和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第一四九話

「……どうした?早く座るといい。まさかこのまま立ったままで長話するつもりなのか?」

「……」

 

 迎え入れるように対面に向けて手を差し出して、師が苦笑しながら呼びかけた。緊迫した空気が辺りを満たしている。俺は沈黙する。背負う姫君は何も言わずにただ強く強く此方に抱き着く。焚火の弾ける音だけが鳴り続ける。

 

 それは至極当たり前の道理であった。今日この時までに散々に経験した惨状を思えば、素直に受け入れられるものではない。

 

「……はぁ。敵いませんね」

 

 そして……俺は申し出を受け入れた。危険を理解していても拒絶する選択肢が無かったためだ。

 

 今の俺の負傷具合では師に勝てる可能性なぞ万に一つもある筈もなし。そもそも麻酔も大分効果が薄まっていて全身が酷く痛かった。このまま立ち続けてる体力もない。問題は……。

 

「姫様」

「……分かったわ。私は隣に座らせなさい」

 

 俺の呼び掛けに葵が応じる。加えて手の届く範囲に控えさせるように要望したのは咄嗟の事態に備えての事だろう。

 

「さて。積もる話もあるでしょうけれど……先ずは、お茶としましょう。いる?」

 

 葵共々焚き火を挟んだ反対側の丸太に腰を下ろした俺に師からの湯呑が差し出された。中には言葉通りに茶が注がれている。この薫り、高級茶葉の「摂寛」であった。雑人の頃、デブ衛門から茶道の触りくらいは教えられていた。

 

「……貰いましょう」

「伴部!?」

「安心して下さいませ、姫様。毒は御座いません。姫様ならば分かる筈でしょう?」

 

 傍らで凭れる葵の驚愕を、俺は優しく宥める。俺は兎も角、葵ならば立ち昇る湯気の匂いだけで混じり物の存在を当然に看破して見せただろう。

 

 ……何にせよ、向こうは殺せるならば何時でも殺せるのだ。今更毒を恐れても仕方ない。思い切って湯呑を口にする。

 

「……旨いですね。師がこんな茶葉を入手出来るとは驚きでした。予算横領してました?」

「まさか。こいつは今回の任務に用意された荷の中にあったものだよ。……衆頭の物だ」

「横領じゃないですか」

 

 互いに苦笑して、冷笑する。今一口。あの男の物だと思ってから呑むと一層旨く感じられた。

 

「何処まで、話に噛んでいたのですか?」

「……真鶴達には悪い事をしたと思ってるわ」

 

 つまり、かなり初期の段階から関与していたと。

 

「成る程、安永院の者達に関しては?」

「酷い話よね。手足の治療のための薬を出汁に……元々あの村の者達はこういう汚れ仕事の要員という側面があったそうよ。奉公させるにも限度があるでしょうに」

「……」

「……どうかした?」

「いえ、全くその通りですね」

 

 どうやら仮面蟲の事は知らないようだった。敢えて触れるつもりはない。誰も得しない話であった。

 

 知らぬが仏。無知である事が幸せな事もある……。

 

「いい気分じゃないわね」

「……はい?」

「その瞳。一人で納得している眼差し。止めた方がいいわよ?人の自尊心を傷つけるわ」

 

 それは今まで師に言われた事のない指摘だった。思わず唖然としていると、師は一瞬何かを呑み込むように喉を鳴らして……そして語り始める。

 

「……正直、お前が来るとは思ってなかったの。此処に配されたのはまぁ、単に私自身への嫌がらせでしょうね。衆頭の奴にお前の首を目の前で放り捨てられる事を覚悟していたのだけど、まさかの展開ね」

「助けるつもりはなかったのですね?」

「出来ると思う?私に?」

 

 己を蔑むように、允職は冷笑した。己を嘲笑した。酷く酷く歪んだ笑み。

 

「衆頭の奴、色々と言ってくれたでしょう?」

「はい」

「じゃあ、分かるわよね?私が何れだけ無力なのかも」

 

 御飾りどころか玩具よ……そういって俯く。

 

「貴女が出来る限り皆を守ろうとしていた事は良く分かりました」

「慰めないで頂戴。いっそ、恨み言を言ってくれる方が助かるわ。……私を惨めにしないで」

 

 そして允職は自身の頭を抱えて、髪を掻き上げて、深く息を吐く。震える声音で自身の胸の内の黒い感情を吐き出す。

 

「あぁ、憎いわ。貴方の事がね。私はがむしゃらに頑張っただけ。方向も分からず、結果も出せずにね。貴方が来てからよ。自分の理想に少しずつでも近付けるようになったのは。何か……ははっ、自分の努力は何だったのかなぁ、て思えて来ちゃうのよね」

 

 それは正に取り繕いのない本音であった。允職の、楓巴という仮名で呼ばれる女の嘘偽りのない剥き出しの感情だった。

 

「允職……」

「もしかしたら、貴方が死ぬ事に期待もしていたかもね?道理も損得も無視してね。だけど……あぁ、悔しいなぁ」

 

 一度言葉を切ってあはは、と嗤う師。湯呑を呷って呑み干す。茶と共に、暗い感情も飲み込んでいるように思えた。

 

「……本題に入りましょう?これからの、身の振り方の話をね」

「……俺達を殺さないので?」

「私が直接?それは無しね。実行犯として蜥蜴の尻尾にされるだけよ。何も残らない。無益、有り得ない選択だわ」

「それは……」

 

 否定しようとして、口を閉ざす。俺の立場からすればその言を否定する意味は無かったし、何よりも説得力があり過ぎた。

 

 確かに口止めとして消される可能性は十分有り得た。ここまで散々人材を使い潰したのだ。今更允職一人増えた所で然程違いはないだろう。俺は一口、茶を呑む。考えを纏めて、改めて問う。

 

「……此れから、どうなると思いますか?」

「荒れるでしょうねぇ。鬼月の一族内の力学が相当混乱する筈よ」

 

 当然だろう。当主が実の娘でもある一族次期当主候補筆頭を陥れようとしたのだから。

 

「私や貴方も今回の案件に関わった以上、その渦中に巻き込まれる事になるわね。立場を明確にする必要に迫られる」

「……また随分と、打算的に考えるのね?」

 

