和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第一二章 ツケの支払いは忘れた頃にやって来るって件
第一六八話


 人生とは未知の連続であり、驚きの連続であり、決して自身の思うようにままならぬものである。一栄一辱、波乱万丈、泥船渡河、人生行路である。嵐の中を漂う舟の如くただただその身を委ね、配られた手札で勝負するしかないのだ。

 

 そして殻継稲葉という娘はそれらの言葉を何処までも深く噛み締める立場にあった。狐憑きにより傀儡とされ、直前の数ヶ月の記憶が失われている彼女にとって己を取り巻く状況は気付けば余りにも急変していたのだ。

 

 暗摩山への使節団の張る天幕の一つ。其処に足を踏み入れた退魔士と武士らが目撃したのは打ち捨てられた肉の山であった。下人に雑人、皆死んでいた。操り人形の骸共がその何れもこれもが死後相応の時間が経ている事は調べれば直ぐに分かる事であった。

 

 即座に朝廷は都の殻継家別邸と領地に人員を送った。巧妙に隠蔽されていた幻術を解き祓えば、其処に広がるのは同じく地獄絵図であった。特に殻継家領地の本邸の悲惨な事は筆舌し難きものであったという。妖狐共は人の命も尊厳も弄ぶ残酷な存在である。

 

 ……紆余曲折の果て、朝廷と陰陽寮は殻継一族の退魔士としての身分を凍結する事を決定した。輿入れした者、入り婿した者はいれど少数であり、失われた下人や雑人等の人材を思えば再建はほぼ不可能と判断したのだ。都の資産・利権は朝廷と陰陽寮が差し押え、領地そのものは周辺に隣接する他家によって分割された。名目上は臨時管理であるが事実上の接収と言えよう。

 

 殻継稲葉の存在は宙に浮いた。本家筋最後の生き残りである。殻継の名字の持つ地位は凍結されても除名ではない。これをどう扱うか朝廷と陰陽寮はもて余した。殻継家領を接収した周辺一族は代々の誼として後見人として名乗りを上げた。あるいは婿入り嫁入りした家も……尤も、急に溢れ出した親切な親戚連中を素直に信じるのは馬鹿であろう。のこのこと行けば孕むか急病死が関の山である。

 

「それに比べたら……まだマシ、なのかしら?」

「あら?何か仰いましたか?稲葉さん?」

 

 ふと漏れた呟きは何処までも小さくて、しかし鮮やかな若葉色の袴を着こなす南蛮娘は目敏くそれを聴き拾うとくるりと振り返る。天使のような満面の笑みを浮かべる。

 

「いえ、……見事な庭園ですね」

 

 臨時の雇用主の甘過ぎるくらいに甘い姿に、しかし稲葉は淡々と感情を殺して答えた。その翠玉色の瞳から目を逸らし、話を逸らすように縁側に広がる庭を見やる。白石の砂利を敷き詰めて池堀には鯉の群れが泳ぐ、豪華な扶桑庭園……それは主人の財力を証明する手段の一つである。

 

「あぁ。お気にいって下さいましたか?それは結構です。ふふふ、景観も良いですけど色々果樹も植えてるんですよ?甘い甘い実が沢山……秋が楽しみですね!」

 

 ニコニコと愛らしい笑みを浮かべて臨時の雇用主は、橘商会商会長の一人娘は囀ずる。くるりと正面を向き直ってルンルンと音が出そうな程に軽快に縁側を進む。その背中を見つめて再び小さく嘆息……。

 

(本当、どうしてこうなっちゃったんだろう?)

 

 気付けば家も一族も失って、しかし別に其処まで愛着のあった訳でもなくて、それでも明日の生活を思えば途方に暮れて……陰陽寮もどのように対応するべきか難儀していたのだろう所に機先を制するように鬼月家が出しゃばって来た。

 

 財産や家の相続、後見人の任命……それらの利害が複雑に絡まり合う中、稲葉姫の存在は重要な鍵となり得た。鬼月家は其処に『善意』として一時的な身元引受人を推薦したのだ。

 

 それが橘家。正確に言えば橘家の娘、橘佳世。その御殿……それは各方面への配慮に満ちていた。

 

 引受人を少女として、別邸の警護として、衣食住を保証して、都から監視しやすく、上洛の役目を名目上維持出来る。そして誘拐や刃傷沙汰の可能性もあった故に関係者全員がその提案に妥協した。名采配といえる。陰陽寮から非公式に謝意を告げられたとも伝わる。

 

 そしてそれは周囲だけでなく稲葉姫、彼女の一先ずの身の安全も保障する朗報であった。あった筈である。その筈、なのだが……。

 

「あぁ、そうでした。例の物は……もう搬入されていますか?」

 

 ふと思い出したかのような佳世の質問。虚を衝かれた稲葉は一瞬だけ沈黙して、そして応じる。

 

「……はい。裏口から、確かに」

「人目には?」

「御用意された者以外には」

「それは結構です♪」

 

 稲葉の返答に南蛮娘は心底機嫌を良くした。良くして、御殿の渡殿を渡っていく。この屋敷の一番奥の対、其処に足を踏み入れるための唯一の通路を進む……護衛としてそれに付いていく稲葉の内心は実に憂鬱であった。

