和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第一四三話

「あ、うぁ……?」

 

 微睡みの中で微かに甦る意識。漏れるのは渇いた吐息。遅れて俺の身体を苛んだのは悪寒と痛みだった。

 

「こ、れは……?」

 

 全身が酷く底冷えした。関節痛が身体の節々まで襲った。思わず身体を丸めて表面積を抑える。体温の保温を本能的に行っていた。

 

 その余りにも不愉快な感覚は、ある意味では酷く懐かしい感覚でもあった。俺はこの悪寒の正体に覚えがあった。そうだ、例えば冬場に、雪が容赦なく吹き荒れるような中で無理して野良仕事を続けてしまった次の日に陥る感覚だ。

 

 風邪を拗らせて、熱を出した時の感覚だ……。

 

「そいつは……不味い、な」

 

 瞼も開けられずに、それでも怠い頭を必死に回して、熱っぽい吐息は吐き出して、鼻を啜って力なく呟いた。

 

 実際、己の陥った状況は頗る不味かった。我が家の家計を思えば人手が一人欠けるだけで大問題だ。欠けるだけならば兎も角足手纏いになっては洒落にならない。何とかして起き上がって家族に伝え、己を隔離しなければ……唯でさえこの世界は命が軽い。ましてや平均的な生活水準も低いのに我が家は殊更貧しい。最悪、一家が風邪で全滅なんてなったら笑えなかった。

 

 しかし、これは……。

 

「暑い、寒い……」

 

 身体の内側は煮え滾るくらいに熱いのに、身体の表面は酷く冷えて堪らない。それはまさしく典型的な風邪の症状……あぁ、駄目だ。力が入らない。何とかして家族に伝えなければならないのに。

 

「……温かい?」

 

 ふと、懐に心地のよい温もりを感じた。震える手足を思わずそれに絡める。冷たい四肢がそれに重なれば寒さが緩和されていく。温ぎなくて、しかし熱過ぎもしない程好く暖かな感覚……それはまさに完璧な温もりだった。

 

「柔らかい……」

 

 思わず全身で抱き着いていた。僅かに蠢くような感覚がしたが鈍り切った俺の脳はそれを気にする事はなかった。ただただその心地好さだけを求める。

 

「いい匂いがする……?」

 

 鼻孔を擽るのは仄かに甘い香りだった。香の煙か、あるいは香水か、何にせよ今生の人生においては縁のない筈の薫りであった。そして本来縁がないからこそ、殊更実感する事で更に一層それを求めている己がいた。

 

 抱き締める。全身で、それを求める……。

 

「んっ、きゃ……!?な、何が!?下人!?止めなさい!無礼よ……!!?」

 

 声が聴こえたような気がする。気にしない。気にする暇はなかった。今はただこの抱き締める温もりが己の全てだった。これ以外の何物も、何もかもがどうでも良かった。

 

「ひゃぁっ!!?ど、何処に顔を……!!?へ、変態!?やめ、止めなさいって……んんっ!!?」

 

 温かな柔らかさに顔を埋める。グリグリと、甘えるように それを求める。甘さが脳を蕩けさせる……。

 

「い、いや。やめて……お願い、そんな乱暴にしないで、お願い、アイツらみたいには……いやぁ……」

 

 覆い被さり、細やかな抵抗を押し潰す。押し潰して、抱き潰すように締め付ける。この優しい温もりを独占するためには手段を選ばない。選びたくない。寒いのは辛い。苦しいのは辛い。それから逃れるためには、喧しい悲鳴なぞ気にするものではなかった。

 

「ひぐっ。いやぁ……怖いことしないで、お願いやめてよぉ。貴方まで、貴方まで私を、こんなことはぁ……!?」

 

 待て。何かを忘れてないか?何だこの泣き声は?女の子?雪音?待て、違う。アイツじゃない。だって俺はもうあの家とは……なら、此処は何処だ?俺は何処にいる?