 横から刺々しい野次を入れたのは葵だった。反発するように、允職を睨み付ける。威嚇する。

 

「……私達は弱いの。生き残るためには強かさは必要な事ですよ、姫様?」

「小狡さの間違いでしょうに。彼は私の大事な家臣よ。貴女のような信用の欠片もない女とは違うわ」

 

 允職の弁明に葵は即座に毒を言い放つ。言い放って、しかし遅れて何かに気が付いたかのようにはっとした表情を浮かべた。允職は微笑む。

 

「言質、頂きました。……良かったわね、次期当主最有力候補直々に忠臣認定されたわよ?お前は下人達の間でも頭一つ抜けたわ」

「……何が狙いで?」

 

 允職による葵への挑発、その意味を薄々悟りつつも俺は確認する。

 

「伴部、貴方は上に上がるべきよ。少なくとも允職に。出来るならば、更に上に」

 

 師の口にした言葉に、俺は胸を締め付けられる。その意味を理解して、気持ちが果てしなく重くなる。

 

「……無粋な話をしますが、助職に繰り上がる皮算用でもおありで?」

「無粋過ぎるわね。私が生き残れると思う?」

 

 当主にとっても、ましてや葵派筆頭とした誰もが彼女を生かす理由がなかった。正確には庇う理由がなかった。彼女の運命は決まっていた。  

 

「逃亡も、蛇呪があるから無理だしね。……となれば、出来る事をやるしかないわけ。後悔先立たずというけど、どうせなら心残りは減らしておきたいじゃない?」

 

 師は己に待ち受ける運命に対してカラリと笑って受け入れた。

 

「允職……」

「ふん。厄介事を押し付けただけじゃない。伴部に宿題押し付けて自分は楽になろうって虫がいいわね?」

 

 俺が話す前に葵が口を開いた。辛辣だった。蔑みに満ちた眼光を允職に向ける。

 

「酷い物言いだわ。……伴部、貴方も同じ考えかしら?」

「俺は……」

 

 突如として投げられた問い掛けと責任に、俺は沈黙する。しかし、確かに師の言葉は正しかった。彼女は死ぬ。殺される。しかしその後も下人衆は残り、俺も残る。後始末とその後が待っていた。

 

「貴方も衆には愛着がある筈よ。折角後ろ盾になれる御方がいるのだから……頼まれてくれるわよね?上手くやれば顎で人を使えるし、それなりに美味しい思いも出来るわよ?」

「……」

 

 師は情に訴え、道理に訴え、欲に訴えた。それは確かに使命感を掻き立てて、魅力的でもある案であった。何よりも俺には師の傍らで仕事をしてきた経験もある。あっという間に失敗続きで首が回らなくなる……なんて事は多分ない筈だった。

 

 だが、しかし……。

 

「……断ります。貴女の後始末をするつもりはない」

 

 俺は突き放すように宣言した。允職は俺の発言に一瞬驚いて、しかし納得して、諦念して、冷笑した。

 

「……そう。それは残念ね。まぁ、確かに姫様と人脈のある今の貴方にはこんな貧乏籤は「允職の元で、今少し学ばせて頂きたいので」……はぁ?」

 

 允職の言葉を遮っての要望に、思わず困惑しきった声音が返って来た。序でにいえば傍らの葵も同じく驚いていた。

 

「伴部、貴方……本気?」

「本気も本気、大真面目ですよ」

 

 葵の質問に俺は大仰に答える。

 

「可愛い可愛い私の弟子よ、貴方正気?」

「正気も正気、素面ですよ。……何で允職の方が酷い聞き方なんですかね?」

 

 俺は師の毒のある台詞に突っ込んだ。そして、咳払いして続ける。

 

「……能力は兎も角、年齢からして俺が上に立つのは宜しくないかと。流石に先輩方が良い顔しないでしょう?それに、動き回って恨み辛みの矢面に立ちたくない」

「……盾代わりにしたい、って訳?」

「言葉を飾らぬに言うならば、ですが」

 

 俺が允職なり何なりになれば鬼月の陰謀に一層巻き込まれやすくなるだろう。それならば今のまま師を表向きの上司に据えた方がマシだ。

 

「師を人柱にしようだなんて、中々貴方も容赦ないわね?」

「代わりと言っては何ですが……身の安全は保証しますよ」

「お前がかしら?」

「いえ、姫様が」

「はぁ?」

 

 最後の台詞は葵の物で、此方に対して非難の視線を向けて来る。

 

「そんな目で見ないで下さいよ。……姫様としても駒は多い方が良い筈です。允職の実力は俺よりもずっと上で衆内での信頼も同様です。損はしませんよ?」

「だからって……」

 

 俺の説明に葵は不満げな態度を隠さない。だが、即座に拒絶もしない。あの傲慢不遜ゴリラ様がである。つまり……押せばいけるという事である。

 

「姫様、どうか……」

 

 俺は頭を下げて嘆願する。年下相手の泣き落としであった。情で落とす卑劣な策である。絵面だけで言えば最低だった。

 

 手段を選ぶつもりはなかった。この件に関しては。

 

「……約束、守れなかったものね」

「……はい?」

「揃ってこき使うつもりだから、覚悟しなさい。分かった?」

 

 何か小さく呟いたかと思えば、呆気なく葵は俺の嘆願を聞き入れた。意外過ぎる程にあっさりとした譲歩だった。正直困惑していた。もう少しごねられると思ったのだが……。

 

「何か、文句ある?」

 

 俺の態度が気に入らないのか、ジト目で睨み付けて来る姫様である。怖い。

 

「いえ、何も……允職、そういう事ですので、了解して下さい」

「いや、そういう事って……私の意思は無視なの?」

「裏切り者の敗北者に選択肢はないわ。……まぁ、諦めなさいな」

 

 葵が締めるように冷淡に吐き捨てる。顔を顰める師。俺を見る。

 

「沢山の部下を見殺しにした事に思う所はないわけ?」

「その点に関しては無論、ですが……貴女に何か出来たのですか?」

「……」

 

