和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
日は上がりきっていて、そして下がり始めようとしていた。
「此処で途絶えている……」
手負いとなったのだろう妖の血痕を追い続ける事三刻余り……俺は足を止める。理由は先程述べた通り、地面に点々と続いていた赤い足跡が消えているためだ。
「さてさて、此れはどう見るべきかね?」
俺はゆっくりと、じっくりと周囲を見渡す。手傷を負った正体不明の妖……そいつは中々の知恵者であり、度々此方の追跡を振りきろうと欺瞞偽装を仕掛けていた。
突如として血痕が消えていたかと思えば遠くに跳ねたように新しい道筋が続き、途中から引き返して重複したのだろう、血痕が別個の方向に複数続いている事もあった。あるいはその先が崖になってたり食肉植物が待ち構えていた事だって……容赦ない話だ。
「……」
気付けば己が佇むのはじめじめとした谷底だった。左右を切り立った谷に挟まれた細い細い谷底の一本道……這い寄るのは嫌な嫌な気配。
「やはり罠か……!!」
気付いたと同時に俺は煙玉を叩きつけていた。直後に岸壁や地面から這い出した有象無象の怪物共は刺激臭に金切り声を上げる。
「ちぃ!!邪魔だっ!!」
俺は全力疾走で道を引き返す。途中躍り込んで来た大柄な蜘蛛妖怪の足下を速度を緩めずに突貫する事で潜り抜ける。中妖であった。単独でまともに相手をするべき相手ではない。
『キキッ!!』
『ッッッッ……!!』
「好都合!!」
逃さぬとばかりに更に眼前を塞ぐ飛蝗と蛭の小妖。俺は蛭を容赦なく踏みつけて、顔面に向けて飛びかかる飛蝗を槍で以てバット染みて殴打する。背後の蜘蛛の顔面向けてフルスイングだ。
『ッ!!』
「ナイスキャッチ!!」
殆んど条件反射的に顔面に飛び込んで来た飛蝗を捕らえて噛みついて、某アイスを楽しむように体液を啜る大蜘蛛。最早眼前の獲物に夢中で俺の事なぞ気にもしてなかった。
師より教えられた一対多で妖に遭った時の対処法その八である。やっぱりこいつらは同胞意識なんて皆無だな……!!って!!?
「ちぃっ!!お前らを相手する時間はねぇんだよ!!」
泥の中から続々と溢れ出るのは無数の沙蚕共だった。魚釣りで餌にされるアイツらである。小妖にしてはかなり大柄な身体だった。一斉に奇声を上げるのでその滑り気のある体に爆薬多めの臭い玉をプレゼントしてやる。
『ッッッ!!!??』
元々脆弱な身体構造故に爆風で幾らかは死に絶えて、残りは身体を刺すような刺激に怒り狂って身を捻る。そして元凶たる此方に憎悪の視線を向ける。
『ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙!!』
「そら来た!たぁんと食らいやがれ!!食べ応えあるぞ!!?」
そして此方に向けて迫る沙蚕共は纏めて同じく泥から飛び出した大鯰によって丸呑みされた。この手の泥地に潜む魚妖怪は隠匿が得意で震動に敏感だ。隠行して走る余裕がない時に襲われては堪らなかった。餌が必要だった。何だったら俺にも寄越せとばかりに人食い土鰌やら人食い鯥五郎やらが現れて沙蚕共を踊り食いし始める。阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
毒澤薬師お手製の特製ブレンド香料は妖を興奮させて引き寄せる代物で、俺は此れを猿次郎に煙玉に加工して貰っていた。用意出来た数は三つ。陽動に使える貴重なアイテムであった。……今一つ使っちゃったけど。
「出し惜しみして死ぬ訳にはいかねぇ……かんな!!」
谷の横穴から待ち伏せして飛び出すワーム類にトラップ染みて泥中から跳ね出てくる貝妖怪を紙一重で避ける。避けながら槍で切りつける。殺せなくていい。出血させれば互いの血に引き寄せられて直ぐにでも共食いを始めてくれた。弱肉強食の食物連鎖である。妖の世界は厳しい。
「見え、た……!!」
次第に視界は開けて来て、地面は水気を失い固く踏み締められるようになっていた。谷底の終わりに近付く。咳き込みながら、荒く息しながら俺はその先に向けてひたすら走る。そして……俺は自身の足下に出来た翳りに気付いていた。
「っ!!?」
谷底一本道から抜け出したと同時に身を翻す。先程までいた場所に突っ込んできたのは大猿であった。背丈にして大人三人分はあろう大猿。片腕のごっそり千切れた猿の中妖。今少しで大妖に脱皮しそうな大物だ。しかもこいつは……!!
