和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
『ひぐっ、ひぐ……お゙ねぇ、ちゃ゙ん゙……お゙ね゙ぇちゃ゙ん!!』
『ほらほら、泣かないの。……傷を見せなさい。手当てしましょう?』
それが幼子には厳し過ぎる鍛練の後の御決まりの台詞だった。優しく姉が慰めてくれた。手当ての後には抱き着いて、そのまま一緒に寝てしまうのが様式美であった。
母の顔は殆ど覚えていない。多分、それほど愛されてなかったとは思う。物心がついた時には既に姉が親代わりだった。
退魔の一族が拵えた秘密の鍛練場。隠れ里。外界から閉ざされた其処は鬼月家にとってその存在そのものが非公式であり、其処で鍛練を積む者達の存在もまた同様だった。
鬼月家の汚れ仕事専門、名目上、予算処理上は隠行衆の一部署としてされていて、しかしながら実態は半ば独立した当主や長老衆の眼であり、耳であり、凶器。隠行衆梟察使……それが彼女の住まう犬小屋の実情であった。
己の立場には疑問を抱かなければ不幸とも思わなかった。そんな事すら思わなかった。ただ辛い鍛練は嫌いで、それでも姉がいるから耐えられた。姉と己だけの世界で満足していた。それが全てだった。
己が異能が己の立場の理由で、姉が己の枷である事を知ったのはずっと後の事で、尤も、その時には最早今生きるこの世界を変えようとも思わなかった。発想もなかった。経験と諦念から、反抗心はへし折れていた。
……初仕事は身内殺しだ。逃げ出した同じ訓練生を追い立てて始末した。二度目は他家に鬼月家秘伝の機密を流していた分家の放蕩者を事故に見せかけて突き落とし、谷に潜む朝廷の隠密を帰りの道中で盗賊を装い喉を掻っ切ったのが三度目の仕事だ。
全ては姉のためだ。同じく仕事が回される姉は疲弊していて、それを助けたかった。特に姉は自分と違って荒事向けの異能ではなかった。危ない仕事は自分が進んで受け持つ。楽な仕事を回したかった。それが己の姉に向けた恩返しだった。全身から血鉄の臭いが立ち込める事も、余りにも血が染み込んでしまって何度も何度も髪を洗わなければそれが落ちない事も、姉の前では細事に過ぎない。
……時たま、寝所で姉が嗚咽も漏らさずに自分を抱き締め続けていた意味を理解するのは、ずっとずっと、先の話である。
『姉さん。何か、変わった?』
『そう?何時も通りだと思うけれど?』
その会話を交えたのは久方ぶりの再会に際してだった。片や暗殺、片や内部監視。互いに任務を受け持って一月余り、上への報告の後の偶然の顔合わせ。自分だからこそその僅かな変化に気がついた。
『大丈夫?ちゃんと食べてる?ちゃんと寝ている?怪我はない?身体は悪くない?』
『うん。大丈夫。問題、ない……』
何時ものように連弩の如く尋ねられて、若干の煩わしさと気恥ずかしさから来るぶっきらぼうな返答。妹扱いは兎も角、何時までも子供扱いされるのは癪だった。自分はもう一人前の仕事人なのだから。
……同時にこんな態度を取れば世話焼きの姉は一層自分に構ってくれると期待しているのも事実ではあった。自分から甘えに行くのは恥ずかしかった。だから今回も、しかし……。
『そう。なら良かったわ』
『えっ……?』
あっさりと話を切り上げてしまった姉の行為は信じられなくて、だけどそれに追い縋るなんてみっともなくて、踵を返して立ち去る姉を、唯見送る事しか出来なくて……。
だから、内緒で覗いた姉の仮初の配属先で、姉が見たことないくらいに屈託のない笑顔を見せて、頬を膨らませて憤慨して、腹を抱えて大笑いして、泣き笑いを浮かべて共に歩むその姿に愕然して……。
その傍らに立つぱっとしない下人が羨ましくて、憎らしくて、悔しくて、妬ましくて、だけど大好きな姉が幸せならばそんな苦しみだって耐えられて……。
『なのに、どうして……?』
任務の最中に姉が死んだ事を伝えられて、冷たくなった骸を見下ろして。「死体があるだけ幸せ者だな」という周囲の声は慰めにならなくて、何よりも腹立たしかったのは姉の骸を連れ帰ったのはあの男だという事実だった。
『どうして、アイツは……!!?』
どう考えてもそれは可笑しかった。姉が死んであの男が五体満足で生きている事が。姉の異能と実力ならば知っていた。姉一人ならば少なくとも死ぬなんてあり得なかった。いいや、姉が死んだとして、どうしてあの男は生きている?特別な訓練も受けていない、以前は腑抜けた雑人共の一人だって言うじゃないか!それが……!?