 俺の言はある意味で辛辣で、そして彼女自身が口にした事でもある。師は無力だった。その立場、その権限では彼女には有効な手は打てなかっただろう。責めるのは容易、あげつらうのも容易、しかし……それは自己満足に過ぎない。サンドバッグを殴るのと何も変わらない。

 

 俺達に必要なのは昨日の清算ではなく、明日の予定を考える事だった。後ろを向いては前には進めない。

 

「色々とシコリは残りますが……まぁ、お願いしますよ。一から、やり直しましょう?」

 

 こういう形でしか貴女を救えないから……とまでは言わなかった。彼女自身もまた、その事は言われなくても分かっていただろうから。

 

「……」

 

 師は沈黙する。口ごもる。言葉を整理しているようだった。そして、漸く明確な文として紡がれる。

 

「……本当に、情けなくなるわね。酷い弟子よ」

 

 口を尖らせつつ口にされた言葉は、しかし震えていた。ゆっくりと、緊張が解れたかのように脱力して、何処か安堵したようにも見えて、ぐったりと項垂れる。

 

「酷い。本当、酷いわよ……」

 

 小さく呟かれる恨み言に込められた感情は余りにも複雑で、啜り泣きの音は何時までも何時までも、漏れ続けた。俺は、それをただ受け入れ続け、聞き続ける他無かった。

 

 きっとそれが俺に出来る、数少ない贖罪であっただろうから。

 

 そして、ずっと心中に渦巻くこの言い様のない感情を晴らす代償行為であったから……。

 

 

 

 

 

 

 

「……御免なさい。みっともない所を見せたわね?」

 

 何れだけの刻が経過したのか……漸く平静を取り戻し、目元の水雫を拭いながら師が口を開いた。その瞼は腫れていて、鼻水が啜られる音が響き顔は赤く紅潮している。

 

「大人の癖に、情けない事」

「姫様……」

「ふん」

 

 葵のキツい指摘に俺は諫めるように呼び掛ける。葵は心底不機嫌そうに鼻を鳴らした。此方に不満に満ちた非難の視線を突きつける。命を奪われかけた立場から言えば当然の反応ではあった。

 

 尤も、俺からすれば師の立場にこそ一層同情してしまっていた……きっと付き合いの長さの違いなのだろう。俺も大概不公平な思考をしている。

 

「いいのよ、伴部。私が姫様からどのように見られているかは分かっているわ」

「しかし……」

「それよりお茶、お代わりは?」

 

 食い下がろうとする俺に涙目で苦笑しながら、次の茶を勧める師。その意図は直ぐに分かった。ここで俺と葵との関係を悪化させたくなかったのだろう。

 

「……そうですね。貰いましょうか」

 

 そして、俺もその意見に賛同だった。確かにここで批判しあっても意味はない。建設的ではない。心に受けた傷と解消仕切れぬ感情は時間をかけて希釈するのが一番だ。少なくとも今回の場合は。俺は湯呑を差し出す。

 

「さっきよりは温いけど……まだ熱いだろうから、気を付けなさい?」

 

 受け取った湯呑に茶を注ぐ師。そして湯呑を返す。それを俺は受け取る。受け取ろうとして……だが、師の腕から湯呑が離れる事はなかった。

 

「……允職?」

「……」

 

 呼びかける。返事はなかった。困惑する。今一度、呼びかける。顔を覗く。目を見開き、動揺する師の表情。

 

 直後、ギョロり、と師の「片目だけ」が此方を覗いた。

 

「允職?」

「……て」

「はい?」

「今、す、ぐ、離れ……て……!!」

 

 允職が叫んだのと湯呑の中身が俺の顔面にぶちまけられたのは同時だった。顔面への酷い痛み。しかし俺はそれも気にせずに傍らの葵にのみ意識を向けていた。振るわれる燃え盛る薪が見えて、咄嗟に葵を抱き締めて飛び跳ねて、そして……直後に先程以上に酷い衝撃が側頭部に走った。

 

「がはっ!?」

 

 一瞬意識が途切れて、直ぐに更なる痛みで目覚める。脹脛に押し込まれた焼け盛る薪の先端が視界に映り込む。葵の「騙したの……!?」という非難が耳元で響いた。

 

「ち、がう……!!」

 

 俺は即座に葵の言葉を否定した。師はそんな人ではないと知っていた。ここで裏切る意味もなかった。何よりも、直前の師の発言、あれは……!!

 

「まさ、か……!!」

 

 俺は痛む体に鞭打って首を上げる。そして見たのだ。己を見下ろす師の姿を。その表情の半分は驚愕と苦悶に歪んでいて、もう半分は何処までも冷酷で冷淡で……!!

 

「ここで、お出ましとか……人の心とか、ねぇのかよ。ええ!!?」

 

 俺は、師の身体に寄生した鬼月家当主、鬼月幽牲為時の「分霊」に向けて何処までも憎らしく吐き捨てた……。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『全く以て忌々しいものだな。よもや、本当に此処まで生き残っているとはな?』な、何が……?」

 

 師の口が師以外の声音で以て呪詛を吐き捨てた。顔の半分が驚愕し、残る半分は冷酷な無表情。まるで一つの身体に二人の人間がいるかのようで、それは正しく鬼月家当主の有する異能の力であった。

 

『幽逮離奪』……己の魂の一部を分けて他者の肉体に憑依させる力。憑依させて、元の魂を侵食し塗り潰す力。その恐ろしさの一端は、元の魂の人格を部分的にであれ残す事すら可能な事。自身が寄生されて侵食されている事を自覚出来ない事……!!

 

「は、ははっ!本当に、容赦ねぇ、なぁ……!!?」

 

 幾ら何でも徹底し過ぎである。一体幾つ保険を掛けていたのか。俺達を殺すために何れだけの犠牲を払うつもりなのか?それは余りにも異様な『執着』であった。

 

『何を言うか。実際、此処まで来たであろうに。寧ろ私の懸念が正しかった。備えあれば憂い無しだな』体が、勝手に……!?」

 

 淡々と燃え盛る薪が振り上げられた。そして振り下ろされる。俺は絶叫する。まだこんな声を上げる事が出来たのかと驚く程に悲鳴を上げていた。こいつ、よりにもよって爛れた肉に押し付けて来やがって……!!?

