiv.net/artworks/108689893

・可哀そうな目にあってる毬
https://www.pixiv.net/artworks/108687796

 素晴らしいイラスト、誠に有り難う御座います!



章末●

 光が部屋を満たしたのは数瞬の事であった。直ぐに光は消え失せて、黒い帳も消えていた。

 

「何が……っ!!?」

 

 唖然としていた白若丸は、しかし身構える。理由は単純明快であった。神犬が立ち上がったからだ。全身に絡まっていた注連縄も、貼り付いていた封符も朽ち果てる。自由を手に入れる怪物。失敗した、即座に判断する。

 

「環さん、其処から早く退いて下さい!!」

 

 紫もまた己の妖刀を従えて叫ぶ。環を守らんとして前に出ようとする。しかし環はそれに応じる事はなかった。

 

「大丈夫、もう……大丈夫だから」

「環さん……?」

 

 返って来た言葉に首を傾げて、即座にそれが自分達に向けたものではないと見抜く。環が眼前の犬に触れる。その鼻先を撫でる。優しく、撫でる。

 

『ヴヴヴ……』

 

 低く唸る神犬は、しかし文字通り目と鼻の先にいる環を襲う事はなく、眠たげな眼差しがただ彼女を見つめ続ける。

 

「だから……そろそろ、眠ろう?」

 

 環の呟きに数拍置いて巨犬は倒れ伏した。目蓋はゆっくりと閉じていく。環はそれに寄り添う。

 

「……お休みなさい」

 

 環の言葉に返答するように深く息を吐き出した。そしてそれきりであった。

 

 何か巨大な存在が消え失せた事をその場にきた全ての者が感じ取った。紫や白若丸は即座に警戒する。次に迫り来る祟りを恐れる。

 

「大丈夫、祟りはないよ。……祟る意思なんてなかったから」

 

 全てを悟ったように環は静かに呟く。その意味に困惑する紫達であるが、その前に新たな闖入者が現れる。

 

 スタスタと足音を立てて、鬼月の御意見番が部屋へと足を踏み入れる。

 

「遅くなりました。白若丸さん、堕すべき神格は……此れはどういう事態なのですか?」

 

 妖艶な美女は部屋の状況を見渡すと怪訝な表情で以て弟子に問い掛けた。尋ねられた弟子はと言えば語るべき言葉を見出だせずに困惑するのみであった。

 

「堕ちた神犬は討伐しました」

 

 語ったのは環であった。

 

「……環さん?」

「祟りの類いは心配しなくて構いません。全部、消え失せました」

 

 よもや環が語るとは思ってなかったのだろう。振り返って語り始める環に胡蝶は動揺するしかなかった。当の環はそれも気にせずに更に続ける。

 

「既に把握しているかも知れませんが玉藻姫は鈴音共々保護しました。鈴音への事情聴取は僕に任せる約束でいいんですよね?」

「環さん、本当に祟りは……?」

「約束は、果たして貰えるのですよね?」

 

 環の重ねての問い掛けに気圧されて、胡蝶はただ頷いた。漸く環はほっと息を吐く。良かった、と呟く。それこそが環にとって一番の心配事であったから。

 

 静寂が、部屋を満たす……。

 

「じゃあ、最後の仕上げは私がさせて貰うわねぇ?」

「えっ?あぁ!!?」

 

 静寂を破ったのはここまで沈黙していた宮鷹の女術師で、行った所業はまさしく蛮行であった。

 

 倒れ伏す神犬の骸、その腹を短刀で以てかっ捌いた。

 

「うっ!!?」

「貴女、何を……!!?」

 

 飛び散る赤黒い血、無造作に千切っては放り捨てられる内臓。流石に不意討ち気味に行われた行為に白若丸や紫は引いていた。

 

「忍鴦さんっ!!?貴女何を……!!?」

「そぅら、可愛い赤ちゃんですねぇ?」

「っ!!?」

 

 環が非難するように叫ぶが、直後に忍鴦が愉快げに宣言する。それは環を黙らせるに足りるものであった。

 

 血塗れの鴛鴦がそれを皆に向けて掲げて見せる。

 

「そいつは……仔犬?」

「代替わりですか……!!?」

 

 掲げられたのは綿菓子のように柔らかそうな白毛の塊であった。

 

『くぅん……くぅん?』

 

 目元は閉じたままに、短い手足をパタパタ動かして、寒さに震えるように宙でのたうち回る。

 

「行けませんねぇ環さん?やるのならば最後の最後まで手抜かりなくやらなければねぇ?……それとも、態とでしたり?」

 

 返り血塗れの女術師の粘りつくような物言いに、環は何も言い返せなかった。図星であったのだ。

 

 環の簒奪の力は確かに彼女の思うままに行使された。そして眼前の存在は意図してのものであったのだ。

 

「上手くやりましたねぇ?僅かな神気、代替わり出来るギリギリの力だけ残したのは実に見事。まさかここまで精密に力を扱えるとはね」

「それ、は……!!?」

 

 忍鴦の言に全員の視線が環に集まる。そうだ、環は止めを刺さなかった。刺せなかったのだ。玉藻姫の事を思えばそんな事出来なかったのだ。

 

 だから彼女は手加減した。代替わりだけが出来る程度の神力だけを残した。そして生まれるだろう代替わりの仔犬は、殆んど唯の犬である事疑いなくて……玉藻姫を慰めるために行為は、しかしながら呆気なく露見した。

 

「……嬉しいですわねぇ?良い被験体として使えそうだもの。有り難う御座いますわね、鬼月の家人さん?」

 

 次に忍鴦が口にした言葉に、環は絶句していた。

 

「な、何を言って……」

「此度の案件、朝廷からの指示での環さんへの協力、感謝致しますわ」

 

