和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第一七〇話

 女中の朝は早い。

 

「……!!」

 

 身体が最早習慣として覚えている定刻の目覚め……よりも時刻は暫し早い。思いがけぬ意識の覚醒に蛍夜家に仕える奉公娘はむっと起き上がる。若干不機嫌そうな表情。仕方なしに目元を擦って意識を鮮明にする。

 

「顔を……」

 

 前日の夜に既に用意していた水瓶の水で洗顔する。洗口する。肩を鳴らして首を回してと硬直していた筋肉を解きほぐす。寝ていた間に停滞していた血流を活性化させる。

 

「服と……髪もですね」

 

 寝間着から仕事着へ、そして髪を結ぶ。鏡を見ながら軽い軽い化粧も。これ等におおよそ半刻もの時間を掛ける。蛍夜の家の女中として品のない出で立ちは許されない。それは主人達が笑って許してくれるとしてもだ。事は礼節の問題である故に。

 

「とは言え……」

 

 何時もより丁寧に、しかしそれでも尚時間は余る。早めに仕事を始めるか?否、それは顰蹙を買うだろう。己だけの仕事ではないのだ。鬼月や逢見の女中に雑人共はでしゃばりに良い顔はしまい。ましてや主人たる姫に催促するような所業……例え善意であっても奨励出来ぬ。空気の読めぬ者は村八分されるものだ。

 

「……困りましたね」

 

 手持ち無沙汰になってしまい途方に暮れる。はて、どうするべきか。何か内々でやるべき仕事はあっただろうか?いや、ない。彼女は勤勉だ。必要な仕事は事前にやっている。ならばどのようにして暇を潰すか……。

 

「……」

 

 彼女は自身の荷からそれを取り出す。折り畳まれた一枚の文を丁寧に丁寧に広げていく。その中身を一言一句何度も読み返す。読み返して、微笑む……。

 

「ふふっ」

「何見てんだ?」

「え?きゃあああっ!?」

 

 不意の呼び掛けに振り向いて、眼前に広がる顔にひっくり返る鈴音。一瞬遅れてそれが己の友人である事を理解する。

 

「入鹿、何時入って来たんですか!?」

「今だけど?」

 

 狼女が飄々と指を指す。いつの間にか障子が開いていた。音も気配もしなかった。隠行の類いか、半妖故の身体能力の為せる業か。

 

「~~~!入る前に呼び掛けくらいはして下さい!!中で何か大切な事していたらどうするんですか!!?」

「ナニしていたとか?」

「何を言ってるんですか!!?」

 

 叱責に対する助平親父染みた返答に突っ込む鈴音。何なら突っ込みながら頭頂部に手刀を放っていた。「いてっ!」と呻く入鹿。尤も反応程に痛くないだろうと鈴音は見抜いていた。この女は何事にも過剰に反応して見せる所があった。たかが唯人の娘の素手の一撃なぞ、微風みたいなものだ。

 

「ノリが悪いなぁ……冗談が通じないと男に軽く見られるぜ?遊び慣れていないとチョロいって思われるぞ?」

「遊び慣れるつもりはありませんし、そんな金もありません!!」

 

 ピシャリと即断で鈴音は言い捨てる。強がりではない。この娘は奉公の給金は殆ど実家に仕送りしていたし、手元に残す金もいざという時に備えた貯蓄であった。幼少期の数々の経験から鈴音は金を遊びに使う事に良い感情を抱いていなかった。

 

「……ふぅん。あぁ、そうかい」

  

 不穏に呟く入鹿。その態度に怪訝に首を傾げる鈴音は……次の瞬間に入鹿に壁際にまで押し込まれていた。

 

「へっ?きゃっ!?んっ!!?」

「これでも、遊び慣れなくていいってか?」

 

 壁ドン、顎クイ、そして決め台詞であった。普段の振る舞いや口調もあって入鹿は麗人として通用していた。野性味溢れる伊達男のように魅せる事も朝飯前であった。

 

「……」

「……」

「……な?」

「……」

「……反応しようぜ?」

「てい」

「うぎゃ」

 

 気まずい沈黙に片目を綴じて反応を促し、鼻先への全力チョップであった。急所に当たった。効果は抜群だ。

 

「あたたた……」

「下らぬ事で時間を使いました。お陰様で逆に少し遅れるかも知れませんね」

 

 障子の外の景色を、日の高さを見ての鈴音の感想であった。両手をぱっぱっと払う。目元は冷たく入鹿を見下す。呆れと蔑みを込めた眼差しである。

 

「う~……照れるなってよぉ?どんな文の内容なんだよ?教えてくれたっていいだろ?」

「親しき仲にも礼儀ありです。人の私情に土足で入り込むものではありませんよ?」

「今草鞋じゃなくて裸足だけど?」

「礼儀も無さそうですね」

 

 てい、と今一度手刀。そして文を丁寧に棚に戻す。軽い呪いの込められた封符を戸口へと貼り付ける。安い安い朝廷発行の官製品は大した力はなく、どちらかといえば知らぬ間に開けられたのかを確認するための代物である。

