和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 Survieさん依頼、会飞的小鱼酱さん製作でファンアートを頂きましたのでご紹介致します。

 此方は鬼月雛及び黄曜イラストです。実に凛々しく誇り高そうな女剣士ですね(尚、内面)
https://www.pixiv.net/artworks/111972437

 続きまして此方は妹姫・ちびキャラverとなります。マスコット姫様可愛い。
https://www.pixiv.net/artworks/111972684

 大変素晴らしいイラスト、誠に有り難うございます!



追記:UA1000万達成しました。読者の皆様のこれまでのお支えに感謝致します。


第一四四話● みりおん!×一〇

 扶桑国に限らずではあるが東方地域の文化において御家は第一である。それは公家や武家ならず、退魔士家もまた同様だ。

 

 そして武家においては御家を守るための一つの手段として長子相続が絶対視される事となった。遺産相続に対して兄弟姉妹で等分するのではなく後継者がその大半を独占するのは資産の細分化を防ぎ、「家」の衰退を回避する上での手段であった。

 

 退魔士家はそんな扶桑国の文化に影響されつつ、同時に「退魔士」という特性上独自の価値観が形成された。

 

 彼ら彼女らにとって最も大事なものは霊力であった。性別なぞ問題ではない。異能は考慮に値するが次代に安定して受け継げるものでもない。霊力の総量こそが最も安定して次代に残し易い事を、婚姻相手を善く善く選ぶ事によって代を重ねるごとにそれが一層いや増す事を、長い経験則から学んでいた。

 

 自分達の、一族の繁栄と生存を賭けているのだ。生まれて来る子供の霊力は何よりも重視するべき事柄で、家によってはそれこそ霊力を受け継げぬ者、受け継いだ霊力が微弱な者は間引かれ、あるいは奴隷扱いで蔑まれ、あるいは捨てられるような事例だって存在する。

 

 特に扶桑国建国以前の霊力持ちは流浪の傭兵集団である。其処ら中に上位の化物共が屯し、人の土が少ないために最低限の物資すらも安定して手に入らぬ。故に彼らは力を渇望し、無駄に穀を潰す落ち零れは足手纏いであり、良くて捨て駒の囮だった。この一族の下層は後年に多くの退魔士家が設置する所謂「下人衆」の源流の一つでもある。

 

 太平の時代、それでも先鋭化した古風の武闘派一族が自分達の「品質」と「評判」を維持するために狂気的に無能な枝木の剪定を行う一方で、鬼月家を筆頭とした身代の大きい一族は時代の変化に柔軟に適応した。一族の数を、彼らは武器とした。

 

 かつてならば間引かれるような弱き者も彼らは再利用した。退魔士に向かぬ者にも才あれば一族の政務や裏方、あるいは資金を与えて地主や商人として立身させる。奴隷王朝の末路からも分かるように、退魔士は元来、その職務の都合上世俗の政治や経済活動に集中出来ぬ立場。これ等の分家相手に呪いで絶対的な上下関係を築き上げ、使役して、取り立てた資金に人脈を活用する事で大身の家は更なる繁栄を手に入れた。極々稀に世俗化した家に生まれて来る突然変異的人材もまた重宝される。

 

 ……本家、あるいは主要な分家にて認知された者ならばそれでも良かった。全員が幸運にありつける訳ではない。

 

 分家に生まれるのはまだいい。妾腹や側女、あるいはそれ以下の腹から産まれるのもまだいい。認知もされぬ立場なのはまだ救いがあって、霊力が膨大ならば、あるいは欠片もなければ幸いだった。悲惨なのは中途半端に霊力がある場合で……。

 

 稀に隠行衆に、極稀に下人衆にも鬼月の一族の者が供される場合がある。その多くは外聞が悪過ぎるような腹から産まれて来た一族の汚物だ。折角の霊力持ち、ただ間引くのではなく有効活用しようという意味合いでしかない。本人すらも己の出自を知らず、極少数の一族の者だけが全容を把握している。

 

 ……極々稀に、其処にも人材が供される。隠行衆の半独立的なその集団に。

 

 隠行衆梟察使、鬼月家本家上層部直轄のその集団の役目は鬼月家及びその下部組織の監視と粛清を筆頭とした汚れ仕事。決して公にして言えないような仕事を命じられる、鬼月の闇の一つであった。

 

 そして鬼月婢簑眼……鬼月のある分家の帳外に生まれた彼女にとって、其処こそが自身の真の所属であり、既に若手の要員として幾度となく課せられた任を果たして来た。

 

 そんな彼女が此度与えられた任務、それは……。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

「か、はっ……!?じ、冗談じゃ、ねぇぞ……!!?」

 

 殆んど血飛沫のみの咳と共に俺は吐き捨てた。吐き捨てて、身体を地面に這わせて後退る。視線の先に映るのは血濡れの短刀を手にした後輩。いや、後輩だった少女……。

 

(どうなってる!?どうなってる!!?何がどういう事なんだよ……!!?)