 

 当然の話であった。敢えて人目の少なくなるように設計されたのだろう、屋敷の裏口。其処から商人らから受け取って奥の間まで運び込んだ荷の中身、それを思えば……。

 

「か、佳世様……!!」

「い、いらっしゃいませ御嬢様……!!」

 

「奥の間」に足を踏み入れて直ぐ、偶然通り掛かった家事仕事の女中共が佳世の姿を認めると深々と頭を垂れた。自分達の主君向けて挨拶する。

 

「はい。お疲れ様です♪」

 

 雇用主は機嫌良く返答すれば彼女達の横を通り抜ける。稲葉もまたそれに続く。横を抜けて、抜けながら流す視線で女中共を観察した。端正な顔立ちの若い娘達……純朴そうにも見える彼女らを、しかしその瞳の奥まで覗けばその奥に潜むものが見えて来る。

 

「はぁ……」

 

 あぁ、こいつらもだ……稲葉姫は御殿の内情を嘆く。ここは玩具箱だ。こいつらは玩具なのだ。

 

 多田羅山頂上に設けられた橘家令嬢の御殿はその構造上、大きく分けて三つに区分出来る。即ち商会の執務にも用いられる「前の間」、客人の接待や宴会のための「中の間」。そして最も奥に設けられ、最も広い空間を占める「奥の間」……令嬢自身の私生活空間である。

 

 基本的に男子禁制、遮音の結界で護られたその空間において橘佳世は絶対君主であった。比喩ではない。厳然たる事実である。

 

 限りなく黒に近い灰色な筋から、文字通りに『購入』した娘共は佳世の僕そのものであった。購入に当たって刻まれた呪いが彼女達の自由を束縛している事を、限りなく違法に近い合法な術式によるものである事も稲葉は退魔士の知識から見抜いていた。彼女達は雇用主の命令に逆らえない。逆らう事は実質的な死に直結する。

 

 大金をばら蒔く所業である。行為自体は世間でも噂になるものではあった。その評価は、憶測は様々だ。如何わしい接待のための道具とするためとも、苦界堕ちする娘達を掬い上げる善行とも、単なる道楽に過ぎないとする者もいた。あるいは裏切らぬ手足が欲しいからとも……しかし稲葉姫からすれば、それらは全て正しくない。完全な正解ではない。

 

 触れて藪蛇となる事はしない。沈黙は金である事を稲葉は知っていた。だから触れない。夜番の見回りをしていた際に寝所から漏れ聞こえた嬌声を。障子の隙間を覗き見て目撃した雇用主の乱行を。

 

 淫らな出で立ちに着込ませた女中共を、摘まんで、押し込んで、捩じ込んで、引っ張って、噛み締めて、叩いて、啼かせて……虫も殺せなそうな純情な表情でやって見せる行為は下手な暴漢よりも遥かに容赦がなかった。文字通りに捌け口の玩具の扱いである。というか生恥白無垢って何?

 

(……あくまで私は身元預かりだから大丈夫、な筈)

 

 他人がどのように堕ちようとも稲葉は関知しない。ただ火の粉が此方に降りかかる事だけが気掛かりだった。仏間で夜な夜な催される、百獣を混ぜ合わせたような悪鬼像と絡まり犯し合う宴会に仲間入りするのは絶対に御免であった。尊厳破壊にも手心って物がある筈では?

 

「佳世様!よくお越し下さいました!!」

 

 内心で現実逃避を兼ねて突っ込みを入れていたためそれに気付くのが遅れた。廊下の向こうから一際上等な女中服を着込んだ娘が早歩きで迫る。背後には数名の部下、あるいは下僕を連れて。

 

「ふふふ。葛さん、こんにちは。不在の間皆さんお変わりはありませんでしたか?」

「はい。皆何時も通りに仲良く……佳世様こそ、よくお帰り下さいました」

 

 女中頭の一人、葛は心から主人の帰りを喜ぶ。ここ暫くの多忙から、佳世はこの御殿に足を運ぶ事が出来なかったのだ。その理由は稲葉とも無関係ではない。

 

「全く、何時までもしつこくて困りますよ。もう済んだ話でしょうに!」

 

 プンスカと頬を膨らませて拗ねる南蛮娘。彼女はこの四日間内裏と商会本店をひたすら行き来し続けていた。

 

 ある意味で当然の報いであり、尻拭いであった。商会長たる父が左大臣から受注して見せた兵糧の移送の仕事に、立場を弁えず後から横槍を入れて挙げ句には御破算にしてしまったのだから。関係各所への謝罪に弁明に佳世は駆けずり回っていたのだ。

 

「どの道、討伐は中止になっちゃいましたのに!商会の連中は未練がましく愚痴りますし、公家に将軍の方々も小言を言って来るんですよ?可笑しくありませんか?」

「恐らく面子の問題なのだと思いますが……」

 

 口を尖らせての佳世の愚痴に葛は己の知識と経験から推察する。商人の小娘に自分達の計画が邪魔された、それがただただ不快なのだろう。特に後者、朝廷の高官は気位が高いので尚更だ。