 

『ほれ、もう一発』

「ああっ……!!?」

「伴部!!?止めなさい!!御父様を装うのも、伴部を傷つけるのも……!!」

 

 三度目の俺の絶叫に被せるように葵が叫ぶ。鬼の如き形相で下手人を睨み付ける。

 

「卑怯者め!臆病者め!貴様の狙いは私でしょうに!!御父様の振りまでして!!洗脳!?憑依!?そんな小細工せずに何処の誰か名乗ったらどうなのよ!!?」

『……』

 

 葵の挑発に、罵倒に、しかし師の半身を支配する男は何処までも詰まらそうに目元を細めるだけであった。そして振るう。薪を。傷口に捩じ込まれて四度目の絶叫。

 

「止めなさいっ……!!?殴るなら、私にしなさいよっ!!?」

「伴部…『お前の相手は後程してやる。不肖の娘よ。『其処で黙って見ていろ』』……う、ぐっ!!?」

「んんっ!!?」

 

 放たれた言霊によって葵は強制的に沈黙を強いられた。師は咳き込んで苦しんだ。己の技量と霊力に似合わぬ術を強制的に使われた故の弊害だった。薪が傷口から引き抜かれる……。

 

「はぁ、はぁ……娘に、随分と冷たいじゃあ……ないですか?折角の……可愛い、盛りでしょうに」

『知ったような口を利いてくれるものだな。小僧よ。相変わらず、口は達者らしい』

「ひぐっ!!?」

 

 五度目、薪を肩口の傷に押し込まれた。葵が口を閉じたまま非難するように暴れる。標的にならぬように俺はそんな葵を押さえた。薪を引き離して、当主は更に語る。

 

『よくもまぁ、三日程度でそのお転婆を手懐けて見せたものだな。五体満足で生きているのも含めて、一層感嘆に値しよう。……不気味な事、この上ないな』

 

 其処まで語って、幽牲に操られた師の腕は、俺の髪を掴み上げた。引っ張り上げた。耳元で冷たい声で囁かれる。

 

『誰の差し金か?唯の下人如きではここまでの試練の数々、到底生き残れまいて?ましてやその話術詐術……何処で学んだ?さっさと吐くといい』

「何を、言って……!?ぎひっ!!?」

 

 言い切る前に地面に額を叩きつけられた。額の肉が切れた。血が噴き出す。

 

「ん゙~゙!!?ん゙~゙!!!?」

「伴部っ、!?糞、身体が『惚けるのも大概にするがいい。他の者は騙せても私は違うぞ?尋問の手段は幾らでもあるのだ。素直に吐いた方が楽になれるぞ?』くっ……!!?」

 

 師が抗おうとする。しかし即座に腕の支配権を奪われる。そして……ブチブチという音と共に耳が千切られる。

 

「あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙っ゙!!?」

 

 これ迄で一番の絶叫。掴み上げられた髪は手放されて、俺は葵の上に倒れこむ。痛い。痛い!痛ぇ……!!?

 

「く、糞ぉっ!!?止めろ!こ、の『次は何処を壊そうかな?さて、何処がいい?』伴部ぇ!?」

「あぎっ……!!?」

 

 後頭部が踏みにじられる。鼻がへし折れた。鼻血が出る。血が、土に滲む……。

 

「ふー。ふー、ふー……」

『ふむ、そうだな。次は……邪魔だ。失せろ』

 

 吟味して、次に壊す部位を選定していた当主は踵を返して手刀を放つ。一瞬、何かが切り裂かれたのが見えた。あれは、羽?隠行術、か……?

 

『ふん。代償行為のつもりか。滑稽なものだな……いや、これも貴様の仕掛けなのかな?あんな女まで色仕掛けで惑わすとは中々のものだ』

 

 腕を払って、鼻を鳴らし、冷たく冷たく言い捨てる。俺は何を言われているのかも分からずに、痛みすら忘れて困惑するしかなかった。

 

 直後、顔面を蹴りあげられて吹き飛んだ。

 

「いぎっ、かっ!!?」

「~゙~゙~゙っ゙!!!?」

 

 背中から何度も何度も地面に叩きつけられた。葵の唸る声が漏れ聞こえた。幸いとは言っても何だが、サイコファザーは武術が得意な訳でなく、操られる師の肉体もまた衆頭よりはずっと脆弱だった。先に衆頭に大分可愛がられたお陰もあって其処までの痛みとは思わなかった。

 

 ……はは。嘘だよ、普通に滅茶苦茶痛いわ。

 

「かっ゙、はっ゙、あ゙っ゙……!?はぁ、はぁ、はぁ……!!?」 

 

 悶える。咳込む。荒く息を吐く。立ち上がれない。此方にゆっくりと迫る幽牲は……しかし、俺を見て、初めて嗤った。

 

『いや、此処まで来ては最早貴様をただ痛め付けるだけでは無駄か?ふむ、ならば……』

 

 思い付いたように踵を返した幽牲。その先を見据えて、俺は絶句した。その目的を察したからだった。

 

 当主の行き先に、倒れ伏す葵の姿があって……。

 

「まさか……!!?」

 

 そのまさかであった。幽牲は師の腕で以て、背を向けて踞る葵を捕らえた。組伏せた。

 

「ん、んん……!!?」

『悪く思うなよ。あの者が素直に聞かぬからだ』

 

 そして淡々と、葵の首根っこを両の腕で背後から絞めた。

 

「~゙~゙~゙!!!?」

 

 それは相当に力を入れたものであったのだろう。葵が目を見開いてのたうつ。必死に暴れる。それを無理矢理押さえつけて、幽牲は無心に娘の命を締め上げていく。其処に欠片の情けも、容赦もなかった。

 

 ひたすら、無慈悲に締め上げる。

 

「ん゙、ん゙っ゙……ん゙ん゙!!?」

『安心しろ。気が失せる前には止めてやる。直ぐには殺さん。……お前は尋問のための見せしめになって貰わねばならんからな』

 

 その行う所業とは打って変わって、不気味なまでに冷静な物言いだった。

 

「や、めろ…、やめ……」

『ふんっ』

「~゙~゙~゙っ!!ん゙ん゙っ゙!!!?」

 