 

「俺は……何をしている?」

 

 意識の急速かつ完全な覚醒。そして同時に俺は白い柔肌から顔を離す。

 

「止めて……止めて……げ、にん?」

 

 そして目があった。幼い桃色の姫君と。泣き顔の姫君の、敵意と恐怖と絶望と僅かな困惑を滲ませる潤んだ瞳と。此方に恐る恐ると呼び掛けるその姿が、視界に映りこむ。

 

 何故か己が見下ろす形で、抱き着く形で顔を突き合わせている事に気付く。

 

「あ」

 

 そして俺は理解する。己が直前に彼女の何処に顔を埋めていたのか。ぼやけた意識のままに彼女に何をしていたのか。組伏せるようにして幼い子供の上に容赦なく乗り掛かっている姿勢がそれを明瞭に証明していた。

 

「あの、姫様……えっと。こんばんわ?」

「……他にっ、何か言う事は!?」

 

 何を言えばいいのか分からずに取り敢えず挨拶すれば、殺意すら滲ませた問い掛けが返って来た。混乱して恐慌する頭の中で数瞬考えて、俺は口を開く。

 

「……やっぱり、年が年なので薄いみたいで……ぐばぁっ!!?」

 

 取り敢えず素直な感想を述べた事への返礼は、鼻柱がへし折れそうなくらいに容赦ない頭突きであった。

 

 流石にこれは、残当過ぎた……。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 ……気を取り直して説明をしよう。

 

 極めて端的に言えば、俺達は賭けに勝った。目先の危機から逃げ延びる事に成功し、何ならオマケまで付いて来た。

 

 河流れして滝から落ちて、紆余曲折の果てに偶然流れ着いた先は安全地帯だった。元々水源確保のためにだろう、河岸の一角も範囲に加えた結界の地……俺とロリゴリラ様は其処に辿り着いた。それは非常に幸運な事であった。普通の河岸ならば流れ着いて来た肉塊なぞ近場の妖の御馳走になっていた。

 

 結界の地に流れ着いた事の幸運は更に二点ある。一点目はこれ迄散々食らった傷の化膿と河の水で身体が冷えきった事で風邪気味だった故にその身体を休ませるための休息が安心して出来る点。そしてこの地が元々の目的地であり氷雨と事前に約束していた合流地点であった点である。無理してでも更なる移動をする必要がないのは本当に本当に幸いだった。

 

「死ね、変態」

 

 ……満天の星の下、巨木の幹に凭れこみパチパチと弾ける焚き火の灯火を見つめ続けていたロリゴリラ様の、此方を向いた瞬間に吐き捨てられた鋭く蔑みに満ちる呟きは聞かなかった事にする。意識朦朧故の前後不覚の行いなので許しては、くれないよなぁ。

 

「あー、姫様。お怒りはごもっともです。ごもっともですが……今はその視線は止めてくれませんかね?」

 

 鼻を撫でながら俺は嘆願する。マジその目、弱り目な今は精神的にキツいっす。

 

 ……いやまぁ、確かに完全にお巡りさん案件の自業自得だけどさぁ?

 

「……分かったわ、屋敷に帰ったら覚えておきなさい。この世の地獄を見せてやるわよ」

「帰りたくなくなった……」

 

 冗談とは思えない剣呑な口調に本気でそう思った。というかこの環境でよくそんな尊大な態度を取れるな。流石ゴリラ様だ。尊大さでは誰にも譲らんね。其処が痺れないし憧れない。

 

「えーと……取り敢えず姫様。こんな時に言うのは何ですが……就寝前に食事はされて下さい。何はともあれ腹が減っては戦は出来ません」

「戦なんてしないわよ」

「重箱の隅をつつかないで下さい」

 

 若干水臭くなっている兵糧丸(というか味噌玉)に干物を差し出して俺は突っ込みながら要請する。そう言えば洞窟から動く前にも同じように飯の会話をしたなぁ……。

 

「……嫌よ。だってそれ、見るからに不味そうだもの。水臭いし」

「それでもお食べ下さい。力が出ませんよ?」

「そんな豚の餌、食べるくらいなら絶食してや……」

 

 俺の差し出した晩餐に更なる文句を言おうとした直後、グルグルグルと元気に腹の鳴る音が辺りに響き渡った。それはまるで狙ったかのような完璧なタイミングであった。

 

「……」

 

 耳まで赤くして、ひたすら沈黙して羞恥に耐えるロリゴリラ様。こりゃあ、自分からは何も言い出さんな。此方から呼び掛けねば。

 

「良薬口苦しと言いますからね。医食同源とも言います。……まぁ、今は味は堪えて下さいませ。ほら、お口を開けて」

 

 苦笑しながらそういって、赤黒い猪肉の太棒を摘まんで口元にペチペチと押し付ける。その硬さにムスッと不満げに此方を睨み付けて、次いで干肉の匂いを警戒するように嗅いで、それでも嫌そうな態度を取って、しかし再度の胃の音が彼女に意固地に止めを刺した。

 

「~~~~!!!?」

 

