和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
「良かったのかしら?あのような申し出を受け入れて?」
「構わないわよ。アイツらから彼を少しでも引き離せれば……何でもね」
静寂を理由として遮音の結界を結んだ一室にて、二人の女は応答した。直後にチャキっと金音が鳴り響く。花鋏の音であった。姫君が花瓶から伸びる華々の内から、腐った赤花を首元から切り落とす裁断の音……。
逢見の屋敷の一室にて行われる生花教室……の名を借りた密談。表向きはお稽古で、裏の理由は御意見番による苛烈なる二の姫に向けた説得で、真の理由は語るまでもない。
「確かに陰陽寮にはあの二人の影響は及んでいないわね。だけど……信用出来るのかしら?相手はとんだ狸よ?」
「ならばこそ、あの二人の好きにはさせないわ。それに……こういう時こそお婆様の出番ではなくて?」
萎れた紫花を切り捨てて、葵は質問で返す。長年黒蝶婦の異名で以て恐れられて来た御意見番は当主夫妻よりも余程中央との結び付きが強い。宙ぶらりんの鬼月の次期当主の座に干渉したい者は山程いるし、そういった者の少なくない数がこの老婆に接触している事を葵は知っていた。この婆の存在価値の一つである。
彼に全てを捧げる際に、その外堀を埋めて朝廷にも認めさせるためにはこの女の人脈は不可欠で……。
「それに、保険があるもの。アレが彼に懐く間は間違っても切り捨てる事はないわよ。……私には分かるのよ」
小さな白花を撫でながら葵は嘯く。陰寮の元頭にしては大分甘い奴である。そんなのだから追放されて、孤児院なんてやっているとも言える。
建てかえてやった孤児院では実に精力的に育児をしているという。今更権力欲から陰謀を張り巡らせている訳では無かろう。
「無論、必要ならば躊躇はしないから安心して下さいな」
僅かに名残惜しげに、しかし花鋏は冷淡に白い半花を切り落とした。もう少し大きく花開けば良いのだがこの中途半端さでは全体の調和のために裁断するのは已む無き事であった。
「……相変わらず思い切りの良い子ですね?」
「あら失礼な事。私、これでも随分と慎重ですわよ?」
「冷酷の間違いでしょうに」
「ふふふふ」
間髪容れず、最後にチョキっと黄色い蕾を落とす。悪いがこの作品の映えを思えば邪魔な異物であった。裁断、裁断、間引き……そして葵の作品はおおよそ完成する。
「お魅事、それは認めて上げましょう」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
指導役たる祖母の冷たい賛辞に、八割方手を抜いていた葵は慇懃無礼に応じる。二人の間にあるのは大輪の華。白桃色に染まった鮮やかなただ一つの大花。そしてその足下に散らばるのは無数の多種多様の小花……彼女の尊大さを象徴する作品である。
「だけど貴女らしくもない……また随分と冒険した品ですね?」
それは何処までも孫娘らしく、しかし孫娘らしくない作品に向けての祖母の論評であった。
葵は天賦の才の持ち主だ。荒事に限らず万事の秀才である。筆を執れば名筆を認め名画を描き、茶を点てれば極上の逸品を煎じて見せて、詩を吟えば歌仙を選ばれるのは容易であり、琴を弾けば甘い演奏が身も心も蕩けさせる。そして華を生けても同様だ。
陽華流の巨匠たる彼女の師は、僅か一日で彼女への指南を辞して隠居した。数十年の努力は余りにも容易に越えられて、何よりも傷つけたのは姫君の技には心がない事だ。
情熱のない褪めきった心で、退屈げに活けられた華は師がこれまで見てきた何よりも美しかったという。圧倒的かつ無規質な技術で彩られた芸術……ごり押しといっても良い。それはその道の求道者の心をへし折るのに十分で、過去の彼女に指南した様々な師達に共通した運命であった。
逆説的に、鬼月葵の技は規模が異常なだけで本質的にはその全てが基本に則った代物だ。基本を極めた代物だ。既存の延長線上の物に過ぎず、意外性はない。幾ら苛烈で尊大な性格であるといっても、ここまで奇をてらった花を生けるとは胡蝶は思ってもいなかった。顔にこそ出さぬが、胡蝶は確かに心から驚いていた。