「てめぇも茸持ちかよ!!」
頭からニョキッと生えた卑猥な形状の菌糸類。どうやらこいつも骸に寄生した菌妖怪らしかった。糞、ロリゴリラめ、殺るなら徹底的に殺りやがれよ……!!
「いや、それよりも問題は……っ!!?殺れ!!」
猿妖怪(茸憑き)が察したのと俺の呼び掛けは同時だった。より正しく表するならば猿が気付きそうになったので俺は命じた。鋭い矢の一撃が猿の額向けて一直線に放たれる。……当然のように受け止められたけれど。
「まだまだぁ!!」
元より誘き寄せられている自覚はあった。だからこその氷雨の奇襲であり、俺は其処に更に駄目押しを叩き込む。身体強化、肉薄、槍で以て下から顎を突き立てる。このまま頭蓋骨まで貫通を……。
「硬っ!!?」
肉を貫いて、しかし顎の骨で槍の穂先が止められる。視線が合う。振り上げられる拳。不味いっ!!?
『ッ゙ッ゙ッ゙ッ゙!!!!』
「つぅ……!!?」
寸前の紙一重。急いで槍を引き抜くと身を翻して振るわれた巨腕を避け切る。避けるというよりも転がるといった方が適切だったかもしれない。
「不味い不味い不味い……!!」
慌てて地面を這うようにして走って距離を取らんとする。実力差は明白で、正面から小細工無しでの戦闘は無謀で自殺行為だった。
「うえっ!!?」
襟首を摘まれた。ひょいと持ち上げられた。茸を生やした大猿と面と向かって顔を合わせた。顎が開く。鋸みたいな鋭さの牙が乱雑に並ぶ。生暖かくて酷く臭い吐息。
「ざけんな畜生がっ!!」
俺は即座に懐から数本の苦無を投擲していた。悲しいかな、相手は骸であり歯茎から出血しようが痛がる素振りもなかった。迫る化物のあぎと……!!
「させない!!」
『キッ!!』
腕に二本突き刺さった弓矢。続いて数本の矢が猿の頭から生える茸を掠める。直後に大猿は俺を塵を捨てるように放り投げた。
「うおっ……!!?こ、んのっ!!いぎっ!!?」
回転する視界。その端に逃げる大猿の背中が映りこんで歯軋り。直後に地面が眼前に見えて俺は慌てて受け身の姿勢を取る。腰が、痛っ!!?
「先輩!!?無事ですか!!?」
「無事に見えるか!!?」
「いいえっ!!」
腰を押さえながら涙目で立ち上がっての会話。何処かコント染みていた。実際は笑えるような状況ではなかった。
「っっっ!!糞、追うぞ!!……あいつ、歯に例の物が引っ掛かってやがった!!」
「えっ!?それじゃあ!!?」
「そうだ。恐らくは件の代物だ!!」
具体的には犬歯に引っ掛かった風呂敷が垣間見えた。恐らく此度要望されたという件の品であろう。妖の口内にあっても欠片も傷んでいなかったから間違いない。
(問題は……!!考えても仕方ねぇ!!)