 俺が這いながら向かうのを冷淡に覗いた後、幽牲はぎゅっと爪を立てて一層強く首を絞めた。余りの強さに思わずビクッと包丁を突き立てられた魚のように痙攣する葵。水飛沫が漏れた。着物で見えぬが恐らく失禁した。その哀れな反応、次第に弱まっていく。そして……。

 

『おお、そうだ。忘れていたな?』

 

 幽牲は本当に忘れていたように、落ちていた先端の燃える木材を見つけて拾った。掴む。そして……突きつける。

 

『やはりその顔……忌まわしい。ちと、炙ろうか?』

 

 そんな事を嘯いて、掴んだ木材を……その燃え盛る先端を娘の顔の傍までゆっくり着実に近付けていく。幼子の眼前に、灼熱が照り付ける。

 

 熱された空気が、葵の肌を無遠慮に舐めた。

 

「~゙~゙~゙!!!?」

『暴れるなっ!!』

『ん゙ん゙ひっ゙!!?』

 

 頬を殴って、再び生まれようとしていた抵抗の意思を完全にへし折った。涙を浮かべて頬を刺す痛みに悶える幼子。その瑞々しい頬に、改めて禍々しい火炎が迫る。

 

 そして姫君の美貌の輪郭に、生々しい灼熱が揺れながらに重なって……。

 

「うぉぉぉぉぉっ!!!?」

 

 俺は残る僅かな霊力を振り絞って、護謨のように飛び跳ねていた。足の筋肉が悲鳴の大合唱を上げる。明らかに足の筋から不味い音がした。構わなかった。そのまま、血反吐吐きながら全力のタックルで師に突貫した。

 

『なにっ!!?』

「はああぁぁっ!!!!」

 

 普段の鍛練ならば確実に避けられるだろう無様な突撃は、しかし師もまたその内なる戦いで緩慢な身体では避けきれなかったらしい。俺の激突の前に、師の体勢が崩れ去る。

 

『ぐっ』うぐっ!!?」

 

 重なる二種類の声音。そして押し倒した。手を取り押さえた。しかし、それ以上どうすれば良いのか、俺には分からなかった。

 

 幽牲の有する『異能』をどのように解除すれば良いのか、俺は知らなかったのだ。

 

「はぁ、ふぁ……と、取り敢えず、取り敢えずは捕らえてしまえば……!!?」

『なめてくれるな、小僧……!』

「がひっ!!?」

 

 兎も角も両手足を拘束しようとして、しかしその前に幽牲が動いていた。のし掛かられた体勢での膝蹴りが、鳩尾に直撃した。噎せ返る。腕が拘束を擦り抜ける。

 

『これで、どうだ……!!?』

「あぎっ!!?」

 

 突き立てられた指が眼窩に捩じ込まれた。おぞましい感触と共に目玉を掴まれる。

 

「こ、この……!!?」

 

 痛みと不快感と怒りに満たされて、刹那の一瞬に視線が交差した。師の顔の半分が嗜虐の笑みを浮かべた。不味い、このままでは眼球を引き抜かれ……!!?

 

「やめろぉぉ!!」

 

 師が怒声と共に己の腕を掴み上げた。

 

『っ!?これは驚いたな。まだ抵抗するか……』糞、がぁぁ!!?」

 

 それは強靭な精神の為せる業であったのかも知れない。一瞬だけ体の支配権を奪還すると即座に俺の眼窩より糸を引いて指がドロッと引き抜かれた。そしてそのままの勢いで霊力を込めた拳を、師は己の腕に叩きつけた。

 

「ああっ……!!?『やってくれるっ!!?』」

 

 ゴキッと悍ましい音が鳴り響いた。幽牲が舌打ちした。霊力で強化した師の全力の殴打は薄い鉄板をへこませて、最悪貫く。霊力を込めていない生身の腕相手にそれをやったらどうなるか、言うまでも無かった。師の絶叫が何時までも続く。絶叫しつつ、しかし身体は師の意思に反して動く。

 

「かふっ!!?」

 

 無傷の腕が、俺の首を握り締めた。

 

『致し方なし。其処まで抗うのならばさっさと締め括ってしまおうか?』

「ぐっ、ふっ。ひゅ……くっ!!?」

 

 喉が締まる。締まる。締まる。師の腕を掴んで払おうとするが肉体を限界以上に酷使しているようでどうやってもビクともしない。息が出来ない。酸素が、取りこめない。意識が、次第に霞んでいく……。

 

『己が師の腕に殺されるのだ。妖に食われるより、匠玄に殺されるより、ずっとマシであろう?貴様には勿体ない最期だな?』

 

 冷淡な物言いには、しかし確かに怒りと嘲りが含まれていて、これまでで一番感情豊富にすら思えた。

 

 飾り気のない、悪意を向けられていた。

 

「がっ、ひがっ!?くっ……!!?」

 

 必死に必死に、絞める腕を解かんとする。敵わない。びくともしない。駄目だ、このままだと……。

 

(このままだと……どうなる?)

 

 想像する。俺が殺された後の事を。葵はどうなる?師はどうなる?いや、きっとそれだけじゃ済まない。

 

 さっきの幽牲の被害妄想染みた問い掛け、最悪は下人衆の仲間や故郷の家族にすら類が……。

 

「それ、は!!?」

『ぐっ、ふ!?』

 

 俺は殆んど突き動かされるようにして眼前の女の首に掴みかかっていた。守るだけでは生き残れない。殺されるのならばその前に殺す、至極単純な道理。俺は反射的にそれを実行していた。

 

『ぐ、うぉぉ……!?』

 

 反撃が想定外だったのか驚き顔。俺の首を絞める手が僅かに弛む。俺は更に絞める。両腕と片腕、しかも此方が馬乗りになっているのだ、どちらが有利なのか言うまでもない。

 

「は、はは……!!」

 

 俺は獰猛に嗤う。勝ち誇った笑みを見せる。気狂いの命をこの腕に掴んでいる事実に愉悦する。優越感に酔い痴れる。ははっ!!もう少しだ、もう少し、もう少し、もう少しで……!!