そうだ。可笑しい。可笑し過ぎた。異常だった。疑念は尤もであり、深く考えれば考える程骸を持ち帰った事すらも噓臭く思えた。奴の周囲で何れだけの者が死んだのかを知れば疑惑は一層真実味を帯びて来て、妄想とは思えなくなる。
しかしながら、己の立場ではそれを問い質す事は無論、許しもなく他者との接触すら許されない。内なる欲求は永遠に来る事はない事もあり得て……。
『よぉ。久しぶりだな、不肖の糞餓鬼。姉貴の事は残念だったな?』
奴は突然姿を現した。欠片も残念そうに思えない軽薄な物言いで己と、そして姉の墓標を見下す。疲れきった隈のある眼で振り向く。無言のままに何のために来たのかと剣呑に追及する。
「怖ぇ顔するじゃねぇよ。……どうだ?優しい優しい肉親からの提案だ。姉貴、目覚めさせたくはねぇか?」
……だから私は、その提案に思わず耳を貸してしまって。だけどどうせ選択肢なんてさらさら無くて。何よりも姉を取り戻せるのならば何もかもが許容出来ると思っていた。
そして、その選択を選んでしまってから私は確かに後悔したのだ。
知ってしまったのだ。日常の楽しさを。
気付いてしまったのだ。姉の気持ちを。
そして何よりも、私は重ねてしまっていて、心に空いたままの穴を塞ぎたくて……けれど、もう「私」は「私」ではなくて。
もう、全ては始まっていて、全ては終わっていて、全ては手遅れで……。
「ゔっ゙……?」
覚醒した意識はぐわんぐわんと輪郭も朧気に揺れ続け、口に広がるのは何時まで経っても慣れない生臭い鉄の味。何よりも忌々しいあの男が見下されている事が気に食わなかった。
「ぞ、ど……?」
其処を退けと言おうとして、思うように声が出なかった。困惑、そして男の表情を観察して、身体に違和感を覚えて視線を下ろして……視界に広がるのは赤色だった。
(あぁ……)
流れ込む記憶。今更に思い出す。此処に至る経緯を。己の失敗を。自虐も自嘲もなく、ただ事実を淡々と受け入れる。
期待はしていなかった。有り得る話だとも思った。ただ無念で、悔しくて、しかしながら先程思ったように、全ては手遅れだ。
彼も、私も、全ては手遅れなのだ……。
(そういえば……)
そして深い深い諦念の中でふと、状況の深刻さの前にもかかわらず婢簑眼は何処か他人事のようにそれに気付いた。呑気に思った。
自分のために泣いてくれた人は姉以来だったな、と。本当に本当に、他人事のようにそう思った……。
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(糞っ!糞糞糞!!畜生っ!!ミスった!失敗した!!大失態だっ……!!!!)
眼前の、押さえても尚止めどなく溢れ続ける赤い流出を凝視しながら、俺は己をひたすらに責め続ける。
全ての判断が遅くて、全ての判断が誤っていて、全ての行動が愚かだった。
だってそうだろう?俺はあの時、あの男の槍捌きに驚愕していて、驚嘆していて、だからこそ気付くのに遅れていた。槍の穂先が向かう先を。それが最初の誤りだった。
「味方だろうがっ!!?違うのかよ!?」
何故か己ではなく氷雨の腹に槍が深く突き刺さった理由が全く理解出来なくて、俺は一瞬唖然としていた。唖然として、咄嗟に取った行動は二つ目の過ちだった。氷雨を抱いて逃げるのは失敗だった。葵も抱いて逃げなければならなかった。あの場で一番年下の子供を見捨てたのだ。最低だった。どうせならば氷雨を突き刺した隙に襲いかかれば良かったのに……!!
「しかも……!!あんなの、アリかよ!!?」
嗚咽交じりに吐き捨てて、思い出すのは氷雨を抱いて走り出した瞬間の光景だった。包囲する恵比寿面が槍を、刀を、弓を構えて待ち受けていた。
俺は事前の想定への対処方法として煙玉を使った。自分のものはもう使いきっていた。氷雨の隠し持っていた拝借品を使った。
煙に紛れて正面の恵比寿面から槍を奪った。不具の身から乱暴に奪うのは心に来たが、決して困難ではなかった。
問題は、直後にあの男が取った行動で……。
「味方ごと、かよ……!!?」
放たれた突きの衝撃波と業火の嵐は味方の配慮なんて欠片もしていなくて、咄嗟に逃れた所に襲いかかってきた死は代わりに槍持ちの恵比寿面に襲いかかった。原型も留めていない。焼け焦げた炭の欠片が散乱した。
見方によっては、俺が盾にしたように見えたのだろうか……?
(それは!!いや、今は、いい!!それは今はいいんだ!!それよりも……!!?)