 環が何かを口にする前に胡蝶が畳み掛けた。ここまでの状況会話から姫君の誘拐から始まる裏事情を察した胡蝶は忍鴦に謝意を示して見せた。そして続ける。

 

「そちらは感謝の印。どうぞお納め下さいな」

「あら?宜しいので?神気を纏う仔犬なんて貴重な素材でしょうに」

「構いませんとも。どうぞ気になさらずに」

 

 胡蝶は面倒を体よく押し付けた。口止め料として厄介物それ自体を差し出した。肝は厄介物であろうが確かに禁術を嗜むような連中にとっては貴重な代物であった事だろう。

 

「だ、駄目……んんんっ!!?」

 

 反発する前に環の口は封符で以て塞がれた。更には手足にも同様に。一瞬で身体の自由を封じる。実行者たる白若丸は舌打ちして事態を面倒にしようとした環を蔑んだ。環を置いて、話は進んでいく。

 

「それはそれは……あ、そうだ。これも頂いておいても?」

 

 黒蝶婦の応答に演技がかった驚愕。そしてオマケとばかりに手に巻き付けた数珠まで見せ付ける。目を見開く環。慌てて懐をまさぐって、それが無い事に気がつく。非難の言葉を口にしようとするが叶わない。何も口に出来ない。

 

「止まれ」

「んんん……んっ!?」

 

 ならば直接迫らんとばかりに一歩踏み出した環は直後に白若丸が放った言霊によってそれすらも封じられた。足が絡まり転げる。起き上がる事すら出来ない。

 

「……えぇ。そうね。そちらで処理して貰いましょうか?説明は此方からしておきましょう」

 

 環に憐れみの視線を一瞬向けて、胡蝶はそれを受け入れた。実際、胡蝶からしてもこれ以上その数珠を環の手元に置いておきたくはなかった。

 

「いえいえ、お構い無く。寧ろ、有難いお話ですもの」

 

 ニコニコと、笑って嗤う。

 

「宮鷹一族を代表して感謝を。当主方には良く伝えておきますわ」

 

 そして、一礼の後に、忍鴦は胡蝶の元に向かう。正確には胡蝶がやって来た背後の扉へと。退出せんとする。胡蝶もまた、道を譲って外面だけ微笑んで見送った。

 

 ……去り行く直前、忍鴦は胡蝶の傍で足を止めた。そして問い掛ける。

 

「そうそう。この一件、此方こそ御迷惑おかけしましたわ。特にそちらの家の女中さんには、巻き込んでしまって心苦しいと思っておりますわ……宜しければ後日おもてなしさせて下さいな?」

 

 意図を計りかねる要望に怪訝な表情を浮かべる御意見番。そんな彼女に不気味な笑みを浮かべて、忍鴦は部屋を後にした……。

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ?誰もいないのだからそろそろ出てきて頂戴よ?それとも淫魔って、伝え聞くのと違って意外と照れ屋なのかしら?」

『……何時から気づいていたので?』

 

 人気のない廊下を歩む足を止めて、忍鴦が嘯けば暫しして返事がくる。いつの間にか足下にいた蜂鳥の姿に、先程以上に微笑みながら目を細める女術師。

 

「最初から……としたら怒るかしら?」

『隠行には気をつかっていたつもりでしたが……事実とすれば未熟だったという事ですね』

 

 からかうような返答に蜂鳥は淡々と嘆息した。その反応に僅かに忍鴦は驚いたようで目を見開いた。

 

「あらあら。素直な事ねぇ。学院にいた頃は随分とツンツンしていましたのに」

 

 それは心からの本音だった。松重の一族の孫娘。才を鼻に掛けた矜持の高過ぎる少女。周囲を積極的に敵に回すような小娘が己のあからさまな挑発に対してこんなにあっさりと流すのは本当に驚きだったのだ。

 

『何時の話を……人は変わるものでしょう?』

「そうねぇ。今や人ですら無くなってるものねぇ?」

 

 事実であったが流石にその物言いには蜂鳥も憤慨した。ジト目で忍鴦を睨み付ける。尤も、其処まで堪えるが。

 

「ふふふふ、怖い目で見ないでよ?からかって御免なさい。……御礼に人を紹介してあげましょうか?霊力の質の良い男なら何人か知っているのよ?ほら今の私達、境遇は似たようなものでしょう?」

 

 宮鷹忍鴦と松重牡丹。二人の今の境遇はある意味で似ていた。

 

 一族の妾腹、其処から生け贄としての価値を上げるためだけに本家に移籍したのが宮鷹忍鴦である。禁術と呪いを施されまくった結果、その身体は常に多量の霊力を消費していた。

 

 本来ならば寿命まであっという間に枯渇してしまっても良い筈で、しかし未だに生きている理由はそれを補給しているからだ。

 

 肉体の交わりを通じて相手から霊力を一部補充する……穢らわしいその呪いを己に施した事を宮鷹の家は非難しなかった。彼女の異能を長く活用出来るのならば、その美貌と身体を利用して政を有利に進める事が出来るのならば。何なら態態有望な若手退魔士や豪商、官人まで紹介する有り様だ。一体何れ程の者と交わったのか……兎も角もそれが彼女を生かしていた。

 

「貴女も相手を見つけるの大変でしょう?同じ退魔士同士、助けあいましょうな?書物にもあったわ、淫魔の夜って凄いのでしょう?人気出るわよ?」 

『いえ、生憎その手のものは間に合っておりますので』

 

 善意とも言えぬ誘いの言葉を、牡丹は即座に切って捨てる。

 

「痩せ我慢なら止しなさいな。封印用の拘束具で耐えるのだって限界はあるでしょう?」

『ちゃんと補充のための体液ならば確保しています。余計な節介は要りませんよ』

 

