和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第一四二話 どんぶらこどんぶらこ♪

「はぁ、はぁ……辿り、着いた……!!?」

 

 その言葉通り、確かに彼女は其処に辿り着いた。死に満ち満ちた深林を必死に掻き分けて、結界を越えて、漸く安住の地へと足を踏み入れた。それは正しく奇跡に等しく、しかしある意味で必然でもあった。

 

 鬼月の姫君の引き起こした丸一日に及ぶ妖の屠殺……殺戮尚外界に比べれば濃いとはいえ平時よりも遥かに薄くなっていた妖の密度、其処に更に囮や煙玉に近場の物共は引き寄せられた事で更に障害の数は減っていた。其処に彼女自身の高い探知能力が重なって危険を回避し続けた事による快挙であった。偉業であった。

 

 問題は、それは目先の課題の解決でしかない事であったが……。

 

「先輩は、まだ……!?」

 

 酸素不足から息を切らして、頬を紅潮させながらも直ぐ様周囲を見渡して彼女はその事実を確認する。四方に張り巡らされた荒縄による安全地帯。少なくとも百人単位で収容可能なその地は、しかし広大無辺な訳でもない。歩いても半刻もあれば外縁を一周出来る程度の敷地でしかない。彼女の探知能力を以てすれば大まかな気配の把握くらいは出来る程の広さでしかなかった。

 

 ……そして、少なくとも彼女の待つ先客の気配はなかった。

 

「先発した、訳でもありませんよね……」

 

 それは約束の内容からしても状況的に見ても到底有り得ない事だ。ならば己が先に辿り着いたという事で……故に彼女はその決断を強いられる。

 

「予定時刻を過ぎたら先行、ですか」

 

 事前の打ち合わせで取り決めた約定。約束の時間までに合流出来なければ相手を見捨てて先に行く。幸いまだ猶予の時間は残っているが……。

 

「本当に過ぎたら……」

 

 その時はどうするか?本当に捨て置くのか?それで良いのか?彼女にはその判断が躊躇われた。

 

 単純に己一人でこの事態を切り抜けられると思えなかったし、見捨てるという行為自体に戸惑いもあった。

 

 何よりも、彼女はまだ確かめなければならぬ事があって、互いが生きている内にどうにかしてそれだけは問わねばならなくて……。

 

「ほぉほぉほぉ、此処まで辿り着けましたか。流石に優秀ですな」

「っ!!?」

 

 背後からの心底感心したような声音に彼女は素早く振り向いた。振り向いて、認識する前に弓を構えていた。視界に映りこむのは禿げ頭の蛙顔。直ぐに記憶を手繰り寄せ、それが何者なのかを理解した。

 

 鬼月の姫君を害しようとした、下手人の一人……!!

 

「貴方は、薬師衆のっ……!!っ!!?」

 

 其処まで口にして、彼女は凄まじい速度で躍り込んで来たその存在を察する。察するが、既に手遅れだった。

 

「かひ、はっ!!?」

 

 巨木のように太ましく、逞しい腕で以て文字通りに身体を掴まれる。捕まれる。思わず吐き出すのは息が漏れるような悲鳴。突然の圧迫に一瞬途切れかける意識をどうにか繋ぎ止めて、そして視界にそれが映し出される。頭に茸を生やした片腕の大猿を。猿妖怪の、腐りかけた骸を。

 

「どう、してぇ……!!?」

 

 何故妖が此処に?しかもよりによってこいつが?困惑と驚愕が彼女の頭を支配する。答えは直ぐに返された。

 

「結界は邪な者共を斥けるもの。この寄生菌は原種から大分改良をしてましてな。足は早いが妖気を丹念に削ってくれる。それこそ、結界を通り抜けられる程にねぇ」

 

 より正確に言えば体内に残る妖気を脂肪のように燃焼する事で骸は活動を続けていた。無論、それは余りにも非効率な還元作業であり、この骸が満足に動けるのも後一日も無かろう。

 

 それで良かった。元よりこの菌子に其処まで期待してはいない。桃色の姫君がひたすらに妖を屠り続けていた最中、薬師は胞子を密かに骸共に向けて蒔いていた。現地で即席の駒を拵えるために。そして既にこの者共は役目を終えていた。あくまでもこれは、事態が想定より早く進んでいる故に処分予定の駒を使い回しているに過ぎない。

 

 無論、それこそが拭い切れぬ不確定要素ではあったが……。

 

「さて、時間が惜しい。やるべき事を早くやってしまいましょうかな?それを此方に……」

 

 薬師の言に従って、猿の骸は彼女を握り締めた手を差し出す。目と鼻の先に、突き付ける。

 

「はてはて、どれだったかな……あぁ。これかな?ほら、これを見るといい」

 

 外套の裏に縫い付けた幾つかの小さな木箱を探り、その内の一つを見出だすと彼女の前に突き付ける。開かれた木箱、その内に蠢き巣くうのは無数の蛍だった。

 