「あら。お婆様。正確にはまだ未完成ですわよ?」
そして二の姫は祖母を試すように嗤いながら最後の最後の仕上げに取りかかる。さっと立ち上がる。そして悪戯するような笑みを浮かべてその足で瓶を転がした。
「これが最後の総仕上げ……!」
宣言と共に割れる瓶。散らばる破片。床に崩れる大輪を、葵は和装を持ち上げて見せつける黒い足袋で踏みつけた。
青毛馬の革で編まれた足袋が美しい華を情け容赦なく踏みつけ、踏み潰して、捩じ伏せる……他の首の落ちた華々には一切関心も持たずに、一心不乱にといった体で足袋でぐちゃぐちゃにしてのけた。そして退いて見せつける。己の渾身の作品を。
散々に引き裂かれて散らばる桃色の花の残骸と、花汁を吸い取った馬革の足袋。それこそが鬼月葵の見せつける名作だ。
「……また前衛的な作品ね?」
「そうでしょう?近頃は型に嵌まった品だと退屈に思えて来たの。色々と試して見てるのよ」
ジトリと祖母の愉快でない眼差しに孫娘は悠然と返答して見せる。
「分かっていると思うけれど、他所様の前で同じ事をやるのは控えなさい。余りにもはしゃぎ過ぎだわ。気取られるわよ?」
余りにも余りにも楽しそうで、余裕そうで、上機嫌そのもの過ぎて、彼との秘密の繋がりが露見する事を胡蝶は恐れた。
「分かっているわよ。だからお婆様にお見せしたのでしょう?」
「偉そうな口ね。貴女の事よ、雛の前で悠々と喧嘩を売るくらいやって見せるのでしょう?やれやれだわ」
孫娘の野望に釘を刺して、頬に手を添えながらの嘆息。矜持の高過ぎる孫娘の発想なぞ読めていたし、それは決して考え過ぎではない。この席を設けていて良かったと心から思う。やらかす前に注意出来た。
……などと思われている当の孫娘としては澄まし顔で戯れ言をほざくな、であったが。彼女はこの祖母が毎夜毎夜兎染みた猥服着こんで四つん這いで馬型式に張形で攻められているのを知っていた。何なら式に前肢で己の頭を踏ませながら攻めさせてるのも知っていた。いやちょっと待てよ。御兄ちゃんって何だ御兄ちゃんって。
……眼前の代物もそうだが、息子共が見たら衝撃で脳が破壊されるのではなかろうか?というかいっそ破壊されたらいいのに。闇に生まれたものは纏めて闇に帰れ。色んな意味で。
「うふふ」
「ふふふふ」
互いに相手の悪感情を見抜いての嗤い声。満面の笑みで全てを水に流す。実態は油汚れのようにしつこくこびりついているが何事も形式は重要だ。
「冗談よ。そんなに拗ねないで頂戴な」
「わかっていますわ。お気になさらず」
形ばかりの謝罪と快諾。さぁ、話の仕切り直しだ。
「……彼に官位が授けられた。それ自体は非常に善き事、『人』として認められつつあるのですから。問題はその経緯」
一の姫との任での功績が大きく理由を占める官位の授与。そも允職としての任命もそうであるし、鬼月に召し上げられた経緯もまた同様。外から見れば大恩ある身の上であり、知る者が更に贖罪もある事を知っている。
「彼の性格もあるわ。雛に対して引け目もある筈よ。分かるわね?」
別に感じる必要なぞ皆無の負い目であるが……彼はきっと罪悪感を抱え込むだろう。
「彼の心は間違いなく雛の元に惹かれている……覚悟しなさい。貴女はもう暫く不愉快な事態を見続ける事になるわ」
鬼月葵は聡明で、才媛で、天才で、しかし何処までも感情的な女だった。我慢や自重等という言葉は本来彼女に似合わない概念である。唯我独尊の風来坊、それが鬼月葵から姫君という概念を取り除いて残る代物なのだ。同志たる孫娘の激情に身を任せた後先考えぬ暴走……それは胡蝶が最も恐れる事象だ。
「挑発は四方八方からあるでしょう。しかし忍耐が大事です。忍辱の覚悟を持って、軽挙妄動は慎む事……焦ってはいけませんよ?」
強く強く、注意を促す。一時の感情で全てを滅茶苦茶にしてはならない。己のように。雛のように。同じ過ちを繰り返してはならぬのだ。
「ふふっ。畏まって言ったと思えば……取り越し苦労というものね。どうして焦る必要があるのかしら?」
葵はしかし、祖母の心配に向けて何処までも余裕を持って宣った。其処には一欠片の焦燥もなく、虚勢もなく、恐怖もありやしなかった。
だって、そうだろう?