 祖父の嫌な備えのお陰で必要な体液ならば血液を中心として十分に牡丹の手元にあった。彼女と縁を結んでいる件の下人は幾らでも血を流し続けていたのだから。其処に汗等他の体液も含めれば当座を凌ぐだけの量はあったのだ。

 

 ……夜間に汗と血が染み込んだ装束に顔を埋めて眠らねばならぬのは恥辱であったが。

 

「ふぅん。随分と御執心な事ね。だから妹さんも見守ってあげていた訳ね?」

『……其処まで知れてましたか。やはり、貴女も繋がっていたのですね?』

「貴女と違って棄てられる事もなく、ね?」

 

 どうやらあの亡霊は随分と手広くしていたらしい。しかもまだ切り捨てられていないと……つまりは此度の一連の騒動に嘗ての師が関与している事がはっきりした訳である。

 

「言っておくけれど、私は協力者。貴女と違って依存していた訳ではないわ。そうね、南蛮風に言えば『うぃんうぃん』とでも言うのかしら?」

『正気とは思えませんね。私よりもずっと深く関わっていたのでしたら、関わる事の大きさも承知でしょうに』

 

 発覚したら命はあるまいだろうに……良くもまぁあっけらかんとしているものだ。

 

「それはどの道同じ事でしょう?この身体、長く生きられると思う?」

 

 そういってくるりと可憐に回転して己の身体を見せつけてみせる宮鷹の術師。穢れた身の上。男共に媚びて引き延ばした寿命。それにも限度はある。あと十年も生きられまいだろう。

 

『延命の手段と交換条件に?』

「さぁて、どうでしょう?」

 

 牡丹の質問への答えははぐらかされた。本気とも冗談ともつかぬ態度。牡丹は暫し黙りこんで……呆れたように言葉を紡ぐ。

 

『早く足を洗う方が賢明だと、一応の学友の誼から意見しておきましょう』

「此方こそ、良かったら何時でも私を呼びなさいな。貴女の師匠に繋いであげるわよ?」

 

 何時でも仲間に加えてやる、という事らしい。この会話の流れに漸く牡丹は違和感を覚えて、その意味合いを解する。

 

『成る程……この会話も全て予定調和という訳ですか』

 

 宮鷹忍鴦が予言の異能を有している事は知っていた。しかもこれは……どうやら陰陽寮に報告しているよりも、そしてもしかしたら一族に報告しているそれよりもずっと柔軟で精度が高いのかも知れない。警戒しかない眼差しを向ければ忍鴦はただ笑うのみである。

 

「あぁ。そうだぁ」

 

 そして、ふと思い出したように彼女はそれを床に置いた。ずっと手元に置いていた仔犬を、ぽんっと床に置いた。くぅんくぅんと冷たい床を這って仔犬は悲し気に鳴く。

 

『……何のつもりで?』

「言付けと引き換えのお土産。私としては此方だけで十分だし?」

 

 血塗れ腕に巻いた数珠を、数珠の体をした呪具を子供のように見せびらかしての主語のない返答。そのふざけた態度に牡丹は式の向こうで眉間に皺を寄せる。そしてこの会話そのものが予め予言されている事を意識して逆算し……それを推察する。

 

『彼に、ですか?』

「誼を結べるようにって要望があったのよ。まぁ、私にとっても渡りに船だったのだけどね?」

『どういう意味ですか?』

「さて、どういう意味でしょう?……彼が私に会えれば分かるかもねぇ?」

『……』

 

 揶揄うような忍鴦の物言いを最後に、再び静寂が訪れる……。

 

『……奴が関わっていると知って、私が動くとでも?』

「私は妹さんの恩人よぅ?ねぇ、皆?」

 

 気づけば芸妓共が忍鴦の周囲を囲っていた。

 

「本当ですよ、忍鴦様!!」

「全く、庶民如きにもお優しくて感激しちゃいますねぇー」

「ぱっくりいかれてしまって痛かったのですよ~?」

 

 口々に嘯く芸妓共の顔立ちを見てみれば、妖共の襲撃で殺された者共そのものであった事が分かるだろう。

 

『やはり式でしたか』

 

 鈴音も疑問に思っていたのを牡丹は確認している。妖の掃討が一段落した後、鈴音は芸妓共の死骸が無い事に気づいていた。しかしこれは……。

 

『随分と精度の高い簡易式な事で』

 

 あの下人を真似た物もそうであるが……本当に無駄に技巧を凝らしている事だ。一体どのような種を仕込んでいる事やら。

 

「宮鷹の術の真髄というものよ。知りたい?」

『結構です』

「それは残念。それで、提案への返答は?」

『……』

 

 蜂鳥は一瞬迷って、目の前の仔犬の背中に乗った。そして足で捕らえて翼を羽ばたかせる。仔犬ごと蜂鳥は飛ぶ。

 

『……言われたままに私は語るだけです。結論を出すのはあの下人自身です。それでも良いので?』

 

 返答は満面の笑みだった。そして口にしてみた後に牡丹がそれが無駄な問いかけであった事を思い出す。それが何であれ彼女にはもう、答えが視えているのだろうから……。

 

『……では』

 

 不快感と共に蜂鳥は、仔犬を吊るしてその場をふらふらと飛んで立ち去って行く。

 

『……相も変わらず不愉快な女ですね』

 

 蜂鳥を使役する少女は本当に小さく呟いた。それは何の意味もなく、ただ己の内の感情を発散するためだけの愚痴である。

 

 彼女の心中に渦巻く複雑な心情は、あるいは嫉妬であったかも知れなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ぐっ……!!?」

 