 身体は誤魔化せぬ。何処までも悔しげに唸り、最後は結局咥えこんだ。小さな口で食みこんで、ムシャムシャと小さな歯で良く味を噛み締めて、肉棒は徐々に口の中へと消えていく。最後にごくりと呑み込んで、姫様は宣う。「硬いわ」と。

 

「肉なら鴨がいいわ。姫飯と、蕨餅もね」

「それはまた豪勢な。……干飯と干芋ならありますよ?」

「喉が渇きそうな面子ね……」

「水、というか白湯ですが……飲みますか?」

 

 見せつけるのは予備の竹筒。中に注いだ湧水は安全地帯の物であり、そんな場所から湧いている代物である以上汚染されていない安全な物である。尚、念のために焚き火で加熱した後に自分の身体で確かめている。今のところは腹痛はない。

 

「……飲む」 

 

 若干考え込んだ後、ロリゴリラ様は応じた。哺乳瓶を赤子に咥えさせる……とまでは行かぬが飲みきれずに咳き込んだりしないよう、加減しながら温くなった白湯を流し込む。ごくりごくりと喉を潤していくその姿に、一瞬乳を吸う子牛を思い起こした。

 

「んっ、んっ!!」

「了解です」

 

 視線と合図に答えて竹筒を幼子の唇から離す。僅かに口元の端から零れ落ちた。水滴が首筋から鎖骨に、そして御絞りのように湿りきった着物で隠される薄い胸元まで流れていく……。

 

「見てるんじゃないわよ」

「厭らしい意味合いはないのですがね」

 

 見下すようにジト目で見てくる姫君に弁明するが、当人は一層不快げな表情を浮かべた。

 

「さて、どうかしらね。あんな辱しめをしてくるような奴の言葉なんて信用出来ないわよ」

「私は雑人連中と違ってまな板には興味はありませんので」

「なぁっ!!?」

 

 売り言葉に買い言葉とはこの事である。俺の返事に恥辱からだろう、熟れた林檎のように顔を紅潮させて打ち震える。何なら此方を見る視線には分かり易い程に悔しさや苦々しさ、腹立たしさが滲み出ていた。ある意味で子供らしくもあった。

 

「さぁ、もう一本です。良く食べて良く寝ないと大人に成れませんよ?」

「ねぇ、それってどういう意味な……んんっ!?」

 

 俺の言葉に突っ込もうとして、しかし追加の猪肉ジャーキーを押し付けられてそれは中断させられる。明らかに不満一杯の表情で、しかし口元は親鳥から餌を貰う雛鳥のように唯々諾々と受け入れ続けるのみであった。腹の虫の音で察していたが、どうやら取り繕っていても内心かなり空腹だったようだ。

 

「取り敢えず、今夜は此処で一泊しますよ?どの道動けないんですから」

 

 冗談を言っているがぶっちゃけ熱はあるし関節は痛いし、頭痛はするし、意識は若干朦朧としていた。飯を食わせ終えたら薬を塗って、飲んで、寝込んで体力回復したかった。というかしないとこれから先を切り抜けられない。

 

 俺一人の都合というだけじゃない。ロリゴリラ様も疲れているだろう。彼女にも休息が必要だった。待ち合わせもある。夜中は危険だ。少なくとも日の出まではこの安全地帯から離れるのは自殺行為であろう。まぁ、つまり選択肢がない訳だ。……今に始まった話ではないけど。

 

(色々と憂慮するべき課題は山積みだが……目下の問題は氷雨の奴だな)

 

 合流予定のこの地に、しかし未だに彼女の姿はなかった。勝手に出立したとは考えにくいが……。

 

(寄り道しまくった俺達よりも到着が遅いというのも奇妙な話だよな……?)

 

 無論、向こうも向こうでトラブルに巻き込まれて遅延している可能性はある。これから到着するという希望はあるが……妖が凶暴化する夜中に、この死に満ちた深林を抜けられるのかと言えば、新人下人には余りにも荷が重過ぎる。

 

(だからあの時に付いて来るなっていったのによ……あぁ、糞。断定はするな。まだだ、まだ希望はあるだろうが馬鹿野郎!)