助けの煙玉を見てしまった以上、隠行衆からの要請を受けてしまった以上、そして目的の品を見つけてしまった以上、行動するしかなかった。俺達下人の命は朝廷からの命よりも遥かに軽くて、その気になれば鬼月家は俺達がサボっていた事も記憶から読み取れるのだ。そして最悪は死が待っていた。生きるためには死地に赴くしかなかった。
「あの馬鹿猿を追い掛けるぞ、アレ見て逃がしたら折檻処じゃ済まねぇ!!……罠には気を付けてな!!」
最後にそのように付け加えて俺は逃げる大猿の背中を追い掛ける。氷雨もまた続く。
奥へ奥へと。人の足を踏み入れるべきでない底の見えない魔境の果てへと。まるで見えない力に誘われているかのように……。
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禁地の奥地、結界が結ばれた安全地帯。鬼月の一団はその三つ目に赴き、四つ目も制覇した。そして五つ目に、今入場する。
ここまで隊列を構成する人員にただの一人の損失もない。途中で離脱した隠行衆の末路を知る者はまだ誰もいなかった。
「この仕事が終わったらぱっと飲みに行こうぜ?」
「けけけ、今回の稼ぎがありゃあ暫くは遊んで暮らせるってもんだ」
「俺は地元に帰るぜ?土地買ってよ。小作人生活じゃねぇ。自分の土地を……いんや、地主を目指してやる!!」
故に一団に蔓延するのはこの上ない楽観であった。特に人足共は雑談祭りである。
それだけ鬼月の姫君が提示した各所での霊草採取の命は彼らにとって天祐であったのだ。元より貧乏人の多い彼らにとって降って湧いて来た臨時収入は本業よりも遥かに高給であり、未だ支給されていないにもかかわらず頭の中は皮算用と薔薇色の未来に夢中になっていた。
「……」
牛車の上で周囲を見渡す姫君だけが顔を青くさせていた。深く深く何度も深呼吸。額から汗が流れるのが止まらない。動悸が激しい。胃が気持ち悪い。吐き気がする。頭痛がする。辛い、辛い……。
「姫様。御指示を」
「……これ迄と同じよ。人足共に回収するようにとね」
可能な限りに取り繕って、葵は高慢に命じる。恭しく卑屈に雑人が頷いて、立ち去る。十分に離れた事を確認してから息を荒くする。
「どう、しちゃったのかしら……?」
体調の不調。尋常ではない。一体どうして?分からない。何かの呪いに当てられたのか?しかしこの感覚は……。
「……私は少し風に当たって来るわ。探す必要はなくってよ?」
牛車を降りて、葵は部下共に気丈に宣う。誰かに付き添われては堪らなかった。
禁地内とは思えぬ程にのどかな結界の内。幼い姫君は人気のない方へない方へと黙々と足を運ぶ。
爽やかな風と陽光が森林を鮮やかに彩っていた。その風情に葵は僅かに体調を取り戻す。その場で座り込む。森林浴であった。
「流石に……無理、しちゃったのかしらね?」
欲を掻き過ぎたのだろうか?そんな己を自嘲する。危ない危ない。今度からは注意しよう……葵は己の失敗を素直に受け入れる。それが出来たのは余裕故であった。
己の偉業、得られた利益、父から掛けられるであろう称賛の言葉……それが葵にとっては何処までも楽しみで、思わず辛い中でも口元が緩んでしまった。
「うふふふ……」
苦しい体調の中でも気分が良くなって、葵は思わず唄い始める。幼い美声で以て甘く唄う。趣深い古語で紡がれる歌詞は父娘の親愛を表現する詩聖のしたためた古い名歌であった。それはまさに今の彼女の心理を表していた。
そう。それはまさに無上の喜び。彼女が唯一愛情を実感する人。母は違った。親族一同もそうだった。下々の下僕共もまた同様。
父は違う。此度もそうだ。誠心誠意に教えてくれた。この重要な任を任せてくれた。そして今己は栄光の道筋に立っている……!!