 

「えぇ、そうでしょうね!そうでしょうとも!全く下らないお話です!あのまま計画に取り掛かっていたら最悪此方が大損してたでしょうに!」

 

 士農工商という訳ではないが商人の立場は必ずしも身分制度にて保障されたものではない。あくまでも金が豪商達の権力の源泉であり、法や血統が無条件に担保してくれるものではなかった。

 

 高利貸しの金利の高さは保証がない故の事である。歴史を振り返れば徳政令やら棄捐令で財産が吹き飛んだ豪商だって幾人もいる。特に仁永帝の徳政令は、救済も補償もなく乱発された事から商家からは悪名高く知られていた。

 

 陰謀で貶められかけた事もあり、生粋の商人としての佳世は朝廷に対して欠片も信用を抱いていなかった。父はあの仁大臣からの注文な事もあり心配する事はないと語っていたが……言語化し難いがどうにも疑心を抱かざるを得なかった。

 

「解決は、したのでしょうか?」

「勿論です!私はいい加減な仕事はしませんよ!」

 

 胸を張って佳世は葛の質問に応じた。事実である。面倒な小言は賑やかに受け流し、嘘泣きして騙くらかして、序でに肩や膝に触れようとした掌は小気味良い音と共にぶっ叩いておいた。オマケに幾つか小さな注文を請負って見せた程だ。商人は転んでもタダでは起きない。

 

「まぁいいです、これで暫くはお休み出来ますから!雑務なら玲旺君でも出来ますしね!」

 

 そろそろ一つ上の段階の仕事くらいはさせても良かろう、そういう名目で本店に丁稚の少年を残したのは彼に対する上司としての善意であり、しかしそれだけではない……。

 

「ふぅ。愚痴ってたら喉渇いちゃいました。御茶でもしましょうか?」

「部屋で御用意させましょう。蕨、栞。先に茶室に」

 

 葛は佳世に提案して、背後の手下に命じる。恭しく一礼して退出する女中二名……小柄な南蛮娘は遅れて歩み出す。小柄な身体に似合う小さな歩幅で。

 

「そうそう。先日出仕した新人達はどうでしたか?」

「筋は悪くありません。同じ公家の出でしたから。ただ少し反抗的でしたので、多少折檻は……御安心下さいませ。華道を通じて今では関係は良好です」

 

 葛の打てば響くような応答に佳世はウンウンと頷く。背後の稲葉姫に流し目を送る。

 

「どうですか?稲葉さんも、一つ教えを受けて見ては?この手の教養はあって困る事はありませんよ?」

「いえ。その手合いには余り関心がありませんので……」

 

 何と無しにという体での提案を、即座に稲葉は断った。其処に籠められた罠を知っていたから。

 

 凛々しく澄まし顔の元公家令嬢が、しかし夜になれば殆ど紐のような衣装に馬のような張形で以て雇用主に「可愛がられている」のを稲葉は知っていたし、逆にその性格と教養とで己を慕う他の女中達を卑猥過ぎる作品に仕立て上げている事も知っていた。件の新人達も活け花にされたのだろう。そのお仲間は御免であった。

 

 加えるならば、佳世に盲信して崇拝してその手先として同僚を堕とす女中は他にも幾人か知っていた。稲葉が女中共から一線を引いている理由である。

 

「それは残念です。興味があれば何時でもお声掛け下さい。他にも書道も歌道も、何であれここでは得意とする者がいますので。遠慮なく申し出て下さいませ」

「……えぇ」

 

 自分が塵紙にされるのも淫楽器にされるのも、あるいは皿にされるのも毛織物にされるのも全力で遠慮したいが、はっきりとは口には出さないでおく。曖昧戦術で誤魔化す。この豪奢で華麗な魔窟では反抗的な者からへし折られて堕とされるのを稲葉は知っていた。処刑の順番を自分で繰り上げる愚は犯さない。

 

「そうです。葛さん。今夜は泊まりますのでそのつもりで。……どうせですし、今宵は先程の新人らを御伽役として回して下さいな」

「……新人だけでは不安ですので、御一緒しても?」

 

 佳世の指示に対して葛の応答は甘えるような声音にも聞こえた。南蛮娘は足を止めて首を向ける。佳世が見上げる形、しかし本質的には二重の意味で真逆であった。

 

 暫しの沈黙。重苦しい空気。不安げな女中の瞳をじっとじっと覗いて覗き込む。そして……。

 

「……えぇ。構いませんよ?善く善く、後輩達を良く補助してあげて下さいね?」

「……!!有り難う御座います!!」

 

 蜂蜜よりも甘そうな微笑みに花が咲いたようにぱぁと女中頭も笑みを浮かべた。華やかな百合畑が幻視出来そうな光景である。少なくとも稲葉姫にはそのように見えた。内心でげんなりとする。

 

 実際は稲葉の思う以上におぞましい内情であるのだが、それを未だ知らぬ事は幸せな事であった。

 