 

 無意識の内に、氷雨が既に死んだものと考えている事に気付いて俺は自身を詰る。そもそも、彼女が付いて来てくれた事で助けられてもいたのだから俺は何も文句を言う権利はなかった。俺が詰る権利があるとすれば、それはきっと俺自身の無力さだけであろう。

 

 ……何度も何度も、同じ過ちを犯す己の無能さだけだろう。

 

「……」

「……どうかしたの?嫌な雰囲気ね」

 

 いつの間にか沈黙していた俺に向けて、ロリゴリラ様が問い掛ける。その問い掛けに我に返って、俺は冷笑した。自虐の自嘲であった。

 

「いえ。何事も振り返りと反省は大事って話でしてね」

「はぁ?」

「干芋は、食べますか?」

 

 何言っているんだ?という怪訝な態度を示すロリゴリラ様の目の前に特大の干芋を見せつけて話を逸らす。相変わらず水臭くなっているがここまでの厚切りの大物は中々お目にかかれない御馳走だった。(下人基準)

 

「……食べきれないわよ。半分にしなさいな」

「勿体ない」

 

 肉も魚も、細切れよりも厚切りが旨いのだが……仕方なしに半分に裂いて咥えさせた。もう半分は布に包んで腰鞄に戻す……。

 

「そっちは食わないのね」

「明日の姫様の分ですよ。自分は……此れで十分です」

 

 粗末な麻の巾着から干飯(古米どころか叩き売りの古々々米)を椀に注ぐ。兵糧丸(味噌玉擬き)も一緒に突っ込んで白湯を注いでいく。ふやけるまで凡そ三十分といった所か。

 

「ねこまんま以下だな、こりゃあ」

「鰹節がないけど?」

「あ?あぁ、地域差ねぇ」

「?」

 

 関東関西におけるねこまんまに対する認識の差異はこの世界でも遵守されてるようだった。というかロリゴリラ様ねこまんま知ってるのね。

 

「猫を飼ってた事があるのよ。女中共に命じて残飯食べさせてたの。ある日毒に当たって死んじゃったけど」

「それはそれは……」

 

 軽いノリで語る内容でもないだろうに。あるいは今の状況と重ねての自虐か……。

 

「本当、甘い見通しだったわ。毒なんて、別に今回が初めてって訳でもないのに……油断していたわ。少し知識を学んだだけじゃあ裏をかかれて足を掬われるものなのね」

 

 そして口を開くロリゴリラ様。俺はそれに応じて干芋を繊維質に沿って裂けるチーズのように千切って食ませる。暫く黙って咀嚼し続けて、ごくりと飲みこんで姫様は感想を述べる。

 

「甘味が薄いわね」

「素材そのままの味ですからね」

「本当に酷い夕餉よ。こんなに酷いのは初めて。良くもこれで働けるわね?」

「だったら此れから待遇改善を意見して下さいよ。予算申請しても下りないんですから」

 

 多分碌に見てないだろう申請書は、十中八九は頭による不許可の判子付きで返されるのだ。一部の消耗品に至っては自腹に自給である。福利厚生ェ……。

 

「……考えておくわ。またこんな食事はご免だもの」

「……」

 

 ロリゴリラ様の返事に今度は俺が黙り込んでいた。弱気な発言もそうだが、何よりもその意味に俺は緊張していた。

 

(また、か……)

 

 つまりは彼女自身、今回を切り抜けても万事解決とは行かぬと考えているのである。それどころか今一度陰謀を仕掛けられるとも……本当に傲慢不遜な原作ゴリラ様らしくない物言いだ。

 

 これを成長と呼べるのか、喜ぶべき変化と歓迎出来るのか、今の段階では断言出来そうにはなかった。

 

「少し早いが……」

 

 椀を上げて兵糧丸と干し飯ででっち上げたねこまんま(関西風)を口の中に流し込んでいく。相変わらず辛くて苦くて酸っぱくて甘い兵糧丸の味に苦虫を噛みしめて、ガリガリと硬い米を噛み砕く……。

 

「不味っ」

 

 小さく冷笑するように呟く。何に対する冷笑なのか、自分にも分からなかった。ただ、この不味いねこまんま擬きの残りを無理矢理にでも流し込んでいく。さっさと飯を終えて寝てしまいたかったからだ。

 

 さっさと眠ってしまって、一時的にでも嫌な感覚から逃げ出してしまいたかったから……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 食べ終えて、手当てをして、ロリゴリラ様が風邪を引かぬように上着に更に敷物として使っていた薄布も被せて、火が消えぬように薪を幾つか追加で放り投げてから俺は就寝する。

 

 否、正確に言うならば薬の効果で痛みを誤魔化して、漸く瞼を閉じた意識が朦朧となり始めた矢先に、その悲鳴は響き渡った。

 

「いやあぁぁぁぁぁっ!!!??」

「っ!!?」

 

 幼姫の絶叫に俺は目を覚ます。鈍痛の続く頭を無理にでも回転させて、即座に苦無を構えて周囲を警戒する。しかしこれは……何の気配も、ない?