 

 何度も何度も咳き込んで、頭の中は疑念で一杯となって混乱していた。彼女の行為の意味が、理由が、原因が一切分からなかった。

 

「痛い、じゃ……ないか……?どうした?何か悪い物でも……食ったのか?先に飯食ってたのを、怒ってるのか?はは、食い物の恨みは、怖いから、な……?」

「…………」

 

 取り敢えず時間稼ぎと情報収集のために冗談めかして呼び掛けて見る。残念ながら氷雨はそれに答える事はなかった。一歩、二歩、と短刀片手に此方に迫る。俺はそれに応じて一歩、二歩と下がる。距離を保たんとする。

 

「どう、して。こんな……」

 

 此方を見つめる少女の顔の造形は別れる前と変わらず、しかしその表情は何処までも無機質で、それでいて氷を思わせる程に冷徹で……あの子犬のような人懐っこい雰囲気は欠片も見えなかった。

 

 まるで、人が変わってしまったように……。

 

「っ!!?」

 

 音もなく、注意が向けられない程に自然な形での肉薄。隠行術の技能の一種だと思われた。突き立てられる真っ赤に染まった短刀を、護身に身につけていた苦無で寸前で受け止める。刃を逸らす。金切音が響き、火花が飛び散る。

 

(反応出来た!?なら、さっきのは……!!?)

 

 しかしながら俺の脳裏に過ったのは喜びではなく、疑念だった。俺の胸元を突き刺した一撃は欠片も反応出来なかった。迫り来る姿を少しも認識出来なかった。それが二撃目は……明らかにそれは異様な事態だった。不釣り合いな事象であった。

 

「はぁ、はぁ……糞がぁ!?」

 

 苛立ちを吐き出しながら俺は即座にカウンターを仕掛ける。苦無で視線誘導しつつ、氷雨の足を払う。足を払おうとして、寸前で回避される。払う足を跳躍して乗り越える。

 

「あまり!若い娘がしていい姿勢じゃ、ねぇぞ……!?」

 

 獲物を狙う猫、否、牝豹を思わせるのように臀部を突き上げ背を低くして、殆ど四つん這いで迫り来る氷雨に俺は叫んだ。

 

「……!!」

 

 返答はなかった。ただ短刀を逆手持ちに変えて、跳躍して刺客は襲いかかる。

 

「ちぃぃ……!?」

 

 一気に接近してきて、横合いからフェイント交じりに迫る首筋目掛けた刺突を、しかし俺は首を引き下げる事で寸前に避け切って見せる。避けてそのまま氷雨の懐に入って手首を押さえつけんとする。

 

 此処までの戦闘と逆手持ちの行動で分かっていた。氷雨の身体強化は不完全だ。正確には俊敏性に割り振られていて単純な腕力は其ほど強化されていない。逆手持ちは肉弾戦向きであり、筋力で劣る者でも力を入れ易い構え方であった。

 

「つまりは、力不足を補うためにって……痛ぁ!?」

 

 短刀を構える右手首を捕らえて勝利宣言しようとした直後、今一方の腕が袖口から抜いた針を首に向けて突き刺して来た。より正確にはギリギリで気付いてガードしたので腕に突き刺さった。当然ながら涙が出そうな程に糞痛い。

 

「先輩に、何しやがる……!!?」

「っ……!?」

 

 痛がり続ける訳にも行かない。両腕が塞がっているのは好機でもあった。足を振り上げる。後輩の腹部を蹴り上げる。蹴り上げようとして氷雨は身体を捻った。針から手を離して身体を横に捻って蹴りを避ける。空いた手による手刀は己の右手を捕らえる俺の腕に叩きつけられる。

 

 霊力によって強化した、渾身の一撃だった。

 

「ぐおっ……!!?」

 

 肉だけでなく骨にまで響く鈍痛。多分骨に皹が入った。腹にまで来る衝撃……しかし此処で単に手を放したら待っているのは短刀の一突きである。だから俺は苦無を振り上げる。

 

「……!!」

 

 反撃に警戒して、緩んだ腕から利き腕を引き抜いた氷雨は仕掛けなかった。寧ろ後方に跳躍して距離を取る。距離を取って、背を低くして短刀を構え続ける。相変わらず、その瞳は冷たかった。

 

「ははは。お前が短刀なんて、似合わねぇぞ?弓は……どうした?無くしたか?ドジっ娘め……」

「……」

「無視かよ。はっ、本格的に辛いな」

 

 左腕に突き刺さった針を引き抜いて、胸元の傷口には手拭いを文字通り押し込んで止血する。幸い、肉は切り裂かれても内臓も血管も紙一重で無事そうだった。血さえ止まればどうにかなりそうだ。……ギリギリだけど。

 

「伴部!?伴……部!!」

「っ!?姫様、危ないです!来ないで下さい!!……ちっ!!?」

 

 背後の茂みから這うように姿を見せたロリゴリラ様に俺は今更思い出して慌てて警告する。その一瞬の隙に氷雨は警戒しながら後退る。

 

 そして消えた。跡形もなく。最初の一突きの時のように。

 

「何処に……っ!!?」

 

 氷雨が何処にいるのかに思考が向かい、しかし直ぐに俺は優先するべき事を判断して駆け出した。此方に向かうロリゴリラ様に向けて疾走した。そして、抱き抱える。

 

「きゃっ!!?」

「姫様、移動します。舌を噛まぬように……!!」

 

 そういうや早く、俺は霊力で強化した脚力でこの場から全力で退避を開始する。鬼月葵、彼女の身の安全の確保はこの場において最も重視せねばならぬ事であった。

 