 ……南蛮娘が同志たる老婆から古い褌を譲り渡されていたのを葛は微かで濃厚な匂いで察していた。ここに来るまでの車の中で雇用主は大分お楽しみであった。

 

「ふふふ。そんなに大袈裟に悦ばなくても良いでしょうに。……私と貴女の仲なのですから」

 

 ニコニコ笑顔で女中の歓喜を見て宣う女商人の言葉に何れ程の意味が含まれているのか、それを理解出来る者は決して多くはなかった。それこそ、警戒し切っている稲葉姫すらも……。 

 

「さて。到着……稲葉さんはお呑みにならないので?」

「……警備の仕事がありますので」

 

 八割方嘘である。この面子で注がれる茶なぞ何が入っているのか知れたものではない。というか既にそれで毒牙にかかって快楽堕ちした女中を何人か知っていた。甘くて美味しそうな高級菓子が添えられていたら特に要注意である。

 

 ……実家で見た事も聞いた事もない甘味が毒餌に見えるのは勘弁して欲しい。

 

「そうですか。残念ですがお仕事熱心で結構です。それでは御願い致しますね?」

 

 何処まで本気なのか知れぬ物言いでの雇用主の激励。形だけでも恭しく応じて稲葉は縁側にて控える。障子が閉められてその向こう側ではけらけらと茶と菓子をお供に複数人での談笑の声……多分途中から「オホッ!?♡」とか「ぐえっ!!♡」とか「ひぎぃぃっ♡♡♡」とか言うエグい声が漏れ出すと思われた。もう流れは読めている。

 

「はぁ……本当、どうなる事なのやら」

 

 手入れの行き届いた庭先を鑑賞しながら稲葉はぼやく。酷い屋敷だがこれでもまだ有り得た可能性としてはまだマシなのだ。……時間稼ぎの猶予期間でしかないが。

 

 何年もここに居候とは行かぬだろう。何時かはここを引き払う事になる筈で、恐らく次の宿泊地こそが己の運命で……あぁ、本当にままならぬ事だ。

 

「せめて、格好良くて紳士な人なら……」

 

 そう。例えばあの人のように。ここに来るまでの世話役として同行したあの華麗な人みたいに。

 

「白若さん……」

 

 びっくりするくらいに美麗な鬼月の家人の横顔を思い返して、稲葉姫は背後の障子の向こうから響き始めた牝共の嬌声から逃避するためもあって、深い嘆息を漏らすのだった。

 

 深く深く、それは正しく恋する乙女の幼く、青く、艶かしい溜め息を。

 

 ……彼女がその余りにも重要で致命的な真実を知る事になるのは、今少し先の事になりそうであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

「……貴方に出仕のお達しがありました」

『おでかけー?」 

 それは暗摩山での任から帰還して十日程経てからの事であった。逢見家より宛がわれた屋敷の一室に未だ筋肉痛が酷い俺を呼び寄せて、鬼月の当主夫人は、鬼月菫は当然のようにそれを命じた。

 

「先日の功のお陰かも知れませんね。よもや名指しの要請とは」

『わたしはいつもしめいしてるー』 

 夫人の発言は文面程には然程驚いていないように思えた。寧ろ愉快なものを語るような、嘲りと皮肉を思わせる口調。その振る舞いは何処となく彼女の娘を思わせた。嗜虐的な態度……。

 

「はっ」

 

 尤も、俺はそれを不快に思う事はなかった。そもそも実感そのものがなかったからだ。

 

 そも、暗摩山での記憶は殆どない。ごっそりと抜けていた。それが事故によるものか、あるいは故意によるものかは分からない。懐に仕込ませていた物がいつの間にか消えていたのを思えば恐らく後者であると思われるが……何にせよ、俺はそれで一定の功績を立てたと評されたらしい。因みに功績を報告したのは雛である。

 

 都に首が晒された大蛇、それを討ち果たし、中納言と共に天狗共を諌めて陳謝させたとして官位と報奨を授けられた鬼月の一の姫は、その補助として俺の名を挙げた。使節団の長たる中納言の口添えもあり、彼女の百分の一程度の褒美がオマケの最下級官位と共に与えられる事になった。

 

「僻地の貧農の子がよくもまぁ出世したものです。御両親方も泣いて喜んでいる事でしょうね」

『家族は私と彼だけでいいの』 

 言自体は至極当然の内容ではあった。しかし、夫人の言葉はどちらかと言うと中納言と同様に俺には脅迫の類いに思えた。尤も、それはここでは本題ではない。

 

「……しかしながら、力と地位には相応の責が求められるものです。最早貴方はただの下人の頃のような下卑た振舞いは許されません。分かりますね?」

『私はお行儀なんて教えてもらわなかったよ?』 

 即ち朝廷から、というよりも陰陽寮から今後も御指名での命が来る可能性もある訳である。身内でのなぁなぁは許されない。無茶ぶりの命令でも拒絶は出来ない。

 

 ……何か今と大して変わらないような気がするが気にしてはならない。

 

「陰陽寮に向かって頂きます。其処で詳細を伝えられる事になるでしょう。……実に実に光栄な事ではありませんか。一端の退魔の士として認められつつある証です。鬼月の家として鼻が高い事です」