「……っ!?何?」
どれだけ続けていたのだろう、唄が止む。葵は立ち上がる。振り向く。その招かれざる気配に顔をしかめる。
「……どうして?」
林陰から蠢き迫る存在に、葵は疑念を浮かべた。可笑しいと。有り得ないと。
「どうして、貴様ら如きが此処に?」
複数の幼妖・小妖が飛び出した。全力疾走で妖共は葵に迫る。……瞬間に肉片へと成り果てる。
扇子の一閃であった。鬼月葵にとって別に切り札でなければ得意技でもない扇子とそれを用いた風撃は、しかしその携帯性と手頃さ故に幼い彼女が一番活用する技である。
幼妖が、小妖が、次々と迫る。旋風が舞う。
「失せろ!」
幼妖が、小妖が、次々と迫る。旋風が舞う。
「失せろ!!」
幼妖が、小妖が、次々と迫る。旋風が舞う。
「失せろ!!穢らわしい!!」
一際激しく扇子を振るった。樹木が裂ける。地面が抉れる。妖共が、引き裂かれる。
一転した静寂が訪れた。穢れた怪物共は皆消し飛ばされた。その場に立つのは桃色の姫君ただ一人……。
「はぁ、はぁ……ふん!!わ、私に掛かればこんな雑魚共なんて、なん、の……えっ?」
勝鬨の声を上げようとした瞬間、震えた膝が屈する葵。幼い姫君は事態を認識出来ず、呆気に取られたような表情でその場に踞る。
「あ、あれ……何、これ?急に、力が……?」
慌てて足に力を入れ直そうとして、しかし何度やろうとも立ち上がる事も出来なかった。ただただ惨めに、その場にへたりこむばかり……。
「え、え?一体どういう……?」
「漸く目に見える形で効果が見えた様子ですな?流石姫様。預かっていた式妖が全滅ですな」
困惑する葵に背後から呼び掛ける声。そのくぐもった独特の声調に葵は相手が何者なのかを即座に察する。
「薬師?何を、言っているのかしら……?」
痺れて感覚が曖昧な身体。辛うじて首を曲げて葵は問い質した。振り向く彼女の風貌は血の気が引いているように青褪めていて、目元には疲労を思わせるように薄っすらと隈が見える。額からは汗が浮かんでいた。
明らかに、正常ではなかった。
「何をとは……聡明叡知たる姫様でありますればお分かりの筈。いやはや、驚きましたな。あの致死量、その幼いお体では本来ならば到底生きられぬでしょうに。流石姫様で御座います。まさに化物。御助言がなければ計画は失敗でしたなぁ」
心から感心したように、感嘆したように、薬師は嘯く。尤も、その言葉を聞く方は呑気でいる訳にはいかない。
「致死量?それは、まさか?有り得ない……一体、何時の事!?毒を盛られたのなら気付く筈よ!!?」
「合食禁、という言葉を知っていますかな?」
「は?」
次第に声を荒げて追及する葵に対して、薬師は悠然と尋ねた。突然の質問返しに幼い姫君は思わず間抜けな声を漏らす。
「あぁ。この場合は合飲禁、あるいは合薬禁とでもいうべきでしょうかな?」
そして説明する。個々では有益、あるいは無害な存在でも体内で合成する事で有害となる場合があると。此度の仕掛けはその応用に過ぎぬと。
「姫様は聡明。いや本当に聡明で御座います。ですが全知全能ではない」
どのような技芸も二度も見れば完璧に模倣して、どのような書物とて一読で記憶してしまう鬼才。それが鬼月葵である。しかしながら、それはあくまでも「見た事」、「聞いた事」に限られる。
知らないものには対処出来ぬ。当たり前の道理である。薬学関連の書物も彼女は何冊も読んでいる。しかしながらそれだけだ。
深い道の深淵なぞ知らない。知るつもりもない。どうせそんなもの知らなくても己の力ならば何とでもなるし、それでも必要ならばその時に学べばいい……傲慢な彼女の考えは、しかし事実でもあり、しかれど事実ならば正しい訳でもなかった。
それが導き出したのがまさにこの結末。茶と菓子に個別に混ぜられていた薬草は猛烈な甘さと冷たさでその存在を誤魔化した。胃の中で調合された麻痺薬は少しずつ彼女の五感を鈍らせる。苦い栄養剤で更に舌を鈍らせて、本命の毒を盛っていく……そして、今がある。