 鬼月の当主の、魔の手が届かぬように……。

 

「糞、糞、糞……!!どうして、こんな事に……!!」

 

 投擲や弓射を食らわないように岩や木々も活用して左右に不規則に逸れながら走り続ける。周囲を幾度も幾度も見渡して、文字通りに血反吐と共に俺は吐き捨てる。呪詛とも怒りとも罵倒とも言えぬ言葉を、ひたすらに……。

 

「…………」

 

 抱き抱えられる桃色の姫君は、そんな俺に向けて何も口にする事はなく、今は唯振り落とされぬように抱き着くのみであった。

 

 薬の抜けきっていない、弱々しい両腕でしがみついて……。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 見通しの良い小丘で、逃亡する目標を下手人は見据える。沈黙しながら、見据え続ける。ふと背後からの気配に彼女は振り向いた。蛙顔が其所にいた。

 

「おやおや、逃がされたので?中々良い線を行っていたと思うのですが……此れも御当主様の御指示ですかな?」

「……」

 

 薬師の言葉に唯頷く少女。此処で獲物を仕留めるのは易い事だった。何なら此処からでも弓で狙い射てる。それをしないのはただ指示だから。それだけだ。

 

 無論、狡猾に抵抗された事で与えるべき苦痛は若干、予定を下回っているが……誤差の範囲であろう。大勢も結末も、結局は変わりはしないのだ。

 

 寧ろ、抵抗する程に余計に苦しむだけで……。

 

「私に対してもですが、本当に趣向が凝っておられる。相当に恨まれておりますな、アレは」

「……」

 

 肩を竦めて冷笑する薬師に、彼女は、やはり返答する事はなかった。無駄話に興じる程に彼女は酔狂ではない。視線は正面に戻して、逃走する方向を確認する。木々の中に完全に人影は隠れてしまう。彼女は踵を返す。

 

「……」

「先程、式が来ました。明日には合流出来るそうです。上手く追い立てて遊んでやれとの事。やれやれ、いっその事、要を壊してやればお仕舞いでありましょうに……酔狂な事ですな」

 

 薬師は何気なく大罪級の爆弾発言を口にする。かつて朝廷が拵えた禁地の結界。深林の恐ろしくも豊かな実りを回収するための拠点を、此処まで深い地のそれは最早何十年も使われずに放置されているとは言え破壊するというのだ。それは朝廷の資産の侵害であり、下手をすれば極刑物の所業であった。

 

 口にするのも憚られる行い……尤もそれは今更でもあった。既に奥地にて有象無象の口封じも兼ねて一度荒縄を切り落としていた。一度が二度になった所で大した差異はない。

 

 ……どうせ、告発する者達は誰もいなくなるのだから。

 

「……貴方はあくまでも補助と聞いている。邪魔はしないで」

「……果報を期待致しましょう」

 

 漸く口にした抑揚のない口調による要求に、薬師は僅かに目を丸くして、しかし直ぐに優しさすら滲み出るようにして微笑んだ。皺が寄って肉が段を連ね、宜しくない風貌が一層酷いものとなる。本人がそれを知っているかは分からぬが、少なくとも彼女はそれに不快感を抱いた。……流石に表には出さないが。

 

「……」

 

 醜い風貌から目を逸らす意味もあって今一度、人影が消えていった木々の群がりに向き直り、彼女は眼を細める。沈黙して、黄昏るようにして暫しの間見つめ続ける……しかしそれは永遠ではない。猶予を与える時間は過ぎ去った。

 

「……行くわ」

 

 そして遂に彼女は追跡を再開した。追い立てるように。狩り立てるように。追い詰めるように。

 

 全ては指示通りに。それはまるで良く訓練された勢子犬の如くに。

 

 文字通り、彼女は猟犬だった……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

「はぁ、はぁ……取り敢えず此処ならば、まだマシでしょう」

 

 何れだけ走ったのだろう?結界で守られた安全地帯は決して広い訳ではないので其処まで長くは移動してはいないとは思う。俺は息絶え絶えになって其処でロリゴリラ様を下ろす。下ろして、俺もまた凭れるようにして腰を下ろす。

 

 樹齢千年はあろう大樹の立ち並ぶ森。その内の一本の根元に広がる樹洞の壁際に……。

 

「……気配は、ないか?」

 

 樹洞の穴から周囲を覗き見て、俺は判断する。尤も、俺程度の実力で何処まで信用出来るか怪しい話であったが。

 

 氷雨は無論、他に襲撃者がいる可能性も否定は出来ない……。

 

「ねぇ、下に……伴部。血は、大丈夫、なの?」

「ははっ、御安心下さい。出血で、足跡がバレるような馬鹿は……しませんよ」

 

 背後からの震えるような声音に、俺は尚も周囲を入念に警戒しつつ答えた。実際、俺は足跡を残さぬのと同じくらいにそれを警戒していた。何なら血を飛ばして向かう方向を偽装だってしていた。何処まで効果があるか分からんがね?