「……はっ」

『そのままへし折れろー』 

 実に実に心ない言葉に、同じく虚無そのものの口調で以て応じた。緊張感のある張り詰めた、形式的とも言える会話……何処までも空虚な時間である。

 

「家人扱ですので徒歩で参上とは行きませんよ?騎乗して向かうように。傍仕えも必要ですね。……何にせよ、鬼月の名代としての意識を常に心掛けて振る舞うように」

「ははっ。鬼月家の名誉に掛けて、謹んで承りま、すっ!!?」

『あっ』 

 応答と一礼は、頚元に触れた冷たい感触によって中断される。思わず懐の呪刀を引き抜こうとして、しかしそれは最早俺の手元ではなく頚元に当てられていた。

 

 瞬間的に正面の上座から背後に回り込んでいた当主夫人は、俺の頚を盗み取った短刀の横刃で撫でる……。

 

「あらあら、これはまた……少々乱暴な扱いではありませんか?ほら、刀身が少し傾いてしまっていますもの。怠慢ですね?」

「…………」

『触るなよ』 

 冷た過ぎる刃の感触に、しかし俺は無言であった。返答を求められていない事を理解していた。そしてそれ以上に不用意に動いた途端に条件反射的に断頭される可能性を恐れた。

 

「行けませんね。物が物ですから調度品のように保管しろとは言いません。しかしいざという時に刃毀れしたり刀身が抜けてしまっては一大事、違いますか?」

「っ……!」

『勝手に傷つけるなよ』 

 頚に走る鈍い熱。じわりじわりと溢れ出て来る感覚……微動だにしなかった。微動だにしては行けなかった。

 

「ほら。御覧なさいな。たったこれだけ。切っ先まで斬り込むつもりが先の先が薄皮を裂く程度。やはり刃が悪くなってますね。手入れを怠らぬよう……」

『わたしが舐めてあげるー』 

 傷口を一撫でして、白魚のようなそれが真っ赤に染まった掌を見せつける。赤く、紅く、朱い、赤黒い……。

 

「……まぁ尤も、それだけではないのでしょうけどね?」

『ぺろぺろ……あはっ、妖の味ぃ』 

 尚も溢れる鮮血を再度撫でてから夫人は呟いた。三度目はない。その必要はなかったからだ。止血された傷口。繋がれた傷口。それは明らかに唯人としては早過ぎた。

 

「また進んでいますね?この分だと先日の任で、少なくとも一度は使ったのでしょう?」

「ふぐっ!?」

『じゅるじゅる……親子揃って栄養が頭に届いてないの?』 

 背後から密着するようにのし掛かる夫人。生暖かい囁きが耳元をぞわりと擽る。背中に感じる柔らかな圧迫感は幾重にも布を挟んでいても圧倒的で、娘との血の繋がりを感じさせる。そして欠片の興奮もなかった。

 

 冷たい恐怖に、全身が萎縮する……。

 

「改めて言いますね?得物は善く善く手入れを怠らぬ事です。いざという時に切れ味が悪いと困るのは貴方自身なのですからね?」

『私がお迎えしてあげるよー』 

 深く深く抱き着き、手を腹部に回される。擦られる。片手の指で、人差し指の爪で腹を横一文字に撫でられる。今一方の手には短刀が握られていた。俺の心の臓に向けて突き立てられる朱く滲む切っ先。

 

「菫、様……!!」

「動かない。……狙いが外れてしまうでしょう?」

『だから触れるなよ、アマ』 

 震える声音で呟く名に、刀の鬼は嗜めるように応えた。ゆっくりとゆっくりと、切っ先が向かって来る。懐に迫り来る。迫り、迫り、迫り……鞘の中に、仕舞われていく。

 

 カチリ、と鋭利な刃が鞘の中へと収まる。

 

「…………」

「余り歪み過ぎると鞘に収まらなくなりますし、逆に咄嗟に抜く事も出来なくなります。注意なさいな」

『抜けにくくしてやるー』 

 艶かしく、しかしあっさりともした指摘に、俺は暫しの沈黙の後に「はい」と短く答える。それは正しく気力を振り絞って紡いだ単語であった。

 

「……明日までに出仕の用意を。……私はこれからあの人と共に歌会に参加しますが傍仕えは無用です。あの人にも御伝えしておきます、先ずは己の役目のために精励して下さい」

「……はっ」

「良い返事です」

『背中乗るねー?』 

 そしてすたりと立ち上がった夫人。首を上げる。見上げる。見下される。視線が交差して、視線を逸らす。下に向ける。微笑まれる。肉食獣の微笑。娘と同じだった。

 

「では」

『私の匂いで上塗りしてやるー』 

 その端的に言い捨てて、単を引き摺って立ち去る夫人。障子を引いて、退室する。気配が遠退いて、それでも尚暫しその場にて硬直し続けて……俺は姿勢を崩して息を吐く。

 

 情けない四つん這い。どっと流れる汗。糞、これだからあの女と話すのは嫌なんだよ。ゴリラ様の圧迫面接でももう少しマシだぞ……?