「彼は求めてくれたのだもの。私の力を。彼は必要としてくれているのだもの。私の協力を」
彼が彼自身の願望のために己を頼ってくれている。それだけで葵は満たされたし、安息出来た。彼の役に立っている。ならば捨てられる事はない。何処までも安心出来る。どうして怯える必要があろう?
「この気持ち、貴女にも分かると思うのだけれど?」
沈黙の内に訴えられた彼の願望を、要求を、それを教えてやった際の祖母の狂乱と狂喜と恥態を葵は覚えていたいと思っていないが鮮明に記憶に焼き付いていた。彼女の聡明さ以上に祖母の反応がそれ程までに過激で滑稽であったからだ。思い出したら今でもけらけらと嗤えて来る程だ。
それはもう、実に実にみっともない有り様で……良い歳して何処までも眼前の年寄りは女だった。
「……尊族をからかうのはお止しなさいな。これでも私は貴女の祖母なのよ?」
「孫娘の良人想って啼く色狂いがどの面下げて?」
祖母の注意に食らいつく孫娘。到底家族の間での会話ではない。女の会話であった。あるいは牝の会話であった。牽制と威嚇を含んだ言葉の交わり……尤も、彼女達にとっては日常のじゃれ合いだ。
この程度の鍔迫り合い、内に渦巻く激情に比べれば微風に過ぎないのだから……。
「……ふぅ。頃合いね。そろそろ退出させて貰おうかしら?」
時計も見ず、日の高さも見ず、ただ直感的に今の時刻を見抜いて葵は踵を返す。
「予定では、確か唄会でしたか?」
「えぇ。詰まらない事よ。彼の前で吟う訳でもないのだから」
二度目の上洛。一度目の折もであったが、鬼月葵という姫君の名はますます広がるばかりだ。その血統、その美貌、その身体、その才能。以前の話題も相まって、その身を望まぬ退魔士家はいなければ望まぬ貴公子もいない。鬼月の次期当主を巡る関係を思えば尚更に……それこそ事態の円満な解決のために妻とせんと『善意』ぶっての厚かましい要望も数多く来ているという。反吐が出る。唾壺があっという間に満たされてしまいそうだ。
「お姉様の方には要望は少ないそうよ?貧相で行き遅れだからかしらねぇ?」
嫌味を吐き出す葵は、しかし真実を理解している。例えば当主が長女こそを気に入っていると噂を流せば、あるいは朝廷の任で功績を上げれば、その異能の流出を恐れていると囁けば……せせこましい策謀だし、その程度の理由で己を選ぶ男共の小賢しさにも呆れ果てる。実に詰まらない男共だ。根性無しめ。
本当に、彼とは違う……。
「彼は特別なのよ」
「正確にいえば心が少しだけ強くて、優しいだけ……けど、その小さな差は何処までも深くて広いのよ」
口は良くない。絶世の美男子でもない。聖人君子でもなかった。それこそ赤穂の長兄の方が遥かに人格は高潔だろう。完璧だろう。だが鬼月葵が求めるのは、彼女の同志が求めるのはそんなものではない。
「作り物でもなくて突き抜けてもいなくて等身大の、それより一歩、二歩、踏み越えて。小さいけれどその数歩を踏み込める事の出来ない者は山程いるわ」
だからこそ、それは偉大なのだ。心に響くのだ。特別で、特別で、特別なのだ。
それはきっと、目の前の女も同じ意見であろう。尤も、この老婆の場合は過去の恋と後悔が占める割合も多いだろうが。不純なものだ。己とはまた違う。葵は内心で嘲り蔑み見下す。
……まぁいい。彼のためになるならば、あの忌まわしい姉とは違う。許容出来る。望む道は同じでなくとも、少なくともあの姉よりかは遥かに近しいのだから。
「間違っても話を拗らせないように。詰まらぬ男共だからって古の輝夜の姫の如く、ふざけて試してはなりませんよ?」
「そんな所望するわけないわ。まかり間違って持って来られたら迷惑だもの。適当にあしらっておくわよ」
何処までも形式的に、しかし勘違いはさせぬように。異常な観察眼で以て人の心すら読める鬼月葵にはそれは容易く、そして必要な行為であった。