 

「ちぇー」

「さぁ。さっさと働きますよ。働かざる者食うべからずです」

 

 拗ねる入鹿に淡々と言い放って鈴音は退出する。

 

「……」

 

 一人友人にして上司の部屋に取り残された入鹿は封じられた棚をじっと見つめる。封を破り中身を見るのは容易いが……。

 

「流石にそれはな」

 

 友人の言い分ではないが、入鹿も冗談で済むものと済まぬものの分別は彼女なりに弁えているつもりであった。何処ぞの下人の酒を頂戴するのは?気にしてはならない。此方も何時妖化に呑み込まれるか知れぬ身の上なのだ。酒くらい呑ませろ。

 

「……しかし、何時知り合ったんだ?」

 

 その表情から、入鹿は確かに友人が文の相手に愛情を抱いているのを見抜いていたし、それを裏切りとも思わない。百合の華の気がある訳ではないし行き遅れを望む訳でもない。そいつの人生である。好きにすれば良い。だが……。

 

(不幸せにはなって欲しい訳でもねぇんだよなぁ)

 

 人並みなら兎も角、ろくでなしに苦労させられて欲しい訳でもなかった。そして友人が男慣れしている訳でもないのもまた同様。ここは都会である。純朴な田舎娘が騙されて酷い末路に堕ちるなんて事は決して少ない事例ではなかった。心配であった。

 

 ……母親みたいな感覚な気がするが気にしてはならない。

 

「まさかとは思うが……何か謀でもある訳じゃねぇだろ?」

 

 冗談半分に語り、しかし入鹿は沈黙する。

 

 とてもとても、冗談で済ませられるような話とは彼女には思えなかった……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 下人の朝は早い。

 

「……!!」

 

 身体が最早習慣として覚えている定刻……よりも時刻は暫し早い。俺はカッと目を見開き目覚めると、即座にアクロバティックに起き上がった。起きて最初に行う事はただ一つ。数合わせである。何の数合わせか?知れたものである。

 

「……いや、寝相悪過ぎだろ」

 

 雑魚寝上等、隣の布団強奪上等に顔面足蹴り上等の修羅の地を整え直しながら、俺は一人一人(珠に「人」とカウントするべきか困る奴もいるが)と頭数を数えていく

「一人いない」

 

 鼻孔を擽る微かな特有の臭い。紛失した布団。俺の灰色の脳細胞は答えを導き出す。向かう先は洗濯場だ。

 

 水音がした。僅かに嫌な予感がして、それは杞憂だった。零れた桶は炊事場のものであったからだ。これが井戸のものならば転倒して転んで井戸の底に落ちている危険もあるとして後々説教されていた事であろう。事前に蓋をしていて正解であった。

 

「という訳で現行犯だぞ?」

「ひぎゅい!?」

 

 背後から忍び寄ってからの宣言。染みの出来た布団を引き摺り砂まみれにして、地面には重過ぎてぶちまけた桶の水。証拠隠滅の現場を確保する。びくびくと振り返る餓鬼んちょ。

 

 鼬っぽい部位の生えた年少の糞餓鬼が俺を見上げる……。

 

「えっと、その……」

「ほれ。さっさと布団を寄越しな。風呂場で身体洗ったら予備の布団で寝ていろ。……母ちゃんの時みたいに漏らしたらまず報告だ。分かったな?」

 

 おどおどきしながらもコクコク頷く餓鬼。これは、宜しくない。俺はしゃがみこんで視線を合わせる。出来るだけ柔らかい声を心掛けて、ゆっくりと話す。

 

「言いにくいなら、兄ちゃん姉ちゃん起こしてお願いして貰え。決まりは守らんと俺がお前らの母ちゃんにドヤされるんだ。頼むぞ?」

「……」

 

 今度はウンウンと頷いてくれた。まぁ、余所者相手ならこれでも上出来だろう。高望みはしない。

 

「じゃあ行くぞ?」

 

 布団は頂戴して下半身も色々びしょ濡れの餓鬼を連れて風呂場に向かう。桶は後回しである。後で水瓶の中身を補充せねばならなかった。

 

 扶桑国都郊外の、鬼月家出資の孤児院における朝の一幕である……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

 吾妻雲雀の運営する孤児院の収容する小僧共の数は総勢ニ八人にも及び、その九割方が半妖で占められている。

 

 差別でも逆差別でもない。半妖は他所の孤児院では嫌がられてたらい回しにされる。あるいは救済の対象から溢れる。そして院長本人が半妖なのもあってこの孤児院に御鉢が回って来るのだ。他所からすれば面倒事の押し付けであるが……吾妻雲雀はそれを素直に受け入れた。本人は妥当だと考えている節もあるようだった。それは側面の一つとして正しい。

 

 ……いやそもそもこの人数を一人で捌けんの?と思ったが彼女なら出来そうだった。だって狸だし。糞餓鬼共の話聞く限りどう考えても質量を持った残像作ってた。幻術なのに質量?化物か?