 品種改良された蛍の妖……文字通りに妖しく不自然に発光するそれらの用途を、彼女は直ぐに見抜いた。

 

「精神干渉……!!洗脳、するつもりですか!?」

 

 殆んど睨み付けるようにして薬師に険しい眼光を向けて、そして彼女に出来る事は最早それだけでしかなかった。

 

 聴覚による言霊術、あるいは視覚に嗅覚、五感を通じて感覚器官と思考を瞬間的に、あるいは中・長期的に誤認させる幻術、催眠……それが所謂洗脳の術式というものである。だがそれは決して無敵でも万能でもなく、それこそ身構えて事前準備していれば幾らでも対処のしようがあるような使い古された技術に過ぎない。

 

 ……そう、事前の対策が出来ていればの話である。

 

 残念ながら人の身体の構造は何世代経ても本質的には変わらない。多少の霊力の過多があろうとも結局はそれだけの事でしかない。どんな人間も物は視覚で見るし、耳に自由に蓋を出来る訳ではない。脳の活動原理も同様だ。大規模な肉体改造でもしていなければ洗脳に必要な肉体の前提条件は過去も現在も全く変わらないのだ。

 

 故に今この瞬間のように無策で、身体の自由も皆無となると最早抵抗のしようもなかった。それこそ、舌を噛み切るなり奥歯の毒物を潰すなりして自裁する以外に洗脳に抗うための対策は存在しない。

 

 そして今の状況で己が洗脳されるとすればその目的は明らかで……!!

 

「おおっと。勘違いして貰っては困りますな。私は貴女にそのような悪意も敵意もありませんというのに……どうぞ、そのような目で見ないで欲しいものですなぁ」

 

 彼女の予想と焦燥を、しかし薬師は心から心外だとばかりに否定する。

 

「ふざけ、ないで……!!あのような暴挙をしておいて、今更……!!?」

「なればこそ。私の目標は貴女ではない。そして、少なくともこの任においては貴女とは上手くやって行けそうと考えておりましてな」

「何を言って……!!?」

 

 返されるいっそ友好的ですらある応答に声を荒げて困惑して、しかしながらそんな事を交えている間に木箱から蛍共が飛び立った。飛び立って、彼女の周囲を囲むように漂いさ迷う。そしてそれを認識した時には既に手遅れだった。

 

「くっ……!!?」

 

 光が愉快げに踊る。怪しく妖しく踊る。何等かの作用があるのか、目を閉じようと頭では理解していても、瞼は動かない。瞳孔は開きっ放しで焦点は却って光に集中する。集中せざるを得ない。

 

 不味い。もう術中だ。いやこれは、術中……?

 

「これは『幻視蛍』と言いましてな。確かに原種は光で以て幻を見せ、茫然自失とした者を群れで幾日もかけて生きたままに貪る恐ろしい蟲ではある。……尤も、正確には此れはその品種改良版でしてな。用途は真逆なのですよ」

 

 その声音は混濁する意識の中でありながら、まるで染みるようにして彼女に響き渡っていた。

 

「尋問と治療、相反する目的のために改めた此れの権能を以てすれば、直ぐに理解するでしょう。私の言の意味を……ね?」

 

 駄目だ。駄目だ。駄目だ。目を閉じろ。目を閉じろ。目を閉じろ。耳を貸すな。耳を貸すな。耳を貸すな。此れは、此れは、此れは……此れ、は……あぁ……そうか。此れは、つまり……あぁ、何て事だろうか…………。

 

「…………」

「……さてさて。それでは計画の乙案といきましょうかな?どうぞ、上手くやって下さるように」

 

 それが掠れゆく『彼女』の意識が、最期の瞬間に耳にした言葉であった……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 人は誰しも決断を迫られる。極小さな詰まらない選択から人生そのものを左右する重大な選択まで、それは様々だ。

 

 そして、時としてその選択は逃げたり先送り出来ぬ程に緊迫したものとなる時がある。後悔のないように吟味を重ねる事すら許されぬ危急の状況……そう、正しく今この時のように。

 

「……覚悟はいいですか、姫様?」

 

 精一杯、息を整えてから俺は尋ねる。腕の内に抱く幼子に呼び掛ける。

 

 それは賭けであった。延々と続く膠着状態を打破して抜け出すための、文字通りに一世一代の賭け。大博打である。賭け金は自分達の命そのもの、報酬もまた自分達の命……ある意味では全く倒錯していた。

 

「……分かってるわ。他に道はないのでしょう?散々に聞いたわ。精々、上手くおやりなさいな」

 

 問い掛けに幼子は堂々と応じた。当の昔に全部分かり切っていると断言する。

 

 符の内の、本当に細やかな安全地帯の内で、此処に至るまで長く短い時間にひたすらに対話と説明をし続けて来た。既に合意は出来ていた。認識の齟齬はない。その果てがどのような結果となろうとも……互いに恨みっこは無しだと約束した。