内心の苛立ちと焦燥、恐怖を押し込めて、俺は木陰から覗きこむ。追撃する素振りはない。実に悠々としていた。実際、奴らは追い縋る理由はなかった。寧ろ、虎穴に入れて、火中の栗を拾う必要があるのは俺の方だったのだ。
「葵……!!」
単一枚に身を包むだけの幼女。碌に動く事も出来ない彼女の傍らには異様な雰囲気を纏う槍を携える男がいて、更に数人の恵比寿面が控える……。
(駄目だ、絶対に間に合わない)
俺と葵との距離は軽く五十歩分はあって、当然ながら葵を捕らえた者達の彼女との距離はその十分の一もない。今突貫しても取り返す前に彼女が殺される。がむしゃらに突っ込むのは寧ろ悪手だった。
幸い、今すぐ殺すつもりはないらしい。下手に救出しようとする事で先方を焦らせる事の方が危険、か……?
(何か、話している?)
遠目に目を細めて茂みの隙間からその所作を観察する。姫と男が見下し見下される形で相対している。口元が動いている。会話をしていた。……尤も、和やかとは言い難い空気を纏わせていたが。
「一体何、が……」
「おいっ!!下人!!出てこいよ!!どうせ小娘の穴は止血出来ねぇんだろうが!なぁ?」
一層観察しようとすれば、発せられるのは荒々しい咆哮だった。大声による警告であり、挑発であり、誘惑であった。
「機会をくれてやるよ。崖っぷちを逆転する特大の起死回生の手段をなぁ!!男なら、根性見せてさっさと出てきやがれ!!」
放たれる言葉はあからさまな挑発で、放つ者こそが元凶の一つで、しかし反発しようにも選択肢はなくて、それをきっと向こうも理解していた。だからこそ、奴は俺の神経を逆撫でするように言葉を選り抜きして叫んだのだろう。
「それとも、茂みの中で全てを失っていくのをまたゆっくり待つのかい?えぇ、臆病者の腰抜けがよ!!そうやって今までも生き残って来たのかねぇ!?」
鬼月家下人衆・衆頭、鬼月純修郎匠玄は、大層口悪く、そして心底嘲って、惨めに隠れ潜む卑怯者を罵った……。
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「ふぅ。こんな物かね?……にしても哀れなものだな。えぇ?姫様よぅ?」
大声で一通りの罵詈雑言を吐ききった後、下人衆の頭目は退屈そうに槍を肩に乗せて宣った。嘲笑うような、如何にも思い遣りのない呼び掛けだった。その若々しく端整寄りと言える風貌を邪悪に歪める。
「……何がかしら?」
「惚けなさんなや。辛さはよぉく分かるぜ?まさか彼方を選ぶとはなぁ?……ぶっちゃけ、俺だってちぃと想定外だったさ」
姫君の監察眼力はその言葉が事実だと見抜いた。その事に若干彼女は冷笑する。この品のない男に一杯食わせた下人を内心で誉めてやる。
「此処に来て唯一の味方にまで棄てられたんだ、幼心には中々傷になるもんさ。あぁ、本当。哀れ憐れ」
「……」
男の侮辱に葵は剣呑な雰囲気と共に黙り込む。そして、そんな姫君が何も言い返さないのを見て、更に男は続ける。
「どうだね?その傷心、僭越ながら俺様が慰めてやろうか?幸い、女人の扱い方は善く善く承知していてな。……悪い話じゃあないと思うが?」
そういってしゃがみこんだ男は不躾に葵の肩に触れて、鎖骨に触れて、その下に手を伸ばそうとして……身体を揺すって葵はそれ以上の接触を拒絶する。
「触るな。分を弁えろ、下郎め」
何処までも相手を見下す視線で以て、葵は睨み付ける。相手を見下し切った眼光。それに衆頭はけらけらと苦笑して……葵のか細い首に勢いよく掴みかかった。
「う、ぐっ、……!!?」
「下手に出たら粋がるんじゃねぇぞ、牝餓鬼が。キモい妖共に犬みたいにマワさせんぞ?どうせ臭い下人に散々弄ばれている癖によ!!」
嘲るような脅迫。強く強く、窒息しそうな程にぎゅっと首を締め上げる。霊力で強化した腕力による首締め、血の巡りが滞り、葵の顔が青ざめる。息が漏れる。瞳が震える。それでも最後の言葉に怒って睨み付けて、しかしその抵抗の意志も更に腕の力が強まると照りつける日射しに溶ける雪のように霧散させられてしまう。
「ははっ。随分と可愛げのある顔になってるじゃねぇかよ。なぁ?」
幼子の首を容赦なく絞め続けながら匠玄は宣う。其処に良心の迷いはなかった。元よりそんな性格ではなかった。彼は女子供を慈しむような者とは程遠く、鬼月葵という娘をより一層嫌っていたからだ。
「生意気なんだよ。牝で餓鬼の分際でよ。なぁにが分を弁えろってんだ。てめぇこそ牝餓鬼の立場を弁えろってんだ」