 

 一応、年長組はある程度成長しているので戦力に換算出来ない事はないが所詮は糞餓鬼である。余り期待は出来ないし、しないように本にも記載されていた。年長組に普段させている雑務だけをさせるようにと太文字の赤字で下線までしていた。過保護かな?

 

「過保護なんだろうなぁ」

 

 割烹着を着こんだオカン染みた出で立ちで炊事場に立ちながら俺はぼやく。ぼやきながら包丁をストンと落とす。南瓜を切って人参共々甘く煮込んでいく。刳り貫いた種は絶対に捨ててはならない。次育てるまで取っておく分とローストしてお菓子代わりにもなるのだ。

 

「えっと……消化不良にならないように塩分は薄めだったか」

 

 受け取った書を読み取りながら俺は確認する。半妖の餓鬼連中の中には受け継いだ形質が強い者もいるために味付けや食材に禁止事項があった。濃い塩分や油分、香辛料、葱類、菠薐草、けものの乳に大蒜等々……纏めて調理する以上それらの使用は控えるべしとの記載である。

 

「一周回って典型的な都風味ってか?」

 

 薄味を追及した内容はある意味典型的な都風味である。尤も、実際には都風味を好むのは都でも中流以上に限定されていて汗水垂らす下層民は普通に塩味を好む。田舎連中は尚更だ。俺は当然後者な存在であった。物足りないが我慢して薄めた醤油を控えめにチビチビと継ぎ足す。

 

「飯は水多めによくよく柔らかく煮て……こりゃあ殆ど粥だな」

 

 単純に子供が多いのもあるし、消化器官や歯並びの関係から硬い飯は避けた方が良かった。釜を覗けば目に入るのは葉野菜と擂り潰した胡麻を加えた限りなく粥に近い飯である。うむ、これはこれで旨し旨し。

 

「汁物は……よし。これも薄味だな」

 

味噌汁は味が濃いので澄まし汁……も出汁に金がかかるので薄目で。庭先の鶏の産んだ卵を入れてのかき玉汁である。因みに出汁の素は干し椎茸である。吾妻自ら山に入っての採取品らしい。

 

「うわぁぁぁん!!」

「っ!!?な、何だ!?」

 

 もう少しで完成、と思った間際での背後からの悲鳴である。広間に行くべきかとも考えるが直ぐに白丁服と白狐耳がひょっこり障子の隙間から現れた。

 

「伴部さん、気にしないで下さい!此方で何とかしますから!」

「一体どうしたんだ?怪我か?」

 

 俺の傍仕えを名目に里帰り(?)して今はまさに餓鬼んちょ連中の応対している白に向けての質問。対応してくれるといっても事態の把握は必要だった。

 

「いえ、その……吾妻さんがいないので、小さい子が泣いちゃってまして」

 

 何ともいえない苦笑を浮かべての白は答えを紡いだ。其処には何処かほろ苦い感情が見え隠れしていた。

 

「母親恋しさって所か。困ったな。まだ二日目だぞ……?」

 

 初日は代役の物珍しさに夢中だったのだがもう母親役を思い出して愚図るのが出て来るとは、先が思いやられるな。

 

「多分朝餉を食べればマシになるとは思うので……伴部さんは其方を優先して下さい。私は年長組の人達とあやしておきます」

「あぁ。分かった」

 

 白の対応に同意して俺は泣き声をBGMに調理を再開する。それにしても……。

 

「年長組、ねぇ……」

 

 悪逆非道な化け狐の一部であった事もあって外面に比べて部分的に成熟している所がある白である。見掛けでは年上の餓鬼もいるが、何処か相手を子供として一線を引いているようでもあった。仲は悪い訳ではないのだろうが……上手く馴染ませてやりたいものだ。

 

「さぁて。こんなものだな」

 

 よく煮込んだ事を確認して俺は調理を終える。煮物は大鍋に菜箸……は危ないので匙を用意する。飯と汁の椀は全員分だ。年長組は箸で、年少組には匙で食わせる。

 

「熱いの持ってくるぞ。気を付けろよ」

「は、はい……!」

「ごはん~?」

「こら、危ないから座ってよ?」

 

 熱くて重い鍋や釜に触れたら火傷するので警告する。腹空かせた餓鬼連中はよく考えずに寄って来ることもあるので年長組に見張らせるのだ。返答を受けてから俺は広間に向かう。

 

 膳を用意出来る程贅沢ではないので卓台で囲んでの飯である。一人一人に飯と汁をよそう。煮物は飯の上に欲しい奴には事前に乗っけてやるし、後から喰っても良かった。但し全員に飯が行き届くまで手を付けてはならない。吾妻の指南書にも書いてあった。

 

「……それじゃあ、食べるとするか?」

 

 痛いくらいに集まる期待の視線に応えての頂きますの声。同時に食欲旺盛な餓鬼共は飯に食らいつき始めた。

 

「吾妻……母ちゃんにも言われてただろ?良く噛んで食えよ」

 