 腕が、胸元を貫いていた。蝦夷の青年は己の敗北を悟る。

 

「力、及ばず……ですか」

 

 有象無象の妖共で消耗させて、同胞二人が隙を狙い、それが八つ裂きとなった瞬間に彼は……攩野君雲は狙った。虎の子の双子分裂薬を使い分身の一人は捨て駒に、今一人がその骸の陰から現れて首を切り落とす。その目論見は無惨にも崩れ去る。彼自身もまた、その場から崩れ落ちる。

 

「…………」

 

 尚も暫しの間己を殺した人外人を見上げていた攩野は、しかしゆっくりと瞼を落とすとそれきりとなった。人外人はただただ骸となった人を見下ろす。

 

 沈黙して、ただ見下ろし続ける……。

 

『『ジャ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙!!』』

 

 直後に背後から嘲笑と共に襲い掛かって来た死に損ないの邪神。その首が切り落とされた。

 

『『ジャ゙……?』』

 

 何が起きたのかも分からぬままに表情を驚かせる怪物。尻尾であった。勢いよく振るわれた鋭利な尾の一撃が飛鼠神の首を切り落としたのだ。そして地母神の眷属は踵を返して振り向いた。飛び上がった。

 

『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙!!!!』

 

 切り落とされた首目掛けての、止めの一閃を振るう人外人のその咆哮は、悲鳴に近くて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 激しい雨が降りだした。目の前にあるのはズタズタに引き裂かれた偽神の肉塊。不必要なまでに破壊された骸だ。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……ははは。糞、少しトんでいたな……!!?」

 

 雨に打たれ続ける俺は、しかしそんな事は気にも止めず絶え間なく荒い深呼吸を続ける。随分と激しく荒ぶっていたようだ。お陰様で無駄な体力を使ってしまった。時間の感覚が曖昧だ。相当代謝が促進されているようで身体が熱い。身体を打つ雨粒は熱されては水蒸気と化していた程で、それだけ身体が変質しているという事である。正気に戻れたのは奇跡だった。

 

「っ……!?来たかっ!!?」

 

 眼前の骸からそれは溢れ出した。真っ黒な瘴気である。祟り、あるいは神罰。怨念。それはトんでいた俺が随分と酷く長く嬲っていたからなのだろう。視覚化される程に濃厚なそれは真っ直ぐに俺にのみ迫り来る。

 

 俺を呪い殺しにやってくる。……想定内の予定通りであった。

 

「悪いが……祟りの重ね着はご免でな?」

 

 邪気は俺を覆う事はなかった。正確には覆おうとしてその進路を無理矢理に変更させられた。俺が腰元から引き抜いた黒色の短刀に向けて、邪気は誘導される。その刃に向けて……吸い取られる。

 

『悪帰守丸』……この短刀は武器であると共に護身具であった。御守りであった。何時か確実に来る災厄を『先延ばし』する呪具である。

 

 この短刀は持ち主を呪いから守る。しかしながらそれは無制限ではなく、ましてや永遠ではない。定められていた容量を超えた途端に持ち主を守護する呪いは決壊する。そして破滅の運命は本来の定め通りに……より濃縮されて、よりおぞましく。逃がさない。所詮は小手先の現実逃避。名前自体が皮肉そのものな代物……。

 

「黒みが……濃くなったな」

 

 つい先程よりも一層黒々しい色味に変質した短刀。切れ味はそれに応じて一層増すらしいが到底喜べるものではない。強度は変わらないのは悪意があるよな?

 

 そも、何が酷いってこいつをあのイカれた奥方から賜った際に一番重要な容量の存在を、それを超えた際の代価を伝えられていないのだ。名匠の技と禁術が合わさり打たれたこの激レア呪具の特性を知っている理由は当然ながら原作知識である。

 

 クレイジーでサイコなヒロインの父親の所持するこいつは、バッドエンドルートの幾つかで主人公様を破滅させてくれる。……なんか主人公より何故かこいつを手に入れた阿呆毛娘が破滅するルートの方が多い気がするのは内緒である。俺の場合は菫から受け取ったのでもしかしたら元々は夫人の持ち物であったのかもしれない。知らんけど。

 

「はは。あと、何回くらい誤魔化せるかね?これは」

 

 短刀の色合いを見て見定めるが判然とはしない。少なくとも数回はどうにかなるとは思うが……まぁ、十回は確実に無理だろう。

 

「いや、十回も神格相手なんてしたくねぇよって……ぐぅっ!!?」

 

 自身の発言に突っ込みを入れた直後に俺は膝を突く。喘ぎ声と呻き声と共に俺はその場で悶え苦しんだ。あぁ糞!!馬鹿蜘蛛のっ……吸血無しだったからなっ!!?

 

「ひぎゅ……ぐっ、ぐっ……!!?」

 

 俺は文字通りの意味で言う事聞かぬ身体を捩じ伏せて従わせる。懐から印籠を取り出して中身を手にする。丸薬。赤身を帯びた黒々しい丸薬。赤黒い薬。心の臓による、丸薬。

 

「ぐぅ……!!?」

 

 謝罪の念と共に、それを食らう。猛烈な苦味とエグみが舌を刺激する。鉄を含んだ汁の味が吐き気を催す。それに耐えて、噛み砕く。噛み締める。咀嚼する。飲み干していく。

 

 吐き出すなぞ、以ての外であった。この丸薬のために彼女が、雛が支払って来た犠牲を思えばそれは到底有り得なかったのだから……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 ……長らく己の妖化を抑えるのに用いて来たゴリラ様の拵えた丸薬。呆れ果てた事にそれの原材料に俺は頓着する事はなかった。貴重でお高い素材によるものだとは分かっていたが、態態詳細を知ろうとまで考えてなかったのだ。だから俺は知る事はなかった。己が嘗ての友にどれだけの苦行を強いていたのかを。