 

「いやぁ、いやあぁ!!?こんなの、こんなのっ嘘よぉ!!?」

「ひ、姫様……?」

 

 周囲の脅威が皆無なのを理解して、俺は木の幹に凭れるロリゴリラ様の元に駆け寄る。寝込んだままに、動かぬ身体でそれでも芋虫のようにのたうち悲鳴をあげ続けるその姿を観察する。別にそういう趣味ではない。元より下人衆にて師に教育されていたからだ。

 

「異常は……ないな」

 

 ここで言う異常とは精神操作や幻術、呪いの類いを仕掛けられているかという意味だ。そして素人ならぬ下人目から見るとそのような様子はない。見る限りこれは恐らく……悪夢、か?

 

「姫様?姫様?落ち着いて下さい!!どうしました!!?」

 

 危険はないと判断したら行動は早かった。駆け寄って、身体を揺すって必死に呼び掛ける。何度も何度も揺すると漸く幼姫はカッと目を開いた。

 

「ひぃ゙ぃ゙っ゙!!?」

 

 恐怖に竦み上がった声音。目玉が飛び出んばかりに見開いて、目元に涙の粒を溜めている。焦点は合っていないように思われた。荒い息をしながらギョロリギョロリと周囲を警戒する。あぁ、こりゃあ大分酷い夢を見たな。内容は……大体想像は出来る。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ゆ、夢?」

「少なくとも先程まで姫様は寝ておられました。自分が観察する限りでは脅威は感じ取れません。何か、疑問点はありますか?」

 

 周囲の全てが半信半疑とばかりに怯えて怖じけるロリゴリラ様に向けて俺は報告する。本来ならばこの年頃の子供は取り敢えず慰めてあやしてやるべきなのだろうが……ゴリラ様の性格的には逆効果かも知れないと考えてそれは取り止めた。馬鹿にされてると思いかねない。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……そ、そう」

 

 荒々しい呼吸を必死に落ち着かせようとして、高ぶる感情を必死に沈静化させようとして、混乱する思考を必死に纏めようとしているのが一目で分かった。

 

「そうよ。夢よ。所詮夢だわ。戯言だわ。アイツらの戯れ言なんて……戯れ言なんて……そうよ。馬鹿馬鹿しい……」

 

 何事かをぶつぶつと呟き続けるロリゴリラ様。そして漸く平静を取り繕って……。

 

「そうよ、大丈夫。大丈夫。私は、私には………下人?」

「はい」

「~~~~!!!?」

 

 今更気付いたようにぱっと俺を見る。返事をすれば暫し唖然、そしてみるみると顔を赤くして目元の涙を慌てて拭こうとする。身体の麻痺を忘れているためにそれは結果として姿勢を崩すだけに終わった。

 

「わっ……」

「危ないですよ。涙、拭けば良いのですか?」

「要らないお節介よ!!そんなの、一人で出来るわよ……!!」

 

 崩れるロリゴリラ様の身体を支えて尋ねれば返って来たのは反発だった。反発と共に、目元は一層潤んで腫れていて、鼻水を啜る音も響く。姫君としては相応しくなかった。しかし、年相応ではある。

 

「強がりは良いですが出来る事と出来ない事は区別して下さい。……どうせここまで散々姫君らしからぬ光景を晒して来たんですから、今更涙程度で意地を張る必要はないでしょう?」

 

 そういって俺は手拭いを取り出す。涙と鼻水を拭くためだった。

 

「卑しい身らしい考えね……!!貴人の心が分からないのかしら!?」

「貴人ではないので何とも。……其処まで言うのでしたらいっそ、記憶を弄れば良いでしょう。この騒動が終わった後にでも、自分の恥ずかしい記憶をゴッソリ削れば良いのでは?」

「……貴方、正気?」

「後遺症を残さずに、必要な記憶だけでしたら考慮しましょう」

  

 敵意から一転して怪訝な視線を向けるロリゴリラ様に向けて俺は補足説明した。正直口からのデマカセだ。この場での、そして此れからのロリゴリラ様の強がりや痩せ我慢を抑止するためのその場凌ぎである。後の事なぞ知った事ではない。

 

 恐らくはロリゴリラ様の観察眼を以てすればその事はもう気付いているだろう。しかし……この場において大切なのは実行するかではなくそのような選択肢があるという提示であり、今の互いの関係を誤魔化すための言い訳であった。