 

「とも、べ……」

「っ!!?」 

   

 そして、彼女の口元から漏れた彼女の言葉に俺は凍りつく。熱に浮かされていた思考に冷や水が浴びせられる。己の所業を理解して、打ち震える。咄嗟に腕を放そうとして……次の瞬間に、彼女は呟いた。

 

「頼む……殺してくれ」

 

 師が、嘆願した。

 

「わたしが、わたしのうちに、たのむ……!!『忌々しい!!ならばさっさと消えろ!!』

「っ!!?」

 

 中断された師の声音。憎き男の怒声。彼女の瞳の奥で繰り広げられる悲惨な戦いを垣間見て……俺は反射的に緩んでいた腕の力を強めていた。ギュッ、と最後の力を振り絞る。

 

 振り絞って、師を絞める。

 

「畜生!ちくしょう!!チクショオオオオオ!!!?」

『ぬ゙ゔゔゔうゔっ゙!!!!』

 

 俺は叫ぶ。狂って叫ぶ。叫びながら絞めて、絞められて、絞めあって、互いに殺意を突き付けた。呪詛を吐いた。呪った。

 

「ゔお゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙!!!!」

『あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!!』

 

 雄叫び上げて、咆哮を上げて、泣き叫んで、形勢は拮抗して、しかし天秤は次第に傾いて、抵抗は少しずつ弱まって、それでも油断はせずに一層絞め続けて、絞め続けて、絞め続けて……。

 

『ま、さか……ここまで、!!仕方、あるまい!!ならば最後の手段……!!』

 

 絞める腕が手放される。頭を掴まれる。引き寄せられる。濁った瞳と見つめ合う。

 

 瞳の奥に巣くう、何処までも狂った妄執と相対する。

 

『その身体、雛が喜んでくれような……!!』

「っ!!?」

 

 何をするつもりなのか理解して、俺は最早何も迷う訳にはいかなかった。最悪を予感して、首の肉を爪が抉った。血が噴き出した。捻る。捻る。捻る。間に合えと、俺は殺意を実行する。

 

 頭の中に入り浸る不快感。侵食。それらを抑えつける。吐き出した。腕に力を入れる。泣きじゃくる。

 

 最後の瞬間、俺は眼前の女の悲しげな眼差しを確かに見て……。

 

 

 

 

 

 

 そして。そして。そして……。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

「そして、何と申したのですか、貴方は?」

「……っ!?」

 

 甘柔らかそうな声音による詰問。それが俺を現実に引き戻した。片膝をついたままに、俺はチラリと上方を覗く。青紫色が視界に映った。

 

「ふふふ……」

 

 見下ろす鬼月家当主夫人、鬼月菫と視線が重なった。此方を見据える瞳は呑気なようで、優しげなようで、冷たいようで、残酷だった。つまりは、感情が読み取れなかった。

 

 隠行術の技能の一つ。読心の見分を欺瞞する技術……俺は努めて無表情を演じて問いに答える。

 

「……興味関心はないと、答えました」

「ほぅ?」

 

 夫人は小さく嘆息した。興味深そうに目元を細める。

 

「それだけですか?」

「鬼月の御家に御恩あれば、不満がなければそれに仇なす事も有り得ない、と」

 

 俺はその時の情景を思い返して答える。豪雨の中で跪き、頭を深く下げて、拳を泥沼にに押し立てて、恭しく、余所余所しく、そして淡々と口にした内容を、ただただ嘘偽りなく反芻する……。

 

「……そうですか。本当に、それだけかしら?」

 

 それは何処までも優しく優しく、諭すような問い掛け。否、尋問。そして追及……。

 

「丁重に宥め諭しました。お立場を考えて発言は為さるべきであると、分不相応の身なれども諫言させて頂きました」

 

 あくまでも淡々と、淡々として答えた。嘘ではない。嘘を言っても仕方がない。式で監視されている可能性もあるし、最悪記憶を覗かれれば一瞬で全ては白日の下に晒される。故に慎重に慎重に、事実のみを話す。

 

「……ふふっ」

 

 夫人は暫し沈黙する……そして先程よりずっと明瞭とした笑みを浮かべた。それはまるで嗜虐的な肉食獣を思わせた。

 

 そして嗤った。ふふふふふ、と。くすくすくす、と。袖で艶やかな紅を塗った瑞々しい口元を隠して嗤い、嗤い、嗤う。

 

「一世一代の告白を袖にされて……可哀想な事ですね。当主夫人としては兎も角、母としては胸が張り裂けそうな気持ちですわ」

 

 夫人は目を閉じて、実にしんみりとした口調でほざいてくれた。実に実に真に迫っていて、馬鹿馬鹿しい事この上なかった。

 

「分かりました。質問はこれまで。……ご苦労でしたね?此度の任務、大変だったでしょう?」

「……夫人より授かりました短刀のお陰にて、無事目標を祓う事が出来ました」

 

 白々しい労いの言葉に俺は無感動に礼を述べる。そも、本来ならば山奥にて儀式で復活するであろう邪神擬きを退治しろなどと俺一人に命じるのが異常なのだ。ましてや授けられた短刀、呪具の特性を思えば……正に厚化粧だ。その下に渦巻く悪意敵意殺意は、底知れない。

 

「それは結構。……あの人にも無事に事は解決したと報告致しましょう。これを」

 

 そして、夫人は俺の目の前にそれを置いた。無数の符で封じられた、虫篭を。同時にささっと一歩、寄って来る。

 

「……っ!?」

 

 突如として冷たい掌が頬に触れた。柔らかな指先がすっと一撫でした。顎に回されて、首を無理矢理上方に持ち上げられる。

 

 直ぐ目と鼻の先に女の顔があった。先程以上に名状し難い感情が込められた瞳が俺の瞳を、瞳の奥を、奥の奥を覗いていた。

 

 それはまるで、深淵を覗きこむかの如く。

 

「……」

「……」

 

 互いの吐息が触れ合っていた。吐息が混じりあっていた。凍り付くような沈黙が支配する。俺は心の平静を保つ事に努める。時間は何処までも長く感じられた。

 

「さて、と」

 

 ……突然にそれは終わった。頬から手を離し、離れる夫人。俺はその場に硬直するままに次の言葉を聞く。

 

「あの人に仔細を報告するため、半刻程部屋を外します。……戻るまで、ここにて大人しく待っているように」

「……はっ」

 