 

「それにしても……ふっ、俺自身のため、か」

『私は貴方のために沢山頑張ってるよぉ?』 

 斬られた首筋に触れる。薄く細い瘡蓋の感触は、まるでそれが何週間も前からあったようで……この分だと全身の筋肉痛も怪しいものだ。本当なら筋肉も骨も粉砕されて寝た切りになっていたんじゃないか?

 

(化物か……)

 

 撫でられた腹に触れる。実際の所、腹割いて済むかかなり怪しい。最悪の時にどのように始末をつけるか……誰かを、特に雪音や毬、孫六、白辺りを傷つけるのは避けたいものだ。いっそ、翁辺りが自裁用に何か用意してくれたらな……。

 

「……入鹿、か?」

「気付いたか。お前さん、鼻が良くなったか?」

『駄犬』 

 背後を振り向く事なく、俺は障子の前にやって来た存在の正体を見抜いていた。ゆっくりと振り返る。ぴくぴくと獣耳を動かす背の高い狼女の姿……。

 

「耳だよ。……何しに来た?」

『お耳ふぅーふぅーしよっか?』 

 吐き捨てるような物言いで答えて、彼女に問い質す。よもや暇潰しで来た訳でもあるまい。……ありそう。

 

「冷たい事言うなよ?因みに失礼な事考えてたろ?……心配して顔見せしに来させられたんだよ」

「……まぁ、自主的に顔見せるような殊勝な奴じゃあないよな。環か?」

『……忌まわしい奴』 

 俺は入鹿を寄越した者の正体を見抜く。というか彼女くらいだろう、この蝦夷狼が素直に命令を聞く相手は。

 

「師匠に呼び寄せられたって話を聞いてな。怪我の具合もあって見守りして欲しいってよ。本当、お人好しだよな?」

『私だけに優しくすればいい』 

 肩を竦めて主人の行動に呆れる入鹿であった。確かにお人好しだ。純粋過ぎる。

 

「そうか。世話掛けたな。……そっちこそどうだ?問題は、ないのか?」

『私には何もないもん』 

 特にマジカルま……何かTSしてる宮鷹の放蕩者に左大臣の事を思っての質問であった。

 

 帰還してから初めて聞いた件であって、正直真っ先に思ったのは環の純潔であった。薬キメックスで堕ち切っての廃人化まで覚悟した程だ。五体満足な彼女を見ても何処か壊れてしまってないか何度も疑った程だ。面会したという二人はそれだけの危険人物だったのだから。

 

「?別に?強いて言えば御隠居の婆さんの着せ替え人形やらおめかし人形にさせられてげんなりしているな」

「それだけか?」

「……それだけだが?」

「そうか……」

『全て奪われたもん』 

 怪訝な入鹿の視線を無視して、俺は口元を押さえて考え込む。

 

(直ぐに体調不良になったって話だが……顔を良く確認してないのか?)

 

 原作では接触して即ボディタッチしてくれやがったのだが、顔合わせでは会話すらなかったという。直ぐに苦しんで退席、そのまま気まずく御開きになったそうだ。そんな上手い話が……しかし、あの狂った大臣である。環「くん」相手でも毎日文を書いて三日置きに逢い引き紛いの接触攻勢をして来たのが一週間以上不干渉というのも考えにくい。やはり本当に顔を確認してなかった?

 

「何だ?何深く考えてやがる?秘め事か?」

「いや……杞憂だよ。多分。宮鷹の家は余り良い噂は聞かない。注意しておいてくれ」

「正確には環と鈴音の事を守っておいてくれ、だろ?」

『これは私のだ』 

 皮肉げに、嫌味っぽく狼は嘯く。

 

「一応、お前自身の身も案じてるつもりだがな?」

「一分処か一厘くらいの比率だろうが」

「バレたか」

「認めるな」

『私だけのものだ』 

 軽いノリでの売り言葉に買い言葉。場の空気が弛緩する。弛緩させられて、弛緩させた。お互いにピリピリとした会話を望んでいなかった。

 

「嫌味を言える程度には元気そうだな。そう伝えておくぜ。……時間があったらまた顔でも出せよ?環の奴ら喜んで歓迎してくれるだろうさ」

「あぁ。あったらな」

『泥棒共め』 

 何処まで本気か知れぬ約束。同時にそれは入鹿なりの配慮でもあった。鈴音を、雪音の様子を、大切な妹の姿を見る機会をくれたのだから。

 

 決して時間は長く残されてないだろう、俺に家族を見守る機会を……。

 

「……今回の仕事が終わったら、見に行くさ」

『覚えていろ』 

 俺はよろけつつも立ち上がる。軽く流すように、それでいて精一杯の感謝を込めて、擦れ違い、立ち去る。

 

 兎も角も、目先の絶対に生きるための希望が得られた事に心から感謝した……。

『欠片だって渡さない』 

 

『独り占めしてやる……』 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……湿気た奴だな。全く」

 

 縁側の向こう側に消えてしまった男に向けて肩を竦める蝦夷の狼。相も変わらずの態度に呆れ果てる。

 

 

「まぁ、ある意味らしいと言えばらしいか」

 