 

「……適当な事、口にして!」

「気は楽になるでしょう?はい、チーン」

「鼻提灯は出て……んっ!?」

 

 忌々しげに吐き捨てるロリゴリラ様の顔に手拭いを押し付けて鼻を擤ませる。ズルズルズル、と姫君らしくない擬音が鳴る。ねっとりとした水洟が糸を引く。垂れ落ちぬようにさっさと包んでしまう。

 

「……自分がどんどん乙女からかけ離れているわ」

「子供が背伸びする必要はないでしょうに」

「もう寝る!!」

 

 ロリゴリラ様の何度目か知れぬ憤慨に俺は肩を竦める。竦めて、眉を顰める。小さな手がゆっくりと持ち上がって、俺の腕を握って来たからだ。

 

「何のおつもりで?」

「無責任な事言って、夜中に逃げないように監視するの。分かった!?」

 

 強がって、宣言する姫君。僅かに手が震えているのは麻痺毒によるものだけか。それとも……自意識過剰で無粋だな。

 

「……姫様のお望みのままに」

「いけしゃあしゃあと!」

 

 俺の応答に鼻を鳴らしたロリゴリラ様は、しかし先程までの動転も忘れたように眠り込んだ。彼女の本来の腕力からすれば弱々しく、しかし今の彼女にとっては精一杯の力で手を握り締めながら……。

 

「……そうだ。下人」

「何でしょうか?」

「お前の名前、もう一度教えなさいな」

「……?」

 

 俺の怪訝な態度に対して、幼姫は若干不機嫌そうな口調で以て、視線を逸らして答える。

 

「忘れて、しまったのよ。……暫く同行するのだから、何時までも下人下人と呼ぶのも何か……歯切れが悪いでしょう?」

 

 此方の機嫌を窺うようにして質問の理由を説明するロリゴリラ様。悪夢で気弱になっているのだろうか、殊勝な話である。

 

「……下人衆所属、名を伴部と申します」

 

 本名ではない、とは言わなかった。どうせ其処まで説明する意味もなく、興味も無かろうから。俺と彼女は其処まで深い仲ではない。所詮今、この瞬間だけの呉越同舟であった。

 

「そう……」

 

 此方の意図を何処まで認識しているのか、ただ小さくそう呟いて、暫く此方を真っ直ぐに見つめた姫様。そして再度瞼を閉じる。

 

「……お休み、伴部」

 

 眠り込む前のその小さくて幼い声音は、これ迄聞いた中で一番穏やかで落ち着いているように思えた。……気のせいかも知れなかったが。

 

「……お休みなさいませ。姫様」

 

 俺は囁きながら、その小さな掌を程好い握力で握り返した。手を繋いでいる以上多少姿勢を無理して、それでも彼女に寄り添った。瞼を閉じるロリゴリラ様から叱責はない。俺もまた睡魔に導かれ、再度瞼を閉じて眠りの世界へと落ちていく……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……その、ねぇ?お花摘みに行きたくなったのだけれど」

「……真剣な話。帰ったらマジで記憶消してもいいですよ?」

「帰った後の事より、今を早くして頂戴な。……あの。その、ずっと我慢してて、正直限界なの」

「何時からですか?」

「一刻くらい前から」

「……我慢は身体に毒ですよ?」

 

 文字通りに毒が排出されないから、とまでは言わなかった。彼女の名誉のために。

  

 取り敢えず、何がとは言わぬがどうにか要望には間に合ったとだけ、此処に明示しておく……。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 次に目が覚めた原因は悲鳴によるものではなかった。極普通に、意識が醒めただけの事である。強いて言えば何処からか野鳥らしき鳴き声は聞こえた。ぼやける視界に紫色の蝶達が舞って……。

 

「……蝶?」

 

 疑念と既視感を覚えて、上半身を起き上がらせる。目元を擦って今一度見ればそんなものは何処にも存在しなかった。気のせいだろうか?