 

 ……所詮は正式な契約の呪いもしていない、子供の口約束なのだけれど。

 

「良い心掛けです。……さて、と。では行きますか?」

 

 岩肌に貼り付けられた符を一瞥して、最早それが消費期限ギリギリなのを確認すれば、俺はゆっくりと震える足で立ち上がる。無理に止血を終えたばかりの背中の傷口が疼きに疼く。痛みに痛む。それを堪えて、歯を食い縛って必死に堪え忍んで、姫君を抱き抱える。弱々しくロリなゴリラ様が柔な腕力でゆっくりと抱き締め返す。……僅かに動かせるだけやっぱりゴリラ様はゴリラ様だ。猛毒を食らった子供は普通はそれすら出来まい。

 

 互いに視線を交える。頷いて、覚悟を決める。

 

「それでは皆様、どうぞ御一興を……なんてな?」

 

 片手に起爆寸前の煙玉を掲げて、俺は演技がかって宣言した。当然ながらそれは単なる強がりだった……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 禁地の深林で連続して鳴り響く破裂音。立て続けに広がる白煙。それが合図であった。

 

 直後に上がる悲鳴は妖同士のそれであり、原因は煙玉に遅れて放った臭い玉によるものだった。

 

 三つ拵えた臭い玉の、最後の一つだ。

 

『ヤ゙ッ゙パリ゙イ゙ダナ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!???』

(お早くおいでなすったか……!!)

 

 半狂乱となって怒鳴る怪物に、俺は内心で罵倒する。怒り狂う相手の正体は知っていた。俺がたったの半刻程前に胸元に穴を開けてやったのだから。

 

 ……符の効果で此方を知覚する事が出来なくても、件の怪物は執念深く辺りを警戒し続けていた。植物系らしい実に気長で粘着質な行為である。お陰様で動くタイミングを図るのは困難を極めた。

 

(尤も、対策の時間も十分にあったがな……!!)

 

 俺は無言の内に苦無を放つ。蝿取草相手ではない。有象無象の小妖に向けてだ。

 

 俺の血がべったりと付着した苦無を、くれてやる。

 

『ゾオ゙オ゙オ゙ゴオ゙オ゙オ゙オ゙ガア゙!!?』

(大間違いだよ!!)

 

 苦無の血肉の匂いに反応して、白煙の中で人型から逸脱した巨大な何かが苦無を放った先へと全速力で突っ込んだ。同時に人違いされた矮小な獣共の絶叫が鳴り響く。

 

 背中をザックリ削られた時に血肉の味と匂いを覚えられているとは想定していた。だからこそそれを利用する。植物妖怪は基本待ちの姿勢の存在である。己が嵌める事はあっても嵌められる経験には滅法疎い。知恵無しの、井の中の蛙だ。

 

(だから凶妖の癖に、こんな単純な陽動にも引っ掛かる……!!)

 

 更に苦無を逆方向に放って蝿取草を誘導する。俺自身には来ないのかって?生憎、傷口には塗り薬を無理矢理塗り込んで埋めている。何よりも俺の身体は溝鼠の血で酷い臭いだった。

 

 ……符で結ばれた結界の側を通っていた小妖を短刀の投擲で仕止めて、結んだ紐で引き寄せた。首の動脈を切り裂いて流れた鮮血を衣装に塗りたくれば俺は矮小な溝鼠妖怪である。少なくとも草女は騙せると踏んだ。どうやら期待通りに騙せているらしい。

 

『ゾオオ゙オ゙ゴオ゙オ゙オ゙オ゙ダア゙ァ゙ァ゙ァ゙ッ゙!!!!??』

(さあて、何処だろうなぁ……!!?)

 

 少なくとも真反対なのは間違いない。下僕共と仲良く雑魚狩りでもしてくれや。

 

 ……雑魚が削れれば、その分此方の光明の道筋が見えて来るのだから。

 

(行ける……!!)

 

 煙で視界を遮り、臭い玉で肉壁兼囮を引き寄せて、俺は活路を開く。周囲で響き渡る怪物共の絶叫を全力で無視して全力を振り絞って駆け抜ける。

 

 そして視界が開かれる。雑木林を抜けて、河が現れる。大きな大きな、流れの速い河が前方に広がる。

 

(よし、想定通り……!!)

 

 賭けへの勝利に俺は内心で拍手喝采した。予想はしていた。朝廷からの注文品を求めて猿を追跡する最中に河の存在は目撃していた。水のせせらぎの音が聞こえた時に位置を逆算して同じ河だと当たりはつけていた。確信だけはなかった。だからこその賭けで、そして俺はその賭けに勝った。漸く運気が向いて来たかな……!!?