 女中の親友と、その兄を比べて兄妹は似るものだと実感する。口が悪い癖に面倒見が良く、妙に義理堅い……あるいは妹が兄に似たのか。まぁどちらでも良い。

 

「お陰様で此方も構っちまってるのが問題だよなぁ。俺、そんなに絆されるような性格だったかね?」

 

 もっと乾いた性格と思っていたのだが……それこそ、母親がくたばった時だって泣いた記憶はない。環境が楽になって甘くなったのだろうか?脳裏に過るのは友人二人の姿である。

 

「あ、そう言えば伝え損ねたな……」

 

 そして、今更に入鹿はそれを思い出して、しかしどう伝えたものかと思い悩む。

 

「変な反応は、しねぇよなぁ?」

 

 近頃、鈴音に男の影を感じる事を伝えるべきか、どのように伝えるべきか、狼は真剣に悩むのだった……。

 

 

 

ーーーーーーーーー

 清麗帝の御世の一四年、文月の一日。俺は大仰な門前まで来ていた。

 

 扶桑国の都、中心部に広がる大内裏は所謂省庁街である。国事用の式場に八省・その他庁・寮・院の施設、近衛兵の兵舎に大蔵が建ち並ぶ。常時数千人が業務を行う其処は国の中心部であり、眼前の衛兵の警備する大門はその入口であった。

 

 ……正確に言えば中小の門は他にもあるが正式な要請による出仕は正面大門からが基本である。なので場合によっては滅茶苦茶遠回りする羽目になる。なので名門公家は大門近くに屋敷を構えて下級公家やら武家やら退魔士家にマウントを取ったりしている。

 

「……伴部さん」

「ん、白か」

 

 黒馬に跨がる俺は傍らに控える白丁の狐に視線を下ろす。白狐は不安げに此方を見上げる。

 

 出仕に際しての世話役に誰を出すのか、孫六が当然ではあったが毬の事を思えば余り離したくもなかった。余り空気は良くないが他の雑人か、何なら下人衆から回して貰うか等と思っていたが……実際に当日に宛がわれたのがこの幼げな狐であった事に、俺は陰謀を疑った。

 

 俺個人の心情は兎も角、よりにもよって半妖を大内裏まで踏み込ませるのだ。厄介事の種にならぬか……いや、俺の立場は良い。白自身の身が何よりも心配だった。

 

「姫様も、反対してくれたら良かったんだが……」

「それは……」

 

 俺の愚痴のようなボヤキに白は何とも言えぬ表情を浮かべる。彼女の立場からすればあからさまに同意は出来ないのだろう。

 

(ゴリラ……葵の奴、何を考えているんだ?)

 

 俺は足下に縋りついたずぶ濡れの女の姿を思い返す。俺がこの状況を肯定しない事くらい……いや、原作を思えばそうでもないのか?

 

(感覚がズレてるのか。価値観が違うのか)

 

 原作より丸くなったと以前思ったがあの姿を思うに単にベクトルが違うだけか。俺が上部しか認識していないのか、あるいは俺よりずっとこの世界の常識に浸っている故の当然の行いなのか……駄目だな。人の心は理解出来るものじゃない。せめて直接問い質さないとどうにもならんな。

 

「少し触れるぞ?」

「えっ?ひゃっ!?ぴゃあっ!!?」

 

 黒馬から降りて、俺は困惑する白の身体に触れた。正確には尻尾に触れて、白丁服に触れて、首元に手首に触れた。びくりと震える白狐。

 

「封印はしているな?漏れは……ないな?」

 

 首輪に腕輪、白丁服の裏には封符が無数にあって、尻尾の根元にも締めるように鎖。それらは半妖の妖気を阻害して、妖術の行使を妨害する代物であった。

 

 一部例外除き半妖は都の内に入るのも似たような処置が必要で、大内裏に入る際はより厳重だ。俺がそれらを再確認するのは夫妻の陰謀の類いを警戒しての事である。不良品が交ざってチェックで拘束なんて事になったら面倒だ。

 

「ひやっ、んっ……んんっ!?」

「くすぐったいか?我慢してくれ。よし、これなら大丈夫そうだな」

 

 むずがり何処か艶かしい声音の白を宥めて、俺は入念に確認に確認を重ねて、そして解放した。半妖狐の少女は若干涙目で此方を睨む。

 

「伴部さん……!」

「すまん。だがな……面倒事に巻き込んだ事は反省するよ」

「むぅ……卑怯な言い方です!」

 

 俺の返答に、白は文句を垂れた。この娘、中々言うようになったな?