 

「いや、それよりも……」

 

 明るい日射しに俺は空を見上げる。既に日は昇りきっていた。朝方と言うには憚られる。最早日時計は昼間に差し掛かろうとしていた。

 

「一晩寝たら、案外どうにかなるものか……」

 

 未だ鈍く頭痛が響く中、俺はぼやいた。傷口は未だに痛むし赤く腫れているが……高熱や関節痛は大分緩和されていた。薬子から貰った傷薬と丸薬が効いたのだろうか?だとすれば効果覿面とはこの事だ。屋敷に帰れたら土下座しないとなるまい。

 

「……全く、ぐっすり眠ってくれやがる」

 

 いつの間にか手を繋ぐどころか傍らで抱き着くようにして熟睡していたロリゴリラ様に俺は視線を向ける。視線を向けて正直呆れる。

 

 何せ姫様は本当に本当に、ぐっすりと眠りこけていた。涎を垂らして小さく吐息を漏らす様を見れば、ちょっとやそっとでは到底起きそうにはなかった。完全に無防備に思われた。

 

「まぁ、色々あったからな……毒に当てられているし、疲れているか」

 

 尊大過ぎる態度と悪鬼羅刹染みた化物具合に忘れそうになるが一応は十歳にもなっていない子供なのだ。余りその姿を詰るのも酷であろう。余りに大人気ない。

 

「顔でも、洗うか……」

 

 起こさないようにゆっくり丁寧に腕に絡まる小さな指を解いていき、ヨイショと足に力を入れて立ち上がる。立ち上がると共に若干目眩で立ち眩みを覚えるが……どうにか身体を支えきる。そして歩き出した。

 

 足を運ぶ先はこの結界の安全地帯の一角、湧水の出る泉である。

 

「ここ、だったな……」

 

 直ぐに其処に辿り着いた。元より狭い土地であったのもあるし、水源から離れたくもなかった事もある。

 

 青々しい苔の繁る岩壁から流れ落ちる清水が、小さくなだらかな川を流れていく。周囲に生い茂る草木は良く見ればそれらの大半が低級ながら多種多様な霊草の類いである事が分かるだろう。中には水土の毒素を濾過して無害化させる種類の物も含まれていた。

 

「此処を拵えた連中が植えていった、って所だろうな……」

 

 水の補給は旅における死活問題だ。水源の安全性を担保するためだろう、此処に結界を張った朝廷やら退魔士家の者達が撤収前に後生の同業者に配慮して植えたのだと思われた。無論、流石に飲料にするにはそれでも煮沸するが……。

 

「まぁ、洗顔やうがい程度ならば十分だろう」

 

 そんな訳で俺は洗顔にうがいに、最後には布を濡らして身体を拭いていく。序でに傷跡には追加で塗り薬を塗っていく。

 

「ははっ。こりゃあ、背中の傷は残るかなぁ……?」

 

 水面に映し出された背中の傷を観察して、実際に触れて見て、撫でて見て、俺は嘆息した。傷なんてもう全身に幾らでもあるが、だからといって増えて嬉しいものでもなかった。傷は男の勲章なんて言葉は俺は信じていない。

 

「氷雨の奴は……後で一周するか。何なら、少し結界から出た場所を探索してもいいかもな」

 

 装束を着直して俺は平静を取り繕ってぼやく。平静を取り繕っても尚、誤魔化し切れない重苦しい声音だった。

 

(糞、これじゃあ道理も義理もあったもんじゃねぇ……)

 

 元上司から託された事もあるが、それ以上に俺が個人的にも絆されてしまっていた。決して長い時間ではないが後輩として接して、共に行動した。厄介事に巻き込んでしまった負い目もある。何よりも俺よりも年下なのだ。死ぬとしても順番が違う。アイツが先に死ぬべき理由はない。

 

「いや、俺だってこんな場所で死ぬつもりはないけどさ」

 

 命大事に、である。彼是言った所で俺も己の命は大事だった。己の命と引き換えに……何て覚悟はない。助けるとすれば、自分の命もだ。こんな糞っ垂れな一件でこれ以上死んでやるものか。ヤンデレサイコファザーの拗らせた陰謀にそんな価値はありやしない。

 

 そんな事は、あってはならない……。

  

「……」

 

 暫しの間、俺は湧水の流れる小川に佇み続けていた。清らかな流水の音だけが場に響く。その穏やかなせせらぎに焦燥する感情を宥める……。

 

「……?」

 

 ふと、川の水面にその影を捉えて、俺は振り返った。湧水が漏れる苔繁る岩肌の、その真上にその人影は佇んでいた。

 

「っ……!!?誰だ!?」

 

 思わず身構えて、しかし一瞬後にその正体に気付いて臨戦態勢を解いた。

 

「氷雨……?氷雨じゃないか!!」

 

 岩壁の上から此方を見下ろす彼女に向けて、俺は心からの笑みを浮かべて呼び掛ける。呼び掛けて、駆け寄っていく。身体に残る痛みなぞ、今はどうでも良かった。

 