 その意味を解して俺は、一瞬遅れて応答した。歯を食い縛って、恐怖と緊張と怒りを抑えつける。耐え忍ぶ。頭を深く下げる事でそれを成し遂げる。

 

 足音がした。単が畳を擦る音がした。障子が閉じる音して、そして静粛が始まり……数拍置いて、俺は深く息を吐いた。解れた緊張から若干崩れる姿勢。どっと汗を垂れ流す……。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 息を整えて、心を落ち着かせた。そして虫篭に手を伸ばす。

 

 ……あの女が戻って来る前に、俺の内で渦巻く化物の本能を瀉血せねばならなかった。

 

「くっ、…………痛っ」

 

 指先が符に触れる。封符を一枚ずつ丁寧に剥がしていく。それは内からの解放こそを阻害するための封印故に、外部からの干渉には弱い。触れれば痺れるがそれだけだった。

 

 そうだ。それだけの筈なのに……どうして剥がす度にこの胸の内が空虚な罪悪感で満ちていく?

 

「……」

 

 己の感情に戸惑いながらも、手は止まらない。ひたすら剥がして、剥がして、剥がす。そして最後の一枚を剥がし切って、俺は虫籠を解放する。蓋を開く。

 

 ……そして、封じられしその怪物を解放した。

 

『(*≧∇≦)ノミンナノアイドル、キタイニコタエテヨウヤクサイトウジョウ!!』

「いや、誰だよ」

 

 数ヶ月……ではない。前回の吸血から一週間振りの御対面で平常運転で意味不明な発言をしてくれる子蜘蛛であった。いや、誰も期待してねぇけど?

 

「……ド阿呆め」

『(* >ω<)デコピン!?(゚Д゚)!!ハッ(*´ω`*)オソーラヲトンデルワァ』

 

 取り敢えず躾のために額に一発ブチこんで、ひょいと腹を掴んで持ち上げる。持ち上げた途端に愉快げな反応するのやめい。

 

「いいから、さっさと仕事しろ……」

 

 呆れながら拳よりも三回りは大きい蜘蛛を腕に乗せて俺は命じる。命じる前に既にカプリと牙を立てての吸血が始まっていた。全身を流れる邪血を、啜る。

 

『(●´Д`●)ウンメェ!ウンメェ!(;^o^)ショクノホウセキバコヤ!!』

「へいへい」

 

 呑気に馬鹿面下げて血を食らう蜘蛛。俺は鈍い痛みに耐えて、ただ吸われるがままにその場で柱に凭れた。身体の内の変異は、何れだけ誤魔化せても完全に止められやしない。妖化から戻った後の倦怠感や筋肉痛、吐き気、そして何よりも身体の内の違和感は次第に悪化しているのを俺は実感していた。

 

「……はっ」

 

 そしてひたすらに吸血され続けながら、俺は小さく嗤っていた。嘲笑していた。嘲った。

 

 報いのための足掛かりを得た事に、俺は思わず口元を暗く綻ばせていたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

『(´・ω・`)……パーパー?』

 

 白い神蜘蛛の呟きに、誰も気付く事がなかった……。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

「アハッ!アハハッ!!アハハハハッ!!!!」

 

 それはある下人が己の血を啜らせるのと同時刻の事であった。符によって防音処理した旅館の一室で、狂ったように少女は笑い続ける。嗤い続ける。ひたすらに、ひたすらに。狂気的に狂喜し続ける。舞い踊る。

 

「ひ、姫様……?」

 

 先程から上座の傍らに控える白狐は、酷く怯えていた。「本物の主人」が日の出と共に漸く旅館に帰還したかと思えば惨めな程にずぶ濡れで、しかしその表情は夢見心地で、何処までも顔を紅潮させて興奮させて、ただただ嗤い続けているのだからその反応は至極当然だった。

 

「アハハハハッ!!素敵!素敵よ!!あぁ、最高よ!!ねぇ、どうしてか、分かる!!?」

 

 汚れきった衣装でクルリクルリと鮮やかに踊り狂い、葵は正面の白丁に語る。豪雨の中で愛しいあの人と交えた会話。一言一句誤らずに諳じる。己の恥態を暴露する。彼に拒絶された一幕をうっとりと語る。それは、白を酷く困惑させた。

 

「そ、それは……なのに、どうして、ですか?」

 

 それは主君にとって絶望の筈なのに、却って姫君は喜びに満ち満ちていた。それは余りにも奇妙で、その意図は不明瞭で、遂に主君が壊れたのかと錯覚する。

 

 ……いや、確かにある意味では姫君は壊れていた。

 

「彼ね!跪いたのよ!私の前で!!」

「えっ……あ、はぁ……?」

 

 それが何だと言うのか?白には分からなかった。何を言いたいのか理解出来なかった。思わずそれを聞こうとして……それを取りやめる、主君の、その肉食獣のようにギラついた笑みに気圧されたためだ。

 

「取り決めてたのよ!!」

「ひっ!?」

 

 そして突如として葵は叫んだ。部屋中に反響する甲高い声で狂喜を奏でる。

 

 「彼と取り決めてたの!合図を!沢山!たぁくさん!!!!」

 

 それは遥か昔の記憶。深林での彼との思い出。蝿取草から隠れ忍び、共に生き残るために確認しあった咄嗟の合図。

 

 拳を握って上に突き上げれば「信頼」を意味した。ならば拳を握って下に下げたその意味は……。

 

「嘘よ」

 

 心底嬉しそうに葵は答えた。彼との指切りした取り決めを口にする。

 

「嘘、嘘!大嘘!!何もかも信用するな!!何もかも反対向きに!!!全ては出鱈目の正反対にっ!!!!」

 

 即ち、彼の言葉は何もかも……そしてそれは彼女にとっての最大の福音だった。神託ですらあった。

 

「あはっ!!」

 

 恍惚の表情で今一度笑みを溢した。乙女そのものに純情でいて、同時に酷く酷く歪んだ醜い悪鬼の嗤顔。濁りきった眼光は餓えた獣のようだった。

 