己に何処までも好印象を与えて、理性の歯止めはかける……それは使える手駒を揃える手段でもある。大それた事は出来なくても便宜を図る程度には心揺さぶられるように、その絶妙な機微を葵は弁えていた。
(彼には中々効果はないのは口惜しいけど)
何故か彼には己の誘惑が効きにくい事は魅力であり、不本意でもあった。理性を捨てて押し倒してくれれば何処までも受け入れてあげられるというのに……他の男共に効いても此では宝の持ち腐れというものだろう。お陰様で彼には借りばかり増えていく。
あぁ。本当に意地悪で優しい事……。
「じゃあ行くわ。……私の作品、片付けて貰っても?」
「当然よ。他の者には到底見せられないわ。貴女も、本来は彼以外に見せたくもないのでしょう?其くらい始末してあげるわよ」
足下に散らばる花を一瞥しての葵の要望を胡蝶は快諾する。背後からは既に証拠隠滅のための式が掃除道具を手に現れていた。
「えぇ。頼むわ。……貴女のその作品共々、ね?」
祖母の生けた作品を冷たく一瞥した後、鬼月葵は颯爽に部屋を足早に立ち去る。歌会に出る前に入浴して装束に香を何度も薫き染める事も行うつもりだった。あの部屋に立ち込める臭いを思えばそれだけは外せなかった。
だってそうだろう?あんな乳臭くて生臭くて、卵臭くて……容赦のない悪臭だ。匂いが着物や身体に移ってしまう。勘違いされかねぬ。さっさと全部洗い落とさねば。
「前衛的ね。……本当、あの女どの面下げて言ってるのかしら?」
己から排出された「モノ」で肥やし彩った馬酔木の花の、その赤々しくも白々しく染め上げられた有様を思い返して、何処までも何処までも孫娘は祖母の卑猥過ぎる作品を蔑むのだった……。
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吾妻雲雀。元陰陽寮頭にして化狸の因子を取り込んだ半妖。そして、原作時空においては本編前の時点で狐璃白綺の分け身によって食い殺されている筈の存在……それは今更する必要もないだろう。それがどうして未だに生きているのかも、当事者の一人たる自分が疑念に思う必要もない。
疑念があるとすれば陰陽寮から退いた彼女がどうしてここにいるのかであり、抱く感情は居心地の悪さであり、バツの悪さであった。
「貴女は……何故、ここに?」
「質問に質問を返すのは宜しくないな?」
思わず零れた言葉に、あからさまに不満げな答えが返って来た。闖入者は驚愕していた白を引き寄せると、背後から有無を言わさず抱き寄せる。その仕草は親鳥が雛鳥を守る様にも思えた。
「挨拶は大事だ。礼記にも、記紀にも記されている。我が子とも言うべき者を預けている立場なら尚更だろう。……違うのか?」
対面する狸女は年齢を感じさせる落ち着いた口調で、しかし詰める口調で、責める口調で問い掛ける。それは一点の曇りなき全くの正論であった。
「……正論です」
無意味な言い訳は見苦しい。俺は素直に答える。
「加えるならば、お前に掛けた呪い。一度発動しているな?傷つけるなとの約束の筈だが、どういう事かな?」
「それは……」
じっと睨む狸の追及に、俺は言葉に詰まる。言い訳や取り繕いではない。問題は一層深刻だった。
白狐を預かる際に掛けられた呪い。白を傷つけた際全身を襲う激痛……それが発動した状況を、俺は知っている。そしてそれを語る事は俺の身の安全の上で躊躇われた。
だってそうだろう?妖化の暴走の果てである等とこの場で語って見ろ。直ぐ傍に現職の陰陽寮頭がいて、ここは陰陽寮のお膝元である。実験室に直送がゴーッ!!されかねないではないか。
「あ、吾妻さん!!それは……!!」
「ちと『静かにしておくれ』」
「んんっ!!?」