 

「あとで何か買ってやるから、許してくれよ?」

「私の苦労も知らないで……!」

「……予想は出来るよ」

 

 思わず面越しに視線を逸らしての返事であった。葵の応対に聞き役、俺が抜けた分の負担は察して余りある。分かるが、ねぇ。

 

「今は結構手取りはいいんだ。だから、なぁ?」

「むぅ」

 

 拗ねるように頬を膨らませる狐娘を、その頭をポンポン叩いて俺は場を誤魔化す。お為ごかしする。

 

「……お菓子、沢山買いますからね?丁度必要なので」

「?あぁ、分かったよ」

 

 白の言に何処か引っ掛かりを覚えつつも俺はそれを受け入れた。金と物で解決する問題は楽である。

 

「さて。じゃあ改めて、向かうとしようか?」

 

 俺は仕切り直すように馬に乗って門に向かった。

 

 ……擦れ違い様、衛士がぼそりと「幼女性愛の獣愛、上級者だな」と呟いた気がした。解せぬ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 陰陽寮の敷地は大内裏の中心部から外れた場所にある。

 

「此方に」

 

 陰陽寮本舎に到着した俺を案内する官吏には霊力は感じられなかった。陰陽寮といっても構成員全員が退魔士ではない。御役所としての側面が強い故に、そして監視のために朝廷から派遣された官吏が相当数所属していた。というか事務方の書類仕事は殆ど彼らが管轄しているという。

 

 ……謀略の香りがするが気にしてはいけない。

 

「寮頭が直接お会いするとの事です。……其方の御付きの方も御入室下さいませ」

「はい。……はい?」

 

 淡々とした官吏の言葉の受け入れて、困惑に二度見する。白を見て、官吏を見て、それを二度程繰り返す。

 

「それは……」

「既に執務室にてお待ちかねです。どうぞ御入室を」

 

 話すべき事は話したという官吏の有無も異論も許さぬ言葉。それは何処となく嫌な予感を感じさせた。

 

「……白。行こうか?」

「……はい」

 

 数瞬の沈黙。迷い。決意。俺が催促するのと白がそれに答えるのに要した時間はほぼ同程度だった。……連れて来た以上、何かあった際の責任は取らんとならんな。

 

「失礼致します」

 

 扉を開き、俺は入室する。広い執務室の正面机に人気を認めて、膝を突いて名乗りを上げる。

 

「北土退魔士家鬼月家召上げの家人扱下人、仮名を伴部。要請に基づき、主家の名代として傍仕え一名を引き連れ、只今参上致しました」

 

 つらつらと立場を口にして、頭を下げて、俺は返事を待つ。暫し筆の音だけが室内に木霊して……漸くその返答は来た。

 

「宜しい。頭を上げてくれたまえ」

 

 返事に応じて俺は、そして物音から背後の白もまた頭を上げた。視界の先でその者の姿を見た。

 

 黒基調の陰陽装束、口元を隠す垂れ布。怜悧な眼光。若い声音……俺はその者を知っていた。初対面だが知っていた。

 

 現陰陽寮頭、霧草厳正……原作「闇夜の蛍」でも登場するこのサブキャラは一言で言えば出オチ要員である。

 

 決して弱い訳ではない。しかしながら毎度どのルートでも相手が悪く、あるいはメタ戦法に卑劣戦法で散々に伝わる実力に対して、酷くあっさりと殺される故の事だ。界隈では長らく紫やら名無し鬼月退魔士(恐らく鬼月刀弥)等と組まされて「出オチ寮頭」として扱われていた。尤も、ダース・タマキルートではその分かなりフォローされる事になったが。あと一歩で救妖衆の計画破綻させてたってネタじゃなかったんですか?

 

「……何かな?私の顔に何か付いているかな?」

「……いえ、彼の陰陽寮頭殿に拝謁出来た事、真に感無量でありますれば」

 

 面越しの視線に気取られて、俺は平静を装い言い訳する。御上りの成り上がり者らしく卑屈に振る舞う。流石に鋭いな。

 

「世辞は要らんよ、鬼月の名代。警戒しているのは分かってる。警戒して然るべきだ。でなければ家人扱に異議を申し出ていただろうな」

 

 手元の書状に何か認め終えて、筆を置く陰陽寮頭。作業を止めて、此方を見据える。

 

「名指しでの出仕の要請。それに傍仕えに半妖。しかも妖狐だ。作為的なものを感じるのも道理だ。……ふむ。これならば容易に陥れられる事はなさそうだな」

「り、寮頭殿……?」

 

 俺は余りにもあからさま過ぎる物言いに動揺する。それは恐らく背後の白も同様であった。

 

「気にする事はない。この部屋は結界を結んでいるから防音だ。事前に盗聴の可能性が無いか入念に調べもしている。……周囲の式は排除しておいたが文句は無かろう?よもや隠行された式を執務室に入れるのを容認する訳ないからな」

「寮頭?一体何の話を……!?」

 

 これは何の会話だ?何のための会話だ?

 

「厳正、もう少し段階を踏んで説明してやれ。流石に混乱しているだろうが?不用意に不安にさせるものではないぞ?」

 

 当然のように紡がれた皺嗄れたような声音に振り向くと当然のようにその女はいた。びっくらこいたような表情の白の頭をガシガシと撫でるその人物の名を、俺は知っていた。

 

「それはそうとして、上洛したのに未だに挨拶に来ぬとは……偉くなって傲慢にでもなったかな?鬼月の同族よ?」

 

 実に老獪そうな女の狸が此方を見定めながら宣った。

 

 元陰陽寮頭、吾妻雲雀が愉快げに此方を糾弾していた……。

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