 

「そうじゃ、なくて!!」

 

 苛立ち混じりに荒くなった幼声に、俺は振り向いた。振り向いて、視線を固定される。仕方無い事だった。眼前に顔を青くさせて恐怖に打ち震える子供がいたのだから。

 

「そうじゃ、なくて……!!貴方は、貴方の身体は、大丈夫なのって聞いてるのよ!!?分か……んんっ!!?」

「静かに、大声だと位置を気取られます。折角撒いた努力が無駄になってしまいますよ?」

 

 怒鳴り散らさんばかりの大声を、俺は口元に指を当てて静止させた。その静止に従いつつも、しかし葵の視線は尚も不満一杯で、ギッと此方を睨み付ける。睨み付けて、若干目元が潤んでいた。

 

「……泣くような事はないでしょうに。御安心下さい、傷は、少なくとも今すぐに死ぬような代物ではありませんよ。ちゃんと塞いでいます」

 

 そういって、俺は刺された胸元に手を当てる。手拭いを傷口に押し込んで無理矢理止血していた。襲撃の様子がなければ後で消毒するつもりである。幸い、常在戦場の心得は、特に木賊班長からしつこく指導されていたので腰鞄は常に巻いていた。野宿していた焚き火の周辺に唯でさえ少ない物資の多くを残していたが消毒用酒精含めて最低限……最低限の最低限の物は鞄の中に残っている。

 

「こんな時に……ふざけ、ないで!それだけ昨日からあれだけ傷だらけで!!下人の癖に!私と違って豆腐みたいに柔な癖に!それがこんな、こんな……」

 

 俺の全身を見続けて、葵は怒り、そしてその後はただただ揺れるような声音で譫言のように呟き続ける。同時に俺は本当に今更に自身の出で立ちに気が付いた。

 

 湧水で身体を拭くつもりだった事もあって、俺は上半身裸の半裸状態だった。全身に刻まれた主に化物相手の痛々しい傷痕……それが晒し出されていた。

 

(成る程、動揺はこれもあるか……)

 

 ある種の納得。尤も、俺としては苦笑する他なかったが。

 

「そんな、今になってそんな怖がる必要もないでしょうに。以前見た時と大して違いはないでしょうに」

「い、ぜん……?あっ」

 

 俺の指摘に困惑して、しかし彼女は直ぐにそれを思い出したようだった。そうだ。鬼月の屋敷での拉致事件。俺の朧気な記憶と後からの師の説明が正しければあの時俺は全裸で彼女と相対していた筈だった。

 

 正確には、情けなく跪いていた筈だった。

 

「そ、れは……!?あ、あの時は部屋を薄暗くしていたから!!その、薄汚い下郎の姿を見るのも見せるのも卑しいから……っ!!?違う!!?違うのよ!!?今の言葉はそういう意味じゃなくて!そうじゃなく……んんっ!!?」

 

 喧嘩を売るような言葉を洩らした事を慌てて否定して、必死に弁明しようとした所を再度俺は口止めする。

 

「だから落ち着いて下さい。居場所を気取られます」

「……」

「気にはしておりません。己の身分は理解しております。姫様の身分も。ですから御怨みなぞしません。信じて下さい」

 

 今更ネチネチ言っても状況の打開には繋がらないからね。嫌な過去は忘れるに限る。社畜の処世術である。

 

「……嘘だと、思われますか?」

「……分かった。信じるわ」

「それは結構」

 

 俺の念押しの問い掛けに首を振って応じる葵。観察眼でじっくり確認したのだろう、取り敢えず此方の言葉を信じてくれたようだった。切羽詰まった中での疑心暗鬼なんて洒落にならん。そう考えると姫様の観察の技能は見稽古の特性を除いても相当に便利だな。

 

(それはそうとして、問題はな……)

 

 俺は再び樹洞の外を見渡して、俺は苦虫を噛み締める。事態を理解するのに、俺は葵に問いを投げ掛ける。

 

「姫様、何処まで目撃しましたか?」

「……貴方に同行していたあの下人が短刀を突き刺した所からよ」

 

 若干主語不足だったと口にしてから気付くが、葵は直ぐに補完して答えてくれた。俺は一礼して補足する。

 

「氷雨です。……今更の話ですが下人衆以外で彼女の名に、風貌に、覚えは?」

「……分からないわ。退魔士でもない有象無象には興味がなかったもの。それに、家の組織全体を把握している訳じゃないわ」

「そう、ですか……」

 

 正直期待外れの返答に、暫し俺は黙りこむ。そして思い出す。前世の記憶を。設定を。

 

(あの装束……そうだ。確か何処かで見覚えがあった。設定資料集、か?)

 

 本編未登場の戦闘員ラフ画であったような気がする。本家直轄の隠行衆の特務、そんな感じの設定だった筈だ。しかし、あの氷雨が?そんな馬鹿な……。

 

「姫様が見る限りで、あいつがこれ迄嘘や演技をしていたように見えますか?」

「……」

 

 問い掛けの声は、自分で言っておいて驚くくらいには動揺していた。背後で葵は暫く沈黙する。突き刺すような視線。若干澱んで言葉は紡がれる。

 

「……いいえ。私が見ていた限りではあからさまに怪しい振る舞いはなかったわ」

「失礼ですが、本当ですか?信じて良いのですね?」

 

 念を押すように、俺は尋ねる。

 

「本当よ。こんな大事な話で嘘なんて言わないわ。確かに怪しい点は無かったわ。無かった筈よ」

「そう、ですか……」

 

 葵の断言に俺は深く呼吸して思考を整理する。葵が其処まで口にするのならばそれを信じるべきだろう。ならばどうしてあんな事を?まさか嫉妬に狂ったヤンデレ化なんて事はあるまい。ならば……。

 

「サイコファザーか」

 

 ギリッと、一層歯を食い縛って呟いた。アイツにあんな事をさせた元凶は其くらいしか考えられなかった。精神に関わる異能を有するあの男ならば、いや異能を使わずとも洗脳の手段はある。新人の氷雨では対策なんてないだろう。抵抗出来まい。

 

(糞っ垂れが!!あの糞親父、性格が悪過ぎるんだよ……!!)