お口チャックのジェスチャーと共に白の弁明は阻止される。俺は改めて吾妻雲雀を見やる。その幻惑的な眼差しに覗かれる。見透かされる。少なくとも、嘘はつけんな。
「任務中に我を忘れ、思わず……」
傍らの陰陽寮頭を意識して、無難な言い回しで答える。しかし、狸の女はそれでは許してくれなかった。
「……どうして我を忘れた?」
んーんー!!という白の訴えを流して、吾妻は徹底的に追及する。嘘は……誤魔化すのも難しいように思えた。
「……妖化により、昂っていたのが理由かと」
どうにも巧みな言い訳が思い付かず、諦めて白状した。沈黙が室内を包み込む。
「……」
それはまるで処刑を待つ囚人の感覚。静寂、静粛……そして沈黙を破ったのは陰陽寮頭であった。
「吾妻殿。本当にこのような者に任せるおつもりなので?此方の用意した要員ではなく?」
嘆息した陰陽寮頭の前任者に向けた問い掛けは、俺の予想した内容とは大きくかけ離れていた。
「不満かな?」
「暴走の可能性があるのでしょう?大事の可能性があり得るのでは?」
「寮頭、気持ちは分かる。無礼だとも思う。しかしどうにも私には今の古巣が信用出来んのだ」
現職と前任の寮頭は俺を置いて重々しく語り合い始めた。
「絶対に信用出来る者を選んでも良いですが……」
「そのような者はより重要な任に就けるべきだ。此度のような個人的な用に扱うべきではなかろう」
「しかし……」
「案ずるな。私の見識を信じろ。……あぁ。悪いな。何時までもお前達を差し置いては非礼というものだな?」
「ぷぁはぁ!?」
厳正と語る吾妻雲雀は、此方の混乱する視線に気付くと謝意と共に指を振るった。同時にお口チャックが解けた白が大きく息を吐く。
「あ、吾妻さん!違う、違うんです!!伴部さんは……!!?」
「分かってる分かってる。文句ならばもっと先に言うべき相手がおるのだろう?別に責める訳ではない。……お前様も、脅して悪かったな?」
必死に弁明せんとする白を宥めて、そして此方に謝罪する吾妻。纏っていた圧は立ち消えていた。まるで狸に化かされたような豹変ぶりであった。
「一体何を……」
「先ず一つ、君の不安を取り除いてあげるとしようか?」
俺の機先を制する形で陰陽寮頭は口を開いた。
「寮頭殿……?」
「君の諸事情についてはある程度聞き及んでいる。その上で現段階で私は君の排除を考えてはいないという事を明言しよう」
装束の隙間から覗く鋭利な眼差しが此方を射抜き、そして端的に俺と彼の立場を語る。
「吾妻殿からの説明によれば、何等かの魑魅魍魎の因子に侵されているそうだな?その露見を恐れているとも聞いている。過去の経歴も調べさせて貰った。確かに脅威はある。危険はある。処分か、研究用の素体扱いされても可笑しくはないな」
「っ……!!」
恐れていた可能性の明言に俺は震える。ここは陰陽寮の正しくお膝元だ。仮になりふり構わず逃亡を図っても成功の算段は零だ。詰みであり、その先に待っているのは幸運でも生き地獄である。
「同時に利用価値があるのも事実だ。そして今の我々には貴重な戦力を消耗する余裕もない。故に君に関する処分は保留とする他ないわけだな」
「保留?余裕……?」
「公式の処分ではない。非公式の目溢しという事だ。……完全な解放は不可能なのは許せ。生きたまま腑分けにされるよりは余程マシであろう?」
厳正の言葉に俺は首を捻る。そして繋げるように吾妻は白を宥めてあやしながら説明補足をしていく。
「私が陰陽寮から嘱託となる引き換え条件の一つだ。無論、お前が暴走した際には容赦なく駆除する事になる。それは我々のような後天的な半妖の運命だ。諦める事だな」
念を入れるように吾妻は釘を刺す。その表の意味と裏の意味を俺は即座に察していた。
(威嚇、脅迫……の形式での心配、か?)