「待ち、なさい……茶?菓子?どういう、事?」
薬師の言に、葵は反応した。困惑の言葉が紡がれる。答え合わせは直ぐの事であった。
「おお。薬師殿。漸くですかな?」
薬師の背後から更に現れる人影。その装束を確認した葵は希望を見出だしたように喜色の色を浮かべた。
「お、お前達!よ、良く来たわね!!その、その蛙顔を今すぐ捕らえなさい!!鬼月の……一族を裏切った不届き千万者よ!!」
直属の雑人共に対する葵の高圧的な命令に、彼らは次々と懐から短刀等を引き抜いた。そして……その切っ先を姫君へと突き付けた。
「何を、やっているの……?」
「主君の命に従い、一族の害悪を排せんとしているのですよ」
何処までも困惑しきった葵の問い掛けに、葵直属の雑人連中の頭目は答えた。悠然として。堂々として。
「……!!?裏切ったの!!?誰!?誰の差し金なの!!?隠行衆頭!?それとも下人衆助職!?それとも、御意見番の誰か!?あの女を担ぐ分家共!?言え!幾ら貰ったわけ!!?恥晒し共めっ!!」
容疑者連中の名を次々と叫んで葵は怒り狂う。己を裏切る手下共の所業が彼女は許せなかった。そして己だけではない、父すらも裏切る行為がそれ以上に許せなかった。
葵の傍に控える下僕共は皆、父が宛てがった人材。己に期待して寄越された彼らの裏切り行為は、父に対する侮辱に他ならなかったのだから……。
「言いましたでしょう、姫様?主君からの命令と」
「それが、何……!?」
「我らの主君は貴女様ではない。我らはただ貴女様に宛てがわれたに過ぎない事をお忘れなのですかな?」
小馬鹿にするような物言いに葵は怒りが更に込み上げて、同時に何処までも困惑して混乱する。裏切者連中の言わんとする事が彼女には理解出来なかった。
……あるいは、理解したくなかったのか。
「何を、言っているの……?意味が、分からないわ。誤魔化すつもり……!!?」
「そんな筈はない。聡明な姫様の頭であればこの程度の事は疾うにお分かりの筈。姫様こそ、惚けるのはお止し下さいませ」
「何を……!!っ!!?」
恭しく一礼する雑人連中。彼らが誰によって葵に宛てがわれたのか。誰の指揮下にあるのか。そんな事は分かり切っている事だ。薬師にしても同様。つまり、彼らが語る姫君を害する命を下した存在とは……。
「嘘」
「嘘では御座いませぬ」
葵が呟く。雑人の一人が丁重に答える。
「嘘よ」
「嘘では御座いませぬ。全ては姫様の想像の通りに」
葵が語る。雑人の一人が慇懃に答える。
「嘘に決まっているわ」
「嘘では御座いませぬ。全てはこの日のためにありますれば」
葵が声を震わせる。雑人の一人が嘲りながら答える。
「嘘。嘘、嘘っ、嘘っ!、嘘よッ!!!」
幼い姫君は何度だって否定する。強く強く否定する。有り得ない話であった。有ってはならぬ話で、非合理的な話であって、道理に合わぬ話であった。だってそうだろう?己が、名門の血を引く己が、才能の塊である己が、朝廷からの任を果たしている最中である自分が、こんなに美しい自分が!実の娘の私が……!!!!
「有り得ない!そんな話、有り得る筈がない!!でまかせを言わないで!!そんな、そんな見え透いた嘘で……!!」
「姫様。まだお分かりにならぬのですか?旦那様が貴女様を疎む理由を。……一体何時から貴女様は己が愛されていると思っておられたのですか?」
「ひっ!?」
最初から、そんな事なんてなかったというのに……雑人衆の頭目は嘯いた。姫は小さく悲鳴を上げた。
其処に欠片の嘘偽りがない事は、いとも容易く人の技芸を模写出来る彼女の観察力からすれば一目瞭然の事であった。
「……嘘だ。嘘よ。嘘。そんなの嘘。いや、嘘よ。嘘に決まってるもの。だっておかしいもの。道理に合わないもの。嗤わせないでよ。嘘よ。デマカセよ。嘘だ。嘘だ、嘘だっ!!いやっ、信じないわ!!嘘!嘘!!嘘つき!!そんなのって!!有り得ない!!私はっ!御父様は!だって!だって!御母様と違って!!違うわ!嘘!嘘!嘘よ!嘘よぉ!!嘘だもん!!私は!私は!私はぁ……!!!?」