 

 その者の尊厳と情緒を破壊するようなド畜生な手段で陥れて貶めるのがあのサイコな御当主様だった。原作では各ルートで散々に主人公様を曇らせてくれたものだ。ダースタマキルートなんて本当に見ていられないような有り様だ。

 

 いや、本当。刀術を学ぶだけで雛との仲を疑って来るのマジ止めろよな……そんなのだからアイツ行き遅れかけてるんだぞ?

 

「伴部……」

「あ、……氷雨の事は許してやって下さい。好きで裏切った訳じゃない筈です。被害者ですよ。雑人連中の記憶を弄ったのなら下人の一人や二人同じような目に遭っていても可笑しくない。……そうでしょう?」

 

 そういって俺は葵に同意を求める。事が終わった後に氷雨の立場を守る必要があった。責任があった。それを果たさねばならなかった。原作通りならば陰謀に直接関わった連中は何も知らない下っ端まで屠殺された筈で、同じ事態は避けねばならなかった。

 

 氷雨は、巻き込まれただけの被害者に違いないから……。

 

「それは。だけど、あれは……」

「姫様?」

「ううん。そう、ね。私の不出来な雑人共と……同じよね」

 

 僅かに言い淀み、しかし肯定して幼姫は頷いた。よし、もう一押しだな。

 

「アイツの腕は悪くありません。姫様には到底及びはしませんが期待出来ます。生きていれば非礼を詫びるためにも人一倍頑張る筈です」

「……何がいいたいの?はっきりと言いなさいな」

「……助命を」

 

 空元気に近く早口で捲し立てていた俺は葵の核心を突く問いに振り向く。そしてはっきりと、飾り気もなく切実に要望した。後輩の生命の保証を。ここで誤魔化すのは悪手だと俺の原作プレイ経験が訴えていた。二の姫様は嘘偽りが嫌いだ。

 

「姫様のお怒りは分かります。ですがどうか此処は……」

「貴方の顔を立てろと?」

「立てられるような顔がないのは理解しております。ですが……」

 

 それでも、俺は助命嘆願する。そうでもしないと毒が抜けきったと同時に氷雨の首が手刀でチョンパされかねない。短気な姫様ならば十分過ぎる程に有り得る話だった。というか原作が割とそんな感じである。絶対的に立場の有利な今の内に約束してしまうに限った。幸い、呪いでなくても葵は約束は履行するだろう。

 

(プライドの高い姫様が、あからさまに約束は破るまいて)

 

 気分屋で我が儘で自己中心的で、しかし一周回ってだからこそ、彼女は一度交えた約束は軽視しない性格だったのを俺は知っている。例え代償が無くとも、都合が良くても、だからといって己のかつての言葉を反古にするのは過去の己の矜持を裏切り傷つける行いだ。それはあり得ない。そこは信用出来る。

 

「……」

「……」

 

 暫く互いに観察し合う。尤も、それは長くは続かない。姫様は頭が回り、無駄を嫌っていた。

 

「……分かったわ。私が害する事はしないわ」

「式や下僕を使ってでも?」

「そんな卑劣な真似はしないわよ。直接的にも間接的にも、時間を置いてからの闇討ちも。但し、今回限り。別件で刃を向けられたのならその時は相応の処置を取る……それで宜しくて?」

 

 彼女の提示する条件は妥当で、身分を思えば破格の条件ですらあった。余りの譲歩具合に要求した此方が驚く有り様であった。正直承諾はしてももう少しだけ厳しい条件だと思っていた。

 

「……何よ。そんな鳩が豆鉄砲食ったかのような面をして。心外だわ」

「いえ……姫様の寛大なお心に感謝するばかりです」

 

 これは本気の言葉であった。原作の暴虐無人具合を思えば尚更に。

 

「心にもない事を……まさか本気で言ってるわけ!?何か腹立つわね……。どの道、捕らぬ狸の皮算用でしょう?貴方、その有り様で本当にあの刺客を無力化する勝算があるの?」

「それは……」

 

 此方の真摯な言葉に驚愕して、それから葵は鋭く切り込んで来る。痛い所を衝く言葉だった。

 

「……相対して二度、彼女は消えました。視覚的には無論、気配も感じ取れぬ程に。呪具か何かの効果でしょうか?」

 

 相手の視界から消えると言えばゲーム中でも登場する三種神器の一つ、勾玉のコピー品が真っ先に思い浮かぶ。あるいは認識阻害の外套だろうか?しかし、それならば態態瞬間的にだけ消える必要はない。ずっと消えておけばいい。

 