本当に不愉快だった。何で自分の周囲の女子供はこんな鬱陶しい連中ばかりなのだか。お陰様で自分は貧乏籤ばかり引かされる。まだ可愛げがあるのはちゃんと立場を理解している「アイツ」くらいのものだ。
「まぁ。それも終わりだけれどな。不名誉な糞餓鬼になめ腐ったお前さん。それと、帰った後一人……ははっ。心踊るねぇ?」
「が、かっ……!!??」
「おっ?ははは、悪い悪い。忘れてたぜ。確か首を絞めてやってたんだったか?」
この任の後を思って皮算用していた衆頭は、葵の苦し気な悲鳴に陽気に嗤う。実に愉快な物だと思った。酒の肴にしたいとすら思った。明らかに、悪趣味だった。
「いい表情だぜ?ツンツンしてるよりゃあずっと別嬪って奴だ。ほれ、もう少し力を……」
「衆頭殿、お止め下さいませ。『今は』姫様を弑するのは計画外でしょうに」
このまま首の骨がへし折れる程に力を入れようとしていた匠玄の行為を静止したのは粘りけのある野太い声音。匠玄は舌打ちしてから手を離す。地面に崩れた葵が激しく咳き込む。
「すまんすまん。つい興が乗っちまってな」
「御趣味には最大限理解を示しますがこれは任務で御座います。どうか御自重して下さいませ。……全てを終えた暁には、当主様は貴方の働きに最大限報いてくれましょう」
「それはそれは、楽しみな事で……」
口にする程に、衆頭は期待していないように見えた。
「……姫様は私が見ておきましょう」
薬師の提案、そして目配せすると恵比寿面の不具達が地面に踞る葵を無理矢理起き上がらせて、無慈悲に縄で縛っていく。
しかし、これは……。
「はぁ、はぁ、唯の、面ではないわね……?」
縛られながらも面と顔面との隙間から垂れ流される赤い滴りを一瞥して、だが驚くでもなく、息を切らしつつ、必死に平静を装って二の姫は呟いた。
「ご名答で御座います、姫様!」
葵の応じた薬師の口調は楽しげだった。喜んでいるように見えた。己の宝物を紹介する子供のようにすら思えた。余りにも場の状況にそぐわぬ反応、葵は内心で一層深く蛙顔を蔑む。
「姫様は亀虫を知っておりますかな?」
「……ん、えぇ、知っているわ。秋口には随分鬱陶しいわね。……まさかアレも?」
キュッキュッ、と鬱血すら気にしない強い締め付けに僅かに吐息を漏らし、それでも呼吸を整えながら答える葵。答えながら、ふとその発想に思い至って、想定されるその正体を心底気味悪がる。
「五代前の当主殿が研究用に南方から興味深い虫妖怪を取り寄せましてな。原種はなんと多種多様な種で組み合わさって人に擬態する習性だったそうです。アレの元はその顔面担当だったそうです」
「繁康殿ね。草人形や骨肴もそうだけれど、本当に趣味が悪いわね」
薬師の説明に葵は若干焦点のズレた返答をした。庭園造りに耽溺していたらしい先祖は確かに拵えた庭園自体は見事であるがそれに付随する美的感覚は落第物であった。気味の悪い草人形や骨肴もそうであるが、よくもまぁ、どうしてこんな亀虫なぞ取り寄せたのだか……葵の反応に薬師は微笑む。
「この人面亀虫の品種改良も中々大変でしてな。それこそじっくり見ても面に見える程に造形を変えるのに何世代も掛かりましてな。いやはや、彼らが気付かずに仮面として張り付けた時には長年の労苦が報われたと感無量になりましたよ」
「そして覚醒したら宿主に寄生するわけね?何かの呪具で操っている……といった所ね?」
「……」
葵の考察に蛙顔の薬師は答えない。微笑みが答えだった。
「御古のガラクタでも使い道はあるってな。何なら他の連中だって同じにしてもいいと思うぜ?どうせ……おっ、出てきた出てきた!」
二人の会話に呼ばれてもいないのに横入りして無思慮に宣った衆頭は、しかし直ぐにそれを中止する。
御待ちかねのお楽しみの前では、一山幾らの有象無象の処遇なぞ、細事に過ぎないのだから。
「おやおや。また随分と悲壮な表情ですなぁ」
「……」
薬師の感想に、葵は何も言わない。ただ彼女は見つめるだけであった。
安物の槍を携えて、圧倒的な強者と相対する青年の姿を、ただ見つめ続ける事しか出来なかった……。
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「姫様……!っ!?」
幼子の華奢な首が爪を立てて締め付けられるのを目撃して、俺は飛び出さんとした。袖を引っ張られてそれは止められる。
振り向けば木に凭れる氷雨の姿。必死に息をしながら、その意味合いを何とも形容し難い視線を向けている。