壊れたカラクリ人形のようにその場にへたりこんだまま譫言染みてひたすら姫君は呟き続ける。その眼は割れんばかりに激しく震えていて、雫が一筋二筋と止めどなく頬を伝う。
普段の彼女を知る者は驚きを隠しきれない。今の姫はただただ突き付けられた言葉を否定して、否定しようとして、拒絶して、振り払おうとするだけであった。幾つもの複雑な事柄を同時に処理出来るような聡明な頭脳が、今はそれだけで一杯となってしまっていた。
「……狂いましたかな?」
「一時的なものでしょうよ。あの姫君がこの程度の衝撃でどうにかなる筈もなし」
「左様。放っておけば毒が抜ける可能性もある」
「さすれば急ぎませぬとな……」
雑人共は呟き続ける葵を一瞥して、口々に語り合う。そして予てよりの算段に従い行動を開始した。
「さて。ただただ姫様に御隠れ頂くのでは芸がない。姫様は貴重な御身である故に、御当主様より色々と手順を経るように言われてましてなぁ。……ははは。此方の声は聞こえていないようだ」
雑人の頭目の呼び掛けに、しかし幼い姫は延々と拒絶と否定の言葉を紡ぎ続けるのみであり、欠片も視線を裏切者達に向けてはいなかった。最早そんなものに興味も関心もないかのように思われた。
即ちは現実逃避……ある意味では彼女の高慢と傲慢そのものであった。
「我らは所詮路傍の石だという事ですかな。いやはや、此処に来て媚びるのではなく己の殻に閉じ籠ろうとするとは姫様らしいと言えば姫様らしい」
聡明でありながらどんな状況ですら他者に頭を下げる事も、媚びへつらう事も、煽てる事すら必要と思わない……そんな選択肢は元より発想すらないのだろう。今の彼女にとって大事なのは己の内での絶望との戦い。信じていたものへの疑念の否定。それのみだ。
「やれやれ。本当に本当に姫様らしい。その在り方、ずっと思っておりましたよ。…………全く何処までも生意気な糞餓鬼だってなぁ!!」
怒声と共に頬を叩く乾いた音が鳴り響いた。衝撃で地面に臥せった葵は我に返ると共に目をぱちくりとさせていた。何をされたのか欠片も理解出来なかった。遅れてジワジワと感じる頬の痛みすらも、彼女にはそれの意味する事が分からなかった。
「ふぇ?えっ、えっ……?」
腫れる頬を痺れた掌で触れる。撫でる。殴られた?叩かれた?どうして?一体どうして?
残念ながら何れだけ自問しても答えは返らず、現実もまた変わらない。
「全く此方が下手に出てりゃあ厚かましくよぅ!!なめてんじゃねえんだよ、小娘が!!」
「ひぎっ!!?」
続いて別の雑人が幼い少女の腹を蹴りあげた。生まれて初めての痛みに幼姫はこれまで吐いた事のないエグみのある悲鳴を上げる。
「俺にもやらせろ!!」
「牝餓鬼が!!散々コキ使ってくれやがってよ!」
次々と雑人共が怒鳴り散らす。そして彼女の元に駆けつけては蹴りあげた。踏みつけた。殴り付けた。
「やっ!?あ゙ぁ゙っ!?止めて、止めなさっ……がっ゙!!?」
要請。命令。懇願。事態を全く理解出来ぬ状況で叫ぶ葵。直後に「指図してんじゃねぇよ!!」と一際勢いよく胴体を蹴りあげられて姫は悲痛の声をあげる。到底子供の出すべき声ではなかったし、雑人共の暴挙もまた同様だった。
「痛い!?痛い!!?止めて、止めて!!服がっ、汚れて!!御父様が買ってくれたのに……!!?」
「その親父に捨てられたんだよ、てめぇはよ!!」
百両は下らぬ単が泥に汚れて傷んでいく有り様に、葵は頭を守りながら嘆願する。即座に罵倒と嘲りが返って来た。まるでお望み通りに、とでも言うように泥を単に塗り込まれながら踏みつけられる。
「いや、いやあぁぁぁっ!!?止めて、止めてよぅ!!??」
「ギャアギャア煩いんだよ!!」
「ふぐっ゙!!?」
襟首を掴まれて、持ち上げられたかと思えば容赦なく腹部を殴られた。所謂腹パンであった。幸いにも規格外に頑丈な姫君はえずきながらも嘔吐する事はなかった。
本当に、それだけの事だったが。