「良かった!!無事だったんだな!!?怪我はないか!?大丈夫か!?」

「……」

 

 一気に語りかけても仕方ないのに、俺は喜びを堪えきれずに質問攻めする。それだけ嬉しくて、それだけ安堵していたのだ。後輩の無事、それだけで今の心の荷の半分が下りた気分だった。

 

「腹、減ってないか?夜通し深林を抜けていたんなら食べている暇なんかなかったろ?食べてから休息しようか?何、此処は安全……」

「うわあぁぁぁっ!!?」

 

 悲鳴に俺は慌てて振り向いた。ロリゴリラ様の悲鳴に襲撃でもあったかと身構える。実態は違ったが。

 

「何処!?何処に行ったの!?下人……伴部!!?何処、何処にぃ!!?」

 

 鳴り響く悲鳴の中身に、俺はある意味で安堵した。単純に俺が居なくなった事に、逃げたと思って恐怖したのだろう。向こうから切実ではあろうが俺からしたら脱力物であった。

 

「姫様!!御安心下さい!!自分は此処です!今そちらに!!」

 

 俺は大声で叫んでロリゴリラ様を宥める。宥めようとして、しかし逆効果だったかもしれない

 

「!!?そっち!?そっちなのね!!?今、今行くわ!!今……!!?」

 

 その殆んど絶叫に近い返答に俺は顔をしかめる。

 

「落ち着いて下さい!!今そちらに行きますから!身体に障りますので動かないで!!」

「今、今そっちに……!!すぐに行くわ!!行くもの……!!!!」

 

 俺が其処に留まり迎えを待つように言っても無駄だった。己の欲求のみに従うようにひたすらにロリゴリラ様は叫ぶ。叫ぶだけでなくて、多分向かっていた。それだけ動転して、恐怖している証左であった。

 

 ……無論、彼女の立場からすれば責められない話ではあるが。

 

「困ったな。我を忘れてる。氷雨、疲れている所を悪いが同行してくれ。今の姫様をあやすのは少し手間取りそう……だ?」

 

 向き直って氷雨に要請して、そして漸く俺はその異常に気が付いた。先程から彼女が一言も話していない事に。彼女の纏う装束がまるで隠行衆を真似たような代物に変わっている事に。そして、その雰囲気が冷えきっている事に。

 

「……」

「あ……」

 

 無言のままに一歩前に出た氷雨。そのまま岩壁から落下する彼女は、俺がそれを認識して助けに向かう前に消えていた。跡形もなく、それはまるで視界から消失してしまったみたいで……。

 

「氷雨……」

「……」

 

 ……気付いた時には氷雨は目の前にいた。まるで瞬間移動でもしたかのように、まるで懐に入り込むように、沈黙のままに彼女は佇んでいた。奇妙な事に、俺は欠片もその動きを捉える事が出来なかった。

 

「……氷雨?」

 

 思わず混乱して、困惑して、再度後輩の名を呟いて、そして俺は遅れてその事を認識した。口元に溢れる鉄の味を。口元が濡れる感覚を。口の端から滴る、その粘り気のある液体の感触を。

 

「……?」

 

 思わず触れて、目撃する。指先にびっしょりとこびりついた赤い赤い赤黒い鮮血を。唖然として、呆然として、懐に潜る後輩を再び見下ろす。

 

 胸元に深々と突き刺さった短刀が映りこんでいた。

 

「あ、ぇ……?」

 

 遅れてやって来る痛みと熱。嘔吐感。それらを全て無視して俺は眼前の少女を見る。冷たい瞳と、視線が交差する。

 

「伴部!?伴部……!!?」

「氷、雨……?どう、して……っ!!?」

 

 騒がしかったロリゴリラ様の悲鳴が、嫌に遠くに聴こえた。後輩の所業への問い掛けは、それを最後まで口にする事は叶わなかった。無理矢理に短刀を引き抜かれて、肘で頭を殴り付けられて地面に吹き飛ばされる。

 

「伴部っ!?伴部……!!?」

 

 背後から何度も何度も地面を引き摺るような雑音が響いて、叫び声が響いて、しかし俺はそれに反応する余裕はなかった。胸元の傷口を押さえて、殆んど血の痰を吐き捨てる。そして力なく見上げる。俺を見下す彼女の姿を。

 

 下人衆新人氷雨の姿を。いや……隠行衆・本家直轄梟察使、婢簔眼の姿を。

 

 鬼月家傍流、帳外血族。鬼月婢簔眼の姿を……。

 

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