力を使えばその分身も心も怪物に寄る事になる。延命処置に過ぎないにしても無闇矢鱈に使うべきではない……その事を改めて指摘しているのだろう。俺の経歴から無茶しまくってると判断しての事でもあるだろう。
いやまぁ、俺だって出来るだけ無茶はしたくないんだけどさぁ?
「……成程。しかし、吾妻殿が嘱託ですか。それに、戦力……ですか?」
「組織の末端たる君に詳しく説明する必要は本来はないのだが……吾妻殿が信用している立場であるようだからな。ある程度は事情を理解して貰った方がいいだろうな。まぁ、座り給え」
陰陽寮頭は俺と吾妻を見比べて、そして場の全員に座敷を勧めた。
「あっ!?」
「白、お前は私とだ」
俺が席に座る中、何処に向かうべきかと迷い、俺の傍に向かおうとしていた白を吾妻は引っ張ると己の傍らに座らせる。何処からともなく現れる人形が盆と湯呑を全員に差し出していく……。
「改めて説明しようか。……以前から要請自体はあってな。非公式ではあるが私は朝臣として出仕する事に相成った」
「理由については君の経歴を思えば多少は心覚えがあるのではないかな?」
「心覚え、ですか……妖共に関わる騒動が近頃増えているようにも思えますが」
新旧の陰陽寮頭の言に、俺は無知を装いながら指摘する。
「うむ。数年前に妖狐が都に来襲した騒動は知っているだろう。丁度君が前回鬼月家の上洛の際の出来事だ」
ちらりと、自然に、厳正は視線を白狐に向けた。びくりと震える狐を、狸が強く抱き締める。抱き締めて、非難するようにジト目を向ける。肩を竦めて深く溜め息を吐く厳正。「困ったお人だ」と呟く。説明を続ける。
「……今思えば、それが一つの切っ掛けのようにも思えたな。あの年以降徐々に妖による案件が増加し始めた。民草の犠牲は無論、退魔士の犠牲も同様だ。大物と言える連中の活動も活発となった。大妖は兎も角、凶妖なぞそう何体も暴れ出て来るものではない。そんな馬鹿共ではない」
凶妖自体は幾体も存在自体は確認されている。しかしそれらが積極的に表舞台で活動する事は異常であった。高位の怪物は賢い。目立たぬ程度に人を食い、僻地の村を滅ぼす事はあっても大舞台に出る事は稀だ。朝廷も陰陽寮も無駄飯食いの極潰しではない。目に余る怪物相手は手勢を差し向けて駆除するのだ。河童と土蜘蛛の騒動が近年の代表例だ。
「五百年前、化物共が徒党を組んで暴れて見せた。アレ程でなくても小さな類似例ならば過去にも記録されている。よもや今現在に起こりえぬ保証はあるまい?」
実際に当時を知る老狸女が同意を求めるように宣う。
「加えて、これまでの事情を勘案すれば……不愉快な事実であるが朝廷の内も信用出来ん有様だ。裏切りか、あるいは洗脳か成り代わりか。何にせよ我々は身内すら完全に信を置けない状況なのだ。絶対に信頼出来る者は少ない」
本当に本当に、不本意そうに厳正は語る。これまでの会話も合わせて、漸く話の輪郭が見えて来たな……。
「私を信用して頂ける、と?」
「経歴から見て良からぬ連中の紐付きとは思えん。吾妻殿の推薦もある。皮の下の有り様が訝しいものだが……其処は我々も似たようなものだからな。考慮はするが無条件で排除する要素にはならん」
新旧陰陽寮頭は、共に大乱の時代からの長命の存在であり共に半分魑魅魍魎の因子を埋め込まれた存在だ。故に俺の内の有り様をある程度は許容出来るようであった。ある程度、ではあるが……。
……個人的な予測だが、吾妻雲雀は俺の内の因子が何物なのかを明確に厳正に語っていないように思われた。彼の妖母様の因子と明白に知れていたら陰陽寮頭もここまで寛容にはなれなかったであろう。まさに、狸だな。
「……過分な評価に恐縮するばかりです」
「まだ信用出来んか?当然の判断だな」
俺の応答の意味を即座に察して吾妻が指摘する。此方の不信感、警戒心を二人も理解しているようで目配せする。そして現職の方の陰陽寮頭が話を切り出す。
「実の所、吾妻殿だけが推薦した訳ではない。非公式ながら鴇柄中納言殿からも推挙があってな。彼の御方には陰陽寮としては多大な御恩もあり、その威光を無視出来ぬ事も理由でな」
「中納言殿が……?」
出てきた名前は先日の天狗事件の使節団代表のものであり、俺にとってはそれ以上に因縁のある相手であった。川魚の件を、少なくともあの時点までの記憶を俺は覚えていた。よもや、あの後に何かあったのか?それともこれもまた陰謀の延長なのか……?