 

「っ!!」

「!」

 

 抱き上げるロリゴリラ様の肩を三回叩く。事前に打ち合わせしていた合図の一つだ。意味は「しっかり掴まって息を止めておけ」である。

 

 この時のために設定した、合図である。

 

『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙!!!!シャ゙ラ゙クゼェ゙ェ゙ェ゙ェ゙ェ゙!!!!』

「なっ……!!?」

 

 河に飛び込まんとした刹那、背後で轟音が鳴り響いた。豪快に地面が抉れて土砂に大木が空中へと撒き散らされる。白煙が力尽くで振り払われる。

 

 俺達の姿が、晒し出される。

 

『ゾゴガァ゙、ナ゙マ゙ニ゙グゥ゙!!!!?』

「ぐっ!!?」

「下人っ!!?」

 

 刺突してきた蔓からロリゴリラ様を守る。守る代償に肩口の肉が削れる。貫通でなくて良かった。短刀で軌道を逸らしたお陰だ。一撃で刃はお釈迦になった。

 

「行きますよ……!!」

 

 俺は物凄い勢いで迫り来る凶妖を一瞥して、直後には勢い良く息を溜め込んで大河にダイブした。河面に飛び込む直前に俺が見たのは般若のようなおぞましい形相。大量に襲いかかってくる蔓と捕肉葉……それも次の瞬間には視界は水色に染まった。俺はロリゴリラ様をしっかりと抱き締めて深い河の流れに身を委ねる。

 

 河の水面を幾つもの蔓が飛び込んで来るが、余りにも荒々しい河の流れもあって最早其処には誰もいなかった。空を……否、水を掴むだけの徒労に終わる。

 

(やはり、来ないな……!!)

 

 植物妖怪の多くは待ちの存在だ。己のテリトリーに根を張ってその外側に進んで出る事はないという。河の流れに乗ってしまえば最早此方のものである。

 

(あばよっ……!!)

 

 恐らく地上で凄まじく地団駄を踏んでいるだろう草女に向けて嘲りの笑みを浮かべる。後はこのまま適当な場所で河から上がればそれで事態は切り抜け……どうしたロリゴリラ様?そんなに必死に肩叩いて。傷口が疼くんですけ、ど……?

 

(はい……?)

 

 呼び掛けに振り向けば蛇がいた。長い長い河蛇。河蛇妖怪。河を素早く泳ぎながら一直線に此方に迫る。獲物を見つけたとばかりに顎を開いて……冗談だろ?

 

(ちいぃぃぃ!!?)

 

 ロリゴリラ様の「冗談じゃないわよ!!」という意味合いの肩叩きに呼応して河蛇が飛び付いて来た。俺は刃毀れした短刀でそれと取っ組み合う。相手は精々小妖。しかしながら地の利は彼方にあって此方は手負いで息も続かない。苦戦は必須……というか十秒も経たずに苦戦していた。畜生、手足に絡んで来やがって……溺死させるつもりだなこいつ!!?

 

(早くどうにかしなさいな……!!?)

(どうにかって、どうしろって!!?)

 

 互いに視線と合図で会話しながらドンブラコドンブラコと桃でもないのに河流れ。河流れしながらの河蛇の格闘。字面では何処までも間抜けでも、実態は必死であった。文字通りの死闘。待て待て、首に巻き付いて来るな……!!

 

「ンッ……ンンンンンッ!!」

「ンッ……ンンッ!!?」

 

 そして気付いたように先程以上に激しくロリゴリラ様が此方に合図。手足に絡まる所か首締めまでしてくる河蛇を更に首締め返してやっていた俺は苛立ちながらその方向に視線を向けて……思わず溜め込んでいた空気を気泡にして噴き出してしまっていた。

 

 俺達が流される河の先、其処が見るからに深い深い滝になっていた。

 

(ウッソだろおいぃぃぃ!!?)

 

 無言の絶叫をしながら河蛇の首を捻切る。息の音を止められて弛む河蛇を解き捨てる。手足の自由を取り戻す。しかしもう、間に合わない……!!?

 

(姫様、備えて!!)

 

 俺は合図と共にロリゴリラ様の身体を一度息継ぎのために河面まで持ち上げる。天才様の事である。事前に合図自体は設定していたのだ。一瞬で判断して実行してくれている事を願う。

 

「ンンッ!?ごぼっ……!!?」

 

 滝に落ちる寸前にロリゴリラ様を抱き締める。視界が揺れる。滝の底に堕ちていく。衝撃が全身を襲う。気泡が溢れる。視界が激しく回転して、暗転して、そして、そして、そして…………。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『オノレ……オノレェ……ナメテクレヤガッテェ……!!?』

 

 何れ程の刻を経たであろうか?辺り一面に猛烈な死臭が漂う中、それはひたすらに残された事実に向けて呪詛を吐き続ける。

 

『ヨクモ、ヨクモォ……フザケンジャネェゾザコドモガァ!!』

 