「んん?おい、見ろよこいつよぅ?」
「ははは!汚ねぇ!漏らしてやがる!!弛いなぁ!!」
「うあ……?」
罵倒によって葵は自覚した。下腹部を見やる。鮮やかで豪奢な装束の、下半分に広がる染み。微かに漂う尿素の独特の臭い……失禁。下腹部を全力で殴られた衝撃で膀胱の筋肉が弛緩してしまった結果であった。
「あ、あぁ……いや、いやあぁぁぁ……お服がぁ、御父様から貰ったお服がぁ……!!?」
今度こそ葵は子供染みて泣いた。泣きじゃくった。それだけ彼女にとって父からの贈り物は大切な品であったのだ。例え、簡易な防護の呪い一つない代物であろうとも……彼女にとってはそれは父からの愛情を示す品であった。
そう、思いたかった。
「騒ぐな!黙ってろ!!」
ドスっと頬を殴られる。彼女の身体の頑健さ故に大人の全力の拳にも痣が出来なければ骨が折れる事もなかったが、それでもその音は聞く者に不快感を与えるものであり、口内の粘膜が己の歯で傷ついた。血の味が舌に広がる。それもまた初めての経験だった。
「たく、汚れちまったな」
「いいじゃねぇかよ。どうせ脱がせて売るんだからよ!!」
「そうだそうだ。こいつだって脱ぐ理由が出来て万々歳だろう?」
「ひぐっ、ゔえっ゙?脱ぐ?何を言って……?」
姫を囲んで見下す男共の語り合い。下卑た物言い。それに対してまだまだ大人としても女としても熟していない青々しい姫君は困惑する。ただ、嫌な予感だけは理解出来たし、それは直ぐに実現する。
「おら、御奉仕の時間だぜ、牝餓鬼が!!」
雑人連中が姫君の装束を乱暴に剥がし始めた。
「えっ!?いや、止めなさい!?触るな、触るな……!!?」
上着も、その下の衣も四方八方から伸びる手によってふんだくられていく。裾や袖から青白い腕が潜り込んで来る。幼姫の白い柔肌を乱暴に撫でていく。それはまさしく理性を脱ぎ捨てた牡の剥き出しの欲望の証明。
「ひぃっ、!!?いやだ、きたないてでさわるなぁ!!!?」
男共の労りも遠慮もない妖の如き行いにぞわりと鳥肌が立つ。悲鳴を上げる。首筋が、太股が、臀部が、腹が、鎖骨に胸元に腰元にと牡の掌が這う。髪を解かれて男の一人が顔を埋める。荒い鼻息で髪を嗅ぐ。幾人かは彼女を汚辱しながら片腕を自身の装束の内に突っ込んでいた。何かを前後に激しくシゴいていた。その意味する事に恐怖して動かぬ身体で抵抗せんと必死になる。
「だから煩いってんだよ!!」
「かっ!!?」
腹部に更に拳が振るわれる。息が出来ぬくらいに痛かった。装束を毟られる。白い肌が露呈する。男共の歓声が上がる。濁った瞳が汚れなき姫君の身体を容赦なく視姦する。男共もまた装束を脱ぎ捨てて半裸になる。筋肉が薄く線の細い、日焼けのない青白い身体……。
「見ないで、みないでぇ……」
「じゃあこれならいいのか?」
「ひぃっ!?」
太股を這うねとりとした感触に葵は恐怖した。何をされているのか理解すると唯でさえ青ざめた顔が更に青くなる。最早凌辱であった。いや、これからきっとそれは単なる事実になるだろう。
「お待ち下さいまし、皆様方」
これから始まる筈の姫君への輪姦を制止したのは蛙顔の薬師であった。雑人共の手がピタリと止まる。恭しい振る舞いで此方にやってくる薬師に葵は思わず希望と期待の視線を向けていた。
……葵の髪の毛の一部を脇差で切り取った薬師はその場から下がる。
「へっ……?」
「姫様程の貴種の髪は、高位の霊薬を作る上での貴重な材料ですからな。痛む前に確保出来て良かった良かった」
唖然とする葵に向けて蛙顔を賑やかに綻ばせて応じた薬師。そして続ける。
「初物の血も欲しいですな。一度破られたのでしたら物を回収させてもらいますぞ?」
気軽げに薬師は雑人達に要請した。其処に葵に対する何らの感情もなかった。彼女は唯の物であった。それはまるで飼育する家畜について語るような口振り。
「あ、うあ……?」
「そういうこった。姫様。まぁ、これまで散々使ってくれたんだ。今度は俺らに使わせてくれませんかね?労いにね?」