 取り敢えず必死に搔っ込む年少の獣耳小僧共に向けての注意する。まぁ、これまでの人生経験からこの手の注意が余り効果がないのは知っていた。昔の妹や下人衆での新人の餓鬼共もそうであった。食欲の衝動を制御出来る程に子供の理性は頑強ではない。  

 

「どうした?食べないのか?」

 

 逆に食が進まぬ餓鬼もいた。特に歳の低いその餓鬼は以前の都での狐騒動では見ていない。新顔であろう。牛のような耳に同じく牛尾付き。目元に泣き腫らした痕があるので調理中に大泣きした奴であると思われた。

 

「……」

「……食べないとお腹空いたままだぞ?」

「このあとどなどなされるの?」

「いや、何でやねん」

 

 取り敢えず返答に突っ込んだ。牛か?牛半妖だからドナドナなのか?

 

「きいたことあるもん。うられちゃうまえにさいごのばんさんにおいしいごはんたべさせるんでしょ?おかあさんいなくなっちゃったのはわたしがうられたからなんだよね?」

「因みに俺は?」

「……つれていくひと?」

「悪魔やんけ」

 

 怯えた表情で答えられる。心外な。

 

「だって……おにさんのかおだし」

「仮面じゃい。いや、しかし……」

 

 飯食ってる時でも装着している支給面に触れる。確かに赤の他人が鬼面で家中うろついていたら怖いだろう。とは言え、素顔も余り目つきが良い訳でもないからなぁ……。

 

「うぅぅ……おかあさぁん……!」

 

 会話していて寂しさを思い出したのだろう。目元に涙がみるみるに溜まっていく泣き虫っ子。声は最早震えていた。嗚咽を漏らす。因みに尻尾はべしべし暴れて床を傷つける。おいこらやめい……と言っても止まらんか。

 

 うーむ……これはいっそ開き直って合わせてしまった方が良いな。

 

「そうだなぁ。もしかしたら売られちゃったのかもなぁ」

「……!!」

 

 俺の舐めるような口調に肩を竦める糞餓鬼。此方を悪鬼を見るように見上げる。

 

「伴部さん……!」

「待て待て……最後まで言わせろって」

 

 傍らで俺の暴挙に困惑する白。それを小声で宥めて俺は続ける。

 

「昔から言うだろ?悪い子は天狗や鬼やらに連れて行かれるってな。ばくりと喰われちまうんだ」

「わたしわるいこじゃないもん!!」

 

 俺のおどろおどろしい言に泣き虫っ子が悲鳴を上げる。

 

「わたしおかあさんのいうことまもってるもん!!いいこだよ!!」

「そうだな。それをまさに俺は見ている訳でな。お母さんが帰って来るまで今までの決まり守っていたら、残念だが誰もドナドナ出来ずに手ぶらで帰るしかないなぁ」

「いいこにする!たべる!」

 

 俺の言わんとする事を察して餓鬼は椀の飯を元気よく食べ始める。良く噛んで食えよ、と警告しておいた。呑み込んでた飯をクチャクチャ勢い良く数を数えるように噛みしめ始めた。一口二十回は噛むようにというのが吾妻雲雀の教育方針である。

 

「伴部さん……」

「何事も柔軟にってな」

 

 ジト目で見てくる白に向けて俺は誤魔化すように嘯いた。脅迫?嫌々教育ってものよ。教訓話と同じだ。同じだよね……?

 

「因みに良い子にしてたら八つ時に甘味を用意しようかねぇ?良く噛んで好き嫌いや食い溢ししないような奴には罰の代わりに御褒美が必要って言われたんだっけな?」

「「「……!!」」」

 

 敢えて聞こえるように宣えば騒いだり行儀の悪い糞餓鬼共が一瞬静まり返り、直後には慌てて決まりを守り始めた。それを見て呆れた視線を向けるのが年長組である。俺も呆れる。飴と鞭である。ドナドナが平気でも御菓子には勝てないのが子供であった。

 

「あ、あの……ご免なさい。迷惑をかけちゃって……」

 

 狐騒動の際に見た事のある顔の……但しあの頃よりも成長してて十代前半くらいだ……少年が傍らに来て謝罪する。大変恐縮しているようだった。

 

「気にしなくていいさ。そちらの母ちゃんに頼まれた仕事だからな。金も貰ってるんだ、報酬相応の仕事はしないとな?」

 

 陰陽寮、というより恐らく陰陽寮頭のポケットマネーからこの任の報酬は前渡しされていた。報酬であり同時に予算でもあった。餓鬼連中を世話するのに必要な費用はここから出せという事である。

 

「成る程……」

「まぁ、甘い物食べた後は歯磨きが必要だけどな。俺が面倒みている間に虫歯になったら洒落にならなそうだ」

 

 虫歯の痛みは筆舌し難いもので、同時に前世でも近代に入るまで歯の治療は地獄の苦しみであった。破れかぶれの神頼みにそれこそ虫歯で自殺や切腹の伝説まである。

 