「大丈夫だ。止血は……済まない。もう少し待ってくれ」
胸元に滲み続ける赤い溜まりを一瞥して、俺は宥める。完全な止血には程遠い。血管でも切られたのだろうか?とうやっても血が止まらない。傷口に布を押し込んでも誤魔化しにしかならなかった。
「安静にしていろ。アイツらなら何か持っているかも知れねぇ」
懐から痛み止めの丸薬を取り出して潰しながら俺は説明する。下人衆頭に葵に同行していた薬師。こんな魔境に来ているのだ。一つの霊薬も持ってない事は無かろう。どうせ、このままでは氷雨はじり貧だ。
「苦いが我慢しろ。……アイツらから使えそうな薬を頂戴してくる。大丈夫、安心しろ。見棄てやしねぇよ?」
ぐちゃぐちゃに潰して飲み込み易くした痛み止めを食わせながら俺は氷雨を宥める。痛み止めの味に僅かに表情を歪める。袖は強く掴んだままだった。
「……頼む」
葵の方を一瞥して、俺は今一度頼み込む。腕を振り払うのは簡単で、しかしそれはしたくなかった。彼女の身体に負担を掛けたくなかったし、何よりも間違って絶望を与えるような真似はしたくなかった。
「……」
「……有り難う」
永遠のような一瞬。互いに視線を重ねて、折れてくれたのは氷雨だった。あるいは単に掴み続ける体力がないのか……俺は前者である事を祈って謝意を口にする。
そして俺は動き出す。なぁに、勝算は……僅かながらもある筈さ。
「待たせましたね、下人衆頭?」
草藪の陰から移動して、氷雨から距離を取った所で立ち上がる。立ち上がって、アピールするように声を上げた。衆頭、薬師、そして葵の視線が俺に集中する。人気者は辛いね?
「ははは!はーっはっはっはっ!!凄げぇ、マジで出てきやがった!!」
人の神経を逆撫でするような豪快な高笑いが響く。
「いやはや!!変な所で素直で馬鹿だなぁ。えぇ?確かに機会をやるってたが……本当にそんな物があると思ってんのかよ?」
「嘘っぱちって事ですかね?」
「安心しろよ。ちゃーんと物はあるさな」
俺の言葉に応じて糞上司は、下人衆頭・鬼月匠玄はそれを懐から見せた風呂敷から取り出して、高らかに見せつける。
この距離からも霊験灼かなのが分かる、桃の果実を見せつける。
「そ、れは……!!?」
「やはり……」
掲げられた物を見て、葵は驚愕し、俺は舌打ちする。元より可能性は理解していて、そして葵の反応で全ては繋がる。
恐らくは、アレこそが今回の任務にて葵に求められた物品であった。あからさまに濃厚な霊気の気配。正しい用途は知らないが、あれだけ凄まじい代物なら大概の事は何とか出来そうであった。
……手に入りさえすれば。
「凄いだろう?上手くやれば死人だって棺桶から飛び上がるって話だ。……今のお前さんには喉から手が出るくらいに欲しいだろ、可愛い下っ端君よぅ?」
「……何をお望みで?衆頭?」
おちょくるような衆頭の呼び掛けに、さっさと本題に入るように俺は要求する。時間はなかった。お喋りの暇はなかった。
「なぁに。簡単な遊戯さ。俺と一つ手合わせといこうぜ?……そうだな、取り決めは四つとしようか」
そして顎を摩りながら鬼月匠玄はルールを提示していく。
一つ。手合わせ時の行動範囲は結界に守護された範囲内とする。
二つ。勝敗の決着は相手方の殺害或いは降参によるものとする。
三つ。鬼月匠玄が敗北した場合、相手方に『意富加牟豆』を提供し、相手方への加害行為を行わぬ事を保証する。
四つ。鬼月匠玄が勝利した場合、相手方は鬼月葵を己の手で以て絞殺する事を約束する。
「呪術による正式な契約だ。どうやっても破る事は出来ねぇ。……どうだ?お前さんには旨味しかない取り決めだろう?」
「……手合わせ中と勝利時における姫様と氷雨の安全保証について明確に記載を。それと、反乱防止用蛇呪、他者の介入も禁じて下さい」
「はっ!相変わらずに強欲だな?身分を自覚して分を弁えたらどうだ?」
「この状況で今更だろうが……!!」
俺は立場も忘れて吐き捨てる。実際、この男の事である。俺が指摘しなければ間違いなくこれ等の契約の穴を突いていた筈だった。
「わざわざ回りくどい事をしてるんだ。其れくらいで契約の取り止めなんざしねぇんだろう!?」
殺すだけならばこんなお遊びをする必要はない。それこそ反乱防止の呪いで俺を無力化してやれば後は葵含めて煮るなり焼くなりご自由に、である。悪趣味なのだろう、サイコファザー様は葵の目の前で一つ一つ、希望を摘んで分からせて行きたいらしい。特に四つ目は邪悪さに満ち溢れて過ぎていて……!!