 

 此度の無茶苦茶な任を与えられた白木関街到着当日の呼び出し……雛がせめてにと俺と共に参上したその時に、俺は彼女の支払って来た犠牲を知った。

 

 峻険な山脈に潜む神格の討伐……当主とその夫人は俺に向けて命じる。そのための装備を提供されて、直後には馬鹿蜘蛛を取り上げられた。このような物を持っていては気配を気取られる可能性があるとしてだ。そしてそれは建前に過ぎない。実際は担保であり、俺の妖化の進行を促進するための言い訳であった。

 

 腹の探り合い等と上品な事は言ってられなかった。神格殺しなぞ化物にならなければ果たせぬ所業。処刑宣告に他ならない。その上、要たる子蜘蛛を奪われてしまえばそれは失敗の可能性を潰すための保険としか思えない。

 

 抗議の言葉が出る前に当主は嘯いた。代わりならばあるだろうと。差し出されるのは丸薬だ。何時もより多めに印籠に詰められたそれを見て、しかし俺は納得は出来なかった。丸薬の効果は一気に来るものだ。吸血のように「理性を留めつつ妖化を継続する」なんて器用な事は出来ない。使い勝手が悪い。尚も不満は渦巻く。  

 

「随分と尊大な事をお考えのようですわね?私達の娘に心臓を差し出させていながらそれは酷いとは思いませんか?」

 

 鬼月当主夫人の暴露に俺は凍りついた。意味も分からず唖然として、雛を見る。彼女の儚い微笑みに俺は全てを察した。

 

 吐き気が胃の奥底から込み上げて、しかし全力でそれを押し止めた。そんな非礼は出来なかった。同時に俺は恐怖も抱いた。正面に君臨する鬼月の気狂い当主、雛を溺愛する男がそんな所業を赦す筈がないと……俺は恐れ戦く。覚悟する。先手必勝、そんな言葉が脳裏に過る。

 

「その話は後程話しましょう。彼は被害者です。何の罪はありません」

 

 俺の暴挙を制止して、そして命をも救ったのは雛の一声であった。当主は暫しの沈黙の後に頷く。俺は退席させられる。隣り合った控え室にて待たされる。

 

 一刻程後に、彼女はやって来た。彼女は語る。何も問題はないと。両親は説得したと。丸薬はこれからも問題なく提供されるだろうと。

 

 そんな事は問題ではなかった。俺はただ、謝罪する事しか出来なかった。雛に押し付けた負担について、それを知らぬままにいた事について、己の愚かさを自責する。彼女は俺を抱き締めた。

 

 彼女は語る。何も問題はないと。己の身体に何をしようと残り続ける事はないと。この程度の犠牲で俺を助けられるのならば構わないから、と。まるで母親のように抱擁して優しく諭す。

 

 分からなかった。幾ら治るといっても心臓を差し出す事を平然と出来る筈がないではないか?

 

 幾ら友でも……有り得ない。

 

 その指摘に彼女は苦笑した。耳元で乾いた笑い声が漏れる。彼女は一層俺を強く抱き締める。身体を密着させて、肉の薄い華奢な身体付きが実感出来る程に。

 

 そして、彼女は囁いたのだ。「昔、何度も約束しただろう?」と。

 

 ……その意味を理解してしまった俺の心情をどのように表するべきなのか自分自身でも分からない。ただ言えるのは幼い頃の戯れを彼女は純粋に覚えていてくれていたという事で、それが彼女の生きるための支えで、それ故に彼女は多大な犠牲を支払い続けたという事だ。

 

 子供の約束如きのために、彼女は己を犠牲にし続けた……。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「う、ぐっ!?くぅ………!!?」

 

 追憶している内に徐々に人に戻り行く身体。正しくは人を装う身体。苦しみ抜いて、泥の中で沈む身体……暫しその場で蹲り続ける。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……畜生!!」

 

 何に対しての罵倒なのか分からなかった。あるいは全てについての罵倒だったかもしれない。ただただ、己と己を取り巻く全てが悔しくて、苦しくて、腹立たしかった。

 

 余りにも情けない自分が、何処までも忌々しかった。

 

「……くぅっ!?も、もう……何も潜んでねぇ、な?」

 

 何れだけ時間を経ただろう?漸く精神が落ち着いて、身体の痛みも引いていた。豪雨の中、泥だらけの身体で起き上がる。最早人離れしていた五感を研ぎ澄ます。豪雨の雨音の中でも分かる。最早何もいない。少なくとも人理の外側の存在は。全て駆除され尽くしていた。

 

 つまり、俺は課せられた任を全うしたという事だ。

 

「行かねぇと……はは。社畜だな」

 

 夫妻への報告のために。そしてその前に少しだけ時間を必要とした。何時までもここでへばっている訳には行かなかった。そんな情けない事は出来なかった。

 

 結界を解除する。己の心臓を要としたそれは、冷静に考えれば正気ではなかった。だってよ?自分の心臓に刻印や文字刻んでんだぜ?遣り方?分かりきってるよな……!!?