 吾妻は餓鬼連中の虫歯にかなり気を遣っているようだった。半妖である故に歯の治療の際に手がつけられなくなるのを恐れているのだろう。ヤンチャな蜥蜴娘なぞ興奮すると口から豪快に火を噴くのだ。抜歯なぞしようものなら医者が焼け死ぬ事必至だった。

 

「善く善く、歯を磨かせます」

「おうよ。手伝ってくれ。それと…………そうだな。予定だとこの後は水仕事と土弄りだったか。仕事している間に拵えて欲しいものがあるんだよ。頼まれてくれるか?」

「拵えて欲しいもの、ですか?」

 

 俺の要望に少年は首を傾げる。金もある大人が今更何を必要としてお願いしているのかと不思議がっているらしかった。

 

「まぁ。あれだ。お金で買えない価値ってのがあってな?」

 

 俺の物言いに、要望された少年は再度首を傾げたのであった……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 都の郊外。外京の更に外、荘園が広がる街道を彼女は悠然と牛車で進む。連れは行者に女中が一人ずつ。護衛の下人が数名……。

 

 貴人の連れる人数としては少ないが、同時に必要十分でもあった。内京が目視出来る程度には程近い場所である。盗賊や妖の出てくる筈もない。何よりも牛車に乗る人物自身が其処らの人妖では太刀打ち出来ぬ程の手練れであったのだから。

 

「これはまた辺鄙な所ですね」

 

 外の風景を一瞥しての赤穂の姫の感想であった。都から車で一刻と少し。決して遠い訳ではない。交通の便自体は悪い訳でもない。しかし央土の都近くとは思えぬその田舎染みた風景が実際の距離以上に彼女にそのような印象を抱かせた。

 

「この辺りは鬼月が新規開拓した荘園ですので……」

 

 牛車の傍を歩む女中、陽菜が言及する。正確には水捌けの悪い泥地として長らく放置されていた土地を鬼月宇右衛門が公家や商家と共同で開発した農地であった。人が少ない田舎臭い風景なのはある意味で当然だった。それでも央土の農地という事でその潜在力は計り知れなかった。

 

「成る程。しかし……それならそれでまた随分と物好きな処置ですね」

 

 金を出して、時間をかけて開発した農園の一角に孤児院。それも半妖の孤児院なんて代物を建てるなぞ物好きも良い所であった。紫本人は其処まで半妖と関わりがある訳でもなく、特に悪感情も好感情もなかったが世間一般から見て好まれるのではない事は知っていた。

 

「院長が朝廷にて立場ある人物であったと聞きました。それ故でしょう。恩を着せる目的かと」

「隠行衆頭殿らしいと言えばらしいというべきなのでしょうね」

 

 僅かに冷淡に赤穂の姫は語る。鬼月宇右衛門の能力を紫は軽視してはいなかったが退魔の士としての本分からかなり外れたその在り方に関しては評価するのが戸惑われた。退魔の者はただただ退魔の道を貫くべし……赤穂の家の在り方が紫は強く染み付いていた。

 

「しかし、あの男もまた貧乏籤ですね。折角家人扱まで出世したというのに所詮は雑用の延長線上ですか。寧ろ、家人扱だからですかね?」

 

 脳裏に面の黒装束を思い出して、紫は鼻を鳴らして小馬鹿にする。最初に出会した時は三下の下人。下人班長であったか?……多分そうだと思う?妙に引っ掛かるが、まぁいいや。

 

「従姉に媚びておこぼれを頂くような卑しき佞臣の類いと思っていましたが……まぁ、それなりにやっているようですね。流石従姉上、人を見る目があります!」

 

 腹違いの姉の方が先に引き抜きしてたとか、そちらが推薦をしたとかいう話もあるが紫は気にしない。所詮は泥棒猫か何かであろう。尊敬する従姉以上の目利きだとは到底思えなかった。

 

「姫様……」

「従姉上が気にしていましたからね。杞憂だとは思いますが祝儀をやる序でに、一つ牽制と行きましょう」

 

 当主も前当主も兄弟も皆都行きを中止してしまった以上、本家の娘たる赤穂紫は都の赤穂家における名代であった。婚姻関係もあって家人扱かつ官位を得た鬼月の者に対して祝いの品をやるのは当然の計らいであった。

 

 無論、身分と家柄もある故に態々本人の元に出向く必要はないのだが知らぬ間柄ではなく、しかも従姉上のための一種の偵察行動という意味合いが紫にはあった。

 

 ……随伴する陽菜からすれば正装ではなく訪問着で出向く事に疑問を感じているが指摘はしなかった。

 

 閑話休題。一行は地平線の向こうより遂にその影を見出だした。

 

「あれですか。流石鬼月家が寄付した屋敷ですね」

 

 見えてくる寺社風の孤児院は孤児院とは思えぬくらいには上等な代物であった。流石に成金趣味ではないので無意味に広大な訳ではない。しかし孤児の人数、将来的な受入数を考えて余裕を持って建てられたそれは質実剛健な立派な造りである。加えて、術的にも幾重にも庇護されているようだ。邪悪な存在や武器を構える者達を退ける気配……。