「ド屑にも程があるだろうがよ……!!」
「ははははっ!!形を取り繕うのも止めたか。いいぜ?その条件、呑んでやるよ。おい浄蜆、追記してやれ」
「……良いでしょう」
俺の剥き出しの敵意を軽く受け流し、寧ろ楽し気に鑑賞して薬師に指示する衆頭。蛙顔の薬師は若干不満げな表情を浮かべるが最終的には応じた。霊木を原料とした扶桑紙に筆で追記するとそれを匠玄に差し出す。匠玄は自身の親指を噛むと其処に血判を押しつけた。血判を押して、扶桑紙を放り捨てる。
まるで見えない何かに導かれるようにして、厚めの扶桑紙に記載された契約書は俺の袂にまで辿り着く。すっと俺の腕の内に入り込んで、その文面を見せつける。提示した内容に、俺の進言した追記の内容も加えられた約定が赤字で認められていた。呪術的な効果を付与する特製の墨汁……果たして原料は何なのか、余り知りたくはない。
「文盲じゃあねぇんだろ?内容に相違ねぇな?」
「……そのようだな」
「じゃあさっさとお前も血判を押せよ。それとも、血は怖いか?んん?」
何かある。嫌な予感がした。しかし……俺には他に採りうる選択はなかった。
(相手の行動を縛らなければ蹂躙されるだけだ!!)
下人衆頭が不真面目のド屑パワハラ野郎なのはこれまでに経験済みだ。しかしながら鬼月家の退魔士なのだ。俺如きとは地力が違う。怪しい契約でも結ぶ他なかった。俺は傷口に親指を擦り付けて血判を押す。
「なっ……!?」
直後、契約書の文面が怪しく蠢いた。血文字が浮き出て……それは形を持って俺の首筋に緩く巻き付いた。
「こいつ、は!?」
「ビビんじゃねぇよ。契約履行の保証人って奴さ。……よりによって酷い顔だろ?」
驚愕し、呼び掛けに視線を向ければ衆頭にもほぼ同様の化物が絡みついているのが見えた。「美人だったら嬉しいんだがねぇ」等と呑気に嘯く。
その正体は縊鬼であった。縊鬼を調伏して拵えた契約式。腐った骸のような不細工な顔面に膨らんだ芋虫のような身体が絡みつく。邪魔臭く思えたが……不思議な事に重さは殆ど感じられなかった。
「っ!?」
そして次の瞬間に俺の手の内から契約書は擦り抜けた。それはまるで魚のように空をジタバタと泳いでさまよって、最終的には薬師の手元に舞い戻る。大きな目玉で契約書をジットリ一瞥する蛙顔。
「これにて契約は締結されました。では、御二方共。正々堂々と手合わせを」
「正々堂々と、ねぇ?」
薬師の言葉を嘲笑するように反芻して衆頭は前に出た。堂々と悠々と名乗りを上げる。
「さぁて、挨拶は大事だ……鬼月家下人衆頭、鬼月純修郎匠玄。ほれほれ、そっちも名乗れっての?」
アンブッシュしてきた癖にそんな前置きをした上での己の立場の宣言。手合わせの合図。だが特徴的な刃先に襤褸臭い柄の槍を構える事はなかった。肩に乗せたままに佇み、此方に対して名乗りを要求する。
「……鬼月家下人。仮名は伴部」
淡々と、必要最小限の言葉だけを口にして、俺は簒奪した槍を突き立てて臨戦態勢を取った。臨戦態勢を取って、距離を取って睨み付ける。
一瞬だけ、葵に視線を向けた。緊張の面持ちと顔を合わせる。動揺の眼差しと交差する。直ぐに俺は意識を正面に戻した。相手の隙を窺う。
静かに、窺い続ける……。
「……」
「……」
「……おいおい。こねぇのかよ?折角おっ始めると思ったら時化た事してくれんなぁ、えぇ?」
(分かってる癖に言ってくれるな。糞がっ……!!)
どれ程続いたのだろうか?戟突の一つも、鍔迫り合いの一つも発生しない静寂そのものの相対であった。それに向けた衆頭の退屈そうな物言いに俺は内心で罵倒で返す。本当の本当に、気楽にいってくれるものだと思った。
だらけ切ったような眼前の屑上司の、しかし仕掛ける隙を俺は見出だし得なかったからだ。刻々と、ただ時間だけが過ぎていく。血の一滴とも言うべき貴重な時間が浪費されていく。しかし、それでも今は……!!