「私は退散する時にしか見てないけれど、それらしき呪具は見なかったわね。まぁ、お金と時間さえあれば外見は幾らでも工夫しようがあるけれど……私の目でも認識出来ないのは不思議ね」

 

 葵は本当に怪訝そうに首を傾げた。薬で五感は鈍ってるとは言え、その観察眼は人の感情の機微を察する事が出来るくらいにはまだまだ鋭かった。流石に全く違和感も認識出来ないなぞ、有り得ない。

 

「そうなると仕掛けは……」

 

 単なる超スピードという訳ではあるまい。何で以て姿を

消しているかも優先事項ではない。大事なのはその本質、恐らくは……。

 

「っ……!?静かに!」

 

 俺が警告の言葉を口にする必要はなかった。葵もまた既にそれを察していたからだ。樹洞に身を潜めてそれが過ぎるのを監視する。

 

 嫌にけたたましい羽音が深林に鳴り響く。霊力の気配。式神。簡易式。羽虫の、鳥の方のそれ位には大きいだろう、雀蜂を模した簡易式。それが木々の間隙を抜けながら飛翔していた。まるで、周囲を調査するかのように飛び回る。花なんて一つもありやしないのに。

 

「……斥候役、といった所ですかね?」

 

 幸いにも此方まではやって来なかった雀蜂を見送り終えて、俺は説明するように囁いた。露払いの偵察……氷雨が迫っているのだろうか?

 

(だとすれば悪手だろうが……)

 

 多くの退魔士達が使役する簡易式が鳥や齧歯類をモデルにしているのは妥協故の事であった。

 

 確かに潜入や偵察には大きさや生態からして虫を模した物が最も相応しい造形であろう。しかしながらそれは理想形に過ぎない。

 

 確か設定によれば虫を象った式を製作するのは式符の加工技術の限界があって難しく、また操作もまた感覚的には行いにくい代物でもあるらしい。無理に使役しても実態を得たその身体はあからさまに大柄になって目立ち、しかもその動きは悪目立ちする程にぎこちないものとなる。

 

 実際、先程俺が窺っていた雀蜂は身体は蜂というよりも雀そのもののサイズで、しかも唯でさえ喧しい羽音は一層五月蝿く鳴り響き己の存在を周囲に晒し出していた。造形からして暗殺用の簡易式の使い回しだろうか?だとすれば先方の装備も万端ではない事を意味していた。

 

 ……無論、だからといって此方の状況が劇的に改善する訳でもないのだけれど。

 

(そう、長くは隠れてられないか……)

 

 このままでは今一度、矛を交える事になってしまう……せめて、葵の毒が抜ければ生け捕りは容易だろうに。原作を厳守するならば悪鬼羅刹の無双ゴリラとして復帰するには後一日半は要するだろう。常人からすればかなり早い復活ではあるが、今此処に至っては長過ぎる時間であった。

 

 さりとて俺が自力で解決しようにも……先程の戦闘が本気と過程すれば形勢は若干不利、といった所であろうか?装備に差が大きい。此方は手負いで彼方は大きな負傷は見受けられない。細やかな体術で負けてるつもりはないが……上手くやっても拮抗した泥試合になるな。

 

「一手が必要だな……」

 

 逆転の一手。搦め手。奇策が必要だった。情けない話であった。確実性の担保のないような策に頼るしかないなぞ……もっと俺が強ければいいんだがなぁ。

 

「……ねぇ。それについてなのだけ、ど!?」

 

 考え込む俺を見つめ、何か口にしようとする葵は、しかし紡がれる言葉は途中で途切れた。絶句していた。俺は咄嗟に嫌な予感とともに彼女の視線の先に振り向いた。

 

 直後に理解した。罠だったと。

 

 考えれば想定出来うる話であった。どうして事前にこの結界の内が隅々まで調査されていなかったと言えようか?どうして操る式が羽音の喧しい雀蜂だけと言えようか?どうして探知能力に優れた氷雨が俺達を見過ごしていると思えようか?

 

 樹洞の出入口。天井付近にそれは張り付いていた。蜉蝣が。大薄羽蜉蝣が、其処にいた。

 

 無機質な作り物の複眼が、俺達をずっと監視していた。

 

「……!!?」

 

 苦無を引き抜いた俺は咄嗟に樹洞の前で警戒し、そして直後に苦無を振るって式を一撃で以て屠る。同時にそのままの勢いで身体を捻って背後を振り向く。手を伸ばす。

 

「姫様!!」

「えっ?っっ!!?」

 

 俺が叫んで、手首を掴み、引っ張り出した行為に葵は一瞬の驚き。直ぐに理解の表情を浮かべた。僅かに遅れて樹洞の奥の壁から刃が飛び出した。鮮血が舞った。それは密かに樹洞の反対側に忍び込んでいた刺客からの不意討ちであった。

 

 それは本命の式すら囮。樹洞側に注意を向けた所で幹越しに突き刺した刃によるアンブッシュであった……。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

「手応えはあった……」

 

 まるで水面のように揺らしながら木の幹から鍔のない短刀を引き抜き、彼女は一人呟いた。無感動で無感情で、しかし僅かに滲み出る感情には確かに苛立ちが見て取れた。

 

 そう、確かに手応えはあった。あったが致命的な物ではなかった事を碑簔眼は分かっていた。視覚共有していた式は全てを見届ける前に仕留められたがそれでも分かる。

 