 

「お前達、不用意に武器は抜いたり構えたりしてはいけませんよ」

 

 護衛の下人や行者に向けて紫は命じる。顔見せと祝儀で流血沙汰なぞ不謹慎にも程がある。彼女自身も備える蛇刀を言い聞かせて暴走せぬように御する。

 

 そしてそうこうしている内に遂に車は孤児院の門前に停まった。女中に導かれて紫は降り立つ。

 

「出迎えは無しですか?無礼な」

「いいですよ。予告なしに来ましたからね。ふふっ、あの下人も私を見たら驚くでしょう」

 

 鼻を鳴らし、ふふんっと薄い胸を張る。悪戯の成功に期待する子供のようにも見える態度。実際彼女はあっと驚いて動揺しながら頭を下げる元下人の姿を期待していた。己が直々に顔を出すのだ。当然の反応であるべきだと思っていた。

 

 ……彼女はやはり間が悪い。

 

 先ず予告せずに来たのが不味かった。何処の誰かと知れぬ者がやって来たのだ。母親役が不在なのもあって孤児共の不安を煽る。そしてそれを誰が最初に見たのが何者なのか、それが一層運が悪かった。

 

「あれみて!たいましだ!たいましのいえのだよ!!」

 

 土壁の穴から覗いていた孤児が必死に叫ぶ。牛耳の泣き虫っ子である。ドナドナを怖がっていた仔牛である。名を梅と呼ぶ。彼女は部外者に恐怖した。牛耳を縮こませ尻尾は萎れる。

 

「ほんとだ。退魔士だ……!!」

 

 応じるのは鱗のある身体、鋭い爪、蜥蜴染みた尻尾を持つ小娘である。名は茜。吾妻雲雀の以前の孤児院である河原孤児院時代の末の子である。

 

 尤も、当時十人程度であった孤児共は今や三倍近く、彼女自身も成長して今では孤児院の中では年長組ではなくとも年少組でもない。強いて言えば年中組の姉貴に近い立場にあった。ヤンチャで元気な性格故である。因みに吾妻の指南書には「要注意人物」として指定されている。

 

 そしてそんな無駄に年下から人望のある問題児に見つかったのが赤穂紫にとっての運の尽きであったのだ。

 

「確か白ちゃんも連れていかれたんだよ。もしや今回も……!!」

 

 久々に帰って来た白狐の少女が、しかし長らく退魔士の所に連れて行かれていた事を思い返して茜は推理する。きっとあれと同じだと。

 

「きっとわたしたちからどなどなする奴を探しに来たんだ!」

「どなどなって、まさか……!!」

 

 茜と梅の周囲にいる他のチビ共が口々に叫ぶ。真剣に、そして明後日の方向に彼ら彼女らの想像は突き進む。

 

 年長組がいたら「ちょっと待てよ」と突っ込んだだろうが残念な事にこの場の最年長は問題児茜である。歯止めになる所か寧ろそれを後押しするのは必然であったのだ。

 

「わたしだ、きっとわたしだよぉ……!!」

 

 梅が泣きじゃくる。皆の中で一番どん臭く、一番役立たずの泣き虫なのを彼女は自認していたのだ。

 

「うめちゃん!!」

「ダイジョウブだって!わたしたちがついてるよ!!」

「梅ちゃんを売らせはしないぞ!!」

 

 冷静に考えれば別に決定した訳でも確定した訳でもないのにいつの間にか場は悲痛で沈痛な空気に包まれていた。幼子共は皆で梅を慰める。ドナドナの歌はお金に友情が負ける歌である。結局人が優先するのは経済的な利益であると言う事である。しかし彼ら彼女らはそれを認めない。何としても孤児院の仲間を守るという情熱に燃えていた。

 

 白が見ていたらやっぱり「ちょっと待てよ」と突っ込んでいただろう。残念ながら彼女は別の子らを見ている。そして引率して統率するべき茜は……。

 

「先手必勝だよ!総員攻撃用意だ!」

 

 遊びで製作していた泥団子を手にしての命令である。色々と駄目であった。

 

 子供らの開戦準備なぞいざ知らず紫はズンズンと偉そうに門を潜る。広い孤児院の庭先。周囲を見渡して、裏手の畑に当たりをつける。

 

「ふふん。彼方ですね?」

 

 鼻唄交じりの行進。ご機嫌だった。油断していた。危機感の欠如。油断大敵であった。襲撃というものは何時何処で来るのか知れぬのだ。故に……。

 

「あっ!いましたね」

 

 裏手で卑しくも土いじりの仕事をしていた黒装束の背中を見つける。若干緊張しつつも上機嫌に向かう。呼び掛ける。此方を振り向こうとする下人に向けて紫は歩みながら尊大に語りかける。

 