「気持ちは分かるぞ。話にも聞いている。故郷の魚を出されたのだろう?全く困ったものだ。良い歳になってヤンチャを……せめて加減くらい覚えて欲しいのだがな」
俺の不安を、恐れを読み取るように元陰陽寮頭が口を開く。呆れながら腕を組む。背後の狸尾もナオナオと彼女の感情を代弁するように萎れる。獣妖怪の尻尾は表情以上に感情豊かであり欺瞞するのは容易ではなかった。
「脅迫ではない……とは完全には言えんだろうがその件については気にせんでいい。信用出来んのなら誓約でも結ぼうか?」
「いえ、そこまでは……」
腕を差し出す狸に向けて、俺は遠慮する。現職の陰陽寮頭がいる前でそこまで厚かましくする勇気はなかった。俺はあくまでも家人扱に過ぎないのだ。
「……そろそろ本題に入ろうか?」
折を見たように切り出す厳正に視線を向ける。自身に注目が集まるのを確認して彼はその任を命じる。
「難しい事ではない。君の身体の事は理解している。無理難題を押し付けるつもりはない。……簡単な警備の任を頼みたいだけだ」
「警備、ですか?」
誰の、あるいは何の?その疑念は即座に氷解する。点と点が結びつき、俺は吾妻の方を向いた。此方に目を合わせて頷く妖狸。
「出仕する以上、どうしても子供らの面倒を見れなくなるからな。取り敢えず十日程、ウチの連中の世話役を頼まれて欲しいと思ってる」
「子守、という事ですか」
思わずげんなりとしてしまうが、同時に気が抜けたのも確かだ。冷静に考えればこれまでの無茶ぶりに比べたら随分と易い仕事に思えたのだ。
「公的には都の半妖種の監査という名目を与える。心して精励するように。……ではこれにて、吾妻殿が心置きなく職務に携われるという訳ですな?」
若干演技がかった任命。そして前任者に問い掛ける現陰陽寮頭。漸く、といった感情の滲み出た物言いであった。
「うむ。世話をかけるな。……家人扱、お前さんにもだ」
「いえ……」
厳正に、そして俺に謝意を述べる吾妻。
「謙遜する事はない。本当に助かる。あの小僧らの身の安全が保証出来なければ私とて奉公に出るのには戸惑いがあってな。雑念あっては任に集中出来んのだ」
「微力ながら、吾妻殿が心置きなく務めを果たせますよう、精進致します」
俺は心からそれを誓う。実際、それは俺にとっても好都合であった。原作ではとっくの昔に食い殺されている吾妻雲雀という人物の実力は疑う余地はない。そして子守という務めはその危険性が皆無という訳ではないにしても普段出会すトラブルに比べれば遥かに易い筈であった。……易いよね?