 煙玉にて引き寄せられた有象無象共を屠り尽くして尚、凶妖の怒りは収まる事はなかった。寧ろ血肉の匂いが一層怪物の本能を刺激しているようにも思われた。這い寄る蔦と根が死骸の傷に潜り込んでは吸血し、捕肉葉が丸ごと包み込んで溶解する……そうやって空腹を満たす事で漸く怪物は理性を取り戻し、此処に至る原因を思い返す事が出来た。

 

 そうだ。己は立腹していた。このような屈辱は明確な自我を得てから初めての事だった。

 

 例えば、自身よりも強大な存在によって罠を正面から破られるのは理解出来た。そんな事は永い怪物の生からすれば一度や二度の事ではない。それならば良いのだ。

 

 問題は相手が明らかに己よりも無力な存在で、そんな奴らが己を出し抜いて、二度も顔に泥を塗ってくれた事であり、そんな分不相応な事をしてくれた上で悠々と逃げてくれやがった事だった。

 

 まさに屈辱だった。有り得ないし、有り得てはならぬ事だった。己のこれ迄の全てが否定されたような感覚で、凶妖はそれを思い返して再度怒りに震える。打ち震える。

 

『ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙……!!クソガァ゙!!カラ゙ダカモ゙ドラ゙ネ゙ェ゙ジャ゙ナ゙イ゙カァ゙!!!?』

 

 それは激情の暴走だった。凶妖は誰にとは言わずに実際きっと対象を指定していないだろう、ただただそれこそが目的かのようにひたすら罵倒する。宵闇に映る震える巨大な影は妖の心中の憎悪を具現化したかのようで、元の人型から完全に逸脱していた。

 

 ギラギラと暗闇に輝く無数の眼光、どうやって発しているのかも分からぬおぞましい鳴き声が幾重にも重なり、大地には無数の何かが蠢く……冒涜的過ぎるその情景を直に見た者は、十中八九恐怖に卒倒していただろう。化物、端的かつこれ程までに相応しい言葉はない。

 

 ……尤も、このおぞましい姿を本妖は決して気に入っている訳ではなかったが。

 

『クソガァ……クソッ、モドレェ、モドリヤガレェ……』

 

 激しく腹立たしい衝動を理性の欠片で以て少しずつ抑え込み、怪物はその身を屈めていく。肥大化した体組織を縮小させて、濃縮させていく……漸くその姿を下人達に見せた、人を模したそれへと引き戻した。

 

『オエ゙ッ゙、オ゙ヴエ゙ェ゙ェ゙ェ゙ェ゙ェ゙ッ゙!!!??』

 

 そして顔面を裂いて緑色の粘液と共にそれを吐き出す。変色し、半ばまで溶解した無数の鉄玉と釘を。地面に豪快にぶちまける。腐っても凶妖であった。この程度の玩具程度でくたばる手合いではない。

 

『オェ、ハァ、ハァ……ハアァァぁぁぁ……不愉快ダナァ。よりにもよって、アイツらこの姿に似せやがって……!!』

 

 顎を閉じた蝿取草の女王は未だ若干くぐもりがちの声音で忌々しげに吐き捨てる。己が自意識を手に入れた時には既にそうであったこの形状。己を散々に嘲ってくれた肉共の出で立ちがそんな己と類似している事に怪物は激昂していた。

 

 実の所は因果は逆であった。古の昔、朝廷から派遣されてこの禁地の深林を焼き尽くした退魔士達。深林のあらゆる動ける化物共はそれを畏れて逃げ惑った。動けぬ怪物共はただただ嵐が過ぎ去るのを身を竦めて祈り続けた。

 

 ……そして己の凶妖としてのその造形が、まだ自我を持たぬ低級な存在であった頃に本能に刻まれた恐怖から来たものである事を、己をそれと知らずに踏みにじって過ぎ去った退魔士の一人を模したものである事を、蝿取草は自覚する事はない。

 

『フゥ、ふぅ、ふぅぅ……糞ぉ。忌々しいなぁ。憎々しいなぁ。腹立たしいなぁ……畜生がぁ。同じ狼藉が二度も通用すると思うなよぉ……!!』

 

 呪詛。呪詛。ひたすらに呪詛を吐き出した女王は、しかしそれだけでは終わらない。ある意味では下人との戦いはこの怪物にそれ以前とは一線を画す大いなる成長を促した。

 

 これまで大妖であった頃、それ以前の下等な存在であった頃と同じ思考であった植物妖怪にとって一杯食わされたあの戦いはその精神にかつてない刺激を与えたのだ。植物的な沈澱として停滞としていた自意識はより苛烈に、より情緒的に、そしてより柔軟で狡猾になる切っ掛けとなる。最早一日前とは凶妖は別の存在に近かった。

 

『ふふふふふふふ。覚えていろぉ。いつか御礼参りしてやるからねぇ?沢山、たぁくさん、御礼をしてやるわぁ……!!』

 

 凶妖が凶妖らしく邪悪に嗤う。植物妖怪は殊更執拗だ。受けた屈辱は必ず返す。倍返しどころか十倍で。もう個体としての存在は覚えた。逃がしはしない。地の果てまでも追いかけてでも……。