「ははははっ、聞きましたよ!また随分と詰まらない任に駆り出されているようですね!折角家人扱に成り上がったのに情けない限りです!仕方ないので私が顔を出して……」

「うおおおおっ!!たぜーにぶぜーだ!いっけぇぇっ!!」

 

 ……そして、悲劇であり喜劇は始まるのであった。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

「これは大変失礼をば。……おいこら。お前も頭を下げい」

「えー。わたしは梅ちゃんを守るために……「おやつ抜くよ?」ごめんなさい」

 

 場所は客間。土いじりの仕事を切り上げて、取り敢えず目上の客人を辱しめた問題児に向けて神託の言葉を述べる。効果は抜群だ。糞っ垂れめ。

 

「子供のした事とは監督役として口が裂けても言えませんが……賠償の方は必ずや。どうか御容赦を下さいませ」

 

 茜の頭をがっちり掴み、深く深く共に頭を下げる。謝罪を受ける赤穂の姫は何とも言えぬ表情で暫し沈黙し続けていたが……漸く口を開く。

 

「たかが子供一人に、装束一着如きでムキになる程私も幼くはありません。深く追及するつもりはありませんよ。忘れたわけではない事は覚えておいて下さいね?」

 

 予備の着物に身を包んだ紫の不本意げな返答。貸し一つという訳である。流石赤穂家というべきか。話が通じる。

 

「感謝申し上げます……!」

 

 頭を下げた状態で、更に頭を深く下げる。誠心誠意の礼。赤穂紫という娘はそれを袖に出来る程薄情ではなかったし、酷い言い方をすれば俺はその甘さを突いて半ば演技していた。

 

 ……いや。申し訳ないと思っているのは事実だけどね?

 

「しつこく頭を下げる必要はありません。最早貴方は唯の下人ではないのですから。卑屈な程に腰を低くしては却って主家の名誉を傷つける事、覚えておく事です。貴方自身も軽く見られますよ?」

「はっ」

 

 本当に本当に仕方無いと納得しての紫の態度。ふっ。チョロ……うわ。横の女中が滅茶苦茶不満げに見てる。自重せねば。

 

「……というか、ちょっと聞いても良いですか?」

 

 傍らの女中の態度に気付かぬ様子の紫はふと質問を求める。

 

「はっ。何についてでしょうか?」

「その。何ですか、その面?」

 

 それは俺が装着した子供の落書きのような絵柄の面を一瞥しての疑念であった。

 

「……子守用です」

「子守用」

「それが?」

「はい」

「透き通る先生風!」

「こらやめい」

 

 横から口出ししてきた茜の指摘に向けて切実に注意。横槍入れて来た以上に内容に対してである。パクリ?絵がないのに証拠はあるんですか?

 

 ……下人の面はどの階級のものであろうが正直餓鬼共には不気味なものだ。そも人格が分かりにくいように無機質に、そして威嚇を兼ねて不気味な雰囲気に仕上げているのだから当然であった。到底子守には適さない。餓鬼共が増えれば尚更拒絶感を抱く者もいる。下の餓鬼は狐の一件を経験せぬ者だらけである。

 

 安物の面を用意させて、餓鬼連中に落書きさせた。福笑いみたいな阿呆臭い顔である。下人の面よりはマシだった。堕ちる所まで堕ちた。後は昇っていくだけだ。

 

「な、成る程……」

「私は好きだよ!そっちの方が!」

「お前の好みは聞いとらん」

 

 何とも言えぬ紫の応答、蜥蜴娘の意見。自由にし過ぎである。淡々と切り捨てる。

 

「……それはそうと、またどうして赤穂の姫君が此方に?せめて事前に連絡を頂ければ良かったのですが」

 

 糞餓鬼との話は程程に。取り敢えず話を進める。アポイントメント無しは割と困るのだが……主に彼女の命のために。

 

「そ、それは……」

 

 えっとえっと迷い果てて、紫は傍らの女中に視線を向けた。女中は咳払いすると代わりに口を開く。

 

「姫様はまだ動揺しておいでです。代わりに説明宜しいでしょうか?」

「えぇ」

 

 そして女中、陽菜は説明する。鬼月の親戚として祝いの言葉を述べに来た事、単独の任務故にその妨害をする事態を恐れて予告なしに来た事。そも、半妖の孤児院如きに赤穂の姫が足を運ぶのを知られる訳には行かぬために事前に文を送る事を疎んだ事……糾弾するように語る。それはそれは痛烈に、槍のように鋭く弾劾する。

 

「それにしても統制がとれていませんね。これでは童共が何処に行っても気付かぬのでは?どのような経緯で受けたか知れぬ珍妙な任で御座いますが陰陽寮より受けた命。鬼月と血縁ある赤穂としては身内と見なされる以上、この程度の仕事は粗相なくこなして頂きたいものですね」

 

 溜まっていた鬱憤をぶちまけるように、己の務めをやりきったとばかりに女中は言い終える。そして「どんなものですか!」と自信満々とばかりに姫を見る。

 

 ……需要と供給のミスマッチのように見えたけど。

 

「えっ?え、えええええっと!!?」

 