「そう言えばまだ赤飯は炊いてないんじゃなかったか?」
「少し頑張れば入るだろ?どうせ最後は御隠れするんだしよ。少し無理矢理してもいいだろ」
「最後は妖に死姦させるらしいからな。勿体ねぇよなぁ」
「その分、後腐れなくなるくらいにパァーと使ってやろうぜ。なぁ、我らの姫様?」
ニタニタと悪意に満ちた下品な笑みが無数に葵に突き立てられる。それは未知の恐怖だった。これ迄経験してきた悪意とは別種であった。妖や呪いを差し向けられるのとは全く違う。低俗で剥き出しの牡の穢れた欲望と悪意……幼い少女が相対するにはそれは余りにも荷が重すぎた。
「ひゅっ……」
息が抜けるような悲鳴。葵は己の末路を理解して絶望する。最早希望はない。誰も助けには来ない。御仕舞いだ。終わりだ。終わり……。
「いや……」
男共の無数の手が伸びる。身体を撫でる。舐める。
「いやだ……」
足を掴まれる。無理矢理に股を広げられる。下卑た男共がのし掛かる。
「いやあああぁぁぁぁぁっ!!?」
上げる悲鳴。同時に己を黙らせるように殴打が来る事も覚悟して、己を貫く痛みに身構えて、葵は強く目を閉じる。ある筈のない救いの手を求めて。
「…………!!!!」
身構えて。身構えて。身構えて……。
「…………?」
…………しかし、何時まで経てもその時が来る事はなかった。
「ふぇ……?」
恐怖に困惑が打ち勝って、ゆっくりと葵は涙を潤ませた瞳を開いた。そして目撃するのは出血した手足を押さえて呻く獣共だった。
「な、何、が……?」
「ファンからは顰蹙買うだろうがよ。流石に目前でR-18展開を座視しちゃあ後輩に示しがつかねぇからな……!!」
葵はその言葉に漸く彼らの背後に立つ人物に気が付いた。ボロボロの黒装束の小面姿。下人衆……それが苦無を手にして佇んでいた。背後には同じく弓を構える背丈の低い下人が控える。
「お前ら、悪い事は言わねえよ。さっさと姫様の御身無事引き渡してお縄について貰おうか?」
父から推薦されたあの女の元下僕が、獣共に警告した……。
『……へぇ。そういう展開になるのかぁ』
深林の何処かで、その騒動を垣間見る碧い人影は呟いた。心底愉快な口振りで。
『いやはや、こりゃあ面白くなって来たなぁ?』
在り来たりな陰謀に見えた。退魔士家において身内での闇討ち謀略は珍しくない事を彼女はこれ迄散々見てきた。特にこの家の連中の場合は尚更だ。
彼女は強者を求めて転々と過ごして来た。特に己を討ち取れるだろう武家や退魔士家に居候する事は幾度になるか。期待の新人を求めての、あるいは幾つもの死線を潜り抜けた熟練の戦士を求めて。己の存在に気がついた一族郎党共相手に大立回りの大乱闘も悪くない。弓矢に刀傷を全身に浴びて、仁王立ちで死ぬのも一興だ。
残念ながらどれも期待外れだったし、気が付く連中も皆無だったが。
『この家も当てが外れた、そう思ったんだが……』
近頃の鬼月家の若手には中々の強者が揃っているとの話を聞き付けて、女中に紛れて潜入した。確かに魔の双眼の持ち主も、『滅却』の姫君も、文字通りの鬼才の姫君も、どれも手練れであった。それだけだった。
残念ながら食指は動かなかった。期待外れだ。仕方無い。もう何年かしても駄目なら適当に二三人手合わせして摘まむかと考えた。
見つけた。面白い小僧を。
期待した。彼を取り巻く苦悩と試練を。
称賛した。彼に降り注いだ悲劇とそれでも立ち上がった気概を。
そして、今。あるいはこの関門さえ脱け出せれば彼は……。
『出来の良い凡夫から、英雄候補には成り上がれるかもなぁ?』
この騒動に関わるおおよその連中の動向を霧となる事で把握し続ける鬼は楽しそうに嘯く。期待に胸を膨らませる。漸く会えたかも知れない運命の相手に瞳を輝かせる。序でに鋭い犬歯も。涎は垂れ流しであった。
『さぁて、頑張ってくれよ?英雄らしく、な?』
期待外れだと失望しちゃうぞ?……邪悪な邪悪な碧い悪鬼の無邪気な囁きは、日が暮れていく魔の深林に何時までも木霊し続けた。