 

『そうだぁ。そうよぉ。そうすればいいんだぁ!!』

 

 以前ならば碌に思いつきもしなかった発想。一定の地域に根を張って縛られる己を動かす術に思い至る。思い至って己の内を妖気で以て少しずつ改めていく。それもまた、怪物の精神の成長した成果……。

 

『アハハハハ!!待っていろぉ!!直ぐに、直ぐにぃ追いついてやるぞぉ!!』

 

 知恵を得た全能感も合わさって、怪物はその取り繕った美貌を邪悪に歪め狂ったように高笑いする。周囲の捕肉葉が、根が、蔓が、それに答えるように踊り狂う。

 

 それはまさに死の樹海の奥底で催される邪悪な狂宴で……。

 

『うぅん……?』

 

 ふと、気配を感じた。それも複数。そして同種の。あの忌々しい肉共の同類のものを。

 

『群れぇ?アイツらのお仲間かなぁ?あははは、だったら丁度いいわねぇ?』

 

 あの忌々しい肉は実際、一度仲間の罠に引っ掛かった。それも手首だけで。ならばもっと数を増やせば?次は手首以外も残してやれば?

 

『きっと引き寄せられるよねぇ?』

 

 そうだ。きっと来る。一度己の樹海から抜け出したのにわざわざ戻って来たようなお馬鹿な肉なのだ。きっと次も来る。それを凶妖は確信していた。あの肉塊の甘い甘い瞳を見ていれば、それは当然の帰結である。

 

 だから……。

 

『こんばんわぁ、新しいお肉達ぃ。私と一緒に楽しく遊びましょうなぁ?』

 

 幾体もの下僕共を引き連れて、凶妖は隊列で以て己の巣に迫る新たな来客達を歓迎した。

 

 上位者にして捕食者の立場として、出迎えて……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 暗い意識の中で爽やかな水のせせらぎの音が耳に響いた。まるで思い出したかのような爽やかな流水の音は実に風流で、歌人であればそれだけでつい筆を走らせていたかも知れない。

 

「けほっ、!!?けほ、けほけほっ!!?」

 

 尤も、直後に肺に感じた猛烈な息苦しさの前に、そんな呑気な考えも消し飛んでしまっていたが。

 

「んはっ!!?けほけほっ!!?はぁ、はぁ、はぁ……生きてる!?私、生きてる、の……?」

 

 砂利の敷き詰められた川辺に打ち上げられる桃色の姫君は、その意識を取り戻すと何度も何度も咳き込んで、息絶え絶えに呟いた。それは何処までも憔悴し、困惑仕切った声音であった。

 

 びしょ濡れの上着一枚の身の幼女は、小さな胸に一杯に息を吸っては吐いて、脳に酸素を補給する。そして記憶を辿る。此処に至るまで何があったのかを思い返す。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……そうよ。滝よ。滝に、落ちた筈なのよ……」

 

 抱き締められて、落下した。幸いそのお陰で身体に食らった衝撃は最小限で、それでも思わず気管にまで水が入り込んで咳き込んで、意識は混濁して……。

 

「引き寄せ……られた?」

 

 首根っこを掴まれた感触がある。そして引き摺られた。妖ではない。人の手だ。

 

 今にも消え入りそうな朧気な意識の中で、確かにあの下人の手の感触を感じて……。

 

「下人!?そうよ、何処!!?下人……!?」

 

 未だ殆んど動かぬ身体で、足下はまだ河に沈んだままに、姫君は叫ぶ。必死に必死に、呼び掛ける。

 

「下人、下人……!!?」

 

 痺れる首を曲げて、震える手で身体を持ち上げて、桃色の姫君はひたすら叫ぶ。叫びながら彼女は怯える。胸の内に凍えるような冷たさが広がる。

 

 もしや、助かったのは自分だけ?そんな考えに思い至って心の臓が締め付けられる。理由は分からなかった。この状況で己一人では助からぬ事を分かっているからだろうか?あるいは……。

 

「下人!?下人!!?返事を、しなさいなっ……!!」

 

 怒鳴りながら焦燥する。同時に思う。どうして役職名で呼び掛けているのかと。あの男の名は何だったのかと。名で呼ばぬから返事がないのではないかと疑って、苛立った。そんな筈はないと分かっていても無意味に不安がる。無意味に後悔する。

 

 興味がないから、頭の片隅にだってその名を記憶していなかった……。

 

「下人!!?げにぃんん!!!?」

 

 最後は悲鳴に近い絶叫になっていて、顔を歪める。怖くて怖くて怖かった。この場に一人ぼっちである事が何処までも怖かった。だから探して、探して、探して……。

 

「えっ……!?」

 

 足元に感触を感じて、振り返った葵は目を見開く。己の直ぐ近くで、身体を殆んど河に沈めて倒れ伏す黒い人形……灯台もと暗しとはこの事だった。どうして今の今まで気付かなかったのか葵は驚いた。