 瞬間の刃の感触は、刃にこびりついた血は、到底深手には程遠い。表面の肉を軽く切り裂いた程度であろう事を幾体、幾人もの「肉」を斬って来た彼女には分かった。

 

「……」

 

 本当に勘が良い下人であると彼女は思った。まるで未来でも見えているのだろうか、等と冗談半分に思う。しかし、それだけの話であった。

 

 殆どは想定の範囲内で進んでいた。彼らが此処に隠れたのも事前に想定していた。いや、そのように誘導していたのだ。

 

 追い立てた先が樹洞である事が特に重要だった。岩場では駄目だった。彼女が突き刺した短刀は唯の短刀ではない。呪具である。

 

『透木湖』……その特徴は植物とそれに由来する物質を傷つけずに通過する事。本来の用途たる木材の壁や床は無論、どれ程鬱蒼とした茂みでも、どれ程太く堅い木の幹でも、それがまるでないかのように扱いその向こう側に刃を届かせる事が出来る事がその特徴だ。鬼月家が所有する数多ある呪具が一つ。

 

 蔵の奥にて保管されている、暗殺用の秘密の呪具の一つ……。

 

(最善の選択をされた。番狂わせ……)

 

 最初の式で油断させ、本命の式は内部の監視と囮を兼ねる。気付かぬならばそれでよし。気付いたとしても樹洞の入口に意識が向く。背後からの襲撃に気取られる可能性を減らす……残念ながら成功とは言えない始末であったが。

 

(どうする……?)

 

 状況は膠着した。獲物は未だ樹洞から飛び出して来る事はない。反撃もない。しかし、恐らく死んではいない。

 

 先方の装備は精々苦内程度の代物だろう事は確実で、幹を突き抜けて此方にお返しは来ないだろう。このまま何度も仕掛けるか?いや、それは無意味だ。得物の長さが足りない。

 

『透木湖』はあくまでもそれ自体が草木を通り抜ける事だけが能力である。柄は兎も角、携える者の腕までは透過出来ない。樹洞の中心に居座られたら刃は薄皮を削る程度でしかない。あくまでも先程の手は初回故に通じただけだ。

 

(正面に回るべき……?)

 

 樹洞の出入口は唯一つ。裏を掻かれる可能性はない。迂回して正面から、茂みに忍んで飛び道具で狙い打つ。遮蔽物に乏しく足手纏いがいる状況でこの攻撃を凌ぐのは困難だろう。

 

(ならば……早く動いた方がいい)

 

 常に先手を打ち続ける事。相手に主導権を与えぬ事。受け身に回らせ続ける事。それが家人程に霊力がなく長期戦の出来ぬ己が立ち回り生き残って来た秘訣で……。

 

「姫様!行きますよ!!」

「っ……!!?」

 

 直後の叫び声。そして樹洞から飛び出す人影を碑簔眼は確認した。同時に放ったのは針を三本。二本が弾かれて、しかし本命は最後の一本であった。

 

「ぐっ!!?」

 

 三本目が男の掌に突き刺さり苦無を手放させる。漏れる悲鳴、足下で音を響きさせて落ちる苦無。激痛。それら全てを無視して男は足手纒いを抱えて逃亡する。獲物は全力で逃亡を始める。しかし彼女は知っていた、あれが男の持つ最後の刃物だと。もう予備の短刀も苦無もありやしないのだと。

 

「判断が早い……!!」

 

 留まり続けてもジリ貧だと理解したのだろう。暴挙ですら思える行いは、しかし此方が出方を判断していた一瞬の隙を突いての英断であった。これが数瞬早くとも、遅くとも、恐らく失敗していた事だろう。

 

 ……尤も、称賛しても逃がすつもりはない。

 

「待て……!!」

 

 碑簔眼は手負いの獲物に向けて、全てを終わらせるための追撃を開始した……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「追って来たわ!!右斜め!!」

「此れでも、食らえ……!!」

 

 背後を監視する葵の警告に応じて俺は身体を捻って投石器を構えた。其処らから適当に掴んだ石を殆ど狙いもつけずに次々と打ち出す。当たらなくても良かった。牽制出来れば良かった。

 

 ……牽制程度しか出来ないともいう。

 

「糞っ、人の身体にバンバン穴を開けてくれるとはとんだ後輩だな……!!」

 

 何発目かの石が弾かれる音。一瞬止まる追撃。俺は再び正面に集中して走り抜ける。走り抜けて吐き捨てる。石を持つ掌を見れば真っ赤な血で溢れ出していた。氷雨の針を無理矢理抜いたお陰だ。痛い。

 

「どうするの!?まだ打つ手はあるの!?」

「今考え中ですよ……!!」

 

 葵の悲鳴に近い叫びに俺は若干自棄糞気味に答える。畜生、木を突き抜ける呪具とかありかよ……!?