「……だらだらしてたら観客が退屈するな。演者としては一丁、動いてやるべきかね?」
「っ……!!?」
宣言と共に衆頭が一歩進んだ。俺は一歩下がった。衆頭が二歩進んだ。俺は二歩下がった。それは殆んど条件反射だった。本能が拒絶していたのだ。奴に近付くのを。
理解していたのだ。その、実力差を……。
「畜生、が……!!霊力の大小なんかでっ!!」
絞り出して吐き出すのはどうにもならぬ理不尽に向けてのものだった。何れだけ必死に努力しようとも血反吐を吐いて鍛えようが霊力の差がそれらを覆してしまう。身体強化による恩恵は、アクション映画やバトルアニメさながらの非現実的な動きを可能とするのだ。音速で弾き出される銃弾で面制圧するなら兎も角、刀や槍のような身体能力に大きく左右される得物では、その差は歴然としたものとなる。唯人中心の官軍の装備が飛び道具火薬兵器に重点を置く一因であった。
そして、まさにその理不尽な現実を突き付けられ続けている俺は悔しさに歯軋みして、しかしひたすらに後退するしかなくて、しかしそれも限界で……。
「はぁ、はぁ……」
「っ!?ひ、さめ……!!」
荒くて、それでいて弱々しい息づかいが耳に届いて俺は何処まで引き下がっていたのかに気が付いた。氷雨を見る。掠れた瞳で以て静かに此方を見つめていた。即座に衆頭に向け直る。嘲笑が返って来た。
「確かに生命の安全は保証したぜ?……それ以外については保証していないがな?」
(!?、掌の上って事かよ……!?)
俺の小賢しい位置の誤魔化しなぞ最初から見抜かれていた。誘導されていた。最早引き下がる事は出来なかった。氷雨を確保される事で何が起きるか、この男の事である。良い予感がしなかった。仕掛ける事を強いられていた。
少なくとも、この瞬間はそう思えた。思えてしまった。平静さが欠けていた。
「くっ……!!?」
直後に後退を止めて正面を見据える。悠々と迫る男。呑気に鼻唄まで歌ってくれるその姿に俺は苛立って、焦りに急かされて、そして……煽られているのを承知で覚悟を決める。
「このぉ!!」
槍の穂先を突き出して、俺は突貫した。脚力をなけなしの霊力で強化しての突撃であった。トップアスリート並みの疾走であった。
槍先は相手の胸元に向けて、渾身の一撃を突き立てて……激突の刹那に俺は地面を豪快に蹴りあげた。土塊を蹴りあげる。身体を伏せて、来るだろうカウンターを回避せんとする。カウンターが過ぎた瞬間に下方から槍で喉元を切り払ってやるつもりだった。
「おーらよっと!!」
……頭の上を相手の槍が通り過ぎる事は永遠になかった。耳に届くのは気の抜けた声。視界一杯に迫るのは足であった。
「はっ?」
困惑から溢れた疑念の呟き。遅れて事態を理解して対応しようとした時には遅かった。
「かひっ!!?」
直後にゴリッという生々しい激突音が鳴り響いた。肺から一気に息が抜けた。視界が激しく回転して、俺は混乱に陥る。地面に何度も何度も叩きつけられた。まるで、水切りに使われた小石のように。
「がっ!?はっ、ひゅ。ごぉっ、!?……お゙、お゙ゔぇ゙ぇ゙ぇ゙っ゙!!?」
漸く木の幹か何かに叩きつけられて、噎せこんで、俺は止まった。路傍の小石のように転がって、同時に血と吐瀉物の混合物で盛大に大地を汚していた。遅れて全身に襲いかかる激しい痛み。痛い、痛い、痛い……!!?
「ひゅー、!?ヒュー!?ぢ、ぢぐ、しょ゙ぉ……!!?」
呼吸にならない呼吸をして、すかさず噛み砕いた丸薬は痛み止めであった。氷雨に食わした残りである。効果が来るまで時間は掛かるのでそれまではひたすら我慢であった。痣が出来ている縊鬼が涙目で此方に何か訴えているのは無視しておく。
「い゙、でぇ……」
思わず口から漏れる弱音。今の一撃で、幾つか止血していた傷口が見事に御開帳していた……。
「おーおー、凄げぇ!!今後ろに下がったよなぁ?しかも縊鬼を盾にしやがったな!?びっくらこいたぜ?下人の分際でそんだけ反応出来るたぁ上出来だ!!指導の賜物ってなぁ!!」
初手で半死半生状態にまで、HPを削られた俺を見て、衆頭は興奮したようにはしゃいだ。どちらかといえば子供が虫や鼠を弄んで遊んでいるようなはしゃぎ方であった。実際、認めたくなかったがそれは事実だった。
奴は遊んでいた。殺そうと思えば間違いなく今の攻撃で殺せていた。手加減されていた。咄嗟に巻き付く縊鬼の身体を間に挟んだが衝撃は普通に貫通していた。いや、明らかに直撃寸前に勢いを調整していたのを思えばそれすら計算に入れての手加減だったのかも知れない。それだけ圧倒的な差が俺と奴との間にはあった。
(霊力が!霊力さえ……!!)