 

「下人!?下人!!起きなさい!!起きなさいな!!?何を寝ているのよ……!!?」

 

 傍らまで身体を引き摺って、肩を叩く。肩を揺らす。怒鳴り付ける。返事はなかった。

 

「けど、息は……あるっ!」

 

 恐らくは、自分を引き揚げた後そのまま力尽きたのだろう、その身体は冷えきっていて、吐息は赤子のように弱々しかった。

 

「下人の、癖に、世話を焼かせる……!!」

 

 安堵して、焦燥して、それらを取り繕うようにして葵は吐き捨てた。そして碌に動かぬ身体に鞭打って、葵は下人を陸まで揚げる。揚げるというよりも転がすようにして水場から引き離す。

 

 必死に必死に、引き上げる。

 

「もし?もし?起きなさい、な……」

 

 どうにか全身川辺から転がした所で葵は殆んど凭れかかるように側に寄る。ぺしぺしと頬を叩き、肩を揺すり、意識を覚醒させんとする。

 

 ……残念ながら、起き上がる気配はない。

 

「……」

 

 ずぶ濡れの装束を着直しながら、葵は周囲を見渡す。幸いにして妖の気配はなかった。いや、もしやこれは……?

 

「だとしたら……悪運の強い事、ね」

 

 誰の悪運なのかは知れないが、少なくともこの場においては次善、三善くらいではあろう。贅沢は言えない。

 

「冷たい……」

 

 意識のない下人の身体に触れる。相当に冷えきっていた。怪我の連続で血が足りないのも理由だろう。このままでは折角繋いだ命もあるいは……。

 

「……贅沢は言えない、わね?」

 

 先程内心で思った言葉を、今度は口で呟く。呟いて、下人を見下ろす。暫し、悩んで黙りこんで……。

 

「借りは……利子をつけて耳を揃えて返しなさいな?」

 

 不満げに鼻を鳴らして、幼い姫君は嘯いた。そして己の上着を、唯一の肌着を、それを少しでも暖を取らせるために水を切って横たわる下人に被せる。そして……。

 

「……えぇい。ままよ!」

 

 僅かに躊躇した少女は、それでも青年に寄り添って……。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『ギャ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙!!?』

 

 下僕の凄惨で悲惨な悲鳴が鳴り響く。蝿取草の女王はその光景に愕然とする。

 

『嘘、でしょぉ……?』

 

 それは圧倒的で、絶対的で、一方的で、眼前の光景を妖は到底信じる事が出来なかった。

 

 だってそうじゃないか?あの狡猾な肉は、それでも己よりもずっとずっと矮小で脆弱だった。あの時も小道具と小細工さえ気をつけていれば己があのように手負う事はなかった。その事を女王はよくよく学習していたから、対策は意識していた。同じ失敗を犯すつもりはなかった。

 

 全く関係のない事だった。どれもこれもあの肉と五十歩百歩程度の雑魚。油断せねば後れは取らない、筈だったのだ。

 

 突如現れた存在は天災だった。下僕たる五体の大妖は瞬く間に殲滅されて、己の差し向ける蔓も根も葉も同様。忍ばせてた背後からの伏兵も今しがた両断された。振り向く事すらなく、である。

 

『ば、ばけ、ものぉ……』

 

 思わずその場にへたりこむ凶妖。長らく忘れていた己の命を脅かす脅威の前に、怪物は完全に思考停止していた。

 

 それはある種の皮肉だった。これが己に一杯食わせた下人と出逢う前ならばもっと有効な行動をしていたであろう。具体的には一層攻めるか、あるいは逃亡か……知恵を自覚し、情緒が一層明瞭となった事で却って凶妖の理性は眼前の光景を信じられずに行動が出来なくなっていたのだ。

 

「こりゃあまた滑稽な事で。こんな山奥の凶妖が人様の猿真似とはなぁ?……それに意外と別嬪とは、さて何処で何を参考にしたのやら」

『お、お、お許しおぅ……』

 

 己を嘲り見下す化物に、蝿取草は即座に土下座した。惨めに服従を示す。ひたすら卑屈に屈伏を示して……そして地の下ではゆっくりと根を這い寄らせる。

 

「お?命乞いか?また珍しい。言葉も話せるたぁ将来有望だな、えぇ?」

『お、お褒めに預かり光栄ですぅ……。その、何とお呼びすればぁ?』

 

 媚びる。ひたすら媚びるように凶妖はおもねる。それは先刻の下人と凶妖との間で交えられた会話の焼き直しだった。……人と妖の立場は逆転していたが。

 

「化物に素直に名乗るかよ。……そうだなぁ。強いて言えば下人衆頭とでも呼べよ」

『ひ、ひひひ……分かり、ましたぁ。下人衆頭様ぁ。私は、こ、ここここのように下人衆頭様に従いますぅ。ですので、ど、どうぞお命だけはぁ……』

「先客がいたな?何処行った?」

『ふぇ?お肉?ウギィッ!!?』

 