 

「せめてステゴロに持ち込めればな……!!?」

 

 そのためには先手を取って肉薄を……とは言え、それこそ至難の業であった。氷雨の探知能力を以てすれば潜伏に集中するならば兎も角、奇襲を仕掛けようとしても察知される事請け合いだった。

 

「……待て、探知される?っ!!?」

 

 逃亡しながら、ふと俺はその悪魔の発想に思い至る。思い至りつつ、投擲された針を避けながら俺もまた石をやたらめったらに打ち出す。そして彼方の呪具対策も兼ねて苔と蔦の生い茂る岩場に紛れ込む。一時的に追跡を撒く。

 

「探知、探知、隙を……あるいは!?」

「何、何か良い案でも思いついたのっ!?」

「良い案かは分かりません。それに、姫様にご協力も御願いしないと行けませんが……」

 

 走りながら俺は迷う。果たして、これは協力して貰って良い案件なのかと。何せ、これを実現するとなると……。

 

「いいわよ。何でも言いなさいな!!」

 

 俺の迷いを吹き飛ばすかのように葵が叫ぶ。その発言に仰天して思わず彼女の顔を見れば、彼女もまた此方をじっと見つめていた。そして不敵に笑った。

 

「私の観察眼をなめないで。無責任に言った訳じゃないわよ。その上で覚悟は出来てるって言ったのよ!……家に帰ったら、仕置きを覚悟しなさいな?」

 

 その顔は、その発言は、俺が何を思いついたのかを理解していた。理解した上で彼女は口にしていた。己が一肌脱がなければ、この場を切り抜けられない事を。

 

「……遺書を書かないといけませんね?」

 

 彼女に求める残酷な役割を思って、俺は心からそれを思った。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 それは本当に短い鬼ごっこであった。元より幾度もの手傷を負った下人如きの体力で、何時までも逃げ続けられる訳でもない。そも、この狭い結界の内に逃げ場は決して多くはなかった。

 

 故に、夕暮れ直前には彼女は其処に辿り着いていた。

 

「見つけた……」

 

 場所は結界の境界線の直ぐ傍、視界と足場の悪い川辺近く。その場所に獲物が隠れている事に碑簔眼は気付いていた。より正確に言えば囮をぶら下げて反撃を狙っている事に、気が付いていたのだ。

 

 桃色の装束が木陰から僅かに覗く。装束は唯の見世物ではなく確かにその内に人が潜んでいた。汚れきった絹の着物に身を包み、膝を抱えて項垂れるように縮こまっているのを感じ取る。

 

 その一方で婢簔眼は、其処から狙えるように岩場に人の気配を明確に感じ取っていた。仮に木陰に潜む姫君に迫れば投石の狙撃が出来る位置だ。

 

「……」

 

 正直な所、落胆していた。そして失望していた。やはりそうなのかと。結局はその程度なのかと。そしてずっと抱いていた疑惑は彼女の中で確定していって……。

 

「だとすれば……」

 

 だとすれば、踏ん切りが付くというものだ。迷う事はない。己は己の役割を果たすだけである。

 

 無感情のままに、無感動のままに、ただこの悪質で悪辣な舞台を整えるだけの事だ。

 

「……」

 

 隠行術で以て気配をひた隠し、碑簔眼は茂みを陰に迂回する。岩場まで回って彼女はそれを見出だす。岩場から僅かに覗く人の手首を。予想通りに投石器を手にした腕は、同時に投擲された針の傷がまだ残っているようで痛々しい。

 

 卑劣な……碑簔眼は目元を細める。歯を食い縛る。これ迄の経験から知っていた。追い詰められる時というのは人の本性が二番目に剥き出しになるものである。アレだけ善人ぶった所で、本当に切羽詰まればこうだ。底が知れるというものだ。

 

 きっと、この男はあの時も……。

 

「ちっ」

 

 小さく舌打ちして、彼女は迫る。足音もなく、風を切る音もなく、呼吸音すら聴こえずに、物音一つ、気配の一つも感じる事はない。彼女の隠行術は確かに一流だった。

 

 そして、それでも彼女は油断しない。

 

「……っ!!」

 

 仕掛ける直前に発動したのは己の異能。霊力に乏しい己がしかし、下働きでも下人でもなく、鬼月家の暗部に引き抜かれた最大の要因だった。

 

 制限時間内においては世界すらも欺く力。潜入と潜伏に特化した力。汚れ仕事に打ってつけの力……それを纏った彼女は最早物音も気にせず全力の身体強化で一気に肉薄する。岩場を回り込んで、一瞬の内に獲物に迫った。

 

「えっ……?」

 

 そして獲物を正面に捉えた直後、狩人は思わず短刀を振り上げたままに動きを止めていた。脳裏に浮かぶのは困惑と動揺と驚愕で……。

 

「?、あら残念、外れよ。……とんだお間抜けさんね?」

 

 そして、制限時間が過ぎて漸く彼女の存在を認識した姫君は危機的状況にありながら悠然として宣った。

 

 穴の開いた血濡れの掌を口元にやって、今一方の腕には血濡れの針を手にして、下人の袴だけを纏った桃色の姫君が嘲笑う。

 

 まるで罠に嵌まった獣を見るように。

 

「っ……!!?」

 

 慌てて振り向いた。此方に人影が迫っていた。最早下の袴すらなく、褌一丁姿の男が不敵な笑みを浮かべて肉薄していた。……泥塗れの単を手に持って。

 

「だから言ったろ!!?短刀じゃなくて弓にしとけってよ……!!」

 

 振るわれる短刀を単を絡めて巻き取って、下人は後輩に全力のタックルを食らわせた……。 

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