「霊力の量さえ同じだったらこんな奴に後れは取らねぇ、っつう所か?」
「……!!?」
内心で吐き出そうとしていた言葉を先回りして放たれて、俺は動揺する。そんな俺を見て、衆頭は益々意地の悪い笑みを浮かべた。その悪意には底がないように思われた。
「学のねぇてめぇら下人の考えなんざぁ読めてんだよ!理不尽だ、不条理だ、不公平だぁてな!違うか?」
「……」
衆頭の質問に俺は返答しない。感情的な意味だけではない。激痛と疲労に答える余力がなかったのだ。叫べば直ぐに吐血しそうだった。吐き気が治まる事はない。ただ、視線だけは強く相手を射抜く。
「憎たらしいくらいに反抗的な面構えだな。……いいぜぇ。どの道注文だからな。遊んでやるよ」
衆頭はそういって槍の穂先で足下に円を作る。作った円にひょいと跳ねて入り込む。
「……?」
「百数える間、この円の内側から俺は出ねぇ。攻撃もしねぇ。この槍一本でやるのは防衛だけだ。その間に一太刀でも浴びせて見ろよ。もしかしたら勝てるかもだぜ?」
「……!!なめ、るなぁ!!」
その物言いに俺は血を吐きながら叫ぶ。叫んで走り出す。槍を突き出す。柄で弾かれた。そのままクルリと回転して横薙ぎする。身体を曲げられて回避される。頭を突き刺しに向かってスレスレで横にズラされて、次に腹を狙った一撃は槍で払われて軌道が逸れる。足払いする。淡々とその場で跳ねて空ぶって、背後に回って横腹への攻撃に至っては柄を手の甲で弾かれた。
「ほれほれ、攻めてこい攻めてこい!牝共から熱い視線が飛んで来てるぞぉ、男らしく恰好いい所見せてやれやぁ!」
「くぅ……!!」
煽り文句に歯を食い縛って、俺は更に霊力で身体能力にブーストを掛ける。攻めて攻めて、攻め立てる。十、二十、三十……ただただ連続で仕掛ける。全てが無力化される。馬鹿な、一撃も当たらない……!?
「はぁ、はぁ、何で……!?」
「はぁい、時間切れ」
「うげっ……!?」
激しく仕掛け続けた故の荒い息。衆頭は飄々としていて時間切れの直後に槍の柄で腹部を突かれる。ゴリュ、という軋むような嫌な音。背後によろけて咳込む。そんな俺を見て、衆頭は鼻で笑う。
「情けねぇ。本当に一撃も出来ねぇとはな。折角の評価も下方修正だな。……ほれほれもう五十、オマケで数えてやるよ。次は後輩ちゃんの前で恥晒すなよ?」
きょろきょろと首を動かして、弱り切っている氷雨を見つけた匠玄は其方に嘲笑を向けながら手招きする。煽りの手招き。最早俺を見てすらもいなかった。
「ふざけるなぁぁぁ!!」
徹底的に人の尊厳を貶して来る振る舞いに、怒鳴りながら俺は再度攻め立てる。先程以上の激しさで以て攻撃する。何度も何度もフェイントを仕掛け、槍だけではない。拳を使い、足を使い、針を投擲した。全てを弾かれて、流されて、払われた。円の内側から出る事もなく。
「何で!何でだよ……!!?」
激しく槍を振るいながら俺は慟哭の悲鳴を上げる。情けなかった。余りにも情けなかった。余りにも無残過ぎた。師に念入りに仕込まれて血反吐を吐いて身に付けた技が、時間が、汗が、しかしその結晶たる一撃一撃が悠々として往なされる度に、全てが無駄で無価値あると証明されてしまっていた。
「畜生!畜生!!チクショォォォォ!!!!」
「怒鳴りてぇのは俺の方だってんだよ、溝鼠が!!」
「ぐひゅゅっ!!?」
時間切れと同時に放たれた槍による殴打で、俺は横向きに勢いよく叩き飛ばされた。此方の一瞬の隙を突いた芸術的なまでのカウンターだった。師との手合わせで良く叩き込まれる反撃。それを更に昇華させたような完璧な一撃……!!
「ぐ、はぁ……しょ…う、か?」
地面に突っ込み、それでも槍を支えにしてどうにか立ち上がった俺は、己の頭の内に過ったそのフレーズに思わず困惑した。
昇華、昇華だって?馬鹿な。そんな事……まるでそんな、ふざけるな。そんなふざけた事があるものか!!それじゃあ、それじゃあまるで……まるで……!!?
「そうさ。漸く自覚したかぁ?」
必死に否定しようとする俺の思考を、粘つく口調が阻止した。視線を真っすぐ正面に向ける。衆頭は携える槍を振り回す。演舞であった。剣舞ならぬ槍舞。実用性と見栄えの双方を高度に両立させた舞い。
師に鍛練で何度も魅せられて来た舞いの、原典であり完成系……!!
「孫弟子にしては本当に無様な槍捌きだなぁ?こりゃあ、師匠様にはみっちりじっくり仕置きが必要だな。……えぇ?」
鬼月家下人衆頭にして鬼月家一の槍名人、そして俺の槍術の祖父師に当たる鬼月匠玄は乾いた口許を一舐めして嘯いた。
本当に本当に、嫌らしく嘯いた……。