 質問に困惑して、直後に己の右腕が緑色の体液を飛散させながら宙を舞う。絶叫する凶妖に、男は先程と変わらぬ口調で今一度尋ねる。「先客は何処だ?」と。

 

『せ、せせせ先客は、あの肉は!そう!あの河に飛び込んで、流されてしまいまして!!本当です!!嘘偽りはありませんよぉ!!?』

「煩ぇ。黙れ」

 

 直後に放たれる言霊術によって、凶妖は一言も発する事が不可能となった。ただただ口を強く結んで冷や汗を流すのみであった。

 

「何時の事だ?今日中の事か?」

『ん、んん、……!!』

「首で返事出来るだろうがど阿呆」

『ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙!!?』

 

 今一方の腕も体液と共に宙に舞い上がり、凶妖は地に倒れ伏す。慌てて首を振って肯定。

 

「そうか。人数は?一人か?それとも二人か?それと……二人か」

 

 二人かと尋ねれば激しく首を振って蝿取草は反応した。

 

「成る程。一日以内に人二人が其処の河を川流れしたと……まぁ、当たりだなこりゃあ。よし、喋っていいぞ」

 

 言霊術の解除と共に悲鳴が上がる。一見すれば両腕を失った少女の泣き叫ぶ姿は見る者の胸を抉る痛々しいものであるが……実行者は欠片も良心の呵責を感じる事はなかった。何なら内心で冷笑していた。

 

『ふー、ふー、ふー?』

「おうおう。落ち着いたか?随分と可愛いげのある顔立ちになったじゃねぇかよ。やっばり牝はこうでなくちゃな。素っ気ないのや鼻持ちならないのはいけねぇ。そうだろ?」

 

 心からの嘲りを込めた男の嗜虐的な物言いに、妖は尚も卑屈に媚びる。媚びた笑みを浮かべる。そして、根を男の周囲に徹底的に張り巡らす。それは怪物の奥の手、切り札、魂に刻まれた権能。全ての下準備が整えば眼前の肉を即座にでも……。

 

「なぁ。さっきから土弄りして楽しいか?」

『っ……!!?』

 

 掛けられた言葉への衝撃と、襲撃と、そして反撃はほぼ同時だった。

 

 地表が抉れる。根は掘り返されて、焼き払われて、灰塵に帰する。己の一部故にその激痛は本体たる凶妖にも降りかかり、再度の絶叫。そして懇願。

 

『オ、オ、オ、お許シを!!?コレハ決して仇なソウという訳でわぁ……!!?』

 

 必死の必死の命乞い。己の美貌と無力さを全力で前に押し出して、その実己の魂を複製した数百もの種をばら蒔く準備を整える。分け身の変型たるその技は、自己保存のための最後の手段で……。

 

「じゃあ死んどけ」

『あ……』

 

 視界一面に広がる光が凶妖の見た最期の光景だった。拵えていた無数の種は無論、己の身体の延長線上でもある樹海の三分の一ごと薙ぎ払われた蝿取草はその意識を霧散させた。残る三分の二の樹海も決して長くは持たないだろう。元来、蝿取草は非常に繊細な植物だった。これ程蹂躙されては残る枝葉も腐るしかない。

 

 こうして蝿取草の凶妖は此処に祓われる。凶妖にしては実に実に、惨めな最期であった。

 

「分け身なんざ小癪な真似しようとしやがって。……てめぇらの考えくらい読めてんだよ。ざぁこ」

 

 燃え盛る蝿取の樹海を一瞥して下人衆頭は何処までも蔑み嘲った。その言葉一つ一つに彼の性格の悪さが滲み出ていた。

 

「さぁて、と。……ほぉ。こりゃあ驚きだ。妖の分際でも事実を吐く事もあるんだなぁ」

 

 手元の、針の複数ある方位磁石を見下ろして男は愉快そうに嘯いた。妖気の満ちる地では普通の方位磁石は当てにはならぬ。男の手元にあるのは呪具である。

 

 もの探しの呪いを仕込んだ簡易的な探索用呪具……二つある針には其々触媒を仕込んでいる。その両方が同じ方向を向いていた。

 

 獲物共は、同じ場所にいる事を証明していた。

 

「衆頭」

「行くぞ。急がず焦らずにな」

 

 下僕の呼び掛けに男は嘲笑いながら命じる。それが上からの注文だった。一時の安息は、より一層深い絶望の呼び水だった。本当に本当に、上は性格が悪いと男は思う。

 

 楽しむように口元を残虐に吊り上げながら、男は思ったらしい……。

 

 

 




 何に対してとは言いませんが正直可哀想と思う読者もいるかもと思いました。どうせ皮剥いだらビオランテ擬きなので問題ないと気付きました
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