 

「お、うぇ……!!?あ゙ぁ゙、糞がっ!!」

 

 結界解除による負担。内臓が刺激されて嘔吐感に胃液を吐き出した。血が混ざっていた。何時もの事なので気にしない。俺はその場からふらりふらりと立ち去る。大量の怪物の死骸は後程夫妻が式なり人なりを差し向けてくれるだろう。差し向けてくれないと困る。其処まで俺一人には出来ねぇよ。

 

「?。こいつは……」

 

 豪雨での視界不良のせいであろう。足にぶつかって俺はそれの存在に気がついた。倒れ伏す死体に。怪物ではない。人の骸に。俺が腹を貫いて殺した、蝦夷の青年の骸だ。

 

「……」

 

 恐らくこの騒動を画策した一人なのだろう。この男のせいで死んだ人間も多い筈だ。俺自身にも斬りかかって来た。それら全てを棚上げしたとしても騒動によって雪音が害される可能性もあった。それだけで到底許せる事ではない。死んでしまっても文句は言えないだろう。だが、しかし……。

 

「ははっ。今更だな」

 

 本当に今更だ。人殺しなんてこれが初めてではないのに。こいつの仲間の妖人共だって殺しまくったのに。本当に嗤える話だ。自分に酔ってるのだろうか?

 

 俺は確かに人殺しに嫌悪していて、後悔していた……。

 

「……これで、勘弁してくれよ?」

 

 迷った末に、俺は泥に沈む骸を引き摺った。雨の中で周囲を見渡して大樹を見つけると其処に向かう。その根元に、木陰に倒れさせる。流石に物のように放置は寝覚めが悪過ぎる。大した事ではねぇが……泥水の中で腐るよりはマシな筈だ。そうだろう?

 

「早く、行かねぇとな……」

 

 筋肉痛で重い身体を無理に押して、俺は向かう。彼女の元へと向かう。曲がりなりにも恩義がある彼女への、せめてもの義理を果たすために……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 帰り道は何処までも億劫だった。精根尽き果てているのだから当然だ。唯でさえ足場が悪い道なき道が雨でぬかるんでいるのだ。油断したら何処ぞの阿呆毛な末娘様宜しく頭から転倒して死亡しかねない。

 

 漸くの思いで俺は正規の道へと出る。首塚のある田舎道の終わり際だ。そして、俺にとっては目的の場所でもあった。

 

「……?いない?」

 

 周囲を見渡して俺は困惑する。待ち合わせの場所。待ち合わせの刻限……はギリギリ過ぎてはいない。セーフな筈だ。

 

 しかし其処には牛車はなかった。どちらかを間違えたか?思わず動揺して周囲を見渡す。あのゴリラ様の事だ、気に入らない事があればどんな目に遭わされるか知れたものではない。

 

「姫様……姫様っ!!?」

 

 豪雨の暗闇の中、俺は声を張り上げる。張り上げた声音はそれでも雨音により掻き消されてしまう。俺は探す。必死に探す。探し続ける。

 

「……伴部?」

「っ!?姫様……!?」

 

 呼び掛けへの返答に気付いて俺は首塚の裏側に回った。そして言葉を失っていた。

 

 首塚の直ぐ傍らに踞る少女が其処にいた。傘すら差さずに雨に打たれ切った哀れな女の姿。姫君……鬼月葵、葵姫の姿。

 

「伴部?伴部……なのね?」

「姫様……どうしてこんな……?」

 

 葵が此方の確認の言葉に応じる事はなかった。立ち上がった彼女はまるで幽霊みたいに此方へと近付いて来る。信じられない物を見るかのように此方を凝視する。

 

「来て、くれたのね?御願いに、答えてくれたのね……?」

「姫様、牛車は何処に?いえ、傘すら差さずに此では風邪を引いてしまいます。どうして木陰にすら……?」

 

 最初、俺が此処に来るまで考え込んでいたのはどうやって葵との縁を切るかであった。己が仇の懐に入り込む上で、彼女との中途半端な繋がりはあらゆる意味で危険であった。自身の資産、部下を、玩具を取られたと憤慨する彼女を宥めて、諦めさせる、その理論をひたすら考え込んでいた。しかし……こんな想定外の姿を見てしまうとそんな考えは吹き飛んでしまう。

 

 どうして彼女はこんな事を?どうして彼女はこんな表情を?どうして……どうして彼女はあの日みたいな目で俺を見ている?

 

「どうして?貴方だって同じでしょう?そんなびしょ濡れで、私を非難するの?」

「非難なんてそんな……」

「だったら、構わない筈よね……?」

 

 言い様がなかった。普段の彼女であればもう少し諫言のしようもあるが、今の彼女の纏う雰囲気は尋常ではなかった。余りにも、鬼気迫っていた。

 

「……分かりました。ですが、何時までもそのようにしている訳にはいかないでしょう?車は、牛車は何処に?」

「そんな物、持って来られる筈もないわ。だって、私、こっそりとここまで来たのだもの。本当なら、私謹慎している筈なのよ?」

「謹慎……」

 

 葵の言葉に今度こそ俺は驚愕する。彼女にそんな事を命じて強制出来る者は限られている。そしてそれを破る危険性もまた……少なくとも、本来は俺如きのために破れる事ではない。

 

「どうして、そんな……」

「貴方と会うため」

「そんな事のためにですか……?」

「そんな事?いいえ、違うわ。私にとっては貴方に会うのに優先する事柄なんてないわ」

 

 彼女の発言に俺はひたすら困惑して混乱するのみだった。彼女がそのような事を口にする意味が全く分からなかった。

 

「早く戻りましょう。今ならまだ誤魔化せます。姫様のお立場を思えば早急に……」

「駄目。貴方と話すまでは動かないわ」

「姫様、我が儘は……」

「嫌なら行きなさいな。私を捨てなさい」

「馬鹿な事を……」

 

 ここまで口にして、俺は違和感を覚える。あるいは既視感か。彼女と目が合う。彼女が微笑む。

 

「……覚えているのね?あの日の記憶、思い出したのね?」

「……っ!!」

 

 不穏な予感に背後に退こうとしたのを止められる。腕を掴まれて退避に失敗する。

 