「うむうむ。良き返事だ。……では此を渡そうか」
俺の反応に大満足といった態度の吾妻はふと懐から、まるで後出しするようにそれを渡して来た。
「これは?」
「複写したものだが手作りだ。機密文書だ。決して無くしてくれるなよ?」
「機密文書……」
受け取った分厚い書籍をマジマジと見つめる。彼女の言にずしりと物理的にも心理的にも重味を感じた。吾妻を窺う。そして書籍を開く。各頁にみっちりと文が記されていた。これは……。
「いや、何ですかこれ?」
「子守の指南書だが?あぁ、三八頁からは毎日の献立と調理法だ。六六頁からは小僧共個々の注意点についてだ。良く覚えておけ」
「えぇ……」
此までにない程真剣に語る吾妻の態度に思わず困惑の声を漏らしていた。おう、献立滅茶苦茶栄養価考えてるじゃねぇかよ。好き嫌いの対策に御風呂嫌がる連中の対策、おねしょ対策……これ全部俺がやるんですか?
「当たり前だが?」
「因みに良い子達ですか?」
「元気一杯だぞ」
「つまり問題児が多いと」
冷静に考えたら全員半妖なので余計質が悪い。下手したら大泣きしながら火を噴く奴すらいそうだ。フィジカルだって油断したら腕折られるんじゃないか……?
「其処はほれ、お前さんも同類だろうて?」
「よもや信頼とか何やらは関係なく、それが理由だったりしますか?」
「……」
「反論してくれません!!?」
思わず立場とか無視しての突っ込みであった。知りたくなかった真実である。
「こほん。……吾妻殿。そろそろ」
「ん?あぁ。そうだな。これで用件は終わりだ。彼是と言いたい事があろうがまぁ諦めてくれ。……悪く思うなよ。お前さんからしても書店から訪問販売してくれた方が助かろう?」
「げっ」
吾妻の言に俺はここまでで一番顔を歪める。バレてんぞ、翁。
「お前さんの返答はまぁ悪くなかった。そのまま真っ直ぐ誠実に良い男に育ってくれよ?間違ってもいい歳して頭下げられん情けない奴にはなってくれるな」
「は、はは……」
吾妻の言が誰に向けての文句なのか分からぬ俺でもなくて、しかし厳正は怪訝な表情を浮かべているのを見るとやはりその面でも報連相はしてないのだろう。
それは恐らく怠慢ではなく、恣意的に……。
「さぁてと。言うべき事も言ったし、私は行くとしようかな?白、お前さんはこやつの傍仕え役であったな?久々に顔見せをして来るがいい」
立ち上がって、白の頭を撫でながら吾妻は宣う。白が傍仕えに宛てられた、そのように人選となった最大の理由を俺はここで確信した。白を見れば苦笑いされる。果たして彼女は何処まで内容を把握していたのだろうか……?
「行かれますか、吾妻殿」
「寮頭殿も、目を掛けてやって頂きたい。そうすれば私も心残りもせずに済もうものです」
にこにこと朗らかに、立場や身分は形だけでまるで旧友に接するような振舞いで要望する吾妻。
「御冗談を。死んだと思っていたらふらっと帰って来るような御方でしょうに。……承知致しました。そのように取り計らいましょう」
「うむ。頼む」
苦笑と呆れを含んでの現職の肯定。踵を返す狸……の前に彼女は当然のように此方へと舞い戻る。
「あぁ、そうだ。忘れていた」
「えっ?」
気付いた時には吾妻は目と鼻の先にまで距離を詰めていた。そして自然な所作でさっと此方の面を引き剥がすと、顎を掴んで俺の瞳孔を覗き込んだ。覗き込んで、覗き込んで、そして言葉を紡ぐ。
「警告しておくぞ?ここでの会話を揺すり集りのネタにはせぬ事だ。……敵を無闇に作りたくはあるまい?」
それは俺にというよりも、寧ろ俺を通して何者かに向けて、あるいは何物かに向けて、元陰陽寮頭は念入りに念入りに釘を刺すのだった……。
「ははははっ、聞きましたよ!また随分と詰まらない任に駆り出されているようですね!折角家人扱に成り上がったのに情けない限りです!仕方ないので私が顔を出して……「たぜーにぶぜーだ、いっけぇい!!」うわわわっ!!?私のお気に入りの訪問着がぁぁぁっ!!!??」
「おう、この流れは予想出来たわ」
ドヤ顔の赤穂の末娘が餓鬼んちょ共に泥団子を食らって絶叫する光景を見て、俺は既視感と共に肩を竦めるのだった……。