 口上を聞き終えた紫はあからさまに動揺していた。「いやそこまで責め立てる必要なくないですか!?」とばかりである。動揺しきって紫は視線を泳がす。その場にいる者達を次々と見る。

 

「姫様……」

「姫様?」

「おかっぱひめさま?」

 

 上から俺、女中、餓鬼である。紫はそれらを見て、見て、見て、加えていつの間にか障子の隙間から覗いていた小僧共に気付く。ちっ、気付くなって……(途中から指摘するのも失礼と思って黙っていた。ミスった)

 

「ええええっと、えっと、えっと、とととととっ……!!?蜥蜴共にはこの程度の餌で十分なんですよぉ!?」

「うおおっ!!?」

 

 菓子折りをまるで投げつけるように押し付ける紫。上ずった声で叫ぶ。立ち上がる。

 

「ひ、姫様!?」

「何ですか!?小児性愛馬魔羅百姓が気安く呼ぶのは止めなさい!!?」

 

 唖然とする俺に向けて紫は高速で捲し立てる。完全にテンパッていた。瞳はグルグル目であった。

 

「姫様、何を……!?」

「陽菜、目的は果たしました!!早く帰りますよぉ!!?」

 

 主君の変貌に俺と同じくらいに唖然とする女中は、しかし唖然としたままに主君に従う。

 

「紫様、御待ちを……」

「煩いですね!?私は多忙なのです!!態々足を運んで来てやっただけでも感謝を……うわっ!?」

 

 障子を開いて餓鬼共を散らせて、縁側に出て足を踏み入れた直後の事。つるりと滑って転がる紫。後頭部がそのまま床に一直線に。

 

 想定していたので、俺は即座に彼女を支えた。

 

 

「きゃっ!?」

「大丈夫でしょうか、姫様?」

「ふえ?……はぅ!!?」

 

 抱える形で支えて、俺は紫に尋ねる。間抜けな返答がくる。面を挟んで互いの色彩が見えるくらいに顔は近かった。何が起きたのか分からず呆然として……理解と同時に距離を取る紫。

 

「礼をいいます!!仕切り直しです!!後日、改めて伺いますのでその時にはちゃんと応対して見せて下さい!!それくらい、出来るでしょおう!!?」

 

 此方を指差ししての怒鳴るような宣言。羞恥心から茹で蛸のように顔を赤くしての命令であった。

 

「……はぁ」 

「よし返事しましたね!?約束しましたね!!?陽菜、さぁ帰りますよ!!?さぁ早く!!」

「ひ、姫様!?御待ち下さい!!?」

 

 スタスタと縁側に逃亡するように退出する紫。それを追う女中。嵐のようだった。俺は状況を追いきれずにその場に佇む。

 

 ……え?あいつまた来るの?

 

「あ、これおいしい!」

 

 そして勝手に菓子折りを開けて赤子卵糖を食べての蜥蜴娘の言である。いや、勝手に食うなや。

 

「おいこら皆で分けろ」

 

 取り敢えず菓子を没収する。そして俺は紫を追う。訳が分からぬが兎も角も見送りはせねばならなかった。ブー垂れる小娘を無視して俺は孤児院の門前向けて小走りで向かう。もう門前には車はなかった。早っ、疾風怒濤だ。

 

「というか、車飛ばし過ぎて事故でもしねぇだろな!?」

 

 赤穂紫の事である。先程間一髪だった時点でせめて見える範囲は最後まで見送らねば何が起きるのか知れなかったを門の外向けて急いで向かう。

 

 そして、門前を潜った人影と正面衝突した。

 

「うおっ!?」

 

 鮮やかな装束向けて顔面から突っ込んでいた。香の匂いが鼻孔を満たす。事態に混乱する。

 

「し、失礼!?」

 

 慌てて謝罪。距離を取ろうとする。しかしそれは果たされなかった。

 

「あら。これはまた大胆だねぇ?こんなに剥き出しのお出迎えは初めてかな?」

「は?」

 

 舐めるような言であった。同時に押さえつけられた後頭部。小さくとも甘い柔らかさに視界を包まれて埋もれる。腰を突き出したような間抜けな姿勢となる。甘美でいて、どろっと濁ったような声音が這い寄った。

 

「さっき、赤穂の車と擦れ違ってね。お姫様、随分と顔を真っ赤で……もしかして、娘子とくれば手が早い性分?」

 

 顔を埋もれながら俺は上目遣いで相手を見た。蠱惑的な眼差しに落書きのような面が映りこむ。

 

「お、前は……!?」

 

 俺がその先を口にする前にべしんと真っ黒で極太の逸品が面の上に屹立するようにしてのし掛かった。

 

「菓子折り。……宮鷹の姫よりの御祝いの品。まぁ遠慮なく頂いて頂戴?」

 

 白い芯を桜色で包み込み、更に全体を黒々とした小豆味で包み込んだ下郎餅……都の有名な銘菓を差し出しての、マジカルな危険人物との邂逅であった。

 

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