「じゃあ、覚えているのね?あの日の貴方が何をしたのか」

「姫様、俺は……!!」

「覚えているのね?貴方の受けた仕打ちを」

「やめて下さい!!俺は、俺は……!!」

 

 俺は半ば演技の仮面をかなぐり捨てていた。必死に否定する。必死にあの日の記憶を振り払う。

 

「覚えているのね?あの日貴方は……」

「やめろ!!」

 

 俺は彼女の掴む腕を全力で払い除ける。しかしそれは無駄だった。

 

「逃げないでっ!!」

 

 直後にぱっと桃色の姫が抱き着いて来ていた。胸元に美貌を埋めて、柔らかな感触が腹部に触れる。雨で濡れきった装束越しに女の肉感を暴力的に実感する。すがり付いて来る女体。俺の頭の中は混乱の渦中にあった。

 

「姫、様……っ!!?」

「分かってる!!分かってるから!!全部、分かってる!!だから……ううん!!それでも言わせて!!」

 

 兎も角も引き剥がそうと肩に触れて、しかしその気迫に圧倒されてそれ以上何も出来なかった。面越しにただ此方を見上げる彼女を見つめるのみだ。

 

「な、何を……」

「いいから!!御願い、言わせて!!全部、貴方に黙っていた事を全部……!!」

 

 そして彼女は語り始める。俺にとって忌まわしい福音を。

 

「私はね!貴方に試練を与え続けて来たの!!」

「し、試練……?」

 

 殆んど泣き叫んでいるような叫び声だった。下手すれば聞き取れぬ程の悲鳴。しかしその単語に反応して思わず反芻する。彼女の口にした言葉に困惑する。

 

「そうよ!!貴方を成長させたくて!!貴方が私の相応しい人になって欲しくて!!無茶苦茶な命令を沢山して来たでしょう!!?全部そのためなのよ!!貴方を私の側にいられる人にしたくて!!貴方を引き立てたくて!!貴方なら打開出来るって思った役目を押し付けて来たのよ!!」

「な、何を言って……!!?」

 

 突然に告白された内容は俺にとって衝撃的に過ぎた。どうして今?疑念を抱く。しかしそれ以上に内容自体が許せなかった。気紛れで遊興だとしても憎らしかったのだ。しかしそれが意図してのものだったと……?

 

「は?そんな、そんな事のために……?は?姫、様が?」

「えぇ、そうよ!!そうなのよ!!」

 

 俺のはっきりとしない返答に、葵は引き攣った泣き笑い声と共に更に捲し立てていく。

 

「分からない?貴方がこれまで生き残って来たのはどうして?危なくなったら助けがあったのはどうして?貴方に高い呪具をあげたのは?沢山の秘密を黙ってあげたのは?そうよ、私は貴方を見てきた。貴方を私の望む人にしたくて……誘導してきたのよ!!」

「ふ、ふざけるなっ!!」

 

 頭に血が上った俺は思わず葵の首根っこを掴んでいた。その細い首元を締め上げる。見つかったら極刑は確実で、彼女であれば逆に俺を絞め殺す事も容易で、しかし葵は欠片も抵抗の意思を見せない。彼女はただ俺を見上げる。俺はそれに気づかずに叫ぶ。

 

「じゃあ何だってんだ!!?俺の、俺の仲間は?部下達は?何人死んだと思ってる!?お前は……その自分の下らない目論見のために、あいつらを見殺しにしてきたのかよっ!!?」

「そうよっ!!」

 

 即答に思わずたじろいでしまった。彼女は言い続ける。

 

「私にとって、貴方以外は無意味だったから!!貴方以外は信用なんて出来なかったから!!貴方だって同じ気持ちと思いたかったから!!だって、貴方も覚えているのでしょう!!?あの日の事を……!?」

「っ……!?」

 

 彼女は指摘する。糾弾する。非難する。あの日の事を。あの日の裏切りを。俺と彼女への、裏切りを。グロテスクに掘り返す。

 

「信用出来る訳がない!!仲間な筈がない!!あの日、私達が何れだけ手酷く裏切られたのか、知らない筈がないでしょう?散々私に言って聞かせていたあの女にすら馬鹿みたいに騙されて!!仲間と信用してた奴ら皆に裏切られて、傷つけられて、殺されかけて!!まるで道化みたい!」

 

 ヒステリックに叫ぶ。事実を叫ぶ。真実を叫ぶ。葵は叫び続ける。

 

「貴方がどんな悲惨な顔をしていたのか、私がそれを見て何れだけ心を抉られたのか!!貴方だって想像出来るでしょう!!?それでも非難するの!?」

「だとしても!俺は!それに……当時の奴らは兎も角、今の奴らは関係ないだろう!!?」

「私の手は広くないの!!」

 

 必死に俺は反論するが即座に彼女は反発した。

 

「分かっているでしょう?あの男が目覚めて以来、私の権限はずっと小さくなったのよ……!?所詮私はあいつの娘でしかない。私の権力はその程度の物なのよ!だから、貴方だけは何としても守りたかった!!貴方の立場を強くしたかった!!そのためなら他の全てを犠牲に出来る!!私自身すらもね!!」

 

 彼女の言は正しく正論だった。あの男が、鬼月幽牲が目覚めて以来、彼女の発言力はめっきりと落ちてしまっていた。寧ろ、あの男が寝込んでしまってからの葵が唯我独尊とした態度を取れていたのが異例であったのかもしれない。そして、あの頃のように、此れから部下達にあの日のような事が無いとは誰にも否定は出来なかった。

 

 一度あった事が二度ない等と誰が言い切れよう?