 さて、アイツらは気付いただろうか?いいや、気付かなかったろう。記憶を読んでも同じ筈だ。記憶は記憶、感情で情景が歪曲しても感情そのものを読み取れる訳ではない。

 

 彼との言葉を介さぬ意思疎通が、分かるべくもない。

 

 それは彼と己との、二人きりの秘密。秘密の、合言葉……。

 

「うふふっ!うふふふふっ!!あははははっ!!!!」

 

 そして再びの嘲笑。そして狂喜。彼と己とのその特別な繋がりを再認識して、心の結び付きを実感して、全身が打ち震える。興奮する。絶頂する。絶頂し過ぎて下着が汚れてしまった程だ。

 

 純白が、ごってりとした赤鉄色に。

 

 ……まぁ、鬼月葵という娘にとっては特筆するべくもない細事に過ぎぬ。彼女にはそんな起こり得て当たり前の事象よりも遥かに優先するべき事があった。

 

「そういうわけだから……先ずは其処を失せなさいな。邪魔よ?」

 

 絹の装束にまで盛大に零してしまった分際で、欠片も恥じる事なく傲慢不遜に葵は命じた。上座の下僕に命じた。寸分違わぬ己の影に向けて。

 

 己が従える三つの本道式、その最後にして最強の切り札に向けて。

 

『……』

 

 鬼月葵の造形を偽った影は、無言の内に微笑んでそれに答えた。そして解けて、溶けた。ずずず、と影に帰って消え去る。雲隠れする。忍ぶ。

 

 そして空いた空座に姫君は鎮座した。脇息に肘を突いて夢を見る。夢心地。

 

「そうねぇ。先ずは伝えないといけないわね。彼の要求を共有しなきゃ」

 

 脳裏に過るのはいい歳してみっともない身内に、蜂蜜色のご令嬢。志を同じくする同胞だ。

 

 彼女らに教えなければ。彼の求める物を。その行く末を。己と彼との深い深い繋がりを……そして己が先導して彼を支えなければ。彼に尽くさねば。彼に全てを与えなければ。そうだ、あの松重の淫魔擬きにも釘を刺して置かなければ。アレだって彼が居ないと生きられないだろうから、逆らう事はあるまいて。

 

 そして己を筆頭として、彼にかしずき、支えて、上座に座らせるのだ……。

 

「嗚呼、素敵な事……」

 

 夢想して、艶かしく嘆息。本当に素敵な事だと思った。彼に背負わすのではない。彼に託すのではない。責任を押し付けるのではない。己がしようとするのはそんな無責任ではない。

 

 真逆だ。確かに自分は彼に期待している。だが期待するだけではない。彼に与えるのだ。何もかもを。地位も、名誉も、金も、己自身も。力を与えるのだ。一切合切の全てを。報酬は惜しまない。惜しむ訳がない。

 

 だってそれは己が彼の傍らに侍るために必要な条件であり、彼を守るために必要な処置であり、何よりも彼自身が望んだ事で……。

 

「……えぇ。与えるわ。貴方に力を。権力を。だけど、それは彼のためよ?」

 

 お前ら(死人共)のためではない。お前ら(下人衆)のためではない。お前ら(彼に背負わせた者共)のためではない。断じてない。あってはならない。濁る瞳で天を仰いで、葵はその事を強調する。

 

 それが鬼月葵があの日々に痛感した真実。彼の周囲に価値を見出さぬ理由。

 

 だって、当たり前ではないか?奴らが彼に何を与えた?身体を傷つけて、心を傷つけて、何も代価も与えずに期待して、背負わせただけではないか?

 

 奴等の存在そのものが、彼の重しではないか?

 

「私は違う。貴方に与えてあげる。貴方の全てを背負ってあげる」

 

 そして全てが果たされた暁には、貴方の怒りも絶望も苦しみも罪も、全てを受け入れてあげる……それは葵から見ると酷く理不尽ではあったが全く構わなかった。彼のためであっても、彼の望むものではないのだから。

 

「貴方は優しい。それが何時か貴方を殺す。私はそれを知っているわ」

 

 深く深く、悲哀に満ちた嘆息。そうだ、あの日以来その連続であったではないか。有象無象なぞ見捨てればいいのに。無視すればいいのに。準備してあげた道程を進んでくれれば良いのに。そうすれば貴方は今よりずっと傷つかずに英雄になれるのに。

 

 それなのに、貴方はすぐに舗装してあげた道を逸れてしまう……。

 

「貴方に期待しているのが悪いのでしょうね?分かっているわ。そうでないなら私は今こうしていないでしょうから……」

 

 食われているか、凌辱されているか。少なくとも今の己はいない。貴方に拾われたから今がある。貴方がそういう人だったから救われた。

 

 ……だからどうした?だからといって貴方が苦しむのを、苦悩するのを、背負うのを許容出来る訳がない。本人が望めば良い訳ではないのだ。鬼月葵は利己主義者であり、物質主義者であった。

 

 己は彼に救われた。だが、彼が他の有象無象を傷ついて迄救う必要なんてない。貴方が背負い続ける必要はない。それが彼とのあの日々の記憶を弄んだ一因だ。貴方が苦しまぬように……どうやらその封印は解けてしまったようだが。

 

「だけど幸い。漸く貴方はそれを望んでくれた……!!」

 

 誰かのために傷つくのではない。己のために誰かを傷つけようとする彼の利己的な願望を葵は心から悦ぶ。その復讐の原動力が何かは予想出来る。それでも……これは始めの第一歩だ。

 

 ある意味で彼を堕落させる所業、だがそれこそを望もう。彼の幸せのために。心が奇麗な事を、清貧の生活を、心の豊かさを葵は信じない。それは負け犬の遠吠えだ。何も得られなかった連中の負け惜しみだ。

 

 彼が持っていれば、そもそもあの三日間に彼は何も失う必要はなかったのだから……。

 

「あぁ、本当に楽しみな事……!!」

 

 望み続けていた彼からの求めに対して、鬼月葵は本当に本当に悦びに打ち震え続けた。

 

 彼と共に思い描く美しく爛れた未来を想って、ひたすらに艶かしい吐息を吐き続けた……。

 

 

 

 




以下、本編の進行その他に一切関係ない聞き込み調査となります。宜しければどうぞ
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