 

「私が貴方のために裏で何れだけ動いていたか……貴方は知らないの。貴方に便宜を図るのも、貴方に援助するのも簡単じゃなかった。だって、私は一度暗殺されかけていたから!!最初の一年二年なんて、あいつが何時起きるか知れないからって何れだけ私が苦しい立場だったと思う!?」

 

 泣いていた。尊大が服を着て歩いているような姫が子供のように癇癪を引き起こして泣いていた。子供そのものだった。まるであの日の光景そのものだった。

 

「それでも、俺は……!!そもそもお前のせいだろう?お前の家族の厄介事に巻き込んで!!ましてやお前が馬鹿な事考えてたせいで今の俺は化物そのものだ!!家族まで人質にされて……!!ふざけるなよ!!?どうしてくれるんだよ!!?」

「その通りよ!!知ってるわ!!私のせいなのよ!!」

 

 彼女の慟哭に泣き言の吐露に同情しそうになって、それでも怒りが勝って俺は彼女を糾弾する。その内容は御世辞にも彼女一人の責ではなかった。不可抗力もあった。それでも憎らしさから無理に罵倒して……呆気なく彼女は全てを受け入れた。俺は思わず唖然として彼女の首を締めていた両の手を離していた。けほけほ、と彼女は軽く咳き込む。

 

「何を、そんなあっさりと……」

「けほ!けほ!?……ふふ。罪には罰を、分かっているわ。全部、分かってるの」

 

 彼女は俺を見つめる。その桃色の瞳を悲しげに映し出す。仄暗い笑みと共に彼女は宣言する。

 

「えぇ。罰なら受ける。貴方から大切な物を奪った責任も。貴方を苦しめ続けた責任も。全部、受け入れるわ。元から覚悟はしてきたわ。ずっと、ずっと前から……」

 

 葵はその場に崩れる。雨に打たれたまま、俺の足に抱き着く。哀れな程に惨めな姿で俺を見上げ続ける。

 

「全てを終えた時に、責任は負うわ。私を煮るなり焼くなり、好きにしてくれていいわ。犯すのも、侮辱するのも、貶めるのも、全部……命も含めて、全てを貴方に委ねて、任せるわ」

「正気じゃねぇ……正気じゃねぇよ……!!」

 

 彼女の発言に俺は咄嗟にそう口にしていた。彼女の言は常軌を逸していた。

 

「そうよ。正気じゃないわ。浮かされているのだもの私は。貴方に、貴方への愛に浮かされているのよ……!!」

 

 そして彼女は遂に告白した。その言葉を。それは今の俺にとって呪いに等しかった。

 

「どうして……どうして、そんな……」

 

 俺の動揺に、呟きに、しかし彼女は手加減してくれなかった。彼女は更なる追い打ちを掛ける。

 

「愛してるからに決まっているでしょう?あの日、貴方に恋してしまったから……」

「俺は!そんなつもりで……!!」

「だからこそよ!貴方だけが善意で私を助けてくれたから!貴方だけが守ってくれたから……!!」

「違う!俺は自分が助かりたかったから……!」

「嘘を言わないで!!」

 

 鋭い指摘に俺は言い訳を噤む。

 

「嘘よ。あの日、貴方には私を捨てる選択肢があったもの!それを振り払って、貴方はその手で……!」

「黙れ!黙ってくれよ!?それ以上言わないでくれよ!?」

 

 最早拷問に等しかった。彼女の言葉一つ一つが俺に耐えがたい苦しみをもたらし。何が苦しいかと言えば、その言葉が確かに真実の一端を突いていたからだ。

 

「嫌よ!全部語るわ!全部話すわ!逃がさない。お願い、せめて全部聞いてから選んで……!!」

「そんな、勝手な事を……!?」

 

 俺は葵に本気で殺意を覚えていた。殺してやりたいとすら覚えていた。そして分かっていた。それは正しくないと。

 

「お願い、聞いて!私はね、鬼月の家もあげたいの。貴方にとっては憎しみばかりだろうけれど……貴方が望むなら私の家の全てをあげるわ。財産もあげるし、生き残った貴方の仲間だって解放出来るわ。復讐したいならそいつらの首だって……!!」

「いるかよ!?そんなの、要らねぇよ!!?」

「鬼月幽牲の首でも!?」

「つ……!!?」

 

 最後に葵が口にした言葉に俺はそれ以上反発出来なくなる。彼女は泣き笑いしながら続ける。漸く愛する人が心から欲しい物を見出だして悦ぶ。夢見る少女のように囁く。

 

「御願い。私を見捨てないで。貴方のために頑張るから……貴方の望みを叶えるために、精一杯頑張るから。もう、貴方の足手纏いにはならないから……」

 

 彼女は懇願する。必死に懇願して嘆願する。

 

「貴方の役に立つわ。貴方のための仲間も用意出来るわ。貴方の家族を守るために便宜だって図る。貴方の復讐だって助けられる。だから、だから……」  

 

 途中から譫言のように「だからだから」と何度も続けて、漸く正気に戻ったように瞳の瞳孔が戻り、彼女は俺に向けて呟いた。

 

「捨てないで……」

「っ……!!!?」

 

 その言葉に俺は絶句して、しかし紡ぐべき言葉は出てこなかった。何を語るべきなのか分からなかった。何を選択するのが正しいのか分からなかった。決意が揺らぐ。欲望が渦巻く。醜い復讐のための打算が鎌首をもたげる。

 

「俺は……」

 

 どうすればいい?誰かに教えて欲しかった。良識と悪意が葛藤する。そしてその天秤は次第に傾いているのが自覚出来た。それは到底受け入れられぬ答えであった。だが……。

 

「俺は……!!」

 

 哀れに媚びる彼女を見下ろす俺の脳裏に浮かぶのはあの忌まわしい日の記憶で……。




 第九章及び今後の更新予定について、後程活動報告にてお知らせ致します。取り合えず反省……。
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